ズルワン教・ミトラス教の神話-ペルシャ神話3-


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ズルワン教(ズルワン派)・ミトラス教(ミトラ(ミスラ)信仰)の神話

に入る前に、ゾロアスター教の終末論の特徴について触れておきたいと

思います。

 

さて、ゾロアスター教の終末論は、二部構成になっているとされます。

つまり、死に際しての個体の終末と、世界の終末があるのです。

 

まず、個体の終末から見て行きますと、死後の生、つまり、死後の魂として

の存続という考えは、早い時期からペルシャ思想において支配的であった

ようです。人間は死ではなく生のためにつくられたのであり、永遠は単に

約束された未来の応報ではなく、それは人間の真の居城であるとされるの

です。

 

後期のテキストによると、人は死後、次のようなプロセスをたどります。

 

<死後、魂は三夜の間、死体の周りをさまよう。この三夜は、死者の魂に

とって反省のときであり、肉体の死に際しての懺悔のときであり、肉体と

魂の再会を熱望するときだとされる。この間じゅう、悪魔は理由なく罰を

加えようとするため、死者の魂は規律の神スラオシャの守護を必要とし、

死者の親族が供物や祈りで守らなければならない。>

 

<三夜のあとの明け方、魂は裁判を受けるために進んでゆく。個人の生前

の善き行いと悪しき行いは、ガロードマーン(頌歌の家)に保存されて

いて、裁判官であるミスラ、スラオシャ、ラシュヌの目の前で秤にかけ

られる。各人は自分自身の生活にもとづいて公平、厳格に裁かれる。>

 

<もし、善き思い、善き言葉、善き行いが、悪しき思い、悪しき言葉、

悪しき行いよりも重ければ、魂は天に昇り、もし、悪が善より重ければ、

魂は地獄に送られる。>

 

<魂が裁きの場を離れると、一人の案内人に出会う。正信の徒は、芳香を

発する風と、今まで会ったこともない美しい娘に迎えられるが、邪悪な

魂は、裸のもっとも忌まわしい病気を患う老女に迎えられる。>

 

<魂はそれからチンワト橋に進む。この橋は、二つの面を示す。正信の徒

には、橋は広くて渡りやすい。しかし、邪念の徒には橋は剣の刃のように

なる。正信の徒の魂が橋を渡るとき、ヤサダたちを見る。勝利の火は暗黒を

追い払い、その間、魂は浄化されて天に導かれる。邪念の徒の魂も橋を渡る

ように強いられ、まっさかさまに地獄に墜ちてあらゆる苦しみを受ける。>

 

なお、一人の犠牲が多くの罪を償うというキリスト教の思想は、ゾロアスタ

ー教では受け入れられないし、地獄における永遠の刑罰という考えもない

ようです。ゾロアスター教の地獄は非常に厳しいが、その犯罪にふさわしい

矯正的な罰が行われるのであり、一時的なものであるとされるのです。

 

さて、では、世界の終末とは、どのようなことなのでしょうか?

 

ゾロアスター教の伝統によると、世界の歴史は1万2千年にわたるとされ

ます。最初の3千年は原初の創造時代で、つぎの3千年はオフルマズドの

意思のまま過ぎる。第三の3千年期は、善と悪の意思の混合した時代となる。

そして、第四の3千年期にアフリマンは滅亡するのです。

 

今は、悪が敗北する最後の時代で、それはゾロアスターの誕生で始まるが、

さらに四つの小時代に分割される。それは金属で象徴され、善き宗教が

ゾロアスターにより啓示された黄金時代、彼の保護者の王が彼の宗教を

受け入れた銀時代、ササン王朝の鋼時代、この宗教が衰退しつつある現代

の鉄時代、となります。

 

悪が滅びるのは今の時代とされるのですが、悪との闘争は振り子の運動の

ようなもので、最初は善が、続いて悪が勝利者となります。この3千年の

最後の時代、ゾロアスター教徒は千年ごとに3人の救世主が出現するのを

期待しています。

 

ある文献によると、ゾロアスターは紀元前6百年頃に存在したとされる

ので、現在までに第一と第二の救世主が出現したことになるようです。

 

ともかく、各種のテキストは、救世主の出現と悪の最終的敗北について述べ

ているようですが、それはキリスト教などの黙示や預言とは異なり、儀式的、

呪術的なニュアンスを持った表現だということです。

 

また、これらを終末の出来事と呼ぶのは正確ではないようです。それを

ゾロアスター教徒は更新と呼ぶようです。世界は、アフリマンに攻撃

される前の、完全な状態、いや、それ以上のものに復元されるのです。

 

さて、すこし長くなりましたが、次にズルワン教(ズルワン派)とその

神話に移りたいと思います。

 

ズルワン教とは、オフルマズドではなく、無限時間を意味するズルワン

(ズルヴァーン)を最高神とするもので、それはゾロアスター教以前の

伝承であるとする説もあるが、通常、アケメネス朝時代、バビロニアや

ギリシャの宗教思想の影響を受けて発展したと考えられています。

 

そして、パルティア王朝時代を経て、ササン王朝時代には、ズルワン教は

ペルシャ人の宗教生活の前面に現れ、イスラム時代まで持続したという

ことです。それは別個の分派というよりは、ゾロアスター教会内部の知的

運動として栄えたようです。

 

ズルワンは、善悪両方の究極的根源で、オフルマズドとアフリマン兄弟の

父であるとされます。つまり、絶対者はその存在のなかに、善悪の矛盾を

内包しているのです。ズルワン教徒は、(正統派)ゾロアスター教の二元論

の向こうに統一性を求めたということです。

 

さて、ズルワン教の神話は、再構成するのが難しいとされます。という

のは、純粋にズルワン教的なテキストは存在せず、教会外部の観察者の

記述や、(正統派)ゾロアスター教徒と時々行った論争しか残っていない

ようなのです。

 

そんな中で、外国人、つまりアルメニア人の記録によると、宇宙論の創成

は次のようになります。

 

<大地と天空が成立する以前、偉大な究極的存在であるズルワンだけが存在

した。彼は男の子が欲しいと思い、千年間、供犠し続けた。供犠は、ズル

ワンが誰か他の存在に祈りをささげるという意味ではなかった。ペルシャ人

の信仰では供犠はそれ自体で功徳があり、力を持つとされたからである。>

 

<しかし、千年たって、彼は自分の願望の成就に疑問を持ち始めた。彼は、

天空と大地を創造することになる息子、オフルマズドをもうけるという供犠

の力に疑問を持った。疑念を持った瞬間、彼は双子を身ごもった。という

のは、まだ男女未分化の状態であったズルワンは、両性具有であったから。

双子は、彼の願望の成就であるオフルマズドと、彼の疑念の化身であるアフ

リマンであった。>

 

<ズルワンは、どちらの息子であれ、子宮から最初に出てきた者に、王権

の贈り物を与えると誓った。全知という偉大な能力をすでに発揮していた

オフルマズドは、このことを知り、兄弟のアフリマンに知らせた。そこで、

アフリマンは、子宮を裂いて父の前に現れ、自分がオフルマズドだと名乗る

が、ズルワンは、彼が暗く、悪臭を発するとして難色を示す。>

 

<次に、オフルマズドが出てくると、彼は自分の願望の成就と認めて、彼に

祭司の象徴であるバルソムの小枝の束を渡した。アフリマンは、大いに

嘆いたが、最初に生まれた息子に王権を渡すという誓いを破らないために、

ズルワンはアフリマンに9千年間の世界の統治権を与えた。オフルマズドに

は、彼はそれ以上の統治権を与えたので、オフルマズドは、天空と大地を

創造した。>

 

その後は、二元論的(正統的)ゾロアスター教におけるのと同じように、

オフルマズドは、ズルワンのなかのあらゆる善きものを、アフリマンは、

あらゆる悪しきものを代表して闘争を開始することになるのですが、世界

の歴史が1万2千年とされるのは同じとして、最初の9千年期は悪の支配

する時代で、最後の3千年期は悪が支配する時代とされるのです。

 

そして、仔細に見ると、同じような善と悪の闘争といっても、次のような

相違点が出てきます。

 

二元論的ゾロアスター教では、オフルマズドとアフリマンは、メーノーグ

(不可視的、霊的)界とゲーティーグ(可視的、物質的)界の両世界で

それぞれ軍団を保持し、対等に渡り合っているとされるが、ズルワン教

では、オフルマズドはメーノーグ界とゲーティーグ界の両世界での軍団を

そろえているものの、アフリマンはメーノーグ的軍団を持たず、ゲーティ

ーグ的軍団のみで戦うとされます。これでは最初から優劣は明らかで、

アフリマンはゲーティーグ的軍団を駆使してオフルマズドのゲーティーグ

的軍団を物質的に汚染するのが精一杯ということになります。

 

また、二元論的ゾロアスター教では、対等の軍団を指揮するオフルマズド

とアフリマンは延々と光と闇の闘争を繰り返し、終末の日にいたるまでその

決着はつかないのであり、善悪の闘争こそが宇宙の本質とされる。しかし、

ズルワン教では、退却したアフリマンはそのままオフルマズドのメーノーグ

的軍団によって捕囚されてしまい、大天使の監視のもとで幽閉されてしまう

のです。

 

このように最初期の段階で善神が悪神にかなりあっけなく勝利を収めて

しまい、重点が「闘争」より「約束」、「周期」の方にあるズルワン教は、

宇宙の本質が善と悪の闘争にあるとする完全な二元論とは異なったものに

なっているのです。

 

さて、それではミトラス(ミトラ)教とその神話とはいかなるもので

しょうか?

 

ミスラ(ミトラ)は、様々な時代の、多くの異なった国々の歴史のなかで、

重要な位置を占める神であるとされ、その信仰は、一時、西方ではイング

ランドの北部、東方ではインドまで広がったようです。

 

古代インドでは、ミトラ(友情、契約)として現れ、もう一柱の神、ヴァ

ルナ(真実の言葉)とともに、ミトラ・ヴァルナという形で勧請されます。

これら二神は、ともに人間的な表現で描写され、地上の馬車と同じ飾りを

つけた輝ける馬車に乗る。二神は、千の柱、千の扉のある館に住むとされ

ます。ただし、二神についての物語や神話というものはなく、これらの

描写は、ただこれら二神の特徴を引き出すためだけに用いられています。

 

ペルシャ(古代イラン)のものとしてはミスラ讃歌なるものがあります。

インドの場合と同じように、ミスラ(ミトラ)は創造主によって建てられ

た壮大な宮殿に住んでいて、そこには悪しき神々によってつくり出された

夜も暗黒もなく、寒風も熱風もなく、死にいたる病気もなく、穢れもない、

とされます。

 

そして、ミスラは、金と銀の蹄鉄を打った、四頭の不死の白馬に曳かれた

馬車に乗って駆ける。彼は、ハラー山(アルブルズ山の異名)を越えて

やってきた最初の神、黄金色の美しい山頂を捉えた最初の神、この山頂

からこの全能の神は、イラン人が住む全国土を見渡す、と讃えられます。

 

ミスラは死後の魂を裁き、悪魔たちが罪人に必要以上の罰を科さないように

する神で、銀の矛を持ち、金の甲冑を身につけ、百のこぶと刃のついた棍棒

を持ち、悪しき神々や人間の頭を打ち砕く強力な肩を持つ。よって彼の前

では、アンラ・マンユも、悪意にみちたアエーシュマも、すべての悪神たち

は、恐れてひるむのだそうです。

 

このように、ミスラ(ミトラ)は、インドとイランがまだ未分化だった時代

から、古代インド、イラン人の間では大変な崇拝を受けた神格であったのです

が、ザラスシュトラの宗教改革の結果、一時、ゾロアスター教のなかでは六大

天使のなかにも入らない、単なるヤサダ神族の一柱にまで落とされてしまうと

いう状態に至るのです。

 

しかし、ミトラ崇拝そのものは廃れることはありませんでした。その後、

なぜかローマにおいてミトラス教の主神として復活することになるのです。

 

なぜそうなったかについては、よくわかっていません。ペルシャ王たちの

よる征服以来、ペルシャの伝統の孤立地帯を形成してきたポントス、カッパ

ドキア、コマゲネなどの衛星国に住むペルシャ人たちが、ローマ軍により

徴兵され、ローマ帝国全土に、このペルシャの神の信仰を普及させたのでは

ないかと言われています。

 

ミトラス教は、当時のローマの人たちには「ペルシャの秘儀」と考えられて

いたようです。ミトラス自身が「ペルシャの神」と言われていたようですし、

ミトラス教の教義をゾロアスターに帰する人もいたということですが、ミト

ラス教の秘儀については、よくわかっていないのが現状です。

 

そんななか、ミトラス神の神殿には、雄牛を殺すミトラスを表すレリーフや

図像が描かれていて、それが秘儀の中心的神話を構成しているとされますが、

多くの研究者たちは、ずっとこの神話の場面を、ゾロアスター教の創世神話

に関連して解釈してきた、つまり、善悪の観念によって解釈しようとして

きたようです。

 

しかし、その後の学術的研究により、かなり変化を遂げてきたようで、ミト

ラスの祭儀や神話を占星術的な意味合いを持つものとして解釈されるよう

になってきたということです。

 

なお、このようなミトラス神話の解釈の根拠とされるのが3世紀の新プラ

トン学派の哲学者ポルピュリオスの記述などですが、それによると、秘儀

の加入者が連れてこられる場所は神殿であるが、ミトラス教徒は、彼らの

神殿を、万物の創造者であり、父であるミトラスが創造した世界洞窟の

「表象のなかにある」神殿と考えた。このために、ミトラス教徒は神殿には

できるかぎり洞窟を使用した。あるいは、少なくとも神殿に洞窟の外観を

与えた。そして、階段を降りて入口に入るようにして、地下の感覚をつくり

出した。世界洞窟は、ミトラスが雄牛を殺す舞台装置とされた。

 

また、ミトラス教のイニシエーション(秘儀参入)には七つの段階があり、

それぞれが七つの星(水星、金星、火星、木星、月、太陽、土星)の一つ

一つによって保護されている。魂の天上への旅にとって、図像は、地図で

あると同時に暦でもあり、時と季節は天上の空間と同時に現されている。

ミトラスは太陽であり、儀式では、彼は不敗の太陽と呼ばれ、雄牛は月と

される。太陽と月は、魂が物質世界に下降し、最終的に開放され、再び

天上に上昇するときの、魂の出発と帰還の作為者であり、場所であると

見なされた、ということです。

 

とにかく、近年の研究では、ミトラス教の信仰者たちは、人間が誕生する

とき、魂がこの世に降りてくると信じ、宗教的探究の目的は、魂が再びこの

世から上昇を成し遂げるところにあったということです。儀式における

階段の上昇は、魂の天上への旅に相当するとされ、魂は加入者がイニシ

エーションの階段を上昇して行くように、天の七つの門を通って上昇する、

と考えていたようです。

 

よって、洞窟で雄牛を殺害するレリーフは、救済の手段とその時点を表す

ものであったのみならず、この世に生まれ、再び天上へ帰還するとき、

救済が実現する力を描いたものであったとされます。

 

それはともかく、ローマのミトラス神話の真の意味がいかなるものであれ、

ミトラは、その信仰が何世紀もの間、いくつかの大陸に広がった神である

ことは確かだろうと思われます。そして、古代インド、ペルシャのみならず、

現代のインド、現代のゾロアスター教においても崇拝され続けています。

 

ミトラは、真実と秩序の神、虚言の敵、虚偽の破壊者、あらゆるものの創造

者であり父、人間を救済するものとして、およそ4千年の間、豊かで変化に

富んだ神話の中心的存在となってきたのです。







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善と悪のあくなき闘争-ペルシャ神話2-


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宇宙において、二つの根本的に相反する力が働くという信念、つまり、

二元論は、ゾロアスター教特有の教義です。古代アーリア(イラン)

人は、真実あるいは秩序と虚偽あるいは混沌という二つの相反する力

を信じていたとされますが、この思想がゾロアスター教に継承され、

発展していったのです。正信の徒は真実の信奉者アシャワンと呼ばれ、

邪念の徒はドルグワンと呼ばれ、後期になると、この二つの力が対立

するという観念はさらに発展してゆきます。

 

ゾロアスター教徒にとって、善を悪と関連づけること、つまり、善の世界

がアンラ・マンユ(悪魔)の創造であるというような考えを持ち出すこと

以上に大きな罪はないとされます。神と悪を合同させる以上に大きな罪は

ないのであり、善と悪は、一つの実在の違った両面ではなく、対立する

実体なのです。悪は単に善が欠けたものではなく、実体であり力であり、

両者は共存することができないのです。

 

このように善と悪、あるいは神と悪魔の対立は、ゾロアスター教のすべて

の神話、神学、哲学の基本とされますが、神の勢力と悪の勢力の観念と関係

は、具体的にはどのようになっているのでしょうか?

 

善の勢力のトップには、創造主、賢明なる主であるアフラ・マズダー(

オフルマズド)が君臨します。彼はすべてのものの父、太陽と星々の道を

定めた聖なる者、大地と天空を支える者、光明と闇黒の創造者、始原の

とき、意思によって人間と創造物を造り出した者なのです。

 

ゾロアスター教徒にとって、オフルマズドはあらゆる善性に勝り、いかなる

悪とも関わりがない。善き創造を台無しにする苦難も悪であり、神の子に

苦難をもたらしたキリスト教徒の神をも悪として非難するのです。

 

ともかく、神はあらゆる善きものの源泉であり、悪は神が統御できない

ものであるが、最終的には征服するはずのものとされるのです。

 

さて、アフラ・マズダーには、六柱の神の息子たちや娘たちがいます。

これらの神は、ウフ・マナフ(善き心)、アシャ・ワヒシュタ(最高

の天則)、スプンター・アールマティ(聖なる敬虔さ)、フシャスラ・

ワルヤ(望ましい統治)、ハルワタート(健全)、アムルタート(不死)

と称されています。これらにアフラ・マズダーを加えた七柱の神格は

独特の神族を形成し、アムシャ・スプンタ(聖なる不死者)と言われ、

ゾロアスター教の神話と儀礼において中心的な役割を果たしているのです。

 

七種の創造物のうち、人類はアフラ・マズダー自身によって守護されるが、

その他の創造物(家畜、火、大地、天空、水、植物)は上記の神々に

よって守護されるとされます。

 

それぞれのアムシャ(不死者)は、神の性質の一面を表し、人が共有できる、

あるいは共有すべき性質の一面を表します。人が共有することができない

のは、アフラ・マズダー自身の創造的で、神聖で、豊かな心がけだとされ

ます。ゾロアスター教は、人間を高く評価するけれども、ヒンドゥー教に

見られるような神と人間との究極的な合一という観念はないのです。

 

アフラ・マズダーは、アムシャ・スプンタのそれぞれを通じて祈願と称賛

を受けるが、同時に、彼らを通じて応報と罰を与えるのです。アムシャ・

スプンタは、神が人間に近づき、人間が神に近づく媒介者ということに

なります。

 

アムシャ・スプンタの詳しい説明は割愛しますが、神の第一子として生まれ

たのが、ウフ・マナフで、アフラ・マズダーの右手に座り、あたかも助言

者にように行動する存在で、世界にいる有益な動物を守護するとともに、

人間とも深く関わるとされます。

 

そして、アフラ・マズダーの左手に座るのは娘アールマティで、彼女は大地

を統括するので、家畜に牧場を与える存在とされます。しかし、彼女の真の

性格はその名のとおり「敬虔」にあります。

 

さて、ゾロアスター教では、アムシャ(不死者)だけが天上的な存在では

ありません。その他に「ヤサダ」、つまり、尊敬されるもの、祭られるもの

がいます。ヤサダは、アフラ・マズダー、そしてアムシャ(不死者)に

次いで、三番目に重視されます。ヤサダに属する神々はたくさん存在し

ますが、ゾロアスター教の暦で、月の日々が割り当てられたヤサダが当然

のことながら上位にいることになります。そして、彼らのうちでもっとも

重要なミスラやアナーヒターは、彼ら自身の讃歌を持っています。

 

主たるヤサダであるワユ、アナーヒター、ハオマ、アータル、ウルスラグナ

などは前回少し紹介しましたが、ミスラについては、別途、取り上げたいと

思います。

 

ともかく、全体的に見て、ヤサダは太陽、月、星の守護聖霊であるか、祝福、

真理、平和というような抽象的な観念の化身であるようです。

 

なお、ヤサダを多神教の神々の一柱、つまり、古代ギリシャ神話の神々の

ようなパンテオンの住人と見なすのは正しくないようです。

 

ゾロアスター教徒は、人間が取るに足りない嘆願や懺悔や供物で、偉大で

崇高なオフルマズド(アフラ・マズダー)を煩わすことができないと考え、

その代わりとして、これらの自分たちが近づきうる、彼ら自身の個人的

守護者を選択したということのようです。

 

つまり、ヤサダは、異教のパンテオンの神々ではなく、どちらかというと、

キリスト教の聖者あるいは天使に類似する存在です。

 

以上が善の勢力ということになりますが、悪の勢力についても触れて

おきたいと思います。

 

さて、悪魔の世界が恐ろしく、堕落した性質を帯びたものであることは

疑いないことだとしても、ペルシャの文献では、天上の世界のようには、

明白な言葉で描写されていないようなのです。大悪魔は、大天使のように

ぴったりとした組織のなかに組み込まれておらず、彼らは終末のとき、

天上の存在と対になって登場するので、その階級制度を再構成できる

にすぎないのです。

 

それはともかく、アンラ・マンユ(パハラヴィー語ではアフリマン)が

悪魔の集団のリーダーです。

 

後期の神話テキストでは、<アンラ・マンユ(アフリマン)は、悪魔の

なかの悪魔で、伝統的な悪魔の住居である、北方の無限の暗黒の深淵の

なかに住む。無知、有害、無秩序はアフリマンの特性である。彼は自分

の姿を変え、トカゲ、ヘビ、あるいは若者として登場できる。>

 

<彼の目的は、オフルマズドの創造を常に破壊することであり、この目的

のために彼は創造主の仕事をだめにしようと、そのあとをつけ回る。

オフルマズドが生命を創造したように、アフリマンは死を創造した。彼は

健康に代わって病気を作り出し、美に代わって醜悪を作りだした。>

 

<ゾロアスターの誕生は、悪霊にとって大打撃であった。彼はゾロアスター

を誘惑したが成功しなかった。世界の終末のとき、アフリマンはいかに

もがいても、征服され、その悪の創造は撲滅される。>とされます。

 

なお、アフリマンは実体をもたないとされます。彼は寄生虫のように、

人間や動物の体内に住むだけで、本当の実体的存在とは言えないのです。

 

また、アエーシュマという憤怒と激怒の悪魔がいます。彼は常に争いを

かきたてようとします。善の創造に対して悪を作り出すことに失敗すると、

悪魔たちの野営地の中で争いをかきたてるのです。邪悪な者の言葉に憤怒

と激怒をかきたてられ、アエーシュマは人間を攻撃するのです。

 

しかし、彼が世界を分裂させようとする仕業は、従順と献身の化身である

スラオシャ(ヤサダ神群の一柱)によって阻止される、スラオシャは最後

には、世界から怒りを取り除く、とされます。

 

その他に、悪名高いのが、三頭、六眼、三口のアジ・ダハーカという悪魔

です。彼は他の多くの悪魔よりは、よりはっきりと神話的な色彩をもって

描かれていて、その体内には無数のトカゲ、サソリその他の害虫が詰まって

いるとされ、彼を引き裂くと世界中がこのような害虫でいっぱいになると

されます。

 

とにかく、彼も色々と悪事を働くのですが、最後には、復活したクルサー

スパ(古代ペルシャの英雄神の一柱)に殺されます。

 

これら三体が、明白に記述できる悪魔の特徴ですが、他の悪魔は、名前

以外はほとんど知られていないということです。ただし、悪魔とされる

ものに、嫉妬、傲慢、昏睡、不正があります。また、しばしば言及される

悪魔に、死体の悪魔でナスと呼ばれるもの、腐敗、分解、伝染、汚穢の

魂の化身であるドルジュがいます。

 

他に悪の力として、堕落の悪魔的な女性の化身であるジャヒーがいます。

また、魔法使い、あるいは妖術師であるヤートゥは、悪の破壊力の顕現

とされます。

 

さて、多くの文化や宗教、ことに民衆文化のレベルで、清浄と汚穢の観念

と結びついた確固とした伝統がありますが、ゾロアスター教では、この

ような習慣は、善と悪についての神話的教義のなかに集成されています。

 

不浄とは、悪と接触したときの状態とされるが、その最たるものが死であり、

死体であるとされます。よって、葬式に関する浄化の法則は厳密に規定され

ていますが、その要点は、信徒の日常生活や家庭に、善と悪の宇宙的闘争を

持ち込むことにあります。なぜなら、悪の腐敗的影響が見られるところでは

どこでも、あらゆる形で悪と戦うのがゾロアスター教徒の最高の任務と

されるからです。

 

なお、ゾロアスター教徒は、一神教の多くが苦闘しなければならない課題

「神はなぜ人間に苦しむことをするにまかせるのか」という、世界の悪の

神学的問題をもたないようです。なぜなら、ゾロアスター教徒は、<神は

人間を苦しむにまかせない。悪とは、神が今は統御できないが、いつか

それに打ち勝つものである>と考えるからです。

 

さて、それでは、ゾロアスター教の創造神話を紹介しておきたいと思い

ます。

 

<無限の光明の高みに住むオフルマズドと、虚空を隔てて、暗黒の最深部

にいる悪魔アフリマンとは、直接の接触はなく、最初、両者は争いを始め

ることなく存在した。アフリマンはオフルマズドと光明を見るや、彼の

破壊的本能がオフルマズドを攻撃し、破滅させようとした。>

 

<アフリマンが破壊的性格を変えることがないのを知って、オフルマズド

は創造を開始した。彼は光明の本体から創造物のメーノーグ、すなわち

不可視的形姿を作り出した。彼は最初、アムシャ・スプンタをつくった。

それからヤサダをつくり、最後に宇宙の創造を開始した。最初は天空、

つぎに水、大地、植物、動物をつくり、最後に人間をつくった。>

 

<創造物はみな、神オフルマズドに属する。彼は母として霊的(不可視的)

世界をみごもり、父として物的(可視的)形態をとった世界を生んだと

される。アフリマンは、オオカミ、カエル、つむじ風、砂あらし、癩病など、

あらゆる悪しきものを産み出した。>

 

<物的創造は、最初つくり出されたときは、理想的な状態であった。樹木は

樹皮もトゲもなく、雄牛は月のように白く輝き、原人ガヨーマルトは、太陽

のように輝いた。しかし、この理想的な状態はアフリマンの攻撃によって

破壊される。一度は地獄に落ちたアフリマンであったが、全悪魔を率いて再び

反撃に出て、雄牛と原人ガヨーマルトを最後には殺してしまうのである。>

 

<しかし、それは善の終焉ではなかった。天空の精霊たちと人間のフラワシ

(守護霊、祖霊)の活躍により、アフリマンは投獄され世界の生命が再び花

開き始める。アフリマンの見かけ上の勝利の影に、彼の敗北の種子がひそん

でいたのである。雄牛が死ぬと、五十五種類の穀物と十二種類の薬草が牛

の四肢から成長し、牛の精液は月に行き、そこで浄化されて様々な動物を

生んだ。同じように原人が死ぬと、その精液を大地に流し込んだ。かくて、

金属でできた彼の体から大地は各種の金属を受け取った。彼の精液からは

最初の一組の人間、マシュイーとマシュヤーナクが生まれた。>

 

<生が勝ちアフリマンの創造物である死は敗北した。死からは生がより豊か

に生まれた。アフリマンは、個人を何人か殺すかもしれないが、また、誘惑

にさらされるかもしれないが、人類は全体として増え続ける。>

 

かくして、人間の住む世界は、悪の攻撃によって汚染されているものの、

基本的に善とされる。これを否定することは、ゾロアスター教の基本的罪の

一つとされるのです。ギリシャの宗教と異なって、ゾロアスター教では、

物質を不当に霊魂と比較することはなかったのであり、彼らの考えでは、

理想的な存在のためには両者が完全に調和していなければならなかった

のです。

 

なお、上記のような善と悪の闘争、つまり善悪二元論とともに、世界の

最後についての教理、すなわち終末論がゾロアスター教の中心的な要素と

言われます。

 

また、ゾロアスター教と一口でいっても、一枚岩ではなく、そこには、

オフルマズドではなく、ズルワンを最高神格とするズルワン教(ズルワン

派)やヤサダ神族の一柱であるミトラを崇拝するミトラ教(ミトラ信仰)

といった異端的な信仰を包含しています。よって、次回はそれらについて

触れてみたいと思います。

 

 
 
 
 
 
 真実を求めて
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古代イラン(アーリア人)の神話-ペルシャ神話1-


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ペルシャ神話 



少し前、インドの神話について紹介しましたが、インド神話のなかでも、

古い層に属するのが、いわゆるヴェーダの神話と称されるものでした。

 

「ヴェーダ」とは、元来、知識、特に宗教的知識を意味するものですが、

なかでも『リグ・ヴェーダ』(神々に対する讃歌の集成の意味)は、

ヴェーダ文献の中でも最古のものであり、それは最初期のインド・

アーリア人の宗教・神話を伝える最も基本的な資料となるものと

いわれています。

 

アーリア民族が西北インドに侵入した時期は、一般に紀元前1500頃と

されていますが、紀元前1200年前後には、インド・アーリア人の有する

最古の文献である、『リグ・ヴェーダ』が成立したと言われています。

 

そこには、インド系民族とイラン(ペルシャ)系民族が一つだった時代の

文化の痕跡を強くとどめていて、インド、イラン共通の神々が登場するのです。

 

たとえば、『リグ・ヴェーダ』では神々は「デーヴァ」と呼ばれそして、

神々に敵対する悪魔が「アスラ(阿修羅)」と呼ばれていますが、それが

イランでは、ダエーウ、そしてアフラと称されます。

 

しかし、大変興味深いことに、イランのゾロアスター教において、アスラ

に対応するアフラが最高神アフラ・マズダーとなり、デーヴァに対応する

ダエーウが悪魔の地位に落ちるなど、インドにおける経過とは逆になって

ゆくのです。

 

そこで、今回は、イラン(ペルシャ)に焦点をあて、その神話を紹介して

みたいと思います。

 

さて、ペルシャ神話の資料としてもっとも重要なものは、ゾロアスター教の

聖典である『アヴェスター』であるとされます。もっとも、現在は儀式に

用いられる『アヴェスター』の部分しか伝わっておらず、それは原『アヴェ

スター』のおおよそ四分の一にすぎないのです。

 

『アヴェスター』は、ササン朝ペルシャにいたって初めて現在の形に書き

記されたが、その内容はそれよりもずっと古く、ゾロアスター教以前に

さかのぼる太古の神話の反映および残留が見られるとされます。

 

資料の集合体である『アヴェスター』でもっとも重要なものは、ゾロアス

ター教の説教である17編の詩編(ガーサー)とされ、そのもっとも重要

な部分の一つが、種々の神々に奉げた讃歌集(ヤシュト)だと言われます。

(インドの『リグ・ヴェーダ』も神々への讃歌集であった。)

 

ヤシュトはすべてゾロアスター教の礼拝で用いられてきたが、讃歌の多く

は、基本的にはゾロアスター教以前の時代にさかのぼるのです。『アヴェ

スター』は、アヴェスター語という教会言語によって伝えられてきたが、

死語になったのちも、言霊をもつ神聖な言葉として長期間保存されてきた

ために、古い伝承が残存しているのです。

 

なお、パハラヴィー語(中期ペルシャ語)文献にも資料となるものがある

ということです。たとえば、『ブンダヒシュン(創世記)』は、天地創造の

行為、性質、目的に関する『アヴェスター』の翻訳の集成とされます。

 

さて、それでは、古代ペルシャの宇宙観、世界観から見て行きたいと思い

ます。

 

<古代のペルシャ人は、宇宙というものを円盤のような、円くて平たいもの

と考えていたようです。彼らにとっては、空は無限の空間ではなく、水晶

のような堅い物質で、貝殻のように世界をおおっていたとされます。原初

の完全な状態では、大地は平坦で、谷も山もなく、太陽や月や星々は、

正午の位置のまま大地の上方に固定していた。>

 

<しかし、この平静な状態も、宇宙に悪が侵入したために粉砕された。悪は

空から突入し、海洋のなかに飛び込んだ。そして、大地の真ん中から飛び

出し、大地を揺さぶり、山を成長させた。代表的な山はアルプルズ山で、

成長するのに8百年かかった。アルプルズは宇宙全体に広まり、山の本体

は天空に達し、大地を取り囲んでいる。この宇宙山の基底は大地の下に

広がり、大地を支え、この基底から他のすべての山々が成長する。大地の

中心にタエーラ山、つまりアルプルズの山頂がそびえ、山頂から天にかけ

てチンワト橋が架かっていて、死者の魂は天国または地獄に旅する。>

 

<なお、悪が宇宙に侵入したために揺さぶられたのは大地だけではなかっ

た。太陽、月、星々もその固定した位置から揺さぶり出された。これらの

天体は、宇宙の更新まで冠のように大地の周りをぐるぐると回っている。

そして毎日、アルプルズ山の東にある180の穴のひとつから出て、西に

ある180の穴のひとつに入る。>

 

<そして、ティシュトリヤ神(後述)によってつくられた雨は風によって

吹き集められ、宇宙の大洋、ウォルカシャ海を形成した。この海は巨大で、

そこにはアナーヒター女神(後述)の泉である千の湖水が湧き出していた。

この海には二本の木が立っていた。一本はガオクルナ樹で、人は宇宙の更新

のとき、この木から不死の霊薬を飲むことになっている。もう一本は百種樹

で、この木の種子からあらゆる樹木が生えた。>

 

<そのあと、3つの大海と20の小海がつくられた。2つの川が北側から

流れ、ひとつは北から西へ、ひとつは北から東へ流れ、両方の川とも最終的

には大地の果てを越えて宇宙の大洋に合流する。>

 

<雨が初めて降ったとき、大地は7つの部分に分裂した。中央部のフワニ

ラサは、全陸地の半分の大きさであった。周辺の6つの部分はキシュワルと

呼ばれる。ひとつの部分から他の部分へ大洋を渡って行くには、天の雄牛

スリソークの背に乗らなければなかなかった。>

 

なお、ここに登場する特徴的な動物として、すべての人間が不死となる復活

の日、生贄として供犠されるこのフリソーク牛のほかに、三脚、六眼、九口、

二耳、一角の奇怪なロバがいます。

 

さて、ペルシャ人は、ギリシャ人のように神が人間と同じ性質のものである

とは考えなかったようです。自然の神格化であり、観念の神格化であったり

しました。よって、彼らの祭壇は神殿のなかではなく、山の頂に置かれ、

また、王たちの大きなレリーフや碑文は文明の中心地にあるのではなく、

山の磨崖に刻まれているのです。また、神々はしばしば神話的な比喩で記述

されるものの、神々のことを述べた神話はきわめて少ないのです。

 

ともかく、古代ペルシャの神話にはおびただしい数の神々が登場しますが、

ここで、古代インドとイランに共通する主要な神々と、そのペルシャ的思想

を紹介しておきたいと思います。

 

<風神 ワユ>

雨雲のなかに生命を運び、暴風のなかに死を運ぶ風は、古代インド・イラン

人のもっとも神秘的な神の一柱でした。インドではヴァーユと呼ばれ、世界

がその体から生まれたとされる世界巨人の息に由来するとされ、彼は百頭、

さらには千頭の馬にひかれた快速の馬車に乗っているとされます。

 

一方、ペルシャにおいては、ワユは偉大であるが、謎に満ちた神であると

されます。創造主アフラ・マズダーも、悪魔アンラ・マンユも彼に生贄を

捧げたからです。アフラ・マズダーは、生贄を捧げ、ワユの悪しき創造を

打ち砕き、善き創造が持続するように願う。ワユは甲冑を身につけ、黄金

の鋭い槍と武器を手にして敵を追い、悪霊を打ち砕き、アフラ・マズダー

の善き創造を守るのです。よって彼は、もっとも勇敢な者、もっとも強力な

者などと呼ばれます。

 

なお、アフラ・マズダーが、光り輝く天上を支配し、アンラ・マンユが闇黒

の地下を支配するのに対し、ワユは中間の虚空を支配するとされます。

これは、風というものが中間性という性質を持つ、つまり、2つの世界、

つまり善霊の世界と悪霊の世界の間を動くものであり、本来、温情あふれる

力と不吉な力の二元性を包含するひとつの神格であったというところから

きているということです。

 

したがって、彼は善の創り手であり、破壊者であり、統合者であり、分離者

であると言われるのです。

 

<雨の神 ティシュトリヤ>

ティシュトリヤは、自然現象である雨と関連のある神格ですが、この神の

性質にはワユのような二元性の観念はありません。彼は生命を破壊する

干ばつの悪魔アパオシャに対する宇宙的闘争に巻き込まれるときは温情

溢れる力となります。ティシュトリヤは、けんらんと光り輝く星であり、

水の種子であり、雨と豊穣の源泉とされます。

 

『ブンダヒシュン』によると、創造のはじめ、水をつくったのはティシュ

トリヤであり、彼がつくった雨の一滴一滴は、鉢いっぱいの量になった

ので、大地は人の背の高さまで水でおおわれることになった。そして、

有害な動物は大地の穴のなかに追いやられ、風の精霊は水を大地のへり

まで吹きやったので、水は宇宙の大洋を形成したとあります。

 

また、ティシュトリヤに捧げられた讃歌では、神と干ばつの悪魔アパオシャ

との戦いがうたわれていて、最初、アパオシャの方が優勢であった戦いが、

創造主自身の祈りと供儀によって、ティシュトリヤの勝利となり、水は

何ものにもさえぎられることなく、畑地と牧草地に流れることができた。

そうして宇宙の大洋から立ち上る雨雲は、風に駆り立てられ、生命を付与

する雨は、大地の7つの地域に降り注いだということです。

 

つまり、ティシュトリヤが供犠に際して祈られたときには、干ばつは打ち

負かされ、雨が世界に生命を与えるのであり、生の勢力と死の勢力の宇宙

的闘争の結果は、人が儀礼の義務を信心深く守るかどうかにかかっている

とされるのです。

 

<川の女神 アナーヒター>

多くの宗教が生命と豊穣の源を女性の姿に描いています。ペルシャでは、

アルドウィ―・スーラー・アナーヒター(強力な汚れなき川)は、地上の

あらゆる川の源泉とされます。彼女はあらゆる豊穣の源で、あらゆる

男性の種子を浄化し、あらゆる女性の子宮を聖化し、母親の胸の乳を

浄化するのです。

 

彼女は、天の源泉から流れ出て、宇宙の大洋に流れ込みます。風、雨、

雲、みぞれも彼女に管理下にあり、生命の源として、作物と家畜を育てる

と言われています。彼女は生命の付与者であるので、戦士は戦場で彼女

に勝利を祈願します。彼女は四頭立ての馬車を駆け、強くて輝き、背が

高く美しく、純潔で高貴な生まれであると描写されます。

 

そして、彼女は高貴な生まれにふさわしく、八方に光芒を放ち、百の星を

ちりばめた黄金の冠をかぶり、黄金色のマントをはおり、首には黄金の

首飾りをつけていると描写されるのです。

 

ちなみに、インドでは、河川の女神として、サラスヴァティーがもっとも

讃えられています。

 

<勝利の神 ウルスラグナ>

ワユとティシュトリヤは、自然現象と関連し、アナーヒターは人格的、

性愛的関係で考えられるが、ウルスラグナは、抽象観念、あるいは観念

の擬人化と考えられます。つまり、彼は、勝利の攻撃的で圧倒的な力を

表したものとされます。

 

彼に捧げられた讃歌である「ヤシュト」では、ウルスラグナは、風、雄牛、

白馬、ラクダ、雄猪、十五歳の青年、鳥、雄羊、雄鹿、勇士、と十回の

変身をするとされますが、それぞれの形は、この神の活動的な力を表すと

言われています。このようにペルシャの思想では、神々は色々な形に変身

するが、その理由として、ゾロアスター教徒は、不可視(メーノーグ)の

世界のあらゆるものは可視(ゲーティーグ)の世界で形をとることができる

という信仰があったことによるとされます。

 

つまり、世界は不可視世界がもとにあって、可視世界の姿をとったとされる

のです。

 

なお、このウルスラグナに対応する神がインドではインドラですが、イン

ドラのように竜を退治する神話はありません。そのかわり、彼は人間と

悪魔の悪意を打ち負かし、虚偽者と邪悪者に罰を加えます。

 

もし彼がふさわしい供犠を受けると、彼は戦場においても勝利を与え、もし

彼がふさわしく崇拝されると、敵軍もアーリア人の国土に侵入することは

ないという。ウルスラグナは戦士の神なのです。

 

このように古代の神々の多くはインド・イラン人の伝承に属する神々で

あるが、自然現象を表すもの、また、抽象観念を表すもの、宇宙的闘争を

想起させるものなど、実に幅広い多様性があるのです。

 

そのほかに、正午の暑熱の主、あるいは始原のときの主、さらには復活の

ときの主でもあるとされるラピスヴィナという神などがあげられますが、

割愛したいと思います。

 

とはいうものの、祭式の神とされる、火の神アタール、植物の神ハオマに

ついて少しだけ触れておきますと、まず、火の神ですが、それを信仰の

中心に据えるということが、ゾロアスター教のもっともよく知られた特徴

の一つです。よって、「拝火教」という烙印がおされてきのですが、実は、

彼らはそう呼ばれるのを非常に不愉快に思っていたということです。火は、

伝統的に多面的な理解がなされてきたのです。

 

火は、インドにおいても、アグニという名で尊敬されてきました、それは

世俗的であり、同時に神聖であったのです。火は神と人間の世界を結合

する仲介者と考えられていて、アグニは、火として供物を受け、祭司と

してそれを神々に捧げる神であるとされたのです。

 

もっとも、ペルシャにおいて、アタールに関する神話は、ほとんど伝わって

いないということです。

 

さて、ハオマはゾロアスター教と、ソーマとしてヒンドゥー教の両方で伝え

られたインド・イランの神格です。ソーマは古代インドの『ヴェーダ』の

儀礼における主たる神格のひとつとされ、そこでは植物として、また神と

して登場するのです。

 

ペルシャでは、ハオマをしぼって強い興奮剤を採ったとされるが、この

植物が本来何であったかは不明のようです。ですが、この植物は、幻覚性

をもち、戦士や詩人を鼓舞すると考えられたのみならず、儀式ではその

液汁は聖化され、宗教的洞察力を与え、祭司たちを神の命令に対してより

素直になると考えられたということです。

 

また、ハオマ草は薬効をもっていたので、ハオマ神は健康と力を付与する

もの、さらには、豊かな作物と子孫の供給者と考えられたようです。

 

このように、ペルシャ人の信仰では、神々は遠くの存在ではなく、儀式の

最中、直接に出会う力のようです。神は壁に囲われた神殿ではなく、山頂

で祭られるものであったし、神々は宇宙に遍満していたのです。

 

また、アタールとハオマの性格については、神話と擬人法的比喩が用いら

れているが、ギリシャ人がゼウスを考え、ユダヤ人がヤハウェを描き、

イスラム教徒がアッラーを記述するような仕方では擬人化されていない

のです。擬人化という手法を使っても、それはまったく異なった世界だと

ということです。

 

古代ペルシャの世界像では、平坦で平和な大地があり、そこには本来、

いかなる悪も存在しなかった。しかし、この平穏な状態は悪の侵入に

より揺るがされ、宇宙的生命と同様、地上的生命をも揺るがすことに

なったとされますが、この善と悪の戦いはゾロアスター教の神話

に継承されてゆきます。

 

次回は、ゾロアスター教の神話について述べてみたいと思います。






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クリシュナの伝説と真実-インド神話3-


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クリシュナ3 
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ)


もう10年ほど前になりますか、「アバター」というタイトルの洋画があり

ましたが、その語源となった「アヴァターラ」とは、「降下」という意味で、

神が悪魔などに苦しめられる生類を救済するために、仮に人間や動物の姿を

とって地上に降臨すること、あるいは、こうして現れた化身を指します。

 

シヴァやインドラなども化身をとることがあるようですが、特によく知られ、

また重要なものがヴィシュヌの化身なのです。

 

ヴィシュヌの化身思想は、『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の二大

叙事詩において発展しますが、それが今日一般に知られているような形で

整備されるのは、プラーナ文献(ヒンドゥー教聖典群)においてであると

されます。

 

化身の種類と数については種々の説があり、必ずしも一致しませんが、

特に、猪、人獅子、亀、侏儒(小人)、魚、ラーマ、パラシュラーマ、

クリシュナ、ブッダ、カルキ、の十種の化身が最も一般的であると

言われています。

 

このようなヴィシュヌの化身のうち、ラーマ(英雄ラーマ・チャンドラ)

とともに最もインド国民に愛されているのがクリシュナなのです。

 

ヴィシュヌ神の化身とされるクリシュナは、『マハーバーラタ』に登場し

ます。特にその六巻に収められた、ヒンドゥー教屈指の教典『ヴァガ

ヴァッド・ギーター』において、クリシュナが戦いに疑念を抱いたアル

ジュナ王子を励まして、種々の教えを説いています。

 

この『ヴァガヴァッド・ギーター』については、以前に一度紹介したこと

がありますので、ここでは、まず、「ギーター」とともにヴィシュヌ教徒

(特にヴァーガヴァタ派)の根本教典とされる『ヴァーガヴァタ・プラー

ナ』におけるクリシュナ(ヴィシュヌ)伝説を紹介してみたいと思います。

 

(ヴィシュヌの降臨)

<悪魔どもは暴虐な王の姿をとって地上に出現した。大地の女神は彼らに

苦しめられ、牝牛に姿を変えて梵天(ブラフマー)に救いを求めた。梵天は

シヴァをはじめとする神々を連れて乳海の岸へ行き、瞑想して最高神プル

シャ(ヴィシュヌ神)を崇拝した。>

 

<梵天は瞑想のうちに天の声を聞いて神々に告げた。「最高神はヴァス

デーヴァの家に生まれるであろう。天女たちは彼を楽しませるために、

(牛飼い女として)地上に生まれなさい。ヴィシュヌ神の一部であるアナ

ンタ竜は彼の兄として生まれなさい。聖なるヴィシュヌのマーヤー(幻力)

も、主(ヴィシュヌ)の目的を成就させるために地上に下るであろう。」>

 

<マトラー市にシューラセーナというヤドゥ族(ヤーダヴァ)の王がいた。

その王の息子のヴァスデーヴァは、ウグラセーナ王の娘デーヴァキーと結婚

した。デーヴァキーにはカンサという邪悪な兄がいた。彼に「デーヴァキー

の第八番目の息子が汝を殺す」という声が聞こえたため、妹を殺そうとした

ものの、ある約束によってその時は思いとどまった。>

 

<しかし、やがてカンサは、デーヴァキーとヴァスデーヴァを牢獄に入れ、

生まれてくる息子たちを次々と殺した。さらに、カンサは自分の父や他の

ヤドゥ族の王たちをも退けて、自らシューラセーナ国を統治した。>

 

<デーヴァキーの6人子供が殺された時、ヴィシュヌの一部であるアナンタ

竜は、第7番目の息子としてデーヴァキーの胎内に入った。主はヨーガ・

マーヤー女神(ヴィシュヌの幻力を神格化したもの)に命じて、その胎児を

ヴァスデーヴァの別の妻であるローヒニーの胎内に移してしまった。この

ようにして生まれた子がバララーマである。ローヒニーはナンダの統治する

ゴークラに住んでいた。>

 

<主は、ヨーガ・マーヤー女神にナンダの妻ヤショーダーの胎内に生まれよ

と命じた。主はそのようにはからった後、自ら第8番目の息子としてデー

ヴァキーの胎内に入った。デーヴァキーは異常な光輝を放ったので、カンサ

はいよいよヴィシュヌが自分を殺すべく彼女の胎内に入ったと知った。

しかし、女性、しかも妊娠している妹を殺すことは罪になると考え、子供が

生まれてくるのを待っていた。>

 

(クリシュナの誕生)

<ある夜、ヴィシュヌ神は、東方に昇る満月のように、デーヴァキーの

胎内より出現した。その子はヴィシュヌの特徴をことごとくそなえていた。

ヴァスデーヴァとデーヴァキーは神を讃えたが、カンサを恐れて、姿を

消して下さるようにと嘆願した。>

 

<すると、幼児の姿をとったヴィシュヌは、自分をゴークラへ連れて行き、

自分の身代わりにナンダの妻ヤショーダーの娘として生まれたばかりの

ヨーガ・マーヤー女神を連れて帰るように指示した。>

 

<不思議なことに、守衛は眠りこけ、牢の鍵は自然に開いたので、ヴァス

デーヴァは神聖なる御子を抱いてナンダの牛飼村へ行き、眠っているナンダ

の妻のかたわらにいた女の子と御子をすりかえて、再び牢にもどり、その

女の子を、デーヴァキーの寝台に置いた。>

 

<カンサは子供が生まれたという知らせを聞いて牢にかけつけた。デーヴァ

キーは、「あなたは私の息子たちを皆殺しにしたが、娘は殺さないでくだ

さい」と懇願するが、カンサはそれを無視して、赤児の両足をつかむと、

それに石を投げつけた。その赤児(実は、ヨーガ・マーヤー)は、空に

舞い上がると女神の姿を現した。彼女は8本の腕をそなえ、その1本ごと

に種々の武器を持っていた。>

 

<女神はカンサに「邪悪なものよ、私を殺して何になる。お前の死をもた

らすものは他の場所で生まれている。憐れな人々を苦しめてはならぬ」

と告げた。>

 

<それを聞いてカンサは驚き、罪もない子供たちを殺したことを後悔して

許しを乞うたので、デーヴァキーとヴァスデーヴァは恨みも忘れて、快く

彼を許してやった。>

 

<しかし、夜が明けると、悪魔である大臣たちが、幼児を皆殺しにしな

ければならないと彼に勧め、さらに苦行者、祭祀執行者、牝牛、等々、

ヴィシュヌを体現しているものを滅ぼせば、それによってヴィシュヌを

滅ぼすことができると進言したため、邪悪なカンサはこの提案を受け入れ、

悪魔たちを派遣して敬虔な人々を迫害するのであった。>

 

あとは長くなるので省略しますが、無事に生まれたクリシュナの様々な

エピソードが語られています。たとえば、カンサから派遣された羅刹女が

美女に変身して猛毒を塗った自分の乳首をクリシュナにふくませて殺そう

とするが、逆にものすごい勢いで乳首を吸われ、逆に正体を現して死んで

しまった。腕白さと怪力を発揮し、凝乳の容器を割ったために継母のヤショ

ーダーに臼に縛られた際には、その臼を引きずって2本の大木を倒した。

 

また、ヤムナー河畔の湖に住むカーリアという竜が悪事をなしたことから

これを追い出した。インドラ神の高慢をくじくために彼を崇拝していた牛飼

村の人々に牡牛とバラモンと山(ゴーヴァルダナ)を祭ることを勧めると、

自分に対する祭りが中止されたことに怒ったインドラが大雨を降らせたが、

クリシュナはゴーヴァルダナ山を引き抜いて、傘のように頭上にさしかけ

人々を守った。成長したクリシュナは牛飼いの女性たちのあこがれの的と

なった。

 

そのあとも、カンサの誅殺、クリシュナの結婚等々、クリシュナの伝説は

なおも延々と続くですが、最後は悲劇的な結末を迎えるようです。

 

ヤドゥ族の人々は強い酒を飲んで正気を失い、お互いに殺し合いを始め、

クリシュナやバララーマにも襲いかかる有様となり、全滅してしまうの

です。そして、クリシュナもこの世を去ります。猟師が獣と思い誤って

射た矢に急所である足の裏を撃たれて非業の最期を遂げるのです。

 

さて、伝説のクリシュナは以上のとおりですが、クリシュナは実在の人物

かどうか?実在の人物ならば、どういう人物であったのかが気になるところ

です。古代インド学者の辻直四郎氏は、実在の人物として次のように推察

されているので、紹介しておきたいと思います。

 

<クリシュナは、なかば遊牧に従事していたヤーダヴァ族の一部ヴリシュニ

族に生まれた。父はヴァスデーヴァ、母はデーヴァキーという名であった。

最古のウパニシャッド(奥義書)の一である『チャーンドーギャ』(西暦前

600年頃)に、デーヴァキーの子であり、ゴーラ・アンギラスという聖仙

の門弟であるクリシュナについて説かれているので、クリシュナの出現は

西暦前7世紀以後に置きえない。>

 

<クリシュナはバラタ(バーラタ)族の大戦争に参加し、パーンダヴァ軍

を助け、アルジュナ王子の御者として決戦に臨んだ。クリシュナはヤーダ

ヴァ族の精神的指導者であり、新宗教の創始者でもあった。それは、その

神をバガヴァットと称し、主としてクシャトリヤ(王族)階級のために

説かれた宗教で、実践的倫理を強調し、神に対する誠信の萌芽をも含んで

いたと想像される。>

 

<クリシュナはその死後、自ら説いた神と同一視されるに至ったようである。

そこの新宗教は次第に勢力を拡張したので、バラモン教の側もそれを吸収

しようとして、ヴァガヴァット(クリシュナ・ヴァースデーヴァ(クリシュ

ナを指す))を太陽神ヴィシュヌの一権化と認めた。やがて、ヴィシュヌが

最高神の位置を確保するにおよび、クリシュナ・ヴァースデーヴァは一種族

の最高神から向上してバラモン教の主神と同化した。>

 

<その後さらにウパニシャッド(奥義書)における最高原理ブラフマンも、

ヴィシュヌ・クリシュナの一面とみなし、バーガヴァタ派のバラモン教は

完成した。クリシュナとヴィシュヌとの一致を示唆する文献の証拠は、

少なくとも紀元前4世紀にさかのぼる。>

 

さて、果たしてこの推理が正しいかどうかは分かりません。そこで、これ

とは異なるクリシュナ像、水波一郎氏の水波霊魂学によるクリシュナ師を

紹介しておきたいと思います。

 

本来、クリシュナ師をテーマとした書ではありませんので、それほど詳細

には述べられてはいるわけではありませんが、『霊魂イエス』(下巻)には、

次のように述べられています。

 

<クリシュナはインドの古代において最も有名な聖者の一人である。彼の

名はインド人でなくても知っている人は多いが、歴史や物語の中で語られ

ているクリシュナと現実のクリシュナがどのくらい一致しているかは別の

問題である。人々の物語は必ずしも真実を語っているものではないからで

ある。>

 

<しかし、霊魂達から「クリシュナ」と呼ばれる高級霊魂が実在している

ことは確かなのである。この有名な神人はインド全体の指導はもちろん、

世界全体を指導すべく、早くから世界各国を指導して回った。アメリカの

人間も指導した。また、時には、アフリカ、アジア、ヨーロッパと、あら

ゆる所でたくさんの人間の霊的指導を行った。>

 

<この高級霊は、当然のことながら、インド人の信仰を集めている。それに

より、彼はいつも呼ばれている。そのためもあってか、彼の率いる霊魂団

の数も多い。クリシュナを信仰して死んだ人間のうち、特に成長した者が、

何百、何千年にわたって選ばれ、クリシュナの霊魂団の一員となっている

のである。>

 

<そんなクリシュナが、その時、目をつけたのが、なんと日本であった。

彼は神霊界にも出入りしていたが、日本の霊山には神霊界から霊的な力を

降ろしうる場所があったのである。よって、日本にいた神人も、何名かは、

このクリシュナの霊魂団の指導を受けていた。インドの信仰は良くない、

と頭から否定する日本の聖人も多いが、クリシュナは、こういう聖人達に、

自らの霊力を振り絞って指導したのである。>

 

そして、霊的存在となったクリシュナがある日本の修行者の指導を行う様

が述べられているのですが、詳しいことは本書を読んでいただくとして、

要点を少し述べると次のようなことになります。

 

<クリシュナはイエスやシャカと同じ霊質界の存在である。霊質界の存在

は普通の人間の霊的視覚には映らないが、それでも、さも幽質の世界の存在

のごとしに仮の姿を現す。それがクリシュナの用いた技であった。>

 

<彼(ある修行者)はこれまで日本の宗教のみを良しとし、キリストや

シャカを相手にしなかった。しかし、「日本のみしか見なければ、日本しか

見えない。これは本当の意味で自分に限界を作ることになる。世界の広さ、

宇宙の広さ、霊魂の世界の広さを知らねばならない。そうして初めて、真

の修行者と言える」ということを知ったのである。>

 

 

そして、この修行者に対する霊的な指導が終了するにあたり、クリシュナ

師は自分が「インドに生まれたことがあるクリシュナという者だ」と

名乗ったあと、次のように述べています。

 

<私は神ではない。神は、もっと、もっと大きい。人々は皆、本質的に

神を求める魂だ。だが、神は目にも見えず、耳にも聞こえない。神とは

何か、それは簡単には分からない。宗教的な成長が低ければ低いほど、

人はどうしても身近な神を欲するのだ。だから、様々な偶像が作られる。

これは、未発達な魂にとって仕方のないことだ。人間の意識は少しずつ

しか成長しない。目に見えるものを欲する人達は、やがて宗教の開祖、

そして聖人達を自らの神として信仰するようになる。これが宗教と

いうものの実態なのである。>

 

<真の宗教とは、目に見えない神を魂の奥底に感じる、そういうもので

なければならない。それにはやはり、霊的な修行がいる。>

 

また、水波一郎氏の今は絶版になっている旧著には、クリシュナ師が

「オーム」という聖なる言葉と関わりがあること、さらに、呼吸法、

瞑想法、すなわちヨーガの法の創始に関わるがあることが示唆されて

います。

 

ただし、そのヨーガとは、後世のただ座って瞑想と思索にふけるような

ヨーガとは異なっていたようです。ただ座っているのではなく、行為に

よる知覚により、自らが神を知り、そして、それに近づこうと努力する、

その方法を指すようです。

 

なお、『バガヴァッド・ギーター』に登場するクリシュナも、「行為の

ヨーガ」、そして、最高神に対する「信愛のヨーガ」を説いています。

この神話に登場するクリシュナが実在のクリシュナではないにしても、

クリシュナが示そうとした真実の一端を継承しているように思われます。






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「マハーバーラタ」の神話と神々-インドの神話2-


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インド神話  
 
 
紀元前5、6世紀になると、仏教やジャイナ教が興隆して、バラモン教の

勢力は、それ以前と比較して一時弱くなります。しかし時期は定かでない

ものの、やがてバラモン教は民間信仰を吸収して、いわゆるヒンドゥー教

として華々しく復興します。

 

ヒンドゥー教の主神は、周知のとおり、シヴァとヴィシュヌとブラフマー

(梵天)の三大神とされます。特にシヴァとヴィシュヌの二神は絶大な信仰

の対象となり、それぞれシヴァ教とヴィシュヌ教という二大教派における

最高神となったのです。

 

シヴァは、『リグ・ヴェーダ』におけるルドラと同一視され、ハラ、シャン

カラ、マハーデ-ヴァ、マヘーシュヴァラ(大自在天)などの別名を持つ

とされます。シヴァはまた、かつて世界の滅亡を救うために猛毒を飲み、

青黒い顔をしているので、ニーラカンタ(青頸(しょうきょう))と

呼ばれ、また、世界を破壊する時に恐ろしい黒い姿で現れるので、マハー

カーラ(大黒)とも呼ばれています。そして、舞踏の創始者ということで、

ナタラージャ(「踊りての王」の意)とも呼ばれ、後世、彼の踊る姿を描い

た彫像がさかんに造られたということです。

 

シヴァは天上から降下したガンガー(ガンジス)川を頭頂で支え、またその

頭に新月を戴き、三叉の戟(ほこ)を手にする、彼は山に住み、常にヒマー

ラヤの山中で修行する、そして、額に第三の眼を持ち、そこから発する火焔で

愛神カーマを焼き殺す、また牡牛ナンディンを乗り物とする、といった存在

です。

 

シヴァ神の妃が、パールヴァティー(「山の娘」の意)で、彼女はヒマー

ラヤの娘とされ、ウマー、ガウリー、ドルガーなどと呼ばれます。そして、

彼女が血なまぐさい狂暴な姿を取る時は、カーリーと呼ばれるのです。

また、軍神スカンダ(韋駄天)と象面のガネーシャ(聖天)は、シヴァと

パールヴァティーの息子とされています。

 

一方のヴィシュヌは、すでに『リグ・ヴェーダ』に登場する神ですが、

元来、太陽の光照作用を神格化したものと言われています。シヴァが山岳

と関係があるのに対し、ヴィシュヌは海洋と縁が深く、彼は大蛇(シェー

 

シャ竜)を寝台として水上に眠るのです。ブラフマー(梵天)は、そのへそ

に生えた蓮花から現れたと言われています。後代になると、ヴィシュヌ神話

が整備されて、ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)がいくつも出てきて、

クリシュナ、ラーマ、ブッダなどもその化身のうちに数えられるようになり

ます。

 

ヴィシュヌの妃がシュリー・ラクシュミー(吉祥天女)とされます。太古、

ヴィシュヌ神が音頭をとって海底から不死の飲料アムリタ(甘露)を得た

際に、海中から出現したシュリーを妃としたと言われています。

 

また、ブラフマー(梵天)は、ウパニシャッド(奥義書)の最高原理である

ブラフマン(中性原理)を神格化したものとされています。ブラフマンから

の宇宙創造説が有力になるにしたがって、抽象的な思考になじまぬ人のため

に、中性原理を人格神に変える必要が生じたようで、やがて、ブラフマー

(中性原理と区別するために男性形を用いる)は造物主(プラジャーパティ)

とみなされ、仏教の興起した頃には、世界の主宰神、創造神と一般に認めら

れるようになったということです。

 

しかし、その後、シヴァとヴィシュヌの信仰が高まるにつれて、ブラフマー

の地位は下がり、両神のうちのいずれかの影響下で宇宙を創造するにすぎ

ないと考えられるようになり、ブラフマーは両神のように幅広い信仰の対象

になることはなかったようです。ただし、さらに後代になると、宇宙の最高

原理がブラフマーとして世界を創造し、ヴィシュヌとしてそれを維持し、

シヴァとしてそれを破壊するというような、三神一体の説が述べられるよう

になったということです。

 

さて、ヒンドゥー教の代表的な文献は、二大叙事詩、『マハーバーラタ』と

『ラーマーヤナ』とされています。両者とも現在にようにまとまったのは

かなり後代のことで、西暦400年頃であろうと推定されているようですが、

その原形が成立したのは、それよりもはるか以前にさかのぼるようです。

 

『マハーバーラタ』は、十八編十万詩節よりなる大作で、量的にはギリシャ

の二大叙事詩『イーリアス』と『オデッセイア』を合わせたものの七倍も

あるという、世界最大級の叙事詩です。

 

作者は聖仙ヴィヤーサであると伝えられていますが、実際には、仏教が

興る時代よりもはるか以前に行われた大戦争に関する物語が核となり、

それに後代の種々の物語が時代ごとに付加されて、現存の形に編纂され

たものだということです。

 

主な筋はバラタ族のうちのバーンドの五王子とクルの百王子との間の

確執、それに続く大戦争にあります。戦争の結果、五王子側が一応の

勝利をおさめるが、その五王子も最後には死んで天界へ赴くのです。

 

もっとも、この主筋は全巻の五分の一ほどにすぎないようです。なぜなら、

主筋の間には、おびただしい神話・伝説・物語が導入されているからです。

以前、紹介した『バガヴァッド・ギーター』のような哲学的・宗教的な

書が編入されている例もあるところからしても、これは当時の法律・政治

・経済・社会制度・民間信仰・通俗哲学などを伝える百家全書的な資料

だと言えるようです。

 

一方、『ラーマーヤナ』は七編二万四千詩節よりなり、詩聖ヴァールミーキ

の作と伝えられています。ダシャラタ王の息子ラーマが、妻のシーターを

誘拐した羅刹王ラーヴァナを殺すまでの話を主筋とし、それに後編が付け

加えられています。

 

後編はシーターの貞節を疑う民の声があるのを知ったラーマは彼女を棄て、

最後にシーターは母なる大地に抱かれてこの世を去るというものです。

 

後世の詩論家によれば、『マハーバーラタ』はシャーンタ・ラサ(寂静の

情趣)を主題にした作品であり、『ラーマーヤナ』はカルサ・ラサ(悲の

情趣)を主題にしているということです。

 

古来、インドでは、聖仙ヴァールミーキを「最初の詩人」と呼び、彼の作品

とみなされる叙事詩『ラーマーヤナ』を「最初の詩作品(アーディ・カー

ヴィア)」と呼ぶようです。インド最古の文献であるヴェーダ聖典も詩で

あったが、それは永遠の存在である天啓聖典であるとみなされ、人間の

作った文学作品とは考えられなかったということです。

 

それでは『ラーマーヤナ』と並び称せられる『マハーバーラタ』は詩作品

(カーヴィア)ではないのかという疑問が湧いてきますが、従来、『マハー

バーラタ』の形式、文体、詩的技巧などは『ラーマーヤナ』ほど洗練され

ていないから、前者は、全体として見て、「最初の詩作品」である後者より

も古く、詩作品(カーヴィア)であるとはいえないと考える一般的な傾向

があったようです。

 

しかし、ややこしいことに、インドの伝承では、『マハーバーラタ』は

『ラーマーヤナ』よりも後に成立したとみなされていて、それは当然詩

作品(カーヴィア)であると考えられてきたともいえるのです。

 

さて、『マハーバーラタ』の主筋については、各自が読んでいただくとして、

ここでは、そこに含まれている神話をいくつか紹介しておきたいと思います。

 

<大洋の攪拌と甘露>

太古、主だった神々は、メール山(須弥山)に集まって、いかにしたら不死

の飲料である甘露(アムリタ)を得ることができるかと相談した。そのうち、

ナーラーヤナ(ヴィシュヌ神)が梵天に、「神々とアスラ(阿修羅)の群と

の両者で大海を攪拌すれば、一切の薬草、一切の宝石を得た後、甘露を得る

であろう」と言った。

 

そこで神々はヴィシュヌ神と梵天の援助により、マンダラ山を攪拌棒として

用い、大海を攪拌し始めた。マンダラ山がまわされている間に、多くの海中

の生物が死に絶え、山火事によって多くの獣が死んだ。神々の王インドラ

(帝釈天)が雨を降らせて火を消した。

 

すると、種々の大木の樹液や薬草の汁が大量に海中に流れ出た。甘露にも

似たこれらの乳状の汁と、融けた黄金の流出とによって、神々は不死と

なり、大洋の水は乳に変じた。

 

しかし、甘露はまだ現れなかったので、神々はさらにヴィシュヌの力を得て

乳海を攪拌したところ、大海から太陽と月が出現した。それから、シュリー

女神(吉祥天女)が白衣をまとって出現した。それから、酒の女神(スラ―

・デーヴィー)、白馬、ヴィシュヌの胸に懸かる宝珠(カウストバ)が次々

と現れ、最後に、甘露を入れた白壺を持つダヌヴァンタリ神(神々の医師)

が出現した。

 

この奇蹟を見て悪魔たちは甘露をひとりじめにしようと企て、神々に襲い

かかった。ラーフという悪魔が神に変装して甘露を飲み始めたとき、ヴィ

シュヌ神はこの悪魔の巨大な頭を円盤で切り落とした。このことがあって

以来、不死となったラーフの頭は太陽と月とを恨み、今日にいたるまで、

日蝕と月蝕を引き起こすのである。

 

神々と悪魔との激しい戦闘はなおも続いたが、ヴィシュヌ等の働きで神群

は勝利を収め、マンダラ山をもとの位置にもどし、甘露を安全な貯蔵庫に

隠して、その守護をインドラ神の手にゆだねたのである。

 

この神話は、一種の創造神話ですが、主題はむしろ不死の飲料アムリタの

出現とそれをめぐる神々とアスラたちの争いにあるようです。それに日蝕

・月蝕の起源を述べる説明神話が付け加えられているのです。

 

<金剛杵(ヴァジュラ)の由来>

黄金時代(クリタ・ユガ)においても獰猛(ねいもう)な悪魔たちが

跳梁していた。彼らはヴリトラを首領として、いたるところでインドラ

(帝釈天)に率いられた神々に襲いかかった。そこで神々はヴリトラを

殺そうと計画し、梵天(ブラフマー)のところへ行って相談した。

 

梵天は、「ダディ―チャという偉大な聖仙がいる。皆で彼のもとに行き、

三界の安寧のために骨をくださいと頼みなさい。彼は命を捨てて自分

の骨をくれるであろう。その骨でこのうえなく恐ろしくて堅箇な

ヴァジュラ(金剛杵)を造れ。インドラはその武器でヴリトラを殺す

であろう」と告げた。

 

梵天の言葉を聞いて神々はサラスヴァティー川の向こう岸にあるダディ

―チャの隠棲処へ行き、その足下にひれ伏して望みをかなえてくれる

よう頼んだ。するとダディ―チャは非常に喜んで、「私は今日、あなた方

のお役に立ちましょう。あなた方のために身を捨てます」と答えた。

そして、その偉大な聖者は突然息をひきとったのです。

 

そこで神々は教えられたとおりに彼の骨をとり出して、トゥバァシュトリ

(工巧神)を呼んで目的を告げたところ、トゥバァシュトリは彼らの頼み

を聞いて勇み立ち、一心不乱に仕事に励み、こよなく恐ろしい形をした

ヴァジュラを造り上げ、シャクラ(インドラ)に「このヴァジュラの打撃

により、今日、獰猛な神の敵を粉砕しなさい」と告げた。都市の破壊者

(インドラ)は、喜んでそのヴァジュラをつかんだ。

 

インドラの武器であるヴァジュラがトゥバァシュトリ(工巧神)によって

造られたこと、そして、その材料がダディヤッチ(ダディ―チャ)の骨

であるということは、いずれも『リグ・ヴェーダ』に見え、インドラは

ダディヤッチの骨により多数のヴリドラを殺したと説かれています。

 

<海水を飲みほしたアガスティア仙>

インドラはダディ―チャ仙の骨から造られた武器ヴァジュラを持ち、強力

なる神々に守られて、天地をおおっているヴリドラを攻撃したが、ヴリ

トラは巨体を持つ悪魔たちにとり囲まれていた。神軍と魔軍との熾烈な

戦闘が始まり、悪魔たちが神々を襲ったため、神々はたまらず退却した。

 

神々が恐怖にかられ、ヴリトラがますます勢いづくのを見て、インドラは

非常に意気沮喪した。それを知って、ヴィシュヌ神は自己の威光をインドラ

に注入して彼の力を増大させ、他の神々や聖仙たちもそれにならって彼を

力づけた。

 

神の王が力を得たことを知ると、ヴリトラ大きな雄叫びをあげ、それに

よって全天地は振動した。それを聞いたインドラは恐怖にかられ、あわてて

ヴァジュラを放つと、巨大なアスラ(ヴリトラ)はヴァジュラに撃たれて

大山のように倒れた。しかし、インドラはヴリトラが死んだにもかかわらず、

恐怖にかられて湖水に飛び込もうとして走った。恐ろしさのあまり、彼は

ヴァジュラが自分の手を離れたことも、ヴリトラが死んだことも知らな

かったのである。

 

神々はみな喜んでインドラを讃え、ヴリトラの死にうちひしがれた悪魔たち

を殺したが、命からがら海に逃げこんだ悪魔たちは、海底で三界(全世界)

を滅ぼすために恐ろしい計画をたてた。「全世界は苦行によって維持されて

いるから、修行者たちを殺せば、世界は全滅するのだ」として、猛り狂った

悪魔たちは、夜な夜な隠者たちを食べ続け、隠棲処に押し入っては人に見ら

れることもなく多数のバラモンを殺害した。

 

そのため、ヴェーダの学習や祈祷は絶え、祭式も行われなくなり、世界は

活気を失ってしまった。こうして祭式が実行されなくなり、世界が滅びそう

になった時、神々は非常に悲しみ、相談した結果、ナーラーヤナ(ヴィ

シュヌ)神のところへ庇護を求めた。

 

ヴィシュヌは「それは悪魔どものしわざだ。彼らは世界を滅ぼそうとして

いるのだが、彼らを殺すことはできぬ。海中にひそんでいるのだから。

そこでまず海をなくさねばなるまい。あのアガスティア仙を除いて、他の

誰が海を干上がらせることができよう」と告げた。

 

それを聞いて、神々はアガスティアの隠棲処へ行き、この偉大な聖仙を

讃えてから願いを聞いてくれるように頼んだところ、アガスティアは同意

して、神々や聖仙たちとともに海へ行った。半神たちも彼の行う奇蹟を

見ようとして、その後についていった。

 

大仙アガスティアは、「世界の安寧のために、私は海を飲みほす」と

言って、一気に海水を飲みほした。インドラをはじめとする神々はそれを

見てすっかり驚き、そして彼をほめ讃えた。それから神々は勇みたち、

武器をとって悪魔たちを殺した。しかし、若干の悪魔たちはかろうじて

生き残り、大地を裂いて地底界へ逃げ込んだ。

 

神々は悪魔を殺してから、アガスティアに感謝し、海を再び水で満たして

くれるように頼むが、アガスティアに水は消化してしまったので、それは

できないと言われ、仕方なく梵天に頼むが、梵天は、バギーラタ王が天上の

ガンガー(ガンジス)川を地上に導いた時に、海は再び水をたたえるで

あろうと予言するのであった。

 

アガスティア仙とは、『リグ・ヴェーダ』詩人の一人とみなされている存在

で、彼のインドラとの対話も伝えられているようです。『リグ・ヴェーダ』

の偉大な戦士インドラもここでは喜劇的な英雄として描かれています。

 

かくして、『リグ・ヴェーダ』においては、最大、最強で最も人気のあった

インドラの地位は、『マハーバーラタ』、つまり、初期ヒンドゥー教において

は明らかに低下していることが伺えます。神々の王とされるインドラでさえ、

バラモン殺しの罪を犯したら、長年の間、力を失って身を隠さなければなら

なかったという神話があるように、そこには司祭階級であるバラモンと戦士

階級であるクシャトリヤ(インドラ)との闘争が暗示されており、クシャト

リヤ(俗)に対するバラモン(聖)の優位性を訴えているように思われます。

 

時代は、インドラからシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー(梵天)の三大神の

時代に移っていたのですが、現実の社会は戦乱が絶えず、武力を持たない

バラモンたちは、クシャトリヤ階級に依存しなければならない反面、その

専横を抑えなければならないという苦渋の様が見てとれます。

 

 



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