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東洋の竜-「竜の起源」1-


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龍の起源



竜といっても、東洋の竜と西洋の竜とでは異なっていますし、東洋に

おいても、中国の竜とインドの竜では違いがあります。また、日本の竜

といっても、竜と蛇の区別が判然としないところがあります。よって、

今回は、荒川紘氏の『龍の起源』に依拠しながら、竜とは何かを考えて

みたいと思います。

 

まず、東洋に目を向けると、中国の竜というのは、ウロコにおおわれた

蛇状の胴体に、2本の角とひげ、それに鋭い爪をもつ、我々にもなじみ

深い姿をしています。

 

それに対して、インドの竜であるナーガは、我々が目にする機会はあまり

ないのですが、その少ない図像の例は「弘法大師行状絵詞」や「神泉苑絵

巻」などに見られるようです。一見、それらはふつうの蛇のように見えます

が、コブラの竜だということです。このコブラの竜には角やひげ、足など

は認められず、現実のコブラと異なっているところは、七つの頭を持つ

とか、頭が人間だとか、擬人化されているところにあります。

 

このように、蛇の要素を共有する点で、竜とナーガは爬虫類の仲間に入れる

ことができるかもしれませんが、その姿形の隔たりは大きいと言えます。

 

ところが、仏教がインドから伝えられたとき、中国の人は、仏教に登場する

ナーガを中国土着の竜と理解したようです。インドの仏典を漢字に翻訳した

とき、ナーガを竜と訳しただけでなく、中国の仏教寺院も中国の伝統的な造形

によって飾られることになったのです。

 

そのため、中国を経由して仏教を受け入れた日本のお寺の天上などにも、

コブラのナーガではなく、中国のいかめしい竜が描かれたのです。

 

さて、中国の竜の歴史は古く、紀元前14世紀、殷の時代にはすでに「竜」

が存在していたようです。荒川紘氏は、<「竜」に相当する文字が甲骨文の

中に見いだせるのであるから、甲骨文の出現する、紀元前1300年ごろ

までには、竜の観念が生まれていたのは疑いない>と述べています。その

文字というのは、尾を巻いた蛇の胴体に角をつけた象形文字で、「竜」の

古い形であり、今日、日本で使われている「竜」はこの象形文字から作ら

れた漢字だということです。

 

なお、同じ殷代に現れる青銅器も甲骨文に劣らぬ貴重な資料で、そこに

鋳られた竜の文様は、角だけでなく目鼻が表現され、そして足が認められ

るのです。中国で竜が蛇から区別される決定的な特徴というのは、角と

この足だとされます。

 

その後、戦国時代後期には、リアルな竜が青銅器に鋳られたり、象眼され

たり、また、織物に描かれたりするようになり、秦・漢時代までには、

今日の竜のイメージが完成したようです。

 

それとともに、王権と竜の関係も強まるのですが、それによって竜の聖性

はさらに強化され、竜の相貌も威厳を増していったようです。民間の竜の

爪は、四本か三本であったが、五つの爪を持つ竜は特に神聖なものとされ、

皇帝にのみ使用が許されていて、王朝の交代はあっても、五爪の竜は清朝

の滅亡まで皇帝のシンボルでありつづけ、宮殿の装飾や皇帝の衣装の文様に

使われていたということです。

 

さて、竜の性質についても、多くのことが説かれてきました。ふつうは巨大

な生き物と見られていますが、変幻自在な動物とも考えられていました。

しかし、竜の性質のなかでも重要であるのは水との関係であるといわれます。

 

中国の竜には、水気の塊である雲がつきものであり、竜は水を呼び、雨の

因、洪水の因と考えられてきたようです。その代表的な竜が黄河の神である

河伯(かはく)であり、旱(ひでり)のときも、黄河が氾濫したときも、

河伯に牛や馬の犠牲を捧げて慈雨を求め、また、黄河が治まるのを祈った

ということです。

 

中国各地で広く行われていたのは、土で作られた竜の模型による雨乞で

あったが、後漢代に仏教が伝来すると、仏教の龍王を祀る龍王廟が設け

られ、仏教による雨乞が普及したということです。

 

なお、雨の原因は竜であっても、古代中国では、雨乞の主宰者は皇帝で

あり、干ばつに際しては、皇帝自身が河伯や天に降雨を祈願していたと

いうことです。つまり、皇帝というのは、天候や農作物の豊凶に全責任

を負うところの「雨帝」だったのです。また、竜と皇帝の結合は、天空を

飛翔する竜という観念を生んだようです。

 

ところで、中国で聖獣と見られていたのは竜だけではありません。麒麟

(きりん)や鳳凰(ほうおう)といった霊獣・霊鳥もいて、この二獣に

亀と竜を加え、もっとも神聖な生き物という意味で四霊と呼ばれるように

なりました。また、五行説が盛んになるとともに、それぞれ東・南・西・

北を守護する、青竜・朱雀(朱鳥)・白虎・玄武(蛇と亀からなる混成

動物)を四神とする思想も生まれました。

 

しかしながら、様々な聖獣・聖鳥のなかでも竜は別格で、最高の存在と

され、あらゆる動物が竜から生じたとされるのです。

 

さて、今度はインドの竜であるナーガに目を向けてみたいと思います。

 

ナーガの姿は先に触れましたように、蛇、つまり、コプラであり、中国の

竜とはその姿形がまったく異なるのですが、漢訳経典に登場する竜の長で

あるところの龍王(ラージャ・ナーガ)の性質に目を向けると、中国の竜

と同様の、雨の神、水の神とされ、水源を支配する神とも考えられていた

ようです。

 

仏教以前にさかのぼってみますと、蛇の神は仏教に特有のものではないと

いうことがわかります。仏教が興る以前にインドの支配者になっていたア

ーリア人の宗教であるバラモン教においても蛇の神アヒが登場するのです。

アヒもまたコブラの神であったことは、聖典『リグ・ヴェーダ』において

コブラに特徴的である頭巾状の首を表現しているところから、それが明ら

かです。

 

しかし、このアヒには守護神的な性格は認められず、ヴリドラ(障害物)

と呼ばれていたように、邪神・悪神と見られていたのです。アヒは世界の

水を体中に集めている存在で、アーリア人の主神インドラは、そのアヒを

殺して大地に慈雨をもたらしたというのですが、バラモン教ではアヒが雨

の神として信仰されることはなく、人々が降雨を祈願したのは、アヒを

殺したインドラであり、インドラの同盟神マルト神群であったのです。

 

そこで、さらにバラモン教以前のインダス文明の時代の宗教にまでさか

のぼってみると、インダス文字が未解読のためもあって、インダス文明の

宗教の詳細は不明ながら、それでも多数の発掘された印章の図像や彫像

からは、牡牛、男根、地母神、樹木信仰とともに蛇の信仰が存在していた

と推測されています。

 

よって、インドにおける蛇とも竜ともいえる神の歴史は次のように要約

できるのではないかと思われます。

 

<インドでは古くから蛇が信仰されていた。そこにインド・ヨーロッパ

語族のアーリア人が前1500年ごろに北西インドに侵入。インド主要部

を支配する過程で原住民に崇拝されていた蛇はアーリア人の主神であった

インドラに敵対する「障害物」と見なされるようになった。しかし、土着

の民衆のあいだには蛇の信仰はしぶとく生きていた。そして、土着の信仰

を受け入れた仏教の勃興にともなって、蛇の信仰も本来の善神としての

性格をもって宗教の表舞台にあらわれ出た。>

 

さて、仏教に遅れて登場し、衰退する仏教に代わってインドの民族宗教と

なったヒンドゥー教は、バラモン教の伝統を引き継ぎながらも、蛇につい

ては土着の蛇の信仰を取り入れたのです。ヒンドゥー教でも竜・蛇は神々

の守護神とされるのです。

 

ヒンドゥー教の最高神として位置づけられているヴィシュヌ神は、海上に

浮かぶ七頭の蛇アナンダの褥(しとね)(敷物の意)の上で瞑想する姿で

表されることが多く、宇宙の破壊者であるシヴァ神も蛇を体にまとうなど、

仏教と同様に、ヒンドゥー教においてもコブラの竜は守護神であると共に

に、豊穣の神でもあったのです。

 

仏教がインドで最後の高揚期を迎えるのは7世紀ごろですが、ヒンドゥー

教に触発されて密教なるものが誕生します。密教は呪術性と象徴性が濃厚

な、儀式重視の、現実肯定的な宗教ですが、竜・蛇に関しても、水の蛇の

思想を受け継ぎ、龍王による雨乞を儀式化したとされます。

 

なお、仏教の世界にも「非法行龍王」と称されるような、そして、ヒン

ドゥー教の世界にも、五頭の竜「カーリア」といった、ヴェーダのアヒの

性格を継ぐ悪竜はいるようですし、また、そのような邪悪な竜・蛇を食べる

とされる、蛇の天敵、巨鳥ガルダがいますが、ガルダ(中国では迦楼羅

(かるら)と音訳)は仏教に取り入れられて、竜やその他の神々とともに

仏法を守護する八部衆のひとつとされます。

 

孔雀もまた邪悪な竜・蛇を食べる鳥とされ、また、神々の聖なる乗り物と

考えられていたようで、孔雀明王として明王の地位を与えられます。孔雀

明王を本尊とする修法は、息災延命や請雨のために用いられ、その経典で

ある『孔雀王呪経』や『大孔雀明王経』がナーガによる雨乞の経典である

『大雨林請雨経』とともに空海により日本に請来されたのです。

 

以上、中国とインド、つまり、東洋の竜について見てきましたが、その

特性と関係は次のようになるのではないかと思います。

 

もともと、中国では、「海千山千」ということわざがあるように、蛇も

長く生きると竜になると考えられていた。

 

ウロコにおおわれた蛇状の胴体に、2本の角とひげ、それに鋭い爪をもつ

中国の竜と、コブラの竜としてのインドのナーガは、蛇の要素を共有する

といっても、姿形の隔たりは大きいが、それよりも、両者とも雨を恵む水

の神であったというところに共通点がある。

 

インドから仏教を介して中国に伝来したナーガは、外見は違っていても、

性格的に近い中国古来の竜と同一視され、中国では仏教に登場するナーガ

も角やひげや足を持つ中国的な竜として描かれるようになった。

 

さて、次回は西方の竜に目を向けてみたいと思います。

 


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アポロンとディオニュソス(下)-ギリシャ神話4-


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ディオニュソス2



オニュソスは、ギリシャ神話における豊穣とブドウ酒と酩酊の神です

が、他の神々と比べると大変風変わりな神です。

 

語源的には、「ニューサのゼウス(若い神の意)」であり、伝説や機能に

いくつかの類似があるところから、ヴェーダの神ソーマのギリシャ化

した姿ではないかと言われています。

 

このデオニュソスに対する信仰が発生したところは、トラキア(バル

カン半島南東部)であったとされますが、その後、ギリシャ全土で崇拝

されるようになったようです。原始のデオニュソスの姿は、外国の神、

特に、クレタ島の神ザグレウス、ブルュギア(アナトリア半島(小アジア

))の神サバジオス、さらにリュディア(アナトリア半島(小アジア))

の神バッサレウスなどから借用した諸特徴によって複雑になっていった

ようです。

 

それゆえ、彼に性格が新たにいくつかの要素が加わって豊かになるにつれ、

彼に影響力の及ぶ範囲も広がっていったということです。最初は単なる

ブドウの神であったのが、のちに植物と暖かい水分の神となり、さらに

楽しみの神、文明の神に、そして最後に、オルぺウス(オルフェウス)

教の考えでは、一種の最高神となったのです。

 

さて、デオニュソスの誕生については、通説では次のように言われて

います。

 

<テーバイの王カドモスの娘セメレは、ゼウスに見染められ、その意に

従った。ゼウスは、彼女を訪ねて父の宮殿へやってきたのであった。

ある日、セメレは、自分の乳母に化けたヘラにすすめられ、ゼウスに、

オリュンポスの神のままの姿を見せてほしい、とたのんだ。すると、

彼女は愛する神の目もくらむ輝きに耐えられず、ゼウスの身体から発した

炎で焼き尽くされてしまった。彼女の胎内にいた子供も、もし茂った

ツタの若枝が突然宮殿の列柱にからみつき、その胎児と天の炎との間を

緑の幕で遮らなかったなら、ともに死んでしまっていたことだろう。

ゼウスは子供を拾いあげ、まだ誕生には間があったので、自分の太股に

封じ込めた。月満ちてゼウスは、イリテュイアの助けにより、この子供を

再び取り出した。デオニュソスにディテ ラムボス(二度外に出るの

意)という添え名がつくのは、この二度にわたる誕生のためである。>

 

その後、成長したデオニュソスは、ブドウ栽培の技を身につけて、長い

遠征の旅に出ます。旅はギリシャにとどまらず、今のトルコ、シリア、

エジプトなどを放浪しながら、自らの神性を認めさせるために、信者の

獲得に勤しんだという。そして、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、

動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖される存在となったという。

彼には踊り狂う信者や、サテュロス(半人半獣の精霊)たちが付き従い、

その宗教的権威と魔術や呪術により、遂にはインドに至るまでその支配

を及ぼしたということです。

 

さて、この旅の過程で多くの伝説が生まれたとされるのですが、デ

ニュソス伝説が豊富であるのは、彼が広く人気があったばかりでなく、

その性格が、いくつかの他の国の神々、とりわけ先に触れたブルギュア

のサバジオス、リュディアのバッサレウス、クレタ島のザクレウスなど

の性格を吸収したからだと言われています。

 

サバジオスは、トラキアで最高神として崇拝されていたが、もとはブル

ギュア起源で太陽神だと言われています。彼に関する伝承は様々あって、

ある場合はクロノスの息子であり、またキュベレの息子であって、しか

もその仲間ということになっていたということです。サバジオスには

角が生えており、その象徴は蛇であった。サバジア祭は、躁宴的性格を

もった夜の祭りであったが、このサバジオスを祀って行われたという。

 

サバジオスが後にデオニュソスと同化したとき、彼らの伝説もまた融合

したようです。デオニュソスがニムフ(精霊)たちに託される前、

サバジオスがその太股に封入していた、という説もあり、また、反対に、

サバジオスはデオニュソスの息子だと主張するものもいたということ

です。そして、こうした混乱の結果、デオニュソスをトラキア起源だと

考えるまでに至ったようです。

 

なお、リュディアにおいても、ブルギュアのサバジオスに類似した神が

祀られていて、その名はバッサレウスであったろうと推定されています。

彼が征服する神であったのは確かなようであり、デオニュソスの遠征

の由来は彼に起こったものではないかと言われています。

 

また、デオニュソスと、起源においては、ギリシャのゼウスに等しい

クレタ島のザグレウスとの同化は、オルぺウス教の影響のもとで、

この神の伝説の中に、新しい要素、デオニュソスの受難の伝説を

持ち込んだようです。

 

オニュソス=ザクレウスの伝承は、次のようなものです。

 

<彼は、ゼウスとデメテル、あるいはコレ(ペルセポネ)との間の息子で

あった。他の神々は、彼を嫉妬し虐殺することにした。ティタンたちは、

彼を八つ裂きにし、遺体を大釜の中に投げ入れた。しかし、アテナは、

この神の心臓だけを救い出すことができた。彼女がすぐそれをゼウスに

届けると、ゼウスは、ティタンたちを雷で打ち、まだ脈打っている心臓

からデオニュソスを創造した。ザグレウスの遺体は、パルナッソス山の

麓に埋められたが、彼は冥界の神となり、ハデスで死者の霊を迎え、

それを清める手伝いをすることになった。>

 

<ティタンたちは、ゼウスの雷によって焼き払われ、その灰が今の人類に

なった。この灰にはティタンの肉とザグレウスの肉が混ざり合っており、

そのため、デオニュソス的要素から発する霊魂が神性を有するにもかか

わらず、ティタン的素質から発した肉体が霊魂を拘束することとなった。

よって、人間の霊魂は再生の輪廻に縛られた人生へと繰り返し引き戻され

るのである。この輪を脱するには、デオニュソス的な神性を高める必要が

ある。>

 

こうした受難と復活に対して、オルペウス教の奥儀を極めた者たちは神秘

的な意味を与え、そして、デオニュソスの性格は根本的な修正を加えられ

たのです。彼は、もはやブドウ酒と乱痴気騒ぎの田舎の神ではなくなった。

彼は、もはやオリエントからやってきた躁宴と錯乱の神でもなかった。

それ以後、デオニュソスは、亡ぼされ、生命を失い、再び甦った神、

すなわち、永遠の生命の象徴になったのです。

 

さて、W・F・オットーは、『神話と宗教』のなかで、デオニュソスの

ような異色の神がギリシャ宗教において存在することについて、<オリュ

ンポスの宗教のもつもっとも驚嘆すべき点で、その精神的偉大さの証とも

なるのは、この宗教が回帰する原始世界の神をもその全き栄光のままに

認めえたことである>と述べています。

 

また、この神は、<ひょっと姿を現し、人を錯乱させる不気味な眼差しを

もった神であり、あらゆる民族の間で不気味な霊の直接的顕現と見なされ

ている仮面が彼の象徴である。彼の眼差しに出会うと、人は息もつまり、

落ち着きを失い、秩序だった現存在のあらゆる枠を踏み外す。彼とその

狂乱の群れが現れるところ、そこは太古の世界が再現する。そこでは、

あらゆる拘束と掟が無視される。なぜなら、この世界は一切の拘束や掟

よりも古いのだから。また、この世界は秩序も性の秩序も認めない。

なぜなら、この世界は死ともつれあった生命として、一切の事物を等しく

包括し、統合しているのだから。デオニュソスが意味するもの、それは

根源的に女性的なまったくの驚異の世界であり、あらゆる生育物の溢れる

ばかりの豊饒さであり、人間の心そのものを驚異に化して無限なるものに

合一せしめるぶどうの不思議な魔力である>としています。

 

ところで、前回、紹介したアポロンは浄化する者であり、秩序の確立者で

した。しかし、デオニュソスのもたらすものは陶酔であり、無秩序です。

 

オットーは、このまったく相容れないように見えるデオニュソスとアポ

ロンの提携によりギリシャの宗教はその頂点に達したと述べています。

 

そして、<アポロンとデオニュソスとが互いに歩み寄ったことは単なる

偶然では決してない。両者の世界はいとも厳しく対立しながらも、根本

においては永遠の絆で結び合わされているがゆえに、両者は互いに引き

つけ合い、求めあう>としています。

 

なぜならば、<オリュンポスの神族そのものが、デオニュソスがわが家

ともしている大地の底知れぬ深淵から生まれてものであって、その暗い

素性を否定することができない。上なる光と精神とは幽暗なるものと

母性的な深淵とを絶えず自己の足下に保っていなくてはならない。

そこにこそ一切に存在の基礎がある。オリュンポスの天界の輝きはすべて

がアポロンに結集して、際限ない生成流転の世界に対峙している。アポ

ロンに地上における円舞の酔いしれた先導者デオニュソスが加わって、

あまねく世界を網羅する>ことができるのだと述べています。

 

かくして、<服従と貧しき心の宗教ではなく、明敏な精神の宗教たるべき

オリュンポスの宗教にしてはじめて、他の諸宗教が切り離し、呪詛を

もって対処したそのところに、弓と竪琴とに見られるような互いに

張り合う統合を認め、讃えることができたのである>としています。

 


 
 
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アポロンとディオニュソス(上)-ギリシャ神話3-


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アポロン像  
 
 
 

アポロンとは、オリンポス12神の一柱で、ゼウスに特に愛された息子と

される男神ですが、その起源、性格、機能は、とても複雑です。

 

アポロンという語の語源は、「追い払う」、そしてまた「破壊する」という

ことを意味する古いギリシャ語と関係がありそうだと言われています。

 

アポロンの起源もまた不確かなようです。ある学者は、アポロンはアジア

にその起源を持ち、ヒッタイト(小アジアの古代民族)の神か、アラブの

神ホバルのギリシャ化したもの、あるいはリュキア(小アジア南岸に国)

の神であったと信じているが、一方で、アポロンがヒュペリボレオス人

(極北に住んだという伝説的種族)と密接な関係があったところから、

ギリシャ人が民族移動の過程で、北方から持ち込んだ北欧の神だと考える

学派もあるようです。

 

しかし、いずれの説もその明白な証拠を示すことができないため、白黒を

つけることができないのが現状のようです。

 

さて、アポロンの機能についても、これまた、きわめて多様で複雑である

ようです。

 

アポロンは、まず、第一に、光りの神、太陽神であった。けれども、太陽

そのものではなく、太陽は、別な神ヘリオスによって象徴されていました。

太陽神としてのアポロンは、大地に果実を実らせたので、デロスやデルポイ

では初穂が奉献されたということです。そして、彼は田畑を荒らすネズミを

退治し、イナゴを追い払うような、作物を保護する神でもあったのです。

 

また、太陽は、投矢のように突き刺す光でもあるゆえ、残忍であり、同時

に病気を予防する力をもつゆえ情け深くもあるので、アポロンは、突然の

死をもたらす神として、遠くから矢を射かける射手の神ヘカデボロスで

あり、しかしまた、病気を追い払う医者の神アレクシカコスとも考えられ

たようです。

 

そしてまた、アポロンは、古い予言の神でもあったのです。彼は小アジア

に早くから神託所をもっていたばかりではなく、ギリシャ全土に神域が

あって、そこへ人々が伺いをたてるために訪れると、アポロンは女神官

シビュレを介して判断を下したということです。

 

このアポロンのすべての神域のうち、最も有名なものは、深い洞窟の中に

あるデルポイの神域です。洞窟の戸口の三脚台の上に座っていた女神官

ピュテアは、神懸かりによって恍惚となり、託宣を伝える錯乱状態に陥り、

片言の句や曖昧な言葉を吐き出し始める。すると、それらの言葉は、デルポ

イの神官や神聖協議会のメンバーたちによって解釈されたということです。

 

なお、フェリックス・ギランは、『ギリシャ神話』の中で、<太陽神にこう

いう予言の役割が与えられていたということは、ギリシャでは占いは冥界

の神だけの仕事であったという事実を考え合わせるなら驚くべきことである。

アポロンがギリシャへ渡ったとき、すでにこの機能(占い)を具えていたと

考えるべきであろう。この点で、彼がアッシリア=バビロニアの太陽神シャ

マシュに類似していることに注目しなければならない。シャマシュもまた、

予言力があったのである>と述べています。

 

そのほか、アポロンは、羊飼の神でもあり、田園の神でもあり、また、音楽

の神、歌と竪琴の神でもあったとされますが、フェリックス・ギランは、

<アポロンはこのような多様な機能を持つため、彼の中には多くの人格が

浮かび、それゆえ、彼の起源の問題は、彼をギリシャ北部由来の田園神で

あるドリア人の主神と融合した、アジア起源の太陽神だ、と考えれば、

すっきりするであろう>と述べています。

 

ところで、W・F・オットーは、『神話と宗教』の中でアポロンについて

次のような見解を述べているので、紹介しておきたいと思います。

 

<最近の学者はアポロンをオリエントからやってきた神と見なしているが、

彼がもともとギリシャ前の文化に属する神であったことは疑いないとして

も、彼の形相にはオリエント的な特徴はまったく見られない。彼に神聖な

七の数をもって、彼のオリエント的な特徴を主張するようなことは論外で

ある。アポロンがホメロスにおいてさえ、不吉な死をもたらす神、つまり、

<アジア的な>神として現われている、という主張もまったくの誤解に

基づくものである。もし我々がオリエントを含めたギリシャ前の文化圏に

おいて彼が何者であったかを問うならば、その答えは太陽神だったという

ほかない。>

 

よって、アポロンの太陽神としての意味は、ホメロスのおいては背後に

退いていただけであり、のちに不吉な神から太陽神へと転じたものでは

ない。彼の本質の根本特徴を取り集めてみるならば、それらすべては古い

太陽神のよく知られた姿にまとめあげられることが直ちにわかるはずで

ある、としています。

 

さて、アポロンの誕生について少し触れておきますと、アポロンの母は、

古い伝承によるとトと言い、コイオスとポイベの娘で、ゼウスがヘラと

結婚する以前、ゼウスの妻であったとされます。彼女がゼウスとの間に

できた双子(アポロンとアルテミス)を身籠ったときに、ヘラの嫉妬に

追われ、逃げまどい、オルテュギア島(デロス島)で大変な苦難の末、

出産したということです。

 

そして、アポロンが生まれてからも、レトの苦しみは終わらなかった。

アポロンが生まれるとすぐに、ヘラは、恋敵を滅ぼしてしまおうとして

大蛇ピュトンを差し向けます。ピュトンとは、大地が生んだ牝の竜で、

ポンの乳母をつとめていたとされます。

 

しかし、アポロンは、ヘバイストスが鍛えてくれた矢でもって、ピュトン

を打ち倒し、この獲物を足蹴にして「さあ、お前は倒れたままに朽ち果て

るがよい」と言ったという。かくして、この恐ろしい戦いの場所は、ギリ

シャ語の「腐る」に由来するピュートーと呼ばれるようになり、のちの

デルポイとなったということです。

 

さて、アポロンは、大蛇ピュトンに打ち勝ったのち、荒涼としたピュートー

の聖なる森の中央に祭壇を建てたという。しかし、この場所は、住む人も

ないため、アポロンは、彼の新しい信仰に必要な神官たちをどこから見つけ

てきたらよかろうかと思案していたところ、航海中のクレタ人たちの船を

見つけ、己をイルカの姿に変え、不可思議な現象を起こして驚かせ、上陸

させて神官の任につかせたということです。

 

これがデルポイの神殿の起源とされ、また、アポロンが航海や海洋遠征、特

に植民地獲得の神の役割を持つことの説明にもなっているということです。

 

以上のことから、アポロンという神は、とても複雑な性格と機能を持つ神

ということが分かりますが、そのほかにも、彼は、射程の長い必殺の矢を

射る天界の射手であったがゆえに、幾多の戦いのなかで多くの手柄をたてた

ことで有名であり、その時の彼は、恐ろしいほど断固たる措置を下す情け

容赦のない神でもあったのです。

 

しかし、アポロンは、オリンポスの神々の間でも特に尊敬される神であった

ことは間違いなく、一方で、彼は音楽の神々のうちでも最も重要な存在で

あったとされるのです。

 

なお、これに対し、先にも紹介したW・F・オットーは、次のように述べて

います。

 

<アポロンについて、「遠矢を射る者」、浄化する者、分別・節度を命令し

秩序を確立する者、蒙をひらき救いをもたらす者、等々、様々に述べられる

のであるが、それらの一切がひとつの本質的根柢に統一されている。その

本質的根柢は、崇高な意味での「清浄さ」と呼ぶことができる。だが、もう

一段掘り下げてみるならば、この本質的根柢は音楽として現われる。言葉と

認識とが生まれ出るもととなる根源的音楽である。というのも、一切の事物

の根源には、旋律と音楽があるからである。>

 

<アポロンもしたがってまた一個の完全な世界である。彼の精神は植物界

から動物界、さらには人間に至るまでおよそ存在するもののすべての領域と

段階とに現れる。植物界では天に向かって燃えさかる炎のような月桂樹が

いちばんよく彼の証となろう。動物界では野生のもののうちで最も覚め

切った動物、オオカミが彼の神聖な獣である。むしろ、彼の化身そのもの

である。人間はほかならぬ彼の似姿である。そして、全宇宙が彼の栄光を

告げていることは、すでにわれわれが見たように、この上なく明敏な精神

の持ち主たちの証言にあるとおりである。>

 

次回は、このアポロンと対極にあり、激しく対立しあっているように見え

るディオニュソスについて触れてみたいと思います。

 






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人類の起源とプロメテウス-ギリシャ神話3-


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母なる女神、万物の神ガイアは、宇宙を創造し、最初の神族を生んだ

ばかりでなく、人類をも生んだとされます。ギリシャの抒情詩人ピンダ

ロスも「人間と神とは同族である。われわれは、生命の息吹きを同一の

母に負うている」と述べています。

 

今回は、ギリシャ神話における人類の誕生、そして、神と人類の関係に

ついて記してみたいと思います。さらには、ギリシャ神話における人類の

起源を語るときに欠かすことのできないプロメテウスというティタン

(巨人)族の神についても触れてみたいと思います。

 

さて、ヘシオドスによると、人類には四つの時代があるとされます。最初

が黄金時代で、人類はクロノスと同世代に属し、全くの幸福であった。

彼らは、悩みも疲れも知らず、神のように暮らした。老いに苦しむことも

なかった。彼らは、いつも祭りを催して楽しんでいた。彼らは、不死では

なかったが、少なくとも、心地よい眠りにつくかのように死んだ。この世

の恵みはすべて彼らのものであった。豊穣な大地は求められずとも、その

宝を与えた。この黄金時代の人々は、死後、慈悲深い守り神、生ある者の

保護者、守護神になり、地上からいなくなった。

 

黄金時代の次に、銀の時代がやってきたが、そこには、生涯母親の言葉に

従う弱々しく愚かしい種族がいた(即ち、女家長時代があった)という。

彼らは、成長の速度が非常に遅かったうえ、敬虔ではなく、神々を祀り

敬うことを全くしなかったため滅ぼされてしまった。

 

そして、青銅時代になると、人々は、とねりこの木のようにたくましく、

悪口を言い合い、戦いで手柄をたてては喜んでいた。彼らの情けを知らぬ

心は、鋼(はがね)のように堅かった。彼らの力は御しがたく、腕は無敵

であったが、戦うこと以外、何の興味も持たず、彼らはお互いに喉を切り

合って亡びた。或いは、洪水のよって滅ぼされた。

 

このことから、人類の起源は古く、最初は黄金の種族と呼ばれる高貴な

存在であったことが伺われます。(もっとも、神々は不死で天に住み、

人間は可死で地上に住むという相違はあったようですが。)銀の種族も

青銅の種族も、どちらも現在の人間とはまだ非常に異なっていて、人間

なのか神なのかはっきりしないところがあったということです。

 

さて、このように、まだ曖昧なところがあった神と人間との違いをゼウス

は明確にしようとします。それがゼウスを騙そうとしたプロメテウスの神話

として我々もよく知るところのものですが、それは、通常、次のような

ストーリーとして流布されています。

 

<ゼウスは、人間に対し神と人との明確な区別、神聖な主権を主張した。

そこで、供犠として供えられた犠牲牛のどの部分を神々が取るかを決める

ため会合が行われた。プロメテウスは分配する役目を申し出て、巨大な

牡牛を解体し刻んで並べた。奸智に長けた彼は、肉と内臓と汁気の多い

部分を取り合わせ、皮に包んで一方に置き、他方に、こっそりと肉の

ついていない骨を厚い脂で包んで並べた。ゼウスは先に選ぶようにすすめ

られ、脂で包んだ骨の方を選んだ。>

 

<しかし、彼は白いギラギラする脂を取り除き、骨しかないこと知ると

激怒した。怒りのあまり、彼は地上に住む人間から、火を取り上げ、天上

へ持ち去ってしまった。抜け目のないプロメテウスは、ヘバイストスが

鍛冶場を作ってあったレムノス島という島にでかけ、そこで聖なる火の

燃えさしを盗み、うつろな木の中へ納めて人間のところへ持ち帰った。

ゼウスは、この盗みに大変腹をたて、人間にまた別の災厄を下すと

ともに、プロメテウスに対し残酷な罰を与えた。・・・>

 

 

上記のストーリーの展開を見ると、ゼウスはプロメテウスにまんまと騙

されたように受け取れますが、吉田敦彦氏は、『ギリシャ神話入門』に

おいて、ヘシオドスの『神統記』をよく吟味すると、ゼウスはプロメテ

ウスの奸計を完全に見破っていたにもかかわらず、騙されたふりをして

いたのだということが分かるとしています。

 

つまり、当初から、ゼウスの心中には、神々の至福とははっきり区別され

るためには、どのような災いが人間のモイラ(取り分、運命)にならねば

ならぬかという計画がすっかりでき上がっていたというのです。

 

どういうことかというと、プロメテウスがゼウスを騙して選ばせようと

した牛の骨の部分は、実はゼウスがもともと神々に割り当てようと計画

していた部分であり、胃袋と皮に包まれた肉と内臓は、これもプロメテウス

の思惑と違って、ゼウスが死すべき人間に与えようと当初から意図していた

通りの災いの取り分を表すのにふさわしい部分だったということです。

 

よって、供犠式において、人間は牛の役に立つ良い部分をすっかり自分たち

が取り、神々にただ無用の屑の部分だけを供えているように見えますが、

それは人間が自分で勝手に考案したことではないということになります。

 

実は、神々のために燃やされる骨は、それだけは腐って朽ちることのない

不滅の部分なので、不死の神々の運命を表すのに真にふさわしく、人間が

食べて胃の腑に入れる肉と内臓は、牛が死ねば真っ先に腐敗して悪臭を発し

朽ちてしまう部分なので、汚れた肉体を持って必ず死を迎えねばならない

人間の惨めなモイラ(運命)を表すのにふさわしいということになるのです。

 

かくして、供犠式は、人間が神々と同じ牛を分け合い、それぞれに賞味

して一緒に満足を得ることで、神々と人間を牛を媒介にして結びつける

意味を持った儀礼となったようです。

 

つまり、この儀式を行うことで神々は天上にいる不死で清浄な霊的存在で

あり、人間は地上に住む可死で汚れた肉的存在であるという、神と人との

区別を、それぞれの取り分となる牛の部分の違いにより、その都度はっきり

確認させられるとともに、越えてはならぬはずの隔たりを、儀礼によって

束の間だけは克服して、神々と触れ合いを持ち、交流を果たすことができた

ということです。

 

ところで、先にも紹介したように、プロメテウスの悪巧みに対する報復と

してゼウスは人間から火を取り上げるのですが、プロメテウスは、それを

再び天から盗んできて人間に与えます。そのおかげで人間たちはゼウスに

よって隠されて使えなくされた火をまた手に入れ、それを利用して生きて

ゆけることになったとされています。

 

しかし、これも、吉田敦彦氏は、プロメテウスの奸計によってゼウスが

そもそも初めから人間に定めると予定していたのと異なる良いモイラ

(取り分)を人間に与えることに成功したことを意味するものではない

と述べています。

 

なぜなら、ゼウスが怒って取り上げたのは、不滅の神性を有する「疲れを

知らぬ火」と無尽蔵の「生命の糧」であったが、プロメテウスが盗み出し

たのは、それを使う人間が可死であるとのと同様に、火勢がいつまでも

続かず衰えて消える可死の火だったからです。また、無尽蔵の「生命の糧」

ではなく、辛く苦しい労働によってしか得られない「生命の糧」だった

からです。

 

よって、プロメテウスは、ゼウスの不滅の計画を寸分も狂わせたわけでは

なかったのであり、結局、彼は、人間のモイラ(取り分)となることが

ゼウスによって予定されていた通りの火を、人間のために苦労して地上

までもたらし、そのことによってゼウスの計画の成就に不可欠だった寄与

をさせられてしまったということになります。

 

こうして、ゼウスは彼が統治する世界に秩序(コスモス)をもたらし、

神々と人間にそれぞれのモイラ(運命)の違いを定め、両者の区別を明確

にしたということです。

 

なお、ヘシオドスは、青銅時代の次に英雄時代、つまり、テーバイの門前

やトロイアの障壁の下で戦った勇敢な戦士がいた時代があると言います。

この英雄の種族は、鉄の種族と呼ばれる五番目の種族である現在の人間

たちと血がつながっている直接の種族だとされますが、それにもかかわらず、

英雄の種族は、現在の人間とは別の種族だとはっきりわかるほど優れた人

たちであったようです。

 

かくして、ともかく、英雄の時代には、神々と人間との間に、現在あるの

と同じ区別がつけられていたということです。

 

 

しかし、なぜ、何度も、そこまでして、プロメテウスは人間に味方をしよう

としたのでしょうか?

 

通常、ティタン族とゼウスが率いるオリンポスの新しい神々との戦いの中

でも、ティタン族でありながら、中立を守り、ゼウスの側が優勢になると

ゼウスと交渉を始めた知恵者プロメテウスは、オリンポスに入ることを

認められた。しかし、彼は自分の一族を滅ぼした者たちに心中で恨みを抱き、

人間に味方して神々に損害を与え、仇を討とうとしたのだとされます。

 

が、ことによると、プロメテウスは別な理由で人間に関心を持ったのかも

しれません。ある伝承によると、プロメテウスこそが人類の創造者だと

述べられているそうです。土と水で最初の人間の体を造ったのは彼であり、

そこへアテナが魂と生命を吹き込んだのだというのです。ただし、この

人類創造は、前に存在した人類が大洪水で滅亡してしまったのちに

起こったことのようです。

 

そうなると、そもそもプロメテウスという存在とは何なのでしょうか?

 

人間の味方などではなくて、ただゼウスの不滅の計画を確実に実行する

役割を担う神々の一柱にすぎなかったのでしょうか? それとも、人間

の創造と進歩に関わる神であって、恐ろしい罰とそれに伴うとてつもない

苦しみを受けるのを厭わず、己を犠牲にしてまで人間を導こうとされた

貴き神であったのでしょうか?

 

 




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「古代ギリシャ宗教の精神」-ギリシャ神話2-


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前回は、ギリシャの神々の誕生とその変遷を見てきましたが、そこには、

自然現象の神格化の段階があり、そして、その後、神人同形論の概念から、

一見、人間と区別がつきにくいほど近似した神々の物語が生まれてきた

ことがわかります。

 

しかし、そうなると、我々は、ギリシャ人が神々を人間に近いものと考え

てきたのではないか、或いは、あまり崇高な存在として見ていなかった

のではないかというような早とちりをしてしまう危険性があります。

 

そこで、今回は、W.F.オットーの『神話と宗教-古代ギリシャ宗教の

精神-』に依拠しながら、決してそうではないということを明らかに

したいと思います。

 

さて、ギリシャ宗教は、ユダヤ=キリスト教から見て、複数の神が人間の

姿をして存在し、自然に密接していて道徳的にもいかがわしいもの、

つまり、宗教などではない似非宗教と考えられていたようです。

 

そこで、オットーは、まず、<われわれはギリシャ人の建築、彫刻、文学、

哲学、科学など彼らの残した偉大な作品をほめたたえるが、ギリシャの

神々に対してもなぜそうしないのか。そのような不滅の作品群もわれわれ

が低く見るあのギリシャの神々がなかったら、現にあるようなものには

決してならなかったのではないだろうか。数千年後の今日においても、

見る人の心を高め、敬虔の念さえ抱かせる作品を生み出した創造力、その

創造力をよび起したものは、あの神々の精神以外の何ものでもなかったの

ではなかろうか。>よって、<神々をして素朴な妄想から生まれたものと

する一般の見解にどうして甘んじられよう。それは未熟な思考様式と見な

され、その誤りは人間悟性が未発達な段階にあったからだと説明するとき、

一番大きな価値をもったものを見失うことになる>と述べています。

 

そして、これとは別の見解を提示するとして、<神は発明されるものでも、

考察されうるものでもなく、また表象されるものでもなく、ただ経験に

よって知りうるだけである>といい、<神的なものは、それぞれの民族に、

それぞれの仕方で現れ、彼らの現存在に形相(すがた)を与えた。こう

して初めて各民族がそれぞれしかるべきものとなり得たのである。だから、

ギリシャ人も彼らに固有の神経験を受け取ったに違いない。われわれは、

彼らの作品を高く評価しているのだから、そのギリシャ人に対して神的な

ものがどんな現れ方をしたか、と問うことはわれわれにとってなおさら

重要なことに違いない>としています。

 

ところで、オットーは、<古代ギリシャの神々が軽んぜられた理由として、

まず、それ以前のすべての宗教が持っていた寛容を捨てて、自分だけが

真理であることを標榜するような宗教が勝利をおさめた>ことにあると

言います。もし、<ギリシャ的な神思想の持つ無類の創造力が初めから

注目されていたならば、異教であるギリシャ(ならびにローマ)の宗教

のもとにあった大いなる時代は、その後のキリスト教の時代より間違い

なく敬虔であったということだけは認められたであろう>と述べています。

 

より敬虔であるということは、神に寄せられる想いが、はるかに威厳を

もって日常一般の人間的現存在を貫いていたということであり、ある特定

の日、特定の時間だけが神への勤めに捧げられ、あとは世俗の営みが別個

のそれ自身の法則にしたがって存分に翼を伸ばすといった具合には神事

と世俗の存在とが分離していなかったということだとしています。

 

しかし、ギリシャの神々はキリスト教の唯一の真実の神の概念と相容れ

ないため、それらはデモーニッシュな力ということにならざるを得ず、

近代にいたるまで、人を誘惑する魅力にみちた不気味な存在としての

威光を保持してきたにとどまったということです。

 

西洋の神話研究の分野においても、ロマン主義などの台頭によって、神話

とは、人間の精神が持っている根源言語であり、人間がいつでもなし得る

経験の比喩以上のもの、つまり、ある特定の世界時間にのみゆるされた

存在の開示であることが理解された時期があったが、その後、勢力を得た

浅薄な啓蒙主義によって、真正な神話研究は止めを刺されてしまったと

しています。

 

啓蒙主義にとっては、それらは児戯にも等しく、問題にするに足らぬもの

であり、古代の崇高な祭儀と神話の背後には、一考に値するほどのものは

一つもないということにされてしまったということです。

 

また、オットーは、19世紀の後半は、自然科学とダーウィニズムが台頭

した時代でもあり、ギリシャ宗教をはじめとする神話的宗教に関して、

今でも一般に受け容れられている考え方が確立した時代でもあると

しています。

 

そこでは、人間の思考力は初期の段階から、以後、数千年の間に進化して

きたとする理論が真正の宗教研究にとって代ったが、それは、発端は能う

かぎり粗野なものでなければならないというのが自明の前提とされ、異教

の神々に対する信仰は、ほかならぬ粗野な誤謬から生まれたのだという

ことを明らかにしようとしたのだとしています。

 

しかし、それこそ神話と祭儀の時代の人間と、19世紀の合理的、技術的

人間の思考回路を同じに考える大きな誤謬だとする一方、その後の、新し

い神話解釈の方法である深層心理学的解釈についても、深層心理学の考え

方は、神話とは対極の世界のものである。この心理学は、人間を自分自身

のもとに投げ返すばかりで、開けた世界から輝き出る神々しい精神から

人間を遮断してしまうものであり、それはまさに神を失った現代世界の

産物だとして批判しています。

 

さて、それでは、神話というものをどのように理解すべきなのでしょうか?

 

オットーは、神話という語を、<その言葉どおりを真に受けることはでき

ないが、おそらく背後により深い意味が隠されている話のことなのだ>と

述べています。

 

ミュートス(神話)とは、ほかならぬ<言葉>の謂であるが、何はともあれ、

頭の中で考えられた事柄にかかわる言葉では決してなく、事実にかかわる

言葉を意味するから、偉大な神話の時代には、今とはまったく異なった考え

方をしていたに相違ない。しかし、後世になって、人々はこれを荒唐無稽と

みなすか、哲学的な神話解釈のように意味深長な空想の産物とみなすかの

どちらかになったとしています。

 

また、オットーは、<本来の真正な神話は祭儀、つまり人間をより高い領域

に高揚させる、荘厳な所作なしには考えられない>と述べています。

 

かつては祭儀を神話の単なる演出だとする考え方があったが、それは誤り

であり、神話を伴わぬ真の祭儀がないばかりか、祭儀を伴わぬ真の神話も

また存在しないとしています。

 

<神話と祭儀の両者は根本において一つのものである。祭儀のさいの

身振り、姿勢、動きの感動的な崇高さを思い起こしてみれば、それは

神話のもつ神的真理の直接的現れである>とし、<人々が神の啓示の

唯一のものと見なしたがる言葉による告知に少しも劣るものではない>

というのです。

 

よって、神話として現れた神の自己証明を、第一に、人間にのみ特有な

直立した、つまり、天に向かった姿勢、つまり、言語の中にではなく、

佇立し、腕や手を高く上げる、また、を合わせるなどする、肉体の

上方への志向のうちに現れた神話。第二は、厳かな足の運び、舞のリズム

とハーモニー等々の人間の動作、行為の中に形相として出現する神話。

第三は、本来その名が示すとおり、神的なものが言葉のうちに自らを開示

する、言葉としての神話、という三つの段階に分けてみることができる

と述べています。

 

かくして、神話の根源現象である、行われることと語られること、つまり、

狭義の祭儀と神話の関係についていうと、祭儀においては、人間が自ら

神的なもののうちにまで高揚し、神々とともに生き、行為する。他方、

狭義の神話においては、神的なものが自らを低くし、人間的なものに

化する、というふうに要約できるとしています。

 

なお、我々が抱く大きな疑問である<神人同形説>、つまり、神々は

人間の姿として表象され、神々の行状までが人間のそれに近いという点

については、オットーは、ゲーテの<ギリシャ人の意思と志向はとは、

人間を神化しようとすることにあったのであり、神を人間化することに

あったのではない>という言説を引用しながら、<神が人間の相貌をして

人間に近づくことは、実に迷信どころか、むしろ真の開示の証である>

と述べています。

 

ともかく、古代ギリシャの神々は、至福かつ悠遠の存在でありながら、

親しみ深い遍在する神である、つまり、及びがたい悠遠さを持ちながら、

同時に直接身をもって感じ取れる眼の当たりの存在なのであって、これ

ほどの身近さは古代の宗教にも他に類を見ないとオットーは述べています。





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