前世を記憶する子どもたち

前世を記憶する子供たち 


世界規模の生まれ変わり例の調査、研究は1958年にアメリカのヴァージニア

大学で、ステイアン・スティーヴンソン氏によって始められたということです。

 

スティーヴンソン氏は、当時、ヴァージニア大学精神科の主任教授でしたが、

いわゆる超常現象にも関心を寄せており、懸賞論文の当選をきっかけに生まれ

変わりの記憶の研究を進めることになったようです。

 

しかし、当然、そのような研究を快く思っていない人たちがいて、風当たりは

強かったようですが、幸運にも、突然、研究資金の提供者が現れて、小さな研究

部門を立ち上げることができ、研究を継続、今なお、後継者たちにより、研究が

続けられているようです。

 

純然たる科学的な立場からこのような研究が長い間、行われてきたことは、本当

に貴重なことだと思います。

 

ところで、その研究成果は、神経・精神病学雑誌や催眠の専門誌などに論文と

して掲載されたようですが、日本ならまず不可能なことです。「人間の心は脳の

活動の結果にすぎない」という考え方自体は、科学的方法を使って証明されて

いるわけではありませんが、日本では、こういった考え方がそのまま心理学や

医学の専門誌の暗黙の編集方針になっているようで、それが掲載されることは

あり得ないでしょう。

 

でも、それは、科学技術を科学と取り違えているのであり、科学の本来的な意味

がよく理解されている欧米では、反骨精神のある医学雑誌や心理学の編集者は、

生まれ変わりなどの超常現象を扱った論文でも、それが一定の基準を満たした

ものであれば受け入れるようです。

 

とにかく、数十年におよぶ、結論を急がない、あらゆる可能性を視野に入れた

科学的な調査、研究の成果は、それが単なる詐欺的行為であるとか、当事者の

空想であるとか、情報提供者の記憶錯誤であるとか、という解釈では、到底、

説明できないものであることを示していると思います。

 

少なくとも、前世の記憶の実例は、肉体の消滅によって個体の意識、記憶が完全

に消滅するのではなく、なんらかの形で転移していることを示しているのでは

ないでしょうか。

 

しかし、こうした超常現象にまつわる論争は、すでに百年以上も膠着状態のまま

でほとんど進展がないのも事実です。

 

これは、生まれ変わりを含めた超常現象が現在の科学と質的に異なるものである

ことを示唆しているのであり、こうした研究によって生まれ変わりそのものの

メカニズムを明らかにすることはできないため、それには異なったアプローチが

必要になってくるように思われます。

 

この生まれ変わりについては、宗教、あるいは神秘学、霊学サイドにおいても、

様々な説が入り乱れています。

 

人が死ぬと死後の世界の存在になるので、再び地上に生まれることはないという

説。人が死ぬとすぐに、或いは、一定の期間後に人間に生まれるという説。人が

死ぬとすぐに、或いは、一定の期間後に、人間または各種の動物に生まれるという

説。人が死ぬと、一定の期間後に、再び人間に生まれる人と、動物に生まれる人と、

もう、生まれなくてもよい人に分かれるという説。人が死ぬと、一定の期間後に、

人間に生まれるが、魂の一部が生まれるという説。等々。(因みに、私は、最後の、

人が死ぬと、一定期間後に、人間に生まれるが、そのまま再生するのではなく、

魂の一部が生まれるという説が真実に近いと思います。)

 

このような再生説の混乱は、仮に、死後の世界があるとして、そして、生まれ変わ

りがあるとして、死ねば、誰にでも明白にその再生の仕組みが分かるというような

ものではなく、この世で言えば、一般人には複雑な遺伝のメカニズムが認識でき

ないように、高級な霊的存在にしかそれが分からないし、それをうまく現世の

人間に示し得ないからではないでしょうか。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「宮崎アニメの暗号」を読む

 

もののけ姫2



「風立ちぬ」を最後に宮崎駿は引退を表明しましたが、「風の谷のナウシカ」

や「となりのトトロ」を始め、数々のアニメ作品の衝撃が今も強く心に残って
います。

 

新作が公開されるたびに映画の興行記録を塗り替えてきた宮崎アニメは、一般

的には、万人向けの明快なるエンターテインメントの天才、まさにエンターテ

インメントの匠であると考えられているようです。

 

しかし、ただ、感動した、面白かった、で終わるのではく、私自身がそうで

あったように、少なからぬ人が、面白かったけど・・・と何かしらわだかまり

を抱きながら帰途についたのではないかと思います。

 

さて、「宮崎アニメの暗号」で青井汎氏は、そのようなわだかまりの原因として

宮崎アニメの背後の隠れているモノは何か? 宮崎駿の「真情」生み出す「仕掛

け」とは? と問い、本書の意図をそうした不可視の「仕掛け」を明確な意図

へと変化させ、そこから宮崎駿の本当の世界観を導き出すことであるとして

います。

 

まず、一見すると、「ルパン三世 カリオストロの城」、「風の谷のナウシカ」、

「天空の城ラピュタ」、「魔女の宅急便」、「紅の豚」などの作品は、欧州もし

くはそれを基にした平行世界を描いているように見えます。また、「風の谷の

ナウシカ」の巨大なホムンクルス(人造人間)である巨神兵の製造シーンを

見ても、そこには四大元素を操る錬金術師たちの影を見ることができます。

として、宮崎アニメと要素との関係を理解するには、やはり西洋的な考え方

を導入しなければならないのでしょうか。と問いかけ、西洋の四大元素には

「木」がないところから「風の谷のナウシカ」においてすでに陰陽五行の思想

が駆使されているのではないか、そして、五行思想をはじめとする重層的な

「仕掛け」の集大成が「もののけ姫」ではないかと述べています。

 

ともかく、青井汎氏は、宮崎駿の思想は、「もののけ姫」において頂点に達し

として、多くのページを費やしています。

 

「もののけ姫」の基本的構図を人と自然の対立、つまり、「エボシ御前」と

「シシ神」の対立であるとし、

 

エボシ御前=金気=土神(産鉄の神)・金屋子神(製鉄の神)=ケルトの女神

ブリギット

 

シシ神=木気=森=五色の鹿=麒麟=動物の王=ケルトの有角神ケルヌンノス

=原インド・インダス文明の有角神パシュパティ=メソポタミア・ギルガメシュ

叙事詩の森の神フンババ=旧石器時代洞窟壁画・トロワ・フレールの呪術師

 

と、どんどん隠された暗号を解いてゆき、そこには、東西の古代思想、神話が

幾重にも埋め込まれており、石器時代以降の長大な人と自然の相剋の歴史が

浮かび上がってくるとしています。

 

そして、シシ神の池の辺で、人間を代表するエボシ御前が石火矢で放った金属は、

自然を代表するシシ神の首を貫きました。その瞬間、宮崎アニメの畢生の主題とも

いえる「自然と人との相剋」は極限まで達し、それをこの頂点にこの主題は一応の

終止符が打たれたのではないでしょうか。』『そして、同時に、それは宮崎アニメを

支えていた「現実感」をも崩壊させる渾身一撃だったのです。』『崩壊した現実の先

に広がるのは、何でもありのファンタジーの世界に他なりません。』『その空間に生

まれた世界こそが「千と千尋の神隠し」の異界なのです。と結論づけています。

 

たしかに、「もののけ姫」以降、宮崎駿は、引退をほのめかすようになったよう

です。それ以降、一作ごとに引退を口にするようになったようですが、引退を

表明しては、次作をひっさげて復活するということを繰り返す、その真意は一体

どこにあるのでしょうか。

 

どうも、「もののけ姫」は、興行的には大成功したものの、難解という評価が多く

あったようであり、また、登場人物の影が薄い、個人が描けていない、感情移入

ができないという辛口の評価もあったようですが、啓示的、象徴的な世界構造を

具体的、現実的に表現しようとして、詰め込みすぎた「真情」が溢れ出し、エンタ

ーテインメントの枠組みそのものを壊す寸前まできてしまったのかもしれません。

 

「真情」の表現のあくなき追求とエンターテインメントとしての興行的成功との間

にある大きな矛盾、その壁を突破しようとして復活を繰り返したのでしょうか?

そうではなく、その限界を感じ取って引退を表明したものの、エンターテインメント

の天才である彼の引退をまわりが許さなかったために復帰せざるを得なかったので
しょうか?

 

今現在、彼は引退を表明したままですが、ひょっとすると、4度目(?)の復活
をひそかに目論んでいるのかもしれません。

 
 
 
 


 
 
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地獄-死後のイメージ-

 
地獄絵1
 地獄絵図 (京都 西福寺)

地獄というと、子供のころ、お盆などにお寺で見た地獄絵を思い浮かべますが、

日本の地獄絵の鮮烈なイメージのルーツは、どうも、源信の「往生要集」にある

ようです。

 

「死生学4」の中の「往生要集」と近世小説で、長島弘明氏は、平安時代

半ば、10世紀後半に源信によって書かれた「往生要集」は、念仏往生の

の入門書である。この時期には、・・・いわゆる末法思想の高まりのもとに、

 

阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生することを願う浄土思想が広がっていくが、その

浄土思想の重要な書物が、この「往生要集」であった。・・・その「往生要集」の

中でとりわけ精彩を放つのは、「厭離穢土」の部分である。「厭離穢土」は「地獄」

 

「餓鬼道」「畜生道」「阿修羅道」「人道」「天道」(以上、いわゆる六道)など

から成るが、その中でもっとも詳細であり、またすぐれているのが「地獄」の

描写である。「等活地獄」「黒縄地獄」「衆合地獄」「叫喚地獄」「大叫喚地獄」

 

「灼熱地獄」「大灼熱地獄」「無限地獄(阿鼻地獄)」のいわゆる八大地獄のあり

さまが、微に入り細に入って描かれている。としたうえ、「往生要集」の描写

は、格段の迫真力を持っている。それは一言で言えば、視覚的な鮮明さであり、

 

正確さである。この圧倒的な迫力をもった地獄の描写は、その後の日本における

地獄のイメージの中核を形作ることになる。』『「往生要集」によって形成された

地獄のイメージは、絵に媒介されて、広く民衆の間に浸透していった。と述べ

ている。

 

よって、後世に流布される地獄の光景にはそのイメージが色濃く反映されて

いったようですが、その基本思想も、因果応報、罪とその報い、つまり、

生前、人が犯した様々な罪に対する閻魔大王の裁きがあり、そして、それに

もとづく獄卒(鬼)による惨い責め苦を受けるというパターンを踏襲して

いったようです。

 

ところで、これとは異なる地獄のイメージというのはないのでしょうか。ある

としたら、一体、どのようなものなのでしょうか。

 

前に紹介した水波一郎氏の「霊魂学」では、全く異質な地獄の有り様を示し

ています。

 

どうも、「霊魂学」によると、地獄の様は、本来、霊的世界の生命体であった

人類が地上に降りて動物の身体をまとったことにより、物質界における弱肉

強食の残虐性を死後の世界へ持ち込んだことから始まったようです。

 

ということは、もともと死後の世界には地獄などはなかったということです。

 

しかし、死後の世界はイマジネーションの世界、つまり、思念することが

すべて現実化する世界であるとすると、どんな残虐な想念も現実化することに

なります。

 

つまり、想念、イマジネーションの世界である死後の世界に凶暴性を持ち

込み、残虐性がとことん行きつくところまでいったとき、地獄のような

世界が形成されたということのようです。

 

よって、地獄は、裁きによる責め苦の場ではなく、いかに残酷であろうと、

人の自由な選択が招いた世界ということになります。

 

結局、「霊魂学」によると、人は己の選択で苦しみを作り、そして、恐怖を

もたらし、挙句の果てに、地獄というとんでもない恐ろしい世界を作り出し

たということになりましょうか。

 
 
 
 
 
 
 
 
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「死後の世界で恋をして-愛って?-」を読む

死後の世界で恋をして
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 タイトルから想像すると、軽いタッチの書に思えるかもしれませんが、

そうではなく、内容が従来の常識を大きく超えているため、より多くの

人の理解を得るには、できるだけ暗く重苦しい雰囲気を排除して、その

ようにせざるを得なかったように思います。

 

死後の世界が実在するとして、本書は、最初に、「人が死後どんな風に心

を変えていくのか、これまで誰も示せなかった霊的な事実を記そうとして

いる。」とありますが、読んでみて、確かにそれは誇張ではありません

でした。

 

たとえば、主人公の若者が、死後、たまたま行った教会で生前の婚約者

と出会ったので、驚いて、そのことをある霊魂に尋ねると、生前の婚約者

の顔をしているが別人であると言い、「彼女はきっと貴方に気に入って欲

しかったんですよ。それで貴方の一番求める顔を作ったのです。」という

答えが返ってきたという。

 

つまり、死後の世界では、自分が惹かれる相手の想念を読みとって、自分

の顔を相手の好きな顔に自由に変えることができるということであり、

さらに、他の人も、自分も気を惹こうと、また、その顔をコピーして自分

の顔にするということが起こるということです。同じ顔の人が複数出現

することになりますが、それなら、あなたの本当の顔を見せてください

と言っても、その人の前の顔自体が誰かの顔の複製であったということに

なると、もう、正直、SF小説を読んでいるときのようで頭が混乱しそう

になります。

 

とにかく、読んでいくと驚きの連続です。ここに出てくる死後の世界の

様は、実在と主観的願望と記憶の境界が全く不明確な様相であり、紋切り

型の、いつか、どこかで聞いたことがあるようなもの、つまり、この世の

観念にもとづく希望や願望や絶望、或は、宗教的な倫理や道徳が投影され

たものではありません。

 

さて、主人公は、最初、死後の世界は、「毎日、雨が降らないし、夜にも

ならない。腹も空かないから、仕事もしなくて良い。買いたい物がない

ので、お金というものがない。お金が要らないから、貧乏がない。家も

要らない。欲しい人だけ自分で家を建てている。建てると言っても、心

の中で念じていると、家が出来上るらしい。だから、何の心配も要ら

ない。食事は必要ないが、食べたいと思えば食べ物も出現する。まさに

夢のような世界なのであった。」と思ったのも束の間、実は、容易に理解

し難い、恐ろしい世界であることが次第に分かってきます。

 

死後の世界にも恋愛などというものがあるのだということ自体が驚きです

が、いったん、霊魂の世界で、恋愛のもつれなどで喧嘩が起こると、それ

は恐ろしいことになるようです。他の人達は無関心であるし、警察官も

いないので、喧嘩はエスカレートするばかりで、いつまで経って終わらない

ということです。

 

霊魂の世界の喧嘩は腕力ではなく念の力なのだそうですが、念による喧嘩

は残酷です。念の力で相手の体が吹き飛ぶ事さえあり、さらに、残酷なこと

に相手の体が引き裂かれることもあるようなのです。それでも霊魂の体は

元に戻るのだそうです。痛みだけは感じるのに、元に戻る。つまり、苦しみ

だけがいつまでも続くということだそうです。

 

読んでいて気になったフレーズを少しピックアップしますと、

 

「お前は、顔が悪い。ここでは、顔の悪い者は逮捕される。」

 

「皆、本当は、(年齢が)お爺さん、お婆さんなんです。いわば、老人同士の

会話を若者の顔でしている。」

 

「(仏教は信じないが)仏像は好きなんです。」「仏像が話し相手になってくれる

からです。」

 

「夫婦喧嘩イコール殺し合い、みたいなものですから。」

 

「大事な事は、物質の世界に居る間に、死後、下に落ちないような幽体を、

事前に作っておく事だったのです。」

 

「(大切なのは)幽体の成長なんです。これは単純なことなんです。要するに、

幽気という栄養をたくさん吸収出来れば、それで良いのです。」

 

「動物的な身体、それが恋愛にも影響を与えているとすれば、別の脳、別の

身体を使用するにしたがって、それに慣れてきて、成長していくことに

よって、本来の人間という霊魂の姿に戻っていくのかもしれないわ。」

 

「真の愛は、霊的な成長がない限りは、見つけることができない。」

 

とにかく、死後の世界には、様々な階層があり、様々な社会があるようで

あり、読み進むにしたがって、今までの常識、固定観念が次々にくつがえされ

て行きます。

 

もし、死後の世界があるとしたら、死後の世界の存在を考えずに、さらには、

完全に否定して他界したときは、とんでもないことになるのではないかと

いう思いを強くしました。

 

しかし、死んでから悔やんでも取り返しがつきません。備えあれば憂いなし

という言葉があります。

 

人は、全員、死ぬわけですから、本書の内容を肯定するにせよ、否定するに

せよ、皆が、一度は死後について真剣に考えてみる必要があるのではないか

と思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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プラトンの魂観

プラトン2  


「プラトン哲学の著しい特徴は、実在と仮象、イデアと現象的な世界、理性

と感性とを峻別する厳しい二元論である。」というふうに、しばしば、プラ

トンを唯物論者に対する観念論者、あるいは心身(物心)二元論の祖として、

哲学史の中に位置づけられているようです。また、プラトンの霊魂観は、

魂が肉体から離れて独立を保ち続けるというふうに、ピタゴラス派を通じて、

ギリシャ人の伝統的な霊魂観につながっており、オルフェウス教を中核と

した当時のギリシャ人の宗教的心性を美しい言辞をまとわせて語ったに

過ぎないと言われたりします。

 

さて、果たしてそうなのでしょうか?

 

瀬口昌久氏は、「魂と世界-プラトンの反二元論的世界像-」でプラトンは、

古代原子論者の物体概念、プシューケー(魂)を排除した物体概念がアルケー

(世界や宇宙の根源的な原理)として主張された思想的問題情況を十二分に

ふまえたうえで、逆に物体(ソーマ)をまったく含むことのない「魂」を、

宇宙、万有の原理として明確に提示したのである。それゆえ、ソーマ

(物体)を含まないプシューケー(魂)が今度はいかに身体や物体と関わり

をもつかという問題は、プラトンによって当初から重要な思想的課題として

意識されている、とし、プラトンは、みずからの新しいプシューケー概念が

自然や万有をかえってよりよく説明できると考え、二元論ではなく、反二元

論的な世界像を構想し発展させたと述べています。

 

また、プラトンは、魂を身体と厳しく対置させ、魂の浄化と純化を説いた

「パイドン」においても、魂が身体の全体にゆきわたっていると明確に述べ

ているが、魂が身体を動かすという場合は、身体は単なる物体ではなく、

すでに魂によって生きられ、組織化されている。生きている人間とは、「魂

に生かされた身体」のことであるとしています。

 

「ティマイオス」における「場」の導入によって魂と身体の運動は媒介され、

プラトンの心身論の内部には原理的な断絶や矛盾はない。また、プラトンの

「魂」とは、脳髄のなかにゆきわたって働いているのであり、大脳の生理学

的構造が解明されることが、プラトンにとって魂を否定することには、つな

がらない、とも述べています。

 

そして、プラトンがわれわれに求めるのは、自然万有が理性にかなった

美しい秩序をもつ世界であるとことへの徹底した自覚とその追求である。

その宇宙が知的な秩序をもって生じるならば、宇宙の生成に先だって理性

が第一の原因として存在しなければならない。そして、理性は生命の働き

なしには存在しえない。プラトンによれば、理性は魂を離れてなにもの

にも宿ることはできない。それゆえ、魂は物体や身体に先だって存在しな

ければならないと結論される。プラトンの反二元論的世界像は、この

ようにきわめて見事に整合的に展開されているのである、としています。

 

また、プラトンは、単に伝統的な古代ギリシャの霊魂観を踏襲している

のみであり、当時のギリシャ人の宗教的な心性を語っているにすぎない

のか、ということについては、ルドルフ・シュタイナーは、「神秘的事実

としてのキリスト教と古代密儀」の中で、次のように述べています。

 

古代世界には、民間信仰のほかに、選ばれた者たちの「秘教」が存在

しており、プラトンは、そうした「秘教」に通じていた人であった。

プラトン哲学特有の対話形式は、密儀の祭場での出来事に、文学的形式

を与えたものにほかならないといえるであろう。哲学的方法で奥義の

伝授が可能なかぎりにおいてではあるが、哲学教師として、プラトンが

演じようとしたのは、密儀の祭場で奥義伝授者が演じる役割にほかなら

なかった、と。

 

そして、秘儀に参入しない者の内部には、永遠的なものが生きて存在する

ことは、決してない。そのような者が永遠の存在について語ったところで、

何も語ったことにならないのである。秘儀参入者が求めるものは、この

永遠的なものなのだ。彼らは、まず、自らの内部に永遠なるものを覚醒

させねばならない。そうして、初めてそれについて語ることができる

のであると。

 

ともかく、プラトンが「パイドン」の中で、「われわれのために浄めの秘儀

をしつらえてくれた人々は、無見識な人々では全くなくて、既に昔から次

のことを、つまり、秘儀により浄められることもなく冥界へ赴く者は、

泥土の中に横たわり、秘儀を受けて浄められてから、かの地に赴く者は、

神々とともに住むであろうことを、既に昔から暗に語ってくれていたよう

に思われるのだ。なぜなら、秘儀にたずさわる者たちが言うように、

バッコスの杖を手にしている者は多いが、真の熱狂者はごく僅かだからだ。

この真の熱狂者とは、私の考えでは、正しい仕方で知恵の獲得にいそしむ

者にほかならない。私自身も、そのような人々の一人になりたいと、一生

の間、できるだけ怠ることなく、あらゆる手立てを尽くして努めてきた

のである。」と語っているように、彼を単なる哲学者としてではなく、秘儀

参入者、求道者として捉えないと、その真の姿、その偉大さは理解できない

ように思います。

 

プラトンにとって、魂の不滅性は、単なる理性的論証ではなく、秘儀参入

による、感情、感覚を伴う火花を発するような体験がもたらしたものである

とも言えるのではないでしょうか。

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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シャーマニズムと卑弥呼

シャーマニズム上 


一昔前、カルロス・カスタネダというアメリカの人類学者が呪術師に弟子入り

し、その体験をもとに著したという書物が有名になり、ネオ・シャーマニズム

という言葉が流行ったことがあったように思います。

 

昔、私も興味深く読んだ記憶がありますが、そこでの主な関心事は、結局、超常

体験、神秘体験であったように思います。

 

物質文明の行き詰まり、生態系の破壊に対するエコロジカルな解決策の一つと

してシャーマニズムがクローズアップされてきたという側面もありますが、結局、

その霊的な本質とは何かということが不問に付されたままであったのではない

でしょうか。

 

ところで、実のところ、シャーマニズムとは、何でしょうか。

 

それは、一般的には、未開、伝統的な部族社会において、シャーマンと呼ばれる

特殊な呪術宗教者がトランス状態になって精霊や祖霊などと直接交流にし、啓示

や託宣を降ろす宗教形態であるとされています。

 

しかし、エリアーデは、「シャーマニズム」の中で、「シャーマニズムは厳密には、

古代的エクスタシー(脱魂忘我体験)技術-同時に神秘主義であり、呪術であり、

広義の「宗教」-である」と定義づけています。そして、また、「シャーマンは

呪術師でもあり呪医でもある。・・・しかし、シャーマンはそれ以上に霊魂の導き

手であり、また、祈祷師であり、神秘家であり、詩人である。」と述べています。

 

さらに、我が国のシャーマニズムというものを考えてみると、古事記に、神功皇后

が神懸かりされて、託宣を述べられるくだりがありますが、これが我が国固有の

シャーマニズムを表しているかもしれません。

 

そして、さらに突き詰めていくと、卑弥呼というシャーマンにたどりつくことが

できるように思います。

 

卑弥呼は、俗に、女王であるとか、女性の固有名詞であるとか言われていますが、

卑弥呼という名称は、実は、個人名ではなく、称号であり、いわゆる古神道の

神職者であり、男性も女性もいたということであります。

 

卑弥呼は、帰神の法という高度な神懸かりの技を駆使し、古代の祭政一致の

時代において、一国の命運を左右する託宣を伝える古神道の神職者であった

ということです。

 

 

 

 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「神の発明」

神の発明 
  (中沢新一 著  講談社選書)
 

 中沢新一氏によると、現生人類は、今から3~4万年前に出現しましたが、

そのとき、脳に革命的な変化が起こったということです。

 

その新しいタイプの脳では、脳内部の違う領域の知識を横につないでいく

新しい通路が作られ、そこをそれまで見たこともなかった「流動的知性」が

高速度で流れだしたというのです。

 

そこから、比喩的な思考が可能となり、さらに、「超越性」をめぐる宗教的

思考が発生できる条件が脳の中で整ったということです。

 

「流動的知性」とは、どんな知的機能にも所属しない、どこにも領域化されない

どんな限定も受けつけない、純粋な光としてとらえられ、それが古代において、

宗教的、神話的思考の中で、様々な「スピリット」(精霊)の活動として表現

されてきたと述べています。

 

また、多くの人類学者や宗教学者は、段階的な変化のプロセスを経て、

「スピリット」が神(ゴッド)に進化したのだと考えてきたようですが、

中沢氏は、「この考え方には、大きな難点があります。」「アニミズムの思考が

濃厚におこなわれている社会で、唯一神とみまごうばかりの神の考え方が共存

しているケースをたくさん発見することができるからです。」「スピリット」から

の神(ゴッド)の離脱は必然的なものではなく、そこには本質的な変化など起こ

っていない、というのが私の基本的な考えです。」としています。

 

しかし、ある時期に「スピリット」ともにある世界にカタストロフィ的変化が

起こったようです。スピリット世界の高次な対称性が内部から崩れて、それが

(来訪神型の)低次の対称性をもった神(ゴッド)の世界へと変貌をおこし、

それといっしょに対称性を保たれている世界の外に、非対称性を特徴とする

別の神(高神)が飛び出してくる、こういう過程がおこった」というのです。

 

そのカタストロフィ的変化は、自然と人間との間に対称性を保ち続けようとした

社会の中から、王と国家が発生したことによるのではないかとしています。

 

そして、この「高神」を中心にして構成された多神教宇宙が、「唯一神」のみの

一神教に組み換えられていくということですが、中沢氏は、「一神教の成立に

ついては、心の構造のトポロジーに関わるような、根本的な作り変えはおこって

いません。」「もともとの「素材」はいっしょ、と言えるわけで、そこに抑圧が

働いて全体の配置転換が起こっただけなのだ、と一神教の成立を理解することが

できます。」と述べています。

 

しかしながら、「神(ゴッド)の知性が、「非知」の領域までも含んだ世界の

全体性をつかみとる」というように、「キリスト教的な近代文明が、あまりに

「知性」を偏重するあまり、「知」と「権力」が一体であるような文明を、

グローバルな規模で拡大しようとしてきた、そして、そして、今も強力に推し

進めている様子に、私は深い懸念を抱いているのです。」と危惧を表明しています。

 

どうも、本来高神である「唯一神」には、原理的に「この世」しかなく、一神教の

描く「あの世」のイメージは、この世のイメージの投影にすぎないように見えると

いうのです。

 

最後に、「神の死」が公然と語られるようになった現代ですが、「ホモサピエンス・

サピエンスの心の構造は、かならずや「超越性」の領域に触れるようなつくりを

しているために、そうそう簡単に「無神論」ななることはできないのだ」と言い、

「「神の死」ののちも、原初の「超越性」であるスピリットだけは生き続けるかも

しれません。」と述べ、「宗教のアルファー(原初)でありオメガ(未来)である

もの、それはスピリットです。」と結んでいます。

 

さて、私自身も、多神教的な風土に生きる一存在として、かすかなスピリットの

世界の記憶を持ち続けているのだろうと思います。

 

この世の投影である観念の神は死んでも、スピリット、つまり、霊、魂の存在を

確信し、個性を持つ実在の神、それを神霊と呼ぶとすると、神霊をこそ、求め続け

てゆきたいと思います。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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たましいのイメージ

おきなぐさ



ギリシャの哲学者プラトンは、滅びる宿命にある身体に属する感覚を超えた

「知」というものを想定し、「知」を特質とし自己を動かすプシュケー(魂)

は不滅である、としたと言われています。

 

そもそも、心理学というものも、かつては、プシュケー(魂)を扱う学問で

あったということです。その後、近代心理学の成立にともなって、魂

(たましい)から心(マインド)を扱う学問へ変化したということであり、

魂から心への移行は、心理学のテーマを人生(ライフ)から認知へ移したこと

になり、その後の心理学は、行動を扱う行動科学へ、さらに情報を扱う認知

科学へ、近年は脳活動を扱う脳科学へ変貌してきたということです。

 

そうなると、科学文明が浸透した現代では、魂(たましい)は、死語になって

しまったのでしょうか。

 

宮澤賢治は、短編「おきなぐさ」の中で、うずのしゅげ(おきなぐさ)の

たましいは、「星が砕け散るときのように、からだがばらばらになって一本

ずつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のように北の方に飛んで行きました。」

「天上へ行った二つの小さなたましいはどうなったか、私はそれは二つの

小さな変光星になったと思います。」というふうに魂のイメージを描いて

います。

 

また、「死生学3」の「たましいのイメージと循環するいのち」の中で、

やまだようこ氏が行った「この世とあの世のイメージ」についての国際的な

調査によると、現代においても、死後はあるとし、魂(たましい)として

存続するというイメージを持っている青年(大学生)は5割を越えたと述べ

ています。

 

そして、また、日本、そして欧米のキリスト教文化圏においても、風や光、気

などになる気体形、人格神や星などになどの天体形、鳥などの動物形などの

違いはあっても、死後、魂が上空へ移行していくイメージが多く描かれたと

いうことです。

 

そうなると、アニミズムが生きていた古代の話ではなく、現代の若者のなか

にも、たましいのイメージは十分生きているようであります。

 

そして、特筆すべきは、魂が気体などになっても消滅してしまうわけではなく、

それが循環して再び地上に戻ってくるという、死と再生のイメージを持って

いるということです。

 

最後に、やまだようこ氏は「あの世やたましいのイメージは幻想かもしれない。」

と前置きしながら、「あの世やたましいのイメージは、人のいのちやつながりを

長いサイクルで循環的にむすぶ機能を持つのではないかと思われる。」という形

で締めくくっています。

 

果たして、たましいやあの世のイメージは、幻想か否か?答えは、実在するか、

しないか、二つに一つ。各人が熟慮してどちらかを選択するしかありません。

 

もっとも、私は、実在を確信し、今からその備えを怠らないようにしなければ

ならないと考えておりますが。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ジャンル : 心と身体