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「銀河鉄道の夜」-現世と来世-

銀河鉄道の夜2 
 
 宮沢賢治の童話でもっとも有名で、その特色がよくあらわれている作品はという

と「銀河鉄道の夜」ということになるのではないでしょうか。

 

この作品は、色んななぞらえ方ができると思われますが、現世と来世の問題に的

をしぼって読むことができると思います。

 

吉本隆明は、輪廻転生というのが宮沢賢治にはあります。・・・それが宮沢賢治

にとってとても重要な思想だったと思います。輪廻転生して来世があるんだと

いう考えを宮沢賢治はどうしても捨てることができなかった。・・・宮沢賢治は

大変な農業科学者ですが、来世が存在するということを科学者として信じられる

かということが問題です。・・・そこのところで思い悩んだとおもいます。その

問題が、宮沢賢治の文学や芸術と、宗教思想とのかかわりを決めて行く大きな

問題になったと思われます。と述べています。

 

さて、銀河のほとりを走っていく列車があり、ジョバンニという主人公が夢の

中でその列車に乗り込みます。そこに乗り込んでいる人たち、ジョバンニの友

だちであるカンパネルラという子どもやほかの乗客は、全部が死者の国から乗り

合わせています。つまり、生きているジョバンニの夢と、死者とが一緒に乗り

合わせているのが銀河鉄道の列車ということになります。

 

途中からこの列車に、船が沈没して死んだ3人、姉弟を連れた青年が乗り込ん

できます。この3人はキリスト教の信者で、やがて、サザンクロスの停車場で

降りなければなりませんが、直前までくると、弟のタダシは、大姉さんがいる

ところ(現世)へ帰りたいとダダをこねます。一方、姉のかおるは、現世には

もう帰れない、来世にはお母さんがいて待っているからそちらへ行くんだよと

弟をなだめる。が、まだ現世にも未練を持っていて、どっちへ行ったらいいのか

わからないところがあります。これに対して、青年は来世のほうに価値観があっ

て、何も悲しくないし、悪いことはなにもない、明るくていいところだ、だから

ここで降りなければいけないと言います。

 

これについて、吉本隆明は、現世に価値観を置いている小さな男の子、現世と

来世の中間でためらっている姉、来世はいいところだから悲しいことは何も

ないという言い方をしている青年、同じ会話の中で現世から来世に価値観が

移っていく物言いの仕方を非常にスムーズにつなげています。』と述べて

います。また、『一瞬ボーッとしてわからなくなった。わかるようになった

ら、もうここにきていた。宮沢賢治の考える現世と来世のつなぎ方は、そう

いうふうにスムーズなものです。』とも述べています。

 

もう一つ、「銀河鉄道の夜」で列車がプリオシン海岸というとところを通る

ところがありますが、そこでは、学者らしいメガネをかけた人が色々指図

しながら化石の発掘を行っています。しかし、ジョバンニたちに学者は、

ほかの人が見たら、ここはガランとした空気だけで、獣の骨やクルミや貝の

化石があるとは見えないかもしれない。ただ、自分たちはここで発掘して

いるが、これは証明しなければわからないことだと説明します。

 

これは、宮沢賢治が現実にある北上川のほとりの海岸での自分の体験を「銀

河鉄道の夜」の幻想的な風景の中にそのまま入れたようで、文学と、宗教と

しての来世の風景をくっつけようとした彼独特の試みであるということです。

 

吉本隆明は、これらは、宮沢賢治が文学作品の中で、自分の中にある宗教観

と文学観をどうやって結びつけたらいいかということに対する、彼なりの独特

の解決の仕方だとかんがえることができると思います。・・・これは来世を信じ

ているどんな宗教家の「死後の世界はあります」という言い方よりも、はるか

に自然に、はるかに豊かなかたちで、来世はあるということを象徴的に言おう

としていると見ることができます。・・・その中でも、「銀河鉄道の夜」のやり

方はとてもいい、最も成功した例だと思います。と称賛しています。

 

さて、列車に乗り込んでいた者のうち、生者はひとりだけで、あとは全部死者

ということでしたが、生者の夢と死者の見るものは微妙に違っていました。

死者にしか見えないものがあるようなのです。

 

それが生者と死者を隔てる深い深淵なのでしょうか。

 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体