「神体-偉大なる魂の生涯-」を読む



神体 
 (水波一郎 著 アマゾン 発売)


「その時、海は静まりかえっていた。まさに波一つなく、空は雲一つない、

夏の日であった。人々は迫り来る不幸を知らず、日々の生活にと、走り

回っていた。ある者は海辺で寝転び、またある者は船を出そうと、お互い

の相談していた。今、初めての地』は最大の危機を迎えようとしていた。」

 

「太陽がそろそろ傾きかけてきた時、にわかに海の水がざわめきだした。

いつの間にか波が起こり、浜辺に波が押し寄せてきたのである。」

 

「それから、どれだけ経ったであろうか。日はすでに傾き、水平腺の下に

沈まんとした時、にわかに雲は黒ずんだ。いつの間に出来たか、わからぬほど

急に、黒雲は空の上で舞い始めた。いつしか降りだした雨は、まさに、夏の

日の夕立のごとしに思われた。」

 

「そして、それが初めての地』最大にして、最後の大災害、初めての地』

の消失である事を、人々はそれから数時間後のうちに知るのである。」

 

このような書き出しで始まる本書は、今から6千年ほど前、消滅直前の

初めての地』に生き、人々に真の救いをもたらそうとして苦闘するも、

容易に受け入れられず、時間に敗れ、大地とともに海に沈んだとされる

偉大な魂「ラ・ムー」の生涯を描いたものです。

 

水波氏によると、本書は、自動書記で記されました。しかし、それは

大変困難な作業であったと述べています。なぜなら、複数の霊魂の分業、

つまり、一定枚数を書き終えてから著者に解説する霊魂、霊媒(著者)の

手が動くようにすることを担当する霊魂、メッセージの発信者である霊魂

等々が同時に関わっていたからだというのです。

 

とにかく、一人の霊魂がこう言ったというような単純なものではなく、大勢

で担当しないと、こうしたレベルの高い通信は送れないようであり、きちん

とした本にするには、霊魂と霊媒との綿密な協議がなによりも大切だという

ことです。

 

ところで、本書は、最初、1991年にムーの大神人というタイトルで

発表されました。しかし、タイトルの変更と共に、「ムー」が「初めての地」

(本書の主人公である「ラ・ムー」が生まれ、それ以前にも、高級霊魂が

「キリスト」という特別な称号で呼ぶ、ある特別な神人が初めて生まれた

地と意味で)に改められています。

 

どうも、これらの変更は、ジェームス・チャーチワードのムー大陸

混同されるのを避けるためのようです。チャーチワードの「ムー」は大陸

であり、「ラ・ムー」はその帝王とされていますが、本書の「初めての地」、

つまり、「ムー」の地は、複数の島の集合体のようなものであり、「ラ・ムー」

は、帝王ではなく、キリスト、大神人であるとしています。また、本書の

「ムー」は、「高度な文明」といっても、現代の文明とは性質が異なって

いたようで、いつもその背後に神を意識するような独特の科学を発展させて

いたということです。

 

また、「アトランティス」も霊魂からの通信によると、プラトンの記述など

と異なるもののため、「ラ・ムー」の遺志を継いだ地という意味で、「後継

の地」に改められています。

 

さて、ラ・ムーは、その短い生涯を終えたが、それは、その後の人類にとって

も決して無関係ではなかった。ラ・ムーの誕生、活動、そして、死の意味は、

現代人にとっても大きな意味を持っている、と著者は述べています。なぜなら、

それは彼がキリストだからだそうです。

 

本書では、キリストという特別な神人は、複数存在したとしています。ラ・

ムーは、その一人であるということです。

 

では、なぜ、そのキリストなる偉大な存在が何度も地上に現れられたので

しょうか?

 

どうも、人類は、もともとはこの地上の世界、つまり、物質の世界の住人では

なかったようであり、霊魂の世界、つまり、我々が死後に行く世界が本来の

住処であったということです。とにかく、そこは食べることも、よって働く

ことの必要もない、まことに自由な世界であったようです。

 

しかし、自由に飽き、不自由な物質の世界での生活を欲して、上級霊魂の忠告に

耳を傾けることなく、地上に降りてしまったために、時間に縛られ、食物を食べ、

労働し、眠らなければならない存在になってしまったということです。

 

なお、ホモ・サピエンスの発生は、人類学などでは10万年ぐらい前であると

されていますが、本書では、それは今の人間の魂の先祖ではないとして、現人類

の歴史は、ずっと短く、せいぜい1万1千年ぐらいであるとしています。

 

地上に降りて、初めて不自由の意味、そして、苦悩というものを知った人間は、

今度は、その不自由からの解放を神々に真剣に祈ったという。しかし、物質の

肉体を持った人間は、もはや、もとの霊魂ではなく、その願いは、神々には、

いや、上級霊魂にも届かなくなっていました。

 

「彼らはまさに楽園から出てしまったのであった。高貴な個性が断じて食べては

いけないと言われた、禁断の木の実を自分の意思で食べて、結局、神霊から離れ

てしまったのである。」ということです。

 

しかし、人々は不幸からの脱出を願って自分たちの救い主の誕生を神に祈り続け

ます。そして、その結果、遂に人々の願いが聞き届けられることになったという。

神々は決意され、物質の世界において自由を奪われ、不幸の中で泣き叫ぶ哀れな

人類のために、キリストを地上に降ろされたというのです。

 

ところが、人々は長い年月の間に、最初のことをすっかり忘れてしまい、ただ

不幸からの脱出を願うばかりで、決してキリスト方を受け入れようとせず、

従おうとも、学ぼうともしないで、挙句の果てに迫害さえすることになります。

 

したがって、こともあろうか、「キリストとは、不幸に苦しみ人間達のために、

至上の神に反抗し、自らを低下させ、苦悩を背負い、結局、人間に無視された

神霊である」のだそうです。

 

しかし、キリストの正体は、「物質の世界に居ながらも、神霊としての身体で

ある「神体(しんたい)を持った偉大な魂なのである。」と述べています。

 

著者は言う、「キリストを無視して、初めの地』は消えた。しかし、初めの地』

の文明は後継の地』に生きた。ところが、その後継の地』も消えた。二つ

の文明は人類の記憶から消えた。初めの地』の暗い歴史を消し去り、他の大地

に生まれようとするあたらしい文明のために、それは消えたのかもしれない。

新しい霊的な文明ができれば、初めの地』の文明は二度と甦らなかったの

かもしれない。」と。

 

このようにして、「人間の魂は再び苦しむことになった。彼らは何度も生まれ

変わり、そして、神の名を呼ぶ。しかし、彼らの救いは遠い。彼らの魂として

の歴史には、キリストを殺した歴史が刻まれているからである。」「人は、やはり、

初めに戻る。」と。

 

最後に、「現代人の意識の奥に、初めの地』や後継の地』の記憶が眠っている。

多量の水が自分達を消し去った恐怖の記憶である。それらの記憶が、自然災害に

よって甦っていることに誰も気づいていない。意識の奥からの衝動が表面の心の

近くまで浮き上がって来れば、その思いや念を利用する邪悪な霊魂達が活動を

開始するかもしれない。」とし、

 

「皮肉なことに初めの地』の危機は、人類が地上から消えるかどうかであった

が、現代に危機は、邪悪な霊魂に完全に支配されるかどうか、という恐ろしい

危機なのである。」と述べた後、「キリストの霊魂団は一見、敗北したように

見えた。しかし、そうとも限らないのであった。・・・・・」と我々の覚醒を

促しています。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ザラスシュトラ伝説、或いは、ゾロアスター幻想



ゾロアスターp


ザラスシュトラの二元論的な教えは、イラン高原では衰退してゆきましたが、

なぜか、彼の教えとは別の神秘的、幻想的なイメージと、それに伴う名声が

一人歩きして流布され続け、それがなんと20世紀に至るまで断続的に

続いてゆきます。

 

今回は、その伝説、幻像、虚像を追ってみたいと思います。

 

すでに、紀元前6世紀には、ギリシャ語文献に「偉人ゾロアステレス」と

して登場し、セレウコス王朝シリア(紀元前312~紀元前63年)の

時代にも、彼の名声は一人歩きを始めたということですが、イスラム時代

のイスラム教徒哲学者スフラワルデイー(1191年没)によると、ザラス

シュトラが説いたゾロアスター教には、神官団が説く二元論とは別に隠され

た「光の叡智」があり、イラン高原で秘教的に伝承されてきたとし、その

「光の教え」とは、エジプトにおけるヘルメスの教え、ギリシャにおける

プラトンの教えと一致するというのです。

 

いわば、イスラム教徒思想家がギリシャ哲学を継承した教説を語るために、

きわめて秘教的な粉飾を施されたザラスシュトラ像が造形されたと思われ

ますが、以後、イスラム教徒思想家の間では、「光の教えを唱える神秘的な

ザラスシュトラ像」が語り伝えられ、多大な尊敬を集めたとされています。

 

そして、このイスラム時代のイラン高原で形成されたザラスシュトラ伝説

は、その後、ビザンティン帝国に影響を及ぼし、そのままルネッサンス

時代のヨーロッパに流布することになります。なんと、「古代アーリア人

特有の世界観を二元論的に語る土着的要素の強い教祖」ではなく、「途轍

もなく神秘的な叡智を説いた東方の賢人」と化して。

 

さて、ヨーロッパにゾロアスター(ザラスシュトラ)の虚像を持ち込んだ

のは、コンスタンテイノーブル出身の学者ゲオルギオス・ゲミストス・

プレトン(1454年没)だとされています。彼が、中世イタリアに

プラトン主義哲学を紹介し、それがルネッサンスの導火線になったよう

ですが、同時に、彼はゾロアスターの幻影をも導入したのだそうです。

 

プレトンの主張によると、プラトン主義哲学の源流はゾロアスターにあり、

そのプラトン主義哲学とキリスト教信仰は、いずれ調和するべき

ニ大思想であるというのです。つまり、ゾロアスターは、プラトン

以前にプラトン哲学を、イエス・キリスト以前にキリスト教を説いた

偉大な先覚者ということになるようです。

 

さらに、プレトンは、実際には2世紀にユリアノスによって作成された

ギリシャ語文献「カルデアの神託」をゾロアスターその人の真作である

と信じ、これこそ人類にとってプラトンの著作と並んで最も価値のある

ものと断じたということです。

 

かくして、ヨーロッパの思想界に、「バビロニアの占星術の大家、プラ

トン主義者の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」という

本人が聞けば驚愕するかもしれない「ルネッサンス的ゾロアスター像」

が深く刻み込まれることになります。

 

このルネッサンス的ゾロアスター像は、遅くとも19世紀には自然

消滅したようですが、一部で命脈を保ち続け、20世紀初頭のドイツ

で、ルドフル・シュライナーによって甦ります。

 

シュタイナーのゾロアスター像とは、次のようなものです。

 

ゾロアスターを名乗る人物には、トロヤ戦争より5000年前に生きた

原ゾロアスターと紀元前2000年から紀元前6世紀ごろに生きた後継者

ゾロアスターの二人が存在した。後者は、レムリア大陸とアトランティス

大陸崩壊後に、アーリア人がユーラシア大陸に移動した最初期に生きた

人物である。そのアーリア人がインド文明やイラン文明を起こした際、

彼は、エーテル的な火を崇め、星を見てアストラル体を霊視し、ついに

「地球の意味」を悟った。彼の言うハマオとは、人々のアストラル的な

霊視力を目覚めさせる星々の露であり、アヴェスター語とは、音響効果に

よって太陽や諸惑星のリズムを体感する聖なる言語であるということである。

 

このように、ゾロアスターとは、太古の昔の想像を絶した叡智を秘めた人物

としてイメージされ、ヘルメスやモーセの転生以前の実体として、両者に深い

影響を与えたと考えられています。

 

一方、ルネッサンス的ゾロアスター像とは異なる「ニーチェ的ツラト

ストラ」が出現したことも忘れてはなりません。

 

ニーチェがなぜラトゥストラに仮託して自らの思想を語ったのかは

不明ですが、「ニーチェ的ツラトゥストラ」は、当時の古代イラン学者

が研究していた「客観的なザラスシュトラ」とは無関係であり、その

「神の死」、「永劫回帰」、「超人」、「権力への意思」、「善悪の彼岸」など

の思想は、「ルネッサンス的ゾロアスター」とも無縁のようです。

 

ただし、前田耕作氏は、「宗祖ゾロアスター」の中で、ニーチェが、古典

文献文学者として、ギリシャやヘレニズム時代の著作家たちが書き残した

種々の書物を通して、彼らが築きあげてきた様々な相貌をしたゾロアスター

像というものを知りぬいていたこともまた事実であるとして、そのツ

ゥストラ像は、「彼の友であったエルヴィン・ローデの言葉をかりていえば

『まったくの独創、前例なく、比類なきもの』であったかもしれないし、

またジル・ドゥルーズが指摘しているように、『ニーチェがゾロアスターと

いう古代の人物に、その人物がとても着想できそうもないような思想を貸し

与えている』といったものかもしれない。」「ニーチェは価値の基軸を転倒

させるために、既存のあらゆるシステムに否をつきつけたゾロアスターを

仮面のように使ったというのもあたっているだろう」と述べています。

 

ともかく、ニーチェは、終わりが大いなる始まりになるという考え方、破局

によって新たな再生が始まるという「球のごとき思想」、そして、輪廻の思想

のように周期する時の流れについての洞察に生涯をかけた人たちの系譜に

熱いまなざしを注いでいたようであり、それが「永劫回帰の思想」に、

「ニーチェ的ツラトゥストラ」につながっていったようにも思われます。

 

最後に、そのことには触れませんが、20世紀前半に、もう一つのザラス

シュトラの虚像、ナチスドイツというアーリア民族至上主義の国家における

「民族の英雄」というザラスシュトラ像が出現したことをつけ加えておき

たいと思います。

 

さて、ザラスシュトラ(ゾロアスター)という人物の真の姿は何だったの

でしょうか?




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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ゾロアスター教2-その完成と衰退-



ゾロアスター教1


ザラスシュトラの死後、原始ゾロアスター教は、イラン高原の古代アーリア民族

の間に一挙に広まったわけでないようで、イラン高原には、古代アーリア人の

民族宗教の派生形が数多く存在しており、原始ゾロアスター教自体、その中の

一亜種にすぎなかったようです。

 

古代アーリア人がイラン高原に移動して以降、アラブ人イスラム教徒に征服され

るまで、イラン高原上では四つの王朝が興亡を繰り返しますが、西暦224年に

成立したサーサーン王朝ペルシャ帝国が、数ある古代アーリア人の諸宗教の中

からゾロアスター教を国教として選択したことによって、他の古代アーリア人の

宗教を抑えて国家権力の保護を受け、土俗的信仰の枠を超えた宗教に脱皮したと

いうことです。

 

サーサーン王朝の皇帝は、ペルシャ州の拝火神殿の神官出身で、彼らとゾロアス

ター教の関係は非常に密接であったようで、皇帝は、軍事力でもって出身母体で

あるペルシャ州のゾロアスター教神官団を擁護し、自分が信奉するゾロアスター教

以外のアーリア人の諸宗教は邪教であると信じてペルシャ的なゾロアスター教の

宣布に努めたようです。

 

ゾロアスター教神官団は、当時、聖典と明確な教義をそなえた宗教として、シリア

方面からキリスト教が、メソポタミア平原にはマーニー教が、イラン高原東部には

仏教が進出してくるという状況の中で、早期に聖典を定める必要に迫られており、

それまでの祭式の際に唱える呪文として機能していた原始教団の伝承を新たに内容

別に分類し、知的な理解に耐える形での再編集を試みます。

 

そして、紀元前12世紀ごろの古代アーリア語で語り伝えられたそれらの伝承に

対して、当時の公用語であったパフラヴィー語(中世ペルシャ語)で訳注を書き

加え、パフラヴィー語で「アベスターグ(アベスター)」と称されるゾロアス

ター教聖典を完成させます。

 

しかし、このサーサーン王朝時代の「アベスターグ」は、完全な形では現代に

伝わっていません。サーサーン王朝ペルシャ帝国はアラブ人イスラム教徒に

よって滅ぼされ、ゾロアスター教神官団は急激に勢力を失ったため、「アベス

ターグ」の70パーセント以上は失われたということです。

 

ただ、ザラスシュトラ直伝の呪文(ガーサー)などほぼ完全に残っているもの

もあり、また、「アベスターグ」翻案パフラヴィー語文献によってある程度

「アベスターグ」の内容(宇宙創成論、神話的歴史、教祖伝説など)を復元

することができるようです。

 

それによると、宇宙創成論は、太古の昔、宇宙は善なる光の神アフラ・マズダー

(オフルマズド)の世界と悪なる暗黒の神アンラ・マンユ(アフレマン)の世界

に分離していた。その中間に虚空の神ヴァーユが挟まって両者は接点がなかった。

しかし、あるとき、暗黒の勢力が光の勢力に挑戦して虚空が消滅し、善悪の要素

が混合する。そこから、現在、我々が生きているこの世界が生まれた。当初、

両者の戦闘は霊的な次元(メーノーグ界)で行われていたとされる。しかし、

次第に実力行使に移って、この物質的な次元(ゲーティーグ界)での破滅的な

大戦争が勃発した。ともかく、アフラ・マズダーは、自らを防衛するために、

次々に善なる創造物を繰り出し、アンラ・マンユは、それを攻撃するべく悪の

反対創造を展開する。第一の戦闘は天空、第二は大地、第三は河川、第四は植物、

第五は家畜、第六は最初の人間ガヨーマルト、第七は火、第八は恒星、第九はメ

ーノーグ界の神々と悪魔、第十は星辰で、それぞれ善と悪の創造物が戦う、と

いうものです。

 

次に、神話的歴史に移ると、アフラ・マズダーの第6創造で造られた最初の人間

ガヨーマルトは、暗黒の勢力によってあっさりと打倒されて死ぬ。しかし、彼の

精液は大地に染み込み、30年後にそこから植物が生えてきて、やがて現在ある

ような人間の男女の姿をとった。これがマシュヤグとマシュヤーナグ兄妹である。

この兄妹は近親婚を行い、息子スヤーマグをもうけた。その子がホーシャングで

七州の天下を支配し、アーリア人最初の王朝ペーシュダード王朝の祖となった。

その後、いったん悪を駆逐し、至福の王国を築いたものの、悪竜アジ・ダハーグ

に敗れ、1000年間支配されることになるが、塗炭の苦しみを味わいながらも、

悪竜を打ち倒し、やがて、伝説的なカイ王朝がエーラン・シャフルから世界を

よく統治したという。

 

そして、ザラスシュトラ伝説はというと、ザラスシュトラは、ペーシュダード

王朝のマヌシュチフル王の12代の子孫に当たるポルシュ・アスパの子で、じつ

に由緒正しい血統に生まれた。しかも、彼は、霊的な次元(メーノーグ界)に

おいてアフラ・マズダーが特別に創造した栄光のフワルナフ(光輪)が、物質

的な次元(ゲーティーグ界)で人間の女性の母胎に降下して生まれたので、

あらかじめ霊的世界と物質的世界の二重の祝福を受けていたことになる。この

フワルナフが地上に舞い降りてくるのを感知したカヤクやカルブといった邪教

の神官たちは、ザラスシュトラの抹殺を企んでいろいろの策を講じるものの、

それらの計略はアフラ・マズダーの奇跡によってことごとく失敗し、ザラス

シュトラは哄笑しながら生まれたということです。

 

国家体制と密着し一体であったゾロアスター教神官団は、このような宗教思想

の完成ほかにどのようなことを成し遂げたのでしょうか。

 

ゾロアスター教は、従来より、独特の浄・不浄観念を持っており、聖火により

結界を張り、聖呪を唱え、身辺に付着した悪の汚れを善に力で浄化するという

呪術を行ってきましたが、特定の聖地とか聖火、拝火施設などを論理上は持たず

に過ごしてきたようです。

 

しかし、民族全体の浄化という大任を担う神官団は、異民族の不浄からエーラン・

シャフル全体を防衛すべく、より強化された聖火が要請され、全土に聖火と拝火

神殿が設置されたということです。

 

このようなゾロアスター教神官団に指導されたサーサーン王朝下の文化・社会状況

を振り返ると、イラン高原に移動して千年余のアーリア人文化の総決算だったと

いえるようです。

 

エーラン・シャフルに生まれたアーリア人は、出生によって神官階級、軍人貴族

階級、農民階級に分類され、固定化され、自分の所属階級からは容易に抜け出す

ことができず、知的活動は、識字階級であるゾロアスター神官団によって独占

され、サーサーン王朝社会は抑圧的な社会のように思われますが、帝国内の階級

制度を乱さす、神官団の宗教法を遵守して聖火を拝んでいれば、適度の快楽は善

であり、音楽を奏で、絵画を鑑賞し、肉料理やワインを楽しむことを奨励したと

いうことです。

 

平等主義ではあるが、歌舞音曲や絵画、飲酒を禁じ、女性にはチャドルを強制

したイスラムと比べると、この二つの宗教が与えた影響の違いには大きなもの

があると思われます。

 

かくなるサーサーン王朝ペルシャ帝国も7世紀後半にアラビア砂漠の中から

表れたイスラムと、それを信奉するアラブ人の軍事的攻勢の前に崩壊する

ことになります。

 

その結果、イラン高原のイスラム化が進むことになりますが、アーリア人の

宗教事情は、ゾロアスター教 ➝ イスラムへの改宗という構図で割り切れる

ものではなく、国家宗教ゾロアスター教の崩壊 ➝ アーリア人のその他の諸

宗教の表面化 + イスラムの侵入という複雑な構造を示しているようです。

 

では、その後、ゾロアスター教はどうなったのでしょうか? 

 

10世紀以後、一部の確信的なゾロアスター教徒は、信仰の自由を求めて、

断続的にインド亜大陸への亡命を図ったということです。インド亜大陸側では、

彼らを「ペルシャから来た人」の意味で「パールスィー」と呼んだため、その

ように呼ばれています。

 

彼らこそが「近現代に生き残ったゾロアスター教徒」ということになりますが、

彼らがゾロアスター教の教義にこだわってインド亜大陸に亡命した反面、サー

サーン王朝のアーリア人文化をイラン高原に置き忘れてきたのではないかとも

言われており、イラン高原で花開いたサーサーン王朝文化は、その生活文化の

一部を残すイラン・イスラム文化と、教義上の後継者を自任しつつ、亡命先の

インド亜大陸でヒンドゥー化していったパールスィー文化に二分されて現在

まで続いているということです。

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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ゾロアスター教



ゾロアスター教


原始インド・ヨーロッパ語族は、紀元前3000年ごろから、中央アジアを

起点として東西に民族移動を開始しますが、「アーリア人」と自称する人たち

は東方へ向かいます。

 

このうち、インド亜大陸に進出したアーリア人は、紀元前1500年ごろから、

先住のドラヴィタ人に代わってガンジス川流域に定住し、自らの住まうインド

亜大陸北部を、サンスクリット語で「アーリヤーヴァルタ」(アーリア人の土地)

と名づけ、他方、イラン高原に進出したアーリア人は、徐々に先住民族を駆逐

してイラン高原東部に浸透し、ここをアヴェスター語で「アルヤナ・ワエージャ

フ(アーリア人の土地)」と名づけたということです。

 

民族移動に際して、彼らを強力にブロックするような文明を欠いていたので、

その民族宗教を比較的良く保存したまま民族移動の終着点まで到着し、インド

亜大陸では、古代アーリア人の宗教(いわゆるヴェーダの宗教)をそのまま発展

させてバラモン教を生み出し、イラン高原では、古代アーリア人の民族宗教を

改革する形でゾロアスター教を生みだし、中央アジアでもゾロアスター教の亜流

が栄えたと言われています。

 

かかるアーリア人が有していた宗教は、濃厚な呪術性、思想を神話的イメージに

載せて語る独特の表現方法、異なる文化伝統を有する者には意味不明なアーリア

人固有の神格群、それらの諸神格に向けて細かく規定された儀式の方法、そして、

呪術や儀礼を司る神官が絶対優位な階級社会といったところに特徴があったと

されています。また、本来的には中央アジアで牧畜に従事していた古代アーリア

人に特有の生活習慣が、それを背後から支える大きな要素であったようです。

 

比較神話学の研究によると、古代アーリア人の社会は、神職階級・戦士階級・

庶民階級という三階級によって厳然と仕切られており、古代アーリア人が信仰

していた多神教の神々も、三階級に対応していたようです。

 

その宇宙の秩序を維持する機能により、地上における神官階級の役割を投影した

ものと考えられ、非常に人気の高かったというミスラ(ミトラ)神や風を擬人化

した戦闘神で、戦士階級の間で信仰されていたというヴァ―ユ神、勝利を擬人化

した戦闘神で同じく戦士階級の間で信仰されていたウルスラグナ神、はたまた、

聖火を焚いて呪術を行う習慣があったので、その聖火を擬人化したアータル神、 

そして、河川の神であり、豊穣、子孫繁栄、純潔を司るアナーヒター女神など

が崇拝されていたということです。

 

紀元前12~紀元前9世紀ごろ、上記のような古代アーリア民族の宗教観念が

充満する中央アジア~イラン高原東部でゾロアスター教の祖、ザラスシュトラ・

スピターマは、ハエーチャスパ族の神官の息子として生まれたとされています。

 

しかし、古代アーリア人社会の最も上の階級の、いわば、知的エリートであった

にもかかわらず、20歳のときに家出をして放浪に旅に出たようです。古代アー

リア人の牧畜社会の中では、出身部族を離れて単独で生きていくのは至難の業で

あったはずですが、ザラスシュトラは部族から部族へと渡り歩いて糊口をしのぎ、

後世の伝承によれば、彼の宗教的主張のせいで至るところで紛争を巻き起こし、

旧来の古代アーリア人の宗教の神官階級から忌避されて一所不在の生活を送ら

ざるを得なかったということです。

 

そのような放浪生活を送っていたザラスシュトラですが、42歳のときに転機が

訪れたようです。ナオタラ族の王、カウィ・ウィーシュタースパと出会って彼の

庇護を受け、その後は、一躍、宮廷政治家のような活躍を見せ始めたということ

です。

 

宰相フラシャオシュトラの娘をめとり、ついで、フラシャオシュトラの弟ジャー

マースパに三女を嫁がせることによって、ザラスシュトラの権力基盤は固まり、

彼の宗教思想を広める世俗的な基礎が築かれたとされています。

 

ザラシュストラは独創性に富んだ人だったようで、古代アーリア人の多神教の

中で崇められていた諸神格の一つを選んで自分の啓示を仮託することはなく、

新たに「アフラ・マズダー(叡智の主)」という神格を創案し、このアフラ・

マズダーだけが崇拝に値すると主張しました。そして、次第に神官階級の神で

あったミスラ神をしのぐ尊崇を獲得していったようです。

 

さらに、ザラシュストラは、このアフラ・マズダーの下には、この世に善を

広めるために6つの「不死の聖霊」たち、いわゆる6大天使が存在すると

考えました。しかし、この「不死の聖霊」の解釈は難解で、アフラ・マズダー

の性格の一側面を具現化した表象に過ぎないとする理解もあれば、アフラ・

マズダーが地上に介入する際に手助けをする天使とする理解や、完全に独立

した神格であるとする理解もあり、正確なことは分からないとされています。

 

また、ザラシュストラは、善神と6大天使とともに、それに対応する大悪魔

(アンラ・マンユ)と6大悪魔を設定しましたが、このように善神と悪魔たちを

設定した時点でザラシュストラの思想、善悪二元論の大枠は固まったようです。

 

ザラシュストラは、多神教の呪術的な世界観の中にあったアーリア人に対して、

この世は善と悪の闘争の舞台であり、そこに生まれた人間は、善と悪のどちらか

を選択して、この闘争に参加する義務があるというような倫理的な選択を迫る

教えを説き、それは、世界宗教史上初の倫理宗教としての色彩を帯びたものに

なりました。

 

また、ザラシュストラは、人の死後の審判は個人の死と世界の終末の二つに分か

れて発生すると考えていたようです。

 

個人の死は、善なる生命が悪に対する闘争に敗北した結果であり、死者の肉体は

滅ぶが、霊魂は死後4日目に死者から去って天界へおもむくことになり、その

途中で生前の善行・悪行を量る「チンワトの橋」を渡る。もし、善行が多ければ、

チンワトの橋は広がって悠々と天界へ達することができるが、もし悪行が多け

れば、チンワトの橋は狭まって、死者の霊魂はまっ逆さまに地獄へ堕ちていく

のだそうです。

 

これで、人間個々人の審判は完了しますが、さらに、二元論的世界観が善悪の

最終決着を要請するところから、全人類を巻き込んだ「世界の終末」がより

大規模に起ることになっています。その後、善の最終的な勝利と悪の無力化が

達成され、世界は完全な善に包まれて、至福の時を迎えることになるとされて

います。

 

このような急進的な宗教改革を成し遂げたザラシュストラの死去については、

詳しいことが分かっていないようです。はるか後世の伝承によっては、礼拝中

に暗殺されたということになっているようですが、それは彼の人生に悲劇的な

要素を付け加えようとする作為かもしれません。

 

それはともかく、ザラシュストラの死去は、教団組織自体にはダメージを与え

なかったようです。教祖死去の段階では原始教団の基礎は相当固まっていた

らしく、娘婿のジャーマースパが教団の指導権を引き継ぎ、特に離反者を出す

こともなかったようですが、急進的であった教祖の路線は徐々に改められて、

より多神教的な方向へ修正されていったようです。

 

その後のゾロアスター教の展開、興亡等については、次回に触れてみたい

と思います。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「悪について」2 -ルツィフェルとアーリマン-







ルシファー







シュタイナーによると、悪とは、個人という生命体にとっても、社会という

生命体にとっても、そこに秩序と調和が支配しているとき、その秩序と調和を

否定し破壊する力、もしくは衝動なのだということです。

 

しかし、もし秩序と調和だけが支配していたら、存在が生命体として生きて

いる限り、停滞し、自己満足に陥り、さらなる進化を遂げることができないし、

生命存在にとって、そのような停滞は腐敗に通じるということになります。

 

よって、破壊する力もしくは衝動がなければならないのですが、シュタイナーは、

この破壊する力もしくは衝動が両極的な在り方をしていると考え、その一方を

ルツィフェル的、もう一方をアーリマン的と呼んでいます。

 

この宇宙的作用力をもっぱら否定的にみるのではなく、その作用力をふまえて、

人生の秤の均衡を保つこと、つまり均衡を保つ力を自分で用意して、悪に対し

てバランスをとることが大切であり、悪そのものを否定しようとすると、

自分の中の大切な力そのものを否定することになってしまうと述べています。

 

そこで、まず、アーリマンについて、アーリマンとは、物質界にとって必要な

破壊の力、死の力だとしています。死は、物質界の中では必要な、必然的な在り

ようをしており、もしも「死と消滅」が物質界になかったら、生きものは地上に

充ちあふれて収拾がつかなくなってしまうのであり、死を霊界から合法則的に

コントロールする使命をアーリマンが果たしているというのです。

 

つまり、アーリマンの本来の領域は、鉱物界で、鉱物界は死の世界ですが、その

鉱物界の法則は、鉱物界だけでなく、植物界、動物界、人間界まで及んでおり、

地上に存在しているものすべて鉱物界の死の法則の下にあるということであり、

鉱物界のアーリマンは、悪ではないということになります。

 

しかし、アーリマンは、その本来の領分を越えて、人間の思考に作用を及ぼす

ことがあるとしています。

 

アーリマンが自分の分野を踏み越えてしまう時とは、思考をいつかは消滅せざる

を得ない脳から引きはがして、思考を独立させようとするときであり、感覚世界

に向けられている思考を身体の一部分である脳から引き離そうとするそうです。

感覚世界と結びついた人間は、もちろん、霊的本性たちの作用をただかすかに

感じとることしかできませんから、アーリマンに胸ぐらをつかまえられている

人間たちは、偉大な宇宙秩序に組み入れられている状態から思考を引き離したい

という衝動を感じ、唯物主義的な気分を生みだすのだと述べています。

 

そして、霊界の存在を認めようとしない人たちは、アーリマンに憑依されている

ということであり、このようにして人はどうしようもなく唯物論者になって

しまい、霊界のことなど何も知ろうとしなくなるだとしています。

 

アーリマンからすれば、人間の思考を脳という思考の肉体上の土台から切り離す

ことに成功することによって、この思考を通して、物質界の中に唯物主義という

影と図式を持ち込み、その影と図式を使って、アーリマンの特別の領域を確保し

ようとするようです。

 

しかし、ここで、ただ単純に自分の魂からアーリマン的な衝動を排除しようと

すると、難しい問題が生じてくるようです。つまり、アーリマン的な力に従うのを

恐れるあまり、感覚世界に依存することがないように、感覚世界に関心をもつこと

を一切否定しようとするなら、今度はルツィフェル的衝動に陥ることになるという

のです。

 

それは間違った禁欲であり、そういう間違った禁欲こそが不当なルツィフェル的

衝動から逃れられなくしてしまうとしています。

 

シュタイナーは、外界に認める感覚的なものの働きを霊的であると呼び、人間の

内面に働く主観的な働きを魂的と呼んでいますが、アーリマンは、この意味では、

より霊的な存在であり、ルツィフェルは、より魂的な存在だと述べています。

 

さて、その、ルツィフェルにも、人間を、そしてこの世の一切の魂を感覚的、

物質的な営みから切り離すという、正当な使命があるとしています。

 

ルツィフェルは、魂を高揚させて、感覚世界の提供するものとは別の何かを

魂が体験し、実感し、そしてそのことを喜べるようにしてくれているという

ことです。

 

つまり、芸術活動、哲学上の営為など、感覚世界を超えた一切の創造行為は、

ルツィフェルの正当な行為、正当な働きのおかげだということです。

 

しかし、ルツィフェルもまたみずからの領分を逸脱することがあり、感情を、

つまり、激情、情熱、衝動、欲望を汚染してしまうというのです。

 

ルツィフェルは、物質的、感覚的な世界の中の魂の感情の働きを取り上げ、

それを特別のルツィフェルの領分に持ち込み、この領分をみずからの本性に

似た孤立した国として建設するとしています。

 

かくして、ルツィフェルは、あらゆる機会に魂の働き、感情の働きを感覚的な

世界から切り離して独立させ、自己中心的な働きにしようとしていますから、

魂の働き、感情の働きの中には、わがまま、頑固さのような要素が現れて

くるということです。

 

シュタイナーは、霊界のために愛を働かせるためには、特に自分自身の内的な力、

自己実現の衝動を強くしなければならないとしていますが、この霊界において

自分を崇高なところへ導いてくれる衝動を否定、或いは無視すると、それが境界

の反対側に移行し、感覚世界の中で倒錯した衝動、官能的な衝動となって現れる

と述べています。

 

シュタイナーによると、霊的に人類の歴史生活を考察すると、ルツィフェル的、

アーリマン的という二つの力による二つの対立方向に影響されており、この二つ

の間の均衡をとろうと努力してきたが、その後、二つの衝動は交代で優位を占め、

近世の初頭からは、アーリマン的な時代が支配しているようです。

 

とにもかくにも、絶対的な悪など存在しないのであり、人間は、ルツィフェル的、

アーリマン的という二種類の力の間に可能な限りの均衡状態を生じさせること

によって、より高次な存在段階へ進化していく可能性が与えられているとして

しています。

 

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「イエスとその時代」を読む2



イエス 癒し

 

(イエスと洗礼者ヨハネ)


イエスは、マルコ、ルカ福音書においては、ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・


アンティパスに引き渡された後に、ガリラヤにおいて公の宣教活動を開始した


としていますが、ヨハネ福音書では、イエスはユダヤの地で、ヨハネはアイノン


で、ともに洗礼活動を開始しています。これに対して著者は、ヨハネ福音書記者


は、洗礼者ヨハネをイエスの先駆者というよりも、むしろ、イエスの証人として


位置づけようとする意図があるとしながら、「いずれにしても、ヨハネから洗礼を


受けたイエスが、ヨハネの晩年に彼から独立し、おそらくまずガリラヤにおいて


公の活動を始めたことは、共観福音書に共通する記事から見て疑い得ないであろう」


と述べています。


 


また、著者は、洗礼者ヨハネは、「罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えて


いた」(マルコ、ルカ)といわれることに対して、「ヨハネが、「罪の赦し」至る


「悔い改めの洗礼」を終末の接近との関わりにおいて宣教したことの史実性は


疑われない」としています。しかし、そこから、「イエスの思想を、神の国の


現在化しつつある接近を根拠にした、悔い改めの決断への呼びかけとして総括


することは極めて一面的なように思われるのである。このような要素が確かに


イエスにはあったであろう。しかし、それは、おそらく洗礼者ヨハネの影響下


にあったイエスの思想であって、イエスの振舞いそれ自体に不可欠な構成要素


では必ずしもないように思われる」と述べています。そして、「もちろん、私


は、イエスは「神の国」について語らなかったなどというものではなく、むしろ、


これは、イエスが洗礼者ヨハネから継承した最も重要な思想の一つであった。


しかし同時にイエスは、継承した思想を自らの振舞いによって止揚していった


ように私には思えるのである」と言っています。


 


(奇跡物語伝承・言葉伝承)


多くの学者が、言葉伝承の方が奇跡物語伝承よりも古く、史的信憑性があると


する中で、著者は、伝承におけるイエスの言葉は、イエスの振舞いの「ロゴス


化」とみなすので、個々の言葉の信憑性は疑われないとしても、全体として


イエスの振舞いに対して二次的だとしており、そして、この振舞いに即応する


伝承が、奇跡物語伝承の最古の層のように思われるのであるとして、奇跡物語


伝承を素材にしてイエスの振る舞いに接近を試みています。


 


イエスが実際に奇跡を行ったか否かという問いに歴史的、伝承史的方法によって


確答することは不可能としたのち、奇跡行為の社会的背景、もしくはその社会的


意味に焦点を当ててゆきますが、まず、類型に分類しています。


 


(1)  神顕現の奇跡-処女降誕、イエスの洗礼(天からの声、聖霊降下)、海上


歩行、復活等


(2)  自然奇跡-嵐を静める奇跡、漁獲の軌跡、供食の軌跡、山を移す奇跡


(3)  治療の奇跡-A悪魔祓 B-病人の癒


 


以上の類型の中、(1)、(2)は、いずれも、ほぼ信仰が前提とされており、


ヘレニズム世界における布教の手段として用いられていたものであり、イエスに


関する史料として用いることはできないとしています。


 


しかし、(3)の類型については、多くの場合、(1)と(2)の類型と同様と


しながらも、癒の奇跡に関する物語を比較的若い層から古い層へと伝承史的に


遡って、物語の「原型」とも思われるものを想定すると、その特色が現れて


くるとしています。


 


その特色は、(1)イエスは外部から呼びかけられる。その際、キリスト論的


尊称は含まれない。(2)奇跡それ自体は特に強調されず、癒された者への


関心が最後まで持続する。具体的には、物語が家族(社会)への帰還命令を


もって終わる。(3)癒された者への信仰は前提されない。(4)奇跡行為者


としてのイエスの偉大さは特に強調されない。(5)奇跡に参与する者は民衆


であるということ、です。


 


そうした例として、ライ病人への癒の物語におけるイエスの振舞いを取り


上げて、家に帰りなさい、あるいは社会に復帰しなさい、という命令が


この奇跡物語の「原型」の主眼点であったと結論づけています。


 


よって、この種の物語は、ライ病人に象徴されるような、家庭と社会と


から儀礼的に遮断された人々を基盤として成立し、一時の病気がそのまま


絶対的な没落に直結するような社会的最下層によって、原初的な担われた


のであるとしています。


 


もっとも、このことは、御利益宗教に典型的に見られる「宗教性」を拒否


したところにイエスの「宗教批判」の独自性を見出す現代の知識人にとって、


あるべからざるイエスの振る舞いと映るかもしれない。しかし、それが功利


的であれ、御利益宗教的であれ、それ以外に生きる望みがないとすれば、


彼らの生きうる方向へ自らを賭けていく、というのがイエスの基本姿勢で


あったのではなかろうかと述べています。


 


なお、類型の(3)のAに分類した悪魔祓の奇跡も、その原型においては


上記の治癒の奇跡と同様の意味を持っているとしながら、伝承史的には


治癒の奇跡よりは若い伝承の段階に属する、典型的な地方民間伝承という


ことができるだろうとしています。


 


一方、イエスの言葉伝承においては、イエスは、奇跡物語伝承の場合と


は、全く逆の命令、つまり、家族的同胞関係からの離脱を命令している


というのです。


 


これは、どう理解すればいいのかということについて、著者は、このような


イエス像を、イエスの言葉伝承を担った、小工業者に代表される社会層(小


市民層)に属する人々の価値理念の中に位置づけることができるとして


います。つまりイエスは、「彼に出会った」人々により、彼らの帰属する


社会層とその利害関係に即応して、それぞれ異なった仕方で理解されて


いるということです。


 


このような結論を得るために、文学社会学的考察をよって、イエスの言葉


伝承の担い手の社会層とその価値理念を確定していきますが、小工業者


に代表される社会層は、家族・小財産・小土地を所有して、体制内の経済的


メカニズムに組み込まれて生きつつ、常に社会的没落の危険を予想する社会層


に属しており、都市的生活を前提にしながら、それを農村的価値によって相対


化しうる位置にあった社会層であり、彼らは、血縁的同胞関係の価値を放棄


して、信仰的同胞関係へ帰属することを一つの価値理念として所有しており、


これをイエスのあの命令(家族的同胞関係からの離脱)の中に対象化した


のであると結論づけています。


 


(祈り・神)


著者は、民衆とともに立ち、ユダヤの権力に抗ったイエスは、自らの振舞い


との関連において、絶対的な意味における「神」という表象を積極的に一度も


引き合いに出していないとして、イエスが自らの振舞いを、律法によっては


もとよりのこと、神によっても正当化しなかった、という結論を引き出すこと


ができるのではないだろうかと述べています。


 


つまり、イエスは、自己を主張する手段として引き合いに出される「神」を


捨てたのであるが、彼は神信仰そのものを捨てたのではない。否、むしろ、


自らの神信仰の故に、自己主張の手段としての神を捨てたというべきで


あろう、としています。


 


そして、神に対するイエスの祈りについては、たとえ祈りの最古の伝承を


復元しえたとしても、それ自体が信憑性のあるイエスの祈りとは言えず、


伝承的には二次的である、という印象を免れないと述べています。つまり、


祈りの性格からして、共同の祈りは別として、人間個人の秘事に属する


事柄であり、その内容が他者に隠されているかぎり、それは内容の伝承を


初めから不可能にしており、イエスの祈りのほとんどすべては、伝承者か


福音書記者の創作にならざるをえず、厳密に言えば、資料として用いられ


ないとしています。


 


しかし、そこまで厳密さを貫くと、いずれの伝承にも伝承者の社会的諸条件


によって規定されたイエス理解が含まれているため、すべての伝承が史料と


して用いることができなくなるとして、イエスの祈りに関する伝承からも、


伝承者や福音書記者の神に対する祈願を読みとりながらも、それを彼らが


イエス自身の口に入れざるをえなかったという意味において、彼らの背後に


立つイエス自身の祈りの姿勢を想定することは許されるであろうと述べつつ、


 


ゲッセマネの祈りについて、「ここに私どもは、イエスの底なしの絶望と同時


に、そのすべてを神のみ旨に委ねる究極的信頼の姿勢を見出すのであろう。


イエスにとって神は、徹底的に自己の思いを砕き、すべてを相対化する存在で


あると同時に、そのような自己をそのまま委ね、そこから再び立ち上がること


の赦される存在でもあったのである」としています。


 


かくして、「イエスにとっては神は自己相対化の視座として機能すべきもので


あったからこそ、イエスはこの神を、いかなる場合にも自己を正当化する手段


として引き合いに出さなかったのである。従ってイエスは、自己絶対化の手段


として機能してくる神の律法や神殿に対して、徹底的に拒否的行動をとらざる


をえなかった。それに決して「神の権威」に基づく行動ではなく、-神によって


相対化された-ただの人としての行動なのである」と結論づけています。


 


以上、荒井氏のアプローチの視点は、史料批判によって、イエス伝承の古層を


掘り起こし、この伝承を担った人々に視座を据えながら、当時のユダヤ社会で


疎外されていた庶民の同伴者として生きたイエスの振舞いを探るというもので


したが、その文学社会学的方法による帰結は、非終末論的であり、イエスは


終末論的予言者ではなく一人の人間として、あるいは知識人として描かれ、


イエスその人への接近より、イエス時代のパレスチナ社会の社会史的な解明に


精力が注がれることになったようです。


 


これに対して、それでは、イエスの振舞いは描けても、イエスの生活様式と


行動の内的な動機づけの過程を明示できないという批判などがなされてきた


ということですが、私は、著者自身が述べているように、いずれの伝承にも


伝承者の社会的諸条件によって規定されたイエス理解が含まれているという


史料そのものの制約から、手続きが煩瑣なために歯切れが悪くなり、決定打


に至らないまま、推測を挿入することになり、結果として恣意的な解釈に陥


る危険性があるのではないかと思いました。


 


さて、イエスの真の姿、真の思いに迫る方法は、福音書の中に見つけるのが


難しいとしたら、どうすればいいのでしょうか?










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「イエスとその時代」を読む



イエスとその時代

本書は、70年代に出たイエスに対する歴史的なアプローチですが、発刊後、

予想外の反響があり、読者から多くの意見が寄せられたものの、その大半が、

イエス・キリストのような存在は、信仰を媒介として実存的にしか把握し

えず、歴史的方法をもってしては、究極のところキリストを「物」に化して

しまうのではないかという、疑念を表明したものであったということです。

 

しかし、著者荒井献氏は、「イエスのような存在に対して歴史的方法によって

接近することができないという人々の多くは、「歴史」というものに対して

予断と偏見を持っているように思われる。」とし、その責任の大半は「歴史

学者」の側にあるとしながらも、「私見によれば、歴史は、とりわけそれが

人間個人の歴史である場合、いかなる意味においても「法則」の中に押し

こまれうるものではない。なぜなら、人間の固有性は他ならぬ「法則」を

踏み超えた所において露わになるものだからである。」「歴史家にとって、

史料と史料とを結合して歴史を構築する際に不可欠な歴史解釈は、当然の

ことながら史料そのものの制約を受けるにしても、しかし、それは「詩人

のイマジネーションと決して異質なものではない、否、そうであっては

ならないのである。」と述べたあと、「信仰という真面目な事柄を、歴史家

の、いわんや歴史小説家の想像力などというものと混同されては困る、と

言われるかもしれない。しかし、イエスに関する最も重要な史料を私どもに

提供している福音書記者たち自身が、まさに彼らの福音信仰を想像力に

転化して福音書』を創作しているのである。」と述べています。

 

そして、「このように書くと、今度は、「福音書は創作ではない」と言われる

であろう。それならば、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書、それに

最近発見されたトマス福音書を加えて、これら五つの福音書を相互に比較

しながら読んでみるがいい。各福音書記者が同じイエスのことを書いている

のに、各々の福音書に描き出されているイエス像は、確実に異なっている

ではないか。」としたのち、

 

「このようなイエス像の多様性は何に由来するのであろうか。その理由の一つ

に、各福音書記者によって採用されたイエスに関する伝承資料が、異なっている

事実があげられる。しかし、このことは決定的な理由にはならない。なぜなら、

例えば、マタイとルカは、共通したイエスの語録資料に依りながら、全体として

は異なるイエスの言葉を、それぞれの福音書の中で読者に提示しているからで

ある。とすれば、イエス像の多様性は、各福音書記者の史観と視座の設定点の

相違から以外に説明のしようがないであろう。そして、この史観と視座の設定

の仕方は、各福音書記者の信仰の持ち方、想像力の内実によって規定されている

のである。」と主張しています。

 

もっとも、著者は、イエスに対して歴史的に接近する際に、信仰を排除すべき

であるとは思っているわけではなく、信仰が想像力として機能するかぎり、

それはイエスの史的復元にとって不可欠な要素であるとしています。

 

さて、著者の上記のようなアプローチは、ドイツの聖書学者R・プルトマン等に

端を発した論争、「史的イエス」の問題と深く関わっているという。それは、

それまでイエス伝研究が認めていた四つの福音書の史実性を疑い、それぞれの

福音書記者が手に入れた個々の伝承が史実とは全く別の神学的関心から編集

されたものであるというもので、激しい論争が巻き起こったようです。

 

その、新たに登場した、いわゆる「様式史」的研究なるものによれば、福音書

の伝承様式の背後に、伝承者の「生活の座」としての原始教団の意図があり、

伝承は、教団の設立以前に活動したイエスとは、必ずしも直接的に連続して

いないということになり、さらに、近年の「編集史」的方法による福音書研究

が導入されるなかで、福音書のイエス像は、編集史的に見れば、各福音書記者、

あるいは福音書伝承を担う各個教団に固有な視座から描き出されたイエスの諸像

であって、必ずしもイエスの現像とは重なるものではないということが明らかに

なってきており、もし、現在、できるかぎり史的に「イエス」を表そうとすれば、

伝承の様式に準拠して、そのような伝承様式を担った集団のイエス像を並列的に

描かざるをえないことになるだろうと著者は述べています。

 

ただし、この編集史的方法により、次のようなことが明確になったとしています。

 

「マタイ福音書は、イエスの教えを旧法の律法の完成とみなすマタイの視座から

編集されたことが編集史的研究によって明らかにされている。この福音書には、

ユダヤ人としてのマタイに即するイエスの言行と並んで、これとは全く逆の傾向

を示すイエスの言葉、例えば、「汝の敵を愛せよ」というような、その史的信憑性

を否定しえないような言葉もそのまま含まれているのである。このことは、マタイ

福音書がマタイ個人による強力な編集作業として成立したというよりも、むしろ

マタイが所属する教団内の諸々の立場を並置しながら、最終的にはマタイ自身が

その視座からまとめようとした結果であるとみなすべきであろう。とすれば、

マタイの編集作業からイエス伝承を取り戻すことによって、比較的に信頼性のある

史料を確定していくことが編集史的研究の結果、かえって可能になったことになる。」

 

「ルカ福音書の場合、ルカは神による救済の歴史の中心に「時の中心」として

「キリスト」を据え、キリストの「十二使徒」によって担われたエルサレム原始

教団の歴史の中に「真のイスラエル」の完成を見出しながら、「時の中心」から

「原始教団の歴史」を質的に区別している。そして、ルカは、いわゆる「救済

史観」から、イエスの個人志向性を、それに対して使徒たちの共同体(教団)

志向性を、それぞれ質的に異なるものとして対照的に描き出す。もちろん、その

際にルカは、例えば個人志向性を示すイエスの言葉に、ルカに固有な共同体倫理

の視座から手を加えて、福音書の中に編集している。しかし、ルカが、「失われた

一匹の羊」の譬話の原型や「よきサマリヤ人」の譬話のごとき、他の福音書には

ない、しかも極めて信憑性の高いイエスの言葉を自らの福音書の中に導入すること

ができたのは、ルカがとりわけイエスの個人的志向性を強調しようとした結果

なのである。」

 

「ヨハネ福音書においてイエスは、十字架を通して天に挙げられた「栄光の

キリスト」の「しるし」として描き出されている。しかし、彼は、幾つかの場合、

イエスの業に関する伝承を原型のまま残して、その解釈を、-ヨハネの志向する

方向にではあるが-福音書の読者に委ねている。」

 

「トマス福音書には、トマスの思想をイエスに帰している言葉や、共観福音書

に並行するイエスの言葉にも、トマスの編集の手が加えられている部分がかなり

多く認められる。しかしこの福音書には、少なくとも形式的には共観福音書の

伝承とほとんど異ならない、あるいは、伝承的にそれよりも古い段階を示す

イエスの言葉も保存されているのである。」

 

以上のように、編集史的研究により、各福音書記者の思想の独自性が明かに

されることにより、逆に、それに照らして、福音書における伝承部分も明確に
なり、イエスの言行の史料として用いやすくなったということです。

 

さて、70年代以降になると、上記のような様式史的研究、編集史的研究に加え

て、文学社会学的研究というものが提唱されてきたようです。

 

本書は、これに呼応する研究であるようですが、それでは、著者は、いかにして

イエスに対する史的接近への道を切り開いていくのでしょうか。

 

次回は、できれば、そのあたりを見てみたいと思います。

 

 

 




 
 
 
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「霊魂からの伝言-霊的な人生とは-」



霊魂からの伝言 
    ( 水波一郎 著 アマゾン 発売 )



著者は、冒頭で本書について、次のように述べています。

 

<死後の世界や霊魂の実在を信じる人は大勢いる。しかしながら、「では、

どうすれれば良いのか。それが分からない。」と、言う人がいる。

 

死後の世界があるのは分かったけれど、では、どうすれば地獄のような世界に

落ちないで済むのか、あるいは、悪い霊魂に襲われないようにするには、どう

したら良いのか、普通の人に悪い霊魂は無関係ならば良いのだけれど、実際は

どうなんだろうか、どんな人に、いや、どんな事をすると、悪い霊魂が寄って

来るのか、それを知りたい、という人もいる。

 

「善行をすれば良い、という人もいるけれど、毎日、忙しくてそんなことを考え

ている暇はない。」仕事や子育て、介護などで忙しい人は、毎日がただ夢中で、

時間が終わってしまう。

 

いつ、どんな事をすれば良いのか分からない。「愛の心を持って、人に優しく

した方が、死後、幸福になれるという話を聞いたけど、家族と話す度に怒って

しまう。それっていけないことかしら?」

 

分からない事、知らない事だらけ。それが霊魂を信じるようになったばかりの、

普通の人の感覚なのではなかろうか。

 

本書は、そういう人達の為に贈る。まず、何が大切で、何をしてはいけないのか、
日々、忙しい中で、どんなことに気をつけなければならないのか、
そうした事を
示したいと考えている。>と。

 

著者は、霊媒であり、本書の内容は、さる霊魂からの情報によっているという

ことですが、その内実は、伝統宗教や、昨今のスピリチュアルの考え方、従来

の霊学、神秘学の思想、哲学とは大きく異なっています。

 

その通説を覆す内容について、全部は紹介できませんが、私の心に残った点を

いくらか紹介しておきたいと思います。

 

<高級霊魂の世界に教えはない>

 

伝統的な宗教の世界には、戒律や教えがある。高級霊魂からも、そうしたこと

が要求されるのではないか、と心配している人もいることであろう。しかし、

現実はそうではないらしい。どうやら、人間には自由があるらしく、高級と

呼ばれているような、意識の高い霊魂達は、この世の人生は、この世の人間の

ものだと考えているらしいのである。それでも、この世の人達が苦しむのは

可愛そうなので、そうならないような生き方を、アドバイスしたいようなので

あった。宗教であれ、高級霊魂からのメッセージであれ、教えに絶対はない。

その時点で、その人達に、より良いと思われる規範である。ということは、

本来、こうしなければならない、というような事はないのである。

 

<人は、死後、裁きによって入る世界が決まるのではない>

 

生前の行為を閻魔大王などが裁き、死後、行く世界を決めるという考え方が

あるが、霊魂に聞くと、そんな裁判はないそうである。生前、良いことをした

ら上の方の楽な世界に入って、悪いことをしたら下の方の苦しむ世界に入ると

いう考え方は間違っている。また、近年流行している、心が愛で満ちている人は

上の世界に入り、逆の人は、下へ行くという考えも間違っている。普段の心の

状態で魂の波長が決まり、その波長で上に行ったり、下に行ったりするという

のも間違いである。

 

人には、肉体と重なっているもう一つの身体(死後、使用する身体で幽体と

言う)があるが、その幽体の状態で入る世界が決まる。つまり、幽体が落ち

着く場所に入るのである。要するに、幽体が不調だと幽体が上の世界に入り

づらくなるのであるから、幽体の不調の主な原因となる他者の念の影響や

不道徳な霊魂の干渉、そして、汚れた幽気の悪影響を防ぐ対策、つまり、

霊的トレーニングによる幽体の強化育成を行って、まず、幽体を不調に

しない人生を送ることが大切である。

 

<人はなぜこの世に生まれたのか? 魂を磨くためにこの世に生まれてくる

のではなく、また、親を選んで生まれてきたのではない>

 

人が死ぬと、幽質の世界に入るが、そこで長く生きていると、本人も知らない

うちに、幽体の一部が物質の世界の受精卵に入る。つまり、幽質の世界に自分が

(霊魂として)いて、もう一人の自分が物質の世界に誕生している、と考えると

分かりやすい。そうした状態なので、霊魂がどこに再生しようか、などという

ようなことを考える暇もなく、気が付いたら再生している、ということらしい。

よって、少なくとも、親を選んで霊魂が胎児の中に入って来る、という事はない

そうである。人が生まれた理由、それは物質の世界に男女がいて、受精したから

である。避妊できるということを考えても、主導権はこの世に男女が握っている

ことは確かである。もし、人が親を選んで生まれてくることがあるとしたら、

それは特殊な例であろう。

 

<心の成長のみでは、祈りは高級霊魂に届かない>

 

表面の心が成長しても、神様はおろか、高級霊魂につながることはない。霊魂学

は、幽体の心や、霊体の心についても主張している。人はどんな立派な人格に

なっても、幽体の心は未熟なままである。そうなると、表面の心だけが進歩して

も、魂全体としての進歩は小さいのである。人が真に成長しようとすれば、幽体

の心を成長させなければならない。そうでないと、人は高級霊魂につながったり

はしないのである。よって、普通の人の祈りは、むしろ、不道徳な霊魂に伝わる

ことがある。そうなると、その霊魂が祈った人に干渉して、悪戯することすら

ある。神様に祈ったはずなのに、不道徳な霊魂に悪戯されてしまったのでは、

あまりにも不幸である。しかし、それが現実なのである。

 

<人生に目的はない。>

 

実は、人は目的のために生まれたのではない。逆なのである。物質の世界に

生まれているから、目的な生じたのである。仮に魂の進歩向上が、霊的生命が

生き続ける目的だとしても、幽質の世界に生きて、進歩向上すれば良かった

のでる。実際、幽質の世界でも、日々、進歩している霊魂は大勢いる。要する

に、目的のために生まれたのではなく、物質の世界で人間が生きているという

現実があるために様々なことが起きた、と言ったほうが正確なのである。

 

では、結果として、この世に生れてしまった人間は、どうすれば、何を考えて

生きればよいのであろうか。それは簡単である。まず、幽体の成長である。

そして、幽体の強化である。これが一番である。そして、幽体の意識(=心)

自体の成長である。それこそが霊的な意味でのカルマの解消につながるので

ある。

 

<苦行ではない、多忙な現代人のための修行法がある>

 

霊的な意味でのカルマとは、意識の奥にある心情である。過去、この世に生きた

頃の人生を「過去世」と呼んでいる。その過去世の体験を持っているのが幽体の

意識の奥の意識なのである。それは幼児期の体験よりもさらに深い意識からの

影響である。そうした意識が持つ強い心理が表面意識に影響を与えると、人生が

不幸に向かって走ることがある。

 

よって、水波霊魂学では、人生で行うべきことは、まず、幽体の成長、強化、

そして、幽体の意識の改善である、と主張している。そして、そのための手段と

して、神伝鎮魂法と神伝禊法の体系を作ったのである。

 

このほかに、印象に残った主張としては、

 

<物質世界における愛の前提と限界(利己的な愛、恣意的な愛、利他愛)>

 

<内なる声は危険である。幽体の意識は不満の塊>

 

<幸福とは、心が感じる主観的なものである。人はどんなふうに生きても、

人は何かしら不幸を感じるのである>

 

<人間に神性があるとしても、今、現実を生きているのは表面の意識である。

魂のどこかに神性があっても、ご飯を食べている自分には関係がないので

ある>

 

等々と、まだ色々あるのですが、長くなりますので、関心のある方は、各自で

読んでいただくとして、とにかく、通論、通説はことごとく覆されていきます。

 

なかなか急には納得し難いところもあるのではないかと思いますが、真実とは、
こういう
ところにあるのではないか、と私は思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

「仏教誕生」2-釈迦(ゴーダマ・ブッダ)の生涯-

釈迦2

釈迦が歴史上実在した人物であるか否かについては、今ではその実在性を疑う

学者はいなくなったようですが、18~19世紀のゴリゴリの実証主義の時代

においては、その実在を疑問視されていたことがあったようです。

 

インドにおいては、中国のような編年体の歴史書が近世に至るまで皆無に等し

かったということと、釈迦などインドの偉大な人物についての伝記は、神話的

潤色が施されているということが、疑いを強くしたということです。とりわけ、

大乗仏教の経典に登場する釈迦は、およそ歴史上実在した人物だとはとても思え

ない人物として描かれているのは周知のとおりです。

 

釈迦の在世年代ですが、伝承には、二系統あるようで、今なお最終的な決着は

ついていないようです。一つは、南方上座部仏教が伝えた、あるいは南方仏教

経由で中国に伝わった伝承では、紀元前563~483年、あるいは紀元前

563~485年となり、もう一つは、北方経由で中国に伝わった伝承で、

紀元前466~386(もしくは383)年としています。いずれにしても、

釈迦は、80歳ぐらいで入滅されたことになります。

 

さて、釈迦は、現在のネパール領になる北インドのサキヤ(シャーキャ)族の

ゴーダマ姓の家系、すなわち、王族階級の家系に生まれたという。サキヤ族は、

当時、南の大国コーサラ国の属国として部族共和制の国家を形成し、首都は、

カピラヴァストウというところであったということです。

 

釈迦が生まれたとき、立ち上がって、東西南北を順に見まわし、北に向かって

7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向け、「天上天下唯我独尊」、つまり、

「神々を含めて、この世に自分より勝れた者はいない」と宣言したという伝説

がありますが、これは生まれたときに発した言葉ではなく、釈迦が修行ののち、

説法を決意してバナラスへ向かう途中に出合ったウパカという人物を相手に最初

の説法を試み、いきなり語ったのがこのような文句であったのではないかとされ

ています。(もっとも、ウパカは釈迦を相手にしなかったので、この最初の説法

の試みは失敗したということですが。)

 

釈迦は、16歳で結婚して、29歳のときに、一子をもうけたあと出家されたと

いうことです。釈迦のような偉大な存在の深い苦悩と、その出家の動機について

は、我々のような凡人には、到底、理解が及びませんが、宮元氏は、いささか

できすぎた話であるとしながら、次のような伝承、「四門出遊」のエピソード

なるものを紹介しています。

 

「鬱々と日々を送っている釈尊の心身の健康状態を心配した父王は、朋輩と

して釈尊に仕えている若者たちに、気晴らしのため、馬で城外を散策するよう

に釈尊を誘えと命じた。あまり乗り気でなかった釈尊も、朋輩の熱心な誘いを

拒みきれず、ある日、東の門から外に出た。するとほどなく、町のなかで、

よぼよぼの、見るからにいたましい老人を目にした。老いの苦しみとはこの

ようなものだということを実感した釈尊は、胸ふたがれる想いでそのまま城

に引き返した。別の日、また誘いにしたがい、南の門から外に出た。すると

ほどなく、病に苦しんでいる人を目にし、やはり胸ふたがれる想いを抱いて

そのまま城に引き返した。さらに別の日、西の門から外に出た。するとほど

なく、あろうことか死人を目にしてしまい、またそのまま城に引き返した。

そして、別の日、北の門から外に出たところ、今度は沙門の姿を目撃した。

老いと病と死という避けがたい苦しみに直面して悩みをいっそう深くした

釈尊にとって、沙門としての生き方こそが、そのような苦しみから最終的に

逃れる唯一最善の道ではないかとの確信を、釈尊はこのときに得たのだ」と。

 

実際にはいろいろあったということなのであろうが、その意味で、このエピ

ソードは含蓄に富んでおり、傾聴に値するとしています。

 

出家した釈迦は、修行の道へ入っていきますが、最初は、禅定(瞑想)に

より解脱を求める道に心ひかれたということです。当時、修行法には、禅定と

苦行の二つがあり、苦行のほうがより一般的であったようです。

 

釈迦は、アーラーラ・カーラーマ仙、そして、ウッダカ・ラーマプッタ仙と

いう仙人に師事して禅定の道を歩みはじめますが、いずれにも疑問を抱き、

辞することになります。

 

初期仏教以来、仏教の修行体系には、戒・定・慧の三学という階梯があり、

慧(智慧)を完成したとき、修行者は解脱に至るとされていますが、宮元

氏は、大乗仏教になると、禅定の最高境地である三昧をもって解脱と見なす

傾向が顕著になってきたとして、釈迦が最初のころ師事した二人の仙人は

かなりそれに近いものであったと考えられる。つまり、禅定の次なるもの

としての智慧の獲得というものが彼らの教えには欠如していると釈迦は

漠然とながらも直観したに違いないと述べています。

 

さらに、「禅定と智慧とは原理的に無関係である。三昧じたいは、生来

禅定に向いた心的傾向をもつ人ならば、教理とは無関係にいとも容易に

得られる。」「禅定の当たり前にして最大の問題は、そこから戻れば、また

もとの雑々として心を乱す日常生活が待っているということである。いとも

容易に最高の禅定の境地に達し、またもとの状態に戻るのみ、これが、老い

や病や死といった苦しみから最終的に逃れる道だとは、釈尊にはとうてい

思えなかったということであろう。」と述べています。

 

かくして、禅定に失望した釈迦は、「苦行林」という森に入って止息や断食等

の激しい苦行に専念されたということです。

 

このような過激な苦行を続けていくうちに、釈迦は、あらゆる苦しみに耐え

得る心を練成していったようですが、どんな苦しみにも耐え得るということと、

苦しみを起こす心的機構を根絶し、超越的で平安な心を得るというのは別の

ものでした。

 

強固な意志だけでは、苦しみが起こるのを最終的に遮断することはできない。

現に釈迦は、世俗生活への誘惑と常に対決しなければならなかったし、その

ため、みずからの道の正しさについて迷い続けたという。

 

その結果、やはり苦行ではなく、やはり禅定こそが解脱に至る正しい道、智慧

を得るための最善の道であることを確信し、苦行に見切りをつけ、苦行林を

あとにして村に下りられたということです。

 

苦行を捨てた釈迦は、瞑想と思索にふける中で、成道を得、ブッダ(覚者)と

なられたとされていますが、その過程で体得したのが中道であり、その具体的

な実践方法が八正道ということです。中道とは、宮元氏によると、後の時代の

ような思弁的なことではなく、苦行主義からも、快楽追求の世俗的生活からも

離れよということであり、ほぼ苦楽中道ということに尽きるとしています。

 

成道ののち、釈迦は、入滅されるまでの45年間、教えを説き続けられたと

いうことですが、最初、道を人々に説くことにためらいを抱いておられた

ということです。

 

釈迦が、説法を最初ためらったのち決意した理由については、仏典では、

宇宙創造神であるブラフマー(梵天)から三度にわたって懇願された

からというエピソードが語られているだけですので、これまで様々な

議論が戦わされてきたようです。

 

宮元氏は、このこと(ためらい)は仏教の目的、つまり、生存欲の滅却、

生についてのニヒリズムに深くかかわる重要な問題であるとしています。

「仏教は、少なくとも釈尊の教えはそうなのであるが、第一義的には、

厭世を促す教えである。」「みずからの輪廻的な生存への執着を捨てよと

いうことになろう。」「みずからがこの世に生きつづけようとすること

じたいの否定にほかならないというべきである。」「仏教が最終の目標と

するところは、そして釈尊その人が到達したところは、生存欲を断つこと

だということになる。(・・・)生のニヒリズムに到達に到達した者は、

当然のことながら、この世に生きる何の意味も見いださず、したがって、

何の価値判断もくだすことがない」と述べています。

 

しかし、説法を決意されてからは、一生涯、教えを説き続けられ、最後

に、「およそありとしあるものは滅びゆく。怠ることなく一心に励め」

と言って入滅されたという。

 

こういったことからすると、ためらいの理由については、ほかにもっと

異なる理由があったとは考えられないでしょうか。

 

当時のインドの特殊な宗教的環境の中で、事実をそのまま語ることは、

人々を正しい道へ導くことにはならないのではないか、ともすると

伝統的な思考様式に縛られたまま、依存したままになるのではないか、

という危惧がためらいの理由であったとは考えられないでしょうか。

 

また、釈迦は、死後の世界は有るとも無いとも語らなかったということ

ですが、たえず変化するだけで普遍性を持たないこの世に価値はないと

するとき、いったい何に価値の基準をおいておられたのでしょうか。

 

とにかく、宮元氏は、釈迦の人物像について、氏自身の哲学的立場を

経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマチズムであるとし、釈迦の

立場もそれに近似していると述べていますが、釈迦を偉大な存在として

崇拝する人々からすると、なかなか受け入れられないように思われます。

 

私自身も、釈迦の本当の思いは誰も知ることができなかったのでは

ないかという強い思いを抱いています。

 

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体