「霊魂学を知るために」2-カルマと再生-



DSCF0183 (479x640) 霊魂からの伝言




 


スピリチュアリズム、とりわけ、シルバー・バーチは、カルマと再生について、


次のように述べています。


 


「「カルマ」は霊的成長の足かせとなり、霊的成長を妨げます。」「霊的成長を


なすためには、それ以前につくってしまったカルマを清算することが不可欠


なのです。」「「カルマ清算」は、摂理違反に相当する苦しみを体験することに


よってなされます。」「地上人には苦しみは不幸としか思えませんが、霊的観点


から見ると苦難の体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるありがたい


ものと言えるのです。」<スピリチュアリズム普及会公式サイト「シルバー・


バーチの霊釧』とは」>


 


つまり、「「カルマ」とは前世の地上生活における摂理への違反行為によって生


じるものですが、再生はこの「カルマ」を清算することを大きな目的として」


いるということです。


 


よって、地上への再生の目的は、霊的成長のための地上世界における新しい


体験と、霊的成長の足かせとなる「カルマ清算」ということになります。


 


一方、水波一郎氏は、「霊魂学を知るために」において、カルマについて、


人間は、過去世からのカルマを背負ってきている。カルマとは、人間の


過去世からの行為の集積である。そして、過去世自身は、何人も、霊魂の


世界の人となって実在している。その霊的細胞分裂が、今生きている人たち


である、と述べています。


 


また、カルマは、幽体の個我である。そのため、人間はいつも、過去世の好み


や経験による失敗を、無意識の衝動として浮かび上がらせてしまう。それは


新しい環境においての選択や、判断の基準になってゆくのであるとしています。


 


ただし、過去世で人を殺したから、今度は必ず殺されるといった単純なもの


ではなく、実際のカルマはもっと流動的で複雑だということです。


 


過去世で善行のみ積んだ人であると第三者が思うような人であっても、不幸な


事故に巻き込まれることは十分ありうるようです。


 


つまり、霊魂学でいう霊的なカルマとは、善行の結果としての幸福、悪い行為


の結果としての不幸ではない。善悪は地上の基準であり、善悪を越え、霊的


カルマは働いている。カルマは法則であり、地上の道徳や倫理による人間的


善悪とは無関係だということです。


 


しかし、幽体の個我というものが今回の人生で修正され、あるいは教育され、


それまでの人生と違う判断を持つに至った場合、そのカルマはかなり解消


されたといえるとし、逆に、今回の人生で幽体の個我を甘やかしてしまった


結果、過去世にない不幸を作ることもあるとしています。


 


そして、人はなぜ、何のためにこの世に再生するのかについては、水波氏の


近著「霊魂からの伝言」の中で、それは、心を成長させる目的を持ってこの


世に生まれてくるのではないとして、次のように述べています。


 


<人が死ぬと、幽質の世界に入るが、そこで長く生きていると、本人も知ら


ないうちに、幽体の一部が物質の世界の受精卵に入る。つまり、幽質の世界に


自分が霊魂として存在していて、もう一人の自分が物質の世界に誕生している、


と考えると分かりやすい。そうした状態なので、霊魂がどこに再生しようか、


などというようなことを考える暇もなく、気が付いたら再生している、と考え


ると分かりやすい。>


 


<実は、人は目的のために生まれたのではない。逆なのである。物質の世界に


生まれているから、目的な生じたのである。仮に魂の進歩向上が、霊的生命が


生き続ける目的だとしも、幽質の世界に生きて、進歩向上すれば良かったので


ある。実際、幽質の世界でも、日々、進歩している霊魂は大勢いる。要するに、


目的のために生まれたのではなく、物質の世界で人間が生きているという現実


があるために様々なことが起きた、と言ったほうが正確なのである。>


 


また、「霊魂学を知るために」では、幽界は人類の故郷である。物質界は、


人間にとっては第二の故郷であり、人間の作ったカルマの法則により、


新しい故郷となったのであるとも述べています。


 


もっとも、現世においての霊的カルマの解消への努力、そして、魂の成長へ


の邁進は、非常に大切なことには違いなく、それは霊的トレーニング、つまり、


神伝禊法、神伝鎮魂法によって成し遂げることができると主張しています。


 


ともかく、シルバー・バーチのように霊的成長という明確な目的をもって地上


に再生していると思いたい気持ちは理解できますが、わたしは、ともすると


霊的カルマに翻弄されそうになる自分自身の心の内側を顧みるとき、水波氏の


主張に真実性を感じてしまいます。






 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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「霊魂学を知るために」-一魂四霊-



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神道の神や人の心の成り立ち、構成要素に対する考え方として、「一霊四魂」

というものがあります。

 

一霊四魂のもっとも一般的な解釈は、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂

(にぎみたま)・幸魂(さき(ち)みたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂が

あり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしていると

いうもので、荒魂は活動、和魂は調和、幸魂は幸福、奇魂は霊感を担うと

されています。

 

なお、出口王仁三郎は、荒魂を勇、和魂を親、幸魂を愛、奇魂を智という言葉

で表しているようです。そして、勇の作用、働きは進であり、親の働きは平で

あり、愛の働きは益であり、智の働きは巧なりとも言っています

 

また、川面凡児は、荒魂を肉体、和魂を心性、或は意識、幸魂を情、或は感情、

奇魂を智、あるいは知力、そして直霊を最高意識と捉えていたようです。

 

しかし、水波霊魂学を提唱する水波一郎氏は、今は絶版となっている旧著

「霊魂学を知るために」で、これを逆転させて、一魂四霊という斬新な説を

主張しています。

 

人という霊的生命体は、一つの魂(こん)と四つの霊で構成されていると

いうことです。四つの霊とは、肉体の個我として表れた霊と、幽体の個我と

して表れた霊、霊体の個我として表れた霊、そして、神体の個我として表れ

た霊だとしています。

 

人間の個我は、それぞれの霊の表現体であるが、この霊という用語を神道の

魂(こん)という用語で表現すると、魂(こん)と魂(たましい)が入り混

じり、現代人にはわかりづらくなってしまうため、霊と魂の意味を逆転させた

ということです。

 

なお、個々の霊が進歩するとき、魂(たましい)は当然、進歩したことになる

が、そこには難問である。四体のうち、肉体、幽体、霊体までは地上にいても

成長できるが、最後の神体の成長は、普通の人間では無理であり、特別な技法を

マスターした人でなければ不可能であると水波氏は述べています。

 

ところで、水波氏は、魂(こん)と魂(たましい)とは別のものとし、霊魂は、

通常使用する「霊魂」の意味とは異なる定義づけをしています。

 

「霊、それは一個性である。魂(こん)、それは一個性を支える原理といえる。

霊魂、それは、個性と原理の前提となる意識である。」そして、「最初の原因が

神であり、その結果誕生した高貴なるものが霊魂であり、その霊魂を表現する

個性が霊であり、個性としての霊が霊魂に至るための原因と理性が、魂(こん)

である。」と述べています。

 

さらに、「霊は、原理に基づく個性である。しかし、魂(こん)は、それよりも

更に複雑な個性である。それは霊魂に至るための個性なのである。」「そして、

霊魂は、霊と魂(こん)の延長線上にあり、より神に近い存在である。」とも

述べています。

 

また、「魂(たましい)とは、表面意識でもなければ、潜在意識でもない。

それら全てを一つにした集合体なのである。」「魂(たましい)、それは霊でも

なく、魂(こん)でもない、霊の集合体である。」としています。

 

つまり、霊と魂(たましい)は、同次元の存在であるが、魂(こん)はそれより

も一段上の存在であるということのようです。

 

もっとも、霊は魂(こん)に至るまでの意識であり、魂(こん)は霊魂に至る

までの前提であり、魂(たましい)は霊の集合体であるとしても、魂(たま

しい)の発見なくして、魂(こん)の発見も、霊魂の発見もない。魂(たま

しい)はどうしても知らねばならない基本であるとしています。

 

しかしながら、霊も魂(たましい)も魂(こん)を知りたがっているという

のです。なぜなら、自分の本当の原因であり、正体を知る道だからだそうです。

 

だが、魂(こん)や霊魂は、幽質界や物質界ではとらえられない。したがって、

これらは、地上の人間の幽体、または肉体の変化とは無関係なことが多いという。

 

このように魂(こん)の向上は、あまりにも複雑である。よって、魂(こん)

は霊質界の霊魂によってのみ証されるのであり、今まで、地上では神人のみの

伝承であったということです。

 

水波氏は、これからは、できるだけ神秘を地上に示すべきだとしながらも、

やはり、最も大切なことを優先させなければならないとして、まず、人間

の魂(たましい)の解明を行わなければならないと述べています。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「チベット密教」2-その受容と展開-



チベット密教2
 
チベット密教とは、端的に言うと、主にチベット人仏教者たちが受容し伝承

してきた密教であり、その中核は、8世紀から12世紀のインド仏教界で

成立した、いわゆる後期密教(タントラ仏教)を指すようです。

 

8世紀から12世紀は、インド仏教の最終段階に相当するが、この時期、

仏教に目覚めたチベット人たちは真理の法を求めて続々とインド各地の僧院

や指導者のもとへ留学します。一方で、インド仏教の行く末を見きわめた

インド人僧侶たちが、それも指導的な立場にあった最も優れた僧侶たちが

チベット高原に新天地を求めて旅だったようです。

 

衰退をたどるインド仏教が最後の切り札として登場させたのが「後期密教」

といわれるものであり、それは、8世紀、「秘密集会タントラ」の登場を

もって始まるとされています。その最大の特徴は、解脱にいたるための至高

の方途として、性的ヨーガすなわち性行為を導入したヨーガを採用したこと

にあったということです。

 

なお、チベット密教はチベット仏教に内包されており、チベット仏教は、

密教と顕教から構成されているという。インド仏教においては、顕教が

先行し、インド仏教の歴史の最末期に至って密教が登場するが、チベット

の場合、チベットへの仏教流伝が、偶然、密教が成立しつつある時期と

合致したことにより、ほぼ同時に密教と顕教が伝えられたということです。

 

しかし、大多数の人々の目には、相当理屈っぽい顕教よりも、実践的な

密教のほうがはるかに魅力的に映ったに違いなかった。とくに、チベット

に伝えられて密教は、性的ヨーガを伴う後期密教が中心であったから、

人々の好奇心を引きやすく、その結果、チベット仏教界は当初から密教

優位に傾きがちであったと著者は述べています。

 

ただし、戒律を軽視するような形態がほんとうの仏教なのか、という

疑問を持つ人々も少なくなく、チベット仏教の歴史を総括するなら、

どうしても密教に傾き、ときには密教の甘美で危険な罠に陥りかねない

人々を、顕教の堅固な理論によって、いかに仏教本来の道に引き戻すか

という、まさに苦闘の連続だったとしています。

 

なお、チベット仏教界では、その発展段階に応じて、(前期)所作、(中期)

行、ヨーガ、(後期)無上ヨーガの四つに区分しています。むろん、無上

ヨーガを最上としているが、後期密教に関する経典は漢訳されることも

ごく稀で、日本には、公式には流伝していないということです。

 

さて、チベット仏教の歴史は、7世紀中頃の古代チベット王国の時代に

始まったようです。そして、密教の歴史は、8世紀の前半に「金光明教」

がもたらされたことから始まるということですが、この経典は護国や

除災、そして仏教の教えによる正しい統治を説く、典型的な現世利益の

教典であったということです。

 

8世紀後半は、古代チベット王国の全盛期であったが、王室や貴族たちを

中心に、中国仏教を信奉する勢力と、インド仏教を信奉する勢力が分裂し、

さらに仏教を排撃し固有の信仰を守ろうとする勢力もあり、熾烈な争いが

生じたが、当時のティソン・デツン王がインド仏教を積極的に擁護し、

インドから著名な学僧であったシャーンタラクシタという人を招き、

仏教の普及に尽力したという。

 

このとき、在家の密教行者で強力な霊力を持っていたパドマサンバヴァと

いう人物が同行し、人々に密教の威力を見せつけたというが、密教が

チベットに根づくに際して、このパドマサンバヴァの演じた役割は実に

大きかったようです。今でもチベットの一般民衆にとって、最も人気の

ある宗教者はパドマサンバヴァだそうです。

 

仏教伝播以前、チベットにはシャーマニズムの範疇に入るポン(ボン)

教という固有に信仰が存在していましたが、それが密教を受容する基盤

となってポン教は密教との関係を深めていき、パドマサンバヴァを支持

する人々は、インドから伝わった密教呪術とポン教を融合させて、やがて、

ニンマ派というチベット仏教の有力な宗派を形成していくことになります。

 

「ニンマ」とは古いという意味で、呪術を中心とする比較的古いタイプの

インド密教を伝承するところからこう呼ばれているが、ニンマ派の場合は、

もともと在家の密教行者を中心としており、派としての統一性はごく薄く、

一人一派、一寺院一派的な傾向が強いという。他宗派からは、仏教以外の

要素が多すぎると批判されながらも、逆に、それゆえに庶民の支持は強く、

今も大きな勢力を保っているということです。

 

ところで、9世紀の中頃、仏教を弾圧したとされるダルマ・ウイドムテン

王が即位し、その後、この王が暗殺されたことが引き金となって古代チベット

王国は崩壊することになります。仏教も、主流は王権によって擁護された戒律

重視の出家教団であり、民衆から本当の意味で支持されていなかったために、

王権の没落と運命をともにすることになったようです。

 

ここまでをチベット仏教界では、「前伝期」といい、この時期までにチベット

に入ってきた密教経典を「古」訳と呼ぶそうです。一方、中央チベットで

戒律の伝統が復活した10世紀の後半以降を「後伝期」といい、これ以降に

チベットに入った密教経典を「新訳」と呼び、新訳を奉じる人々をサルマ派

と呼ぶそうです。

 

この前伝期から後伝期に至る約100年の間、混乱が続いたということですが、

著者は、この短くない時間は、新しいチベット仏教を生みだすために絶対必要

な揺籃期であったと述べています。つまり、パドマサンバヴァに象徴される

密教呪術は、広く深く民衆の間に浸透していき、また、仏教教団は、王室の

保護といった、従来とは異なる形態を模索せざるを得ず、新たな形態として、

傑出した僧侶のもとに弟子たちが形成されるという、いわゆる宗派教団が

誕生しはじめたというのです。

 

さて、10世紀の後半、西チベットに古代チベット王国の末裔たちがグゲ王国

という新しい王国を建設し、仏教を擁護したという。彼らは戒律を重んじる

出家主義の仏教を望んだようですが、この頃、インドでは、無上ヨーガタン

トラ系の密教が全盛を迎えており、新時代の仏教経典翻訳史の冒頭を飾る

訳経僧リンチェン・サンポが訳出してチベット仏教復活のきっかけとなった

経典の中には、100部以上の密教経典が含まれていたということです。

 

そんななか、招へいされてインドからやってきたアテーシャという僧が

多くの弟子を養成し、また、小乗、大乗、密教のそれぞれに価値を認めた

上で、密教、特に無上ヨーガタントラ系の密教に至高の価値を認める書を

著わして顕教と密教を一つに統合する可能性を示したことにより、後世

に大きな足跡を残したそうです。

 

これとほぼ同じ時期、チベットの在家仏教の間でも、カギュー派の誕生

という新たな局面が展開し始めていました。この派は、キュンポとマルパ

という二人の在家密教行者から始まり、チベット史上最高の詩人と

いわれたミラレバに伝えられたということです。ミラレパは無一物の

清貧の行者として生涯を送りながら、「クンブム(十万詩)」と称される

膨大な数の詩を作り、その詩は現在もチベットの人々の間に語り継がれて

いるようです。

 

この派は、後発のサキャ派やゲルク派と違って、整然とした教理体系の

構築などにはあまり関心を示さず、もっぱら密教修行の実践に自分たちの

存在価値を見出してきたようで、この点ではニンマ派に近いところがある

という。彼らの支持母体の中核は、地域に根ざした領主たちであり、この

支持母体と、もともと秘儀的色彩の濃い密教行法とが相まってカギュー派

の性格を決定したということです。

 

また、11世紀後半、中央チベットの西部、サキャというところに、コン

チョクギャルポという人によってサキャ寺が建立されたが、ここを本拠地

としてサキャ派という宗派が形成されます。コンチョクギャルポ以前は、

古訳の密教を奉じ、在家密教行者を中心とする教団だったようですが、

新訳の密教を伝授され、次第に新訳の密教をも修することになったという

ことです。そして、コンチョクギャルポの子のクンガーニンポは、大天才で、

あらゆる密教経典の中でもっとも性的なメタファーに富むという「ヘーヴァ

ジュラ・タントラ」を典拠に、それまでインドから招請されてきた密教を

再統合し、独自の見解を加味して「道果説」という説を構築したとされて

います。

 

しかし、13世紀の初頭、サキャ・パンディタという人物が登場するに

およびサキャ派は戒律を重視し、顕教をもあわせ学ぶ宗派へ変容したよう

です。サキャ・パンディタは宗教者としての能力だけでなく、政治的能力

もあり、彼はこの頃、絶大な政治的、軍事的勢力を誇っていたモンゴルの

チベット侵攻を最小限に食い止め、加えてモンゴル王室との間に親密な

関係を結ぶことに成功したということです。

 

そして、サキャ・パンディタの甥にあたるパクパという人が、元の皇帝

フビライの帝師となり、その力を背景にチベット全土における政治宗教

両面の権力を握って、以後、100年間にわたるサキャ派の全盛時代を

築くことになるのだそうです。

 

14世紀初頭、チベット仏教界では新たなる次元への飛翔を約束する胎動が

始まったということです。その代表がプトンという人で、ニンマ派の家に

生まれ、カギュー派の教えを授かり、さらにさまざまな師から顕教と密教を

あわせて学び、チベット仏教の新展開を図ったという。プトンはアテ

シャの考え方を高く評価し、顕教と密教の両立を望み、生涯を厳しい戒律を

守る出家者として送ったということです。

 

 このプトンの考え方を継承し、さらなる成果を実現したのがツンカパ

という偉大な人であったという。ツンカパはプトンからみれば孫弟子に

あたる人で、プトンと同様、アテーシャを最高の師と仰ぎ、当然のこと

ながら、顕教と密教の統合を意図していた。このツンカパの登場によって、

チベット仏教が最高の水準に到達したのみならず、8世紀のインド以来、

常に問題となってきた顕教と密教、戒律と性的ヨーガの関係などの難問が

一応の解決をみたと筆者は述べています。

 

なお、顕教と密教の統合を図ったといっても、悟りをえて解脱するには密教

の方が圧倒的に優れているとみなしていたようです。その密教の中でも、

ンカパが最も高く評価したものは「秘密集会タントラ」の「聖者流」の

修行法であった。彼の構築した体系の中では「秘密集会タントラ」が頂点に

位置し、ありとあらゆる仏教の思想や修行法は、このタントラによって包含

されると説いたと言われています。

 

ンカパは、密教を学ぶ者には、あらかじめ顕教を十二分に学ばせ、

しかるのち、その適性を見たうえで、密教の道に入らせるという規定を

厳格に定めていたということですが、密教を学ぶだけの才能に恵まれた

人材はなかなかいなかったようです。

 

ンカパが晩年にいたって開いた宗派はゲルク(徳行)派と呼ばれました。

ゲルク派はすべての仏教宗派の中でいちばん厳しい戒律を持ち、生涯にわたり

独身を貫くという。そうしたゲルク派の気風は、従来の宗派がややもすれば

戒律を無視し、堕落しかねない傾向にあったのに対し、きわめて清新で多く

のチベット人の支持を受けたという。よって、やがて、ゲルク派は拡大し、

モンゴルへの布教にも成功をおさめてチベット仏教最大の宗派に成長して

いったということです。

 

しかし、ゲルク派の成功は、その後、他宗派からの嫉視を招き、チベット

高原全体を巻き込む抗争に発展していったという。この抗争は2世紀近く

も続き、17世紀後半に至ってゲルク派が勝利したが、その抗争も勝利

もツンカパの教えとはまったく無縁のものであったということです。

 

その後も、ゲルク派の密教は、そして他宗派も、いくつかの曲折はあった

ものの、基軸をなすところは、歴代、忠実に受け継がれてきた。しかし

ながら、1959年のチベット動乱、さらに、その後の文化大革命に

よって、1500年来、チベット高原に根差してきた密教の歴史は

終焉を迎えることになってしまいます。

 

だが、著者は、これでチベット密教が完全に消滅したわけではないと

いう。彼らはこの危機を、みずからの精神文化を世界に広める絶好の

機会ととらえ、各地に拠点を設けて、チベット密教の普及に乗り出した

のであり、そのしたたかさは、まさに目を見張らせるものがあると述べ

ています。

 

ただし、問題もまた山積しており、政治上の難問は措くとしても、欧米

によって育まれ世界中を席巻している物質文明に対峙するだけの力を

持ちうるのか、その真価を問われるのは、むしろ今後であろうと主張

しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「チベット密教」-後期密教(無上ヨーガタントラ)とは何か-





チベット密教1



これまでチベット密教に対しては、相反する二つの見解が存在したという。


一つは、チベット密教は堕落した仏教であるという否定的な見解であり、




もう一つは、チベット密教は最高の宗教的叡智であり、人類が直面して




いる難問の多くを解決する力を持つという礼賛の見解だというものです。




 




著者は、これら二つの見解はいずれも極端すぎるとしながら、こうした




相反する見解が生じた原因は、チベット密教に関する正確な知識と情報




が今まであまりなかったことによると述べています。




 




つまり、チベット密教否定論には、修行法とそれを支える理論に対する




理解が大きく欠落しており、礼賛論には、チベット密教の形成過程の




歴史に関する理解がほとんど欠落しているというのです。




 




チベット密教というと、我々がまず思い浮かべるのはオーム真理教との




関連であるが、著者によると、彼らのチベット密教に対する知識には




極端な偏りがあるという。彼らはチベット密教の修行法やそこから生じ




るとされる神秘体験、とりわけ、瞑想法について詳しい情報を持って




いたが、その反面、チベット密教の歴史については、まったく知識が




ないと言えるほどであったということです。




 




彼らは、密教を学ぶ前提である顕教、つまり一般仏教に関わる知識も殆ど




欠落しており、マハーヤーナ(大乗)を標榜していたにもかかわらず、




大乗仏教の根幹である「空性」をまったく理解しておらず、「真我」の




実在を前提にしていることからもわかるとおり、実在論的であり、




それゆえに、あらゆる領域にわたり、大乗仏教が最も忌む「実体化」




という誤謬が生じていたと述べています。




 




もっとも、チベット密教の歴史においても、オウム真理教に似た密教集団




や人物がいたようで、10世紀から14世紀ごろまでは、インドの密教




経典に書かれたいささか風変わりな内容の記述を、それが隠喩や象徴とは




見なさずに、そのまま実践に移したり、ときには黒魔術的な行法による




呪殺を実行してしまったりした例が少なくなかったということです。




 




特に、ラ・ローツァワ・ドルジェタクという人は、自分に敵対する者を、




ヴァジュラバイラヴァ(金剛怖畏)を本尊とする密教修法によって、




次々に葬り去ったという。彼が用いた秘儀は、「度脱法(ドル)」と言い、




ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前に、ヴァジュラバイ




ラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体と




される文殊菩薩が主宰する浄土へ送り届けるというもので、オウムの




「ポア」の論理そのものであったようです。




 




よって、ドルジェタクに象徴されるような暗黒面を払拭することが




チベットの宗教者、修行者に課せられて使命でもあったということ




です。




 




さて、著者は、チベット密教とは何かを紹介するにあたって、まず、




その受容元である当時のインド仏教がおかれた状況から説明を




していきます。




 




ブッダが仏教を創始して約千年後の5世紀のインド宗教界では、長らく




続いてきた仏教とヒンドゥー教の拮抗状態が破れ、ヒンドゥー教の




優勢が明らかになりつつあったという。




 




それは、仏教が概して知的水準の高い人々を布教の対象としたゆえに、




都市型宗教にならざるをえず、かつ僧院中心の活動に終始して、農村




や一般庶民層への浸透をはからなかった点にその根本原因があると




しています。




 




この時期すでに、仏教を庇護してきた巨大な王朝はなく、異民族の侵入




と東西交易の退潮は都市の衰微をもたらし、僧院の後援者である大商人




たちも没落していた。インドの政治と経済の重心は、ヒンドゥー教が




従来から支持基盤としてきた農村社会に移り、この方面で根を張って




いなかった仏教は、衰退を余儀なくされたようです。




 




しかし、仏教サイドもただ手をこまねいていたわけではなく、仏教を




再生させようという革新的な試みが、他者救済による解脱を志向する




大乗仏教の中から現れます。それは、一つには、ヒンドゥー教の成功




に学ぶ、つまり、彼らが得意としてきた様々な儀礼を、いわば換骨




奪胎して、仏教に組み入れること。もう一つは、他者救済という理念




が先行して、肝心の理念を実践するに足る心身の開発を怠ってきた




大乗仏教そのものの刷新でした。




 




ブッダ以来、仏教は「行」の宗教として発展してきたが、その行の




中核であるヨーガは5世紀に入り、大きな転換点を迎えていたと




いう。性欲に代表される生命エネルギーを抑制して、寂静たる解脱




をめざす旧来の「寂静の道」から、むしろ、生命エネルギーを活性化




し、さらにそのエネルギーを浄化することで解脱にいたろうとする




「増進の道」へと転換しようとしていたということです。




 




こうした事態を受けて、一部の尖鋭な仏教者たちは、霊(精神)と




肉(身体)の再構築を図ろうとしたという。それは、霊の変革は




霊のみによっては不可能であり、肉の変革こそが霊の変革を可能に




するという結論を導き出したのだそうです。




 




かくして、大乗仏教の中から、密教、仏教密教が芽を吹いたという




ことです。それは、儀礼主義、象徴主義、マンダラに結実した壮大な




神々のパンテオン。そして、新たな霊肉の関係から生まれた修行法。




これらを駆使して究極の仏として崇める大日如来と自分とが、本質的に




は同一であると真に認識するとき、密教者は解脱を遂げるのだそうです。




 




もっとも、5世紀段階の密教、つまり、前期密教は、いまだ呪術による




現世利益が中心であり、解脱のための方途という次元には達しておらず、




解脱が目的となるのは、6世紀以降のことであり、中期密教が登場




して以降のことのようです。




 




前期密教と中期密教の相違について、著者は、次のように指摘しています。




 




まず、前期密教の修法の目的が除災招福を中心とする現世利益にあった




のに対し、中期密教のそれは解脱を希求する。




 




前期密教では、印契(手印)、真言、観法がそれぞれ別個だったのに対し、




中期密教では、それら三者を統合して身体、言葉、精神を一体化した




組織的な修行法が完成された。




 




前期密教では「仏説」を標榜するものの、現世利益のみを志向して




理念性は希薄だったのに対し、中期密教では大乗仏教の理念が、




象徴化というプロセスを経て凝縮されている。




 




アーリア系起源、非アーリア系起源を問わず、仏教に摂取された種々




の神々のパンテオンを整理し体系化して、仏、菩薩、明王、諸天など




から構成されたマンダラが修行および儀礼のための、いわば装置




ないし道具として描かれるようになった。




 




前期密教では釈迦如来が説法する形式をとるのに対し、中期密教では




真理そのものの人格化というべき大日如来の教説という形式をとる。




 




そして、以上のような中期密教の新しい要素を盛り込むことに成功した




のが、日本密教においても最重要の経典と目されてきた「大日経」と




「金剛頂経」だということです。




 




かくして、中期密教、特に「金剛頂経」は、他者救済に代表される




大乗仏教の理念をかなりうまく「密教化」したようですが、修行法の




開発は、まだまだ不十分で中途半端であったということです。




 




では、インド人密教者はどのような形で活路を見いだしたのでしょうか?




 




そこで、密教だけが見いだしうる特有の発想であり、かつヒンドゥー教




がまだ手をつけていない領域はないかという問いを発するなかで、仏教




密教が発見したのが「性」という領域であったのだそうです。しかし、




性は、あらゆる時代のあらゆる宗教にとって、封印された領域であった。




仏教密教は、ヒンドゥー教でさえ忌避してきた領域にあえて踏み込む




ことで、仏教の劣勢を回復しようとしたと思われます。




 




どうも、この途方もない試みは、この世のありとあらゆる存在も現象も、




本質的に清浄であって、人間のもろもろの行為もまた本来、清浄なのだ




という大乗仏教に特有の考え方にもとづいているようなのです。




 




もともとインドには、究極の知恵は究極の快楽と不可分の関係にあると




いう認識が存在し、8世紀以降になって、そこに大乗仏教にとっての




最も重要なコンセプトである「空性」を性の快楽として把握する見解、




すなわち、「大楽思想」が登場したのだそうです。




 




後期密教は、8世紀後半から13世紀にかけて、三つの方向、すなわち、




父タントラ、母タントラ、双入不二タントラに分かれて展開を遂げた




ということですが、性と戒律との相克、そして、呪殺、黒魔術的な行為




への逸脱という難問を抱えるなか、1203年、インド仏教最後の大拠点




であったヴィクラマシーラ大僧院がイスラム勢力に攻略されることにより、




インド仏教の命脈が断たれてしまったということです。




 




かくして、著者は、仏教史上、最も困難な問題の解決は、インド仏教の




後継者たるチベット密教の手にゆだねられることとなったというのですが、




そのことは次回に触れてみたいと思います。




 




 
















 

 



 



 



 



 



 



 




































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いま仏陀は何をしているのか-シュタイナーの仏教論2­-




ルカ福音書講義
神体霊魂イエス下 




シュタイナーによると、紀元前6世紀、肉体をまとい地上に降りた仏陀は、

その目的を達し、「これが最後の受肉だ。もう受肉することはない」と言う


ことができたという。


 


しかし、それは仏陀のような存在が地球から完全に手を引くということでは


なく、物質体に受肉することはないが、アストラル体やエーテル体をまとって、


世界に働きかけるのだそうです。


 


仏陀は、以前の何度もの受肉において、菩薩という非常に高い進化段階に達し


ていた。身体に受肉してはいるが、神的-霊的存在たちと交流し、高次の世界


から人間に伝えるべきものを受け取る存在が菩薩である。釈迦は、仏陀になる


前は菩薩であった。菩薩のような存在は、地球進化のはるかな過去に、ある


決った使命を高次の世界から受け取り、その任務を果たしていくとシュタイ


ナーは述べています。


 


菩薩は、ただ一度完全に人間のなかに受肉する。そして、そのあと、菩薩は


再び霊的な世界に退く。仏陀になったあと、菩薩存在は、地球から霊的な高み


へと退き、そこに滞在して人類を導くのだそうです。


 


シュタイナーによると、仏陀になった存在は、三つに体を区別できると


いうことです。


 


まず、仏陀になる前、菩薩として高みから働きかけているときの身体で、仏陀


の働きに必要なものすべてを含んでいない身体である。仏陀がこのような身体


の中にいるあいだ、この身体を「法身」という。つぎに、仏陀が受肉して形成


し、まとっている身体で、この身体の中で、仏陀がみずからの内に有するすべて


が物質体において表現されている。この身体を「成就体・報身」という。さらに、


仏陀が涅槃を通過したのちにまとった身体で、この身体が「応身」といい、地上


に働きかけることができるとしています。


 


「ルカ福音書」にあるように、仏陀の応身は、野宿をしていた羊飼いたちに、


イエスの誕生を告げる天使群の姿で現れた。仏陀は応身のなかで輝き、羊飼い


たちに、みずから開示したという。


 


そして、仏陀の応身のなかに存在するものが、霊感として洗礼者ヨハネの個我


のなかで働いた。羊飼いたちにイエスの誕生を告げ、ナタン系のイエスの上に


あって輝いていた仏陀の応身が、洗礼者ヨハネに力を与えた。洗礼者ヨハネ


の説教は最初、仏陀の説法の再現であったという。


 


さらに、イエスが12歳のとき、ソロモン系のイエスのなかに受肉したゾロ


アスターは、新たなる任務のためにソロモン系のイエスを離れ、ナタン系の


イエスのなかに移行した。ゾロアスターの個我がナタン系のイエスと結び


ついたとき、仏陀の応身は、分離したアストラル的な母胎と結合する。ゾロ


アスターの成熟した個我-心魂は、仏陀の応身がナタン系イエスの脱ぎ捨て


たアストラル的な「母胎」を受け取ることによって得たものと合一できた。


ナザレのイエスのなかに、仏陀の若々しい応身によって輝かされ、霊化され


たゾロアスターの個我を見ることができる。仏教とゾロアスター教は合流し、


ナザレのイエスのなかに生きたのであるとシュタイナーは述べています。


 


このように、地上の肉体のなかに受肉する必要のなくなった仏陀は、地球


から離れていき、精神界(霊的世界)から地上に作用を及ぼすことになるが、


それに代わる新しい菩薩がやってきて地上で活動するという。それが弥勒


菩薩である。仏陀の後継者の弥勒が仏になる時期は正確に決められている


という。仏陀が菩提樹の下で悟りを開いてから5千年後、現在から3千年


後に、世界は弥勒仏の受肉を体験することになるということです。


 


なお、宇宙と地球に関係する菩薩は12人いて共同体を形成している。


釈迦もそのひとりであった。そして、その中心にいて、12人の菩薩に


叡智を流し込む13番目の存在をキリストと呼ぶというのだそうです。


 


さて、精神界(霊的世界)における仏陀の任務はどのようなものでしょう


か?高い叡智の力を永久に人々の心のなかに燃え立たせるという任務だ


そうです。世界を貫くこの流れが仏陀の流れであり、それは概念化された


形で現代にも流れているようです。


 


それでは、仏陀は、具体的に、いまどこで何をしているのでしょうか?


シュタイナーによると、仏陀の活動の場は、今日の天文学が火星と呼んで


いる惑星に見出されるという。仏陀は、1604年に火星におもむき、


キリストが地球上でゴルゴダの秘儀を成就したように、火星上で特別の


秘儀を成就することになったのだそうです。


 


仏陀の教えは死者たちに特別の価値をもっており、火星を浄化するために、


仏陀のおしえをもたらすことが必要だったという。17世紀に、平和の王子


である仏陀は戦争と闘争の星である火星におもむき、火星上の好戦的で凶暴な


死者たちに、解脱の教えを浸透させることになったということです。


 


もし、仏陀が地球領域で活動を続けていたら、仏教的もしくはフランシスコ


会的な僧を作り出すことしかできず、ほかの魂は物質文化に没頭することに


なったであろうと、シュタイナーは述べています。


 


かくして、シュタイナーによると、平和と愛の最大の君主、地上における慈悲の


担い手が火星に移されて、火星進化全体の頂点に働きかけている。心魂的、精神的


(霊的)な性質のものであるが、好戦的な力の渦巻く火星上で、仏陀は「磔刑」に


なった。涅槃の師、再受肉への衝動から魂を解放する偉大な師は、神々の計画に


したがって、地上ではなく、生死のかなたで活動を続けているということです。


 


ところで、前回も紹介した水波一郎氏は、シャカ、すなわち仏陀について、シュタ


イナーとは異なる見解を、その著書「神体」および「霊魂イエス」(下巻)のなかで


次のように述べています。


 


「キリストとは、物質の世界にいながらも、神霊としての身体である「神体」を


持った偉大な魂である。」(キリストとは称号であり、シャカもイエスもその


キリストの一人である。)かつて、「人類が救い主を求めた時、神々は決意された。


物質の世界において自由を奪われ、不幸の中で泣き叫ぶ哀れな人類のために、


6名の神霊を上級霊界へ落とされたのである。この6名は神々であられた。


しかし、それを放棄された。人間の自由と幸福のために、いつか必ず救いを


得られるようにと、6名の神霊は自分自身を退化させられたのであった。


この6名こそが、高級霊魂が言うキリストなのである。」


 


「その神霊が霊的生命体進化の法則を無視して、霊魂として退化することは、


不変の神の法則を打ち破る事であった。したがって、キリストとは、不幸に


苦しみ人間のために、至上の神に反抗し、自らを低下させ、苦悩を背負い、


結局、人間に無視された神霊なのである。」「彼らはある時はルシファーと


呼ばれ、ある時は「シバー」と呼ばれ、また、ある時は「スサノオ」と


呼ばれた。」「キリストはいつか、神々の世界へ戻る存在である。しかし、


キリストはまだ霊魂として活動している。」と。


 


そして、また、次のようにも述べています。


 


「シャカもイエスと同様、霊質界における霊魂としての最終段階ともいえる


修行を行っていたのである。その時、シャカは霊質界の最上部へと足を進めた。


そこには、真に高貴な霊魂達がいらっしゃる。そこへ上ったシャカは、一人座り、


神霊に祈った。」「少し時が流れた。」「神霊の光がシャカに直接流れ入った。


これにより、彼は今まで以上に高貴な魂となった。」


 


「シャカもイエスと同じように、死後、上層幽界を経て、上級霊界へと上がり、


そこでの様々な修行を終え、やはり、下層幽界の霊魂の指導、物質界の人間の


指導を終えて、仏教系霊魂団の長となるに至ったのである。当初は、仏教と、


仏教国中心の指導であった。しかし、彼も神霊より指示があり、イエス同様、


世界全体を指導する霊魂団の組織に加わっていた。彼もイエスと同様の使命を


持っていたのである。」と。












 



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シュタイナーの仏教論-真実の仏陀-


シュタイナー仏教論集


シュタイナーによると、「ルカ福音書」には、仏教的な世界観が、それも独特な

形で、つまり、素朴で簡素な感情に理解できる形で流れ込んでいるという。

 

本来、偉大な仏陀の教えとして現れたものは、ある程度まで理念の高み、霊の

純粋なエーテルの高みにまで上昇した者にのみ理解可能な世界観であり、その

理解には本格的な準備、修行が必要であるが、「ルカ福音書」には、霊的実質

が感情に特定の方法で作用できるように含まれていて、仏教の霊的結晶が、

紀元前6世紀にインドで人類に贈られたときよりも、もっと高められたかたち

で流れて出てくるというのです。

 

さて、シュタイナーによると、紀元前6世紀ごろ、東洋には、まなざしを

あまり外的、感覚的なものに向けない人々がとどまったため、仏教のような

教えが必要となり、仏陀は宇宙進化のこの時点に出現しなければならなかった

という。仏陀は人々の魂のなかに、前時代の霊的世界への憧憬を目覚めさせる

ために、人々が物質界へ下ることになった原因である渇望について教えを説いた。

つまり、魂が霊的世界への傾向を持ちながらも、もはや霊的世界に参入する能力

を失った時代に、仏陀は教えを説いたということです。

 

仏陀は、「生まれた人間を見よ。人間は微細身(エーテル体)とともに、前世

から蓄えてきたものをもたらす。微細身のなかに、前世から蓄えてきたものが

書き込まれている」と言ったという。それは、生命への欲望、存在への渇き、

存在への欲望として、人間を現世に引き入れる力を持っている。それは、

前世から、ひとつの傾向、力として人間のなかに存在するもので、この力を

仏陀の弟子たちは「行」と名づけたということです。

 

そして、その「行」から一個の内的思考器官を形成し、そこから発生した

思考実質は、いまの人間から、いまの個体、すなわち<名色>を形成する

というのです。

 

つまりは、「人間が霊視力を持ち、物質存在の背後の世界を見ていた太古の

時代、人間たちはその世界をすべて同じものと見た。しかし、無知が世界

の上に闇として広がったとき、他者と区別される個々の性向がもたらされた。

そして人間を、心魂の様々な形態ともなった存在にした。個々人は、他者と

自分を区別する決った名称、<我慢>をもったのである」ということです。

 

さらに、人間の内面で、前世からたずさえてきた、個体性を形成する名称

と形態の働きの下に作られるものが、人間のなかで内面からマナス(意)

と5つの感覚器官、いわゆる六根を形成する。六根が形成されたことに

よって、下界との接触が生じ、接触によって感受が生じ、そして、感受

によって下界への付着が生じた。下界への付着を求めることによって、

苦痛・苦悩・心痛・憂慮が発生したということです。

 

現在の人間存在の核を体験した仏陀は、その体験のすべてをベナレスに

おける説法でまとめ、この説法から、仏陀としての活動が始まります。

 

シュタイナーによると、仏陀は、「太古の知は消え去った。人間はもはや、

エーテル体の器官を使用できない。しかし、新しい知を有することができる。

外的な器官が外的な物質界のなかで観察するものを助けとして、アストラル

体が最も深い力をとおして人間に与えることのできるもののなかに沈潜する

ことによって、その知を人間は自分のものにできる。」「人間の知らないものが

前世から残されていることが、世界における苦の原因である。人間が前世から

有していたものが、世界についての無知の原因になっている。それが人間に

とって苦悩、苦痛、憂慮の原因である。しかし、アストラル体のなかにある

力を知り、そのなかに進入すると、以前あったものとは関係ない、固有の知を

自分のものにすることができる」とし、このような「知」というものを、かの

「八正道」をとおして人々に伝えようとしたということです。

 

八正道とは、いうまでもなく、正見(しょうけん)、正思惟(しょうしゆい)、

正語(しょうご)、正行(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精進

(しょうしょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)の八つ

の徳を言いますが、仏陀は、この八正道を考慮することによって、次第に

存在への渇きが消え、過ぎ去った人生からやってきて心魂を奴隷にするもの

すべてから自由になると信奉者に語ったというのです。

 

かくして、シュタイナーは、「菩提樹の下で、かたよった苦行を捨てた29歳

の仏陀は、7日間の考察ののちに偉大な真理を見出す。その真理は、人間が

静かで内的な沈潜のなかで、いまの人間の能力が与えうるものを見出そうと

努めたときに現れるものである。四諦という偉大な教え、八正道という

慈悲と愛の教えが現れた。その教えが、インドの菩薩が菩提樹の下で仏陀

となったときに現れた。そのとき、慈悲と愛の教えが人間自身の能力として

人類のなかに現れたのである。そのとき以来、人間はみずから慈悲と愛の

教えを発展させることができるようになったと述べています。

 

ところで、仏陀は、「我(霊魂)および世界は常住であるか、あるいは無常で

あるか? 我および世界は有限であるか、あるいは実無限であるか?身体と

霊魂とは一つであるか、あるいは別にものであるか?完全な人格者は死後に

生存するか、あるいは生存しないか?」という問いを発せられたとき、答え

なかったということから、霊魂の存在、あるいは、死後の世界、霊的な世界

を認めなかったかのように言われています。

 

それからみると、シュタイナーのいう仏陀論は非常に突飛なもののように

思われるかもしれません。

 

そこで、水波霊魂学を主張する水波一郎氏の真実の仏陀に対する見解を

紹介しておきたいと思います。

 

水波一郎氏は、著書「神体-偉大なる魂の生涯-」の中で、仏陀について

次のように述べています。

 

歴史はインドに、あるキリスト(固有名詞ではなく、偉大な神人の称号)を

誕生させた。その魂は今、高級霊界で『シャカ』と呼ばれる仏陀である。

シャカは真理を説くために自らを犠牲にした。自己を落とすことにより

世界を照らそうとしたのである。それは仏教ではなく真実の道であった。

 

シャカが十五歳の時、一人の女性が彼を見て言った。「私が前に信じた先生

に似ている。」そして、彼が三十歳になった時、その女性はこう言った。

「貴方はなぜ神を知らないと言うのです。貴方の教えは間違っています。

貴方は嘘をついています。私は貴方を知っています。ある時、貴方が私の

夢の中で確かにおっしゃいました。『私は神である。』と。

 

そして、こうも言われました。『私はあなた方に本当の神を教えるために

降りて来た。しかし、人々は受け入れない。私は真実を説くことはない

だろう。しかし、貴方にだけは教える。別の神が地上に降りた時、私は

別の世界から人々を導こうとするだろう。』こう言われて貴方は消えました。

私にだけは話してください。貴方の本当の教えを。」

 

その時、シャカは答えた。「それは私ではない。私は人間だ。私は人間と

して真実の道を説いている。私は神を知らない。私は人間であるから

奇跡を知らない。神を求めるなら自分で見つけなさい。私は神を示すため

ではなく、人間を示すために来たのである。

 

この国は貧しい人が多い。飢えた人達にとって、本当の道は神を知ること

ではない。それはただ依存者を増やすだけである。およそ人間は神を

知ることなどできない。至上の存在は、魂にとって、法則そのものとも

言い得るからだ。人間は神より先に法則を知らねばならない。より大切で、

より身近な法則、それを知ることがこの国における人間の道である。私は

神を知らない。だから神を説かない。そして神に祈らない。私は人間を語る

のみである。貴方に伝える。人間にとって神は私ではなく、『法』である。

 

彼女は不満げに立ち去った。しかし、シャカは彼女に満足であった。彼女が

シャカに神を見たからである。」

 

我々には、仏陀の本当の姿は分かりません。しかし、仏陀が我々の想像を

はるかに越えた偉大な存在だったということだけは確かだと思います。


 
 
 
 
 

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治癒神イエスという視角-新約聖書の成立-



治癒神イエス

 

「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、

イエスのもとに連れてきた。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、

いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの

悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」

(マルコ福音書)

 

福音書には、このようなおびただしい数の病気なおしの記述がありますが、

従来から、ナザレのイエスが、福音書でしるされているような不思議な

仕方で驚異の癒しをされたのかどうかという疑問が呈されてきたようです。

 

「聖書の起源」の著者、山形孝夫氏は、できるだけこうした議論には

深入りしないとしながら、イエスの弟子たち、あるいは最初の教会が

病気なおしを行った事実は疑問の余地はないとして、その背景を

探っていきます。

 

マルコによると、杖一本のほかには、食べ物も、銭を持つことも許され

ず、ただ病気を癒す権威、悪霊を制する権威を与えられて出て行ったと

あるとおり、当時、使徒権と治癒権とは、切り放しがたく結合されて

いたということです。

 

ナザレのイエスが、他の治癒神と競合する、新しい若い治癒神として登場

することになったとすると、古代オリエント宗教史にあらわれる治癒神の

系譜では、オリエント世界に活躍した驚異の治癒神が、実は、古くは死と

再生の花婿神、豊饒の女神の配偶者神であったということからして、はた

して、イエスにどうつながっていったのかという問いを発します。そして、

著者は、イエスに着せられた驚異の治癒神の衣装について、それを古代

末期の、特異な宗教的、社会的状況から明らかにしていきます。

 

まず、古代イスラエルでは、医療行為の権限をすべてユダヤの最高法院を

とおして、集中的に祭司の手にゆだねていたようであり、一方で、魔術の

使用者に対する極刑の適用が明文化されていたようです。

 

これに対して、イエスが行ったとして福音書に描かれた驚異の病気なおし

は、不可思議な呪文や魔法の使用は言うに及ばす、全体としてユダヤの

最高法院に対する無謀な挑戦であったと言えるのであり、また、重い

皮膚病を患う人との接触という重大な禁忌の侵犯が多々あったとなると、

許されるはずもなく、告発は免れないことになります。

 

しかるに、福音書には安息日の労働禁止に対する違反告発はあっても、

イエスの奇跡の癒しに関する告発は一例もないというのです。

 

これは、いったいどういうことなのかということになります。

 

かかる疑問について、実に長い神学上の論争が繰り返されてきたということ

ですが、死海文書の発見などにより、後期ユダヤ教―エッセネ派―クムラン

教団―洗礼派のヨハネ―ナザレのイエスという図式が浮き彫りにされる

とともに、ガリラヤ地域というヘレニズム世界に通じる精神風土が育まれて

いたと思われる特異な空間の辺境性、異教性、反エルサレム性に焦点が当て

られるなかで、その理由が明らかになってきたようです。つまり、近年では、

エルサレムを中心とする原始キリスト教団に対し、ガラリヤ地域にもマルコ伝

に暗示されるような驚異の病気なおしの信徒集団が存在していたこと、前者が

救い主メシア=キリスト伝承の担い手であったのに対し、後者は、イエスの

奇跡物語の伝承の担い手であったことが疑い得ないものになってきたという

ことがその疑問を解くカギだというのです。

 

とにかく、当時、つまり、1世紀から2世紀にかけて、疫病が流行し、医神

アスクレピオス崇拝がヘレニズム都市への拡散がはじまるなかで、キリスト教

がヘレニズム世界へと浸透していくためには、その活動を他の治癒神との競合

というかたちで開始されねばならなかったというわけです。

 

治癒神アスクレピオスは、オリンポスの神々と違って「たずね歩く神」であった

ということですが、イエスこそは、アスクレピオス以上に、都市でも村でも病人

を求めて遊行する神として登場します。驚異と不思議の病気なおしの神は、アー

カイックな死と再生の痕跡に加えて、彷徨し、遊行する神々の明白な特徴を身に

おびて活躍します。

 

さて、それではイエスの行った治癒とはどのようなものだったのでしょうか?

 

共観福音書から治癒に関する記事を拾いあげると、挿話も含めて115話の

治癒物語が記録されているということです。その中で、第1位は、「悪霊憑き」

で48話もあり、次に盲人の13例、そして、重い皮膚病9例、死者の蘇生

9例と続くようですが、アスクレピオスの疾病例には「悪霊憑き」、そして、

重い皮膚病、まして、死人の蘇生などはまったくなかったようです。ここから、

アスクレピオスの場合は、宗教的なタブーに触れることを避けたのに対して、

イエスは正面からタブーの危険に挑戦したことになります。

 

さらに、それはいかなる手だてをもってなされたかということになりますが、

著者は、「手だてはなかった。しかし治癒神イエスは、「汚れた者」や「悪霊に

取りつかれた者」や「罪人」に背負わされていたマイナスの価値を、プラスに

むかって一挙に逆転させる驚異の力をもっていた。」「「医者を必要とするのは、

丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、

罪人を招くためである。」(マルコ) 治癒神イエスの超能力は、こうした「言葉」

の中に、その驚異の秘密がなかったか。こうした「言葉」によって、イエスは

自由に、大胆に、禁忌の中心に侵入することができた。たしかに治癒神イエス

には、医術を駆使した痕跡はない。しかし、こうした「言葉」の駆使によって、

イエスは正面からタブーに挑戦し、激烈な競合と葛藤の末に、圧倒的な優位を

誇った治癒神アスクレピオスを、遂に駆逐することに成功したのである。」と

主張しています。

 

しかし、キリスト教のその後の歴史は、素朴な仕方で、使徒権とひとつに

なっていた治癒権が、いかに法衣をまとった教皇や枢機卿たちの操作する権力

へ迅速に収束されていったかを物語っています。皮肉にも、313年のミラノ

勅令によるキリスト教公認によって権力機構への変質が始まったようです。

4世紀をすぎる頃には、驚異と不思議の治癒神イエスは、精巧なドグマの

キリスト像に仕上げられ、癒しの宗教としての原初の姿を急速に失って

いくことになります。

 

ただし、著者は、民衆は、そうではなかったと言います。民衆は、イコン崇拝

や聖母マリア信仰というかたちで、教会に対する果敢な治癒権の奪回闘争を

敢行していたのだと言うのです。驚異と不思議の癒しの信仰は、このイコン

とマリア崇拝のなかに、素朴で奔放な民衆宗教としての原初の生命を保持して

いると思われてならないと述べています。

 

そこには、カナン神話に登場する太古の豊饒の女神の熱狂的な歓喜と悲嘆が

根強く生き続けているのだと言います。ふたつのマリア像、悲しみのマリア

と祝婚のマリア、民衆はそこに、権力によって葬りさられた美しいカナンの

女神の、悲嘆と歓喜の花嫁の似姿をみたのであるというのです。







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「聖書の起源」2-出エジプトと契約祭儀伝承-


モーセ

アブラハムから始まる遍歴の旅は、ヤコブの代にはエジプトのゴシェンに

まで達していましたが、モーセによるエジプト脱出を境に新たなる展開が

始まります。

 

出エジプト記の物語は、英雄モーセの誕生から、モーセのエジプト人殺害と

ミデアンへの逃亡、モーセの召命、弾圧の激化、逡巡するモーセと神の促し、

王との争い、10の災禍、過越と種入れぬパンの祭り、そして、脱出決行と

葦の海の奇跡の勝利に至る一大ドラマからなっています。

 

しかし、この伝承の背後に何らかの歴史的事件が存在したことを想像すること

はできるが、傍証する資料がないため、物語の史実性は疑問視されています。

 

われわれが確認できるのは、イスラエルが、彼らの神ヤハウによって、エジ

プトから導き出されたということ、つまり、エジプトの隷属からの脱出という

主題のみであるというのです。

 

ここから、著者、山形孝夫氏は、出エジプト記全体が一つの完結した神話で

あり、祭儀ドラマであるという見方を紹介しながら、論を進めていきます。

 

それによると、祭儀の折に朗読される式文であり、かつ、ドラマとして演じられ

た一種の祭儀劇であったということです。古代オリエントの「過越祭」の伝承に、

モーセの英雄物語や葦の海の奇跡がとり込まれ、イスラエル解放の闘いと勝利

の歴史ドラマに再生されたというのです。

 

つまり、元来、「過越祭」は、遊牧民が夏の牧草地へ向かって移動する前夜の祭儀

で、「種入れぬパン」の食事と血の儀式からなっていたものが、遊牧民から農耕民

への移行の過程で、農耕地を確保し、収穫を祈願する祭りに変わっていき、さらに、

祭りの主題は、エジプトの隷属から新しい沃地への導き出しというテーマに結び

つき、最終的に民族誕生を記念するエジプト脱出の歴史ドラマに発展したという

ことになるようです。

 

そして、このような神話と聖書が複雑に絡みあった例は、シナイ山におけるヤハ

ェ神の顕現を伝える伝承、いわゆるモーセの十戒物語にも見ることができと

いいます。

 

<エジプト脱出の日から数えて、ちょうど三カ月目の同じ日、神はモーセに

あらわれた。もしもイスラエルが、神に対して絶対の服従を誓うなら、神は、

その所有する全地をことごとくイスラエルに与える。神はこう言われた。>

 

まさに、イスラエルはアブラハム以来の宿願である「土地取得」と引き替えに、

神への絶対服従を求められることになりますが、民は合意し、3日後、再び、

神があらわれて律法の告知、つまり、モーセの十戒がもたらされ、民は遵守

を誓います。

 

著者は、この物語が疑いもなく、神との契約にもとづく「ヤハウェ共同体」の

成立を告げているとしながら、ここでも物語から史実性を引き出すことは断念

しなければならないと述べています。そして、このシナイ顕現伝承の背景に

ついて、次のような見解を紹介しています。

 

この伝承は、「仮庵」の祭りで朗誦された祭儀文であった。「仮庵」の祭りとは、

「過越祭」と並ぶイスラエルの祝祭であるが、本来は古代オリエントのカナンの

農民に伝わる収穫祭であった。イスラエルの民がカナンに定住した後、カナン

地域の土着信仰をヤハウェ宗教化していく過程で、こうした収穫祭に新しい歴史

的な意義が加えられ、さらにエジプト脱出時のシナイ荒野の彷徨と、天幕生活の

記憶が織り込まれ、イスラエル的「仮庵」の祭りになった。

 

とにかく、ここでの主題は、神との契約にあるとすると、では、いったいなぜ神

との契約がイスラエルにとって重大な第一の関心事になったのかということに

なりますが、著者はそれに対し、次のような説があるとしています。

 

それは契約締結がイスラエルの平和(シャーローム)に対して、必要不可欠なもの

であったから、というものです。<契約>なしにはイスラエルの平和はあり得な

かった。契約と平和とは、ほとんど同義語であったというのです。

 

ところで、平和のとは、通常、争いのない状態、あるいは心の平静な状態を意味

していますが、ヘブライ語の意味するシャーロームは、そうした意味とは全く

逆に、力のみなぎりあふれた動的な状態をさしていると言います。しかも、

それは精神の領域だけでなく、経済的にも、政治的にも、すべてにわたる力の

みちあふれた生活を意味していたということです。

 

では、シャーロームの獲得はいかにすれば可能か。それは、イスラエル12部族

の強力な団結しかありません。しかし、部族間同志の相互的な盟約が利害に対し

ていかにもろいか、同朋同志の信義がどれだけ容易に破られ得るかを彼らは

知っていたがゆえに、団結のための、ただひとりの神を必要としたのです。

すべての同朋、すべての部族が同じひとりの神に仕えるということです。

 

よって、こうした唯一神的な神の選択以外に不動の選択の確保はなく、

「わたしは、あなた以外の神を拝まない」ことが、シャーロームの第一の

条件になります。

 

かくして、イスラエル共同体は、契約にもとづく「ヤハウェ共同体」として、

イスラエル王国結成に向けて突き進んでいくことになるのですが、やがて、

イスラエル民族史をつらぬく根本問題、砂漠の民の宗教が、農耕文化の

真っ只中で直面した問題が露呈されてくることになります。

 

それは、沃地文化におかされ、多神教化したヤハウェ主義、バァール主義化

したヤハウェ宗教の台頭でした。なぜにイスラエルの民は、ヤハウェから

バァールへと彼らの心を傾斜させたのでしょうか?なぜに豊饒の女神、大地

母神へと彼らの思いを移したのでしょうか?

 

まさに、イスラエル史の絶頂期の王国時代にカナン宗教の本質をなす王と神

とを同一視する信仰体系が姿をあらわし、ヤハウェに対する忠誠は衰え、

分裂と対立のなか、かの契約共同体は、虚像化し、大きく南北王国に分裂

して崩壊を始めることになります。

 

それは、著者によると、図式的にみて、沃地宗教のヤハウェ宗教化であり、

逆にまた、砂漠的なヤハウェ宗教の沃地宗教化であると言います。この

ふたつの交錯する一本の線の上に、キリスト教成立の地平がひらかれてくる。

そこに、旧約聖書から新約聖書への移行の謎があると主張しています。



 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

「聖書の起源」1-旧約聖書の原像-



聖書の起源1

著者は、冒頭で、「聖書の起源という、この途方もなく大きなテーマに、いったい

誰が、どのように答えることができるだろう。」としつつも、「しかし、この謎に

つつまれた聖書を前に、聖書の起源に深く想いをめぐらすことは、何という大きな

魅力であろうか。」と述べています。

 

そして、著者の関心は、正典結集史を語ることが目的ではなく、聖書結集以前の

聖書の世界にあるとして、本書全体の構想を三つにしぼって組み立てたとして

います。

 

一つは、旧約聖書の冒頭の、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、

つまり、モーセ五書にヨシュア記を加えた六書を中心に、旧約聖書の根本問題

を解明し、イスラエル宗教の起源に接近するとしています。

 

もう一つは、これも新約聖書冒頭の、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四つの

福音書を中心に、新約聖書結集の核となったキリスト論に接近することとし、

 

三つめに、この両者の伝承層に幾世紀にもわたって影響を与え続けた、オリ

エント神話の痕跡を資料層の分析をとおして明らかにするとしています。

 

まず、旧約六書について、とくに創世記や出エジプト記は、「実に雄大なイス

ラエル民族の起源を語る一大叙事詩」であり、天地創造、人間誕生、失楽園、

ノアの洪水があり、その物語は、アブラハムの遍歴の旅から、モーセのエジプト

脱出行為を境に、一挙にイスラエル12部族宗教連合の結成に向かって直進

して行くが、その間、1千年超、それはまことに長大な歴史物語であると

述べています。

 

ただし、このような物語の骨子となった創世記の最古の資料が成立したのが

ソロモン王の紀元前960年代だとすると、それはイスラエル王国の黄金時代

ではあるが、黄金時代はわずかソロモン一代で終結するのであり、すぐ後に、

もう、破滅と亡国が待っていました。

 

テーマは大きく一転して、王国誕生の歴史ドラマは、亡国の離散のドラマに

代わります。亡国と捕囚の苦しみが、いかにイスラエルを鍛えたか。それが

新たなドラマの主題となります。六書に続く預言書の世界は、亡国イスラエル

におけるユダヤ教誕生の物語の伏線となっていき、亡国の民は、崩壊した

国家原理に代わる新たな絆を、救い主メシアに求めて結集し、紀元前420

年代の亡国イスラエルにおけるユダヤ教の結成につながっていきます。

 

ただし、著者は、イスラエルとは、12部族の宗教連合、ヤハウェ共同体

をさしているかぎり、それはもはやイスラエル宗教とは呼ぶことはできない

とし、すでに12部族の実態はないため、神との契約は個人によるほかなく、

そこには、古いイスラエル宗教との明白な断絶があると述べています。

 

もっとも、著者は、また、ユダヤ教の結成を担った捕囚の民の辛酸の物語は、

旧約六書における12部族宗教連合結成の前史とアブラハムやモーセの

遍歴物語と酷似していて、そこには過去のイスラエルとの連続の自覚が

あり、ユダヤ亡国の経験が、アブラハムやモーセの苦難物語を介して、

新しい救国のメシア期待に結集したのであると主張しています。

 

さて、旧約の原像を求めて、まず、土地取得の伝承を探るとして、旧約聖書

の創世記を取り上げています。そして、4章のカインとアベルの物語から

始めます。

 

禁断の園の木の実を食べてエデンの楽園を追放されたアダムとイブ。この

一組の男女からカインとアベルという二人の息子が生まれる。成長して、

兄のカインは農耕者、弟のアベルは牧羊者となるが、神がアベルの供えた

捧げ物だけを心にとめられたため、カインはいたく失望し、アベルを野に

連れ出し、殺してしまう。神は激しい呪いをもってカインを断罪し、カイン

は永遠の放浪者となった。カインは永遠に放浪者とならねばならない。

こうして、カインの末裔の不幸の歴史が始まった。

 

この兄弟殺害の悲惨な物語はいったい何を訴えようとしているのかというと、

著者は、「創世記の作者は、神に背いた人間の破滅的結末をみようとしたに

違いない。」としながらも、このカインとアベルの物語の背後は、古代オリ

エント神話それ本来の動機が複雑にからみ合っているとしています。

 

この兄弟相克の物語は、メソポタミアの牧畜神ドムジと農耕神エンキム

ゥの闘争の神話の変形とみられるふしがあるが、メソポタミア神話には、

悲惨な結末はなく、カインとアベルの物語は、この「夫選び」のモチーフ

とはまた別の動機が込められているのではないかというのです。

 

それは、古代バビロニアに伝わる新年祭の逃亡司祭のモチーフです。

カインの農作物の供え物の拒否という物語の主題は、アベルに対する

えこひいきではなく、実は農作物の不作という古代社会の切迫した状況を

伝えるもので、カインの殺害行為は祭儀的行為であり、カインは司祭と

して振舞ったものだというものです。

 

ここから、この兄弟殺害には、第一に、農耕文化と遊牧文化をめぐる太古

の闘争の痕跡を見ることができるとし、第二に、さすらいの民であった

イスラエル民族の、幾世代にもわたる長い砂漠の生活から農耕文化へ、

彼らの生活形態を転換しつつある様が浮き彫りにされているとしています。

 

さて、カインの末裔の滅びのドラマは、“ノアの洪水”というかたちで

やってきます。それは、地のおもてにいたすべての生き物をことごとく

地上から拭い去る大洪水であった。雨は40日40夜、大地に降りそそぎ、

水は150日、地のおもてをおおいつづけた。水の退いたあとには、ノア

と共に箱舟にいたものだけが残されたという。

 

かくして、アダムの子、殺人者カインの末裔は滅び、「正しく、全き人」

ノアだけが生き残るとされるのですが、この神話は、バビロニアやシュ

メールの洪水神話がモチーフになっているものの、根本的な違いがある

ようです。

 

バビロニアやシュメール神話では、洪水が偶発的なものであるのに対して、

ここでは、洪水は人間の腐敗堕落に対する神の審判の結果としています。

 

著者は、「創世記の作者が、地上の歴史を神による棄却と選びの行為を

とおして、最後の「残りの人」にむかって収斂する救いの歴史とみている

のである」と述べています。

 

難を逃れたノアとその子らを祝福し、神は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」

と言われ、そして、再び人間の歴史が始まります。

 

ノアの末裔、セムの家系から出たアブラハム一族は、メソポタミア地方の

ウルに住んでいたが旅に出ます。彼らは定住農耕民だったのではなく、

遊牧民的-半農耕民といったようなもので、定住しようにも、そのため

の耕地が彼らにはなく、創世記が伝える彼らの旅の物語は、実は、土地取得

のための旅だったことになります。

 

こうして、遍歴の旅は開始されます。アブラハムとその家族は、見知らぬ

異邦の民のあいだを、極度な緊張と忍耐で、通りすぎていくことになります

が、著者は、「彼らの生涯かけての遍歴は、終始一貫、土地取得の願望に貫かれ

ていた。」とし、「土地を求めて、彼らはさまよい続けた。土地を求めることと、

神を求めることは、彼らの中でまったく一つになっている。彼らの願望がいか

に切実で激しいものか、測り知ることができない。」と述べています。

 

また、この遍歴の旅は、伝統志向的な性格が支配的な古代社会において、遊牧、

移動の生活から定住農耕生活をめざすという、イスラエル民族の運命を変える

使命を背負った目覚めた人間の苦闘の歴史をあらわしているということです。

 

アブラハムからイサクを経て、ヤコブにいたる遍歴物語は、イスラエルの歴史

を通じて族長史と呼ばれていますが、族長たちの遍歴物語は、構成上の複雑な

曲折にもかかわらず、全体として「土地取得」というただ一つの主題に貫徹

されているとしています。

 

しかし、この主題には、イスラエル民族の二つに引き裂かれた運命が暗示

されているというのです。カインに対する神の呪いには、伝統文化を否定し、

その破壊者となった農耕文化に対する断罪の響きがあるが、次に、この

呪われたカインの血から、いかにしてイスラエルは解放されることができる

かが問われることになります。

 

かくして、罪の問題は、イスラエル民族をゆるがす根本問題として、すでに

予見されているものの、問題は、いかにして神との間に「和解」を取り戻す

ことができるかにかかっているとして、物語は、「出エジプト記」へと入って

いきます。




 
 
 
 
 
 
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