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「霊術家の饗宴」



霊術家の饗宴


江戸時代末期、なにもかもが新時代の到来の予感に混乱し、あわただしい

旧時代の終わりの詰めがはたされていたころ、民衆たちは未だ生活の不安

と疫病の恐怖におびえていたという。

 

町や村に漢方医はいたが、長患いともなれば薬代はかさみ治療効果にも

限界があった。山間僻地ともなると頼りなる医者すら居ず、不安な日々

を過ごすのであった。こんななかで、土地の古老や医学に関心を抱いた者

が、経験的に知った怪しげな煎薬を与え、ただひたすら病者の回復を願う

といった状況であったようです。

 

著者の井村宏次氏によると、今日まで伝わっている言い伝えのなかに、多種

多様な病気治療法をみることができるが、この種の言い伝えに関する文献を

あれこれ見ていると、積極的な内容のものより不吉な内容のものの方が多い

という事実に気づくという。

 

他の文献をひもといても、やはり伝承集は不吉な箇条書きにみちているが、

このことは、一昔前の人々がさまざまな不安にとりかこまれていて、それを

排するために、日常的儀礼をつみかさねていたことを示している。だが、正統

医学からは価値なしとされる呪術的伝承の異常な多さは、単に彼らが科学的に

無知であったとか、あるいは昔のことですまされる問題ではないとしています。

 

ひとつには、呪術そのものの効果という問題があるが、それよりも、不安が

あまりにも大きかったので、呪術治療の方向が異常に拡張されていったという

事実の中に、著者は彼らの苦吟を聞きとることができると述べています。

 

そして、このような医学的環境の貧困は、民衆を祈祷宗教へと誘う大きな要因

を形成したといいます。つまり、江戸時代、仏教寺院は本末制度および寺請制度

をテコとして、幕府による民衆支配の機構としての位置を賦与され、経済的

または経済外抑圧者として立ち現れたため、生活と肉体の不安にとりつかれた

民衆は、表面的には菩提寺におもねりながら、祈祷宗教へと、より吸引されて

いったというのです。

 

その祈祷宗教の中心をなしたのが修験道であったことに異論はないだろうと

しながら、その山伏の近世初期からの地域社会への急速な定着の進展に注目し、

里に定着した末派修験あるいは里山伏たちが、村人の依頼によって、鎮守の

別当となるケースが多くみられたとしています。

 

また、山伏は、葬式、仏事に関与することを禁じられていたため、葬式仏教たり

えず、現世利益、とくに加持祈祷に活路を見出さざるをえなかったという側面も

あったということです。

 

また、近世末期には、それと同時に、これら山伏とは別に、いわゆる、巷のまじ

ない師が続々と登場したし、さらに、幕末に誕生して、今に至るまで影響を与え

続けている、黒住、天理、金光などの新宗教が、洋漢両医学の主導権争いに

あけくれる医学界、維新によって再編され右往左往する既成宗教、そのいずれ

もが民衆の声をなおざりにする状況下で、治病を武器に快進撃を開始したと

述べています。

 

では、その後、霊術、治病術というものは、どのように展開していったで

しょうか。

 

何と、当然、その中核となるはずの修験は、維新政府の宗教政策によって

大混乱に陥ったというのです。

 

神仏分離政策は、神仏習合を前提とする修験道の宗教的基盤をゆるがすもの

であった。権現は神社か寺院か、あるいはその両者に分割され、地方諸山に

奉仕する修験者たちも神職になるか僧侶になるか、あるいは環俗するかの

選択を余儀なくされたということです。ことに、庶民のよき相談相手であり、

呪術的治病に従事していた里山伏(末派修験)においては、中央政府の意向

を伺う地方庁の命令で、選択の余地もなく環俗させられるケースも多かった

という。

 

こうして、彼らのうちのある者は故郷で百姓になるべく社を去り、別の者は

新たな修行のために山へと向かい、ある一派は諸国を放浪して、火や刀を使う、

いわゆる危険術を枕に、祈祷や霊薬売りを業とし、また、ある者は町に入って

祈祷を業とする者となったのではないかということです。

 

著者の村井氏は、山は捨てたが、かといって新宗教の教祖にはならず、病気

治しのプロの道を選択した一匹狼の気合術師、浜口熊獄という人物を第一に

取り上げ、紹介していますが、彼の道筋こそが、近代末期の里修験の姿と

合致していると述べています。

 

しかし、浜口熊獄が気合いを武器に全国をかけめぐっている間に、時代は

大きく変化し新興の霊術が新しい演目となっていったという。

 

それが、幻術、つまり、のちの催眠術でした。

 

そして、大正中期から昭和初期にかけての大霊術ブームの頃には、霊術の

内容を見ると、加持祈祷や気合術といった伝統的な霊術に代わって、その

半数近くが西洋から入ってきた心理療法、つまり、暗示や催眠などの

療法になってしまったということです。

 

また、「霊術」とは言うものの、霊術家を名乗る者の多くが、神も霊も

信じていなかったようなのです。精神力こそすべてであり、それが

霊であり、物質は、神や霊に従うのでなく、精神に従うと考えて

いたようなのです。

 

 

こうなると、霊術という用語の意味はどこまでも拡大、逸脱し、よく

わからなくなってしまいます。

 

よって、今一度、「霊術」とは何か、を振り返ってみたいと思います。

 

水波一郎氏の「霊魂学」によると、本来、「霊術」とは、「霊的な技術」

の略語として使用しており、様々な霊的技術を指しています。

 

そして、その霊的技術には、人の望みをかなえるために行う技と、霊的

な治療法、祓いの法などの技術があるということです。

 

さらに、霊術の効力を決めるのは、霊的な力であり、そのためには、高級

な霊魂団の協力、援助を得なければならないとされています。

 

また、人の否定的な望みを叶えるための技の最たるものとして「呪い」の

術というものがありますが、これは、この世から無くなったほうがいい

ものであり、霊的な進歩向上をめざす者は、近寄ってはいけないという

ことであります。

 

今、流行りの「気」の技についても、一見、短期的には、心身にその効果

が求められるとしても、広い見地からみると、霊的に良くない影響をもたらす

ことがあり注意が必要だと言われています。

 

とにかく、もう一度、霊術というものの真の意味を再確認し、その大きな価値

と、他方での危険性をしっかりと見極めたいものだと思います。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体