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「ユング 魂の現実性」



ユング 魂の現実性


河合俊雄氏は、ユングにとって魂は最も重要なキーワードであろうけれども、

それだけにほとんど定義不能であると言います。

 

魂というのは、ユングにとって個人が所有している自分の心のようなものでは

なく、むしろ、魂における存在、あるいは魂の内の存在ということが言われる

ように、逆に、魂の内に自分が住んでいるのであって、魂とはそこに自分が

住んでいる世界のようなものだというのです。

 

しかし、魂は何か容器のようなものではなくて、ファンタジーという働きに

よって現実性(リアリテ)を生み出していくだともいう。

 

だから、物理的で文字通りの「現実」に主観によって媒介された心的現実が

付け加わるのではなくて、「心的現実がわれわれの直接に経験できる現実」

なのだということです。

 

また、魂は自分の魂のイメージという意味にも使われているようです。異性

像としてのイメージとして現れる魂というのがその典型的な例ですが、ユング

は魂のイメージを、こころの相補性と全体性のために異性像で現れることに

気づき、女性像をアニマ、男性像をアニムスと名づけます。アニマは気分と

して現れたり、現実の女性に投影されたり、女優、女神、魔女などの女性像

で現れることもあるとしています。

 

一方、アニムスはむしろ意見と現れ、アニマと同様、男性に投影されたり、

様々な男性像で登場したりするということです。

 

よって、これらイメージとしての魂は、自我や意識にとっての他者のように

なり、また、ひるがえっては、ユングの石の体験のように、あらゆる他者が

魂でもあると思えるとしています。

 

その他に、魂には、精神と身体、精神と物質をつなぐというニュアンスも

あるようであり、ユングにギリシャ的な精神、身体、魂という三分論が

見られるとしています。

 

ところで、ユングは死というものをどのようにとらえていたのでしょうか?

 

「死は心的に誕生と同じくらい重要で、誕生と同様に人生を統合する構成要素で

ある」そして、また、「死は心理学的に正しく見るならば、終わりではなく目標

であり、それ故に正午の高みを過ぎるやいなや死への人生がはじまる」と述べて

いるように、人生の後半を重視する心理学を提唱したユングにとって、死は常に

中心的なテーマであったようです。

 

来世や死後の世界は、ユングがその中に生きたイメージやユングの心を打った考え

の記憶から成り立っていて、それはある意味ではユングの著作の底流をなしており、

ユングにとっては、死や死後の世界というのは、真に実感を伴ったものであって、

現実性を持ったものであったということです。

 

しかし、ユングは、死後の世界、死後の生命については物語を語る以上のことは

できないと言っているようです。これが神の問題にしろ、存在の問題にしろ、

常にそれの心理学的なイメージしか対象にせず、それを物語るという形で拡充

していくというユングのスタイルであるという。

 

ともかく、ユングは夢によって、多くの神話的世界観と同じように、死者の世界

や死後の生命を実感していたようですが、そのなかで、伝統的に、死者は偉大な

知識の所有者であると考えられてきたけれども、死者は自分が死んだときに知って

いたことしか知らないとしているのは興味深いことです。

 

また、河合氏は、ユングが母親の死に際して遭遇した矛盾した感情、一方では深く

悲しみに沈みつつ、心の底では悲しむことができず、喜びを感じるという感情の

パラドックスについても次のように述べています。

 

「ユングはこのパラドックスを、死ということがあるときは自我の視点から見ら

れ、あるときは心全体から見られたためだと解している。自我の観点からすると

死は破局である。「死とはおそろしい残忍性である」として、死がいかに残忍で

あるかを言葉を尽くして強調している」「しかし他の観点からすると死は聖なる

結婚であり、喜ばしいことなのである」と。

 

そして、母の死に対して結婚式のようなお祭り騒ぎを聞いたとあるように、死と

いうものを結合として捉えるのもユングの特徴のようです。

 

ともかく、ユングの言うことは神話的世界観に共通しているけれども、それは、

たとえば、先祖は山にいると信じられているといった、単にある文化で伝承

されてきた世界観というわけではなく、ユングが経験的に確かめてきたもの

だということです。

 

ユングの臨死体験についても、特徴的なことが述べられています。

 

ユングは、70歳になる直前に心筋梗塞等で危篤状態に陥ったそうです。

そのとき見たビジョンでは、ユングは地球を離れて完全に向こう側から、

宇宙の側から地球を見ているのであるが、多くの臨死体験で体を抜け出

した魂が上の方から自分を見ているのに対して、ユングは地球のはるか

上に昇っていって、地球を見ていたという。河合氏は、個人を越えた無

意識や魂を提唱した人にふさわしい臨死体験ではないかと述べています。

 

また、臨死体験で言われる光の体験や至福感はユングにも認められるが、

苦痛があるというのが興味深いとしています。様々なことが脱落していく

のがいかに苦しかったかを強調しており、それが薄っぺらい至福感がやたら

強調される臨死体験よりも余計に本物らしいインパクトを与えてくれると

いうのです。

 

その後の回復過程で、ユングは来世における彼の結婚式のビジョンを見た

ということですが、ここからも、死とは婚礼であり、結合の神秘である

というユングの思想が、まさに彼自身の体験に基づいていることが

わかるとしています。

 

ユングは、85歳で亡くなります。彼の死に対しては、英雄視し、ほとんど

聖人伝説のような扱いをするものもあるが、一方で、ユングは悟った聖人など

ではなく、混乱の迷いのうちに死んでいったという報告もあるようです。

 

河合氏は、これほど死について考え、また、体験していながら、まだ分から

ないことや迷いがあったことが大切なように思われるとして次のように述べ

ています。

 

「臨死体験や死後の生命、異界などのイメージを取り上げてしまうと、逆説的

なことに、これらが「この世」の話になってしまいがちである」「もしも神に

ついて知ってしまっているならば、それは神は人間の世界の中に位置づけられ

てしまって、神でなくなってしまっている。死ぬ数日前のユングが、「まだ

欠けているところがある」と述べたように、知っているということは、知らない

ということに同時に裏打ちされてこそ意味を持つのである」「だから死について

もユングは知っていたし、知らなかったと考えられるのである」と。

 

ユング自身も、「われわれ自身の独自性―すなわち、究極的には限定されている

こと―を知ることにおいて、われわれはまた無限性を意識する力をもつことに

なる」と「自伝」で述べています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体