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「チベットの死者の書」



チベットの死者の書


「チベットの死者の書」というのは、原典の名称ではなく、今から70年以上

も前に、エヴァンス・ヴェンツという人物によって英訳されたときに付けられた

名称のようです。

 

彼はアメリカ生まれで、オックスフォード大学で社会人類学を学び、卒業後は

インドに渡ってタントラを学んだという。そののち、彼は5年以上にわたって

セイロン(スリランカ)やヒマラヤの各地をめぐり、都市やジャングルや僧院

を遍歴して教えを乞うなかで見出したのがこの書物だということです。

 

原典は、「深遠なるみ教え・寂静尊と憤怒尊を瞑想することによるおのずからの

解脱」という十七書の独立した作品集で、十七書全体では木版本で四百葉を

超える大部のもののうち、その三分の一を英訳したのだそうです。一般には

「バルド・ト・ドル(中有における聴聞による解脱)」という呼び名で知ら

れているものです。

 

この「チベットの死者の書」は、現在でもチベットで家に死者が出たときに、

その枕辺に密教の僧侶が招かれて唱えるお経だという。日本の「まくら経」、

「引導法」に相当する実用的な経典であり、また、その後、七日、七日ごと

に七週間にわたって唱えられる死後四十九日間の追善廻向、鎮魂のお経と

もいえるようです。

 

その内容は、死の瞬間から次の生での誕生までの間に魂がたどる旅路、七週

四十九日間の中有(バルド)のありさまを描写して、死者に対して迷いの

世界に輪廻しないように、「正しい道はこっちなのだ」と正しい解脱の方向

を指示する経典だということです。

 

もう少し具体的に言うと、チカエ・バルド(死の瞬間の中有)とチョエニ・

バルドゥ(存在本来の姿の中有)、そして、シパ・バルドゥ(再生に向かう

迷いの状態の中有)の三つの部分から成っています。

 

まず、チカエ・バルドゥは、死の瞬間に魂が経験する出来事について説明して

おり、チョエニ・バルドゥは、死に続いて起る一種の夢のような状態、いわ

ゆるカルマ(業、因縁)によって生まれる様々なビジョン、幻覚を扱って

います。そして、シパ・バルドゥは、再び現世に生まれるときの本能的衝動

と、誕生に先立つ出来事について説いています。

 

ここで注目すべきは、死が現実に訪れる最初のとき(チカエ・バルドゥ)

に、崇高な洞察と光明、さらには解脱を得る大きな可能性を与えられる

ということです。

 

その後、やがて「幻覚」の状態(チョエニ・バルドゥ)が始まるが、輝く

光りは次第に弱くなるとともに多様になり、幻影は次第に恐ろしさを

加えます。この魂の下降状態は、救いの手をさしのべる真理から意識が

離れてゆく過程を示すとともに、肉体的再生へと再び近づいてゆく過程

を示しているという。

 

よって、この経典の教えは、次々に起る惑いと混乱の各段階を通ってゆく

死者に対して、その時々になおも残されている救いの可能性に気づかせる

とともに、彼らが見る幻影の性質について説明してやる目的を持っている

ということになります。

 

しかし、このような実用的ともいえるアジアの仏教経典が西欧文化の中に

流布し、異常に有名になり、そして、日本にまで至ったのでしょうか。

 

本書の翻訳者である川崎信定氏は、1960年代に、当時全盛をきわめた

ヒッピーやフラワーピープルの間で流行したLSDという幻覚を引き起こす

薬物体験の指南書としてこの「チベットの死者の書」が崇められるように

なったことを強調しています。

 

たとえば、この「死者の書」には、次のような描写がなされています。

 

「息が途絶えようとするときに<ポア(転移)>を行うとよい。<ポア>を

行うことができないときに、導師となった人が次の言葉を告げるべきである。

「ああ、善い人(善男子)○○よ、今こそ、汝が道を求める時が到来した。汝

の呼吸が途絶えんとするや否や、汝には第一のバルドの<根源の光明>という

もの―以前に汝の師僧が授けた―あの同じものが現れるであろう。外への息が

途絶えると、虚空のように赫々として空である存在本来の姿<法性>が現れる

であろう。明々白々として空であって、中央と辺端の区別がない、赤裸々で

無垢の明知が顕現するであろう。このときに、汝自身でこれの本体を悟るべき

である。そして、その悟った状態に留まるべきである。私(導師)もまたこの

時にお導きをなすであろう」と、死におもむく者の体外へ吐く息が途絶える

前から、その耳許で何遍となく説いて、彼の心にしっかりと刻みつける

ようにするべきである。・・・・・」

 

一方、現代では使用を禁止されているが、LSDの幻覚体験には、共通の型が

あるようで、強烈な閃光、明るさ、春の叢林、揺らめく炎、明るく輝く赤、

黄、緑であり、絵にすると、ショッキングピンク色の蓮華の花と蕾、葬式の

花輪にみるような艶消しの濃い緑色の蓮の花、同じ緑色の種子状のもの、

あるいは母胎・子宮を思わせる形状があるという。

 

そのほか、研ぎ澄まされたような感覚の高揚、永遠の時間との接触、脈打つ

エネルギー鼓動の実感、内なる火の流れ、全身の溶融、流体感覚などが

LSD服用後の拡張した変性意識としてあるようで、これらが「チベット

の死者の書」の記述と類似しているとしています。

 

中沢新一氏も「三万年の死の教え」のなかで、「「チベットの死者の書」は、

死者の意識が体験するものに、さまざまな形而上学的な意味づけをおこな

おうとしています。この本を、彼らの「聖書」のひとつにしたアメリカの

若ものたちは、ですから、ぎゃくに中世チベットで書かれたこの書物を

とおして、自分たちのLSD体験に「意味」をあたえようとしていたのだ

と思います。」と述べています。

 

とにもかくにも、「チベットの死者の書」は、死のカーテンが引かれて

三日半経過して突然に意識を回復する死者の姿を提示してみせます。我々

すべてに死後三日半に必ず起ることとして、一片の疑問の余地もない断固

たる口調ですべての人にとっての死後の目覚めを断言します。

 

このように、確固たる口調のもとに、死を超えて存する生の体験を説き、

生死の枠づけを超えた存在の意味を我々に語りかけるのが「チベットの死者

の書」ということになります。

 

本書の翻訳者である川崎氏は、これを読んだ友人が「いやあ、これは死んで

からが大変なんですね」と言ったと述べていますが、死後の世界があると

して、それが本当に「チベットの死者の書」のような世界かどうかは置くと

しても、未知の世界へ行くための準備や案内が必要であり、安易にこの世と

同じような考え方で参入していったら、赤ん坊が砂漠のど真ん中に裸で放り

出されたような、大変なことになるように思えてなりません。

 

やはり、備えあれば憂いなし、ということだろうと思います。







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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体