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「観無量寿経」2-阿弥陀仏観察経典から本願力経典への展開-



観無量寿経



「観無量寿経」は、浄土三部経の中では一番あとに、つまり、4世紀末から

5世紀頃に成立したもののようで、「無量寿経」や「阿弥陀経」のように、

サンスクリット語の原典が見つからず、製作場所も、中国内、あるいは、

中央アジア、インド外域の西域等々、諸説あって特定されていない

ようです。

 

さて、前回、中国における浄土信仰の流れの中に、修行よりも罪の懺悔に

重きをおく考え方があったということを述べましたが、「観無量寿経」が

訳出されてから半世紀が経過したころ、曇鸞(どんらん)という僧が世に

出たということです。

 

当時、中国は南北朝の時代で、「観無量寿経」に出てくる「王舎城の悲劇」

を地でいくような人心の荒廃した時代であったそうです。

 

曇鸞は、あらゆる現象的存在は因縁によって生起した仮象であり、本来の

すがたにおいては何一つとしてとらわれのない空・無我であるという大乗

仏教の考え方の上に立って、空・無我の真のすがた、絶対的真理の躍動する

ところこそ、光明と寿命とのはかりない世界、阿弥陀仏の本願力の救済界

であるとし、しかも、その本願力は、最も罪深く愚かな人々、下下品の衆生

の上にこそまさしくはたらくとしたそうです。

 

この曇鸞によって、「観無量寿経」は、「無量寿経」や「阿弥陀経」等を背景と

する本願力救済経典として位置づけられることになり、その後の「観無量寿経」

理解の一大潮流を形成することになるようです。

 

そして、隋の時代に入ると、道綽(どうしゃく)という僧が現れ、「観無量寿

経」の教説こそがそのすさんだ時代と人間に最もふさわしいと主張したという

ことです。

 

道綽によれば、「観無量寿経」は「無量寿経」に示される四十八願、特にその

十八願にもとづいて、極悪の人、下下品の衆生が阿弥陀仏の名を称えることに

より、本願力の救いにあずかって最高のさとりに至らしめられることを説くの

がその本旨であって、この経は聖者ために説かれるものではなく、全く

凡夫(愚かな人)のための教えであるとしたのだそうです。

 

(なお、四十八願とは、法蔵菩薩がさとりを得て、一切の衆生を救済しようと

して立てた四十八の誓願のこと。ちなみに、重要視される十八願は、「もし

私が仏になるとき、あらゆる世界に住んでいる人々が、心の底から私を信じ

喜び、私の浄土の境地に生まれたいと願い、たった一声ないし十声の念仏を

となえるだけであっても、浄土へ生まれることができないようなら、私は

決して仏になりません。」というもの。)

 

さらに、曇鸞、道綽らの「観無量寿経」理解の傾向をよりいっそう徹底させた

のが善導(ぜんどう)という僧だそうです。

 

善導は、「観無量寿経」の説法の帰結がどこまでも「無量寿経」の十八願で

誓われ、「阿弥陀経」に諸仏の勧められる、悪人凡夫の願力による称名念仏

生を説くことにあることを徹底的に主張したということです。

 

しかしながら、その後は、中国において、善導のような本願力強調の理解傾向

は展開されなかったようで、天台宗がさかんになるにつれ、禅定し止観する

ことと、浄土を願生して称名念仏することとを併せて行うような修法が流行

して、天台的な止観実践の経典、観心・観仏の経典としての理解が強まって

いったということです。

 

さて、それでは日本における展開はどのようであったのでしょうか。

 

平安時代においては、最澄によってもたらされた天台宗の教義によって、

「観無量寿経」を阿弥陀仏観察の経典として見るものであったようですが、

源信に至って独特の「観無量寿経」観が出てきたのだそうです。

 

源信は、「観無量寿経」が菩提心を発し、戒律を守り、諸善根を修し、心を

静めて、阿弥陀仏を観念する十六観法を浄土往生の因となすことを明かす

もの、としているように、基本は、観察を中心に置く経典であると見なして

いたようですが、彼の宗教体験の深まりの中で、「観無量寿経」は彼の身体

に融け込み、独特な「観無量寿経」観を示すに至ったと言われています。

 

そして、鎌倉時代に入ると、法然、親鸞の登場によって本願力経典として

の大きな展開が図られます。

 

それまでの日中両国の「観無量寿経」の理解は、本願力救済経典としての

理解は途絶えることなく継承されていたものの、観察中心的に理解されがち

であったが、法然は、世の中の動乱を身をもって体験するなかで、「観無量寿

経」を本願力経典としてのみ理解すべきことを強く主張したということです。

 

法然にあっては、「観無量寿経」は常に「無量寿経」と「阿弥陀経」との密接

な関連の上から理解されるべきものであり、これら三経が相まって、第十八願

で誓われた念仏一行往生を説くことを目的とする経典であるとされたという

ことです。

 

そして、いよいよ親鸞の登場となります。

 

親鸞は、その深い内省と、いわゆる三願転入という宗教体験によって、独特の

経典観を打ち立てたと言われています。

 

親鸞によると、「観無量寿経」と「阿弥陀経」との説法には裏にかくされた意味

(隠)と表にあらわれた意味(顕)とがある、とされます。「無量寿経」と

「観無量寿経」・「阿弥陀経」二経の隠説とは、あいまって三経一致して第十八願

にもとづく弘願他力念仏往生の法を明かし、「観無量寿経」の顕説は第十九願

にもとづく要門自力諸行念仏往生の法を明かし「阿弥陀経」の顕説は第二十願

にもとづく真門自力念仏往生の法を示すというのです。そして、このように

第十八・十九・二十の三願による阿弥陀仏の誓い、また、それを三経で説き

ひらいた釈尊の三門のみちびきは、あらゆる者を他力念仏に帰せしめようと

するにあると見たようです。

 

また、親鸞は、王舎城の悲劇こそは弥陀の本願大慈悲海の手廻しによって、

親を殺し母を牢獄に入れ、仏法を破滅する全く善なきもの、すなわち、親鸞

自身のごとく愛憎に沈み、名誉利益をのみこれ求めて、仏とも法とも、なき

ごときものをこそ、わざわざ救うために演ぜられた悲劇であり、「観無量寿

経」の説法は「無量寿経」に示される弥陀の本願の救済がかかる悪人の上に

こそ向けられていることを明らかにするものであるという、まさに信仰的

悲嘆の叫びともいえる見解を持っていたようです。

 

かくして、このように、多岐わたる見解をもたらすに至った「観無量寿経」

ですが、石田充之氏は「観無量寿経」入門のなかで、その全体性に

ついて次のように述べています。

 

観経』(観無量寿経)の全体的な概観としてはいわゆる実践行開説経典

として、浄土往生・浄土実現の三福十六観法定散善行を、その開説の中心

主点としていることが注意されるのである。かく観経』は実践行開説経典

としての意味をもつがゆえにこそ、実践より実践へとその中心的な歩みを

運ぶ仏教の流れの上において、上述のように多岐に亘る流伝を必現せしめ

られたかとも推察される。」「観経』の三福十六観法の実践の説き方は、

観経』成立当時の大小乗諸経典儒教的倫理観等にわたるすべての実践

法則を綜合統一して浄土往生の実践としての弥陀観法に結帰せしめようと

した意図が窺われるのである。しかもまたさらにかような一般的倫理まで

関連する全仏教的実践の綜合統一が、かような実践的態度に最も背反する

阿闍世の王舎城悲劇を中心として展開せしめられている所に、観経』を

して最も現実的な生命ある経典たらしめたことが考えられる。」

 

つまり、元来、観法を示す実践的な経典の体裁をとりながらも、親族同士

が殺し合うという王舎城の悲劇を中心に展開されているところから、それを

地で行くような乱世の時代の中で、最も罪深い人のための救済経典として

発展していったように思われます。

 

 


 
 
 
 
 
 
 
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「観無量寿経」は瞑想の書?



浄土三部経




「観無量寿経」というと、浄土信仰の根本経典、いわゆる浄土三部経の一つと

して、浄土系の宗派で、仏事などにおいてよく唱えられている経典です。

 

経典を見ても漢文ですので全く意味は分からないのですが、「誰でもわかる

浄土三部経」(加藤智見 著)では、大体、次のような内容であるということ

が書かれています。

 

まず、釈迦が在世の時代に起こったとされる、いわゆる「王舎城の悲劇」が

取り上げられます。悪友にそそのかされた王子が父王を幽閉、さらには母の

王妃も幽閉してしまいます。絶望した王妃は、骨肉の争い、苦悩のない浄土を

求め、極楽浄土に生まれたいと願って、釈迦に救いを求めます。これに答えて、

釈迦は浄土や阿弥陀仏を観る十六の観想法を教えていきますが、最後の念仏

こそが最も大切であると説きます。これを聞いて王妃は回心し念仏の人と

なります。

 

つまり、釈迦が、浄土へ至るため、その浄土や仏を見るための色々な観想法、

つまり瞑想法を示し、最後に念仏が最も大切であるということを説いている

ということです。

 

ところが、ユングが「観無量寿経」について書いた「浄土の瞑想」を読んだ

とき、その読み方が大きく異なっているので驚きました。

 

ユングは、この経典を、瞑想法の経典として見ていたのです。つまり、

観無量寿経の瞑想法を、心中に起こってくる夢や観念などのイメージを

抑圧することなく、自然に、自由にはたらかせながら、具体化してゆく、

いわゆる「能動的想像」の方法と関係づけるなどして、心理学的解説を

加えているのです。そして、最後に念仏を唱える方法については、補論の

部分として位置づけています。

 

さて、このような見方の相違はどこから来るのでしょうか。

 

調べてみると、観無量寿経には、「定善観」、つまり、瞑想の力によって

浄土を見る方法、阿弥陀仏を念じてそのイメージを見ることを説く部分と、

「散善観」、つまり、瞑想によらないで、念仏により浄土に至る方法が

説かれている部分があるのです。

 

そして、十六の観想法のうち、大部分(十三の観想法)は、瞑想の修行

によるもの、「定善観」であり、段階を追って、その瞑想方法が詳しく

示されており、残り三観が瞑想によらない「散善観」なのです。

 

よって、一見すると、「定善観」、つまり、瞑想のほうにウエイトが

置かれているように思えます。

 

日本においても、平安時代は、当時の仏教が最澄と空海によって確立

された修行の伝統から生まれたものであり、この経典が瞑想法を説く

経典で、また、浄土のイメージを具体的に描写していることから、

「定善観」の部分が重要視されていたようです。

 

しかし、中国(南北朝、隋、唐)における浄土信仰の流れの中に、修行

よりも罪の懺悔に重きをおく考え方があり、それを源信が取り入れ、

法然に至って大きな流れとなったということです。

 

そして、さらに、親鸞により、浄土信仰の基本が観無量寿経から、浄土

三部経の一つ、大無量寿経に移り、中世以降、いわゆる「称名の念仏」

が主流を占めていったようなのです。

 

このような展開は、浄土信仰の担い手が、貴族、知識人から民衆層に移って

いったという時代状況の変化に伴って生まれたように思われますが、ユング

の見方、つまり、東洋におけるすぐれた瞑想の書として見ることは、この

経典の本来の内容から逸脱していないのではないかと思います。

 

よって、それがどうして、観法のほうではなくて、念仏がいちばん大切である

という結論につながって行ったのか理解しにくいところであります。

 

したがって、次回は、そのあたりを追ってみたいと思います。

 



 
 
 
 
 
 
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「霊的能力の謎-霊能力者、霊媒の真実-」を読む



霊的能力の謎

( 水波一郎 著  アマゾン 発売 )

 

霊媒であり、霊的修行法の指導者でもある著者の水波一郎氏は、従来の俗説を

大きく覆す視角から霊能力者、霊媒についての真実を著しています。

 

まず、霊能力者の現実につて、トリックやインチキは論外としたうえで、一見、

意外と思われるようなことを述べています。

 

何かを言い当てることを世の人達は期待するが、「当たるとか、当たらない

とか、心が休まるとか、癒されるとか、そうした要素は、プロとしては、

有った方が良いのかもしれないが、本質ではない」と。

 

霊能力者は霊的な能力を行使して、霊的な問題を解決するから霊能力者なので

あり、たとえ、相談者の事が当たらなくても、癒されなくても、側にいる霊魂

を指摘できる事が大事なのであり、さらにはその霊魂を排除する事を考えなけ

ればならないと述べています。

 

また、当たるということではなく、中には、高級な霊魂が協力してくれるとか、

神が力をくださるとか、宇宙神霊が背後に付いていると主張する霊能力者が

いるが、こうした霊能力者は、ニセモノの可能性が高いとしています。

 

なぜなら、霊能力者は自分の知覚で相談者の中やそばにいる霊魂を見たり、

霊魂の言葉を聞いたりしてそれを排除しようとするが、実際には、悪い霊魂は

相談者の側にはまずいない。そうなると、除霊しようが、浄霊しようが、霊的

な問題はほとんど解決することはなく、現実的には、人生論や先祖供養等の話を

することにより、気持ちが楽になったりするのが関の山であり、高級な霊魂が

力を降ろしてくれるというような霊能力者など、普通はいないというのです。

 

そして、オーラの色彩を分析する霊能力者の言うことも、インチキであるか、

錯覚であると述べています。つまり、オーラは霊的な身体から出ている光の

ようなものであり、物質の世界の色彩で表現することはできないということ

です。

 

また、よくある考え方として、霊的な能力は本来、誰にでもある潜在能力で

あるという主張は間違っているというのです。なぜなら、霊能力者とは、

インチキか錯覚でなければ特殊な状態にある人であり、正常であれば、肉体

の目では幽体は見えないが、幽体の目の視覚が、何らかのアクシデントや、

何らかの技術で肉体の視覚に転換されて、霊魂を見るということが可能に

なるのだからだそうです。

 

しかし、幽体の目と肉体の目の両方が同時に働くとなると、霊能力者という

存在は二つの世界が同時に見えてしまい、まともに生きてゆけません。よって、

実際は、状況によって、霊能力者に関与している霊魂が、必要とされる光景、

ビジョンを見せているだけということになるのだそうです。

 

つまり、霊能力者という人達は、本物であれば、全員、必ず未発達な、或は

邪悪な霊魂が側について活動しているということになります。

 

とにかく、霊能力者に関わるなかれ、と水波氏は訴えています。

 

さて、次に水波氏は霊媒について、本物の霊媒にしか知り得ない視点から、

興味深いことを語っています。

 

まず、「依頼に応じて、死者の霊を呼び寄せる」人達、いわゆる霊媒師という

ものは、ほぼニセモノだとしています。なぜなら、死んでから日の浅い霊魂を

この世の霊媒が呼び出すことは無理だというのです。それらの霊魂は、全く

未知であった死後の世界という新しい環境に慣れることに専念することで

精一杯なのだそうです。

 

そもそも真の霊媒現象というのは、そう簡単に起こせるものではないと著者は

言います。ましてや、高級霊魂が関与する霊媒現象となると、それは至難の技

であるようです。

 

しかし、それは不可能かというとそうではないようです。

 

霊魂は、肉体を持たない、幽体の存在ですが、霊媒となる人間も、肉体と

それに重なった幽体を所持しており、この同じ性質を持った身体を通して

意思を伝えることができれば可能だと言うのです。

 

もっとも、人間の幽体を押し退けて、霊魂が直接肉体を使えばよい、いわゆる

憑依すればよいのではないかという人がいるかもしれないが、それは、そう

簡単ではないし、できても霊媒の意識や身体に、ひいては人生に致命的な

ダメージを与える危険性があり、高級霊魂が行う方法ではないということです。

 

そういう意味では、相手の意思を無視する邪悪な霊魂の方が高級な霊魂より

何事も上手であるといえるようです。

 

さて、幽体の意識を通じて、意思の伝達が可能であるということでしたが、

それが本物の霊媒による本物の霊媒現象といえるものになるには、幾つかの

ハードルを越えなければならないようです。

 

霊媒現象においては、異なる次元、世界からの、それも言葉ではなく想念の

伝達によっていることから起こるミスが必ず付きまとってくるのであるが、

それらの困難を克服して価値の高い霊媒が育つには、霊媒、霊魂双方が協力

して行う真剣な訓練が必要であり、そのための教官、そしてテキストがなけれ

ばならないと述べています。

 

しかし、それは非常に困難なことであり、結局、歴史上、高級な霊媒はなかなか

出現しなかったということです。

 

では、霊媒現象にしても、霊能力にしても、どうすれば、高級な霊魂が関与した

現象になるのでしょうか。

 

水波氏は、幽体、幽体の成長、そして、良好な「幽気」の吸収にその鍵がある

と言います。

 

でも、現代では、本来は高級な気が降りるはずの寺院や神社、滝場などの

伝統的な修行場へ行っても、その場の幽気は汚く、出会えるのは邪霊ばかり

なのだそうです。

 

それは、現代は無神論者が著しく増大し、神仏に対する信仰心を失って

しまったためであり、そのために、宗教的な修行をして幽体を成長させ、

高級な力を得ることが難しくなってしまったというのです。

 

では、なぜ幽体の成長が必要なのでしょうか。

 

高級な霊魂から見ると、下の世界に住む霊魂は汚くて見えにくい。つまり、

霊的な身体の性質が違うと見えにくいのだそうです。よって、物質の世界を

生きる人間の幽体が、下層の霊魂のそれに近いと、下層の霊魂からは見えやすく、

上の霊魂からは見えにくいのであり、逆もまたしかりだということです。

 

かくして、高級な霊魂が関与する霊媒を作るために前提となるのが幽体の成長

と強化ということになるようですが、そのためにはどうすればいいのでしょうか。

 

水波氏は、自分が知っていることしか書けないとしながら、無神論者が多くなり、

質の低い幽気が増えた現代では神伝鎮魂法以外に方法は見つからないとしています。

ただし、それは本当の霊媒を作るための前提であって、霊的な身体が成長したら、

そこで初めて霊媒となるための訓練が始まるというのです。高級な霊媒になる

ためには、まだまだ越えねばならない壁があるようなのです。

 

まず、霊媒と担当の霊魂との深い信頼関係が必要であり、そして、高級な霊媒

現象は、一人の霊魂では難しく、複数の霊魂の協力が必要だということです。

さらには、高級な霊媒現象が起きやすい環境作りが必要なようです。

 

このように、高級な霊媒現象は、容易なものではなく、いくつもの高いハードル

を越えて初めて成功するものであることを強調しています。

 

ところで、水波氏は、現代は長い歴史の中でも、特別に霊的環境が悪く、霊的な

障害が増えやすい時代になったと言い、そうした霊的障害から身を守ることが

必要であるとしながらも、だからといって、霊能力者には近寄っては危険だと

忠告しています。

 

では、一体どうしたらいいのでしょうか。

 

ともかく、霊能力ではなく、霊力を強化することが必要だと述べています。

霊力と霊能力は違っていて、霊能力は霊的な技能であり、霊力とは、肉体で

いえば、技ではなく基礎体力にあたるものが霊力だということです。

 

霊力を鍛えることによって、幽気の活力を増し、間気の力を上げ、幽体を強化、

成長させることが大切だというのです。

 

最後に、水波氏は、最も高貴な霊媒について次のように述べています。

 

「真の霊媒、それはやはり、神霊からお告げをいただく高貴な存在であるべき

である。霊媒になるとは、神霊に自分を捧げる事であり、信仰の世界こそ至上

の世界であると宣言する事である」と。

 

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「ミトラの密儀」3-その教義、典礼-



ミトラ3



ミトラス教の教義とはどういうものだったのでしょうか。

 

ミトラス教は、論理的な脈絡なしに慣習や信仰を寄せ集めた古代ギリシャ・

ローマの宗教とは逆に、実際、しっかりとした神学、基本的原理を学問

から借り受けた信仰体系を持っていたということです。

 

神々のヒエラルキアの頂点、そして、万物の根源に、ズルワーン派のマゴス

神官たちの神学を継承するミトラ教神学は、永続的時間神(ズルワーン・アカ

ルナ)を置いていた。ズルワーンは、時としてアイオン、クロノスなどと呼ばれ

ていたが、それは便宜的・偶発的なものであり、本当は、人の言葉では言い表せ

ないばかりでなく、名前は勿論、性別や情念も持たない存在と考えられていた

ようです。

 

他方で、ズルワーンは、オリエントの原型をまねた姿、つまり、体に蛇を巻き

つけた獅子頭の怪人という複雑なシンボルをまとった姿で表されていました。

 

万物を創り出し、破壊する神、宇宙を構成する四大元素の主人であり、御者

なのであり、彼が単独で生み出したすべての神々の力は、事実上その中に統合

されているということです。彼は時として運命の力と同一視され、また、その

中に原始の光あるいは火が見られることもあったということです。

 

一方、ミトラは最高神ではなく、往時のマゴスたちにとっては光の神であり、

光が大気によって運ばれるように、ミトラは天界と地獄の境界領域に住むと

みなされました。しかし、この中間の位置は純粋に空間的なものではなく、

そこに道徳的な意味が付け加えられたというのです。つまり、ミトラは

天上界で支配する近づき難く知り難い神と、この地上で動き回っている

人類との間の「仲介者」としての役割を与えられたということです。

 

ミトラス教の信奉者たちは戦車の乗って日ごとに恒星界の空間を横断し、

夕方になると海洋に没してその火を消す太陽(ミトラでもある)を礼拝

したという。太陽が地平線に現れると、その光の放射は闇の精霊たちを

追い散らし、被造物の世界を浄め、そこに輝く光が生命を回復させるの

であり、太陽は<昇る者>という名のもとに崇拝されたのだそうです。

 

西方のマゴス神官たちは、古代ペルシャ人の道徳の崇高さを継承しており、

彼らにとっては、完全な清浄が信者の生活の目指すべき目標であり続けた

ようです。

 

よって、キュモンは、ミトラス教の信者たちがどのような義務を負っていたか、

信者たちが来世で従わなければならなかった「訓戒」とはどのようなもので

あったかは、不明確であるとしながらも、彼らは、人間に内在する神性が死後

も意識として存続し続け、彼岸の世界で罪と罰を受けると信じており、完全な

清浄が信者の生活の目指すべき目標であったのであり、儀礼は繰り返し行われ

る禊や清めを含んでおり、それは魂の穢れをぬぐい去ると見なされていた、

と述べています。

 

かくして、ミトラス教の教義には、その宇宙創成神話と神学的思索とに、

救済と贖罪の思想が混ぜ合わさっており、そこには古くからの多神教寓話

の持つあらゆる矛盾が、占星術による世界と人間の変転に関する哲学的思索

と混在したのですが、ミトラ教は、それを逆手にとって、知識人階級の知性

と庶民の心を同時に満足させる形で勢力を拡大していったとキュモンは

主張しています。

 

つまり、霊魂不滅の願望や最後の審判への期待、悪の力に対する戦いと

いった、ことさらに行為を優先させた道徳の価値の涵養を説いたばかり

ではなく、知識人には、<時>の神格化、太陽の神格化という高度な

哲学的概念や、占星術による運命に対する精緻な理論により、古代科学

によって認識された原理や原動力への礼拝を説き、一方、庶民に対しては、

神々は至るところにいて、日常生活のあらゆる行為にかかわりがあると

して、目に見え、手に触れられるすべて物をすべて神の顕現とし、それらを

崇敬するように説き、知識人、庶民、両方の心を惹きつけたということです。

 

さて、次に、密儀の典礼はどうだったのでしょうか。

 

当時、祭典や入信の儀式に際して唱され、歌われた聖典類は、まったく痕跡

を残すことなく失われてしまったということですが、碑文などにより、入信

には七つの位階があり、鳥(コラクス)、隠れたる者(クリュフィウス)、

兵士(ミレス)、獅子(レオ)、 ペルシャ人(ペルセス)、太陽の使者(ヘリ

オドロムス)、父(パテル)という名称を持っていたことが判明しています。

 

この中で、最初の三位階の授与は密儀への参加を認めるものではなかった

ようであり、奉仕者<ヒュペレトンテス>と称され、獅子位を受けた

入信者だけが<参加者(メテコンテス)>とされたということです。

 

そして、入信儀式は「秘蹟(サクラメントム)」と称されたらしく、

その詳細は知ることができないとしながらも、キュモンは、「イランの

古い儀式に従って、新入者には何回もの禊が課されたことがわかっている。

それは道徳的な穢れを洗い流すための一種の洗礼であった。幾つかのグノ

ーシス派の場合のように、浄めの儀式は疑いもなくそれぞれの段階で

異なった効験を持っていたし、場合によっては聖水の単なる撒布のこと

もあり、イシス崇拝に見られるような本格的な沐浴のこともあった。」

と述べています。

 

また、一方で、「志願者は儀式的な浄めと聖化された飲食物とを受け入れる

ために、長期にわたる禁欲と幾つもの苦行によってその試練に備えるだけ

では不十分であった。彼らは一種の贖罪劇で苦難を耐える役を演じた。」

とも記しています。

 

ただし、どういうわけか、女性が密儀に参加することは禁じられていた

ということであり、それが更なるへの拡大への妨げになったようです。

 

ともかく、ミトラ教の典礼劇は、ペルシャで生まれた当時の野生の痕跡、

伝統的風習が根強く存続しており、昔、森の中の暗い洞窟の奥で地母神

キュベレに対し獣衣をまとった神官たちが血を祭壇に振りかけていたのが、

ローマの諸都市では、洞窟に代わって、半地下神殿、人工的な洞窟が造られ、

厳粛かつ神秘的な雰囲気の中で行われたということです。

 

かくして、三世紀の中葉に勢力の絶頂期に達し、束の間のことであっても、

ローマ帝国はミトラ教のものになりそうな勢いであったが、その背後では、

早い時期からキリスト教との闘争が行われていたようです。

 

両宗派の流入はほとんど時を同じくしており、両者の拡張は類似の条件で

惹き起されたため、張り合うニ宗派の抗争は根強かったという。

 

性格も相似しており、信者たちは同じように秘密の集会を催し、堅く団結

し、構成員は互いに「兄弟」と呼びあったようです。また、執り行った

儀式も類似点が多く、両者とも洗礼によって身を浄め、一種の賢信礼に

よって悪霊と戦う力を授けられ、聖餐式によって心身の救済を期したと

いうことです。ともかく、そのほかにも、両派とも日曜日を神聖視し、

12月25日を祝日(ミトラス教は、太陽の生誕に日、キリスト教は、

クリスマス)とするなど、類似点が非常に多かったようです。

 

しかし、キュモンは、魂の浄よめと至福なる復活という大きな類似点が

あるものの、それに劣らず根本的な相違が両者を隔てていたのであり、

相似の価値を過大評価してはならないと主張しています。

 

つまり、ミトラ教は、多神教を尊重したままで一神教を確立しようと

試みたのに対し、キリスト教側は、原則としては全偶像崇拝に対する

容赦のない敵対者であったのであり、ミトラ教の宥和性、柔軟性は、

古代神秘主義の逸脱や誤った自然学の存続を許したのに対し、キリスト

教の教義は、このような不純物のごたまぜを免れ、あらゆる妥協的な

しがらみからの解放をもたらしたというのです。そして、このような

キリスト教の非妥協的な価値観、深く根づいた偏見に対する戦い、

さらにはそれがもたらすことができた積極的な希望が人々を捉えた

としています。

 

かくして、世界制覇へと向かう勢いであったミトラス教は、帝国内へ

の蛮族の侵入による神殿や信徒組織の破壊、コンスタンテヌス帝の

キリスト教への改宗に続く支配層の転向、占星術と魔術を禁止する

勅令、偶像崇拝の行為の禁止、そして、逆に国家の庇護を受けるよう

になったキリスト教徒の手による攻撃などにより急速に衰退し、

5世紀には歴史的存在としては消滅したということです。

 

 


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「ミトラの密儀」2-帝国への伝播-



ミトラ像


 

ミトラス教は、いつ、どのようにしてローマに流布されたのでしょうか。

 

ミトラス教に関する最古の記録は帝政ローマのギリシャ人著述家プルタルコス

の「ポンペイウス伝」にあるといわれています。これによるとポンペイウス

時代(紀元前106年~前48年)、ミトラス教はキリキアの海賊たちが信仰した

密儀宗教の中でも特に重要なものであったが、海賊たちはポントス王国の

ミトリダテスを支援し、広範囲にわたって海賊行為を働いたため、

67年、ポンペイウスによって掃討されたということです。

 

F・キュモンは、ローマ兵たちは、前67年にポンペイウスによって征服

されたキリキアの海賊によってミトラの密儀に入信したというプルタルコス

の情報は決して信ずるに足らぬものではない。共和制の末期以来、ペルシャ

の神は首都の雑多な平民階級の中に多少の信者を見出したということはあり

えた事態である。ただ、異国の儀式を執り行う信徒団体の群れに紛れて、

ミトラの礼拝者たちの小グループは注意を惹かなかった。だが、ようやく、

1世紀の終わり頃、ミトラはローマで話題にのぼるようになった、と

述べています。

 

つまり、ミトラス教の主要な布教者は軍隊なのであり、それは何にもまして

兵士たちの宗教であり、一位階の入信者たちに<兵士(ミレス)>という

名前が与えられたのにも理由のないことではないとしています。

 

ローマ兵の構成員をみると、遠方に派遣された現地軍に代わって外部から召集

された兵士の中には、大量のアジア人が含まれていたという。特に、オリエント

地方でも、コマゲネは多くの軍人をローマに提供したということです。コマゲネ

ではミトラ教が深く根を張っていたが、ミトラ教が影響力を持っていたシリア

のすべての部族、カッパドキア、ポントス、キリキアなどの出身の兵士も多

かったし、ローマの皇帝たちは、パルテア騎兵の機動部隊をさえ進んで登用

したということです。

 

では、なぜ、本来は、太陽神であり、契約の神であったミトラ神が兵士たちに

信仰されるようになったのでしょうか。

 

ミトラは、ゾロアスター教の教義によってヤサダ(諸神霊)の一柱に格下げ

される一方で、神格化された抽象概念の幾つかと関連づけられていたと

いうことです。

 

キュモンは、ミトラは、「戦士たちの保護者として、ウルスラグナすなわち

<勝利>の神の相棒となった。真実の擁護者として、敬虔なスラオシャ

すなわち神の法への<服従>に、ラシュヌすなわち<正義>に、そして

アルシュタートすなわち<廉直>に結びつけられた。」「彼(ミトラ)は

スラオシャとラシュヌと協力して、義しい者の魂を地獄へ落とそうと努め

る悪魔たちから保護し、天国に昇るために危険なチンワト橋を渡る許可を

与えてくれる審判の主宰者となる。このイランの信仰がミトラによる救済

という教義を生み出したのであり、それは西方で発展することになる。」

と述べています。

 

ローマ兵は一般に信心深く、職業柄、危険がつきものであったので天の加護を

求めたようですが、とりわけ、すべてが目新しい地方で20年以上も転戦した

オリエント出身者たちは、出身民族の神々についての記憶に忠実であったと

いう。こうして、カッパドキアやコマゲネから召集され、ヨーロッパに連れて

来られたミトラの密儀加入者たちは、古代世界の辺境にまで急速に広がって

いったということです。

 

かくして、軍隊は市民であれ外国人であれ、世界のあらゆる部分の人々を一緒

に結びつけ、絶え間なく将校や百人隊長あるいは部隊全体をその時その時の

さまざまな必要に応じて一つの属州から他の属州へと移動させ、そのように

して全辺境地帯に永続的な交流のネットワークを拡げることによって、オリ

エントの諸宗教をも拡げることに貢献した。そして、ミトラの流布の最も

活発な原動力は、兵士のほかには、奴隷、商人であった。戦争や交易の行わ

れる場所やアジア系移住の大きな潮流が流れ込む地域にミトラの遺物が存在

したことは、私見を証明するのに十分である、とキュモンは主張しています。

 

ローマ世界に移植されたものの、長い間、下層民の宗教にとどまっていた

ミトラス教は、やがて、富と勢力を増大させ、間もなくローマでは影響力の

ある公務員を、地方自治体では皇帝崇拝委員会や市政参事会の会員を同信の

人々の間に数えることになったということです。

 

そして、二世紀末になると、皇帝たちがミトラの密儀に対して表明していた

慎重な態度が、急に表立った指示に変わっていったといいます。皇帝自らが

入信者となり、密儀の儀式に参加するなかで、その後の後継者たちの保護が

決定的なかたちでミトラス教に与えられたというのです。

 

キュモンは、多くの君主たちこの新しい宗教への好意というものは、束の間

の流行や個人的心酔の結果ではありえず、もっと深い原因があったに違い

ないと述べています。

 

つまり、皇帝の権威は、理論上は国民に由来し、それは、もとはローマの主席

行政官にすぎなかったものが、ミトラス教の教義の中に、何とか押し付けよう

と努めていた専制君主への要求に対する支持を見出したというのです。

 

すでに、神政的統治のためには、エジプトからの現神人の思想があったが、

それよりも洗練されたものが必要であり、それを提供するのがミトラス教で

あったということです。

 

ただし、ペルシャ人は、王を神とは見なさなかったのだという。君主の栄光

はもっぱらそれがアフラマズダ―に由来し、この神の意志が彼を玉座につけた

がゆえに神聖であったのだということです。

 

この神の恩寵をアヴェスターでは、フルワナ(御稜威(みいつ))と称され

たが、ペルシャ人のこの特異な観念は、他の神話にはそれに相当するものが

なかったため、異邦人(セム人やギリシャ人など)たちはフルワナを大雑把

に<好運>と同一視したようです。

 

そして、そこに、セム系の宗教思想が重なります。カルデア人のよれば、

運命は星のまたたく天の回転によって必然的に定められ、仲間の星を支配

する輝かしい星たる太陽は、何にもまして王の星と考えられた。それゆえ、

ミトラと同一視された<敗れざる太陽神(ヘリオス・アニケトス)>は、

一般に勝利を与える配剤者と見なされたということです。

 

よって、この神の恩寵が下された君主は人々よりも上に置かれ、臣下に

よって神々と対等の存在として崇められるのであり、キュモンは、

「こうした理論がどれほど皇帝たちの主張に好都合であったかが理解

されよう。」と述べています。

 

さて、それではミトラス教の教義、典礼とは、どういうものだったの

でしょうか。

 

次回は、そのことについて触れてみたいと思います。

 

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「ミトラの密儀」1



ミトラの密儀




ミトラ(ミトラス)教は、紀元前1世紀から紀元前5世紀までローマ帝国で信奉


された密儀宗教とされています。


 


元来は、ペルシャ(イラン)の神であったミトラを主神とし、1世紀後半、主に


軍人によってもたらされ、下層階級の人々を中心に栄えたという。


 


キリスト教が広まる以前のローマ帝国で最もさかんになり、一時、キリスト教


勢力に匹敵するほどであったが、四世紀のミラノ勅令以後に衰退したという


ことです。


 


さて主神のミトラ(ミトラス)ですが、その起源は古く、ペルシャ(イラン)人


の祖先たちがアーリア人としてインド人の祖先たちとまだ一つであった遠い


昔に遡ります。イラン、インド両地域のおいて重要な神であったが、特に


「リグ・ヴェーダ」では、アーディティア神群の一柱であり、呪術的な


至上神ヴァルナと対をなす契約、約束の神であったそうです。


 


しかし、その後、ゾロアスター(ザラスシュトラ)の宗教改革により、ミトラは、


格下げされて、古くからの自然神たちの大多数とともに一群の精霊たち、即ち、


アフラマズダーによって創造されたヤサダ(諸神霊)の一柱とされてしまいます。


 


ところが、著者のF・キュモンによると、ミトラはゾロアスター教の神学体系に


組み込まれ、神々の位階にしかるべき地位を与えられ、完全な正統派への仲間入り


を成し遂げたが、それだけにとどまらず、聖典にはより古い観念の痕跡が見出され


るという。それによると、ミトラはペルシャ(イラン)の神々の中でははるかに


高い位置を占めており、ゾロアスター教の祈祷文で幾度もアフラマズダーと名を


連ねているということです。


 


つまり、この二柱の神は、その神性を見ると、天の光と、輝く天として分かち難く


対をなしているとしています。他の箇所では、アフラマズダーは他の被造物と同じ


ようにミトラをも創ったと言われているとしても、前者は後者を自分と同じくらい


偉大なものとしたというのです。


 


ミルチア・エリアーデも「世界宗教史」のなかで、ミスラ(ミトラ)神の台頭に


ついて触れています。「私が広き牧地の主であるミスラを創ったとき、私は彼を、


私に劣らず祭られるべき、讃えられるべき者として創った」というミスラを


称える長文の讃歌『ミフル・ヤシュト』を紹介しながら、『ミフル・ヤシュト』


は、ザラスシュトラの改革以前にミスラが保持していた高位にミスラが返り


咲くことについて語り、それを正当化していると述べています。


 


やがて、ゾロアスター教は、西方に広まっていくにつれ、異なったタイプの


諸宗教に出会い、その影響を受け、重層化していきます。


 


その中で、特筆すべきことは、バビロニアのカルデア人の天文学、占星術と


の遭遇であったようです。マズダー(ゾロアスター)教の神学は明確な教義


の体系というよりは、むしろ伝承の寄せ集めであり、カルデア人の長期に


わたる科学的観測の膨大な成果である占星術がイラン人たちの自然崇拝的


な神話に重ね合わされることになります。


 


また、そのときにマゴスという神官たちが果たした役割は大きいとされて


います。彼らは、エリアーデによると、メディア帝国に時代には、バラモン


に匹敵するような司祭カーストであり、アケメネス朝のもとでは、聖職者


階級の典型であった述べており、彼らの博学で組織的な神学がマズダー


(ゾロアスター)教の上にかぶさったようです。


 


F・キュモンは、バビロニアがマズダー(ゾロアスター)教に導入した最大の


教義は運勢に対する信仰であり、地上の出来事を操り、星のちりばめられた


天の公転と結びつけられた不可避の運命という観念であった。運命は「ズル


ワーン」と同一視され、すべてを生み出して宇宙を支配する至高存在となる、


と述べています。


 


こうして、アケメネス朝ペルシャにおいては、ゾロアスター教が国教の位置


を獲得したということですが、その内実を見ると、上記のような事情が反映


されてか、ゾロアスター教とはいうものの、アフラマズダーの教えに従うと


いうより、三柱のアフラの教えに従うという、折衷的な様相を呈していたと


いう説が見受けられます。


 


それは、古代イランの三神、マズダー、ミトラ、女神アナーヒターとバビ


ロニアの三天体神、シャマシュ(太陽)、イシュタル(金星)、マルドゥク


(木星)を重ね合わせたもので、そのなかに、いわば、マズダー派(新派)、


ミトラ派(古派)、そして、ズルワーンを原初の創造者たる神として奉ずる


ズルワーン派が混在していたというものです。


 


そして、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方大遠征によってアケメネス朝


は滅び、ギリシャ人王朝であるセレウコス朝が成立し、ペルシャ系のアルサケス


朝パルティアと続くなかで、ヘレニズムの影響が濃厚になり、ゾロアスター教は


さらに変質していきます。


 


アフラマズダーは、至高の存在ゼウスと混同され、牡牛が捧げられたアナー


ヒターは牡牛を追うアルテミスとなり、ミトラはすでにバビロニアでシャマシュ


と対等のものとみなされていたが、ヘリオス(アポロン)と結びつけられたと


いう。


 


また、ゾロアスター教そのものは、元来は寺院や偶像崇拝を認めなかったが、


ギリシャ的な偶像化によって、ペルシャの神々の性格についての考え方が変化


させられ、西方の人々にいっそう容易に受け入れられるようになったという


ことです。


 


F・キュモンによると、ミトラ(ミトラス)教の形成に対するギリシャ哲学の


影響は深刻なものがあるが、しかし、ミトラ教が最後まで基本的にペルシャ


の儀式を保存することを妨げなかったとしています。


 


キュモンは、「ミトラ教を構成する諸部分を分析してみると、それはまるで


土壌の地質学的断面のように、徐々に積もった土層から成るこうした堆積土


の層位を示している。この宗教の基盤、すなわちその下位にあって最初の層


をなすのは、古代イランの信仰であり、ミトラ教はそこに起源を発している。


このマズダー教という下層の上にはバビロニアにおけるセム系の教義の厚い


沈殿層が積もっている。次には、その上に小アジアでの地方的信仰が幾つかの


沖積層を付け加えた。最後に、ギリシャ思想という濃密な植物群がこの肥沃な


土の上に生長し、部分的には我々の探究からその本来の性質を覆い隠している。」


と述べています。


 


かくして、アルサケス朝パルティアにおいて、『アヴェスター』が聖典として


文書化され、ゾロアスター教の公式教義がほぼ確定したとされているものの、


パルティアでは「契約」の神ミスラ(ミトラ)が重視されたと考えられ、


パルティア王国および周辺のバクトリア王国、ポントス王国、アルメニア王国、


カッパドキア王国、コマゲネ王国の宗教は、もう、ゾロアスター教というより


は「ミスラ(ミトラ)教」と称すべきものに変質したのではないかと言われて


います。


 


次回は、ローマでのミトラス(ミトラ)教の展開を追ってみたいと思います。


 


 


















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洪水神話と禊



洪水
 

旧約聖書の「創世記」にノアの箱舟の物語があります。

 

「<神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと

「神と共に歩んだ正しい人」であったノアに告げ、ノアに箱舟の建設を命じた

 

 ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべて

の動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は4040夜続き、地上に生きていたもの

を滅ぼしつくした。

 

水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の

上にとまった。

 

ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を

築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子

たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉な

るものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、

決して起こさない事を契約した。>」

 

この神話は、バビロニアやシュメールの洪水神話がモチーフになっていると

いうことですが、根本的な違いがあるようです。

 

バビロニアやシュメール神話では、洪水が偶発的なものであるのに対して、

ここでは、洪水は人間の腐敗堕落に対する神の審判の結果とされています。

 

ともかく、今から1万年ほど前に氷河期が終わり、間氷期に入ったと言われ

ていますが、その前の数千年間は大規模な気候の大変動、氷河の氷の溶解で

大洪水が起こり、その記憶が、このようなノアの箱舟など、世界中にある

洪水にまつわる神話や伝説として残されているのだというのが一般的な説の

ようです。

 

しかし、これを我が国における水の禊、或いは、キリスト教における水に

よる洗礼の寓意と捉えることもできるのではないでしょうか。

 

つまり、禊には、二つの側面があるということです。一つは、すべてを

流してしまい、何も残さないという洪水を意味し、もう一つは、人の身体

を流れる水で、それによって修行とするものです。

 

ノアの箱舟の伝説を禊に沿って考えると、この古代からの言い伝えは、

異なる意味を持ってきます。

 

それは、ノアだけが生き残るという意味ではないということになります。

人は、おのれ一人が生き残っても何の喜びもありません。楽しいわけがなく、

幸福など得られるわけがありません。

 

それが意図するところは、船を造る努力にあり、神に従い船を造ろうと

すれば救われるだろうという啓示であったらどうでしょう。

 

人々が罪を清算しようとするなら、その前に準備をせよ。それがノアであり、

それが禊であるということでしょうか。

 

この島国をすべて海に沈めるのも禊なら、そうではなく、人々が修行の拠り

所としカルマを浄化するのも禊と言えましょうか。

 

 
 
 
 
 
 
 
 

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禊とイエス-「禊 神秘の法」2-



禊 神秘の法 神伝禊法


禊には、水の禊以外に、より高度な行法として、火(光)の禊、風の禊、霊の禊、

そして、神の禊というものがあるということですが、しかし、最初の水の禊が

すべての基本であり、前提でさえあるとされています。

 

なぜなら、水という物質は万物の根本の一つとも言われ、人間にとっては不可欠

であり、当の肉体さえも大部分は水分であると言われるほどに人間と深い関わり

をもっているため、人間の身体に直接感じやすいためだということです。

 

さて、ヨハネ福音書によると、洗礼者ヨハネが、人々に水でバプテスマを授け

ますが、これは水の禊に近似したものであったではないでしょうか。

 

ヨハネは、自分は水でバプテスマを授けているが、イエスに対して、「その人

こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」と述べています。

水波一郎氏も、偉大な神人が地上に現れれば、形は違っていても、同様の目的

を持った技法が他の国に誕生してもおかしくはなく、イエスのいう聖霊のバプ

テスマこそ、古神道でいう禊に近いものと思えるとしています。

 

水波氏は、イエスは「霊の禊」の意味を知っていたのではないかとしながら、

さらに、禊とイエスについて述べています。

 

イエスのように、メシアと呼ばれるほど大きな個性ともなれば、上級霊界の

霊魂たちの霊感を受けていたはずである。上級霊界の霊魂ともなれば、国家

単位、というより惑星単位で活動していることが多く、日本の神人として

地上を去った霊魂も、イスラエル人の指導をすることはよくあるはずだし、

イエスやその弟子たちが、死後、日本人を指導することもあるはずである。

よって、いずれも霊的指導者たりうるはずであるし、当然、禊は重要な

テーマであると。

 

しかし、イエスの禊は、霊の禊ではなく、「血の禊」にならざるを得なかった

というのです。

 

水波氏は、「イエスは、人々の罪など一つも負っていない。いかにイエスが

死んだとて、十字架に架けられたとしても、それで人々の罪が許されるはず

がない。」「いかに大神人といえども、そんなことはありえない。いや、むしろ、

大神人だからこそ一般人よりも罪が小さいのであり、イエスよりも罪の

重い人が彼を磔にして血を流し、それでいて、イエスに彼らの罪がすり

替わるはずがないのである。」「ましてや、彼の直弟子でさえ、聖書に

よれば、何回も彼の弟子ではないといって逃げている。いざとなれば、

十二使徒でさえも自分がかわいかったのである。そんな人々の罪が、

イエスの死によって突然消えたり、イエスを受け入れたからといって、

どうなるというものでもなかったのである。」と述べたあと、聖書は

必ずしも正しいイエスを伝えていないとしながらも、

 

「私は、イエスのことを思うと涙が溢れてしまう。」「彼は愚かな弟子

たちと、哀れな人々のために自ら死んでいった。ただし、それは人々

の罪があまりに重く、血を見るしか、彼らの目をさますことができ

なかったからであったろう。」「イエスの本当の禊は、血によって

禊を得る、である。」と主張しています。

 

かくして、血の禊とは、血を用いて行なう神々との契約であり、そして、

それは、人々の救いのために、彼らの目をさますことでありました。

イエスが、その後ニ千年も世界に人に知られているのは、その力が

人々の心を動かしたからにほかならないということになりましょう。

 

著者の水波氏が、霊的知覚により、そのときイエスのそばにいたという

高貴な霊的存在から聞いたところによると、血の禊は次のようにして

行なわれたという。

 

1.  自らの死の少し前に神に問う。「自分の死は正しいか否か」

2.「神の声を無視して自らの罪を告白する」

3・神と神々と上級霊魂たちが「あなたには罪はありません」と

叫んだとしても、「私は罪人であった。そして、再び罪を犯す。

それは、人々の罪を認めないことであある」という。

4・地上に生きたころに神人と呼ばれた偉大な霊魂たちが、近くに

寄ってきたらこういう。「血の禊は涙の禊なり。人々の罪は私

の罪なり。それは、人々が私の名を呼び、罪の許しを求める

からである。私はそれを思って自らの罪を宣言する」

5.「神は愛であり、法でありつづけねばならない。私は救いで

あり、メシアである。」

6.死

 

ところで、水波氏は、日本の古典にある、天照大御神とスサノウの命の神話が、

イエスの死と深いかかわりをもっているといったらどうであろうかと問い

かけています。

 

イエスは、日本の神伝の伝承者ともいえるのであり、禊法の奥儀をイエスは

知っていたというのです。

 

神話によれば、天照大御神はイザナギの命が禊によって生み出した神であり、

スサノウの命、月読命も同様であるが、それは、禊による神々の誕生を意味

するという。禊法は光の神を生み出した。日本の光が天照(アマテラス)なら、

キリスト教では、イエスこそが光といえましょう。

 

よって、日本ではイエスの死は必要ではなかったという。それは日本に、天照

とスサノウの物語があったからです。神々の経綸は、ユダヤにイエス、日本に

は禊法をお与えになったということです。

 

禊法の奥義について、水波氏は、次のように明らかにしています。

 

「なぜ、三神が貴いのかといえば、禊の秘密の一つが、日と月と破壊を意味して

いるからである。日は昼の光であり、月は夜の光である。しかるにスサノウは、

高貴な御子でありながら、何の光も持っておらず、泣いたり、暴れたりする破壊

の象徴でもある。」「彼には光がなく、代わりに力があり、叫び、攻撃し、そして、

天照に対抗した神格なのである。」

 

「これが禊法の神秘なのである。禊は水や火(光)や風で人間の魂を清めるが、

同時に高い部分を甦らせ、光としての自分と、力としての自分、そして怒りと

破壊、そして、それを許す愛、そして、その両者を統合した意識としての神的

自我の登場なのである。」

 

「禊の奥義はここに窮まる。禊は日の力を吸収し、自分自身を変化させる。

やがて、神々の身体ともいえる神体を発生させ、強化し、神々の気を直接

自分のものにしてしまう。そして、魂全体の進化によって、高級な個性と

しての霊魂の世界へ旅立たせるのである。」と。

 


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