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「ミトラの密儀」3-その教義、典礼-



ミトラ3



ミトラス教の教義とはどういうものだったのでしょうか。

 

ミトラス教は、論理的な脈絡なしに慣習や信仰を寄せ集めた古代ギリシャ・

ローマの宗教とは逆に、実際、しっかりとした神学、基本的原理を学問

から借り受けた信仰体系を持っていたということです。

 

神々のヒエラルキアの頂点、そして、万物の根源に、ズルワーン派のマゴス

神官たちの神学を継承するミトラ教神学は、永続的時間神(ズルワーン・アカ

ルナ)を置いていた。ズルワーンは、時としてアイオン、クロノスなどと呼ばれ

ていたが、それは便宜的・偶発的なものであり、本当は、人の言葉では言い表せ

ないばかりでなく、名前は勿論、性別や情念も持たない存在と考えられていた

ようです。

 

他方で、ズルワーンは、オリエントの原型をまねた姿、つまり、体に蛇を巻き

つけた獅子頭の怪人という複雑なシンボルをまとった姿で表されていました。

 

万物を創り出し、破壊する神、宇宙を構成する四大元素の主人であり、御者

なのであり、彼が単独で生み出したすべての神々の力は、事実上その中に統合

されているということです。彼は時として運命の力と同一視され、また、その

中に原始の光あるいは火が見られることもあったということです。

 

一方、ミトラは最高神ではなく、往時のマゴスたちにとっては光の神であり、

光が大気によって運ばれるように、ミトラは天界と地獄の境界領域に住むと

みなされました。しかし、この中間の位置は純粋に空間的なものではなく、

そこに道徳的な意味が付け加えられたというのです。つまり、ミトラは

天上界で支配する近づき難く知り難い神と、この地上で動き回っている

人類との間の「仲介者」としての役割を与えられたということです。

 

ミトラス教の信奉者たちは戦車の乗って日ごとに恒星界の空間を横断し、

夕方になると海洋に没してその火を消す太陽(ミトラでもある)を礼拝

したという。太陽が地平線に現れると、その光の放射は闇の精霊たちを

追い散らし、被造物の世界を浄め、そこに輝く光が生命を回復させるの

であり、太陽は<昇る者>という名のもとに崇拝されたのだそうです。

 

西方のマゴス神官たちは、古代ペルシャ人の道徳の崇高さを継承しており、

彼らにとっては、完全な清浄が信者の生活の目指すべき目標であり続けた

ようです。

 

よって、キュモンは、ミトラス教の信者たちがどのような義務を負っていたか、

信者たちが来世で従わなければならなかった「訓戒」とはどのようなもので

あったかは、不明確であるとしながらも、彼らは、人間に内在する神性が死後

も意識として存続し続け、彼岸の世界で罪と罰を受けると信じており、完全な

清浄が信者の生活の目指すべき目標であったのであり、儀礼は繰り返し行われ

る禊や清めを含んでおり、それは魂の穢れをぬぐい去ると見なされていた、

と述べています。

 

かくして、ミトラス教の教義には、その宇宙創成神話と神学的思索とに、

救済と贖罪の思想が混ぜ合わさっており、そこには古くからの多神教寓話

の持つあらゆる矛盾が、占星術による世界と人間の変転に関する哲学的思索

と混在したのですが、ミトラ教は、それを逆手にとって、知識人階級の知性

と庶民の心を同時に満足させる形で勢力を拡大していったとキュモンは

主張しています。

 

つまり、霊魂不滅の願望や最後の審判への期待、悪の力に対する戦いと

いった、ことさらに行為を優先させた道徳の価値の涵養を説いたばかり

ではなく、知識人には、<時>の神格化、太陽の神格化という高度な

哲学的概念や、占星術による運命に対する精緻な理論により、古代科学

によって認識された原理や原動力への礼拝を説き、一方、庶民に対しては、

神々は至るところにいて、日常生活のあらゆる行為にかかわりがあると

して、目に見え、手に触れられるすべて物をすべて神の顕現とし、それらを

崇敬するように説き、知識人、庶民、両方の心を惹きつけたということです。

 

さて、次に、密儀の典礼はどうだったのでしょうか。

 

当時、祭典や入信の儀式に際して唱され、歌われた聖典類は、まったく痕跡

を残すことなく失われてしまったということですが、碑文などにより、入信

には七つの位階があり、鳥(コラクス)、隠れたる者(クリュフィウス)、

兵士(ミレス)、獅子(レオ)、 ペルシャ人(ペルセス)、太陽の使者(ヘリ

オドロムス)、父(パテル)という名称を持っていたことが判明しています。

 

この中で、最初の三位階の授与は密儀への参加を認めるものではなかった

ようであり、奉仕者<ヒュペレトンテス>と称され、獅子位を受けた

入信者だけが<参加者(メテコンテス)>とされたということです。

 

そして、入信儀式は「秘蹟(サクラメントム)」と称されたらしく、

その詳細は知ることができないとしながらも、キュモンは、「イランの

古い儀式に従って、新入者には何回もの禊が課されたことがわかっている。

それは道徳的な穢れを洗い流すための一種の洗礼であった。幾つかのグノ

ーシス派の場合のように、浄めの儀式は疑いもなくそれぞれの段階で

異なった効験を持っていたし、場合によっては聖水の単なる撒布のこと

もあり、イシス崇拝に見られるような本格的な沐浴のこともあった。」

と述べています。

 

また、一方で、「志願者は儀式的な浄めと聖化された飲食物とを受け入れる

ために、長期にわたる禁欲と幾つもの苦行によってその試練に備えるだけ

では不十分であった。彼らは一種の贖罪劇で苦難を耐える役を演じた。」

とも記しています。

 

ただし、どういうわけか、女性が密儀に参加することは禁じられていた

ということであり、それが更なるへの拡大への妨げになったようです。

 

ともかく、ミトラ教の典礼劇は、ペルシャで生まれた当時の野生の痕跡、

伝統的風習が根強く存続しており、昔、森の中の暗い洞窟の奥で地母神

キュベレに対し獣衣をまとった神官たちが血を祭壇に振りかけていたのが、

ローマの諸都市では、洞窟に代わって、半地下神殿、人工的な洞窟が造られ、

厳粛かつ神秘的な雰囲気の中で行われたということです。

 

かくして、三世紀の中葉に勢力の絶頂期に達し、束の間のことであっても、

ローマ帝国はミトラ教のものになりそうな勢いであったが、その背後では、

早い時期からキリスト教との闘争が行われていたようです。

 

両宗派の流入はほとんど時を同じくしており、両者の拡張は類似の条件で

惹き起されたため、張り合うニ宗派の抗争は根強かったという。

 

性格も相似しており、信者たちは同じように秘密の集会を催し、堅く団結

し、構成員は互いに「兄弟」と呼びあったようです。また、執り行った

儀式も類似点が多く、両者とも洗礼によって身を浄め、一種の賢信礼に

よって悪霊と戦う力を授けられ、聖餐式によって心身の救済を期したと

いうことです。ともかく、そのほかにも、両派とも日曜日を神聖視し、

12月25日を祝日(ミトラス教は、太陽の生誕に日、キリスト教は、

クリスマス)とするなど、類似点が非常に多かったようです。

 

しかし、キュモンは、魂の浄よめと至福なる復活という大きな類似点が

あるものの、それに劣らず根本的な相違が両者を隔てていたのであり、

相似の価値を過大評価してはならないと主張しています。

 

つまり、ミトラ教は、多神教を尊重したままで一神教を確立しようと

試みたのに対し、キリスト教側は、原則としては全偶像崇拝に対する

容赦のない敵対者であったのであり、ミトラ教の宥和性、柔軟性は、

古代神秘主義の逸脱や誤った自然学の存続を許したのに対し、キリスト

教の教義は、このような不純物のごたまぜを免れ、あらゆる妥協的な

しがらみからの解放をもたらしたというのです。そして、このような

キリスト教の非妥協的な価値観、深く根づいた偏見に対する戦い、

さらにはそれがもたらすことができた積極的な希望が人々を捉えた

としています。

 

かくして、世界制覇へと向かう勢いであったミトラス教は、帝国内へ

の蛮族の侵入による神殿や信徒組織の破壊、コンスタンテヌス帝の

キリスト教への改宗に続く支配層の転向、占星術と魔術を禁止する

勅令、偶像崇拝の行為の禁止、そして、逆に国家の庇護を受けるよう

になったキリスト教徒の手による攻撃などにより急速に衰退し、

5世紀には歴史的存在としては消滅したということです。

 

 


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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体