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「ジャイナ教」



ジャイナ教1

 
 
ジャイナ教は、紀元前5~6世紀ごろ、インドの地で生まれ、現在もなお、

インド内部で生命を保っている古い歴史をもつ宗教です。

 

紀元前5~6世紀ごろは、ガンジス河の中、下流域において商工業が盛んに

なり、伝統にとらわれない商人階層が台頭し、併せて、懐疑論者、唯物論者、

快楽主義者、運命決定論者、道徳否定論者等々、多数の自由思想家が現れて、

インド思想史上でも最も華やかな時代を迎えたということです。

 

ゴーダマ・ブッダもその一人とされますが、仏教の古い経典には、仏教以外の

人たちの教説を「六師外道」、「六十ニ見」などとして詳しく記述されていて、

そのなかで、ニガンタ・ナータプッタとして取り上げられている人物が、

ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大勇者の意味)です。

 

外道というのは、あくまで仏教から見てのことであって、各々の宗教思想家

には固有の価値があるのであり、仏典のジャイナ教批判にこだわらずにテキ

ストそのものを読み解くことによって、古代のジャイナ教のありのままの

すがたが浮かび上がらせることができるとしています。

 

さて、マハーヴィーラは、紀元前444年ごろに当時の商業活動の中心地で

あったヴァイシャーリー市の北部のクンダ村(今日のバスクンドにあたる)

で貴族の子として生まれたという。

 

一説に成長して一婦人と結婚し、一女を儲けたとされるが、これは、ジャイナ

教にあるニ派のうちの白衣派の伝承であって、もう一方の空衣派では、結婚の

事実も、娘の存在も認めていないようです。

 

その後、伝承によると、30歳のときに故郷を去り、出家してサマナ(出家

修行者)になったということです。着用していた衣服をも捨て、女性を近づ

けず、人と交わらず、問えども答えず、礼するも受けず、打たれても動揺

せず罵られてもひるまず、ただ黙々と瞑想に専念し、人々を驚嘆させたと

いう。歌舞音曲のようなものに心を奪われず、2カ年以上、冷水を使ったり

求めたりしなかった。そして、地水火風の各元素、植物、動物が生命をもって

いること、存在物の上昇と下降、その原因としての業が存在すること、感覚や

行動に業が流入すること、女性が業を生ぜしめることを自覚したということ

です。

 

そして、そのあと、遊行の生活に入り、12年以上継続したようです。この

期間は、種々の迫害に会い、修行生活は辛酸を極めた。あるときは、樹の根元、

あるときは墓場で寝起きをし、寒暑と戦い、害虫に苦しめられ、悪人愚者に

悩まされた。しかし、マハーヴィーラは、勇猛心をもってこれに耐え、遊行

生活を継続したといわれています。

 

12年間の苦行を終わったマハーヴィーラは、第13年目の夏の夜、サーラ樹

の下で、最高の完全智に達し、完全者の位を得た。一切智に達し、悟りを開いた

時には世界、神々、人間、悪魔のありさま、彼らがどこから来て、どこへ行く

のか、という詳しい姿を見通したということです。

 

マハーヴィーラは、その後、1年のうち、8カ月は遊行を行い、4カ月は雨の

ために一カ所に定住した。遊行は、村には一夜、都会にあっても五夜を出ない

ものであったが、マハーヴィーラの名声が高まるにつれて、人々の迫害は次第

に止んでゆき、驚きと尊敬に変わっていったそうです。

 

遂には、王の庇護を受けるようになったということですが、30年間の教化を

行うなかで、72歳で亡くなり、ニルバーナに達したといわれています。

 

なお、ジャイナ教の伝説によると、マハーヴィーラが現れる以前に23人の

救済者が現れ、マハーヴィーラは第24祖師に該当するそうです。この24

祖師を数えることは後世に成立したものだそうですが、第23祖師のパール

シュヴァはマハーヴィーラの先駆者として実在の人物であったと認められて

いるようです。よって、マハーヴィーラは改革者ということになりますが、

実質的な創始者とされています。

 

また、ジャイナ教は、単一の教派を形成し続けてきたわけではありません。

紀元1世紀以来、白衣派(修行者に白衣を着ることを許す派)と空衣派

(裸形派ともいい、より厳格で、非殺生と非所有を実践するために裸で

いる)に分裂したということです。

 

両派は根本的な教説において違いはないようですが、その聖典を同じくする

ことを認めないということです。つまり、一般的に空衣派は聖典が伝承され

ていないと主張し、すべて聖典は散逸したとしているが、そうではなく、

空衣派は白衣派の現存の聖典の権威を認めないということなのだそうです。

 

その後、ジャイナ教は、インド国内に留まり続け、古い姿を今に伝えている

という。世界宗教として展開した仏教とは対照的に、インド以外にはほとんど

伝わらなかったが、およそ2500年に長きにわたりインド文化に影響を与え

続け、現在もなお篤信の在家信者が存在していて、その数およそ320万人ほど

で、少数ではあるが、有力な社会的勢力として存在しているということです。

 

ところで、インド以外の国がインドを意識し始めたときには、学者たちはジャイナ

教というのは仏教の一派と見なしていたということです。

 

研究が進み、両者には大きな違いがあることがわかり、別の宗教であるという

ことが判明したが、それでもなお、人生を苦であるとみなすこと、輪廻転生、

業、過去仏思想をはじめとして、解脱、涅槃、戒律、特に五戒などはほとんど同じ

といってよく、何かしら起源を同じくする共通の基盤を感じさせるものがあると

いわれています。

 

また、前5世紀ごろ、仏教、ジャイナ教と並んでアージーヴィカ教という宗教が

有力な宗教として勢力を競っていたそうです。

 

先に少し触れた「六師外道」、自由思想家の一人、マッカリ・ゴーサーラという

人がこのアージーヴィカ教の代表的な人物であったとされていますが、彼と

マハーヴィーラは、6年間一緒に修行をしたということであり、ジャイナ教と

アージーヴィカ教には、最初、深いつながりがあったのではないかといわれて

います。

 

アージーヴィカとは、「生活を得る手段として修行する者」というような良く

ない意味だそうですが、その否定的な意味づけは、仏教やジャイナ教、つまり、

ライバル宗教からの資料によるものであり、その真実の姿は、アージーヴィカ教

の聖典が湮滅しているため、わからないということです。

 

それでも著者は、ジャイナ教とアージーヴィカ教は、同一派内の正統と異端の

関係にあったとも考えられるとし、アージーヴィカ教を率いるゴーサーラは、

当時の自由思想家のなかでも、最も有力な人物であり、恐らくはマハーヴィーラ

やブッダと同等以上の扱いを受けていたであろう、そして、解脱は万人に決定

しているとする彼の平等解脱思想は、カースト下層の人々の救済思想として

受け入れられたであろうと述べています。

 

では、ここでいったん中断し、次回は、ジャイナ教の教義、戒律、教団生活

などに触れてみたいと思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体