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「ジャイナ教」3-その戒律と生活-



ジャイナ教3 




ジャイナ教の出家修行者には、多数の戒律規定が制定されていますが、まず、

何よりも遵守すべきは、一 非殺生・二 非妄語・三 非盗(非与取)・四 非淫

・五 非所有の五つの大誓戒です。

 

パーサ(パールシヴァ、ジャイナ教の第二十三祖、マハーヴィーラの先駆者)に

おいては、非殺生・非妄語・非与取、他に与えず、という四つの戒めを定め、

非淫は当然のこととして「他に与えず」の戒めのうちに含めて考えられていた

ようであり、マハーヴィーラの第四と第五は、パーサの第四制戒を拡大したもの

であろうと一般的には考えられているようです。

 

ジャイナ教の修行者は戒律を厳格に遵守し、実行し、戒律を破るよりはむしろ

死を選んだという。非殺生戒は特に重要視され、一切の生きものに対して慈悲

を及ぼさねばならないと考えたようです。一切の生きものは生命を愛している

のであるから、生命を傷つけるのは最大の罪悪であるとされたということです。

 

(非殺生)

ジャイナ教では、修行者は生物間の敵意を取り去り、他の生きものを傷つけ

ないように心がけねばならないと主張されています。ありとあらゆるものの

中に霊魂の存在を認め、霊魂は自分と同質のものであるから、これを傷つけ

たり、殺してはならないというのです。

 

このような慈悲の思想は、仏教にもあり、必ずしもジャイナ教だけが説いた

ものではなかったようですが、歩きながらどんな微小な生物でも足で踏み

潰さないように注意する。物を持ち上げたり置いたりするときに、何物も

傷つけないように、また圧しつぶさないように気をつける。極微動物を

食べたり、飲み込んだりしないように、食物と飲み物に注意するなど、

徹底したものであったようです。そして、この「生きものを殺すなかれ」

という戒律を遵奉することを世俗の信者たちにも要求していたということ

です。

 

しかし、このような戒律は、出家修行者といえども、実際に完全に実践

することは困難なことではなかったでしょうか。

 

なお、非殺生、生きものをあわれむという慈悲の思想は、自然科学的な

視点や個人の良心といった観点からではなく、輪廻転生を信じていた

彼らは、その過程でお互いどのような親密な関係を結ぶかもしれない

という、具体的な感情にもとづいていたということです。

 

また、この非暴力・非傷害の思想は、ガンジーによって近現代の政治

の世界に生かされることになったということです。ガンジーは幼少

の頃、ジャイナ教の影響を受けて成長したといわれています。

 

(非妄語)

すでに、バラモン教において、「真実を語れ」といわれてきたようで

あり、ジャイナ教においても、「虚言を語るな」と教えられている。

出家修行者の資質として、真実を尊重するという伝統があったと

いうことです。

 

(非与取)

ジャイナ教では、物に執着してはならないというのであるから、当然、

与えられないものを取る心、すなわち、盗み心を起こしてはならないと

されます。盗みをすることがなぜ悪い行為であるのかと理由について、

財物が人間の外的な生命であり、それを取り去るならば、それらの外的な

生命が殺されるからであるからだという。つまり、盗みをしないという

ことが、生きとし生きるものの生命をいつくしむという精神にもとづいて

いるのです。

 

(非淫)

ジャイナ教では、人間の欲望のうちでも、特に淫欲を断てということを強く

命令しているという。バラモン教においても、夫人を見つめたり、触れては

ならないと説いていたようですが、ジャイナ教の修行者は、身体でも、心でも、

ことばでも行わない、つまり、一切の性的関係を断つ清浄行為を実践すると

いうのであるから、実にそれは徹底したものだといえると思います。

 

(非所有)

当時のジャイナ教徒は、非所有ということを理想としてめざしていたという

ことです。何ももたぬというは、当時の修行者一般の理想であったようですが、

ジャイナ教の修行者は、衣服さえも所有しないのです。

 

マハーヴィーラ自身も裸形であったと伝えられていますが、初期の修行者たち

は一糸もまとわないで、蚊や蝿などに身をさらして裸形で修行をしていた。

しかし、やがて白衣をまとうことを許す一派が現れて、白衣派と称された。

そして、まったく衣をまとうことを許さない保守的な人々を空衣派あるいは

裸形派と称しました。

 

では、なぜ、裸形でいるのか。

 

すでに、われわれの肉体でさえも霊魂にまといつく覆い、束縛となっている

のであり、まして、衣服を着けることは、なおさら霊魂の清浄な本性を覆い

隠すというのです。全裸形の修行は、イスラムのインド侵入以後、一般的

に禁止されたが、現在でもまれに全裸の修行僧がいて、ジャイナ教徒の間

では非常に尊敬されているということです。

 

かくして、以上のような厳しい戒律は、見る者を驚かせるような慣習、風俗

を生みましたが、その根本にあるのが、非殺生、つまり、生命尊重の精神で

あり、それが戒律の総体を規定しているものと思われます。そして、これに

もとづく宗教体験の多様な形は、すべてただ一つの目的、すなわち輪廻と

カルマに支配された世界からの解脱をめざすものにほかならないといえる

のではないでしょうか。

 

ところで、教団の生活についてですが、長くなりますので、簡単に触れて

おきたいと思います。ともかく、教団の生活のあり方は、カッパと呼ばれ

る生活規則によって詳細に定められています。

 

まず、マハーヴィーラの教えに従う者は、サンガという集団を形成している

が、それには僧と尼僧、男性の在家信者と女性の在家信者の四つがあり、

修道僧(僧と尼僧)たちは、団体生活をしているという。そして、修道僧

たちは、その集団の身体的、精神的安定にたえず心を配る一人の指導者を

その頂点にいくつかの小グループに分かれているようです。(ただし、白衣

派の一派だけは、頂点に位置する教主を中心に組織されているという)

 

修道僧は在家信者よりも優れたものとされているが、俗世間の人々を決して

無視することはなく、教団を構成するこの二つの集団の密接な連帯を積極的

に持ち得ることがジャイナ教の存続の理由の一つだということです。

 

また、ジャイナ教は決して尼僧(修道女)を排除しておらず、尼僧の数が

僧の数を上まわっているという。ただし、地位的には劣った地位にある

ようです。

 

そのほか、衣類、持ち物、食物、礼儀などについて細かく定められているが、

それを遵守しながら、ジャイナ教では、6月から9月までの雨期の四カ月間は、

寺院に籠りきりの生活を行う以外、一年の残りの期間は、同じ場所に3~4日

留まるだけの遊行の生活を行うということです。

 

最後に、ジャイナ教の聖地について触れておきます。

 

ジャイナ教では、当初は、尊像崇拝も行われず、聖地巡礼も問題にされていな

かったようですが、その後、一般的にジャイナ教の聖地は、開祖と見なされて

いるマハーヴィーラ自身と彼以前にこの世に出現したという二十三人の祖師=

救世主が滞在し、そこで重要な事績をなした地が聖地であると認められて

いるようです。

 

現在、ジャイナ教徒が巡礼する聖地は、いずれも山の上にあるが、その理由

について著者は、信仰心の篤いジャイナ教徒にとって、高い山の頂が解脱した

マハーヴィーラの遺骨にこの世で一番近い場所という意味が込められている

に違いないと述べています。

 

 

 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体