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「唯識という思想」




唯識という思想



 

唯識思想は、中観思想とならんで大乗仏教の根本ともいえる思想です。

 

まず、先に紹介した、「空」「無事性」を説く中観学派の思想があり、唯識

学派は、この「空」の思想をさらに詳細に考察していきます。その考察とは、

龍樹が説き明かした「空」を非常に優れた思想と認めた上で、それでもなお、

未だ解き明かされていないものがあり、それを明らかにしようとしたよう

です。

 

中観思想は、自他のあらゆるものが本来は「空」であり、仮に、ことばに

よって認められているものであるから、ことばに囚われることなく、正しく

「空」としてのあり方を知ることで、無明を断ち切ろうとしますが、唯識

思想は、「空」を正しく知るための方法論として、あらゆる存在はただ識

(心)によって現されているにすぎないものであって、私たちが認識している

対象はすべて実在しているのではない、ただ識(心)のみがあって対象は存在

しないと知ることであるというのです。

 

さて、唯識思想を展開する学派は、正しくは瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派

といい、その瑜伽行という名称が示すように、ヨーガの実践を中心とした

伝統的な仏教の中から生まれてきたと考えられています。

 

唯識学派の思想家たちによって、伝統的な瞑想を実践する仏教の中に中観の

「空」という大乗仏教の根本となる思想が取り込まれたようですが、一切が

空であると私たちが認識するのは何によってであるかが中観思想では明らか

にされていないとして、瞑想の対象として「空」を感じる心のはたらきを認め、

同時に、私たちが存在すると考えているすべてのものは心によって現れている

ものにすぎないと主張したということです。

 

中観思想が「般若経」に基づいて思想を展開したように、唯識思想も「般若経」

に説かれる「空」について深く考察したようですが、中観思想では明らかに

されてこなかった心の働きについて考察し、その根拠となる経典として、

唯識思想では「解深密経(げじんみっきょう)」を重視したようです。

 

唯識思想は、一切を空とせず、仮に識(心のはたらき)の存在を認め、その

上で外界の対象が存在しない空(無自性)であると知るところから考察を

進めます。

 

このあらゆる存在を現出する私たちの識(こころ)が、阿頼耶識(アーラ

ヤシキ)を原因として起こる「虚妄なる分別」であり、それによって世俗の

過った見解が日常的に連綿と引き起こされるが、その相続生成する心のはた

らきもまた自性を持たない虚妄であり、仮の存在であるから、瑜伽行(瞑想)

を通して、迷いから悟りへという転回が可能であると瑜伽行唯識学派の思想家

たちは考えたということです。

 

このように、あらゆる存在が私たちの識(心)によって現れたものであることを

知らないだけでなく、その同じ識(心)が自分を含め、あらゆる存在(法)に

執着しているという自己矛盾に気づいていなのが人間なのだとし、とにかく、

唯識思想では、私たちの虚妄なる心のはたらきを認めて、最終的にはそのはた

らきを、瞑想等を通じて制御し、転換することで「空」を覚り、悟りへと到達

する道を示そうとしたようです。

 

ところで、先に、阿頼耶識(アーラヤシキ)という言葉が出てきましたが、瑜伽行

唯識学派が登場するまでは、識(心のはたらき、認識作用)は、眼識(げんしき)

・耳識(にしき)・鼻識(びしき)・舌識(ぜっしき)・身識(しんしき)・意識

(いしき)の六識しか設定されていなかったようです。

 

そこで、唯識学派がまず問題と考えたのは、あらゆる存在が心のはたらきによって

現れているのであり、認識されているものは実在しないという唯識の基本思想の

うち、あらゆる存在を成立させている根源のあるものは何か、ということで

あったようです。

 

それは同時に、現象的な六識では解明しきれないと考えられ、私を私であると

認識している心のはたらきの根源に何があるのかということ、私たちの認識する

はたらきが一人ひとり異なっているのはなぜかということ、その認識に執着する

はたらきが何によって起こってくるかということ、煩悩(無明)を止滅させる

ことで、悟りの境地に至ることが何を根拠として可能かということ、これらに

ついて明らかにすることでもあったようです。

 

このような疑問に答えるために、唯識学派が瑜伽行(瞑想)を通して、私たちの

意識(六識)の深層に見出してきたのが、日常生活の中ではまったく知られる

ことのない領域で働いている阿頼耶識(アーラヤシキ)であったということに

なります。このアーラヤという語は「蔵」を意味し、一切を蓄えるはたらき

をもつことから、そう名づけられたようです。

 

なお、このように阿頼耶識(アーラヤシキ)は一切のものが現れてくる種子で

あるとされますが、阿頼耶識(アーラヤシキ)そのものが汚染されたものである、

あるいは汚染するはたらきを持つということでもないということです。

 

同時に、六道に輪廻する迷いの原因として、瞬間、瞬間に生じては消える第六識

とは異なる識があることが明らかにされました。つまり、「心と意と識」のうち

の阿頼耶識(アーラヤシキ)の異名である「心」でもなく、前六識である「識」

でもない識である「意」、すなわち末那識(マナシキ)というものが設定され、

それが迷いの原因であるとされたのです。この末那識(マナシキ)は、常に自我

を意識し、それに執着する心のはたらきであることから、汚染された「意」で

あると考えられたのです。

 

かくして、我々の意識の深層に阿頼耶識(アーラヤシキ)なるものを見出した

唯識学派は、「心と意と識」のうち、「心」がすべての種子を有する阿頼耶識

(アーラヤシキ)にほかならず、この心の本体から意(マナシキ)と識(前六識)

がはたらくという八識説が成立したということです。

 

それでは、この阿頼耶識(アーラヤシキ)には、どのようなはたらきがあり、

また、どのようにして世界を成り立たせているかということになりますが、

その特質は、自相、因相、果相の三種があるということです。

 

まず、自相とは、阿頼耶識(アーラヤシキ)があらゆる汚染されたものから

薫習(染み込むこと)され、それが種子(形成力)となってあらゆる汚染され

た存在が生じてくるということです。

 

なぜ阿頼耶識(アーラヤシキ)が苦を生じさせる汚染の原因としてはたらいて

いるのかというと、私たちに認識されているものはすべて虚妄なるものであるが、

阿頼耶識(アーラヤシキ)がそれらの影響を種子として蓄え、それらが原因と

なってあらゆるものを汚染されたものとして生じさせ、しかも、それを私たちが

実在する唯一のものと認識しているからだというのです。

 

このように、私たちが存在する迷いの世界の影響を蓄積して、またそれを因と

して世界を成立させている根源であることを阿頼耶識(アーラヤシキ)の自相

といいます。

 

次に、因相について、阿頼耶識(アーラヤシキ)の識とは心のはたらき、認識

作用のことですが、それは私たちの意志とは関係なく、常に現前し、私を含め、

あらゆる汚染ある存在を生起させる原因になっているということです。これを

阿頼耶識(アーラヤシキ)の因相というそうです。

 

最後の果相ですが、阿頼耶識(アーラヤシキ)は絶えずはたらき、それは量り

知れない過去から存続してきたのですが、それは汚染された存在の基盤として

はたらくと同時に、みずからが因となって生起させたあらゆる存在の影響を

種子として、すべてを蓄えてきたということです。

 

かくして、すべては阿頼耶識(アーラヤシキ)を原因として生じるとともに、

そのようにして生じたあらゆるものは阿頼耶識(アーラヤシキ)に影響(種子)

を与え続け、阿頼耶識(アーラヤシキ)はその影響(種子)を蓄え続けると

いう三つの特質(三相)があるということになります。

 

なお、唯識学派は、この阿頼耶識(アーラヤシキ)を含む八識説と並んで、

人間存在の在り方を三種類に分ける三性説をも説いています。

 

それは、(1)「依他起相性」(あらゆる存在は個別に独立して存在するものでは

なく、他に依るという性質を持って生じるということ)と(2)「遍計所執性」

(私たちが認識している対象は実在しているものではないが、それを実在して

いるかのようにあやまって捉えること)、そして、(3)「円成実性」(実在する

かのごとく妄想されたものが永く取り除かれたのちに残る「完全に成就された

もの」としてのあり方)であるとしています。

 

大乗仏教を奉じ、仏道を歩む者(菩薩)は、まず意識の深層にある阿頼耶識

(アーラヤシキ)を含む八識を知り、さらに、人間存在のあり方に三性がある

ことを知り、いよいよ、瑜伽行唯識学派の名が示すとおり、どうすれば悟りの

境地へ到達するかという実践の道へ進んでいくのですが、それについては、

省略したいと思います。

 

とにかく、生死の世界(遍計所執性)を捨てて、涅槃の世界(円成実性)を

得る方法が瑜伽行、すなわち、瞑想ですが、修行の階梯を上昇するなかで

自分の依り所が転回する「転依」ということが起こるとされています。

そして、なお、「転依」の後もさらに修行は続き、究竟道と説かれる

仏陀の境界をめざすのだそうです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体