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「ガンバレ! 動物霊魂」


動物霊魂 
(水波一郎 著 アマゾン 発売)


副題に「幽霊狸と仲間達の戦い」とあるように、ある日、道路を横切ろうと

して、車にはねられ死んでしまったオスの狸「ポコ」が、霊魂としてこの世

にもどってきて、仲間になった他の動物霊達とともに、生命を維持するために

やむを得ずにではなく、自分たちの勝手な都合で、たくさんの動物達を苦しめ、

残酷に殺している人間達を懲らしめようと奮闘します。

 

そして、高貴な人間の霊魂や他の動物の霊魂からの導きや協力を得て、失敗を

重ねながらも霊的世界の真実を学んでいくというストーリーになっていますが、

大人は勿論のこと児童にも読めるように分かりやすく書かれております。

 

水波一郎氏の著書で、以前、動物の霊魂について書かれたものに、「ネコの

死後はどうなるの?」がありますが、それは、いわゆるペットとして飼われた

動物の死後についての物語であり、今回は、主に野生の動物の死後の行方に

焦点が当てられています。

 

「ネコの死後はどうなるの?」でもそうでしたが、ここでも、動物同士の

霊魂が、そして、動物の霊魂と人間の霊魂が対話をする形でストーリーが

展開していきます。でも、これは、動物を擬人化したということでは

ないのです。

 

動物たちは、勿論、言葉は話せません。しかし、これは人間の場合にも

当てはまりますが、死後の世界では、いわゆるテレパシーのごとく、お互い

に想念を出しあってコミュニケーションを図るのであり、それによって

動物霊魂同士、動物の霊魂と人間の霊魂の間で意志の疎通が可能になると

いうことです。

 

また、「ネコの死後はどうなるの?」にも書かれていましたが、動物たちは、

生前は餌を求めることにそのエネルギーの大部分を費やしているのですが、

死後の世界は、肉体を持たないため、食べる必要もなければ、寝る必要も

ない世界ですから、死後、動物たちが生きる上で大事な機能は、食物を消化、

吸収するための臓器ではなく、念を使用して生きるための機能に変化し、

思いを発する機能が発達するということです。

 

なお、動物たちは、人や他の動物に食べられることに対して、嫌がって必死

に逃れようともがきますが、一方で、己も他の生命体を食べるのであり、

それは仕方がないことだという諦めもあるそうです。

 

しかし、単なる遊びのためや、残酷な欲求のためなど、理不尽な理由で

殺されることに対しては、動物たちは激しい怒りの想念を発して、人間の

幽体を傷つけるということです。

 

ところで、地上は、物理的な環境のみならず、人間が引き起こした様々な

原因によって霊的な環境も大変悪くなっているようで、動物達もその

とばっちりを受けているようなのです。

 

我々は、常識的に人間に愛情を注がれた動物達、つまり、ペットなどは、

死後、幸福な生活を送るだろう、あるいは、死後、より進化して上の世界

へいくだろうと考えますが、どうもそうではないようです。

 

飼い主や世話をする人間の愛情ではなく、その人の肉体と重なっていて

死後使用するもう一つの身体、つまり、幽体の質、そして、放つ幽気に

大きな影響を受けるようなのです。そして、霊的な環境の悪化に伴い、

飼う側の人間の幽体の状態がどんどん悪くなっている現実があるよう

なのです。

 

一生、全く人間と接点を持たない動物たちは、あまり影響を受けることは

なく、死後、低くはない、それぞれ固有の世界へ行くようですが、人と

関わらざるを得なかった動物、つまり、犬、猫などのペットは、死後、

人とともに下層の世界へ入り、辛い思いをすることになるようなのです。

 

つまり、死後は、想念の力がものをいう世界だということですから、人間

の霊魂と併存する世界に入ると、動物に勝る知恵と強力な念を持つ人間の

霊魂に苦しめられるということです。たとえば、この世での動物に対する

虐待、虐殺が、時折、ニュースになりますが、あの世では、それよりも

遥かに恐ろしい光景が繰り広げられているのだそうです。

 

では、そのような動物霊魂達は、どうしたら救われるのでしょうか? 

また、そのために人間はどうすべきなのでしょうか?

 

本書では、そのことが軽快なストーリー展開のなかで、わかりやすく触れ

られていますので、関心のある方は、是非、一度読んでみていただき

たいと思います。

 

 
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シルバー・バーチの再生論への疑問(2)


シルバー・バーチの霊訓3 神体 



 
シルバー・バーチの再生論への疑問(1)からの続き

 

「マイヤースの再生観にはさまざまな矛盾や問題点がありましたが、シルバー・

バーチの「再生観」によってそれらが克服されることになりました。さらに

シルバー・バーチは、マイヤースの再生観を補完しただけにとどまらず、

「再生現象」の複雑なメカニズムの真相を初めて明らかにしました。」

 

「再生現象のメカニズムを論じるうえで最も重要な点は――「いったい何が

再生するのか?」ということです。常識的に考えるなら、「前世と同じ人間が、

次の地上人生においても現れる」ということになりますが、シルバー・バーチは

そうした「再生」の常識を根底から覆しました。地上人が考えるような「同一

人物・同一意識を持った人間の再生はない」と言うのです。」

 

「シルバー・バーチは、人間の意識を「インディビジュアリティー」と「パーソ

ナリティー」に分けて説きます。

 

「現在の人物像である「パーソナリティー」は一回限りのもので、死後には

「パーソナリティー」は「インディビジュアリティー」の中に吸収され消滅

することになると言います。シルバー・バーチによれば、「再生時には、今の

意識を持った人間とは別の人間(人物像)が現れる」ことになります。“自分”

という意識を基準にするなら、再生時には別の人間が現れるということであり、

「今のあなたは過去には存在しなかった」すなわち「前世はなかった」という

ことになります。再生時に現れるのは、地上では自覚できない「大きな意識体

(インディビジュアリティー)」の別の一部分であって、“今のあなた”では

ありません。これがシルバー・バーチが明らかにした「再生」の真相です。」

 

「シルバー・バーチが示してくれた知見(再生観)によって、それまでの再生

肯定派の見解にも再生否定派の見解にも、それなりの正当性があることが明らか

になりました。」しかし、「再生肯定派の見解の多くは「機械的再生論」であり、

再生の事実に立脚したものではありませんでした。」「再生否定論者は、「再生

自体を否定する」という点で間違いを犯してきました。」よって、「再生肯定派

も再生否定派も共に間違いを犯し、同時に両者とも部分的には正しいことを

主張してきたということになります。」

 

「シルバー・バーチは、再生現象の複雑な事実を詳細に示すことによって、スピ

リチュアリズム内部の再生論争に決着をつけました。シルバー・バーチによって

初めて「再生」の真相が明らかにされ、「真実の再生論」がもたらされることに

なりました。」

 

(コメント)

「再生現象」の複雑なメカニズムの真相を初めて明らかにしたということですが、

目新しくみえる「パーソナリティー」(人格性)と「インディビジュアリティー」

(個体性)という概念については、特別に新しいものではなく、古来から自我と

「真我」、「霊我」などといった形で存在するものであり、当時も、神秘学徒や

オカルティストの間で、人格性の死滅と個体性の不滅として流布していた概念の

ようです。

 

そうなると、言うほど新しい要素はなくて、かつて、アラン・カルデックが主張

していた再生の目的、すなわち、霊の進化のための罪の償い(カルマの浄化)と

マイヤーズの類魂説を統合したものがシルバー・バーチの再生論ということに

ならないでしょうか? 

 

ところで、シルバー・バーチの再生論は、類魂説を基にして、霊的な進化を目的

とした類魂の一部の再生、そして、霊的進化のためのカルマの解消という流れに

なりますが、先に触れた水波一郎氏の著書「神体」、あるいは「霊魂からの伝言」

によると、それとは逆のベクトルになるようなのです。

 

つまり、人という生命体は、元来、幽質の世界の存在であったが、物質を支配

したいと欲し、物質の世界に降下したという。そして、それを思いとどまらせ

ようとした上級の霊魂の忠告を押し切って地上に降りた人間は、物質の身体を

まとうようになり、食物を食べ、労働し、睡眠する存在となった。

 

地上に降りて初めて不自由というものを知った人類は、結局、不自由が嫌になり、

もとの世界に戻りたいと神々に願った。しかし、肉体をまとった人間の思いは

もう届かなくなっていた。

 

地上には死というものがあった。死は、もとの世界への帰還かと思われたが、

実は、そうではなかった。再生が始まったからである。もっとも、再生は、

個体そのものの単純な生まれ変わりではなかった。幽体のごく一部、全体の

ミニチュアのごとしが新しい肉体に侵入するのである。それも、幽体が意図

的に再生を望むのではなく、気がついたら、もう再生しているというのです。

 

つまり、霊的な進化という目的のために地上に生まれたのではなく、地上に

生まれてしまったから、そこで進歩しようという目的な生じた、そして、霊的

カルマが発生したから、それを解消する必要が生じたということです。

 

また、水波霊魂学においては、死後、人は幽体の質と状態によって行き先が

決まり、それぞれ階層を形成するとされていますが、だからといって、

個が融合して大きな意識体を形成することはない、意識の融合現象は起ら

ないとしています。あくまで個々に存在し続けるということです。

 

さらに、シルバー・バーチが、「「類魂」に関する霊的知識は、スピリチュ

アリズムの中で最も深遠なものです。」として基本的に継承している

マイヤースの類魂説が登場した霊的環境にも疑問があります。

 

どうして、マイヤーズ霊という生前、スピリチュアリズムの探究者では

あっても、霊的修行を経ておらず、死後、たった20年ほどしか経過して

いない新参の霊魂が、修行を積んだ高級な霊魂しか知り得ない霊的世界

の「深遠」なる真実を把握できるのかということです。

 

死後、日の浅いマイヤーズの霊魂は、現世とは全く異なる霊的世界の有様に

驚愕しながらも、とにかく、その世界の仕組みを一から学ばなければならず、

彼自身の幽界での新たな生活の一歩を踏み出すことで精一杯だったのでは

ないでしょうか?

 

これらのことから、シルバー・バーチは、「再生現象の複雑な事実を詳細に

示すことによって、スピリチュアリズム内部の再生論争に決着をつけた」と

主張し、「再生肯定派も再生否定派も共に間違いを犯し、同時に両者とも

部分的には正しいことを主張してきたということになります。」ということに

至る結論は説得力に欠けるように思われます。

 

結局、それでは、なぜ、再生を巡ってスピリチュアリズムの内部であれだけ

の対立が続いたのかと真の原因がわからないのではないでしょうか?

 

よって、マイヤースの類魂説そのものに、すでに曖昧なところが見られた

ように、シルバー・バーチの再生論は高級霊魂からの霊的世界の真実を伝え

る通信というより、再生肯定派説、再生否定派説のいずれもが、不十分

ではあるが間違ってはいなかったと、スピチュアリズム全体を擁護する

ところにその目的があったという見方ができるのではないかと思われます。

 

なお、『シルバー・バーチの霊訓』は、「イエスを中心とする霊界の高級霊団

の決意と願望の結晶」だとする主張に対する疑問は、前々回に述べさせて

いただきましたが、もう一つの大きな疑問は、霊的進歩、進化を第一に掲げ

ながら、その方法について、利他愛による行為や、祈りなど、表面の心に

かかわる倫理道徳的なレベルの実践しか示唆されておらず、魂全体を進歩

させる霊的技法、霊的トレーニング法がまったく明らかにされていない

ということにあるのではないかと思います。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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シルバー・バーチの再生論への疑問(1)




古代霊は語る 

 

シルバー・バーチの再生論については、スピリチュアリズム普及会公式サイト

の<「シルバー・バーチの霊訓」とは>のなかで、次のように述べられて

います。

 

「「再生」についてはスピリチュアリズムの内部でも諸説が入り乱れ、長い間、

混乱状態にありました。同じスピリチュアリズムを標榜しながらも「再生観

(再生論)」をめぐって対立し、英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリ

チュアリズム(スピリティズム)に分裂してしまいました。」

 

「「再生」は、スピリチュアリズムの中でも最後まで結論が出せなかった、

きわめて難解な問題だったのです。」

 

(コメント)

ステイトン・モーゼスの「霊訓」をみると、霊媒モーゼスと指導霊との

キリスト教の教理をめぐる壮絶な格闘の様相を呈していますが、このこと

からも、スピチュアルズムの多くが西洋の伝統的宗教であるキリスト教の

ドグマの呪縛から抜け出せなかったことを示しているのではないでしょうか?

 

20世紀に入りスピリチュアリズムの歴史が半世紀以上経ったとき、マイヤ

ース霊からの霊界通信によって「再生」の真相解明が一気に進められることに

なりました。マイヤースを通じて初めて「類魂」の事実が明らかにされました。

これはスピリチュアリズムにとって画期的な出来事でした。」

 

「再生についての真実を解明するキーワードは、「類魂(グループソウル)」

です。霊界の界層では、同じ霊的成長レベルに至った者同士が集まって一つの

「霊的グループ(霊的家族)」を形成し、共同生活を営むようになります。」

 

「霊的グループ(霊的家族)では、メンバーの間に共通の意識が形成されるよう

になります。霊的家族である霊たちの意識が集合して、一つの大きな意識が

つくられるようになるのです。」

 

「霊的家族では、他のメンバーと自分の心(意識)が融合して“大きな心

(意識体)”が形成され、各自はその大きな心(意識体)を共有するように

なります。これが「類魂(グループソウル)」です。「類魂」とは、集合化した

“大きな意識体(心・魂)”のことなのです。「類魂(共有意識)」の中では、

自分が他人と一つとなり、他人が自分と一つとなってしまうような心の融合現象

・意識の融合現象が発生します。」

 

「「類魂」に関する霊的知識はスピリチュアリズムの中で最も深遠なものです。」

 

(コメント)

マイヤーズ霊とは、生前、学者であり詩人でもあったというスピリチュアリスト

のF・W・H・マイヤーズが、死後、20年ほどして霊媒をとおして再びマイ

ヤーズであると名乗って通信を送ってきたという存在ですが、そのマイヤーズ

霊は、再生に関して画期的な「類魂説」を主張したということです。しかし、

そこにはいくつかの疑問点があります。

 

まず、それ以前に、アラン・カルデックは、「霊はその性向と類似性をもって、

別々の家族集団をつくる」と主張していたということです。

 

そして、マイヤーズは、生前、一人の人間の中には何人もの人間が住んでいると

いう「複数潜在意識」説を主張していたということですが、このアラン・カル

デックの主張も踏まえることができるとすると、これらを発展させて、「霊的

家族である霊たちの意識が集合して、一つの大きな意識がつくられる」という

類魂説に至るのは、画期的、あるいは、それほど深遠なこととは思われません

が、どうでしょうか? 

 

また、マイヤースは、「再生」は類魂全体としてみたときには存在しても、個人

としての「再生」はないかのような言い方をしているということですが、その

あたりは曖昧であり、穿った見方をすれば、再生肯定説と否定説の両方を肯定

しようとする流れを作り出したとは言えないでしょうか?

 

ともかく、スピリチュアリズムにおいて、再生をめぐる長期の分裂の決着がつか

ない中で、マイヤースの類魂説が登場したということであり、それは、「再生」

が個人的な霊的成長を目的として行われるものではなく、類魂全体を一つの単位

として引き起こされる「共同の霊的進化のシステム」であるという考えをもたら

したということです。

 

しかし、スピリチュアリズムは、地上への再生の目的とは、端的に言うと、地上

で様々な体験を通して霊的な成長を成し遂げるためであるとしていますから、

類魂説は、一面では、霊的成長のための豊富な体験を得る合理的な仕組の解明の

ように見えますが、一方で、重要な課題、つまり、霊的成長を妨げる個々人に

とってのカルマの清算(アラン・カルデックのいう罪の償い)をいかに行うかと

いう問題が不問になってしまっているということになります。

 

「カルマ」は霊的成長の足かせとなり、霊的成長を妨げます。」「霊的成長を

なすためには、それ以前につくってしまったカルマを清算することが不可欠な

のです。」「「カルマ清算」は、摂理違反に相当する苦しみを体験することに

よってなされます。」「地上人には苦しみは不幸としか思えませんが、霊的観点

から見ると苦難の体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるありがたい

ものと言えるのです。」

 

よって、「霊的成長のためには地上世界における新しい体験だけでなく、「カルマ

清算」という埋め合わせのプロセスが必要となります。霊界の霊的家族の一員が

大きなカルマを持っている場合には、それが「類魂」としてさらなる霊的成長を

目指すうえでの足かせとなります。1人のメンバーの「カルマ」が、類魂全体の

霊的成長を足止めすることになってしまうのです。」

 

しかし、「自分が犯した摂理違反は、自分自身が苦しみを持って償うというのが

「神の摂理(自己責任の法則)」なのです。他人にカルマの清算を肩代わりして

もらうことはできません。」

 

「そこで「カルマ」をつくった本人が地上へ再生し、苦しみの体験を通して自ら

のカルマを清算することになります。実は再生者の多くが、「自分のカルマ清算」

と「類魂全体の霊的成長のための新しい体験」を求めて地上人生を歩んでいます。

1人の人間が、2つの目的(本人のカルマ清算と類魂全体の霊的成長)を同時に

果たすようになっているのです。」

 

(コメント)

ここで欠落していたカルマの問題に触れているわけですが、シルバー・バーチの

言う「カルマ」とは前世の地上生活で犯した摂理への違反行為であり、苦難の

体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるものであるとしています。

 

しかし、カルマとは本当にそういうものなのでしょうか? 

 

以前にも紹介しましたように、水波一郎氏の霊魂学では、「霊的カルマ」とは、

過去世において経験した、今の人生に影響を及ぼす大きな衝撃、否定的な感情

であるという定義がなされています。そして、それは表面意識(心)の転換で

容易に清算できるものではなく、霊的トレーニングによるカルマの解消と魂全体

の成長の必要性が主張されています。

 

人は霊魂として神々から自由に生きる権利を与えられており、苦しみは神の節理

に違反したからやってくるのではなく、過去世から持ち越した否定的衝動がもた

らすものであるということです。

(つづく)

 
 
 
 

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「シルバー・バーチの霊訓」の位相


シルバー・バーチの霊訓 霊魂イエス下


「シルバー・バーチの霊訓」とは、イギリス人のモーリス・バーバネル

(1902~82)という人が「シルバー・バーチ」と名乗る知性(霊魂)の

霊媒となってあらわされたものです。

 

シルバー・バーチは、古代の「レッド・インデアン」であると名乗ったと

いうことですが、実は、シルバー・バーチとは先住インデアンの人格を

まとった霊魂の便宜的な仮の名前であり、その背後には高度に進歩した霊的

存在がいて、教えを説いているとされています。

 

シルバー・バーチの背後には、霊団が控えており、その霊団とは、地上経綸の

仕事において最終的な責任を負っている神庁であり、その会議でシルバー・

バーチがこれまでの成果を報告し、指図を受けるとしています。

 

さて、この「シルバー・バーチの霊訓」について、「スピリチュアリズム普及会

第1公式サイト 霊性進化への道-スピリチュアリズム」では、次のように意義

づけられています。

 

<世界三大霊訓の一つである>

 

アラン・カルデックの『霊の書』(「再生」を全面的に押し出し、「再生論」を

思想の軸としてすべての霊的知識を体系化している)と、ステイトン・モーゼス

の『霊訓』(キリスト教的世界観との対決、霊界から示された「霊的真理」を

地上で最強の勢力を誇るキリスト教にぶつけ、理論闘争を展開するという形を

取っている)を最終的に統合し、さらに深化を図ったものが「シルバー・バーチ

の霊訓」であり、最も優れた通信である。

 

<イエスを中心とする地球圏霊界の高級霊が結集して、計画的に進めている

「地球人類救済プロジェクト」である>

 

霊的無知は、“物質至上主義”と“エゴイズム”を発生させた。イエスをはじめ

とする何百億という高級霊によって、地上世界に「霊的真理」をもたらすため

の計画が立てられた。心霊現象の演出と心霊研究という形で始められることに

なった。「心霊現象」はどこまでも「霊界通信」の前座として演出されたもの。

「霊界通信」によって、地上人の救いのために最も重要な「霊的真理・霊的

知識」をもたらすことが、イエスを中心とする霊界の大霊団の戦略だった。

シルバー・バーチは大霊団の代弁者であり、自らも「大霊団のマウスピース

である」と述べている。それは、まさに人類史上最高の霊界通信であり、

他の霊界通信とは比較にならないものである。『シルバー・バーチの霊訓』

は、地上のスピリチュアリズムに正しいスタンダード(基準)を示すという

使命を担って登場した。これによって、地球上のスピリチュアリズムは

新しい時代を迎えようとしている。

 

<スピリチュアリズム思想の集大成であり、地球上の宗教思想の最高峰で

あり、人類史上最高の啓示・地球人類共通のバイブルである>

 

シルバー・バーチは、イエスが主宰する大審議会への出席を許され、特別な

使命を与えられ、直接イエスと会話できる存在。地上に再生する必要がない

段階にまで進化した立場から通信を送ってきた。その結果、スピリチュアル

運動の勝利宣言、地球人類救済計画の成功宣言となる。

 

「霊釧」は、霊的知識に基づく生き方の、具体的な手本を示してくれる。

結論的には、利他的生き方・摂理にそった生き方に心がけ、真実の愛を

実践することとなる。

 

“謙虚さ”は、霊性の高さを示すバロメーターであり、真理をどのくらい

体得しているかを示している。

 

霊媒現象に付きまとう「霊媒の潜在意識の混入」という厄介な問題も克服し、

100パーセント純粋な最高次元の霊界通信が実現することになった。

 

交霊会(霊界通信)は「通信霊」と「霊界サイドの協力者(霊団)」と「地上

の霊媒」と「地上人(サークルのメンバー)」という4つの要素から成り

立っているため、それらがどのような連携状態(調和状態)にあるかに

よって交霊会全体のレベル(質)が決定することになる。地上サイド

(参加者)の霊的レベル、霊界と地上サイドの連携(調和)レベルが

アップした結果、人類史上最高の交霊会が成立することになった。

 

スピリチュアリズムは、霊界で共通に行われている「神への信仰」を、

地上世界に展開しようとする計画です。地球人類が「霊的事実」に

立った“真の祈り”を知ることができるようになった。

 

ざっと、以上のような意義つけがなされていますが、これらのことの

霊的価値の高低の見極め、真偽についての証明は困難です。特に、

イエスを中心とする最高級の霊団による「地球人類救済プロジェクト」

であるという主張については立証が不可能であり、これによってスピリ

チュアリズムの主張に対する信憑性が高まるという立場と、かえって

虚構性が高まるという立場に分かれてしまうように思われます。

 

なお、本国のイギリスでは、シルバー・バーチの書籍は、再刊されては

絶版になるという状況であるが、なぜか、日本におけるシルバー・

バーチの人気は今なお高いという状況のようです。

 

そこで、一つの判断材料として、これとは異なるイエスとその霊魂団の

活動についての見解を紹介しておきたいと思います。

 

水波一郎氏の著書「霊魂イエス(下)」によると、たしかに、イエスと高級

霊魂団が積極的に霊魂通信に関わったという時期はあったようであり、次の

ように記されています。

 

最初の霊媒の養成の試みが成功と言えなかったことを踏まえて、「(しかし、

こんどはもっとも本格的な霊媒を育てたい。世界に霊魂の実在、霊魂世界の

存在を証明しうる器を育てたい。)そう思いながら、イエスは何人もの霊魂

と会見した。その中で、霊媒となりたい霊魂に二通りのものが出てきた。

一つは、霊魂の実在、霊魂世界の存在をより強く証明したいという者、もう

一つは、霊魂からのメッセージを伝達したいとするグループであった。これ

らは、どちらも大切である。そのどちらもなくてはならない。前者だけでは

何の益もない。しかし、後者だけでも、世に受け入れられない。まず、前者

を中心に活動し、次に、後者を中心に置く。これが霊魂達の結論であった。

この時から、再び、イエスを中心とした霊魂団の、霊媒養成、そして、霊魂界

と物質界の共同作業が始まることになった。」

 

「こうして何人かの霊媒が誕生した。(皆、無名であったと思われる)ただし、
後世に影響を与えた霊媒は少ない。ニセモノが登場したからである。彼ら、
彼女らのもっともらしい演技が、本物より目を引いてしまうのであった。」と。

よって、第一次世界大戦頃、イエスは、霊魂通信により、霊魂の実在と、

霊魂からのメッセージをこの世に示すという仕事を終えて、次の仕事に

取り掛かった、とされています。

 

つまり、イエスとその直系の霊魂団がこれらの活動に関わったのは、19

世紀後半からの20世紀の始めぐらいであったであろうということです。

その後の活動は、特殊な、選ばれた人より発せられた霊魂通信というもの

から、人間が誰でも自分を訓練することにより霊的に進歩できるようにする

方向に移行していった、すなわち、霊的技法、霊的修行法の必要性を感じ

東洋へ目を向けていくことになったということです。

 

もう一つ、水波一郎氏の監修によるHP「霊をさぐる」の「霊魂と交信する

技術」のなかでは、次のように述べられています。

 

「東洋のような修行の伝統のない西洋では、良い通信は送りにくい。」「高級

と言われる霊魂の思想を表現することは普通の霊媒ではまず無理なのです。

それが可能なのは、長い間に渡り、不可能を可能にするための訓練をした

霊媒だけなのです。」「したがいまして、西洋の霊界通信のように、訓練の

ない霊媒を使っても、通信を送りうる霊魂は、それほど意識の高い方の

霊魂ではなく、真実が表現されていることは少ないのです。むしろ、

こうした霊魂からの通信は、いずれ、本物が出るための過渡期に出現

する役割があると言えましょう。」ということです。

 

これらの記述によると、イエスとその高級霊魂団は関わっていないのでは

ないかということになりますが、どうでしょうか?

 

また、これは私見ですが、バーバネルによるシルバー・バーチの通信は、

スピリチュアリズムのピークが過ぎた後、つまり、1920年頃から

1980年頃まで行われたということです。そうなると、それ以前の

ほとんどすべての霊魂通信を視野に入れることが可能になり、それら

を折衷することもできます。

 

このことから、シルバー・バーチの霊界通信は、ステイトン・モーゼス

やアラン・カルデック、そしてマイヤースなど、それまでのスピリチュ

アル思想の統合ではあっても、冷静に見ると、まったく革新的でより

レベルの高い「人類史上最高の霊魂通信」とは言いきれないという見方が

できるのではないかと思われますが、どうでしょうか?

 

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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アラン・カルデックと再生論-近代スピリチュアリズムの歴史3-




霊の書霊媒の書





アラン・カルディク(1804~61 本名 ド
ニザール=イポリット=

レオン・リヴァイユ)は、「心霊主義理論の創始者」と位置づけられるように、

近代スピリチュアリズムの最も初期に、最も高度な論考を生み出し、スピリチュ

アリズムに明確な輪郭と教義を与えて、その原典を作ったとされています。主な

著作には、「霊の書」、「霊媒の書」、「スピリチスムと福音書」などがあります。

 

フランスのリヨンに生まれたカルデックは、スイスの教育改革家ペスタロッチの

寄宿学校で教育を受け、その教育理念に感化されたようで、最初は、教育者の

道を選びます。

 

よって、スピリチュアリズムに専心するまでは、ペスタロッチロッチと関連の

ある教育の仕事に携わり、自らも教育図書を数多く刊行する一方、メスメリズム

(動物磁気)を研究するマグネティズム協会で積極的な役割を担うという、幅

広い活動を行っていたということです。

 

カルデックは、霊媒ではなく、霊能力者でもなかったが、いわゆる、日本に

おける審神者(さにわ)のような立場に立って、霊たちから受け取ったメッセ

ージをそのまま転記し、体系化し、分類し、質問を地球人の頭を満足させる

ような仕方に導いたとしています。

 

「霊の書」がスピリチュアリズム理論の基礎となり得た理由の一つは、時代的

な早さのほかに、材料としてカルデックが直接対話した霊媒の通信のみでなく、

様々な霊媒の通信を用いた、いわば、古今東西の霊界通信の集大成であった

ようで、カルデック自身も、通信された教えは、その出所がばらばらである

にもかかわらず、内容は一致しており、この事実は、スピリチュアリズムの

教義を樹立するに際して極めて重要な意味を持っていると主張しています。

 

なお、この「霊の書」のほかに、物理的心霊現象をあまり重要視しなかったと

されるカルデックが、19世紀的科学主義、実証主義の立場からスピリチュア

リズムの実践面、現象面について述べた「霊媒の書」などがありますが、

ここでは、「霊の書」について、特に、その中でも、重要な主張である「転生」、

「再生」について触れてみたいと思います。

 

彼の教義は、再生説に頑固に反対する米英流のスピリチュアリズムとは異なり、

「転生」、「再生」をその中心においています。

 

カルデックは、「転生の教義は新しいものではなく、ピタゴラスの焼き直しだ

という人がいる。スピリチスム(スピリチュアリズム)の教義が近代の発明に

よるものだなどと我々は一度として言ったことはない。スピリチスムは自然の

法則なのだから、この世の始めから存在していたはずである。・・・周知のよう

に、ピタゴラスが輪廻の体系を考え出したのではない。インドの哲学者たちや

エジプト人から学んだのだ。・・・しかしながら、古代の輪廻と近代の転生の

教義のあいだには、次のような大きな違いある。つまり、人間の動物への転生、

あるいはその逆の動物の人間への転生は霊たちが絶対に否定するという違い

である」と述べています。

 

つまり、カルデックにおいては、「霊」は個として転生し、人間のみが唯一

「霊」の宿る特権的な存在となるということです。

 

また、転生の目的は、「罪の償い、すなわち、それによる人類の進化改善。

この目的なくして、再生に正義はない」と主張しています。

 

「あらゆる霊はみずからの完成をめざす。神は霊たちに肉体の生を送らせる

試練を与える試練によって、完成に近づく方法を与える。正義なる神は、霊

たちが最初の試練でできなかった、あるいは成し遂げられなかったことを、

新たなる生で成し遂げる機会を与える。・・・転生の教義、すなわち人間に

何度も人生を繰り返させることを認める教義だけが、道徳的に劣る条件に置

かれた人間に対して神が行う正義を考えるとき、我々に唯一納得できるもの

である。この転生の教義だけが、我々に未来を納得させ、我々にしっかりと

した希望を持たせてくれる唯一のものだ。それというのも、この教義だけが

我々の過ちを新たな試練によって償う方法を我々に与えるからだ」という

のです。

 

そして、「霊たちの歩みは常に先に進み、決して後退することはない。その

ヒエラルキーのなかを次第に上昇し、到達した階級から下がることは決して

ない」としています。

 

霊は、転生を繰り返し地上でも試練を経るうちに、一つずつ階級を昇って

ゆくが、神の試練を素直に受け入れて努力する霊は早く最も上位の「純粋霊」

というゴールに達するが、なかなか素直に試練を受け入れない霊はゴールから

遠くに留まり、すべては霊の個としての努力にかかっているというのです。

 

このようなカルデックの主張をまとめると、「人類の進歩は、正義と愛と奉仕

の法を現実に適応する、そこから生じる。この法とは、来世への確信に基礎を

おいている」とあるように、「転生」による「公正」と「進化」、すなわち、

転生という摂理、公正という法、それによって進歩がある、ということに

なるようです。

 

ともかく、膨大な質疑応答にまとめられた「霊の書」には、後続のスピリチュ

アリズム、あるいは転生理論の説くところが、要素としてすべて出そろっている

ということが言えるようです。

 

ところで、このようなカルデックの転生理論には、霊の「進歩」という概念に

対する、同時代の社会進化論など、主として社会を対象とした進化の思想の影響

や、霊の絶対的平等と自助努力の重要性の主張における、機会の平等と自己形成

に重きを置くペスタロッチ流の教育学の反映、そして、「自然の法」(神の法)に

対する、「自由、平等、博愛」プラス労働の尊重、進歩史観というフランス革命

以後の近代市民社会の論理の投影を見る論者もいます。

 

しかし、これは、再生の目的が罪の償いのためなのか、霊的な進歩のためなのか

否かという「再生」の仕組みそのものの解明ではないため、何度も引用している

水波一郎氏の再生に対する主張を紹介しておきたいと思います。

 

人はなぜ、何のためにこの世に再生するのかについて、水波氏の著書「霊魂から

の伝言」の中で、それは、罪の償いでも、霊的な進歩のためでもない、つまり、

心を成長させる意図を持ってこの世に生まれてくるのではないとして、次のよう

に述べています。

 

人が死ぬと、幽質の世界に入るが、そこで長く生きていると、本人も知らない

うちに、幽体の一部が物質の世界の受精卵に入る。つまり、幽質の世界に自分

が霊魂として存在していて、もう一人の自分が物質の世界に誕生している、と

考えると分かりやすい。そうした状態なので、霊魂がどこに再生しようか、など

というようなことを考える暇もなく、気が付いたら再生している、と考えると

分かりやすい。

 

実は、人は目的のために生まれたのではない。逆なのである。物質の世界に

生まれているから、目的な生じたのである。仮に魂の進歩向上が、霊的生命が

生き続ける目的だとしも、幽質の世界に生きて、進歩向上すれば良かったので

ある。実際、幽質の世界でも、日々、進歩している霊魂は大勢いる。要するに、

目的のために生まれたのではなく、物質の世界で人間が生きているという現実

があるために様々なことが起きた、と言ったほうが正確なのである。

 

ということですが、どうでしょうか?

 

私は、地上(現世)の観念、思想の投影や願望ではなく、霊的な真実が淡々

と述べられているように思います。

もう一つ、カルデックは、霊媒ではなく、霊的な能力もなかったが、降霊会

の統括者の役割を担って、霊媒に入った霊魂への質疑を行い、またその真偽、

高低を厳しく判断したということです。その役割は我が国でいう、いわゆる

審神者(さにわ)と重なるように思いますが、その役割について、水波一郎

氏が監修するHP「霊をさぐる」で次にように述べられています。

 

一度、低い霊魂が身体内に入るルートを付けてしまうと、次からも同様に低い

霊魂が入りやすくなるらしいのです。また、そうした低い霊魂から発せられた

気が霊媒の身体に染み付くために、その後、高級と言える霊魂が入り得る可能性

はほとんどなくなるそうです。ですから、大切なのは、霊媒に入って来た霊魂

の正体を見極める事ではなく、それ以前に、意識の低い霊魂が入らないように

する事なのです。いったん入った霊魂の正体を見破る事は大変難しい事で、肉体

の目でしか見ることのできない人間には、なかなかできる事ではありません。

霊魂は実に巧みに人間を騙すのです。そのため、まず高い霊魂しか入れない状況

を作る事がなにより大事なのです。ということです。

 

 

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ステイトン・モーゼスの霊訓-近代スピリチュアリズムの歴史2-








モーゼスの霊訓
 霊的能力の謎






 


ステイトン・モーゼスは、初期のスピリチュアリストの中では、最も有名な


人物です。


 


モーゼスはキリスト教の牧師であると同時に霊媒であったが、この二つが


相まって、彼の代表的な著作である「霊訓」が生まれたということです。


 


モーゼスはオックスフォード大学を卒業後、聖職者としての資格をとり、


マン島で教区の牧師となったが、二度大病をして職を離れ、しばらく


個人教授をしたのち、ロンドンの大学の教員になったようです。しかし、


この仕事もまた18年後には病気のため辞めなければならなくなり、その


3年後に53歳で亡くなったということです。


 


彼の回顧談によると、幼児期から霊能の兆しがあり、学生時代に山中の


修道院で半年過ごしたことが霊的な能力の発現のきっかけになったようです。


 


もっとも、はじめのうちは、聖職者という立場からスピリチュアリズムを


まったく無視していたようですが、ロンドンの大学で職を得た翌年、つまり、


33歳のとき、彼の主治医であり親友でもある医師の奥さんの勧めで降霊会に


出席したことが発端となり、他の降霊会にも出るようになり、自分の身の上に


様々な現象が起こってくるようになったそうです。


 


初期は、重いものが動いたり、その場にない品物が突然現れたり、芳香が


漂ったり、モーゼスが空中に浮遊するなどの物理的な現象が起きたが、後には、


自動書記による哲学的なメッセージが主体になっていったということです。


 


自動書記は、1872年から5年間ほど頻繁に起こり、それからだんだんと


少なくなっていって1883年まで続いたそうです。


 


当然、それはモーゼス自身の考えが投影されたものではないかという疑問が


起こるわけですが、それについて彼は、送られてきた内容は牧師としての


自分の意志にまったく反するものであり、しばしば反対意見を述べたが、


それに対してさらに強い意見が送られてきたという。そのため、書きながら


ほかのことを考えるようにしたり、わざと難しい本を読んでみたりしたが、


それでも自分の手は動き続けたと言っています。


 


モーゼスは、「霊訓」の巻末で、人間の脳とは別個の知的存在が弛むことなく


働きかけ、そして遂に成功した事実を強調し、もしそれが理解されないならば、


その人は本書の真の意義を捉えそこなったことになると述べていますが、モー


ゼス自身が霊からの通信の信憑性について、より正確にいうと、語っているのは


霊なのかということと、霊が語っていることは正しいのかという二段構えの疑問


に強くとらわれていたようです。


 


したがって、「霊訓」は疑問、質問に対する応答、すなわち、対話体で書かれて


います。


 


「霊訓」の主要なテーマは、現存するキリスト教の錯誤や迷妄を正そうとする


ところにあり、「われわれの仕事は、イエスがユダヤ教に対してしたと同じことを、


キリスト教に対してすることである。形骸化したものを精神的なものとし、新しい


生命を吹き込むのだ」と、まさに、モーゼスのような熱心なキリスト教徒なら


びっくり仰天するような内容であったのです。


 


そして、その論調は、理性、知性、知識といった啓蒙的な用語を駆使した宗教


哲学的なものであり、既存の教会の規範や聖書の文字にとらわれることなく、


自己の良心の「光」によって判断し行動すべきであること、あらゆる行為は


絶対不変の因果律の支配を受けるがゆえに、「地獄」とは自分の行為がもたらす


魂の苦悩の状態であり、それがすなわち「罰」なのであって、神が下す復讐の


鞭などではない。日常の幸福は、神に対して、同胞に対して、自分に対して、


責務を果たすことによってもたらされるもので、その人間の持つ宗教的信条


とは関わりがないものである、などとしています。


 


さて、モーゼスの自動書記は、様々なメッセージの送り手が現れ、総数は49名


になったようですが、それを統括するのは「インペレーター」と名乗る者で


あったという。つまり、7名が一組の小霊団が7グループあって、全部で


49名の「背後霊団」がこの事業を組織的に行っていたということになります。


 


なお、最高指揮官であるインペレーターの上に更にプリセプターと名のる総監督


が控え、これが地球全体の経綸に当たる言わば地球の守護神の命令を直接受け


取り、それがインペレーターに伝えられる、という仕組みになっていたという


ことです。


 


ところで、モーゼスは、この「インペレーター」と名乗る霊魂に対して、生前の


身元を執拗に問いただしています。


 


それは、彼が単なる好奇心の満足のために、霊魂の地上時代の身元を詮索しよう


としたということではなく、先に記したように、本当に霊的存在が語っている


のか、そして、それは悪霊ではなく正しいものであるかのという疑問にもとづく


ものであったのです。


 


これに対して、霊魂たちは、押しつけがましい方法で証明しようとすることは、


無益というより、混迷を大きくするだけである。関心を向けるべきは通信の内容


であり、通信者の身元でないとして、回答を控えることが多かったようです。


 


しかし、無価値で時に有害としながらも、紀元前五世紀のユダヤの預言者で旧約


聖書の“マラキ書”の編纂者マラキ初期キリスト教時代のローマの司教だった


聖ヒポリタス紀元二世紀頃のギリシャの哲学者アテノドラス“新プラトン


主義哲学”の創始者プロティノスなどの生前の名前が明かされたということです。


 


さて、以上のことなどから、モーゼスの「霊訓」というものを振り返ると、理性


や知性を前面の押し出し、理路整然とした宗教哲学的なものであるというのは、


その一面にすぎないように思われます。


 


それは膨大な記録のごく一部に過ぎず、記録全体の割合から言うとプライベート


なこと、些細なこと、他愛ないことの方が圧倒的に多かったということであり、


かつて牧師でもあったモーゼスのキリスト教的ドグマの誤謬を厳しく指摘し、


それに代わる真正なる霊的意義を納得させようとすることに多大なエネルギー


が割かれたのではないかと思われます。


 


よって、その他の一般の人間にとっての関心事、たとえば再生生まれ変り-


の問題等については、少なくとも本書に採録されたものの中には見当たらないし、


他の書物の中で言及しているものも概念的なことを述べているだけで、深入り


することを避けようとする意図が窺えるということです。


 


それでは、現在から見ると、スピリチュアリストの間で、スピリチュアリズム


史上第一級の霊界通信で“霊訓(霊の教え)中の霊訓”-“スピリチュアリズム


のバイブル”といわれるというモーゼスの「霊訓」はどのような評価がなされる


べきなのでしょうか?


 


まず、「霊訓」の翻訳者である近藤千雄氏は、「この霊界通信が単なる霊的知識


の伝授ではなく、霊媒のモーゼスと指導霊インペレーターとの壮絶とも言う


べき知的並びに人間的葛藤の物語であり、そこに両者の個性がむき出しに


なっている」と述べていますが、本ブログ何度も紹介している水波一郎氏は、


高級な霊媒現象について著書「霊能力の謎」に中で次のように述べています。


 


霊魂との深く強い信頼関係がなければ高級霊媒にはなれない。気持ちの不一致


はそのまま霊媒現象の失敗につながってしまうのである。しかし、どんな信頼


関係ができても、霊媒にも担当の霊魂にも個性がある。それがそれぞれに意見


の違いを生む。そうしたことは必ず起きる。それを両者が決裂しないように


調整して、霊媒現象のレベルを上げていく必要がある。


 


霊魂が霊媒を使用して話し始めたが、途中で霊媒の意識がそれを嫌がった。


そのように途中で霊媒の意識が拒絶反応を示すと、霊魂は霊媒を使用し


づらくなるのである。その結果、異なる二つの意識が混入して、双方の


意思とまるで違った霊言や自動書記が出てしまうのである。それでは


間違った情報が出てしまう。


 


とにかく、深くて強い信頼関係が必要である。そうしないと、霊言や自動


書記はミスだらけになってしまう、と。


 


もう一つ、モーゼスが霊魂の生前の身元を問いただしたことについて、


水波一郎氏の監修によるHP「霊をさぐる」では、次のように述べられています。


 


たとえば、霊魂の身元を調べれば、その霊魂が本物か偽者かが分かるのでは


ないか、と考えた方がいらっしゃるようです。こうした方は霊魂から生前の


出生地や名前などを聞き出し、後で実際に調べれば霊魂が本物かどうかが


分かると考えられたようです。


 


ところが、実際に高級な霊魂達に聞いてみると、それはほとんど意味がない


のでした。何しろ、霊魂として長く生きているのですから、地上にいた頃の


事はほとんど覚えていない事の方が多いというのでした。それは、死後、


時間がたった霊魂ほど顕著で、どうかすると自分の名前も思い出せない


霊魂がいるのでした。


 


ある霊魂がこう言われました。「あなたは幼児の頃遊んだ友達の名前を全て


覚えていますか。小学校の住所を覚えていますか。私たちは死後の世界へと


移転しています。霊魂が地上時代の住所など正確に覚えていると思いますか。


大まかなことしか覚えていないものなのです。」と。


 


地上の人間は常に自分の立場から霊魂を見ています。だからこそ、真実が


分からないのでした。たとえば、他界して千年以上たった霊魂は、地上時代


の自分の思想など覚えていません。地上の理念は地上でしか通用せず、環境


の違う霊魂の世界ではまるで通用しないのです。


 


そのため、人間とは全く違う思想で千年以上も生きています。仏教やキリスト教


の哲人だった霊魂でも、その教義を地上の人間ほどには記憶していないもの


なのです。地上時代に宗教家や哲学者として有名だった霊魂に、その方の説いた


宗教理念や思想についての質問をしてすら、正確な答が返らないものなのです。


正確に答えるのはむしろ、長年地上にいて人間に干渉している、あまり高級で


ない霊魂の場合が多いのです、と述べられています。


 


そして、霊魂通信の価値、信憑性についても、次のように記されています。


 


どんな歴史的な通信も時代を経ると色があせます。それは、現代の人達が


科学的な視点で物事を考えるためです。そうなると、霊魂との交信の信憑性


を科学的な視点で語る事は難しく、感性に訴える事になります。しかし、


それは、主観的であり、結局、宗教のように、信じる人は信じ、そうでない


人は信じないという結果に終わります。


 


霊魂との交信には様々なものがあります。より通信内容にミスが少なく、


より正しい通信、あるいは、ミスが多すぎて正しいとは言えないもの、また、


通信して来る霊魂が嘘をついているもの、他には、意識の未熟な霊魂では


あるが、嘘はついていない通信、その逆に、りっぱな霊魂なのに霊媒となる


人間の意識が邪魔をして、結果的に嘘をついたような形になってしまった


通信など、多様な形態の通信があります。


 


これら一つ一つの通信の正邪、正誤を地上の一般人が判断する事はできません。


結局のところ、通信のミスを実感している霊魂達やそれを感じ得る霊媒、


そういった実体験を持つ人でないと、真実を知る事はできません。


 


したがいまして、霊魂からの通信の信憑性はそれぞれの人達がご自身の霊的な


感性で判断するしかないのが実情なのです、ということです。


 


さて、モーゼスの霊訓は、第一級の霊魂通信と評価できるのでしょうか?


 


各人の霊的な感性が試されているのではないかと思います。








 
 
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スウエーデンボルグの真実-近代スピリチュアリズムの歴史1-



スピリチュアリズムの歴史  霊界日記 


最初のスピリチュアリストと呼ばれるエマヌエル・スウエーデンボルグについて

触れてみたいと思います。

 

スウエーデンボルグは、ルネッサンス的天才といわれた多才な科学者であったが、

科学者であることを断念するに至った55歳以後の霊的な分野における業績に

よって、スピリチュアリズムの先覚者であるといわれるようになります。

 

科学者としての彼に一大転機が訪れたのは、1744年4月に滞在中のロンドン

のホテルで「キリスト霊」の最初の訪問を受け、その翌年のやはり4月に「キリ

スト霊」から、今までの世俗的な学問を一切捨てて、霊的な仕事に専念するよう

に命じられたからであるということです。

 

それまでのスウエーデンボルグは、鉱山技師としてスウエーデン国立鉱山局に

勤め、鉱山技術を改革し、土木事業にも貢献したという。そのほか、数学、

天文学、生物学、生理学、心理学など科学の諸分野において先進的な業績を上げ、

国際的に認知されていたばかりではなく、ラテン語の詩集を出したり、科学雑誌

を発行したり、また、貴族院議員として国政にも深く参与するなど、歴史上の

最高の天才に勝るとも劣らない働きをしたとされています。

 

このように科学者として多方面にわたって時代に先んずる業績を上げていたにも

かかわらず、また、世界最高の科学者になろうというのが青年時代の夢であった

にもかかわらず、56歳になって科学者の道を断念するに至ったのはなぜなの

でしょうか?

 

「キリスト霊」の勧められたのが直接の原因だということですが、「キリスト霊」

に出会うまでに、彼は、特別な環境に生まれ育ち、様々な霊的体験をし、精神的

な危機にさらされていたようなのです。

 

まず、スウエーデンボルグは、生まれながらにしてキリスト教とは深い縁が

あったようです。彼の父親はスウエーデン王室の祈祷所の牧師で、ウプサラ大学

の教授でもあったため、こういう父を持つ家庭の中で、幼いスウエーデンボルグ

が強い宗教的影響を受けて育ったということは容易に考えられます。

 

さらに、家庭の教育ばかりではなく、彼自身が生まれながらにして霊的な素質を

持っていたということです。晩年、友人への手紙の中で述べているところに

よれば、4歳頃からすでに神や霊のことについて考えていたということであり、

時々、神懸かりのようなことも言って両親を驚かせたこともあったということ

です。

 

また、成人してからも、旅行中に故国の火災を霊視したり、重大な国家機密を

担当者でもないにもかかわらず知っていたというような異常な能力を見せたこと

などは、よく知られています。

 

これらは、霊魂が肉体を離脱して現地へ行って見てきたということになるが、

スウエーデンボルグはこの霊魂離脱の方法を「死ぬ方法」と名づけ、これに

よって霊界にいる死者たちの霊魂と随時交流したことを明らかにしています。

 

さて、大科学者が「大霊能者」に変貌する過程における、その葛藤は如何

ばかりであったでしょうか?

 

若い頃のスウエーデンボルグは、世界最高の科学者になる野心を持っていたが、

一方、それを批判する内面の声も強かったという。そして、彼は自分の世俗的な

野心がたとえ学問という高貴な衣装をまとっていたとしても、神の意に添わない

のではないかと絶えず恐れていたようです。

 

彼は、父の死後、鉱山監査官の仕事を休職して、外国を旅し、その後、人体と

生理学の研究である「生物界の理法」を発刊しますが、この本が発刊されてから

3年後に、1年以上にわたって、彼は重苦しい、時には恐ろしい夢を見るように

なったというのです。

 

このことは、彼の死後百年ほどたってから発見された日記の断片、いわゆる

夢日記によって伺い知ることができます。

 

日記によると、スウエーデンボルグは科学的研究への愛情と神への愛の二者

択一に悩むのです。自分が出版したばかりの「生物界の理法」について、

そんなものにかかずらってはいけないと思いはじめ、自分の研究に対する

愛情は、神やキリストを愛するために役立つものでなければ俗悪なもので

しかないとも考え、自分は自己愛と誇りばかりが染みついた人間で、神の

恵みに全く値しないと悩み続けたということです。

 

しかし、最後に、自分には何も分かっていなのであり、神の裁きにすべて

を任せて服従するのが最上なのだと悟り、キリストの導きに自己の運命を

任せることによって危機を脱出することができたとされています。

 

かくして、宗教的転向を成し遂げたスウエーデンボルグは、最初に聖書全体

の言葉の検討を行い、そして、有名な霊界探訪の記録を綴っていったという

ことです。

 

彼と同時代の先駆的なスピリチュアリストであるアンドリュー・ジャクソン・

デイヴィスが、聖書の言葉には誤謬があり、全体は不完全な物語であると

言ったのとは異なり、スウエーデンボルグは聖書を信じ、その中に書かれた

事柄はすべてそれに呼応する霊界の事象によって裏打ちされていると考え、

それを明らかにしようとしたということです。

 

ただし、彼の「三位一体」説は、旧来の説とはかなり異なっていて、キリスト

は肉体という地上の部分を持ち、聖霊はキリストの「働き」を表すとしている

ようです。また、別の次元から見ると、「神」は「愛」に対応し、「子」は

「叡智」、「聖霊」は「働き」に対応するとし、この「愛・叡智・働き」の

三位一体は、人間のレベルにおける「霊・心・体」に対応するという複雑な

「三位一体」説を説いたようです。

 

この別の次元、レベルのものが呼応するという考えは、「照応」の理論といい

スウエーデンボルグの霊学の基本原理とされています。つまり、地上にある

もので天上にないものはなにもない。自然界に存在するものはすべて天上

(霊界)にもとの姿を宿している。なかでも、人間は霊的存在として霊界に

対応するとともに、肉体的存在として自然界にも対応しているというものです。

 

なお、スウエーデンボルグの名を世界に広く知らしめたのは「天界の秘義」や

「天界と地獄」といった霊界探訪記です。

 

そこでは、まず、天界の主はキリストであってキリストの神格が全天界に行き

渡っていると述べたのち、天界の仕組みや、性質、天界に住む者たちの様子など

を事細かに述べています。人間は死後精霊界にとどまり、生前から交わっていた

霊たちとの縁によって、天界に行くか、地獄へ行くかが決まるという。

 

霊界には時間も空間もなく、すべて心の状態の変化のみである。人間は死後も

生前と同じ人格を保ち、同じような仕事をする。愛と叡智のみが行動の規範で、

その深浅が霊の進歩や退歩を決めるとしています。

 

では、スウエーデンボルグに対して、同時代の、そして後世の人たちはどのよう

な評価がなされたでしょうか。

 

ヘレン・ケラーやバルザック、エマソンといった人たちは全面的な賞賛を送った

とされる一方で、カントやヤスパースといった人たちは、彼を精神病者である

として批判したようです。

 

私には、彼の正しい評価はできませんので、かつて何度か紹介したことのある、

水波霊魂学の提唱者で、自身が霊媒でもある水波一郎氏の見解を紹介しておき

たいと思います。

 

水波氏は、今は絶版となった旧著「大霊力」のなかで次のように述べています。

 

「私は、あまり彼については語りたくない。私の意図する霊媒とは違うからで

ある。」「彼の人生は、偉大な学者としての生涯であった。しかし、霊媒として

の能力は低かったといえよう。」「私が思うには、彼の幽体に、ある者の意識が

飛び込んできた。彼は、それを霊界探訪として発表した。それが事実のようで

ある。」

 

「神界とか、天界とか、そういった世界には、幽体は参入できない。質量の

違う世界だからである。」「過去何人もの霊能力者を育てたという霊魂も、人類

をずっと見てきたという霊魂も、共通して語るのは、幽界の霊魂は、霊界へは、

よほどのことがない限り入れないということである。まして、神界など、見る

ことも不可能である。」

 

「過去の歴史において、霊界探訪において、幽界はともかく、それより上の世界

の探訪を、物質界の人間が行ったという通信はひとつもない。本当の霊覚者と

いわれる、聖者、神人はそういうことは言っていない。必ず、「霊魂が、そう

言う」と、なっているはずである。それは当然である。意識によって違うよう

にしか見えない世界は、表現しようがないからである。」

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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「ユング思想と錬金術」




ユング思想と錬金術 



18世紀には、歴史の表舞台から姿を消していったとされる錬金術ですが、

20世紀に入ってから、心理学者ユングによって再び取り上げられること

になります。

 

ユングは、学者人生の後半をこの錬金術の研究に費やしたということですが、

それはなぜかというと、錬金術は黄金の製造という不可能なものの追求作業で

あったが、そのような未知にして不可能なるものを真剣に追求したことで、

金属変成、物質変成の探求は深い無意識が投影されたものとなったとして、

ユングは、これをもって錬金術思想を分析心理学の先駆と見なし、自らの

心理学・元型論が学として成立するための客観的な資料的裏付けとなると

考えたからだということです。

 

ただし、錬金術文献は、神話やおとぎ話や夢と同様のさらなる解釈を必要と

する自然発生的な象徴に満ちたテキストであるため、ユングは、膨大な錬金術

の著作に敢然と立ち向かい、山と積まれた堆肥の中から<黄金>となるものを

選び出したということです。

 

ところで、本書は、難解なユングの錬金術思想の理解を深めるためとして、

ユング派心理学者マリー=ルイス・フォン・フランツが行ったレクチャーを

もとにしたものです。

 

ここでは、錬金術に起源について、一つはギリシャの自然哲学であり、もう

一つは、シュメール人、バビロニア人から継承したエジプトの化学技術、

金属合金等の技術であり、この二つが融合したものであるとしています。

 

よって、そこには内向的なアプローチと外向的なアプローチの対立と融合が

内包されており、それがずっと存続したということです。

 

ユングによると、ユング心理学で集合的無意識と呼ぶものと物理学で物質と

呼ぶものの両者が錬金術ではいつも一つであり、外向的アプローチで、外から

観察すると物質と呼ばれ、逆に内向的なアプローチで内から観察すると集合的

無意識と呼ばれるということになります。

 

錬金術とは、物質の探求であると同時に集合的無意識の探求であり、自分自身

の存在構造内の、未知で、客観的で、根本的な層を経験するとき、今日に

おいても、私たちが現に行っていることが何であるかを、錬金術的シンボリ

ズムの心理学的な動向の内部に見てとることができるとしています。

 

つまり、ユングが、以前に発見した「能動的想像」(自分自身の人格化された

コンプレックス(心的複合体)との会話)を多くの錬金術師は、自然発生的な

仕方で実践していたというのです。

 

なお、能動的想像とは、より詳しくいうと、方向づけられた思考・論理的因果

的思考を意図的に中断し、心的エネルギーを内向させ、イメージを起こるがまま

に自然発生させ、しかも単に観照される映像としてではなく、イメージそれ自体

を自立した存在として客体化し、イメージをして振る舞わせ、発言させる作業

だとしています。

 

これによって、意識化できなかった自らの無意識の深層が客体的なイメージにと

具現化し、感情も含めた自己認識が成立するようになるが、自己意識は同時に

世界認識を曇りなきものにするだけでなく、さらに無意識の深層のイメージは

身体を通じて外界にも開かれているがゆえに、イメージを注意深く観察し見守り

続けることで、ファンタジー・イメージは外界も内界もともに含める中心を志向

するシンボリズム(マンダラ・イメージや自己イメージ)を形成することになる

としています。

 

さて、本書では、ゲラルドス・ドルネウスという錬金術師のテキストを取り

上げて、錬金術の心理学的なアプローチをしていますが、そのテキストは、

人格化された人間の内的な三要素である霊・魂・身体がそれぞれ対話を交換し、

遍歴・変容していく過程を描いているようです。

 

まず、人間の平均的、日常的な有様、「対立対に翻弄される有様」が出発点と

なります。出発点にあるのは魂が身体とも霊とも結びついた状態です。

 

つまり、自らの内なる対立が存在しているにもかかわらず、意識化されていない

状態、自我は対立対の一方とのみ同一化し、意識されない対立するものは投影

される。内なる対立は外なる対立として出会われる。敵対、魅了を初めとする

様々な相対する感情によって、自分を取り巻く環境と「私」は分かち難く結び

ついているという状態です。

 

なお、錬金術では、それは不調和・争いの原初の混沌状態(第一質料)・対立

する動物対として描かれています。

 

そして、この出発点のあり様も一種の「結合」であるが、この「自然的な結合」

を切断することで、ドルネウスの三段階の結合の第一段階が開始するということ

です。

 

第一段階は、身体から分離された魂が精神と結合する「精神的結合」であると

されています。

 

まず、魂と身体の分離とは、現に存在している対立・混沌に気づくことであり、

自らの影・闇を自覚し、相対立するものへ引き裂かれることである。それは、

固執する自我の姿勢を生贄にすること、宗教的なイニシエーションの開始であり、

錬金術では「四肢切断、死」のシンボリズムとして出現するということです。

 

ただし、「身体」には罪はないのであり、身体との分離は、ファンタジーが産み

出し、世界に付与した魅惑を本来の場所(たましい)へ引き戻すことであると

しています。

 

また、本能性を客体化するこの過程は影を認識する還元的な分析過程の性格も

帯びており、神秘的融即の解除となるが、ユングによると、反近代的な宗教回帰

はありえないのであり、この主客の分離、つまり、この神秘的融即からの離脱

こそが個体化であると説明しています。

 

そして、この分離によって、魂と霊との結合、つまり、ドルネウスがいう

「永遠の生命の窓」である霊が、魂に精神として純化された元型イメージである

高次世界への認識を開くという。魂は浄化され、観想的、精神的な意識的立場

が確保されるというのです。

 

しかし、この「高次世界秩序」は、ドルネウスが「自発的な死」と呼ぶ生きる

場所のない抽象的な理念にとどまるかぎり、禁欲主義によって維持することは

きわめて困難であり、新たな自己欺瞞を生み、無意識の活性化によって出し

抜かれることになるといいます。

 

ここから、第二段階、精神の身体との再結合が説かれます。

 

しかし、退行を拒否した上での身体との結合は真に困難な状況である。

理性や論理による解決は不可能であり、相容れぬものは、その対立を超えた

地平でしか乗り越えられない。よって、対立しながら超えられるという逆説は、

「第三のもの」・象徴的な総合によってのみ可能となる。したがって、ユングは、

この段階においてこそ、先に述べた能動的想像・超越機能の重要性を真に問題

とすべきとしているようです。

 

ドルネウスの象徴的表現としては、第一段階の分離の残滓「肉体(物質)」に

火による昇華の試練、回転を繰り返し加えることで「天」が取り出される。

このように製造される「天」を中核としてその周辺に様々な象徴が張り巡ら

され「新たな天」のシンボリズムが仕上げられると表現されます。

 

豊饒なシンボリズムの形成、つまり、能動的想像が、高次世界秩序の単なる

抽象的な概念となってしまった様々な理念を調和的でありながら、本来的な

力をもった生き生きとした理念へ転化させることになるとしてします。

 

かくして、「身体」の回復とは、単なる普遍性から個の確立への移行となり、

天(賢者の石)による肉体の再結合(一なる人間)がなり、個体化の目標

である自己の象徴が成立することになります。

 

ただし、これで個体化・錬金術作業が完了したかというと、個体化には

まだ先があるという。ユングは、錬金術の歴史の中で、「賢者の石」の

段階を超える問題(第三の段階)を明確に提出したのがドルネウスの

功績だとしています。

 

それは、「一なる世界」との結合です。二の段階においては、心が環境

世界に開かれた分だけ些細なことがらに見える一瞬の過ちが引き起こす

影響力はいっそうはなはだしくなるため、最も単純にして、一なるもの、

つまり、一なる世界それ自体と自己(天を製造した熟達者=全体性として

の人)が結合しなければならないというのです。

 

それは、第二段階における「天」の製造は十全な仕方での物質性の回復と

はなっていないためであり、あらゆるものを含めた全体性の回復のため

だとしています。

 

この「一なる世界」は、ユング心理学の集合的無意識に相当し、中国の

「道(タオ)」の概念、錬金術では「石(ラピス)、メリクリウス」に、

超心理学的には共時性現象となってあらわれるということです。

 

巻末で、本書の訳者である 垂谷茂弘氏は、賢者の石が製造されたこと

がないように、環境世界のあらゆる影響力を超絶した第三段階の実現は

あり得ない。しかし、あり得ないがゆえに、逆に、「自己」シンボリズム

の達成が一度かぎりではなく、永遠に追求されるべき理念として第三段階

が設定される必要性が生じる。第三段階を求めて絶えず第二段階を反復する

ことにより、心理学的理解・内面化は無限に深まり、限りなく現実世界で

の第三段階の実現にと近接していくことになる。中世とは逆に、第一段階

の達成すら困難になった現在においてこそ、この発展図式は意義深いもの

となるであろうと述べています。

 

 



 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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