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神智学とスピリチュアリズム(2)


モーゼスの霊訓 霊的能力の謎



先に神智学の側からの、あるいは、オカルティズムからの評価を紹介しました

が、今度は、スピリチュアリズムからの反論を見てみたいと思います。

 

津城寛文氏の「<霊>の探究 近代スピリチュアリズムと宗教学」では、ステイ

トン・モーゼスの「オカルティズムとスピリチュアリズム」による反論を紹介

しています。モーゼスは有名な霊界通信「霊訓」の著者であり、心霊研究協会

の初代の副会長という指導的なスピリチュアリストであった人です。

 

モーゼスは、ブラバッキー夫人やオルコット大佐との交友関係から、初期には

招かれて神智学協会のメンバーになっていたこともあるということです。

 

さて、モーゼスは、ブラバッキー夫人の周辺で起こる現象の事実性を認めつつも、

その形而上学やマハトマ(聖者)の存在の主張には批判的であったようです。

 

モーゼスは、オカルティズム=達人制度というものに疑問を呈していたようです。

イニシエーション(秘義参入)というプロセスが理想として立派であることは

認めながら、目的とされた力を得るためには困難な準備が必要であり、それでも

なかなか奥の院に入ることは許されないと言います。

 

つまり、オカルティズムが主張する、原則的には万人に接近可能ながら、しかし、

実践的には達人向けのイニシエーションは、実は選ばれた少数者にとってすら

現実には不可能に近いという、何重もの扉が続いているというのです。

 

よって、オカルティズムの主張するところは、多くの者にとっては信仰の問題

になる、つまり、一般人には手の届かないところにあるものと主張したという

ことです。

 

また、オカルティズムが、自分が操作している法則を知悉した、意識的で生き

た人間が達成するものであるのに対して、スピリチュアリズムは、霊媒がコン

トロールもできず理解もできない現象だという主張に対して、次のように

述べているようです。

 

<ブラバッキー夫人自身もすべての現象は説明できなかった以上、オカル

ティズムの現象は、生きている人間の意識や操作でコントロールされている

とは言えない。スピリチュアルあるいはオカルトと呼ばれる現象は、理想的

な達人であれば、自分自身が発生させた力によって起こすことができるで

あろうが、霊媒も進歩した霊から援助を受けることで、同じ超常現象を

起こすことができる。そして、ブラバッキー夫人においてすらそうで

あったように、この二つは効果において区別できない。>と。

 

つまり、モーゼスは、スピリチュアリズムにも低俗なスピリチュアリズムと

高等なスピリチュアリズムがあり、後者は高級霊の指導による魂の訓練、

教育によるものであるとして擁護しようとしたということです。

 

そのほか、高度な思想をあらわす学術的、哲学的な通信もあるが、どちら

かというと、霊界案内や人生哲学のような、いわば実用書的なものが目立つ

ことに対して、スピリチュアリズムの側から、地上に人類に必要なのは神学

のような大げさで難解な哲学ではなく、どこの宗教でも説かれるに至って

いない単純な真理であるといった反論や、死後間もない霊が、「死は終わり

ではない」と語ることは、語られる私的内容とあいまって、少なくとも

残された身近な者たちにとって、死後生存の信憑性を高めるのに、最初の

一歩としての大きな意味を持ち得るといった主張がなされたようです。

 

以上のことから、神智学等とスピリチュアリズムとの争点は、主に、スピリ

チュアリズムにおける意識の断絶、受動性、主体性の放棄、自我の喪失と

いったものに収れんされると思われます。

 

津城氏は、神智学・オカルテイズム等の人間中心主義、意志、自我の強調に

対して、スピリチュアリズムは受容性の強調、謙遜、自我の抑制であり、

そのどちらを選択するかは、シャーマニズム研究における脱魂型シャーマン

と憑霊型シャーマンという二つのパターンを紹介しながら、単なる思想の

対立のみだけではなく、人間タイプ=気質の差として考えられるのではないか

と述べていますが、目を西洋から我が国へ転じてみると、また異なった見方が

できるのではないかと思います。

 

水波霊魂学を提唱する水波一郎氏の監修によるHP「霊をさぐる」のなかの

「霊魂と交信する技術」で、次のように述べられています。

 

<監修者は、かつて出口王仁三郎氏で有名になった本田系の鎮魂帰神法とは

異なる技術を行なっていました。それは、霊と交流するうちに生まれた新しい

技術でした。しかし、この技術は特殊な霊的身体を持つ人にしか出来ない技術

でした>

 


<霊魂からの通信は基本的には優秀な霊媒を用いることによって成り立ちます。

霊魂というものは、高級になればなるほど、人間に対して自分の思想を表現する

ことが難しくなります。それは、霊魂の使う身体が地上の物質とは違うために、

その思想も物質の脳には収まらないという問題があるからなのです>

 

<結果として、高級と言われる霊魂の思想を表現することは、普通の霊媒では

まず無理なのです。それが可能なのは、長い間に渡り、不可能を可能にするため

の訓練をした霊媒だけなのです>

 

<したがいまして、西洋の霊界通信のように、訓練のない霊媒を使っても、通信

を送りうる霊魂は、それほど意識の高い方の霊魂ではなく、真実が表現されて

いることは少ないのです>

 

<水波師が霊媒の場合は、霊言の最中に霊言の内容に指示を出される場合があり、

霊魂も集団でないと対処出来ない、とのことでした。>

 

つまり、日本における本物で優秀な霊媒とは、霊媒となる以前にまず霊的修行を

行い霊的な進歩、向上を図った人であり、そして、帰神法という霊媒となるため

の特殊な技術を取得した人であるということです。よって、非主体的な憑霊と

いったものではなく、真に主体的であり、あるときは、完全なる自我の抑制を

行い、あるときは、絶対に自己の主張を曲げないという通常では不可能なことが

可能な特殊な人だということになります。

 

また、高級な霊魂は、霊媒の自由意志を最大限尊重するようであり、霊媒の身体

を完全に占有するということは、危険性を伴うため、まず、行わないようです

ので、意識の断絶、主体性の喪失という、神智学の霊魂通信というものに対する

批判は、我が国の真に高級な霊媒に対しては全く当てはまらないように思います。

 


 
 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体