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グノーシス主義と現代


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異端と近代






 


以前に「グノーシス主義の衝撃」いうタイトルで、グノーシス主義とは、

いったいどういうものかについて、紹介したことがありますが、今回は、

グノーシス主義が、現代思想に、また、ニューエイジや精神世界にどの

ような影響を及ぼしているかについて触れてみたいと思います。

 

もう一度、グノーシス主義とは何かを振り返っておきましょう。

 

ハンス・ヨハスというグノーシス主義の研究者の定義によると、それは

「反宇宙的二元論」という概念に集約されるというものです。

 

どういう意味かというと、一神教では、宇宙のすべてが善なる神ヤハウ

被造物であり、この世も人間も善なる神の大いなる働きの下にあるとされる。

ところが、グノーシス主義は、プレローマ(未分化で自己充足的な完全なる

世界)から、決定的な失墜によって私たちが生きる世界(現世)が分離し成立

したとする。たとえば、ヤハウェにあたる創造神ヤルダバオート(デミウルゴス

)は、実は、悪のエージェントであるとされ、悪が支配するこの世界で人間は

悪にまみれて生きざるをえないとされる。しかし、他方、人間の中には、この

世界をはるかに超越した完全な実在世界の「原人」の断片が宿っている。それ

こそ汚れなき本来の自己であり、そのことを認識して超越界に回帰する道を

見いだすための「霊知」すなわちグノーシスが求められるというものです。

 

さて、島薗進氏によると、グノーシス主義は、キリスト教が生まれた西暦紀元

前後の時期に、地中海地域の東方に発生し、2~3世紀には地中海世界の全域

や西アジアにも広く影響を及ぼすようになった一群の宗教運動、宗教思想の

系譜の総称ですが、それは、キリスト教やユダヤ教といった一神教の世界観が

この地域に広まっていった時期と重なっており、グノーシス主義はあたかも

こうした一神教のネガの映像を映し出すような宗教性を持つものであったと

しています。

 

そして、そこには、当時のヘレニズム世界の「関係の危機」、つまり、既存の

世界秩序の崩壊の危機を反映してか、救済宗教としての「救済」の理念は保持

されているが、古代にはまれなニヒリズムが共存しており、それゆえに、その

後の西洋史の「陰」の部分を担う有力な思想系譜として今日まで至っている

ということです。

 

宗教集団として存続したものについては、キリスト教とほぼ同時に創始されたと

推測されるマンダ教、3世紀にイラン人マニによって創始されたマニ教などあり、

その後、やや力が衰えたとはいえ、グノーシス主義の影響を受けた思想は、

キリスト教と対抗する異端思想の有力な系譜であり続けてきたとしています。

 

では、グノーシス主義と現代文化や新霊性文化(ニューエイジ・精神世界など)

が具体的にどのような相互関係にあるのでしょうか? どこが重なり、どこが

異なるのでしょうか?

 

島薗氏は、1.孤独な個人が自ら自覚して変容して高次の存在に近づいていく

こと、2.この世の集団や組織による束縛を嫌い、自由な精神的探究による

向上を求めていくこと、の2つの特徴に注目しながら考察をしています。

 

まず、我が国に目を向けて、援助交際を素材にした作品「イノセントワールド」

や「酒鬼薔薇聖斗」の事件を取材した作品「14 fourteen」などに

触れ、そこには、「牢獄としての世界とそこでの汚辱に満ちた生」、「その中に

あって汚辱にまみれても本質はいささかも汚さず、世界を拒絶し、無垢なまま

であり続ける霊(精神)」、というグノーシス主義的な実存形態があるとする

学者たちの見解を引用しています。

 

ただし、これらの作品の作者自身がグノーシス主義に直接親しんだ気配はなく、

島薗氏は、学者たちが、現代の若者の孤立感を凝縮した形で表現することに

よって、いつのまにか、彼らの「グノーシス主義」風の心象世界の、実存的

な形象化に至ったのではないかと述べています。

 

もっとも、現代人の実存とグノーシス主義の類似が取り上げられたのは日本が

最初ではなく、ハンス・ヨナスがその著書「グノーシスの宗教」(1964年)

ですでに述べていたいということです。

 

ハンス・ヨハスは、古代のニヒリズム(グノーシス主義のこと)との長い対話は

現代におけるニヒリズムの意味を理解し、位置づけるのにきわめて有用であった

と述べており、グノーシス的イメージとして最初に上げられるのは「異邦のもの

」というイメージであるとしています。

 

島薗氏は、ハンス・ヨハスのイメージは、先に述べたような日本の若者文化や

サブカルチャーの作品世界にも当てはまるようだとしながら、実存主義や

ニヒリズムが唱えられたかつての先進社会では、まずは少数の知識層や

エリートたちが「選ばれた者」の孤独と絶望を囲っていたが、20世紀の

末に至って、膨大な数の大衆文化享受者の間に「異邦のもの」の誇りと

自暴自棄が広まるようになったのではないかと言い、90年の日本で、

グノーシス主義との類縁性を感じさせる表象や物語がかくも魅惑的に立ち

現れたのは、このような事態によるものだろうと述べています。

 

もうひとり、先駆として、「異邦のもの」とよく似た意味を持つ「アウト

サイダー」というタイトルの書を1956年に世に出したコリン・ウィル

ソンを取り上げています。

 

コリン・ウィルソンも、「アウトサイダー」で、最初に、実存主義の問題を

取り上げ、心身の修練や神秘体験によってアウトサイダーであることを克服

し、真の「自己実現」を生きようとする試みやその挫折へと展開していく

のですが、のちには、「オカルト」、「至高体験」、「ミステリーズ」などの作品

を著わして、「現代のオカルト学」、すなわち新霊性運動・文化を提唱するに

至っているということです。

 

島薗氏は、最後に、ニューエイジ運動におけるグノーシス主義の影響について

考察しています。

 

特にニューエイジ運動のチャネリングの元祖的存在であるジェーン・ロバーツ

を通して語りかける「セス」と名乗る「エンティティ」(「霊」と呼ばずに

「エンティティ」(=実体)と呼ぶことが多い)のメッセージに焦点を

当てています。

 

まず、セスいう名ですが、旧約聖書でカインとアベルに続くアダムの第三子と

され、ノアを通して後の全人類の祖となるはずのセト(セツ)と同一名であり、

グノーシス文献のなかではしばしば重要な役割を果しているということです。

また、エジプトのオシリス神話のセトをさす語とも同一であり、輪廻の教えを

はじめとして、「古代の文書」に由来する諸思想に強い関心を示すロバーツの

チャネリングが、セスの語りとして示されるのはうなずけるとしています。

 

また、セスは、グノーシス主義そのものや、グノーシス主義に強く引き寄せ

られたことにある心理学者のユングには、人類史に伴う神の進化の考え方など、

何ほどかの関心をもっていることがわかるとしています。

 

しかし、突き詰めていくと、「悪の実在性」をめぐって大きな見解の相違が出て

くるというのです。「悪の実在性」という問題は、「セス」にとってきわめて

重い関心事で、悪は堅固な外的リアリティとしては実在しない。それは人々の

想念、すなわち、内的行為としての意識によって、そのつど仮のものとして

創造されるというものであり、この世での悪に支配を強調するグノーシス主義の

考え方と明らかに対立することがわかります。

 

この悪は仮のものにすぎないという考え方、そして、意識が現実を創るという

考え方は、19世紀後半に起点を持つ北米の「ニューソート」や「キリスト教

科学」の思想との類似があるとしています。

 

ただし、これらの思想は、悪の実在性を否定し、誤った観念が創ったものとする

点でグノーシス主義とは異なるものの、本来的な自己は神的・霊的な性質をもつ

ということ、そのことを「知る」ことが人生の鍵であり、人間の究極の課題である

とする点では、類似性があると述べています。

 

もうひとつ、セスとジェーン・ロバーツが影響を受けているものには、神智学

協会の思想があるようです。生まれ変わりと霊的進化の思想は、グノーシス主義

には見られないものですが、神智学協会の創始者のブラヴァツキー自身が、グノ

ーシス主義を重視していたところから、悪をこの世の基底にある物質的なものと

結びつけているという点、霊智により人間が自己の本来の由来を知り、物質的な

世界から昇華されていくことに救いを見いだしている点などに類似性がある

だろうとしています。

 

このように、ハンス・ヨナスは、実存主義にグノーシス主義と類似するものを見い

だし、その後、何人もがコスモス(宇宙像)から切り離された裸の個の不安をグノ

ーシス的なものとして表現してきたが、グノーシス主義と実存主義とでは、そこ

には決定的な違いがあったようです。

 

どちらも、よりどころのない「自己」ではあるが、グノーシス主義では、それは

神的リアリティを内に宿した「自己」であった。「神なる自己」は関係の崩壊の

中でも、確固たる不死性を確信できた。しかし、実存主義は、神はすでに死んで

いて、あとは超人の道しかないという、徹底的した人間中心主義の思想である

と述べています。

 

ところで、私がグノーシス主義で関心をそそられたのは、「存在しない神」が

存在するという逆説な表現であり、多くのグノーシス神話はここから始まる

ようです。

 

それは、グノーシス主義が奉ずる至高神が通常の人間の表現能力はもちろん

のこと、それまでのさまざまな宗教や哲学の中で神について行われてきた

あらゆる言説、さらには当のグノーシス主義者たち自身の表現能力さえも

越えるほどに超越的な存在であることを何とかして言い表そうとしたところ

にあるということです。

 

水波霊魂学を提唱する水波一郎氏は、以前、紹介したことのある「神体」など

の著書で神霊という存在について述べています。神霊は、一般人には認識する

ことはできない存在であり、人が霊的修行によって霊的身体を著しく成長させ

て、初めてそれを感知することが可能になるとされています。

 

よって、人がいう神は、己が創り出した観念的な神か、人が死後行く世界

(幽質界)の上層の存在を神と呼んでいる場合が多いようなのです。

 

死後の世界には、幽質界の上位に霊質界があり、さらにその上位に神質界が

あって、その神質界に神霊は存在するということです。

 

至高神は、まだその上位にあるとすると、まさに存在しえないがごとしでは

ないかと思います。

 

グノーシス主義の知りえない神は、他の宗教勢力との対抗上考え出されたもの

なのか、あるいは何らかの霊感が働いたのかは定かではありませんが、この

ような真の神を求めようとする視点は注目するべきではないかと思います。

 

 

 











 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体