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本田親徳-鎮魂帰神法1-


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 本田親徳2
(本田親徳) 
 



以前、
鎮魂行法を取り上げたとき、本田親徳(ほんだ・ちかあつ)

長澤雄楯(ながさわ・かつたて) 大本・出口王仁三郎に至る鎮魂

帰神法については、それが鎮魂であるのか、帰神であるのか微妙な

問題を含んでいるため、割愛しました。

 

よって、今回、改めて取り上げてみたいと思います。

 

まず、本田親徳ですが、津城寛文氏は、「鎮魂行法論」の中で、本田親徳

の鎮魂説・帰神説は、さらにさかのぼれば何によるのか、文献上に直接に

先行物を見るのは難しいと述べています。

 

平田篤胤の影響は確かに大きいものの、鎮魂行法、帰神行法の実際に関

するかぎり、本田説の直接の典拠ともいうべき記述は篤胤にはないと

しています。

 

漠然とした言い方をすれば、むしろ、材料を直接には記紀神話や「狐憑き」

の実見、社寺巷間の口寄せ、稲荷降ろし、行者の諸説等に求めながら、

それをかなり体験的な思考錯誤で自己流に体系化したものと考えるのが

妥当ではないかと述べています。

 

さて、本田親徳は、体系化として、帰神の対象としての神霊の区分(有形

と無形、正神と邪神)と、帰神行法の方式区分(自感法、他感法、神感法)

を行ったということです。

 

まず、帰神とは「幽斎」とも呼ばれ、「神界ニ感応スルノ道」と定義されて

いますが、その標準的な形式(他感法)は、被憑依者を指を組んで座らせる、

そして、対座した者が笛を吹くうち、憑依が起こるというものです。

被憑依者は「神主(かんぬし)と呼ばれ、それに対座して憑依を促し、

慿霊の後はこれを統御する者を「審神者(さにわ)」と言いますが、「審神

者」の役割は憑依した神霊の真偽正邪、功業その他属性、「公慿」か「私慿」

か(公共性を持つ託宣か、私的な尋ねに応じるものか)、などを弁別する

こととして、重視されるということです。

 

本田親徳の帰神法の形式は、このほかに「自感法」と「神感法」があります

が、前者は上記のような神主・審神者の対座形式をとることなく、自ら一人

のみで帰神を追及する行法で、後者は対座の形式をとらないだけでなく、

帰神の意向も準備もない人物に、神霊の側が一方的に憑依してくるものと

されています。

 

ところで、大本では、「鎮魂・帰神」とつなげて表現されることが多かった

ようですが、もとの本田説における「鎮魂」と「帰神」は、多様で微妙な

関係にあるものの、一応区別された実践であったようです。

 

とはいえ、両者は、並べて記された箇所では明らかに区別されているようで

いながら、他の箇所では、区別が曖昧な表現がなされているところもある

ようです。つまり、大体において、「帰神」=憑霊と等置しても問題はないが、

「鎮魂」のほうは、ある場合は帰神の準備的・基礎的行法、ある場合は、

帰神と区別がつかないもの、ある場合は、憑霊ではなく、脱魂的な状態を意味

するものと、説明が変化するということです。

 

よって、結果的に、鎮魂と帰神の区別が曖昧になってしまうことは避けられ

ないということになったようです。

 

津城寛文氏によると、本田親徳の鎮魂と帰神は非常に微妙な関係にあるが、

憑霊という一つの事象に対して、それを被憑依者の側の受動的な立場で表現

すれば「帰神」となり、憑依せしめる側の能動的な立場で表現すれば「鎮魂」

となりがちだという傾向が浮き彫りになるという。

 

そこから、本田親徳は、一つの霊魂憑依という現象をめぐって、その二つの

傾向を対立させたうえで、憑依させることを「鎮魂」と表現し、憑依される

ことを「帰神」と表現したのではないか、という結論が得られるのではないか

と述べています。

 

以上のことから、津城氏は、本田親徳の説いた鎮魂帰神行法は、単純に「鎮魂」

と「帰神」という二分法では整理のつかない複合的なものであることがわかる。

そこでは、憑依傾向と脱魂傾向が相互にからみあっており、何か単純な一対一

の対応関係にないのである。本田親徳の説自体がこうした微妙な多義性、多様性

を孕んでいるので、その説や法を継承すると称する者たちの理解がまちまちで

あるのも無理からぬことではないかと述べています。

 

さて、本田親徳の弟子の中で、その鎮魂法、帰神法をもっともよく伝える人は

長沢雄楯だとされます。彼は、明治18年に本田親徳と面会し、詰問をこと

ごとく論破されて入門、霊学と霊術=鎮魂帰神を伝えられたという。その後、

宗教結社・稲荷講社を設立し、多くの弟子を育成して鎮魂帰神を広めたと

いうことです。

 

長沢は、本田が帰神の対象としてあげた「無形」「有形」の区別を、無形の

神懸かりとは「幽の帰神」、有形の神懸かりは「顕の帰神」と断定したと

されます。

 

つまり、本田においては、「有形」「無形」は神格の違いであったが、長沢に

おいては、帰神=憑霊の発現形態の潜在・顕在の区別に置き換えている

ようです。

 

津城氏は、有形・無形という神格のカテゴリーを、それぞれ憑依における

「顕・幽」の違いに等置する長沢の理解が、本田説の順当な展開かどうか

の判断は、文書上は明らかでないため困難であるとしています。

 

ともかく、本田親徳から長沢雄楯を通して出口王仁三郎や大本幹部に伝えら

れていくことになるのですが、それに移る前に、水波霊魂学を提唱する水波

一郎氏の帰神法について触れておきたいと思います。

 

水波氏の監修によるHP「霊をさぐる」の「霊魂と交信する技術」の中で、

HPの制作者は、水波氏は、本田親徳の系統とは異なる帰神法の技術を完成

させたと述べています。

 

それは、この国に長い間消えていた神秘の技であり、特殊な霊的身体を持つ

人にしか出来ない技術だということです。

 

HPの制作者は帰神法について次のように述べています。

 

「私は監修者と実際に帰神法を行ないました。そして、分かったのです。

本物のレベルの高い帰神法を行なう事により実感したのです。本物の帰神法

は誰にでも出来るものではない、という事を。そして、偽者はすぐに分かる

のです。それは、まるで、美しい音楽を聞いた後に、はずれた音がすぐに

分かるような、それに似た感覚なのです。」

 

また、水波氏がこの技術を完成したとき、それに関わった古代の日本の

霊魂が次のように言ったということです。

 

「あなたはこの国の修行者が歴史上一人も授からなかった秘密の技術を

持ちました。この技は『神伝の法』といい、太陽の国が長い間封印して

きた秘密の法です。それを完成なさったからには、私たちはあなたに従う

事になります。あなたが、私に霊としての死を与えるとおっしゃれば、

私はそれに従います。それがあなたに、この過酷な使命を与えた、私たち

全員の一致した意思です。」

 

HPの制作者は、監修者を指導して神伝の法の完成に関わった霊魂たちは、

自分からみれば神のような存在であったが、その神のような霊魂達が、

物質の体を着て御飯を食べないと生きられない、そんな弱い人間としての

水波氏に対して、自ら奴隷になると言われたのを聞き、初めて自己犠牲と

いう事の意味と、魂と魂の結束の深さを知った、と述べています。

 

そのほかに、霊媒現象(帰神状態)を起こすときの、審神者(さにわ)の

役割の重要性と難しさについて述べられていますので紹介しておきたい

と思います。

 

普通、審神者の役割は、懸かってきた霊魂の真偽正邪を判別することと

言われていますが、それよりも、まず、一番大切な事は、より高級な霊魂

に入っていただくためにどうするべきかを考える事、この事前の環境作り

が実は最も重要なポイントだとしています。

 

審神者を自称する人の中には、初めての人をいきなり霊媒にして、霊媒現象

を起こそうとする方がいるようですが、こうした事は絶対に行なってはなら

ないのだそうです。なぜなら、仮にそれで本当に霊媒現象が起こった場合は、

十中八九、意識の高い霊魂が入ることなどなく、間違えば、その後、その霊媒

になった人は意識の低い悪い霊魂の餌食にされてしまう心配があるからです

 

一度低い霊魂が身体内に入るルートを付けてしまうと、次からも同様に低い

霊魂が入りやすくなるらしいのです。また、そうした低い霊魂から発せられ

た気が霊媒の身体に染み付くために、その後、高級と言える霊魂が入り得る

可能性はほとんどなくなるそうです。 

 

よって、大切なのは、霊媒に入って来た霊魂の正体を見極める事ではなく、

それ以前に、意識の低い霊魂が入らないようにする事だということです。

霊魂は実に巧みに人間を騙すので、いったん入った霊魂の正体を見破る

事は大変難しく、肉体の目でしか見ることのできない人間には、なかなか

できる事ではないと述べています。

 

かくして、審神者は、まず、高い霊魂しか入れない状況を作る事がなにより

大事なのですが、その他にも、周囲の騒音に気を配ったり、側にいる人達が

疑いの目で見ていたり、攻撃的な念を発している場合は、それを防ぐために、

そうした念に対する対処もしなければならず、審神者という立場の人は、

霊媒現象が終了するまで決して油断する事なく、霊媒(神主)に好都合な

環境を提供し続けなければならないのだそうです。

 

ところで、話題を鎮魂帰神法に戻すと、長沢雄楯から直接指導を受けた人の

中には、大本・出口王仁三郎のほかに友清歓真(ともきよ・よしさね)や

佐藤卿彦(さとう・あきひこ)という人たちがいたということですが、本田、

長沢の鎮魂帰神理解からより大きく乖離していくのは、大本系の鎮魂帰神説

のようですので、次回は、友清、佐藤には触れず、大本・出口王仁三郎の説

を見ていきたいと思います。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体