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呪法-空海の闇について-


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空海像 



すぐれた密教の修行者は、教理面はもちろん、併せて、加持祈祷、修法の

実際的な側面、つまり法力においても秀でていなければなりませんが、空海

はその両面において傑出した人物であったとされています。

 

よって、最澄も、空海より7歳も年長であり、さらに確固たる社会的地位を

獲得していたのですが、みずから密教の所伝において欠けるところを自覚

すると、すすんで一介の青年仏者空海に教えを乞い、彼を戒師と仰いで

灌頂を受けたのです。

 

しかし、皮肉なことに、最澄の叡山仏教から新しい仏教が生まれていったの

に対し、空海の真言密教は、その後の発展がほとんどみられなかったと

言われています。

 

そして、その理由の一つとしては、弟子に恵まれなかったということが

あげられるようです。

 

空海の弟子はかなりの数にのぼるが、なかにはたった一度文献に現れるだけ

で、それ以外は伝記のまったくわからないものが多いというのです。

 

十大弟子といわれる者のなかにも、そのように消息の明らかでないものが

いるようで、その法系者の中からも、空海の法灯を継ぐような人物は現れ

なかったのです。

 

これは最澄の場合と比べると、最澄が後に円仁や円珍といった逸材を輩出

したのと著しい相違があるとされます。

 

よって、藤原氏の時代になると、天台宗の密教によって東密の勢力は次第に

奪われてしまうようですが、しかし、どうしてすぐれた人物が現われなか

ったのでしょうか?

 

空海の末裔は筆受を忘れて験を競う加持祈祷に終始するにいたったといわれ

ていますが、このことは、ひょっとすると、空海のまわりに多くの人が

集まったのは、仏者として卓越していた人間性を慕ってというより、彼の

力、呪術のわざがほしいがためであったのではないかという疑念が湧いて

きます。

 

前回までは、空海の陽のあたる部分ついて紹介してきましたが、今回は、

この疑念に迫るべく、空海の暗部、闇ともいえる部分をさぐるため、水波

霊魂学の提唱者、水波一郎氏の著書を紹介してみたいと思います。

 

今は絶版となっている水波氏の著書『大霊力』のなかでは、今まであまり

語られていないと思われる空海の負の側面が、要約すると次のように

語られています。

 

<空海は、インド直系といわれる権威だけがついた密教の形式を持って

日本に帰ってきた。それは、言うまでもなく、日本に帰ってから立つ

ための道具であった。彼は鎮護国家を唱え、朝廷の庇護を受けたが、

民衆にとっては、ただの哲学者にすぎなかった。>

 

<空海は未熟であったが、彼の密教には力があった。そのため、世の中は

こぞって彼の呪術者としての呪法の力を欲しがった。>

 

<まだ中国にいたころ、空海は一人の天才画家に出会った。彼は、人間を

知る上で、まず、芸術に興味を持った。そして、彼の呪術はこのとき完成

を見た。彼は絵のなかに呪術の真義を見たのである。>

 

<空海は、呪法の恐ろしさとその力に唖然としながらも、自分が中国最強

の呪者となったことを確信する。もはや、恵果という密教の師は、彼には

二流に見えた。恵果はもはや呪力がなかった。彼は権威を持ちすぎ、形式

に流されていた。空海には、もう、学ぶものがなかった。悩んだ末、中国を

捨てる。空海は、そのとき、すでに中国最高の呪力を有していた。>

 

<空海は、東洋一の呪者を自認し、日本に帰ったが、彼が恐れていたことが

起こった。日本のある修験者が、彼に技くらべを求めてきたのである。彼は、

それは真の仏の道ではないと軽くはねつけたが、相手は聞き入れず、相手は

空海を三日後の殺すと言って空海の元を去ったという。その夜、空海は原因

不明の高熱に襲われた。空海はあらためて修験者の恐ろしい呪法の力を知る

が、それを返すことは相手を殺すことにつながり、ここに自分の仏教の限界

を感じ悩んだ。だが、結局、空海は、自分が高熱で修法を行えないため、

最も信頼する数名の高弟にその呪法を教えてしまった。そして、空海は、

回復し、相手はその後、何も言ってこなかった。>

 

<しかし、空海は後悔する。呪法は殺人の技である。それを弟子たちが

知ってしまった。自分の死後、それは、いつか、民衆の中に入り込む

だろう。空海は、このとき、自分が仏者として人々を救う法を学びに

行って、人を殺す法を示してしまったことを悔い、血の涙を流した。>

 

<空海はその後、必死に生きた。宗教家として、その信念に生きたので

あり、偉大な仏者といえる。しかし、同時に、とり返しのつかないミス

を犯したのである。>

 

<かくして、呪法が民間に流れることになる。空海が老いて病気になった

とき、一人の高弟が布教と称して山を下りた。そして、その技は、全国の

呪者の間に取り引きされることとなった。これが、空海をして、その役目

をのちの親鸞に託さざるをえなかった点であり、仏者としての限界なので

あった。>

 

<ともかく、空海の密教は全国に広まった。その呪力ゆえのことであった。

空海の法は宇宙的であったが、修験者は、魂よりも術くらべに終始したため、

空海の弟子たちは絶えず狙われることになり、彼らを恐れた。>

 

<空海の弟子たちは、修験者たちの仕掛けてくる術くらべを避けるために

会議を開いた。なぜなら、修験者は、技に人生をかけていた。術くらべは、

最初は単純な技の競い合いでも、極限は、殺し合いとなるのである。>

 

<そんな中、空海の高弟の一人に、異常なまでに熱心な仏者がいて、一人

悩んでいた。彼は、真の仏教はその高く深い哲学にある、そして、また、

人間を仏にするための技術にある。呪法はそのための方便にすぎない。

しかし、修験者に説得は不可能である。では、どうしたらよいのか、相手

を殺してしまうことなく、自分の身を守るにはどうしたらようのかと苦悩

したのである。>

 

<そして、この無名僧は思った。呪いを破るには、その呪いを見抜けばよい。

そして、その呪いの効力をなくしてしまえばよい。それを御仏に祈って

みようと。>

 

<彼は一週間の荒行に入った。彼は一人、瞑想のふけったのである。そして

一週間の行を終えて、その満願の日、彼は気がついた。呪法は師空海が達人

であるが、それ以上の古道は、それを返しうるかもしれない。修験は古道の

流れである。そうだとすれば、その古道のなかにそれを破る技、その効を

なくす技がかくれているに違いないと。>

 

<彼は敵である修験の本流を遡るなかで、そのような技を発見した。彼は、

呪をかけんとする者の正体を見破り、その効果をなくすため、いくつかの

呪法切りを完成したのである。そして、それを当時の密教僧は、口伝で

用いるようになった。>

 

<空海のこの無名の弟子こそは、神伝(神伝とは、神霊もしくは神霊に仕

える高貴な霊魂より伝えられたものという意味)の伝承者ともいえた。

彼は古書のなかに神伝の技を発見した。しかし、この技もすぐに滅んで

しまった。真言宗が民衆のものではなかったからである。そして、しばらく

して修験は真言や天台密教のなかに吸収されていく。時代は、仏部密教系

修験道を確立するに至るのである。>

 





 
 
 
 
 
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即身成仏とは何か?-空海の宗教思想2-


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空海の思想2



空海が密教の教義を語る理論書には二種類あります。

 

一つは、密教の思想的特徴を述べたものであり、『弁顕密二教論』『即身

成仏義』『声字実相義』『吽字義(うんじぎ)』などの著作がそれであると

されています。もう一つは、密教の立場からの全仏教の位置づけに関する

もので、密教を仏教のうちで最も完成したものと考え、他の仏教を密教の

下におき、それを発展段階の低いものとして位置づけるのですが、そう

いった見地から書かれたものに『十住心論』『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』

などがあるということです。

 

梅原猛氏は、『空海の思想について』のなかで、この二つの種類の著作の

うち、前者に属する著作について考察をしているのですが、今回は、その

中でも特に重要と思われる『即身成仏義』に的を絞り、紹介をしておきたい

と思います。

 

梅原猛氏は、『即身成仏義』を考察するにあたり、密教の持つ思想的特徴

について、次のように述べています。

 

仏教は、本来、現世に対する否定精神を、その理論の根幹に持っている。

釈迦の仏教は、四諦十二因縁をその理論的中心としているが、それは人間

を苦の相に見、その苦の原因を欲望に見て、その欲望からの脱却を説く

教えである。そして、現世を苦とする見方の根底には、人間を死の相、

無常の相において捉える思想がある。

 

だから、その後、苦と無常の世界を厭離し、いかなる欲望にも支配されない

清い世界を求め、世俗から離れた超越的な悟りの生活を送るといった伝統

仏教の世俗否定性に対する批判が起こったのであり、それが龍樹らによって

起こされた大乗仏教の思想であった。

 

大乗仏教には現世重視の精神があり、伝統仏教の持っていた現世否定の精神

を大幅に改めたけれども、それでも、やはり、否定精神をその内面に深く

宿していた。

 

よって、空海の密教は、それではまだ不十分であるとして、仏教がもって

いたこの現世に対する否定精神を否定するが、それこそが密教精神であり、

それこそが大乗仏教の究極的精神であるのだとしています。

 

つまり、密教に至って仏教そのものが、釈迦以来その内面に持っていた世界

に対する否定の意志を、ほぼ完全に放棄することになるということです。

 

もっとも、欲望がすべて肯定されるわけではない。人間を不幸に落とし入れ

る欲望は否定され、浄化されるが、浄化され、普遍化された欲望そのものは、

大欲として肯定されるのだとしています。

 

とにかく、世界というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。

無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。汝自身の中にある

世界の無限の宝を開拓せよ、このような世界肯定の思想が密教の思想には

あるのだと述べています。

 

さて、話を『即身成仏義』に戻しますと、それは真言密教の理論的性格を

即身成仏という点において、その意味を明らかにしようとするものですが、

梅原氏は、そこでは、空海が、はなはだ個性的な、独特の方法を用いて

いるといいます。

 

つまり、空海は、自ら即身成仏の偈(げ・ 詩句形式の言葉)をつくり、

それを解説することによって、この即身成仏の思想を明らかにしようと

しているというのです。

 

このような自分で詩をつくり、その詩を解釈することによって、密教思想を

明らかにするなどとは、まことに不遜なことと思われるが、空海は自らの詩

を経典の言葉のように権威あるものと考えているのであろうか、という問い

を発しています。

 

その上、この偈において、空海は、加持することによって、つまり、仏と

衆生が感応することによって、父母からもらった肉体のままに仏になること

ができると主張するのですが、これはまさに大胆きわまる説のように思える

と述べています。この大胆きわまりない教えは、当時の人に大きなショック

だったに違いないとしています。

 

ともかく、この偈は、前半で、即身の、後半で、成仏の解釈をしているが、

即身の解釈に力点が置かれていて、そこでは、身体性の原理がはっきり

肯定されているということです。

 

梅原氏は、この身体性の肯定、そして、物質の重視、コスモロギー(宇宙論)

の存在が密教の思想的特徴だと述べています。

 

ところで、前回でも紹介した竹内信夫氏は、即身成仏について、梅原氏とは

異なった見解を述べていますので、そのことについて少し触れておきたい

と思います。

 

竹内氏は、『即身成仏義』は「即身成仏」の意味を解き明かした文書であり、

中国唐代の漢文で書かれていて非常に難解な書であるが、「即身成仏」の四

文字の意味は、「身に即して仏となる」、つまり、今生きているこの自分の

体そのものにおいて覚醒すること、いのちを輝かせることであると述べて

います。

 

よって、成仏とは死ぬことではないし、死を賭した苦行が「即身成仏」だと

すれば、それは空海に「即身成仏」の思想の実践ではないとしています。

 

つまり、死ぬことはすべての生命体にとって避けることでできない宿命で

あり、そのことを踏まえて空海は「即身成仏」を説いていて、空海のいう

成仏とは自由の境地に立つことであり、死の妄想と恐怖から解放された

境地を目指すものだと述べています。

 

また、「即身成仏」という成句が漢訳経典に初めて現れるのは、空海の師で

あった恵果の、そのまた師であった不空金剛の書いた『菩提心論』という

著作においてであるが、空海は、なぜか、そこでは「竜猛菩薩」(龍樹)

を作者としているということです。(なお、他の経典にも出ているとされ

いますが、それらは偽経の疑いがあるとされています)

 

龍樹は、仏教を「空」の理論で再構築した、古代インドを代表する哲学者

であるから、ある種の権威付けといえるが、竹内氏は、それは、空海が

『菩提心論』の源流を、仏教史の奥深く、菩薩仏教(大乗仏教)の原点

まで遡らせることを表明しているのではないかと述べています。

 

つまり、『菩提心論』が、「竜猛菩薩」こと龍樹の精神を継承する不空金剛

の論書であること、そして、龍樹の源流まで遡る、菩薩仏教(大乗仏教)

の正統に属する論書であることを空海は主張しているのだとしています。

 

また、竹内氏は、『即身成仏義』は修行者のための修行指南書であり、その

修行を支える原理論を叙述するものである、菩薩仏教(大乗仏教)の趣旨

を説くものではなく、修行という実践的方法の理論的根拠を説くものだ

と述べています。

 

サマーディ(瞑想)は仏道修行の基本形、釈迦の修行の基本形であり、

それゆえにすべての仏教経典が説いているが、それらの経典にも、マン

トラ(真言)の修法は説かれていない、と『菩提心論』を引用しながら

空海はいいます。

 

静坐瞑想に終始するサマーディ(瞑想)型修行が静的であるのに対して、

マントラ修法の独自性は、それが激しい身体行動を伴っていることにある

というのです。

 

竹内氏は、若き日のマントラ修行(虚空蔵菩薩求聞持法)の体験と、入唐

留学で得た新知見、すなわち不空金剛のマントラ修法の理論を一句に煮詰め

たもの、それが空海の「即身成仏」理論であると述べています。

 

その「即身成仏」という四字は、唯一、不空金剛の『菩提心論』だけに、

ただ一度だけ書かれている。文字通り稀有のその一句を捉えて、空海は

「即身成仏」の理論を展開したのだとしています。

 

なお、梅原氏が大胆きわまりない教えといった「即身成仏」というものを

なぜ空海は前面に打ち出したのかということについて、竹内氏は、次の

ように述べています。

 

従来、多くの経典、論書では、どれもみな「三劫成仏」(劫とは、古代

インドにおける最長の時間体位)、つまり、無限とも思える、気が遠く

なるような時間を経なければ「成仏」できないとされてきたのに対し、

それは、世間から隔絶した僧院という閉鎖的空間における極端に肥大

した観念の産物であり、それを父母所生の身体、つまり、普通に暮らして

いる人間たちの世界に、常識と良識が働く生活の場に戻さなければなら

ない。そうでなければ、宗教は求められている「衆生救済」の務めを

果たすことができないとして、それらを逆転させるために「即身成仏」

の教義を打ち立てようとしたのだと。

 

かくして、竹内氏は、空海が『即身成仏義』で語ろうとしていることは、

空海自身が青年期以降、必死で求めてきた菩薩仏教(大乗仏教)の精髄を

「即身成仏」の四字に要約し、それを八句の「頌」(じゅ 偈と同じ詩句

形式の文章)で同時代の人々、特に自分の弟子たちに示すことであり、

多くの経典を読み続け、「虚空蔵求聞持法」の苦行を重ね、さらには長安

に留学して求め続けた「源」、つまり菩薩仏教(大乗仏教)の根源を、

そして空海自身の実存の根源を、生きとし生けるすべての生命体を支え

る「いのち」の根源を、「即身成仏」の四字に凝縮して空海は説き明か

そうとしているのだと主張しています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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空海の宗教思想


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空海1

 
梅原猛氏は、著書『空海の思想について』において、弘法大師空海の思想を

語るのは、はなはだむずかしいと述べています。

 

なぜなら、空海は宗教家、つまり政治家や実業家のような実際家であるため、

主に著作によって自己を表現する思想家や学者と異なり、著作が主要な自己

表現の手段ではない。だから別の方法が必要だからだとしています。

 

よって、宗教家の場合、その著作によってのみ評価すべきではなく、その

宗教家がどのような布教活動を行い、そして悩める人間をどのように救済

したかという見地で、一人の宗教家を評価すべきであるというのです。

 

しかし、そこに至るには、空海と弘法大師という二つの貌を持ち、そして

後者が一人歩きをするという、空海特有の問題が立ちはだかっています。

 

梅原猛氏は、真言密教の呪術的性格ゆえか、日本には昔から「大師は空海

にとられ」という言葉が伝わっているが、空海は弘法大師として、万能の

天才、その卓越した能力によって、すべての願い事がかなえられる神の

ごときに尊敬されてきたとして、空海という名とともに大師という呼称を

多く用い、歴史上の空海と信仰対象としての弘法大師の使い分けにそんな

に拘っているようには思われないのですが、一方、フランス文学者である

竹内信夫氏は、著書『空海の思想』のなかで、「「弘法大師」は空海か?」

として、そういった融合現象に疑義を呈しています。

 

つまり、「弘法大師」として知られている人物は、空海その人ではなく、

空海という実在の人物をモデルにして、中世の日本人が作る上げた物語の

主人公のごとしだというのです。

 

そこには、中世日本の人々の夢や野心、希望や欲望がそこには色濃く反映

されていて、空海の真実の姿を見えにくくしていると述べています。

 

もちろん、信仰対象としての弘法大師空海を否定するわけではないとしな

がらも、ある時代を生きた空海に直面し、その思想を正面から捉えようと

すること、すなわち、空海の真実を追求することが己の目的とするところ

だとしています。

 

もっとも、梅原氏猛も、弘法大師空海は呪術家の本家本元であるために、

明治以降の知識人から敬遠され、大師の思想というものは全く問題にも

されなかったのであるが、昨今、空海の宗教を単なる呪術宗教と考える

のは間違いであるとして再評価がなされているとし、氏自身も真実の空海

の思想とその価値を捉えなおしたいとしているのですが。

 

ともかく、真実の空海に至るには、分厚い弘法大師というベールが覆い

かぶさっているのをはがしていかなくてはならないということになるの

ですが、そうなると、結局、空海自身の著作を再検討しなければならない

ということになります。

 

しかし、その著作物が、また、一筋縄ではいかないようなのです。

 

空海は、実に多くの著作を残しましたが、その著作が多方面にわたること

において、わが国の宗教家としては比類を見ないといわれているのです。

そして、その文章が唐代の漢文で書かれているため、その解読は非常に

難しいとされているからです。

 

さらに、空海の著書とされる多くの著作のなかにも彼自身の作かどうか

怪しいものが混入しているのであり、どれが空海自身のものであるかも

考証されねばなりません。

 

このことから、梅原猛氏は、空海の著作をすべて理解するのが大変困難な

上に、宗教家としての彼の思想が著作に尽くされないとしたら、いよいよ

空海の探求は絶望的になるとしながらも、氏独自の視点から空海の思想に

迫っていますので、その主張を紹介してみたいと思います。

 

まず、梅原氏は、約束の十分の一の留学期間、わずか2年余の留学で帰って

きて罪に問われかねない空海が朝廷に提出した弁明書である『御請来目録』

を解読しながら、空海を完璧なレトリーカー(修辞法を駆使する人?)では

ないかと述べています。

 

空海はすばらしい思想家であるが、空海その人は、何かわかりにくいところ

がある。空海の生の喜びと悲しみが伝わってこず、彼のすばらしい詩など

からも人間空海を感じることができない。そのわけは、彼があまりにも完璧

なレトリーカーであるためであろうというのです。

 

空海は、自己のすべての感性を見事な詩文で装飾するが、それが容易にわれ

われをして彼の人格の核に近づけさせないのではないかとしています。

 

ともかく、『御請来目録』の中で、空海は彼が学んできた仏法がどんなに

貴重な仏法であり、そういう仏法をどのようにして正しく彼が付法された

かをレトリックを駆使して示そうとします。密教が大変優れた仏教であり、

それを広めた不空が当時の唐の朝廷にどれだけ重んじられてきたかを示し、

そして、不空の付法の弟子は恵果一人であり、恵果の付法の弟子は空海一人

であること、つまり、不空直系の密教の弟子は空海一人であることを巧みに

示し、挙句に、自らの死をさとった恵果が、密教を流布するために早く本国

日本に帰ることを空海に命じたとして、その責の一端を恵果に委ねます。

 

梅原氏は、このへんに空海の並々ならぬレトリックに才能を感じざるを得な

いが、この恵果の言葉が本当であったかどうかは信じきれないとしています。

 

いずれにしても、これが功を奏したのか、弁明の書を提出してから3年

ほどは、大宰府に留め置かれますが、その後、都へ入ることを許され、

やがて、嵯峨天皇の恩寵をこうむり、とんとん拍子にその地位を確立して

いったということです。

 

また、密教は、他の仏教が釈迦仏の教えであるとするのに対し、大日如来の

教えあるとしていますが、空海も、あの釈迦牟尼なる聖者が永遠不滅なる

仏性の一つの現れにすぎないのではないか? そして、それが仏性の現れで

あるとすれば、それは応化神であり、永遠の仏性は法身と呼ばれるべきでは

ないかと考えたというのです。

 

梅原氏は、法身を一義的とし、仏の応化身を二義的と考えること、実在して

いる法身仏、大毘盧遮那如来が法を説くとすることは、釈迦仏教を否定する

ことであり、誠に大胆な理論であるとしています。

 

ところで、先に触れた竹内信夫氏は、これとは異なる空海の思想について

独自の見解を述べていますので、少し紹介をしておきたいと思います。

 

竹内氏は、空海は仏教思想全般を背景に置きながら、当時、最新の「密教」

なるものを前景化しつつ、空海独自の生命思想を展開しているとしています。

つまり、「密教」とは、インドで芽生え、すぐにも中国に伝えられた最新

流行の仏教修行の方法論であり、それは新しい思想ではなく、空海思想と

いうものがあるとするならば、それは「密教」のなかにはないと言います。

 

よって、空海の思想は、人間精神の前進的展開を背景にして、人間精神を

そのように前進させる根源的エネルギーの有り様を見定めようとする

ところに求めなければならないとしています。

 

竹内氏は、空海は、留学先の長安において、人間精神の働きを担う究極の

主体を不空金剛の著作『菩提心論』のなかに見出していたといいます。

それを不空は「菩提心」と名付けているのですが、「菩提心」とは、人間

精神を仏教的理想に向かって推進させる精神のエネルギーであり、その

「菩提心」はすべての「いのち」あるものに分有されているというもの

です。

 

「菩提心」を分有する「いのち」は生きて活動するわれわれ一人一人が、

生きている限りにおいて生涯のあいだ、担い続けるもの、いや、空海なら

生まれる前から、そして死んだ後までも私たちが担い続けるものであると

言うであろうと述べています。

 

このように、空海の思想の根幹に「いのち」の思想とでも呼ぶほかないもの

が据えられているが、それが何であるかは「いのち」という言葉をいくら

反復しても、鮮明になることはない。それはさまざまな言葉で言い換えられ

ながら、無限に拡散していく。よって、その無限に拡散する思想の言葉の

あれこれを捉えて、万華鏡のように変化する「いのち」の変貌の一瞬の

すがたを見定め続けるほかに方法はないと述べています。

 

もう一点、竹内氏は、空海の思想の根源、豊かな源泉は「菩薩仏教」(大乗

仏教)にあるとしています。

 

「密教」とは、歴史的には「大乗仏教」の最終段階に位置づけられるが、

空海当時においては最新流行の方法であり、その方法の特徴は「マン

トラ(真言)」読誦を修行の中核に据えたところにあるといいます。

 

そして、密教の根本経典である『大日経』において、「密教」的菩薩仏教

の独自性は、「真言」と「住心」にあるとされるが、空海思想の独自性も

そこにあるというのです。

 

ただし、『大日経』の冒頭に、「菩提心を因と為し、悲を根本と為し、方便を

究竟と為す」とあるように、「菩提心を因と為し、悲を根本と為し」までは、

菩薩仏教の理念を踏襲しているといいます。

 

よって、「方便を究竟と為す」こそが「密教」を「顕教」から区別するため

の指標であるが、「菩提心」も「慈悲」も、菩薩仏教(大乗仏教)の歴史を

貫通する基本理念であるとしています。

 

また、「方便」とは、目標に向かって前進すること、そして、その目標に

到達することを意味しているようです。

 

そうすると、先の『大日経』の文言は、「衆生」の救済を目標とする菩薩に

対して、「菩提心」を揺るぎなく自覚すること、すべてのいのちに深い

慈悲心を以って臨むことに加えて、その目標に向けての不断の工夫と努力

を続けることを要請しているということになります。

 

竹内氏は、空海が「虚空蔵求聞持法」によって獲得したものは、このような

菩薩行を遂行するための強靭な心身であったのであり、その『大日経』の

説く「方便」を空海が実践したということを意味していると述べています。

 

そして、そのように考えると、「密教」の拠って立つ思想的基盤は菩薩仏教

(大乗仏教)の理念であり、空海の拠って立つ思想もまた菩薩仏教の理念で

あると言えるだろうとしています。

 

とにかく、「密教」は、思想ではなく方法に関する教えであるのだから、

「密教」を思想と勘違いしては、空海の思想そのものを捉え損なうと

主張しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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空海入唐の謎


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空海2 



空海が入唐の直前まで無名の私度僧か、私度僧に近いような存在であったと

すれば、一体、どのようにして入唐が可能になったのでしょうか?

 

このことについては、今までのところ、皆目わかっていないようで、空海伝

の中の大きな謎の一つとされています。

 

当時、入唐して学ぶ者には、留学生と還学生との二種類があったということ

ですが、前者は長期間にわたって唐にとどまって学ぶものであり、後者は、

すでに学業を修めた者がある一定の期間だけ期限つきでとどまって視察研究

するものです。

 

空海と同じ時に入唐した最澄は、当時、仏教界の第一人者として名声が高

かったのであり、還学生として選ばれたことは当然といえますが、弱冠

31歳の青年仏者空海が入唐僧に抜擢されて勅許を得るというのは容易

ならざることであり、その裏にどのような事情があったのかということ

です。

 

いかに空海が不出世の偉大なる仏者とはいえ、当時まだ、空海の実力を知る

者はほとんどいかなったはずであり、偉大な人材であるという理由だけでは

根拠薄弱といえます。

 

最澄に対して空海の社会的地位は比べものにならないくらい低かったはず

ですが、その、仏教界の大立者であった最澄ですら、桓武天皇、安殿親王

(あでしんのう)、そして和気弘世などのパトロンがいなければ、入唐でき

なかったとすると、歴史は黙して何も語りませんが、空海に対する経済的

支援はともあれ、政治的なバックとなった者がなければならないことに

なります。

 

では、考えられるのは誰かということですが、二人の人物の名前が浮上

するようです。

 

その一人は、桓武天皇の皇子伊予親王の侍講(講師)であった空海の母の

父にあたる阿刀大足(あとのおおたり)であり、もう一人は、佐伯今毛人

(さえきのいまえみし)という人物です。

 

まず、阿刀大足ですが、その没年は不詳とされるものの、その縁故をたどる

とき、空海と桓武天皇、伊予親王とが結びつくというのです。もう一人の

人物、佐伯今毛人は、東大寺大仏殿建立の総指揮者として名高く、また、

奈良の平城京から長岡京への遷都、長岡京の建設、さらに長岡京より平安京

への遷都にあたって絶大なる功労があり、桓武天皇に仕えて有終の美を飾った

佐伯一族の元老とされますが、その50年の長きにわたる中級官吏としての

生活は、失脚の多かった奈良朝官人の中でも、まことに珍しい例とされ、

佐伯一門の出身である空海の入唐が朝廷に聞き入れられたのは、今は亡き

佐伯今毛人の功に報いる意図があったではないかというものです。

 

このことから、優婆塞(在家の仏教者)空海を律令国家の政権者に推挙した

者は、今毛人一族の中の有力者の誰かであり、また、のちの空海の最も有力

なパトロンになった和気氏および藤原北家の正系葛野麻呂を中心とする藤原

一門に紹介したのも、今毛人の系統の者であったと推察することができる

のではないかとされています。

 

また、そうなると、厖大な渡航費は阿刀大足門下の兄弟弟子にあたる伊予

親王がパトロンになって出資したとみることができるのではないかとして

います。

 

さて、藤原葛野麻呂を大使とする遣唐船は、延暦22年(803)3月に

難波を出帆します。しかし、暴風雨に遭っていったん中止となり、再び、

翌年5月12日にほぼ同じ編成で難波を出発し、九州肥前田浦の港を経由

して唐に向かったということです。

 

遣唐船団は全部で四隻で、第一船には大使藤原葛野麻呂をはじめ、23名が

乗り、空海は第一船に便乗したということです。また、第二船には判官菅原

清公ら27名が乗っていて、最澄もここに乗船していたようです。

 

さて、第一船、第二船、第三船、第四船と順次に船団を整えながら、南方

洋上をめざして航行していったようですが、翌日には早くも暴風雨に遭って

四散したということです。

 

そして第一船、すなわち空海の乗った船は、約1ヵ月海上を漂ったあげく、

8月10日にはるか南の福州長渓県の赤岸鎮に漂着し、第二船は、それより

さらに遅れて9月1日に明州寧波府に漂着したようです。

 

しかし、第三船は、いったん引き返し、また、翌年に出帆したが、今度は

南方の孤島に漂着して、結局、大陸にはたどり着けなかったようであり、

第四船は、消息がわからなくなってしまったということです。

 

このように大陸への渡航は、現代からは思い及びませんが、まさに命がけの

行為であり、空海や、最澄の乗った船だけが無事に大陸へ漂着したことは、

まことに幸運であったということになります。

 

当時、唐朝は内乱があったあとで、すでに政権は傾きかけていたようですが、

文化および思想の方面では爛熟期に入っていました。仏教は十三宗の中でも、

特に三論・法相・華厳・直言・天台・律・禅などが盛んであったが、中国

固有の儒教および道教はもとより、キリスト教の一派である景教(キリスト

教ネストリウス派)、拝火教、マニ教などの異国の宗教も行われていたと

いうことです。

 

世界文化の中心地である、あこがれの都長安に入った空海は、仏教を中心に

して、道観あるいは景教の寺院、回教の寺院などを見学したり、あるいは

文学、詩、書道など、魅力あふれるこの大都の文化に、はたまた唐朝の招待

などに酔いしれたであろうと思われます。

 

なお、葛野麻呂一行は、翌年(805年)には帰朝します。これには還学生

として任務を果たした最澄も行動を共にしますが、留学生としての空海は、

橘逸勢と一緒に残留し、大使の宿舎であった宣陽坊より留学生の溜まり場の

ような、同じ長安にある西明寺に移ったようです。

 

さて、空海が求める、この頃の長安における密教の事情とはどのようなもの

であったのでしょうか?

 

唐の密教は、玄宗皇帝の開元年間にインドからヴァジラボーディ(金剛智)、

シュバカラシンハ(善無畏)、アモーガヴァジラ(不空金剛)といった巨匠

たちがつぎつぎとやってきて、流伝されたということです。

 

すでに中国には法相・三論・華厳・天台や、浄土・禅・律などが行われて

おり、密教は新来の仏教であったのですが、皇帝の庇護を受け、唐王朝の

宮廷宗教としての確固たる地位を築いていったとされます。

 

特に、不空は玄宗、粛宗、代宗の三朝に仕え、また、大部の密教経典の翻訳

にも従事して、中国密教の基礎を築いたといわれています。

 

その不空の弟子には青龍寺の恵果以下6人の弟子がいて、不空なきあと、

恵果は正嫡の弟子として、代宗、徳宗、順宗の三代の皇帝に仕えて「三朝

の国師」と仰がれるのですが、空海は、この恵果から伝法灌頂等を受ける

ことになります。

 

なお、金剛智とその弟子不空とは南インドの金剛頂経系の密教を伝え、一方、

善無畏は大日経系の密教を伝えたとされますが、恵果は両方の密教を学んで

いるのであり、空海が伝来した密教の中には金剛智系と善無畏系との両方の

密教、すなわちインド正純密教のすべてが含まれているということです。

 

さて、いよいよ恵果との出会いとなります。長安に滞在中の空海は、名師を

訪ね歩いていたが、青龍寺の恵果の名声を伝え聞き、西明寺の数名の法師

たちとともに恵果のもとを訪問したという。しかし、その出会いはまことに

劇的であって、恵果はあたかも空海の来訪を待ちあぐねていたかのようで

あったということです。

 

恵果はそのとき、60歳、入滅を予期しながらも、まだ、この期に臨んで

まだ大法を伝授する正嫡の弟子がいなかったのです。

 

ともかく、驚くべきことに、貞元21年の5月末か6月初めに出会って、

6月13日には、学法灌頂檀に入って胎蔵の灌頂を受け、7月上旬には

金剛界の灌頂を、8月10日には阿闍梨位の伝法灌頂を受け、この

わずか2ヵ月間に密教の大法をことごとく授かったのです。

 

また、密教の伝授とともに、その指示によって経典類から仏像、仏画、法具

に至るまで完全にそろえて日本に持ち帰ったということですが、それは、

不空から恵果へ、そして恵果から空海へという流れのなかで、空海がいわば

インド伝来の密教の正系を受け継いだということになります。

 

さらに、空海に予期せぬ出来事が起こります。その年の末に使命を果たし

終えたかのように恵果は入滅しますが、恵果が入滅してから間もなく、

奇しくも、遣唐判官高階遠成一行が長安へやって来たのです。

 

この思いがけない遣唐使の来唐は、最初、20年に及ぶ滞在を覚悟していた

空海に、わずか足掛け3年で帰国する決意を固めさせたようです。

 

もっとも、そこには、半年足らずで恵果から正純密教を残らず伝授された

ことや、早く帰国して国家に奉り、天下に流布して蒼生(民)の福を増やせ

という師恵果の遺言があったことなどが影響を及ぼしていると思われます。

 

また、そのほかに、資金が乏しくなってきたということや、すでに、33歳

を迎えた空海が日本に密教および唐文化を伝えようとするとき、自分の人生は

すでに半ばを過ぎているということも帰国の一因ではないかとされています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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空海の謎


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空海1 



空海という人は謎の多い人物です。

 

学校の社会科の教科書を見ると、親鸞、道元、日蓮などは、かなり詳しい

説明があるのに対して、空海の場合は、真言宗の開祖で、天皇・貴族を相手

に加持祈祷をおこなったといった程度のことしか記されていないようです。

 

しかし、我が国の説話文学に目を移すと、逆に、最澄、法然、親鸞、道元、

日蓮らは、あまり登場していないのに対し、空海は、今昔物語以来、十数を

数える代表的な説話文学の中に、ほとんど枚挙にいとまがないほど登場する

のです。

 

そして、世に大師伝として伝えられてきたものは、数百種類にものぼると

言われています。ともかく、これだけ多種多彩な伝記を残している人物と

いう点では、日本仏教の他の開祖たち、あるいは史上に名をとどめている

著名な人たちと比べて群を抜いているようです。

 

しかし、伝記の多さは、真実の空海の姿を浮き彫りにすることにはつな

がらず、また、空海の人生においては、空白の時代があるようであり、

空海の対する研究は、進めれば進めるほど、不明なことが多いという

一種不可思議な現象が起こっているということです。

 

また、どうも、次のような空海に対して誤解を生む要因というものが

あったようです。

 

第一は、空海の明快な古典的文体を後世に人たちには読むことが困難に

なったために、空海の思想を直接理解することなく、優れた者への嫉妬

から誹謗を加えるということになったというものです。

 

第二に、空海の評価を誤らせたものは、いわゆる「ひいきの引き倒し」で、

彼の多方面にわたる非凡の才能と業績とに眩惑されて、その後継者である

はずの人たちが空海の人物と評価をはなはだしくゆがめたというのです。

 

つまり、空海は、あまり後継者に恵まれず、彼を後世に正しく伝え、それを

再現させるような人物が現れなかったということのようです。

 

さて、空海は、宝亀5年(774)(773年という説あり)に四国の

讃岐国多度郡(今の香川県善通寺市)に生まれたとされています。

 

空海の父は、佐伯直田公(さえきあたいたきみ)といい、讃岐の国造の

家柄であり、母方の姓は阿刀(あと)氏といい、叔父の阿刀大足(あと

おおたり)は桓武天皇の皇子の伊予親王の侍講(講師)となった大学者で

あったということです。

 

空海は、この大足から幼少より学問上の多くの指導を受け、のちに、18歳

で彼に伴われて都にのぼり、大学に入学することになりますが、大学の明経

科に入学したということですから、将来、国家の官吏になることをめざして

いたと思われます。

 

しかし、ある理由により途中で退学をしてしまいます。

 

退学の動機は、大学に入学して勉学に励んでいるときに、ある一人の修行者

に出会い、虚空蔵求聞持法を授かったことにあるとされています。(もっと

も、その他の影響、たとえば、佐伯一族の没落とか、その他の影響があった

のかもしれません。)

 

つまり、虚空蔵求聞持法とは、一種の記憶力増進法のようなものであるが、

この行法を修行中、空海にとって生涯の方向を百八十度転換させる大きな

回心あったというのです。

 

求聞持法を修するなかで、いわゆる無常観を抱くに至り、都会人士の軽薄な

享楽的生活や人の世の因果の実相を知って、一切の俗塵を断つ決意をかため

たということです。

 

ところで、空海の著書、『三教指帰(さんごうしいき)』には、「ここに一

(ひとり)の沙門あり。余に虚空蔵聞持の法をしめす」とのみありますが、

空海にその一大転機となる、この求聞持法を授けたという人物はいったい

誰なのでしょうか?

 

古来、この人物は、三論宗の学匠である勤操(ごんそう)という人では

ないかとされてきたようですが、その後、この説には疑義がもたれてきて

いるということです。

 

それでは誰なのかということになりますが、結局、特定できないようです。

しかし、どういう人、どういう立場の人であったかということは考えられ

ています。

 

奈良の仏者の大切な条件の一つとして、まず、難解な仏教学に通暁していな

ければならないこと、そのためには、一度読んだら決して忘れない暗記力が

なければならないこと、もう一つの条件は、経典、論書に通じていること

以外に、不可思議な呪力をそなえていて、加持祈祷の神通力がなければなら

ないということです。とすると、その人物は、奈良の諸大寺にいて、すでに

仏教について相当の学問を学んでいて、さらに、すでに求聞持法を修して

おり、そうした法を行い得る山野の修行地と関係を持った人ということに

なるようです。

 

つまり、律令的・反律令的な二面性を持った仏者、たとえば、行基のような

著名な私度僧の系譜につながるような人物だろうということです。

 

とにかく、この人物が空海に及ぼした影響力は非常に大きく、こうした律令

的・反律令的な二つの性格は、後年の空海にそのまま受け継がれていった

ようで、空海が己を「沙門空海」と晩年高野山にこもるころに自称する

ようになるのは、この知らざれざる恩師「一沙門」の性格につながるものが

あると見られています。そして、この点に民衆の間に偉大なる歩く仏者

「弘法大師」としての信仰が広がっていった秘密がかくされているのでは

ないかともいわれています。

 

ところで、『三教指帰』を書いた翌年の25歳より、延暦23年(804)

に入唐するまでの6年余の消息は不明であり、謎の6年間とされます。

その間、空海は一体どこで何をしていたのでしょうか?

 

伝承では、20歳のときに勤操に沙弥戒を受け、23歳のとき、東大寺の

戒壇院で具足戒を受けたとされ、その翌年には久米寺の東塔で『大日経』を

感得したといわれますが、昨今では、それらは疑わしいとされています。

 

『続日本後記』に「三十一歳得度」とあるように、31歳で具足戒を受ける

までは、一介の優婆塞(うばそく 在家の修行者)として修行や勉学に励ん

でいたのではないかということです。

 

ただし、『大日経』の感得については、すでに天平のころより伝来していた

のであるから、奈良にいた空海の目に触れなかったとはいえないようです。

 

そして、せっかく『大日経』を入手したものの、疑義を生じ、その解決が

できないので、ついに入唐を決意したというのですが、入唐して直ちに

恵果より真言の大法を伝授されて、帰朝後に真言密教の流布に努めたこと

を考慮すると、すでに入唐前において、空海は密教の教学にたどりついて

いたのではないかと考えられています。

 

とにかく、空海は24歳から31歳にいたるまでの間に、多数の密教経典

もしくはそれ以外の経典・論書の研究に全力をそそいでいたという推定が

可能であり、彼の入唐は密教を専攻しようという決意が直接的な動機に

なったと考えられるということです。

 

なお、その間、このような仏典研究とともに、空海は「山岳修行者」として

求聞持法をはじめとする奈良朝以来の古密教の修法も実践していたのでは

ないかといわれています。

 

いずれにしても、空海の出家は今まで伝えられていたような20歳ころでは

なく、遥か後年のようです。そして、空海は山岳修行者の系譜につながる者

であり、それらの多くの者がそうであったように、彼もまた長い間、私度僧

であったということができるのではないかということです。

 

さて、そうなると、空海は入唐のために出家得度して一人前の官僧の資格を

とったとも考えられます。次回は、空海の入唐にまつわる謎を追ってみたい

と思います。

 

 











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『ユダ福音書』の謎-ユダとは誰か3-



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ユダの福音書 



1970年代のある時期に、2世紀のギリシャ語本文からコプト語(古代

エジプト語)に翻訳された『ユダ福音書』なるものがエジプト中部で発見

されました。

 

『ユダの福音書』というものの存在は、リヨンの司教エイレナイオスが

180年頃に著わした『異端反駁』によって示されていましたが、それが

証明されたわけです。

 

そこには、冒頭、次のように記されています。

 

「これは秘められた啓示の言葉、過越の祭りの三日間、八日のあいだ、

イエスがイスカリオテのユダと交した言葉である。イエスが地上に現れた

とき、イエスは人々の救いのために奇跡と大いなる不思議とを行った。

それは、ある者が義の道を歩んでいるのに、ある者は罪の道を歩んで

いたからである。それで十二人の弟子たちが呼び寄せられ、そしてこの

世を超えた秘儀について、終わりの日に起こることについてイエスは

弟子たちに語りはじめた。」

 

ここでいう義の道を歩む者とは、ユダのことであり、他の11人の弟子の

ことではないのです。反対で11人の弟子たちのほうが罪の道を歩んで

いるというのです。

 

つまり、正統派教会において、金銭欲により教会の「裏切り者」「密告者」

の元型にまで貶められていたユダ像は、『ユダの福音書』において百八十度

逆転され、イエスの「福音」の伝道者として高く評価されています。

 

この逆転は、イエスに対するユダの告白において、「あなたが誰か、どこ

から来たのか、私は知っています。あなたは不死の王国バルベーローから

やって来ました。私にはあなたを遣わした方の名前を口に出すだけの価値

がありません」とあるように、キリスト教史上最初・最大の異端と言われる

グノーシス派の「グノーシス」の視点によっていると見られています。

 

グノーシス派、とりわけ、セツ派にとっては、イエスは本来的自己の元型で、

彼は人間の身体を含む天地万物を造った「創造神」を超える、不可視の至高

神によって遣わされ、その本質は至高神の女性的属性の人格的存在である

「バルベーロー」に由来するとされます。

 

よって、そのことを知っているユダは、イエスの十二人の弟子たちを否定的

に超える「十三番目の神霊(ダイモーン)」とされるのです。

 

イエスはユダに「お前はすべての弟子たちを超える存在になるであろう。

なぜなら、お前は真の私(霊魂)を担う人間(肉体)を犠牲にするで

あろうから」と言います。つまり、イエスは、至高神に由来する「本来的

自己」としての「霊魂」と、創造神に由来する「非本来的自己」としての

「肉体」から成っているが、ユダはイエスの「肉体」を犠牲にすることに

よって、「肉体」から「霊魂」を解放し、イエスを人間の元型たらしめるで

あろう、と予告されるのです。

 

このイエスを犠牲にする行為として、ユダはユダヤ当局から「いくらかの

金を受け取り、彼を彼らに引き渡した」のであり、ユダはイエスを「裏切

った」のではないといいます。逆に、ユダはイエスの使命を果たしたのだ

とするのです。

 

ところが、これに対して、正統的教会の教父エイレナイオスは『異端論駁』

で、「彼らは宣言する、裏切り者ユダがこれらのことに精通し、しかも、

彼らだけが他の誰も知らない真実を知り、裏切りという秘義を成し遂げ、

その結果、彼らによって地上のものも天上のものもことごとく大混乱に

投げ込まれたのだ、と。彼らは、この種の話を捏造して、それを『ユダの

福音書』と呼んでいる」と激しく批判しており、これが後世に至っても

大きな影響力を及ぼしてきました。

 

この、真っ向から対立する考えをどう見ればいいのでしょうか?

 

そこで、エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング共著「『ユダ福音書』

の謎を解く」に依り、違った角度から『ユダの福音書』の意味を探って

みたいと思います。

 

ペイゲルスらは、最初、『ユダ福音書』の著者がいかにも攻撃的で、憎悪に

満ちたメッセージを投げつける、激怒する人物であるという印象を持った

という。しかし、この第一印象を通過してしまうと、怒りがすべてでは

なくて、この書の大部分は、イエスの霊的命をめぐるすばらしい教えに

満ち溢れているともいいます。

 

この書は150年代のある時期に執筆された文書であるから、ユダの死後、

ほぼ100年ほど経過しており、もちろんユダが書いたものではなく、著者

が誰であったかもわからないままであるが、ユダの裏切りとイエスの教えの

意味をめぐる2世紀のキリスト教徒たちの生き生きとした論争の実態を

垣間見させてくれるところに特別な意味があるとしています。

 

ペイゲルスらは、これまで、一部の学者たちは、『ユダ福音書』を「グノー

シス的」福音書の一例として分類し、種々の解釈、信仰、儀礼からなる初期

キリスト教において、自分たちこそ正統な教えの側に立つ唯一の集団である

と主張し、『ユダ福音書』については、そうした闘争における負け組の側に

位置づけようと試みてきたといいます。

 

たしかに、この福音書には、前世紀にエジプトで発見され、学者たちが

「グノーシス的」と名づけた他の初期キリスト作品といくつかの点で共通

する特徴が含まれていて、肉の体は死に際して崩壊するが、霊に満たされた

魂は上なる天界において神とともに永遠に生きるという信仰を伝えており、

また、人間の本性は本質的に霊的であると理解し、無知で邪悪な人間の

もとに、イエスこそは神の国について教えるために神から派遣された神的

奥義の啓示者であると伝えているが、それを一括してグノーシス的と評する

ことは、いくつかの間違った印象を固定化することになるというのです。

 

その理由は、主として、つい最近まで、学者たちは、「グノーシス派」の

キリスト教徒に関する解説を、新発見の諸文書からではなく、もっぱら、

異端を糾弾するエイレナイオス等初期教会教父の書き残した文書から

引き出し、それを反復してきたところにあるとしています。

 

このような異端研究の特徴に縛られることにより、論争の一方の側、

つまりは勝ち組の見解にだけ耳を傾けることになり、『ユダ福音書』が

書かれた時代のキリスト教が果たしてどのようなものであったのかに

ついて思いをめぐらすことはほとんど不可能な状態にとどまってきた

のだといいます。

 

しかし、一方の側の話をだけを聞くことに起因する固定観念を超えていく

ことができるなら、これらの新たに発見されたテクストは、初期キリスト

教の想像力と実践に多様性に関する我々の知識を豊かにし、新しく発見

されたテクストと既知の伝承の両方を新しい目で読み解くことを可能に

するし、とりわけ、『ユダ福音書』でさかんに論じられている問題は、

教会教父がキリスト教徒の関心をほかにそらすことにより回避しようと

してきた問題であることがわかると主張しています。

 

ところで、ペイゲルスらは、『ユダ福音書』の著者を激しい怒りに駆り

たてたのは、ローマ人の迫害の手にかかって仲間のキリスト教徒が

苦しみ悶えながら死んでいったことが背景にあるといいます。

 

『ユダ福音書』の著者は、彼の深く愛する善なる神に対する信仰を、他の

キリスト教徒が当時抱いていた異常な信仰、つまり、神がイエスと彼の

信奉者たちの血による犠牲の死を欲しているという信仰と折り合いを

つけることができなかったのだというのです。

 

『ユダ福音書』の著者の見解からすると、そのような仕方で仲間のキリ

スト教徒に犠牲死を強制し、自己を「栄光化」するように求めるキリスト

教の指導者たちは、それこそ殺人者以外の何者でもなかったし、彼らは、

イエスの教えをまったく誤解し、偽の神を崇拝することに心を奪われている

と考えたとしています。

 

しかし、なぜ、弟子たちのなかで、イエスの教えを理解したのはユダ一人

だけだというのでしょうか?

 

ペイゲルスらは、『ユダ福音書』の著者が裏切り者とされるユダをイエスの

最も忠実で信頼できる人物として選んだのは、著者自身の時代のキリスト

教徒たちにまさに衝撃を与えるためであったに違いないと述べています。

 

そして、著者が人間の犠牲や誤った信仰やいやしむべき異端ゆえに彼らを

告発したとき、彼の口調はもはやおだやかな説得や平和な話し合いではあり

えなかった。それは、他のキリスト教徒たちによって根強く抱かれていた

誤った信念に対する直接的で、執拗な攻撃とならざるをえなかったのだと

しています。

 

ともかく、『ユダ福音書』の著者は、彼を支持する者だけが勝利し、神は

他の者をことごとく弾劾することを執拗に語りつづけ、そして、「真の

キリスト教徒」の唯一の純粋な集団を形成するために他のすべてから

離れることを力説するのですが、それらは、すべてのキリスト教徒が

迫害による逮捕と処刑の危険にさらされるなか、彼らのなかに爆発寸前

の怒りの感情がくすぶっていたことを如実に示していると述べています。

 

また、テルトリアヌスのような教会の指導者は、殉教を避けた逃亡者

たちが軽薄で不熱心な信仰しかない臆病者であり、彼らに追随する者

すべては結局のところ地獄行きで終わる人間であると非難するのですが、

『ユダ福音書』の著者は、イエスもユダも殉教という非業の死を決して

回避していないと反論しています。

 

この福音書によれば、ユダは自殺したのではなく、「十二人」の弟子たち

に石打ちによって殺害されたのであり、ユダは実のところ最初の殉教者と

なったのだというのです。つまり、キリスト教徒によるユダの死の責任

を告発することにより、司教たちとその一党をローマ帝国の迫害者同様、

徹底的に罵倒しているということです。

 

かくして、ペイゲルスらは、『ユダ福音書』が、原始キリスト教に由来

する他の現存する作品と違って、一部のキリスト教徒が、彼ら自身の家族

や友人たちに対して加えられたいかなる暴力にもひるむことなく、処刑

された仲間たちの血なまぐさい死にたいして抱いた苦悶に満ちた激情と

怒りを白日のもとにさらけ出してみせてくれたと述べています。

 

2世紀当時、イエスを信奉する様々な集団が存在し、後代のキリスト教

歴史家が画一的な信仰の一貫した信仰の継承として描いた教会のような

ものは決して存在しなかったのであり、激しい内部対立のなか、一部の

キリスト教徒の怒りが、ローマ人に対してよりも、むしろ、殉教を強要

する彼ら自身の教会の指導者に向けられていったのだとしています。

 

ローマ帝国による殉教時代がコンスタンティヌス帝の回心によって終わり

を告げると、輝かしい殉教者列伝が、新しい教会にふさわしい霊的英雄の

模範とされ、それがキリスト教の起源に関する歴史的記述を支配するよう

になるが、『ユダの福音書』が私たちに取り戻してくれているのは、こう

したなかで提出された一つの異議申し立ての声なのだと述べています。

 

以上、前々回から今回まで、共観福音書の中のユダ、そして『ユダ福音書』

のユダを見てきました。

 

しかし、共観福音書におけるユダの扱いは、やはり、矛盾をはらんでいる

ように思います。特に、マルコ福音書を除く他の三福音書では、ユダが、

イエスを売り渡す者と弾劾される一方で、ユダを介するイエスの逮捕と

十字架刑は、神がイエスに与えた「定め」だとされる文脈などには疑問が

残ります。

 

また、『マルコ福音書』のユダは明確に「裏切り者」とはされていなくて、

ただイエスを「引き渡す者」であり、『ユダ福音書』のユダはイエスを

裏切ったのではなく、イエスの使命を果たすために引き渡したのだという

部分、『マルコ福音書』における十二弟子にも裏切りの可能性があるという

示唆と、『ユダ福音書』の裏切り者は十二弟子の方だという部分から、『ユダ

福音書』のユダ像が根拠のない全くの捏造とは言えないようにも思えます。

 

ともかく、イエスが弟子に「あなたたちは、全員が躓くことになるだろう」

と予告し、イエスが捕縛されたのち、「全員が彼(イエス)を見棄てて逃げ

ていった」(マルコ)であるなら、十二弟子全員が裏切り者だということに

なるのであり、それをかわすためにユダをスケープゴートにし、彼にすべて

の罪をかぶせたという見方ができるのではないかと思います。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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