アステカの人身供犠


にほんブログ村  
アステカ1




かなり前になりますが、フランス人作家ル・クレジオの『メキシコの夢』

を手がかりに「神話-血の供犠-」という文章を書いたことがあります。

 

ル・クレジオは、『メキシコの夢』の中で次のように述べていました。

 

「人間の歴史のなかで、おそらくインディオほど血の虜になった民族は

いないであろう。アステカ族はまるで魔術的な魅力にかかったように血に

取り憑かれ、つきまとわれた。他の大部分のスペイン人記録者と同じく

ベルナルディーノ・デ・サアグンから見て、この血への妄執は魔力、つまり

悪魔との契約を示すものだった。これほど血なまぐさい供犠-動物、特に

皮を剥がれ、心臓を捥(も)ぎとられ、身体を寸断され、焼かれる人間たち

-に関心を示した民族は他にいない。」

 

「多くの点でスペイン人の征服者の文明よりもすぐれた文明水準に達し、

開花し、洗練された民族、芸術、科学、詩を培ったこの民族は、祭儀の

折に、前代未聞の残酷さを示すことができる民族でもあったのだ。」

 

「そして、この残酷さの悪評は、それがなくなった後も、しばらくは

その文明に結びつけられ、堕落の証拠、道徳的劣勢にしるしとして、

今日までも、インディオの国ぐにの最後に生き残った人々に暗く

のしかかり続けている。」と。

 

もっとも、一方で、ル・クレジオは、アステカの「王は神の代理者として

誠に謙虚であり、民衆は、徳が高く、神々に対してとても敬虔であり、国

に対して愛着が強く、互いに親切であったし、仲間に対してはきびしいが

人間味があった人々であった」また、「メキシコの民は、ローマ人が闘技場

の格闘に見せた残酷さのような例は決してつくらなかった。インディオの

残忍さは無償のものではない。神々だけに気にいられる宿命づけられた

神聖かつ神秘的な残忍さである。」とアステカの文明を弁護するのですが、

それでも、私は、その極端な血の供犠というものへの嫌悪感と、そこまで

する血へのこだわりの理由が理解できないという思いが消えないまま、

今日まできてしまいました。

 

よって、その矛盾した文明というものの背景には何があったのか、なぜ残酷

さと神聖さが同居することができたのかを、主に、岩崎賢氏の著書『アス

テカ王国の生贄の祭祀』に依りながら、探ってみたいと思います。

 

岩崎氏は、「人身御供は我々にとって恐るべき行為である。それは解釈者に

強い精神的緊張を強いるものであり、そのリアリティに接近することは容易

ではない。しかしながら、人身御供はアステカのみならず広くメソアメリカ、

さらには世界中の古代的宗教伝統において、規模の大小こそあれ、もっとも

重要な儀礼行為の一つとして遂行されてきた行為である。また、それは、

深い神学的・哲学的思索-たとえば古代インドの『ヴェーダ』における人身

御供や、『旧約聖書』におけるイサクの供犠をめぐる神学的思索など-を

促してきた主題なのである。そうである以上、人身御供は真摯に解釈され、

理解されなければならない。」と述べています。

 

さて、アステカの供犠についての研究は数多く存在するが、最も強い影響力

を及ぼしてきたものは、メキシコの考古学者A・カソの著作『太陽の民』

で示された議論であったということです。A・カソは、ウロポチトリ

誕生神話などに基づいて、アステカ人の神話と儀礼の中心的主題は月・星の

神々に対する太陽神の戦いであったとし、アステカ人の使命は、戦場での

闘いによって戦士の血を流し、神に「生命を表現するこの魔術的な食べ物を

捧げ、神の戦いを応援する」ことであったと主張したといわれています。

 

これに対して、岩崎氏は、たしかにアステカには「血を欲する神々」という

テーマを示す神話がいくつかあるようであり、これらの神話にもとづき、

アステカの人身供犠は血液によって神々(大地や太陽)を養うために行われ

たという説がほぼ定説として確立しているようであるが、それは、アステカ

の供犠を<機械のアナロジー>によって説明しており、それがこの儀礼の

リアリティから研究者を遠ざける結果になっていると批判しています。

 

<機械のアナロジー>による説明とは、要するに、アステカ人にとって宇宙

は一種の巨大機械であり、太陽や大地やその他の事物は、その内部を動く

部品であり、人間の血液はその動力源である、とする説明のことであるが、

その説明では、解釈対象と解釈者の疎隔という問題は未解決のままではない

かとしています。

 

つまり、A・カソと彼の同調者は、このような<機械のアナロジー>を使用

することによって、そのままでは理解しがたい奇異な文化的・宗教的現象を、

理解可能な身近な現象として捉え直すことに成功していないというのです。

 

そして、A・カソが、みずからの文化的ルーツについて、「アステカ人の

人身御供は・・・人類史において宗教的感情が有している多くの逸脱の一つ

である。誤った前提から出発し、それが自明のものとなり、最もひどい結果

が論理的に導かれることはある。」と述べ、これは「異常」なこととして、

中世ヨーロッパの魔女狩りやナチズムと比べていることは不幸なことである

としています。

 

岩崎氏は、宗教的・文化的現象の解釈におけるアナロジー、つまり、比喩

表現の必要性を否定するわけではないとしながらも、それは<機械>とは

異なる別のアナロジーを探す必要があると述べています。

 

そのアナロジーは、解釈者と解釈対象の間の疎隔や断絶を固定するものでは

なく、両者の間に確固とした連続性があることを実感させるものでなければ

ならないとしています。

 

そして、それに当てはまる方法論は、宗教学者のC・H・ロングが提唱し、

M・エリアーデが「創造的解釈学」と呼んだもので、それによると、歴史的

・文化的他者は、研究者自身の人間性と無縁のものとして切り離されること

はなく、むしろ、研究者は、解釈行為を通して、解釈対象の中に自己の根源

的(アルカイック)な在り方を探究しようとするものであると述べています。

 

これが適切に遂行されたとき、解釈者と解釈対象との疎隔は大きく克服され

ているであろうというのです。

 

さて、岩崎氏は、これらを踏まえると、従来、アステカの供犠を考察する

のに、「太陽や大地の神々に血液を捧げる」という主題に沿って諸々の

神話・儀礼・図像が取り上げられてきたが、それとは反対の主題、すな

わち、人間が「太陽や大地の神々から血液を頂く」という主題が重要で

あり、この「神々から血液を頂く」という主題はアステカの人身供犠を

理解するための鍵となるものであると主張しています。

 

そして、なぜ、「神々から血液を頂く」という主題がアステカの人身供犠

を理解するための鍵なのかについて、その根拠となる人類創造神話を

あげています。

 

それは、最初の人間は<死者世界ミクトランの骨>と<創造神ケツルコア

トル神の血>が<高貴な容器>の中で混ぜ合わされることによって創造

されたというものです。

 

この神話は、従来、供犠を説明する物語としてより、いかにして人間が創造

されたかを説明する起源神話として取り上げられてきたが、この神話を重要

視すべきであるとしています。

 

これが強調されて来なかったのは、「太陽や大地が人間の血液を欲しがる」

という神話の方が、アステカ人が人身供犠を行った理由を示す上で、

より直接的で分かりやすかったためであろうと述べています。

 

しかしながら、「神々から血液を頂く」という主題を示す神話や儀礼は、

比較的乏しいとしても、神話や儀礼と並びもう一つの重要な宗教的表現で

あった図像表現において、雄弁に表現されていると主張しています。

 

そして、太陽が血を流す、すなわち、太陽から血を頂く、という主題の

図像を幾つか紹介し、また、月(星)・大地が血を流す、つまり、月(星)

・大地から血を頂く、という主題の図像を示しながら、それらは、人間

が太陽・月(星)・大地に血液を捧げるのと同じように、太陽・月(星)

・大地も人間に血液(体液)を捧げている、ということを示しているので

あると述べています。

 

このことは、アステカ人にとって、自分たち人間の体内を流れる血液に

含まれる生命力は、太陽・月・大地がその体内に宿し、日々、地上の

人間に送りこむ生命力と、そのかけがえのなさや貴さにおいて、同じ

ものであったということであるとしています。

 

さらに、これらの図像が示すことは、地上に生きる人間・動物・植物と、

天地を動く太陽・月・星、そして大地は、同じ血液を分け合う一つの

巨大な生命体の一部だということではないかというのです。

 

そして、このことから、宇宙は決して無機質な部品が組み合わされた

<機械>ではなく、この巨大な生命体は、自らの体内に血液を循環させる

ことで、新しい細胞と器官-地上の諸々の生命体-を作り出すのであり、

もし、人間が自分たちは大宇宙から生命を頂くだけでなく、それに生命を

捧げる存在でもあるということを忘れて、その聖なる赤い液体を自らの

身体内に滞留させるなら、この大生命体は衰弱し、やがて死ぬことになる

だろうと考えたとしています。

 

よって、岩崎氏は、こうした切実な感覚なくしては、アステカの「血を

頂く・捧げる」という図像的表現が生み出されることも、数々の血の儀礼

が行われることもなかったであろうと結論づけています。

 

ところで、アステカの人身供犠に対するこのような見解とは異なる主張も

当然、存在します。

 

次回は、そういった異論を少し取り上げてみたいと思います。









霊魂に聞くⅡ

(水波一郎 著 アマゾン 発売)







 

 

スポンサーサイト

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

英雄・文化英雄・トリックスター-創世神話4-


にほんブログ村
スサノオ

文化のはじまりの神話は世界中にあるようです。

 

なぜなら、人間は、赤ん坊を見ればわかるように、生まれたままの状態で

はきわめて不完全で、生まれてきただけでは大きくはなれないからです。

 

危険な獣に襲われないように誰かが守ってやらなければならならないのです。

また、母乳で不十分なら動物の乳も必要となりますが、その場合、乳を搾れる

家畜を飼っておくと便利ですし、少し大きくなると、火によって柔らかくなる

まで調理した野菜や穀類が喜ばれるようになります。

 

つまり、人間が無事に成長するには危険な獣からの保護、家畜の獲得、穀物

の入手、火の使用法や調理や暖房の知識、すなわち、文化が欠かせないの

です。

 

こうした知識や物や功績は苦労して誰かが獲得したものですから、その偉大

な存在は英雄などと呼ばれますが、そこには英雄、文化英雄、トリックスター

という三種類の存在があるとされます。

 

まず、英雄とは、人間にとって危険な要素を取り除くという存在です。何か

を獲得するというよりも危険な要素を取り除くということが中心になって

います。

 

英雄はもっぱら武力によって物理的力による攻撃を撃退するのであり、高貴

で悲劇的な神話存在とされます。

 

そして、英雄崇拝に顕著なのは、個人としての名誉や武勇がなお意味を持っ

ていて、戦士の活躍の目標として英雄の栄光を賛美することが有意義で

あったような古代社会が中心であるということです。

 

古事記などの日本の神話における英雄は、スサノオやヤマトタケルであり、

ギリシャ神話では、ヘラクレスやアキレス、インドの英雄神インドラ、

古代オリエントのギルガメシュとエンキドなどがそれに該当します。

 

では、トリックスターとはどういうものでしょうか?

 

トリックスターとは、「いたずら者」という意味で、意図せず偶然から

文化の貴重な要素を見つけたり獲得したりする存在のことです。

 

その特徴は、あらゆる面での常軌の逸脱であるとされますが、トリック

スターは、単なる破壊者、秩序の騒乱者ではないようです。彼の活動に

よって、良い場合も悪い場合もあるが、何か新しいものが生じ、世界は

変化していくという。生の全体性には無秩序も必要であり、そのことを

強調してわれわれに認識させてくれるのがトリックスターであるという

ことです。

 

トリックスターは、日本では、アメノウズメ、中国では孫悟空、ギリシャ

ではヘルメス、ゲルマン神話のロキなどがあげられます。

 

なお、もう一つの文化英雄(トリックスターは広義の文化英雄に含まれる

ようですが)とは、その活動がより真面目で、より肯定的な場合をさすと

されます。つまり、文化英雄は、英雄とトリックスターの中間に位置する

ようです。

 

さて、文化の起源の神話の主人公が、英雄、文化英雄、そしてトリック

スターという三つの側面のすべてを示しているという神話が「古事記」に

ありますので、紹介してみたいと思います。

 

それはヤマタノオロチ退治で有名なスサノオにまつわる神話です。

 

「古事記」によると、イザナギの両眼からは月の神ツクヨミと太陽神アマ

テラスが生まれ、鼻からは暴風雨のような荒々しいスサノオが生まれます

が、スサノオはその荒々しい振舞いによって天上の神々の世界から追放され、

地上の世界にやってきます。地上にやってくる途上、そして、その後の地上

での彼の行動から人間にとって役立つ様々な品々がもたらされるのですが、

それぞれの場面において、スサノオは英雄、文化英雄、トリックスターと

いう異なる顔を見せるのです。

 

最初に出るのはトリックスターの側面です。地上に下る途中、空腹を覚えた

スサノオは、オオゲツヒメという女神のところへ立ち寄って、食べ物を求め

る。オオゲツヒメとは「多くの食べ物を与える女神」という意味で、この

女神は鼻、口、尻からいろいろとご馳走を出してくるが、それを見たスサ

ノオは汚いものを食べさせると思って怒り、女神を殺してしまう。でも、

この食物女神殺害の結果、女神の死体の各部から人間が文化的生活を営む

のに必要なさまざまな有用なものが誕生することになります。

 

死体の頭には蚕が、目には稲が、耳に粟が、鼻に大豆が、性器には麦が、

そして尻には大豆が生じたというのです。蚕からは絹糸のもとになる繭が

取れるし、その他もすべて食用の穀物や豆類です。

 

女神の体に潜んでいたものが意図しないスサノオの行為によって、人間が

食物として利用できる種の形に変化したのです。こうした意図せず文化を

創造する行為者こそが世界各地の神話に見られるトリックスターの特徴

だということです。

 

次に、スサノオは出雲(島根)にやってきて、若い娘を襲って食べる八つ

の頭と尾をもつ大蛇ヤマタノオロチを退治する。竜や大蛇の退治は英雄の

武勲のもっとも代表的なものであり、ここでのスサノオを英雄と特徴づける

ことができます。

 

ただし、この大蛇の体には苔、檜、杉が生え、谷八つに峰八つほどの長さが

あり、その腹はいつも血がたれて赤いとされていていますが、こうした特徴

から、別の見方もできるようです。

 

この大蛇の描写は山中の谷間でいくつもの支流に枝分かれした激しい流れを

イメージしているともいえます。

 

また、奥出雲地方は砂鉄の産地で、鉄分のせいで川が赤色に見えることが

あるとすれば、スサノオのオロチ退治とは、しばしば氾濫して、田畑を水没

させてしまう荒々しい川を治水したという、自然に対する人間の文化の勝利

を描いたとも考えられます。そうなると、スサノオは文化英雄でもあること

になります。

 

さらに、彼が武力よりも策略でオロチを退治している点も注目に値すると

されます。スサノオはオロチの八つの頭のそれぞれのために八つの大きな

桶を用意させて、それを強い酒で満たさせる。スサノオの計画どおりに

オロチは桶に頭を突っ込んで酒を飲み、酔いつぶれてしまう。オロチが

寝込んだのを見て、スサノオは剣をふるってオロチを退治するが、それは

知恵で立ち向かっていくことを示しているといえます。

 

このようにスサノオの神話には、トリックスター、英雄、文化英雄の三つ

の側面が重なりあって表れていますが、これはスサノオだけの特徴ではなく、

世界の他の英雄たちにも見られるものだということです。

 

ところで、以前にも引用した、水波一郎氏の著作で今は絶版になっている

『禊神秘の法』のなかで、スサノオについての別の見方、つまり、古事記に

おけるスサノオという神的存在の深い意味について述べられていますので、

紹介しておきたいと思います。

 

<スサノオは、やることなすことが秩序に反しているが、彼こそが日本人

の、いや、全人類の救いであり、偉大な神格である。しかし、この偉大な

神格はなぜ人間的悪行の象徴になってしまったのであろうか?>

 

<このスサノオが悪神に描かれている背景に、人間たちのわがままと、

傲慢が隠されている。つまり、人間たちは地上に生活しており、不自由

であるために、より自由な生活を夢見ており、自分たちに不都合なこと

は考えたくないものなのである。その結果として、アマテラスやイザナギ

を高く位置づけてスサノオのような不都合な神は低く位置づけたと思う。>

 

<神話の中で、スサノオはイザナギの意思に背き泣いてばかりいたとあるが、

それは、もう別の世界へ行ってしまって、醜く汚いと教え込まれた母の愛を

知りたがったからである。パワーであるスサノオには、母の愛がどうしても

必要であった。つまり、スサノオはその後、人間たちの世界へ降りるが、

それは母を持つ人間たちの愛の意味を知りたかったということである。>

 

<神々の世界は高貴すぎて、地上とは異質であり、そこにおける母性とは

神霊の女性的側面でしかなかった。それは人間たちには無関係であることを

知り、スサノオは父なる神に反抗し、地上に降りるのである。>

 

<スサノオは、その前に、兄弟神である天照大御神に面会する。その面会

のときには、大きな災害が起きる。そして二神は契約を交わす。その結果、

アマテラスは天上の神として上方から地上に光を送り、スサノオは地上に

降りて地上の邪を退治する。>

 

<そして、スサノオは、天界を追い出され地上で妻をめとる。剣の力で

妖怪を退治し、人々を守る。彼は人間たちの心を深く理解し、人々と同じ

ように苦悩するが、人々から良く思われない。人々は彼を無視し、彼を

受け入れなかった。>

 

<力の神が父なる神に逆らい、神々の世界から地上に本当に降りたとすれ

ば、人々にとって力の神は脅威である。力の神は人々のために妖怪を退治

した。しかし、力の神は、それ以外に存在する価値がない。太陽は毎日

必要であり、月も必要であるが、パワーは妖怪がいなくなれば大切では

ないからである。>

 

<力は時として善であり、同時に悪でもある。それは人間たちにとって、

都合が良かったり、悪かったりする。人々の勝手な自由は、スサノオを

アマテラスよりも低く位置づけるのである。>

 

<やがて、スサノオは神々の世界に戻っていく。父なる神に追放され、

兄弟の神と約束した高貴な御霊は、大悪人のごとく描かれ、悲しい

生涯を終えたのである。神話は霊感の書であり、物語によって象徴的

に記されている。スサノオを受け入れず、父の子を磔にした人類に

救いは遠い。>

 

<だが、アマテラスやツクヨミより一段下げられてしまったといえる

スサノオは、人々のために禊を指導なさる。それはスサノオの本質が

救いだからである。><スサノオの命は今実在しており、禊法の修行者

に対してこう言いたいのだろう。「禊とは、善悪を超えた巨大な力との

交流なり」と。>















 霊魂に聞くⅡ
   (水波一郎 著 アマゾン 発売)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

『霊魂に聞くⅡ-宗教について高級霊魂は何を語っているのか-』


にほんブログ村
霊魂に聞くⅡ 
(水波一郎 著 アマゾン 発売    )


少し前に、水波一郎氏は、『霊魂に聞く-この世の人達が知っておきたい

霊学宝典-』という書を出版されていますが、今回は、その続編ということ

になると思われます。

 

前回と同様、霊的分野に関することを初心者にもよくわかるようにQ&Aの

形式でまとめたものですが、今回は、サブタイトルにもあるように、宗教に

ついて高級霊魂は何を語っているのかということ、つまり、宗教に焦点が

当てられています。

 

水波氏は、<はじめに>で、「人間の歴史は宗教に深く関わってきました。

原始的な宗教には原始的な宗教がありました。文明社会になると、文明人

にも受け入れやすい高度な教え持つ宗教が出現しました。現代にもたく

さんの宗教があります。中には、反社会的と言われて、嫌われている

宗教もあります。」

 

「このようなたくさんの宗教を、霊的に高級な霊魂はどう見ているので

しょうか。本書は高級霊魂から見た、この世の宗教の意味や価値などに

ついて、書いてみたいと思います。」と述べています。

 

また、「著者は霊媒ですので、霊魂の実在を前提にして書いています。」

「信仰は自由ですし、科学では立証できない分野です。何を信じるかの

問題なので、簡単には、肯定も否定もできません。ですが、人間は死後、

あの世に行き、霊魂として生活しなければなりません。ですから、宗教の

善し悪しは大きな問題なのです。間違った宗教を信じて、地獄のような

世界に入るのでは困ります。」

 

「そうなると、宗教も本来ならば、死後の世界で生きる、という事を前提に

して教えを説いてほしいものです。ですが、現代の日本の場合は、死後の

世界や霊魂の実在を認めていない宗教もあります。そうしたものは、本書

では価値を認めていません。どんな高度な教えで、評判が良くても、霊的な

価値がないからです。」とも述べています。

 

ところで、ウィキベディアでは、「宗教とは、一般に、人間の力や自然の力

を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系のもとづく教義、

儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。」と定義づけて

いますが、実際は、宗教者、哲学者、宗教学者の数だけ定義があるとも

言われています。

 

それでは、高級霊魂にとっては宗教とは何なのでしょうか?高級霊魂は

宗教をどう見ているのでしょうか?

 

その答えとは、「この世の人達を、真の意味で救う為の道標です。宗教の

分野しか、神霊や霊魂を示してくれるものがないからです。」ということ

です。

 

なぜなら、科学は霊魂の存在を認めていないため、物質の科学では、それら

を探究することはできないからです。

 

よって、人間にとっての真の幸福や真の救い、人間の真実、そうしたものは

宗教なしのは得られないと述べています。

 

ただし、ここで宗教という場合、我々がイメージするような巨大教団や伝統

宗教ばかりを指すのではないとしています。水波氏は、霊的真実を知る手段

として、直接、高級霊魂に聞けばいいというのです。つまり、「霊媒」という

霊魂と交信し得る人間が架け橋となることによって霊魂の考え方を知る、

霊魂に死後や霊魂や神霊についての真実を尋ねるという方法をとれば良い

と主張しているのです。

 

ただ、それは現在の科学では認められないため、分類すると宗教になると

いうのです。とにかく、死後の世界や霊魂、神霊等、科学で認められて

いない神秘的な存在を信じて生きることは、宗教を信じるということになる

ということなのです。

 

このように、現代の人達に最も必要なものは宗教なのだということですが、

一方で、宗教には陰の部分、つまり、恐ろしい部分や邪悪な部分がある

ように言われたりします。

 

それには、どう対処すればいいのでしょうか?

 

本書では、一般人がそれを見抜くのは、大変難しいことだと述べています。

ただし、奇跡を売り物にしているとか、高度な宗教理論を振り回すところは、

まず、注意すべきだとしています。

 

もともと宗教は、超越的な存在に対する信仰が核になっているため、社会的

な常識、規範から逸脱するという側面を持っていますし、そして、さらに

難しいことに、その善し悪しを、教義の理論的高低や、教祖の人格、活動の

内容、御利益のあるなしで評価することができないようなのです。     

 

とにかく、教祖が真面目で高度な理念をもっていても、邪悪な霊魂が群れる

ように寄ってくるところもあるのであり、この世の人がそれを見抜くことは

まず無理であると述べています。

 

しかし、だからといって宗教を無視すると困ったことになるといいます。

なぜなら、人間は自由で、信仰を強制されることはないのであり、求め

ない人には高級霊魂は側に寄ることができないからだそうです。

 

ということは、一生の間に一回でも霊的な問題が起きた人は、何かしら

信じてくれないと、死後は下に落ちる可能性が高いということになると

いうことです。

 

これらのことから、高級霊魂から見た理想の宗教とは、霊魂としての人生を

考える宗教だと述べています。宗教が人を救うものであるとしたら、大切な

ことは、死後、下の世界に入らなくてもすむように、人々を導くこと、これ

こそが一番な役目だといいます。それを無視しては、他のあらゆる救いは

本当の救いになっていないのだと強く主張しています。

 

なお、本書の内容は、次のとおりです。

 

第一章 高級霊魂から見た宗教

Q1 高級霊魂にとって宗教とは何ですか?

Q2 宗教は怖くないですか?

Q3 宗教の善し悪しはどうやって見分けるのですか?

Q4 宗教を無視するとどうなりますか?

第二章 神道

Q1 神社の霊的な価値は何ですか?

Q2 神社の参拝方法について教えてください。

Q3 神社の御利益について教えてください。

Q4 神社の神様について教えてください。

Q5 神社の御神体について教えてください。

Q6 神社の神主さんの霊的なレベルについて教えてください。

Q7 御札やお守りに霊的な力はありますか?

Q8 神棚について教えてください。

Q9 神社に狐の霊魂はいるのでしょうか?

10  神社の儀式は霊的な力がありますか?

第三章 仏教

Q1 仏教は霊魂を認めないのですか?

Q2 霊魂から見た墓について教えてください。

Q3 仏壇はどうですか?

Q4 法要に意味はありますか?

Q5 お経に霊的な意味はありますか?

Q6 線香に霊的な意味はありますか?

Q7 仏は存在しますか?

Q8 極楽や浄土はありますか?

Q9 悟りとは、霊魂から見ると、どういう状態ですか?

10  八正道とはいうものは正しいのですか?

11 正しい先祖供養とはどんなものですか?

第四章 キリスト教

Q1 クリスマスに霊的な価値はありますか?

Q2 教会で祈れば神に通じますか?

Q3 聖書に霊的な価値はありますか?

Q4 キリスト教の神話に霊的な価値はありますか?

Q5 原罪は霊的な意味がありますか?

Q6 イエスは霊的にはどのような存在ですか?

Q7 信者でないのに教会で結婚式をあげても良いですか?

第五章 各種の宗教

Q1 神道系の新興宗教は霊的に見て評価できますか?

Q2 仏教系の新興宗教はどうですか?

Q3 輪廻転生を認める宗教はどうですか?

Q4 スピリチュアリズムはどうですか      

Q5 霊能力者による教団は危ないですか?

Q6 邪教とは霊的にどんな宗教ですか?

Q7 御利益ばかりを強調する宗教は、霊的に良い宗教と言えますか?

Q8 癒しを重視する宗教は霊的にどうですか?

第六章 まるで宗教

Q1 科学を信仰して霊魂を否定する人はどうなりますか?

Q2 スポーツが全てのようなスポーツ教の人達は、どうですか?

Q3 拝金教の人はどうですか?

第七章 宗教の今後

Q1 理想の宗教はどんなものですか?

Q2 欲を捨てなくても良いのですか?

Q3 真面目な宗教家の特徴について教えてください。

Q4 教えばかりの宗教は不要ですか?

Q5 間違った宗教はなくすべきではありませんか?

第八章 宗教全般の質問に答えて

Q1 信仰心は人間に備わっているものですか?

Q2 宗教を辞めたり改宗したりすると罰が当たりますか?

Q3 宗教の上手な辞め方はありますか?

Q4 しつこい勧誘をする教団があるのはなぜですか?

Q5 不真面目な宗教家が多いように思えますが、どうしてですか?

Q6 宗教は団体を作る必要はないのではありませんか?

Q7 複数の宗教に入っても構いませんか?

第九章 素朴な質問

Q1 宗教というものがあると対立が増えると思いますが・・・。

Q2 宗教は難し過ぎませんか?

Q3 人は信仰を持つ義務はないと思うのですが。

第十章 おとぎ話

 

以上、第一章については、少し紹介しましたが、二章以下は、このような

誰もが知りたい、知っておかなければならないと思われる基本的かつ重要

な質問と回答が列挙されています。

 

そして、その回答には、我々が、通常、物質界、つまり、この世の視点で

考えるのとは大きく異なるような、我々の誤った固定観念や常識を覆すよう

な事実が示されており、読む人は、必ずや有意義な示唆を得ることができる

と思われます。

 

是非、多くの方々に読んでいただきたいと思います。











テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

死と罪のはじまり-創世神話3-


にほんブログ村
天地創造 神体




死の起源神話は、広い意味で人類の起源神話の一部をなしていて、しば

しば生殖の起源と関連して死もまた始まったと伝えられています。

 

内容的にも死の起源神話は、人類起源神話と対応する構造をもっている

ものもあるようです。

 

たとえば、単独の創造神による人類の創造の場合、創造神の命令に違反

した罪として死が始まったという形式があり、また、二神が対立し、争い

ながら人類を創造した場合、一神は人間に死を、他の神は生を与えよと

争い、後者が勝ったという形式があるということです。

 

そのほか、人間が卵や洞窟から出現したように、死が容器の中から出て

きた形式があり、また、人間が昔はヘビと同様に脱皮したが、脱皮をやめ

たために死ぬようになったという脱皮型神話、食物として石ではなくバナナ

を選んだため死ぬようになったバナナ型神話、人間に不死を与えようという

神の伝令が誤って伝えられたため、死ぬようになった伝令型神話のなどの

形式があるようです。

 

さて、死というものが生じた原因というものを考えるとき、大きく分けると

二つのタイプがあるように思われます。

 

一つは、神が人間に石と植物のどちらかを選ばせたとき、人間が植物を

選んだので人間は死ぬことになったというものや、不死は人間が獲得する

ものであったが、ちょっとしたことでヘビのものになったというような、

誰が悪いのでもない、大昔の些細な出来事の結果として死が生じたという

ものです。

 

もう一つは、女性のせいで死が始まったとするもので、結果として罪とか

罰とかが課せられるようになったというものです。

 

後者の典型が、死の起源、性の起源、罪の起源として、宗教的、文化的にも

っとも大きな影響力をもった旧約聖書のエデンの園のアダムとイブ(エバ)

の物語ですから、今回は、そこに焦点を絞って見てみたいと思います。

 

なお、ギリシャ神話にも旧約聖書と同じような物語があるようですが、そこ

では、いわゆる倫理的、道徳的なモチーフが希薄なように思われます。

 

ところで、創世記では、次のように語られています。

 

<最初の人間の男女であったアダムとエバは、エデンの園という楽園で、

そこに生えている木から、あらゆるおいしい実を取って食べ、性の意識も

もたずに無邪気に暮らしていた。神は、ただ、命の木とともに園の中央に

生えている善悪を知る木の実だけは、「決して食べてはならぬ、それを

取って食べると、きっと死ぬであろう」と言って、食べることを彼らに

固く禁止していた。>

 

<ところが、その「禁断の木の実」を、まずエバが、狡猾なヘビの言葉

に言葉巧みに誘惑されて食べ、アダムにも与えて食べさせてしまった。

そうすると二人は、たちまち異性同士であることに気がついて、裸体で

いるのが恥ずかしくてたまらなくなり、あわててイチジクの葉を綴り

合わせ腰に巻きつけて陰部を隠した。>

 

<すると、そのことを知った神は激怒して、まずヘビに対して、腹で這い

歩き、塵を食べる呪われた生物として、人間の仇敵となるという運命を

定めた。それからエバに対しては、女が苦しんでお産をし、男の妻と

なって仕えねばならぬことになると申し渡した。>

 

<そして神はアダムに対して、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるな、

と私が命じた木から取って食べたので、地はあなたのために呪われ、

あなたは一生苦しんで地から食物を取る。地はあなたのためにイバラ

とアザミを生じ、あなたは野の草を食べるだろう。あなたは顔に汗して

パンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から取られたのだから。

あなたは、塵だから、塵に帰る。」と宣言した。>

 

<それから神は、裸でいられなくなったアダムとエバに皮の着物を作って

着せてやったうえで、彼らをエデンの園から永久に追放した。それで人間

は、アダムに対して神が言い渡したとおりに、苦労して大地を耕して得ら

れるパンを主食にして辛い暮らしをし、死んで土に帰らねばならなくなった

のだ。>

 

また、神は、その実を食べると不死になれる命の木が生えている楽園を、

燃える剣を持った天使たちに厳重に守らせて、人間がそこに行くことが

決してできぬようにしたともいわれています。

 

なお、アダムが犯したこのような「原罪」の塁がすべての人に及んで、

死が人類のすべての人に及んで、死が不可避となったことは、新約聖書の、

パウロによる「ローマ人への手紙」のなかで、「一人の人によって、罪が

この世に入り、また罪によって死が入ってきたように、こうしてすべて

の人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである。」と明言

されています。

 

さて、この物語は、到底、事実そのものだとは思いがたいところがあり

ますが、事実の一端を象徴的に語っているとしたらどうでしょうか? 

 

では、事実はどうであったのか?

 

事実を知る手掛かりとして、水波霊魂学の提唱者、水波一郎氏は、著書

『神体』のなかで、最初の人類について述べられていますので、紹介

してみたいと思います。

 

<至上の神は、先に人間を造られたのではなく、神々を誕生させられた。

そして、神々は上級の霊魂を誕生させられた。上級の霊魂は自分たちの

生活する場所を与えられた。それが上級の霊魂が住む世界である。>

 

<霊魂達は成長した。やがて、霊魂としての成長は、全く新しい生命体と

しての霊魂を生むことを欲した。かくして、上級霊魂達が神霊に願うこと

によって、新しい世界が創造された。それが新しい霊魂達が主として生活

する世界となった幽質世界である。この世界こそは、今の人間が、死後、

生活している霊魂の世界である。>

 

<その世界の生活は実に気ままであった。地上と違い、食べることがない

から働く必要もない。何もしなくても生きられるのである。しかし、あまり

にも自由なため、それに飽きてもっと違う世界を求めた。つまり、彼らは

物質を求めたのである。>

 

<幽質界の霊魂達にとって物質は憧れであった。物資は差別を生む。物質

は一定の容姿を作り、生命を保持するための努力が必要となる。彼らは

物質を支配してみたと考えたのである。>

 

<しかし、上級の霊魂達はその考えを支持しなかった。上級の霊魂達は個性

が大きかった。そして、彼らの欲求が不幸を生むことを察知したのである。

しかし、幽質界の霊魂達は、自由を主張し、ついに上級の霊魂達に戦いを

挑んだ。ただし、それは我々が考えるような戦いとは異なり、自由に議論

することであった。>

 

<両者はどこまでも平行線のままであった。しかし、霊魂の自由はいつも

強く、神々は物質の世界を造られた。それまでの物質はただの物質といった

ものであり、とても霊魂の住みうる場所ではなかった。神々の力により、

物質界はついに生命の住みうる環境へと動き出したのである。>

 

<要するに、人類は初めは霊魂そのものだった。しかし、霊魂達の自由を

求める戦いの中で、その限りない欲求が物質を支配したがった。この時、

上級の霊魂達はこれを思い止まらせようとした。しかし、至上の神が与え

た権限「自由」、これを無視できないために、神々は物資の世界に霊魂の

住みうる環境を発生させられたということである。>

 

<幽質界の後に物質の世界は誕生している。物質の世界には時間があったが、

最初の幽質の世界には物質の世界でいうような時間はなかった。そのため、

幽質の世界では多数の霊魂がまだ議論している程度の間に、物質の世界では

計るのが大変なほど長い時間が経過した。よって、天体の誕生から人類の

誕生までは、地上の感覚では単位が困るほど長い時間であっても、霊魂の

世界は全く別の次元で動いていた。>

 

<今の人間が使用しうると思えるレベルに身体が進化したとき、幽質界の

霊魂が次から次へと侵入したのである。地上に降りた人間は物質の身体を

まとい、物質の食事を食べ、労働し睡眠する存在となった。そして、死ん

で幽質界へ帰る存在となった。>

 

<物質界の歴史は非常に長い。その中の人類の歴史は非常に短い。しかし、

霊魂としての人類の歴史は、物質世界が生命を誕生させてからの歴史より

長いのである。したがって、数万年前、またはそれ以上前から存在したと

言われる人類と、今の人間とは霊魂という次元において別の生命体である。

過去において古い人類と呼ばれた生命体は人類と呼ぶのかもしれないが、

今の人間の魂の先祖ではない。>

 

<現人類の有名な神話に、人間が動物に子孫として現れていないのは当然

なのである。地上の人間達は霊魂の世界がわからない。そのために、古代人

の理性、信仰によって、それぞれの神話は霊感を含んで登場したのである。

したがって、神話は、多くの物語と一部の霊魂による真実が混ざり合い、

変形されて成立したのである。>

 

このことから、旧約聖書では、神の言いつけに背いて禁断の木の実を食べ

たことによって、神の怒りを買い、楽園を追放され、産みの苦しみや労働

の苦しみが始まり、そして、死ななければならなくなったとされますが、

それは、上記の『神体』によると、本来は、幽質界(死後の世界)の存在

で、物質の身体を持たなかった人という生命体が、上級の霊魂の意見、忠告

に従わず、地上(物質界)に降り、物質の身体をまとったために、労働を

して物質の食物を得なければならなくなった、また、時間というものが発生

し、死というものが始まった、ということを示唆しているということが

できると思われます。

 

また、旧約聖書に始まり、キリスト教で主張される「原罪」という考え方

については、本当は、禁断の木の実を食べたがゆえの楽園からの追放では

なく、地上(物質界)への降下、侵入は、認められた自由意志の結果であり、

それは神に逆らった「罪」というより、未熟ゆえの「判断の間違い」という

ことになるのではないかと思われます。

 

ところで、水波一郎氏の近刊『龍』によると、人類の祖先がまだ今のような

文明を持つ人類でなかったころ、そのころ、物質界で生きていた人間たち

こそが龍であったということです。

 

つまり、人間という霊的生命体は、今の人類の身体が登場し、文明が生じ

うる状態になって、初めて物質界の生命として生まれたのであり、それ以前

の人類は、龍という霊的生命体が、物質の身体の所持者であったといいます。

言いかえると、龍が物質の世界で使用していた身体に、今度は人間という幽質

界の生命体が侵入して、物質の身体を使用することになったということです。

 

 




 
 
 
 
 龍
   (水波一郎 著 アマゾン 発売)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

人間のはじまり-創世神話2-


にほんブログ村
世界神話辞典



人類起源神話は、世界起源神話や文化の起源神話とともに創世神話の重要な

一部分をなしていますが、人類の起源は、しばしば世界起源神話の一部を

なしており、そうでない場合も類似した構造やモチーフをもっていること

が多いようです。

 

また、世界の存在を前提にして人類の起源から話を始める神話も多く、

人類起源神話は農耕の起源など文化の起源神話と連続して区別しがたい

例もあるようです。

 

なお、日本の天孫降臨神話など、人類起源神話が特定の民族や家系、

あるいは特定の神話的人物の起源神話の形をとっていることもある

ということです。

 

さて、人類起源神話の形式としては、大きく分けると、創造型と進化と

いうものがあります。創造型は、創造神がなんらかの方法で人間を創造

したという形式であり、それはさらに、創造神が単独で人類を創造したと

いうものと、創造神が協力者と一緒に、あるいは反対者と争いながら創造

するものに分けられます。

 

進化型とは、創造神の介入なしに、ある種の原初の物質や胚素から自発的

に発達あるいは進化したという形式で、それは、単一の原初の物質や胚素

から人類が発生したもの、二つ以上の物質が作用しあって人類が発生した

もの、そして、原古の存在、たとえば世界巨人の死体から人類が発生した

という形の三つに分けられます。

 

また、人類起源神話のなかには、世界起源神話に対応する形式を持たない

ものがあります。それは、世界の存在を前提とする人類起源神話で、地中

からの人類の出現、天からの人類の降下がその代表的なものですが、その

ほかに植物、特に樹木から人間が出現した形をとるものもあります。

 

なお、男と女は別々に造られたという神話も少なからずあり、さらに、

既存の世界が一度破滅し、生き残った者が再生した世界の住人となる、

いわゆる洪水神話も、世界の存在を前提とした人類起源神話の一種と

見なされています。

 

さて、人は神々、創造神によって造られたという場合、何らかの素材から

造り出されたということになります。

 

たとえば、北欧神話では、人間は木から造られたと語られています。

 

<オーディン、ヴィリ、ヴェーという三人の神々が海岸を歩いていた。

すると、二本の木を見つけた。三人の神々は、それぞれ、息と生命、知恵

と運動、顔と言葉と耳と目を与えた。そして、さらに衣服と名前を与えた。

男はアスク(とねりこ)、女はエムブラ(ななかまど)という名前だった>

 

北欧神話は、おもに大西洋に浮かぶ火山と氷河の島アイスランドに残され

てきたが、寒い土地なので豊かな森があるわけではなく、あるのは流木で

あった。流木は家を造る素材や燃料として貴重だったところから、また、

木の棒をもう一方の木の穴に当てて火を起こすやり方が男女の交わりを

連想させることも、人間誕生のイメージを生み出す要因になったようです。

 

しかし、もっとも目立つのは、人間は土から造られたとするタイプです。

 

メソポタミア、エジプト、インダス、中国の、いわゆる世界の四大文明は、

いずれも大きな河川のほとりで始まっています。特に、メソポタミアの

場合は、乾燥した風土なので樹木はほとんどなく、豊富なのは上流から流れ

てくる粘土だけであり、その粘土を乾燥させて作った日干しレンガが家や

都市の素材となり、文字も粘土板に楔形文字で記されているほか、人間も

また粘土から作られたとされています。そして、他の地域でも人間もまた

土によって造られたという発想が普遍的に存在するようです。

 

メソポタミア文明の最初の担い手はシュメール人ですが、シュメール神話

「エンキとニンマハ」では、発端では、神々が人間のように結婚し、家庭

をもち、労働している様子が描かれているようです。神々には二つの階級

があって、下級の神々は水路や運河にたまる泥を取り除く作業に従事して

いたとされます。

 

下級の神々は労働のつらさや身分格差に不満を抱くようになり、反乱を

起こして、自分たちの代わりに労働してくれるものを求めたという。

そこで女神ナンマは、神々を代表して、息子で知恵と水の神であるエンキ

に妙案を示してくれるように頼んだ。エンキは深海のアプスーと粘土を混ぜ

合わせて人間を造ればよいと考え、そのための「型」を作った。それに

よってナンマは他の女神たちの力を借りて人間を造り上げることができた。

 

こうして、労働から解放されたので祝宴が催され、神々はビールを飲んで

陽気になったが、エンキの妻のニンマハは酔っ払って、わざと不完全な

人間を造れるのかと夫を挑発した。エンキも酔っ払っていたのでこの挑発

に乗った。そして、彼は欠陥があっても支障とならない職業をそれぞれの

人間のために考えてやり、妻との戦いに勝利したということです。

 

ここでは、粘土を日干しレンガを作るように粘土から人間が造られるという

イメージが語られており、また、この世には完全な人間ばかりではなく、

社会にはそれぞれふさわしい職業があるという考え方が示唆されている

ようです。

 

さて、メソポタミアでシュメール人のあとに有力になったのは、アッカド人

であったとされます。彼らはシュメール人から灌漑や建築といった技術的な

ことをはじめ、文字、宗教、神話などについても多くを学んでいます。アッ

カドの人間創造の神話は、「エヌマ・エリシュ」ともう一つ「アトラハシス

物語」がありますが、いずれもシュメールの人間の起源の神話によく似て

いるとされます。ただし、「エヌマ・エリシュ」のほうは、神々の血から

人間が造られたということから、巨人の死体から造られたという世界巨人

型のタイプのニュアンスが強いと思われます。

 

「アトラハシス物語」では次のように語られています。

 

「アトラハシス」とは、「最高の賢者」という意味で、彼が太古の出来事

を語るという形式になっていて、まだ、人間がいなかった原初には、七人

の大神アヌンナキの命令に従って下級のイギギが労働していた。シュメール

神話の場合と同様に下級の神々がストライキを起こしたので、知恵の神エア

がイギギたちに代わって労働する人間を粘土で造ってはどうかと提案する。

 

このように、メソポタミアでの人間の誕生は、現代風にいうとロボットの

製作に近いイメージですが、粘土で形はできても、それではまだ動かず、

動くためにはプログラムを組み込まなければならないことになります。

 

アッカドの神話では、プログラムや情報に相当するのが神の肉と血(「精霊」

ともよばれる)ですが、そのためにそれまで労働に従事していた一人の

下級の神が殺され、その肉と血が粘土に混ぜられて人間が造られることに

なります。

 

なお、世界各地には、大洪水の物語がありますが、それは悲惨な自然災害の

単なる記憶とは異なる側面があるということです。

 

洪水神話とは、大洪水によって一組、あるいは一家族の男女だけが生き

残って、世界中の他のすべての人々が死に絶え、この残った男女から新しい

人類が始まるという一貫した筋書きを持つ場合が多いのです。つまり、洪水

神話は、形を変えた人間のはじまりの物語として伝えられてきたといえる

ようです。

 

メソポタミアでは、このような、神々による洪水によって選ばれた者以外の

人類のすべてが滅びるとういう洪水神話と、土や粘土からの人間の創造と

いう、二つのタイプの神話が両方ともあり、隣接する地域の作品である

旧約聖書とギリシャ神話にも類似のストーリーがあるのですが、このこと

から、メソポタミア(シュメールとアッカド)の人間の創造の物語は、周辺

に位置する旧約聖書の民ヘブライ人やギリシャ人の人間の起源の思想に

影響を与えたと考えられています。

 

ところで、我々がよく知る旧約聖書の世界創造は、神ヤハウェが七日間で

成し遂げたとされ、六日目に地上の動物を造り、さらに人間を造ったと

されます。

 

その造り方はというと、土(アダマ)の塵で人(アダム)を造り、その鼻

に命の息を吹き入れたとあります。そして、アダムを眠らせて、そのあばら

骨を抜き取り、そのあばら骨から女を造ったとされ、この女はのちにアダム

によって「命」という意味のイブ(エヴァ)という名を与えられています。

 

このことは、ヘブライ人が、ノアの方舟のような洪水神話からも明らかな

ように、メソポタミアの神話の影響を強く受けてきたということを伺わせ

ます。

 

しかし、創世記で展開される人類創成の物語をみると、そこには、メソ

ポタミアの神話には希薄な倫理的なモチーフや、復讐、懲罰、報酬という

要素が加わってくるように思われます。

 

次回は、アダムとイブの物語に現れる死の起源、性の起源、罪の起源など

についてみていきたいと思います。

 

 









龍
 (水波一郎 著 アマゾン 発売)


テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

この世界のはじまり-創世神話1-


にほんブログ村

世界のはじまりの物語 



世界の起源というと、まず旧約聖書の「創世記」における<天地創造>や、

「古事記」における<天地のはじめ>やイザナギとイザナミによる<島々

の生成>を思い浮かべます。

 

「創世記」では、<原初には闇が混沌の上にあった。神ヤハウェは「光」

あれと言った。すると光があった。神は光を見てよしとした。神は光と闇

を分けた。神は「水のなかに天蓋があって、水と水を分けるように」と

言った。天蓋の下の水と天蓋の上の水が分けられた。天蓋は天と名づけ

られた。神は「天の下の水は集まり、乾いた所が現れよ」と言った。する

とそうなった。乾いた所は地と呼ばれ、水の集まった所は海と呼ばれた。

そして神は昼と夜と分けるために天に太陽と月を出現させ、また星を

造った>とされます。

 

つまり、「創世記」の天地創造は、一神教の神は万能の神なので、すべて

は神の意志のよる創造ということになります。

 

どうも、はじまりの物語としては直線的で変化に乏しいという印象を受け

ますが、これはいくつかある世界の起源の神話の中の一つのタイプにすぎず、

他に様々なタイプの起源神話があるのです。

 

もっとも、一神教の世界では、旧約聖書外典のダニエル書、新約聖書の

ヨハネの黙示録など、世界の終りについては、逆に、非常に熱心に語られて

います。誤った古い世界の終わりイコール、正しい唯一の神による新しい

世界の始まりだというわけです。一神教にとってのはじまりの物語とは、

間違っている現在の世界が滅びるという終末論に他ならないと『この世界

のはじまりの物語』の著者松村一男氏は述べています。

 

さて、松村氏は、世界の起源の神話のタイプを(1)「創世記」にあるよう

な創造神の意志による創造(あるいは無からの創造)、(2)原人(世界巨人)

の死体からの創造(死体化生)、(3)宇宙卵からの創造、(4)世界両親に

よる創造、(5)進化型、(6)海の底から持ち帰った泥による創造、潜水型

とも呼ばれる、の六つのタイプに分類をしています。

 

なお、(1)は、意志の力によって何かを生じさせることができるという

考え方に立っている。世界の存在以前に存在するその意志の所有者は、

創造神としか名づけられない。(2)は、新しいものは古いものの死に

よって生み出されるという生と死の弁証法を直観的に把握し考え出された

ものと思われる。また、そこには人体の諸部分と宇宙の構成要素、ミクロ

コスモスとマクロコスモスが対応しているという認識が基礎にあると思わ

れる。なお、原人の体から宇宙が造られるという考え方の逆のパターンは、

人間が大地、水、植物、光、風などの自然のさまざまな要素から造られと

する考え方になる。(3)は、卵から生命が生まれることからの類推で、

(4)は、両親から子供が生まれることからの類推である。(5)は、自然

とつぎつぎに世界の要素が整っていく型であるが、洪水の水が引いた後から

草木や生物が自然に出現するかのように見えることからの類推であろう。

(6)は、水の底に土があるという知識と、子供のころに水たまりの土から

さまざまなものを作り出して遊んだ記憶の両者から編み出された考え方の

ように思われる、ということです。

 

もっとも、世界創造の神話は、この六種類のみに限定されるわけではなく、

いくつかのタイプが複合している場合もあるとされます。

 

それでは、創造神の意志による創造以外のタイプの物語を紹介しておき

たいと思います。

 

まず、巨人の死体から世界が作られるという神話ですが、これは世界の

あちこちでは見られるようです。そのうち、中国の神話は次のような

ものです。

 

<世界のはじめのときに、盤古(ばんこ)という巨人が出現した。そして、

彼が死んだとき、息は風雲となり、声は雷となり、左眼は太陽に、右眼は

月になった。手足は天を支える四本の柱となり、五体は五つの名山になった。

血は川となり、筋や脈は大地の木目となり、肌や肉は田の土となり、髪や

髭は星となり、皮や毛は草や木となり、歯や骨は貴金属となり、精髄は宝石

となり、汗は雨となった。そして体に寄生していたさまざまな虫は人間に

なった。>

 

中国のほかに、バビロニア、インド、北欧などにも、世界巨人型の創世

神話があります。そこには、各地の文化や風土に由来する独自な要素が

付加されているものの、明らかに共通点があり、それは、体の各部が

世界のさまざまな要素になるという考え方です。

 

人間は手に入る材料を工夫してさまざまなものを作り上げてきましたが、

その材料とは、植物であり、動物です。世界的には植物より動物を利用

する社会のほうがずっと多いが、そうした牧畜民的な生活ぶりが世界巨人

による世界創造の物語の背景にあったと考えられています。

 

よって、世界巨人型の神話は、おそらく牧畜を営んでいた社会で語られ

はじめ、牧畜の広がりとともに各地に伝えられたということ、すなわち、

古代オリエントで始められた牧畜の技術は、インドや中国、そして北欧

にも伝わり、それとともに世界巨人の神話も語られてきたのではないか

ということです。

 

次に、宇宙卵から世界創成の例として、フィンランドの神話叙事詩「カレ

ワラ」をあげると、次のようになります。

 

<原初には海と大気しかなかった。大気の娘イルマタルはひとりきりなの

に飽きて海に下りてきて、波によって子どもを宿した。しかし七00年、

大きなお腹で海上をさまよっても、出産できなかった。カモが彼女の膝の

上に巣を作り、六個の金の卵を産んだ。膝が熱くなってきたので彼女は体

を動かした。そこで卵は海に落ちた。卵は割れ、下半身は大地となり、上

半身は大空となった。黄身は太陽となり、白身は月となり、まだらの殻は

星となり、黒い殻は雲になった。>

 

鳥類、魚類等は、卵が孵化してその中から生命が誕生することから想像して、

卵から世界が生じたという考え方が生まれたということは容易に推察でき

ますが、世界的にみて、意外と数は少ないようです。

 

古代ギリシャ、古代インドなどにもみられますが、特定地域への集中は、

インドの影響と思われる東南アジア以外には見当たらず、おそらく、個別

に考えついた場合が多いのではないかということです。

 

また、人が父と母から生まれるように、世界もまた両親から生まれたと

する世界両親型という考え方もありますが、日本神話のイザナギとイザ

ナミの場合がそれです。

 

<天の神々は、彼らの中で最後に生まれたイザナギとイザナミに矛(ほこ)

を渡して、漂っている国を固定するように命じた。そこで、二人は天の

浮橋に立って、矛を下してかき混ぜ、矛を引き上げると、矛の先から海水

が滴って、それが積もってオノゴロ島という島ができた。二人はそこに下り、

大きな柱を立てて、さらに御殿を建てた。はじめ二人は正しい交わり方を

知らなった。そのため最初の子どもヒルコは不完全であったが、やがて

正しいやり方を知ると、イザナミは次々と島を生み出した。>

 

ここでの中心となるモチーフは、イザナギとイザナミという世界両親の

性的な交わりから国土と自然が生み出されるという部分です。しかし、

それは前半部だけで、後半部では、イザナミの体からの排出物や血がさま

ざまな神になっていて、それは先に見た世界巨人型に近い側面もあり、

また、世界は一面の海で、そこに矛を下して島を作ったとされるところは

いわゆる潜水型にも似ているのです。

 

このように、日本神話での世界のはじまりは世界両親からの出産が基本なの

ですが、その周囲には世界巨人型や潜水型といった他のタイプの世界のはじ

まりについての神話も重層的に入り込んでいるようなのです。

 

ところで、イザナギとイザナミは、夫婦神として神々を生んでいったが、

イザナミは火の神カグツチを生んだときの火傷がもとで死んでしまう。

夫のイザナギは妻を連れ戻すために黄泉の国(死者の世界)へ行くが、

妻の姿を見てはいけないというタブーを課せられる。しかし、イザナギは

このタブーを犯し、そのために妻を地上に連れ戻すことに失敗する。地上

に戻ってきたイザナギは死者の世界での穢れを清めようと川で禊をするの

ですが、そのとき、右眼を洗うと月の神ツクヨミが、左目を洗うと太陽の神

アマテラスが、そして鼻を洗うと暴風雨のような乱暴な神スサノオが生まれ

る、とあります。

 

これは神話のタイプとしては世界巨人型を思わせますが、このことについて

は、単なる神話論とは全く異なった見方がありますので紹介しておきたい

と思います。

 

水波霊魂学の提唱者、水波一郎氏は、そこには禊の謎、霊的修行法としての

禊法の象徴的な意味が込められているといいます。

 

水波氏は、今は絶版になっている旧著『禊 神秘の法』で、次のように

述べています。

 

<禊とは何度もいうが、魂の内の低い部分の向上と高い部分の誕生である。

天照大御神は、この高い部分として登場している。><よって、神話の作者

の知恵は、確実に禊が天照を生むことを直観で理解していたはずである。それ

は、同様に、スサノオの命と月読命を生んでいることでも明らかである。>

 

<なぜ、三神が貴いのかといえば、禊の秘密の一つが、日と月と破壊を意味

しているからである。日は昼の光であり、月は夜の光である。しかるに、

スサノオは、高貴な御子でありながら、何の光も発しておらず、泣いたり、

暴れたりする破壊の神の象徴でもある。><彼には光がなく、代わりに力が

あり、叫び、攻撃し、そして、天照に対抗した神格なのである。>

 

<これが禊法の神秘なのである。禊は、水や火(光)や風で人間の魂を

清めるが、同時に高い部分を甦らせ、光としての自分と、力としての自分、

そして怒りと破壊、そして、それを許す愛、そしてその両者を統合した

意識としての神的自我の登場なのである。>

 

<禊の奥義はここに窮まる。禊は日の力を吸収し、自分自身を変化させる。

やがて、神々の身体ともいえる神体を発生させ、強化し、神々の気を直接

自分のものにしてしまう。そして、魂全体の進化によって、高級な個性と

しての霊魂の世界へ旅立たせるのである。>

 

<禊の奥義は、天照とスサノオ、そしてイザナギにある。イザナギは男性的

側面を前面に打ち出した神霊であり、その結果として、日の光と月の光と

パワーを生み出したのである。>

 

<禊は父と子である。そして、母と子でもある。それは、女神イザナミが

男神イザナギにつけた穢れによって、高貴な御子が誕生したからである。

つまり、女神が魔物によって男神を追いかけさせねば、貴い御子は誕生

しなかったし、禊は行われなかったのである。>

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 龍
  (水波一郎 著 アマゾン 発売)
 
 
 
 
 
 
 
 

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体