スサノオの真実を求めて


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スサノオの研究


周知のとおり、『古事記』には、イザナミを追って黄泉の国気へ行って

いたイザナギが、穢れを祓うために禊をするのですが、投げ捨てた持ち物

・脱いだ衣服から神々が生まれ、水に入って体を洗うとさらに神々が生まれ

ます。

 

そして、最後に左の目を洗ったときにアマテラスが生まれ、右の目を洗った

ときにツクヨミが生まれ、鼻を洗ったときに生まれたのがスサノオだとされ

ます。

 

山田永氏は、『古事記スサノヲの研究』のなかで、鼻から誕生した神は、

スサノオだけである、たかが鼻からというだけのことだが、問題の根は

深そうであり、ひょっとすると、スサノオの性格を決定づけ、『古事記』

の物語の展開にも大きく関与することになるかもしれないとして、その

意義を論じています。

 

単なる中国神話の影響として片づけるのではなく、なぜ『古事記』が中国

神話の表現を借りてまでスサノオを鼻から誕生させる必要があったのか

という点を考えてみるべきであろうとしています。

 

よって、この『古事記』のスサノオ誕生の物語を、『日本書紀』神話と比較

すると、「書紀」正文ではスサノオは、イザナミの二神から生まれている

ところが異なります。また、『古事記』のスサノオはアマテラス・ツクヨミ

と三神一組であり、「三柱の貴い子を得た」と言わしめていますが、この

ことは『日本書紀』には見られません。そこでは日の神、月の神、ヒルコ、

スサノオと、間にヒルコが入っているからです。

 

そして、『古事記』では三神が誕生したとき、大変喜んだとあるのに、『日本

書紀』ではそうではなく、イザナギ・イザナミが喜んでいるのは、日の神の

誕生のときだけであり、スサノオは逆に悪神のように書かれていて、天下を

支配する資格はないと根の国へ追放されるのです。

 

『古事記』のスサノオは、海原を統治することを命じられるが、彼はイザ

ナミを慕って泣いてばかりで、「妣の国根の堅州国(ははのくにねのかたす

くに)」へ行くことを希望するのですが、『日本書紀』のスサノオはイザ

ナギ・イザナミから生まれているので、母を求めて根の国へ行くという

ことはないのです。

 

しかし、『古事記』において、なぜ、スサノオはイザナミに逢いたがり、

同時に誕生したアマテラス・ツクヨミは逢いたがろうとしないのか、

という疑問がわきます。

 

山田氏は、どうやらそれは、目と鼻の違いに原因がありそうであると

述べています。

 

<鼻とは、この世とあの世の境界、つまり「端(はな)」であり、よって、

鼻は異界との「通路(チャンネル)」になっている、黄泉の国の空気と匂い

を吸ってきたイザナギの鼻から誕生したスサノオは、そのためイザナギを

慕い、「妣の国根の堅州国」へ行きたいと泣き喚いたのだ>という、鎌田

東二氏の説を引用し、さらに、本居宣長の、鼻で嗅ぐことの方が黄泉の国

との結びつきがより強いという発言をあげながら、アマテラス・ツクヨミ

とスサノオの違いは、ここに原因を求めることができるといいます。

 

つまり、アマテラス・ツクヨミ=日・月として天空にある神と、それと対を

なす闇としてのスサノオであり、それは日(=視覚)に対する鼻(=嗅覚)

から誕生したためと考えることができるとしています。

 

ところで、スサノオが行きたいと言ったという「妣の国根の堅州国」とは

何を指すのでしょうか?「黄泉と国」とはどう違うのでしょうか?

 

山田氏は、まず、「黄泉」とは、漢語で地下を意味する言葉であっても、

日本古代の「黄泉」も地下世界を表すに違いないとは言えない、ただし、

死とかかわる世界という大きな枠組みの中には入るとしています。また、

スサノオにとって「妣」はイザナミであり、「妣の国」は「黄泉の国」を

指すことになると言います。

 

そして、「根の堅州国」とは、「根の張っている堅固で立派な土地」を意味

し、「妣の国根の堅州国」とは、「妣の国の中の根の堅州国」と考えられ

るとしています。

 

かくして、スサノオはイザナミとの強い結びつきを感じるが、高天原や葦原

中国とはつながりを持たない神であったと述べていますが、どうなので

しょうか?

 

さて、スサノオの真実を考える資料として、以前にも引用した、水波一郎

氏の著作で今は絶版になっている『禊神秘の法』のなかで、スサノオに

ついての霊魂学的な見解、つまり、古事記に暗示されたスサノオという

神的存在の深い意味について述べられていますので、最後に紹介して

おきたいと思います。

 

<スサノオは、やることなすことが秩序に反しているが、彼こそが日本人

の、いや、全人類の救いであり、偉大な神格である。しかし、この偉大な

神格はなぜ人間的悪行の象徴になってしまったのであろうか?>

 

<このスサノオが悪神に描かれている背景に、人間たちのわがままと、

傲慢が隠されている。つまり、人間たちは地上に生活しており、不自由

であるために、より自由な生活を夢見ており、自分たちに不都合なこと

は考えたくないものなのである。その結果として、アマテラスやイザナギ

を高く位置づけてスサノオのような不都合な神は低く位置づけたと思う。>

 

<神話の中で、スサノオはイザナギの意思に背き泣いてばかりいたとあるが、

それは、もう別の世界へ行ってしまって、醜く汚いと教え込まれた母の愛を

知りたがったからである。パワーであるスサノオには、母の愛がどうしても

必要であった。つまり、スサノオはその後、人間たちの世界へ降りるが、

それは母を持つ人間たちの愛の意味を知りたかったということである。>

 

<神々の世界は高貴すぎて、地上とは異質であり、そこにおける母性とは

神霊の女性的側面でしかなかった。それは人間たちには無関係であることを

知り、スサノオは父なる神に反抗し、地上に降りるのである。>

 

<スサノオは、その前に、兄弟神である天照大御神に面会する。その面会

のときには、大きな災害が起きる。そして二神は契約を交わす。その結果、

アマテラスは天上の神として上方から地上に光を送り、スサノオは地上に

降りて地上の邪を退治する。>

 

<そして、スサノオは、天界を追い出され地上で妻をめとる。剣の力で

妖怪を退治し、人々を守る。彼は人間たちの心を深く理解し、人々と同じ

ように苦悩するが、人々から良く思われない。人々は彼を無視し、彼を

受け入れなかった。>

 

<力の神が父なる神に逆らい、神々の世界から地上に本当に降りたとすれ

ば、人々にとって力の神は脅威である。力の神は人々のために妖怪を退治

した。しかし、力の神は、それ以外に存在する価値がない。太陽は毎日

必要であり、月も必要であるが、パワーは妖怪がいなくなれば大切では

ないからである。>

 

<力は時として善であり、同時に悪でもある。それは人間たちにとって、

都合が良かったり、悪かったりする。人々の勝手な自由は、スサノオを

アマテラスよりも低く位置づけるのである。>

 

<やがて、スサノオは神々の世界に戻っていく。父なる神に追放され、

兄弟の神と約束した高貴な御霊は、大悪人のごとく描かれ、悲しい

生涯を終えたのである。神話は霊感の書であり、物語によって象徴的

に記されている。スサノオを受け入れず、父の子を磔にした人類に

救いは遠い。>

 

<だが、アマテラスやツクヨミより一段下げられてしまったといえる

スサノオは、人々のために禊を指導なさる。それはスサノオの本質が

救いだからである。><スサノオの命は今実在しており、禊法の修行者

に対してこう言いたいのだろう。「禊とは、善悪を超えた巨大な力との

交流なり」と。>

 

以上のことから、読み取れることは、アマテラスは、天上、つまり

高貴な世界にいて、そこから光を降ろす神霊であるが、スサノオとは、

父なる神に逆らってまでも、地上、つまり、この物質の世界へ降りて

人々を救おうとした高貴な神霊である。

 

そして、母を求めたのは、神的世界の母性とは、神霊の女性的な側面に

すぎず、母を持つ人間たちの愛の意味を知りたかった、つまり、地上の

人間というものの真実を知りたかった、ということである。

 

しかし、身勝手な地上人間は、都合のよいときだけスサノオにすがるが、

都合が悪くなると、その巨大な力を恐れ、悪神と貶め、死刑にさえしよう

としたのである、ということのように思われます。









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創られたスサノオ神話


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 創られたスサノオ

 

一般のスサノオ人気の源泉は、ヤマタノオロチ退治にあると思われるが、

しかし、原スサノオ神話にはオロチ退治はなかったと『創られたスサノオ

神話』の著者である山口博氏は言います。

 

『日本書記』第八段は、オロチ退治の段ですが、異伝である一書(あるふみ

)第一には、オロチ退治は存在しないというのです。

 

スサノオは、島根県の東部を流れる斐伊(ひい)川の山間部に降り、その川

のほとりのイナダヒメと結婚し、ミナサルヒコヤシマシノが生まれ、その

五代目の孫がオオクニヌシだとあるのみで、オロチ退治のくだりはないの

です。

 

これは極めて重要な記述で、天神の子が地上界へ降り、水辺の女と結婚する

という、山上降臨神話に属するが、この型は、ユーラシア大陸の北方に住む

民族が古くから語り伝えてきた地上界支配者誕生についての最も古い

パターンであるということです。

 

このような古型のみからなる『日本書記』第八段一書第一のスサノオ神話

こそ、実にシンプルな内容で、胸を躍らせるような勇壮なオロチ退治は

存在しないが、原スサノオ神話と考えられるとしています。

 

それでは、原スサノオ神話におけるスサノオの存在意味とはどのような

ものだったのでしょうか?

 

『日本書記』一書第一のイナダヒメの父親のスサノヤツミミは、稲田宮を

祭る神主、神主の娘でスサノオの妻となる女は、これも稲の名を持つ稲田

媛であり、スサノオがこの地に豊穣をもたらすべく天降り、稲田の女神と

結婚したとすると、稲穂を携えて降臨した神、つまり、穀物神ということ

になります。

 

高天原におけるスサノオの田は、みな「やせどころ」で、雨が降れば流れ、

日照りが続くと焼け焦げる田であったが、降臨した出雲の地は、『出雲国

風土記』によると、「ここは狭い地ではあるが、国として経営するにふさ

わしい地である」として、我が名をとって「須佐」と名づけ、その地に

鎮座し、神に稲を奉るための田である大須佐田、小須佐田を設けたと

いうことです。

 

そして、スサノオは、『出雲国風土記』では出雲国内を巡行するのですが、

それは出雲平野周辺の山間部に限られ、出雲全体を支配するような神では

ないようで、平野の周辺部を巡りながら、開拓をし、稲作を勧め、保護する

神であったのだろうとされます。

 

さて、それでは、スサノオという名の由来はどこから来たのでしょうか?

 

ある神が須佐に天降り、その地の女と結婚し新居を構えて住んだので須佐

之男と呼ばれたという説があるようですが、先に紹介した須佐郷の地名由来

説話からすると逆ではないかということにならないでしょうか?

 

では、須佐とは何かということになりますが、「荒れすさぶ」の意から、

乱暴な神と説かれるのが一般的であるようです。

 

しかし、この須佐の神は農業神であり、荒れすさぶ所業の神ではないので

あり、スサの意味は別に考えなくてはならないことになります。

 

山口氏は、古代語のスには、飾らない、そのままの、などの意を表す接頭語

があり、サには、田植え始めの日をサオリ(神下り)、田植えの終わる日を

サナブリ(神上り)という地方もあるなど、サには田の神という意がある

ことを考えると、スサは素朴な田の神ということになり、いかにもローカル

な農業神にふさわしい名であると述べています。

 

さて、原スサノオがこのようなローカルな農業神であるとすると、嵐神、

暴れん坊、アウトローという、もう一つの属性との矛盾をどのように

考えればいいのでしょうか?

 

山口氏は、スサノオのとんでもない、大きな悪行とされるものには、農耕

破壊と馬の皮を剥いで投げ込み神聖な機織殿を汚した斎殿汚穢(いみどの

おわい)の二つがあるが、それらには必ずしも悪行とは言えないような

解釈も可能であるとしています。

 

農業破壊とは、具体的には、重播(かさねまき:すでに田に種子が播かれて

いるのに、さらにその上の種子を播く行為)、畔毀(あはなち:田の畦道を

破壊して、境界をなくする行為)、渠填(みぞうめ:用水路を埋める行為)、

放樋(ひはなち:木樋を壊す行為)、烙縄(あぜなわ:稔ったアマテラスの

田に縄を引き渡して、私有を主張し犯す行為)等を指すとされるが、これら

の行為は米を常食とする高天原の神々にとって自殺行為に等しいものです。

 

しかし、スサノオはそのような行為をあえて行ったのは、スサノオが農耕に

依存しないで生きる神であったからではないかというのです。

 

田に馬を伏せさせる、馬の皮を剥ぐという行為が示すように、スサノオは馬

を飼育していた。馬の飼育には牧草が必要であり、そのためには稲田よりも

牧草地の確保が優先するであろう。畔を潰し、アマテラスの所有田に己の

占有標を立てて用地を拡張し、用水施設を破壊して乾田化を図る。二重

播きした田は、稲ではなく牧草の種子かもしれない。このようにスサノオ

の行為は裏を返せば、牧草地確保のためだったと考えられるのではないかと

いうことです。

 

農耕よりも遊牧に依存する生き方をする人々が騎馬遊牧民だとすると、記紀

に描かれた乱暴なスサノオは、農耕民とは利害の対立する騎馬遊牧民的な

民の伝承が反映されているということになります。

 

山口氏は、スキタイや匈奴といった北方の騎馬遊牧民の痕跡が朝鮮半島の

南部まで及んでいるところから、記紀に描かれている農業破壊の神スサノオ

が原スサノオ神話に登場するようなローカルな農業神とはまったく相反する

騎馬遊牧民的な性格を持っていても不思議ではないとしています。

 

そうすると、天の斑駒(あめのふちこま)の皮を剥いで投げ込むという残虐

な行為も、また違った意味を帯びてくるようです。

 

スサノオの乱暴の結果、『古事記』では、驚きのあまり、織女は手にして

いた機織の道具である棒状の梭(ひ)で性器を突いて死んでしまうとあり

ますが、『日本書記』では、アマテラス本人が怪我をして怒った、あるいは

ワカヒルメノミコトが梭で身を傷つけて死んだとあるなど、いくつかの

ヴァリエーションがあるため、日神アマテラスと馬との関わりについてたけ

焦点を当てると、古代の騎馬遊牧民などの間では、太陽神に犠牲馬を捧げる

という風習があったことと重なってきます。

 

古代のある人たちは、太陽が東から西へと移動するのは、太陽神が馬、

あるいは馬車に乗って天空を翔るのだと考えていたし、また、神々の中で

最も足の速い太陽神には、生き物の中で最も足の速い馬を供えるのだと

考えていたということです。

 

つまり、騎馬遊牧民にとっては動物を殺して皮を剥ぐという行為は日常的な

ことであり、犠牲獣として馬を日神に奉げる崇高な行為だということに

なります。

 

そして、皮を剥いだ馬が「天斑駒(あめのふちこま)」とあるが、なぜ、

わざわざ「斑駒」というのかというと、古代より、斑(まだら)の動物を

神の使者とする習俗があるのであり、スサノオが犠牲にした「天斑駒」は、

まさに聖獣、神に奉げる犠牲獣であったことを物語っているということです。

 

山口氏は、スサノオが馬を犠牲にした日が、アマテラス(日神)が神衣

(かむみそ)を織りつつあるとき、つまり、神衣祭という聖なる日であり、

そして、その馬はまだらの聖馬、つまり、犠牲獣、となるが、これらを

並べてみると、神聖な馬を犠牲獣として太陽神に奉げるという、本来の

ユーラシア騎馬遊牧民の祭祀の姿が浮かび上がってくるではないかと述べ

ています。

 

また、スサノオが馬の皮をわざわざ棟を穿って投げ込むのも、北方遊牧民

の天窓は天の神聖な入口であるという考え、犠牲獣を弔い、聖なる存在に

転位させるためには、天窓の通過が必要な儀式であるという考え、の表れ

ではないかとしています。

 

かくして、スサノオの最も残虐だと言われた行為は、神聖な行為であった

ということになり、スサノオの相貌は一変します。

 

 













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変貌するスサノオ


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スサノオの変貌 



日本神話のなかで好きな神はというと、それはスサノオだという人が多い

ようです。

 

確かにスサノオは魅力的であり、冥界の母イザナミを恋慕って泣き続け、

山や海を破壊し、父のイザナギに追放される神。そして、姉のアマテラス

が支配する高天原(たかまがはら)では、コントロールできない力のまま

に暴れまわる荒ぶる神であります。

 

しかも、二度目の追放先である出雲に降ってからは、多頭の大蛇ヤマタノ

オロチを倒し、生贄のクシナダヒメを救う英雄へと変貌します。そして、

スサノオの子孫オオナムジは出雲の新たな支配神オオクニヌシへと成長

するが、それをバックアップしたのが根之堅州国(ねのかたすくに)の

大神スサノオであったというのです。

 

また、スサノオ神話の魅力は、古代史研究者や神話学者、民俗学者たちを

も惹きつけたようで、スサノオは暴風雨・自然神か、人文的英雄か、と

いった論争を引き起こしたり、母の喪失と希求、大人になりきれない

「永遠の少年」といったユング派の神話解釈の対象となったり、比較

神話学者からは、ギリシャ神話のエチオピアの王女アンドロメダを海の

怪物から救うペルセウスとの類似性が指摘されたりしているようです。

 

はたして、スサノオは荒ぶる悪神なのか、怪物退治の英雄神なのか、それ

とも地下の冥界の支配神なのでしょうか?

 

我々が知っているつもりの「記紀神話」、つまり、『古事記』と『日本書記』

間でもスサノオというものが、よく読むと異なった姿をしていますので、

まず、そこから見ていきたいと思います。

 

『古事記』によると、イザナギは、死んだ妻のイザナミを追って黄泉国

(よみのくに)へおもむくが、腐敗した妻の死体を見て恐ろしくなり逃げ

帰ってくる。黄泉国の追っ手から逃れ、妻との離縁を宣言し、筑紫の阿波

岐原(あわぎはら)で穢れを祓うために禊をしたとき、洗った左目から

アマテラス、右目からツクヨミ、そして鼻からスサノオが誕生した。

 

アマテラスとツクヨミはイザナギの命令にしたがって、「高天原」「夜の

食国(おすくに)」の支配につくが、スサノオだけは父イザナギの命令

に背き、死んだ母イザナギのいる「妣国(ははのくに)根之堅州国」に

行きたいと大人になるまで泣き喚き、そのために山の木々を枯らし、

海川の水を干上がらせてしまう。そこで、イザナギから「この国に住む

べからず」と追放される。

 

追放されたスサノオは、姉のアマテラスが支配する高天原におもむくが、

ここでもコントロールできない力のままに、アマテラスの神聖な神殿を

穢し、神の衣を織る機織り女を殺害し、高天原の秩序を破壊してしまう。

そしてついにアマテラスを岩屋へ籠らせてしまい、高天原と地上を永遠

の闇の世界に陥れたが、やがてアメノウズメが神がかりの舞をはじめ、

八百万の神々による祭りを受けてアマテラスが岩屋から迎え出される。

と同時に、スサノオも八百万の神たちに多数の罪の贖(あがな)い物を

差し出し、「祓へ」を受けて、高天原から追放され、出雲の国へと降り

立っていく。

 

たが、出雲を舞台とした神話からスサノオのイメージは一変する。今まで

の荒々しい神から、ヤマタノオロチの犠牲になるクシナダヒメを助け、

オロチを退治する英雄神へと変貌する。かくして、スサノオはオロチの

尾から発見した神聖な剣をアマテラスに献上し、出雲の土着の神の娘

クシナダヒメと結婚し、出雲の新たな神になる。その子孫にはオオクニ

ヌシが誕生し、のちのは「根之堅州国」でオオクニヌシをバックアップ

する祖神=老賢者の役割の役割を担うことになるというものです。

 

このように、『古事記』におけるスサノオという神は、一義的な性格づけ

を拒否するような、きわめて多面的で矛盾に満ちた相貌をもつことが

わかりますが、『日本書記』におけるスサノオ神話のストーリーはどの

ような展開を見せるのでしょうか?

 

まず、スサノオがイザナミの死後、イザナギの禊から生まれたという展開

は、実は、『古事記』のみに伝わるもののようです。

 

『日本書記』では、スサノオはイザナギ・イザナミの両親から生まれて

います。なぜなら、『日本書記』ではイザナミは死なず、黄泉の国のエピ

ソードも出てこないのです。(ただし、「一書」のなかにはあります)

 

その理由は、『日本書記』が陰陽説にもとづく神話であることにあるよう

です。『日本書記』では男神のイザナギは「陽神(おかみ)」、女神のイザ

ナミは「陰神(めかみ)」と表現され、陰陽の関係が男女に配当される

のです。

 

陰陽の気の運動で天地が作り出されるように、陽神と陰神の交歓・和合に

よって、国土・万物が誕生・生成していくのであり、もし陰神のイザナミ

が途中で死んでしまうと、陰陽の二気の片方が消滅することになり、その

時点で世界の生成が終わり、世界は滅んでしまうのです。

 

よって、『古事記』ではイザナミは死んで黄泉の国へ行くが、陰陽説にも

とづく『日本書記』では、陰神たるイザナミの死は語られないということ

になります。

 

そして、『日本書記』では亡き母を恋しがるという話はないわけですから、

スサノオが「根国」へ追放される理由は異なってきます。

 

つまり、『日本書記』では、スサノオは生まれついたときから泣き喚き、

そのために自然を破壊し、人民を早死にさせるような乱暴者で、天下を

支配する資格はないとして「根国」に追放する形になります。

 

イザナギ・イザナミは天下を支配するものを生もうとしたのだが、それに

失敗してしまったということになります。

 

では、スサノオはなぜ生まれつき乱暴な神として生まれたのでしょうか?

 

『古事記』では、イザナギ・イザナミは天の御柱を旋回して、互いに愛情

表現を発して子供を生もうとしたが、女神であるイザナミが最初に言葉を

発したために、ヒルコやアハシマという出来損ないの子が誕生したという

兄弟婚神話の痕跡を残したパターンをとりますが、『日本書記』の一書では、

女神が先に喜びの声を発し、「陰陽の理」に反したためにヒルコやスサノオ

が誕生したとしています。

 

「陰」の神イザナミが最初にアクションを起こしたのでは、「陽」から始まる

という「陰陽の理」に反し、その違反の結果、ヒルコやスサノオという悪逆

の子が生まれたというのです。

 

スサノオは陰陽の道理に反した状態で誕生した神であり、世界の秩序を犯す

存在であるから、「悪神」として遠い「根国」へと追放されたのです。

 

しかし、『古事記』の場合は、スサノオがみずから「妣国根之堅州国」に

行きたいと訴えたところに『日本書紀』とは異なるに重要なポイントが

あるようです。

 

イザナギにすれば、死の穢れを受けたため禊をして清浄な状態になった

ときにアマテラス、ツクヨミ、スサノオという尊い三神を得たのに、

あろうことか、そのなかのひとりの神子が穢れた死の国である黄泉国

=根之堅州国へ行きたいなどと主張したため、怒って「この国に住む

べからず」と追放したのです。

 

そして、追放されたスサノオはアマテラスのいる高天原でも暴れまわり、

今度は高天原の神々から二度目の追放をうけたとすると、『古事記』の

スサノオもやはり世界の秩序を破壊していく「悪神」といえるようです

が、そう単純には「悪神」とは規定できない面があるのです。

 

出雲の降ったスサノオはヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメと結婚

します。二人の間に生まれた子供の六世がオオナムジ、すなわち、後の出雲

の支配者となるオオクニヌシですが、異母兄弟のいじめを受けたオオナムジ

は、みずからの先祖であるスサノオがいる根之堅州国へと逃れ、スサノオ

に助けを求める。

 

スサノオは、根之堅州国の「大神」として再登場するのですが、根之堅州国

は、先祖神がいる他界という意味では死後の世界であるが、そこは黄泉国の

ように死体が腐っていく穢れた国ではなかったようなのです。

 

オオナムジにとって、根之堅州国は地上に豊穣をもたらす根源的な力が

ひそむ場所としてあらわれてくるのであり、スサノオもまた、世界の秩序

を破壊した荒ぶる神というイメージとは異なる「大神」と呼ばれるような

相貌を見せているのです。

 

つまり、オオナムジにとって、根之堅州国という他界は、「大国主神」=

大いなる国の主の神へと成長していくイニシエーションの舞台であったと

いうことになります。

 

そして、古事記におけるスサノオのオロチ退治譚は、スサノオが出雲という

土地の支配神=始祖神となると同時に、あらたな王であるオオクニヌシに

力を授ける老賢者へと「成長」していくためのイニシエーションだと解釈

することができるのではないかということです。

 

このように、「記紀神話」として一括されてきた古代神話のスサノオは、

それぞれのテキストをよく読むと、陰陽の理に反して誕生した悪神と

してのスサノオ、一方で、荒ぶる神でありながら、オロチ退治の英雄へ、

そして、土地の始祖神、冥府の老賢者へと成長する神等、まったくと

いっていいほど違う神の姿が見えてくるのです。

 

次回は、記紀神話におけるこのようなスサノオの変貌の原因、理由に

ついて考えてみたいと思います。










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あらゆる宗教思想のカオス-エジプトの死者の書3-


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オシリス・ホルス・イシス


『死者の書』を構成する諸章のうちで、その最も古いものとされるのは、

「下界において日の下に出現することの章」及び「『日の下に出現する

ことの諸章』を短章にて知るの章」の二つ(バッジ本の第六十四章に

あたる)であると伝えられています。

 

これらの章、特に最古のものといわれる「『日の下に出現することの諸章』

を短章にて知るの章」は、非常に難解な部分だとされています。

 

たとえば、本文の冒頭を見ても「われは昨日にして、また今日なる者なり。

我は再生の力をもてる聖なる隠れたる霊にして、神々を生み、冥界、地上、

天国のもろもろのひそやかな生き者を育む者なり。我は東天にある楽園の

導き手にして、輝ける双面の所有者なり、我は死より蘇る者どもの主、

暗黒より脱出する者の主なり。讃むべきかな、汝ら、聖なる二羽の鷹よ、

とまり木に憩い、神の言葉に耳傾ける者どもよ。見よ、死者の身体は折り

曲げられて、脚は首に結ばれ、尻は頭につく、願わくばウルウルチの女神

達よ、我、これをかいまみて涙流すとき、我に許しを給わらんことを。・・

・」とあるように、一読してもなかなか解しがたい、謎めいた表現になって

います。

 

それは、もともと、これらの呪文というものが神官や巫女が神がかりの状態

で口走ったような言葉がベースになっているうえ、そこに、長い年月に

わたる欠落、誤写、誤記が加わったためとされています。

 

しかし、『エジプトの死者の書』というものが、本来、上記の章(第六十四

章)が基本となって形成されたものであるからには、謎を秘めた意味不明の

呪文として放置せず、あえて、その意味を探るとどうなるのでしょうか?

 

この謎めいた呪文の背後には、それが暗示するものがあると石上玄一郎氏

は述べています。

 

それは、まず、『死者の書』の根底にあるのは、太陽崇拝ではなく、オシ

リス信仰であるということだとしています。つまり、「死と復活と永生」

のオシリス神話が、死者を暗黒から解放し光明へともたらす、という

古代エジプト人の死生観の裏付けとなっているのだというのです。

 

我々は、とかく古代エジプトの宗教を一にも二にも太陽崇拝とし、オシリス

信仰はそれに従属せるもの、あるいは太陽信仰は王家のもので、オシリス

信仰は民間のものと浅薄に考えがちであるが、最古の『死者の書』である

第六十四章は、それが全く逆であることを示唆しているのではないだろう

かと述べています。

 

死者は、すべて冥界の王オシリスの下へ行き、復活してオシリスと一致し、

「日の下に出現する」ことこそ、『死者の書』を成立させるに及んだ根本

の思想であったとしています。

 

ところで、石上氏は、『死者の書』の中には、後世の名だたる宗教思想の

多くが胚胎しているのではないかといいます。この書は、あらゆる傾向

の宗教思想が、未分化のままに渦巻いているカオスだといいます。

 

そこには、善悪二元論の対立抗争があり、太陽崇拝があり、また、「受難

と復活と永生」のドラマがあるというのです。

 

そして、終末論的な世界観とともに、「霊魂不滅」と「転生」の思想が

あり、さらに、独創的なかたちでの帰一思想があるとしています。

 

もっとも、だからといって、人類文化の発祥をすべて古代エジプトに帰着

させ、宗教思想もそこを光源として周辺に波及したと考えるものではない

とも述べています。

 

古代エジプトだけが文化の唯一の源泉ではなく、たまたまこの地方の乾燥

した特殊な風土が、いと古きものをも、あるがままに温存させたにすぎない

と考えざるを得ない、また、それはすでに滅亡し去った偉大な先史文化、

一夜にして海中に崩壊し去り、あるいは大河の河床深く埋没した未だ知られ

ざる文化の片鱗にすぎないとも考えられるとしています。

 

さて、まず、エジプト神話における善悪二元論の対立について見てみると

次のようになります。

 

オシリス神話では、オシリスとイシスの子ホルスが、父の仇セトを討つと

いうことになっているが、これは後代に習合されたものであって、ホルス

とセトが抗争したという説話はもともとオシリスの死とは無関係であった

という。

 

もとの話は、ホルスは先史時代からの古い太陽神であり、常に日輪を戴い

た神として表されている王権の守護神であったが、王者なるがゆえに、

ホルスは、またナイルの豊沃な「黒い土」の主であり、その領域から砂漠

を駆逐する責務によって、不毛な「赤い土」の邪神セトと戦わねばなら

なかった、というものです。

 

よって、この抗争は執拗陰惨をきわめ、たとえ一時はホルスの勝利に帰し

ても、それはいつも決定的とならず、戦いは永遠に回帰するのです。

 

また、ホルスとセトを双生児と見なす伝説があり、ピラミッド・テキスト

(ピラミッド内の壁と葬室内に象形文字で記された呪文等の集成)のは、

ホルスとセトを不倶戴天の敵として設定しつつも、また相互に協調し、

同じ立場で死者に対応する親しい間柄とも見なしているかのような

表現が見受けられるようです。

 

一方、ゾロアスター教の教説によると、唯一神アフラ・マズダーは、万物

の創造に先立ってスペンタ・マイニュー(スプンタ・マンユ)とアングラ・

マイニュー(アンラ・マンユ)の二神を造った。スペンタ・マイニューは

善の原理であり、アングラ・マイニューは悪の原理であって、両者は双生児

である。ここにおいて善悪二原理による対立抗争が開始されたとされます。

 

のちに、スペンタ・マイニューはアフラ・マズダーと同一視されることに

なり、対立は光明の神アフラ・マズダーと闇黒の大悪霊アングラ・マイ

ニューの間に移行し、さらに、アフラ・マズダーはオールマヅト(オフル

マズド)、アングラ・マイニューはアーリマンと呼ばれ、光明と闇黒の

闘争は九千年の間続いたのち世界は崩壊し、新しい世界が出現すると

いうことになります。

 

エジプトの神話は、ゾロアスター教が出現する時から二千年も前のもの

ですが、この相似は何を意味するのでしょうか?

 

そこには、エジプトとイランの間にある砂漠(死と闇黒)と沃野(生と

光明)という類似の状況のみにとどまらず、直接的な接触が、あった

ようで、紀元前525年、ペルシャ王カンビセスによるエジプトが占拠

される前、すでに紀元前671年および668年の二度にわたり、エジ

プトの文化は、そこを侵略したアッシリアによって伝えられたはずで

あり、その影響によるものではなかろうかとされています。

 

さて、さらに、後代に大きな影響を与えたエジプトの宗教思想があります。

 

それは、オシリス神話の「死と復活と永生」の物語ですが、後代のオルフェ

ウス教をはじめとする多くの密儀宗教や北東アジアのシャーマニズムにも

影響を及ぼしたようであり、キリスト教にも深刻な影響をもたらしたと

いわれています。

 

オシリス神話は、周知のとおり、オシリスが邪神セトの奸計によって殺害

され、その死体を海に流され、いったん妻のイシスによってそれを回収

されるが、再びセトによって死体は細断されて大地に散布される。イシス

はなおもそれをよく拾い集めてミイラとし、呪文によって復活させ、「冥府

の王」とした、という説話ですが、後代のディオニュソスの密儀やオルフェ

ウス教に関わる神話との共通性が指摘されています。

 

ディオニュソス崇拝はもともとギリシャの北方、トラキアに起こり、対岸

のフリギアに渡り、紀元前七世紀頃フリギアからギリシャ全土に広がった

とされているが、このディオニュソス神の出生にまつわる、いわゆる「ザグ

レウス神話」というものが「オシリス神話」の変形ではないかといわれて

いるのです。

 

それは、ディオニュソスは、ゼウスとペルセフォネの子として生まれ、

はじめザグレウスと名づけられていて、ゼウスの敵タイタン達に襲われ、

身体を寸断されて殺される。その際、わずかに食われることを免れた

心臓から再びゼウスとセメレの子として復活した。再生したディオ

ニュソスは若きゼウスとして衆人の魂の救済にあずかることになった

というものです。

 

また、シャーマニズムとの関連については、シャーマンが燃えさかる火を

前に、呪具を用いて乱舞し、その興奮の果てに脱魂状態に陥って霊言を語る

様は、ディオニュソスの狂宴に酷似していて、オシリス教的な農耕文化の

北方における変容を思わせるものがあるとされます。

 

さらに、石上玄一郎氏は、オシリス教が後代に及ぼした影響のうち、その

最も大なるものは、おそらくキリスト教ではないかと述べています。

 

石上氏は、「福音書」のとおりの事実がそのままあったと考えることは

できないとしながら、イエスの受難は事実だったにせよ、それを「復活」

さらに「永生」という高度な宗教理念に高めるためには、ユダヤ教の理念

をもってしては十分ではなかったのではないかとしています。

 

古代イスラエル人の死生観は、死ねばそれまでという単純素朴なもので

あったようなのです。

 

しかし、ギリシャ支配の中で密儀宗教との習合を強いられたユダヤ教は

ダニエル書の出現によって、異変が起こり、「死者の復活」が語られ始め、

それを基盤として「受難と復活と永生」をいうキリスト教が形成されて

いったのではないかと述べています。

 

もっとも、キリスト教において、神と人との間には断絶がり、「永遠の

生命」はただ神のものである以上、復活はそのまま永生を保証すること

とはならず、「受難と復活と永生」のドラマは完成しなかったとして

います。

 

しかしながら、『死者の書』においては、一介の俗人アニが、オシリスの

法廷で「義とせられる」ことだけで、「我はオシリスなり」と名乗り、

最高神と合一して永生を得るという。

 

つまり、アニは本来オシリスであり、現世において仮に俗体をとっては

いるが、死によってそれを離れ、再びオシリスに帰一するというという

のです。

 

石上氏は、有限にして朽ち行く肉体にまつわる罪の汚れから解き放たれた

霊魂が、神と合一し、神と帰一して不死となることこそ、まさに宗教の

極致というべく、今日なおそれを超える高度な宗教思想は、ほとんど

見当たらないのではないかと述べています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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ミイラと古代エジプト人の霊魂観-エジプトの死者の書2-


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オシリスの法廷 


先王朝時代のエジプト人は、来世も現世の延長であって、死者はその墳墓

の中で現世と同様の生活を営むものと考えていたようであり、さらに、

エジプトの場合はその極度に乾燥した風土の特殊性からして、肉体も死後

は永久不変であるとの考えを持つに至ったかのようですが、皮肉なことに、

墳墓の地上構築が発達するにつれ、それまで天然ミイラとして不変であった

死者の肉体は玄室あるいは棺内の空気に触れることによって腐敗しやすく

なり、人々は肉の永存や復活についての考えを放棄せざるを得なくなった

ということです。

 

しかし、彼らは肉体の永存や復活を全く放棄し去ったたわけではなく、

そこから、人工的なミイラの製作にいそしむことになったのです。

 

もはや肉体の不朽を信じることができなくなったエジプト人は、朽ちて

いく肉体を人工ミイラとして保存しようとしたのですが、それには、

新たな意味づけがなされました。

 

人工ミイラの技術が進歩した第四、第五王朝時代には、肉体(カート)は

朽ちるべきものではあるが、これをミイラとして保存しつつ祭司の取り行う

祈祷と儀式の力により、その中にサーフなる霊体が発生すると考えられて

いたというのです。

 

つまり、「サーフ」とは霊魂の住家とでもいうべきもので、死者の墳墓に

おいて資格ある祭司がそれ相応の儀式を執行するならば、ミイラとなった

肉体はその功徳によりサーフなる霊体を発生し得る力を与えられ、死者は

サーフによって昇天し、神々とともに住むことができるとされたのです。

 

なお、サーフは、常にそれが発生した死者の肉体の形をとり不朽不滅で

あって、霊魂はこの中に宿り、人間の心的、霊的な諸性質はむろんのこと、

新たにサーフ固有の性質をもそなえているようです。

 

霊魂の宿るところがサーフだとすると、では、エジプト人にとって霊魂とは

どういうものかということになりますが、我々のいう意味での「霊魂」は、

おそらくエジプト人が「バ(バー)」というものにあたるとされます。

 

エジプト人も多くの古代人と同様、個人を生存させる活力の原理は肉体を

生かす呼吸にあると考えてきたため、この呼吸を霊魂と見なし、「バ」と

名づけたが、「バ」の出現は、人間が死に、呼吸が停止して、「バ」が肉体

を離れた瞬間となるため、それは、しばしば人頭の鳥として表現されて

います。

 

「バ」は、ひとたびは死者の枕辺にとまり、その葬儀に際して遺体の鼻孔

にアンク(生命の象徴)を当てるのであるが、もはや回復すべなしと見極め

をつけると天空高く飛翔し去るものされます。「バ」が天空高く飛び去り、

そこで諸神の間に生き続けるという性格は、それが太陽神ラーの属性である

ことを示唆するが、夜になると太陽神が、天の女神の胎内に帰るがごとく、

「バ」もまた地上に残した肉体、つまりミイラに帰って憩うとされたそう

です。

 

「バ」は、またその好むところにしたがって、黄金の鷹、燕、暗中に光を

与える神、蛇、鰐、ベンヌ鳥、蒼鷺、蓮華など、あらゆるものに変形し転生

することができるとされたが、古代インドのように何ら応報的な意味を

持たなかったようです。

 

なぜなら、古代エジプトの場合、生前、悪業を重ねた者は、オシリスの法廷

において審判され、魂を破壊されてしまうため、「バ」が変形したり、転生

したりする余地は全くないからだそうです。

 

また、我々のいう「霊魂」に近い「バ」のほかに、古代エジプト人は、「カ

(カー)」なる観念を用いたということです。この「カ」は「霊魂」と

いうよりも「精霊」と翻訳したほうが適当だといわれます。

 

「カ」と「バ」の相違点は、「バ」がその時々に変形、変化するのに対して、

「カ」は個人の出生とともに存在するが不変であり独立しているようです。

「カ」は、いわば、人間のみならず、万物に内在する本質的な性格である

とされます。

 

 

そして、また、「カ」は個人の運命を来世へ導き、あるいは来世に居住して、

その到るのを待っているとも信ぜられていたようです。「カ」は死者を援け

て、神の前で彼を弁護し、あるいは死者を太陽神ラーの前に導くのですが、

また、死者に食を供するために尽くし、諸悪から彼を守ることでも知られて

いたということです。

 

さらに、「カイビト(カイブト)」と称される黒一色の人体で描かれている

「影」は「バ」すなわち「霊魂」と密接な関係にあって、人間存在の重要な

部分と見なされていたかのようです。

 

この「カイビト」も「カ」と同様に、その主人たる死者の墓の中にあって、

そこに捧げられる供物によって養われるのだそうです。また、「カ」がそう

であるように、「カイビト」は肉体と独立した存在でもあるから、行こう

と欲するところのどこへでも行く力をもっていたということです。

 

もう一つ、霊魂と類似したものに「アブ」、すなわち「心臓」があります。

 

古代エジプト人にとって、この「アブ」は単なる臓器ではなくて、霊魂と

密接な関係にあるもの、人間生活における善悪の根源、今日、我々がいう

「良心」の所在とでも考えていたようです。

 

それはオシリスの法廷において、個人の徳と不徳とを計量できる唯一の器官

であって、審判の際には、特に死者の肉体からぬき出して秤にかけられる

ものであるから、「心臓の保存」は何よりも重要であり、死者はみずからの

「アブ」をぬき取られ、運び去られることを警戒せねばならないとされて

いたということです。

 

なお、霊魂ではないが、古代エジプト人がそれと同じく重要視し、その保存

に異常な注意を払ったものに「レン」、つまり「人の名」がありますが、名は

単なる符号ではなく、霊魂とともに人間の最も重要な部分、本質であって、

いったんその名が消滅したならば、その人間はもはや存在しないと同様と

考えられたようです。

 

ところで、ひたすら永世を希求した古代エジプト人は、壮麗な墳墓を築き、

玄室の内壁や石棺の外側を美しい絵画や、多くの呪文をもって飾りはしたが、

死後に対して極めて楽観的で、倫理観念はすこぶる希薄であったようです。

 

来世を現世の延長と見なし、ミイラとして保存された肉体は、不滅であり、

玄室の中で生前と同じ生活を営むものとされたのです。

 

しかし、時代の変化とともに、生前に善行を積まねばならぬという功利的

ではあるが、応報の観念が生まれてくることになります。よって、オシ

リスの法廷で心臓を計量され、罪の軽重を問われることになります。

 

この法廷で義ありとせられた場合のみ、永生を得るのであるが、心臓が

正義の女神マートの羽毛と釣り合わなかった場合、たちまちアヌビスの

背後に控えているワニの頭をした怪物アメミットに食われてしまうのです。

 

もっとも、それから逃れるために「死者の書」の呪文が存在するのであり、

その呪文をとえることで、大抵の死者はオシリスの審判を無事に通過し、

アメミットに心臓を食べられずにすんだということなのですが。

 

なお、永生を信じる古代エジプト人は、死後の生活について、「再死」と

いう一風変わった考え方を有していたようです。

 

それは、死んでのちも再び死ぬことがあり得るという思想で、その意味は、

霊魂が全く滅びてしまって、もはや日の下に出現することができないと

いうものです。

 

つまり、普通、人が死んでも、「オシリスの法廷」で義とせられるかぎり、

永生を得て再び現世に復帰できるということになっているが、それには

条件があって、いかなる場合もそれができるというものではないという

ことです。

 

たとえば、死後も肉体がミイラとして保存せられるとともに、五体満足に

具わっていなければならない、また、冥界において、「カ」は墓室の中で

定期的に供えられる供物によって生きているだから、供物の奉納を途絶え

させてはいけない、また、冥界にはオシリスの配下にあって、王国を支配

している役人や頭目がいるが、この連中の機嫌をそこね、不興を買っては

いけない、そうでないと「再死」に至ることになるというのです。

 

古代エジプト人は、何よりもこの「再死」を最も恐れ、これを防ぐため手段

をあれこれ考えていたのであり、『死者の書』にはこの「再死」を免れる

ための呪文がいろいろと掲げられているということです。

 

それはともかくとして、「再死」を免れた死者の魂(それはむろん「オシ

リスの法廷」で、義とせられたものに限るのであるが)は、永生を与えられ

て楽園に住むことを許されることになります。

 

そして、そればかりではなく、死者の願いに応じ、その欲するいかなるもの

にも転生できるとされるのです。

 

もっとも、エジプト人の場合、「転生」というよりは、むしろ、「変身」と

いったほうが的を得ているようです。

 

古代インド人のように、生前につくった業(カルマ)の報いとして、やむ

なく別の生をとらねばならないというのではなく、気まぐれともいえる

願望によって、これまでと違った生き物、動物や植物ばかりではなく、

神にさえ姿を変えるというものだからです。

 

以上、古代エジプト人の死生観について見てきましたが、楽天的、享楽的

な側面ばかりが浮き彫りになったように思われます。しかし、もう少し掘り

下げてみると、それだけにとどまらない深い要素を孕んでいて、後代の様々

な宗教思想の大きな影響を与えてきたという側面があるようなのです。

 

次回は、そういった点について、補足してみたいと思います。

 

 







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「エジプトの死者の書」


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エジプトの死者の書 



死後の世界にとりわけ深い関心を抱いた民族として、二つの民族をあげる

ことができます。

 

一つは古代インド人であり、もう一つは古代エジプト人ですが、インド人

とエジプト人では、その関心の強さにおいて相匹敵するとしても、その

関心の性質は全く異なるようです。

 

インド人が来世に深い関心を抱くに至ったのは、何よりも現世を苦界と

観じて、この穢土を厭離することで、浄土を希求したからであるのに対し、

エジプト人の場合は逆に現世をこよなきものと観ずるあまり、この楽土

を何とか死後にまで持ち越したいと願ったからであるということです。

 

以前、インド由来の仏教的な死後についての考え方については、『チベット

の死者の書』という本を紹介しましたが、その原典は、「深遠なるみ教え

・寂静尊と憤怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱」といい、一般

には「バルド・ト・ドル(中有における聴聞による解脱)」という呼び

名で知られているもので、その内容は、死の瞬間から次の生での誕生まで

の間に魂がたどる旅路、七週四十九日間の中有(バルド)のありさまを

描写して、死者に対して迷いの世界に輪廻しないように、「正しい道は

こっちなのだ」と正しい解脱の方向を指示する経典だということでした。

 

それでは、古代エジプト人は、死、あるいは死後の世界についてどのよう

に考えていたのでしょうか? 今回は、『エジプトの死者の書』に基づいて

エジプト人にとっての死生観を紹介してみたいと思います。

 

さて、『エジプトの死者の書』も、『チベットの死者の書』がそうであった

ように、後の世の命名であり、原名は、「日の下に出現することの諸章」

であったということです。

 

その起源は、死者への「呪文」であったようで、唯一人の著者によって

記されたものではなく、時代を同じくする者の作ですらないようです。

しかも、その最も古いと思われているものは、おそらく口誦によって

伝えられたであろう先王朝時代にまでさかのぼり、新しいものは、エジ

プト人の国が滅び去ってのちのプトレマイオス朝の時代にまで及んで

いるとのことです。

 

つまり、『死者の書』なるものは、太古から紀元前にいたる葬送文の集成

であって、19世紀中葉以来、欧米の考古学者によって発掘され、発見

されたパピルスを編纂されたものに他ならないということになります。

 

よって、その叙述には、ほとんど一定の脈絡はなく、重複、飛躍、矛盾

などがあるのであり、今日、これを読む者を最も当惑させるものに、矛盾

する宗教思想の併存があるとされます。

 

たとえば、オシリス神話で有名なオシリス神の教義は、下エジプトの植生神

に対する民間信仰に発し、太陽神ラーの教義は、さかのぼれば上エジプトの

ホルス信仰を源流とし、第五王朝に至ってオン(ヘリオポリス)の神官達に

より確立された王家の信仰にあるが、この書のある部分はオシリス教義の

祈祷書でありながら、他の部分はラーなる太陽神に対する讃歌であると

いった様相を呈しているということです。

 

何千年もの間、植生の神と太陽神という、二つの異なった信仰を併存させ

ながら、特に積極的に両者の調和をはかろうとせず、また、いずれかを

捨て、いずれかを取るということもしなかったところに、古代エジプト人

の特徴があるようです。

 

なお、第五王朝に入ると、ラーはオンの創造神アトゥムと習合して、王権

神、国家神となり、その権威は絶大なものとなったということですが、

一説によると、古代エジプトの太陽崇拝は固有のものではなく、先王朝

時代に東南方より渡来した異民族のもたらしたものではないかとされて

おり、おそらくはメソポタミアのシュメールか、あるいはシュメールや

インダス文化の母体である、より進んだ文化のなかからやってきたもの

と推測されているようです。

 

また、月神トートは、エジプト神話において、オシリスに先立つ最も古い

神であるとされていますが、そうであるならば、エジプトには太陽崇拝に

先立って、月神崇拝があり、太陽暦の前に太陰暦が用いられていたことを

示唆するものであり、エジプトにおける太陽信仰は、太陽の昇り沈む位置

とナイルの氾濫との関係において起こり、太陽暦が発明されてから確立

したものと考えられるということです。

 

ところで、エジプトというと、ミイラ葬を思い浮かべますが、エジプトの

先史時代、原住民の葬法は土葬か、あるいは火葬であったということです。

土葬の場合、死体は四肢を切断されるか、無数の細片に分割されるのが常

であったようです。時にはそのまま無疵のものもあるが、ミイラ化しよう

とした人工的な意図は見られなかったのです。

 

ところが、今日われわれがシュメール人と呼んでいる人々と類縁のもので

あったかどうかは断定できないが、西アジアからやってきた、アジア人種

の影響により大きな変化が起こります。

 

この金属製の武器をもったアジアからの新来者はナイルに金属精錬の技術

と象形文字をもたらしたが、彼らと土着のアフリカ人との混血、融合に

よって、当時、世界最高の文化の担い手である古代エジプト人が出現した

のです。

 

彼らは金属精錬の技術のほかに煉瓦製造の技術をもたらしたが、それが

エジプトの葬制を一変させたようなのです。

 

それまで、エジプト原住民はナイルの両岸、低地の至るところに竪穴を

掘って、これを墓にあててきたが、それからは干乾煉瓦で山腹に家を造り、

その中に一室または数室を設けて墓とするようになり、さらに、死体は

火葬されず、分割もされず、五体満足のまま葬られるようになった。

そして、獣皮やゴザや粗布で死体をおおう習慣はすたれ、死体は整然と

包帯を巻きつける風習が起こったということです。

 

これまで膝を曲げ、横臥した姿勢のまま埋葬された死体は、これ以来、

棺内に伸展、仰臥の姿勢をとることとなるが、このことは、エジプト人の

宗教思想が大きく変わったことを意味するとされます。

 

この変化は復活と再生の思想を示すものとなりますが、それはオシリス

神話に表わされているということです。

 

オシリス神話によれば、神人にして王であるオシリスは、兄弟神である

セトに欺かれ、箱に閉じ込められてナイル河に流されるのを妻のイシスが

救助すると、セトはなおもオシリスを殺して細断し、その肉片を四方に

巻き散らした。だが、イシスは根気よくそれを拾い集めてつなぎ合わせ、

完全な身体として復活させたというものです。

 

これはなかなか意味深な神話であり、先王朝時代に四肢を折ったり、死体

を切断したりした葬法、あるいは膝を曲げたままの屈葬が、仰臥の姿勢を

とる伸展葬へと変化して行った過程を象徴しているがごとしであると

いわれています。

 

さて、このあと、エジプト人の呪術的思想、有名なオシリスの審判、

そして、エジプト人の来世観について触れてみたいと思いますが、

それは次回としたいと思います。

 

ともかく、古代インド人がその心性において、著しく悲観的、厭世的で

あったのに対して、エジプト人は、すこぶる楽天的、また享楽的であった

といえるようです。

 

その要因の一つとして、ナイルの潤す豊沃な国土が、東西の砂漠によって

守られ、南は急湍、北は海で、天然の要害をなし、容易に外敵の侵入を

許さなかったことがあるのではないかといわれています。

 

そこは古代世界に知られた穀類と亜麻の一大輸出国であり、近隣の国々

の飢饉は、しばしばエジプトの豊穣によって救われたということです。

 

ヒクソス王朝の時代、かのイスラエルの民がナイルのデルタ地方に移住し、

遊牧生活を営んでいたのも、その地方が他の国に比べはるかに豊沃だった

からです。

 

「出エジプト記」によれば、彼らがエジプトを脱出したのは、ヤハウェが

モーセに命じて「約束の地」へおもむかせたかのごとくであるが、エジプト

側の記録では、彼らの間に疫病がはやり、蔓延しはじめたので、「不潔な民」

として厄介者扱いにされ、追い出されたということになっているようです。

 

よって、『チベットの死者の書』が輪廻転生から脱し、解脱をもたらす

ためのものであったのに対し、エジプト人は、来世もまた楽しく暮らす

ために、立派な墓や肉体をミイラとして保存することや、供物を欠かさぬ

ことや、死者を守るための護符や、そして冥府の案内書である『死者の書』

を必要としたのであろうといわれています。









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