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ミイラと古代エジプト人の霊魂観-エジプトの死者の書2-


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オシリスの法廷 


先王朝時代のエジプト人は、来世も現世の延長であって、死者はその墳墓

の中で現世と同様の生活を営むものと考えていたようであり、さらに、

エジプトの場合はその極度に乾燥した風土の特殊性からして、肉体も死後

は永久不変であるとの考えを持つに至ったかのようですが、皮肉なことに、

墳墓の地上構築が発達するにつれ、それまで天然ミイラとして不変であった

死者の肉体は玄室あるいは棺内の空気に触れることによって腐敗しやすく

なり、人々は肉の永存や復活についての考えを放棄せざるを得なくなった

ということです。

 

しかし、彼らは肉体の永存や復活を全く放棄し去ったたわけではなく、

そこから、人工的なミイラの製作にいそしむことになったのです。

 

もはや肉体の不朽を信じることができなくなったエジプト人は、朽ちて

いく肉体を人工ミイラとして保存しようとしたのですが、それには、

新たな意味づけがなされました。

 

人工ミイラの技術が進歩した第四、第五王朝時代には、肉体(カート)は

朽ちるべきものではあるが、これをミイラとして保存しつつ祭司の取り行う

祈祷と儀式の力により、その中にサーフなる霊体が発生すると考えられて

いたというのです。

 

つまり、「サーフ」とは霊魂の住家とでもいうべきもので、死者の墳墓に

おいて資格ある祭司がそれ相応の儀式を執行するならば、ミイラとなった

肉体はその功徳によりサーフなる霊体を発生し得る力を与えられ、死者は

サーフによって昇天し、神々とともに住むことができるとされたのです。

 

なお、サーフは、常にそれが発生した死者の肉体の形をとり不朽不滅で

あって、霊魂はこの中に宿り、人間の心的、霊的な諸性質はむろんのこと、

新たにサーフ固有の性質をもそなえているようです。

 

霊魂の宿るところがサーフだとすると、では、エジプト人にとって霊魂とは

どういうものかということになりますが、我々のいう意味での「霊魂」は、

おそらくエジプト人が「バ(バー)」というものにあたるとされます。

 

エジプト人も多くの古代人と同様、個人を生存させる活力の原理は肉体を

生かす呼吸にあると考えてきたため、この呼吸を霊魂と見なし、「バ」と

名づけたが、「バ」の出現は、人間が死に、呼吸が停止して、「バ」が肉体

を離れた瞬間となるため、それは、しばしば人頭の鳥として表現されて

います。

 

「バ」は、ひとたびは死者の枕辺にとまり、その葬儀に際して遺体の鼻孔

にアンク(生命の象徴)を当てるのであるが、もはや回復すべなしと見極め

をつけると天空高く飛翔し去るものされます。「バ」が天空高く飛び去り、

そこで諸神の間に生き続けるという性格は、それが太陽神ラーの属性である

ことを示唆するが、夜になると太陽神が、天の女神の胎内に帰るがごとく、

「バ」もまた地上に残した肉体、つまりミイラに帰って憩うとされたそう

です。

 

「バ」は、またその好むところにしたがって、黄金の鷹、燕、暗中に光を

与える神、蛇、鰐、ベンヌ鳥、蒼鷺、蓮華など、あらゆるものに変形し転生

することができるとされたが、古代インドのように何ら応報的な意味を

持たなかったようです。

 

なぜなら、古代エジプトの場合、生前、悪業を重ねた者は、オシリスの法廷

において審判され、魂を破壊されてしまうため、「バ」が変形したり、転生

したりする余地は全くないからだそうです。

 

また、我々のいう「霊魂」に近い「バ」のほかに、古代エジプト人は、「カ

(カー)」なる観念を用いたということです。この「カ」は「霊魂」と

いうよりも「精霊」と翻訳したほうが適当だといわれます。

 

「カ」と「バ」の相違点は、「バ」がその時々に変形、変化するのに対して、

「カ」は個人の出生とともに存在するが不変であり独立しているようです。

「カ」は、いわば、人間のみならず、万物に内在する本質的な性格である

とされます。

 

 

そして、また、「カ」は個人の運命を来世へ導き、あるいは来世に居住して、

その到るのを待っているとも信ぜられていたようです。「カ」は死者を援け

て、神の前で彼を弁護し、あるいは死者を太陽神ラーの前に導くのですが、

また、死者に食を供するために尽くし、諸悪から彼を守ることでも知られて

いたということです。

 

さらに、「カイビト(カイブト)」と称される黒一色の人体で描かれている

「影」は「バ」すなわち「霊魂」と密接な関係にあって、人間存在の重要な

部分と見なされていたかのようです。

 

この「カイビト」も「カ」と同様に、その主人たる死者の墓の中にあって、

そこに捧げられる供物によって養われるのだそうです。また、「カ」がそう

であるように、「カイビト」は肉体と独立した存在でもあるから、行こう

と欲するところのどこへでも行く力をもっていたということです。

 

もう一つ、霊魂と類似したものに「アブ」、すなわち「心臓」があります。

 

古代エジプト人にとって、この「アブ」は単なる臓器ではなくて、霊魂と

密接な関係にあるもの、人間生活における善悪の根源、今日、我々がいう

「良心」の所在とでも考えていたようです。

 

それはオシリスの法廷において、個人の徳と不徳とを計量できる唯一の器官

であって、審判の際には、特に死者の肉体からぬき出して秤にかけられる

ものであるから、「心臓の保存」は何よりも重要であり、死者はみずからの

「アブ」をぬき取られ、運び去られることを警戒せねばならないとされて

いたということです。

 

なお、霊魂ではないが、古代エジプト人がそれと同じく重要視し、その保存

に異常な注意を払ったものに「レン」、つまり「人の名」がありますが、名は

単なる符号ではなく、霊魂とともに人間の最も重要な部分、本質であって、

いったんその名が消滅したならば、その人間はもはや存在しないと同様と

考えられたようです。

 

ところで、ひたすら永世を希求した古代エジプト人は、壮麗な墳墓を築き、

玄室の内壁や石棺の外側を美しい絵画や、多くの呪文をもって飾りはしたが、

死後に対して極めて楽観的で、倫理観念はすこぶる希薄であったようです。

 

来世を現世の延長と見なし、ミイラとして保存された肉体は、不滅であり、

玄室の中で生前と同じ生活を営むものとされたのです。

 

しかし、時代の変化とともに、生前に善行を積まねばならぬという功利的

ではあるが、応報の観念が生まれてくることになります。よって、オシ

リスの法廷で心臓を計量され、罪の軽重を問われることになります。

 

この法廷で義ありとせられた場合のみ、永生を得るのであるが、心臓が

正義の女神マートの羽毛と釣り合わなかった場合、たちまちアヌビスの

背後に控えているワニの頭をした怪物アメミットに食われてしまうのです。

 

もっとも、それから逃れるために「死者の書」の呪文が存在するのであり、

その呪文をとえることで、大抵の死者はオシリスの審判を無事に通過し、

アメミットに心臓を食べられずにすんだということなのですが。

 

なお、永生を信じる古代エジプト人は、死後の生活について、「再死」と

いう一風変わった考え方を有していたようです。

 

それは、死んでのちも再び死ぬことがあり得るという思想で、その意味は、

霊魂が全く滅びてしまって、もはや日の下に出現することができないと

いうものです。

 

つまり、普通、人が死んでも、「オシリスの法廷」で義とせられるかぎり、

永生を得て再び現世に復帰できるということになっているが、それには

条件があって、いかなる場合もそれができるというものではないという

ことです。

 

たとえば、死後も肉体がミイラとして保存せられるとともに、五体満足に

具わっていなければならない、また、冥界において、「カ」は墓室の中で

定期的に供えられる供物によって生きているだから、供物の奉納を途絶え

させてはいけない、また、冥界にはオシリスの配下にあって、王国を支配

している役人や頭目がいるが、この連中の機嫌をそこね、不興を買っては

いけない、そうでないと「再死」に至ることになるというのです。

 

古代エジプト人は、何よりもこの「再死」を最も恐れ、これを防ぐため手段

をあれこれ考えていたのであり、『死者の書』にはこの「再死」を免れる

ための呪文がいろいろと掲げられているということです。

 

それはともかくとして、「再死」を免れた死者の魂(それはむろん「オシ

リスの法廷」で、義とせられたものに限るのであるが)は、永生を与えられ

て楽園に住むことを許されることになります。

 

そして、そればかりではなく、死者の願いに応じ、その欲するいかなるもの

にも転生できるとされるのです。

 

もっとも、エジプト人の場合、「転生」というよりは、むしろ、「変身」と

いったほうが的を得ているようです。

 

古代インド人のように、生前につくった業(カルマ)の報いとして、やむ

なく別の生をとらねばならないというのではなく、気まぐれともいえる

願望によって、これまでと違った生き物、動物や植物ばかりではなく、

神にさえ姿を変えるというものだからです。

 

以上、古代エジプト人の死生観について見てきましたが、楽天的、享楽的

な側面ばかりが浮き彫りになったように思われます。しかし、もう少し掘り

下げてみると、それだけにとどまらない深い要素を孕んでいて、後代の様々

な宗教思想の大きな影響を与えてきたという側面があるようなのです。

 

次回は、そういった点について、補足してみたいと思います。

 

 







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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体