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あらゆる宗教思想のカオス-エジプトの死者の書3-


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オシリス・ホルス・イシス


『死者の書』を構成する諸章のうちで、その最も古いものとされるのは、

「下界において日の下に出現することの章」及び「『日の下に出現する

ことの諸章』を短章にて知るの章」の二つ(バッジ本の第六十四章に

あたる)であると伝えられています。

 

これらの章、特に最古のものといわれる「『日の下に出現することの諸章』

を短章にて知るの章」は、非常に難解な部分だとされています。

 

たとえば、本文の冒頭を見ても「われは昨日にして、また今日なる者なり。

我は再生の力をもてる聖なる隠れたる霊にして、神々を生み、冥界、地上、

天国のもろもろのひそやかな生き者を育む者なり。我は東天にある楽園の

導き手にして、輝ける双面の所有者なり、我は死より蘇る者どもの主、

暗黒より脱出する者の主なり。讃むべきかな、汝ら、聖なる二羽の鷹よ、

とまり木に憩い、神の言葉に耳傾ける者どもよ。見よ、死者の身体は折り

曲げられて、脚は首に結ばれ、尻は頭につく、願わくばウルウルチの女神

達よ、我、これをかいまみて涙流すとき、我に許しを給わらんことを。・・

・」とあるように、一読してもなかなか解しがたい、謎めいた表現になって

います。

 

それは、もともと、これらの呪文というものが神官や巫女が神がかりの状態

で口走ったような言葉がベースになっているうえ、そこに、長い年月に

わたる欠落、誤写、誤記が加わったためとされています。

 

しかし、『エジプトの死者の書』というものが、本来、上記の章(第六十四

章)が基本となって形成されたものであるからには、謎を秘めた意味不明の

呪文として放置せず、あえて、その意味を探るとどうなるのでしょうか?

 

この謎めいた呪文の背後には、それが暗示するものがあると石上玄一郎氏

は述べています。

 

それは、まず、『死者の書』の根底にあるのは、太陽崇拝ではなく、オシ

リス信仰であるということだとしています。つまり、「死と復活と永生」

のオシリス神話が、死者を暗黒から解放し光明へともたらす、という

古代エジプト人の死生観の裏付けとなっているのだというのです。

 

我々は、とかく古代エジプトの宗教を一にも二にも太陽崇拝とし、オシリス

信仰はそれに従属せるもの、あるいは太陽信仰は王家のもので、オシリス

信仰は民間のものと浅薄に考えがちであるが、最古の『死者の書』である

第六十四章は、それが全く逆であることを示唆しているのではないだろう

かと述べています。

 

死者は、すべて冥界の王オシリスの下へ行き、復活してオシリスと一致し、

「日の下に出現する」ことこそ、『死者の書』を成立させるに及んだ根本

の思想であったとしています。

 

ところで、石上氏は、『死者の書』の中には、後世の名だたる宗教思想の

多くが胚胎しているのではないかといいます。この書は、あらゆる傾向

の宗教思想が、未分化のままに渦巻いているカオスだといいます。

 

そこには、善悪二元論の対立抗争があり、太陽崇拝があり、また、「受難

と復活と永生」のドラマがあるというのです。

 

そして、終末論的な世界観とともに、「霊魂不滅」と「転生」の思想が

あり、さらに、独創的なかたちでの帰一思想があるとしています。

 

もっとも、だからといって、人類文化の発祥をすべて古代エジプトに帰着

させ、宗教思想もそこを光源として周辺に波及したと考えるものではない

とも述べています。

 

古代エジプトだけが文化の唯一の源泉ではなく、たまたまこの地方の乾燥

した特殊な風土が、いと古きものをも、あるがままに温存させたにすぎない

と考えざるを得ない、また、それはすでに滅亡し去った偉大な先史文化、

一夜にして海中に崩壊し去り、あるいは大河の河床深く埋没した未だ知られ

ざる文化の片鱗にすぎないとも考えられるとしています。

 

さて、まず、エジプト神話における善悪二元論の対立について見てみると

次のようになります。

 

オシリス神話では、オシリスとイシスの子ホルスが、父の仇セトを討つと

いうことになっているが、これは後代に習合されたものであって、ホルス

とセトが抗争したという説話はもともとオシリスの死とは無関係であった

という。

 

もとの話は、ホルスは先史時代からの古い太陽神であり、常に日輪を戴い

た神として表されている王権の守護神であったが、王者なるがゆえに、

ホルスは、またナイルの豊沃な「黒い土」の主であり、その領域から砂漠

を駆逐する責務によって、不毛な「赤い土」の邪神セトと戦わねばなら

なかった、というものです。

 

よって、この抗争は執拗陰惨をきわめ、たとえ一時はホルスの勝利に帰し

ても、それはいつも決定的とならず、戦いは永遠に回帰するのです。

 

また、ホルスとセトを双生児と見なす伝説があり、ピラミッド・テキスト

(ピラミッド内の壁と葬室内に象形文字で記された呪文等の集成)のは、

ホルスとセトを不倶戴天の敵として設定しつつも、また相互に協調し、

同じ立場で死者に対応する親しい間柄とも見なしているかのような

表現が見受けられるようです。

 

一方、ゾロアスター教の教説によると、唯一神アフラ・マズダーは、万物

の創造に先立ってスペンタ・マイニュー(スプンタ・マンユ)とアングラ・

マイニュー(アンラ・マンユ)の二神を造った。スペンタ・マイニューは

善の原理であり、アングラ・マイニューは悪の原理であって、両者は双生児

である。ここにおいて善悪二原理による対立抗争が開始されたとされます。

 

のちに、スペンタ・マイニューはアフラ・マズダーと同一視されることに

なり、対立は光明の神アフラ・マズダーと闇黒の大悪霊アングラ・マイ

ニューの間に移行し、さらに、アフラ・マズダーはオールマヅト(オフル

マズド)、アングラ・マイニューはアーリマンと呼ばれ、光明と闇黒の

闘争は九千年の間続いたのち世界は崩壊し、新しい世界が出現すると

いうことになります。

 

エジプトの神話は、ゾロアスター教が出現する時から二千年も前のもの

ですが、この相似は何を意味するのでしょうか?

 

そこには、エジプトとイランの間にある砂漠(死と闇黒)と沃野(生と

光明)という類似の状況のみにとどまらず、直接的な接触が、あった

ようで、紀元前525年、ペルシャ王カンビセスによるエジプトが占拠

される前、すでに紀元前671年および668年の二度にわたり、エジ

プトの文化は、そこを侵略したアッシリアによって伝えられたはずで

あり、その影響によるものではなかろうかとされています。

 

さて、さらに、後代に大きな影響を与えたエジプトの宗教思想があります。

 

それは、オシリス神話の「死と復活と永生」の物語ですが、後代のオルフェ

ウス教をはじめとする多くの密儀宗教や北東アジアのシャーマニズムにも

影響を及ぼしたようであり、キリスト教にも深刻な影響をもたらしたと

いわれています。

 

オシリス神話は、周知のとおり、オシリスが邪神セトの奸計によって殺害

され、その死体を海に流され、いったん妻のイシスによってそれを回収

されるが、再びセトによって死体は細断されて大地に散布される。イシス

はなおもそれをよく拾い集めてミイラとし、呪文によって復活させ、「冥府

の王」とした、という説話ですが、後代のディオニュソスの密儀やオルフェ

ウス教に関わる神話との共通性が指摘されています。

 

ディオニュソス崇拝はもともとギリシャの北方、トラキアに起こり、対岸

のフリギアに渡り、紀元前七世紀頃フリギアからギリシャ全土に広がった

とされているが、このディオニュソス神の出生にまつわる、いわゆる「ザグ

レウス神話」というものが「オシリス神話」の変形ではないかといわれて

いるのです。

 

それは、ディオニュソスは、ゼウスとペルセフォネの子として生まれ、

はじめザグレウスと名づけられていて、ゼウスの敵タイタン達に襲われ、

身体を寸断されて殺される。その際、わずかに食われることを免れた

心臓から再びゼウスとセメレの子として復活した。再生したディオ

ニュソスは若きゼウスとして衆人の魂の救済にあずかることになった

というものです。

 

また、シャーマニズムとの関連については、シャーマンが燃えさかる火を

前に、呪具を用いて乱舞し、その興奮の果てに脱魂状態に陥って霊言を語る

様は、ディオニュソスの狂宴に酷似していて、オシリス教的な農耕文化の

北方における変容を思わせるものがあるとされます。

 

さらに、石上玄一郎氏は、オシリス教が後代に及ぼした影響のうち、その

最も大なるものは、おそらくキリスト教ではないかと述べています。

 

石上氏は、「福音書」のとおりの事実がそのままあったと考えることは

できないとしながら、イエスの受難は事実だったにせよ、それを「復活」

さらに「永生」という高度な宗教理念に高めるためには、ユダヤ教の理念

をもってしては十分ではなかったのではないかとしています。

 

古代イスラエル人の死生観は、死ねばそれまでという単純素朴なもので

あったようなのです。

 

しかし、ギリシャ支配の中で密儀宗教との習合を強いられたユダヤ教は

ダニエル書の出現によって、異変が起こり、「死者の復活」が語られ始め、

それを基盤として「受難と復活と永生」をいうキリスト教が形成されて

いったのではないかと述べています。

 

もっとも、キリスト教において、神と人との間には断絶がり、「永遠の

生命」はただ神のものである以上、復活はそのまま永生を保証すること

とはならず、「受難と復活と永生」のドラマは完成しなかったとして

います。

 

しかしながら、『死者の書』においては、一介の俗人アニが、オシリスの

法廷で「義とせられる」ことだけで、「我はオシリスなり」と名乗り、

最高神と合一して永生を得るという。

 

つまり、アニは本来オシリスであり、現世において仮に俗体をとっては

いるが、死によってそれを離れ、再びオシリスに帰一するというという

のです。

 

石上氏は、有限にして朽ち行く肉体にまつわる罪の汚れから解き放たれた

霊魂が、神と合一し、神と帰一して不死となることこそ、まさに宗教の

極致というべく、今日なおそれを超える高度な宗教思想は、ほとんど

見当たらないのではないかと述べています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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