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創られたスサノオ神話


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 創られたスサノオ

 

一般のスサノオ人気の源泉は、ヤマタノオロチ退治にあると思われるが、

しかし、原スサノオ神話にはオロチ退治はなかったと『創られたスサノオ

神話』の著者である山口博氏は言います。

 

『日本書記』第八段は、オロチ退治の段ですが、異伝である一書(あるふみ

)第一には、オロチ退治は存在しないというのです。

 

スサノオは、島根県の東部を流れる斐伊(ひい)川の山間部に降り、その川

のほとりのイナダヒメと結婚し、ミナサルヒコヤシマシノが生まれ、その

五代目の孫がオオクニヌシだとあるのみで、オロチ退治のくだりはないの

です。

 

これは極めて重要な記述で、天神の子が地上界へ降り、水辺の女と結婚する

という、山上降臨神話に属するが、この型は、ユーラシア大陸の北方に住む

民族が古くから語り伝えてきた地上界支配者誕生についての最も古い

パターンであるということです。

 

このような古型のみからなる『日本書記』第八段一書第一のスサノオ神話

こそ、実にシンプルな内容で、胸を躍らせるような勇壮なオロチ退治は

存在しないが、原スサノオ神話と考えられるとしています。

 

それでは、原スサノオ神話におけるスサノオの存在意味とはどのような

ものだったのでしょうか?

 

『日本書記』一書第一のイナダヒメの父親のスサノヤツミミは、稲田宮を

祭る神主、神主の娘でスサノオの妻となる女は、これも稲の名を持つ稲田

媛であり、スサノオがこの地に豊穣をもたらすべく天降り、稲田の女神と

結婚したとすると、稲穂を携えて降臨した神、つまり、穀物神ということ

になります。

 

高天原におけるスサノオの田は、みな「やせどころ」で、雨が降れば流れ、

日照りが続くと焼け焦げる田であったが、降臨した出雲の地は、『出雲国

風土記』によると、「ここは狭い地ではあるが、国として経営するにふさ

わしい地である」として、我が名をとって「須佐」と名づけ、その地に

鎮座し、神に稲を奉るための田である大須佐田、小須佐田を設けたと

いうことです。

 

そして、スサノオは、『出雲国風土記』では出雲国内を巡行するのですが、

それは出雲平野周辺の山間部に限られ、出雲全体を支配するような神では

ないようで、平野の周辺部を巡りながら、開拓をし、稲作を勧め、保護する

神であったのだろうとされます。

 

さて、それでは、スサノオという名の由来はどこから来たのでしょうか?

 

ある神が須佐に天降り、その地の女と結婚し新居を構えて住んだので須佐

之男と呼ばれたという説があるようですが、先に紹介した須佐郷の地名由来

説話からすると逆ではないかということにならないでしょうか?

 

では、須佐とは何かということになりますが、「荒れすさぶ」の意から、

乱暴な神と説かれるのが一般的であるようです。

 

しかし、この須佐の神は農業神であり、荒れすさぶ所業の神ではないので

あり、スサの意味は別に考えなくてはならないことになります。

 

山口氏は、古代語のスには、飾らない、そのままの、などの意を表す接頭語

があり、サには、田植え始めの日をサオリ(神下り)、田植えの終わる日を

サナブリ(神上り)という地方もあるなど、サには田の神という意がある

ことを考えると、スサは素朴な田の神ということになり、いかにもローカル

な農業神にふさわしい名であると述べています。

 

さて、原スサノオがこのようなローカルな農業神であるとすると、嵐神、

暴れん坊、アウトローという、もう一つの属性との矛盾をどのように

考えればいいのでしょうか?

 

山口氏は、スサノオのとんでもない、大きな悪行とされるものには、農耕

破壊と馬の皮を剥いで投げ込み神聖な機織殿を汚した斎殿汚穢(いみどの

おわい)の二つがあるが、それらには必ずしも悪行とは言えないような

解釈も可能であるとしています。

 

農業破壊とは、具体的には、重播(かさねまき:すでに田に種子が播かれて

いるのに、さらにその上の種子を播く行為)、畔毀(あはなち:田の畦道を

破壊して、境界をなくする行為)、渠填(みぞうめ:用水路を埋める行為)、

放樋(ひはなち:木樋を壊す行為)、烙縄(あぜなわ:稔ったアマテラスの

田に縄を引き渡して、私有を主張し犯す行為)等を指すとされるが、これら

の行為は米を常食とする高天原の神々にとって自殺行為に等しいものです。

 

しかし、スサノオはそのような行為をあえて行ったのは、スサノオが農耕に

依存しないで生きる神であったからではないかというのです。

 

田に馬を伏せさせる、馬の皮を剥ぐという行為が示すように、スサノオは馬

を飼育していた。馬の飼育には牧草が必要であり、そのためには稲田よりも

牧草地の確保が優先するであろう。畔を潰し、アマテラスの所有田に己の

占有標を立てて用地を拡張し、用水施設を破壊して乾田化を図る。二重

播きした田は、稲ではなく牧草の種子かもしれない。このようにスサノオ

の行為は裏を返せば、牧草地確保のためだったと考えられるのではないかと

いうことです。

 

農耕よりも遊牧に依存する生き方をする人々が騎馬遊牧民だとすると、記紀

に描かれた乱暴なスサノオは、農耕民とは利害の対立する騎馬遊牧民的な

民の伝承が反映されているということになります。

 

山口氏は、スキタイや匈奴といった北方の騎馬遊牧民の痕跡が朝鮮半島の

南部まで及んでいるところから、記紀に描かれている農業破壊の神スサノオ

が原スサノオ神話に登場するようなローカルな農業神とはまったく相反する

騎馬遊牧民的な性格を持っていても不思議ではないとしています。

 

そうすると、天の斑駒(あめのふちこま)の皮を剥いで投げ込むという残虐

な行為も、また違った意味を帯びてくるようです。

 

スサノオの乱暴の結果、『古事記』では、驚きのあまり、織女は手にして

いた機織の道具である棒状の梭(ひ)で性器を突いて死んでしまうとあり

ますが、『日本書記』では、アマテラス本人が怪我をして怒った、あるいは

ワカヒルメノミコトが梭で身を傷つけて死んだとあるなど、いくつかの

ヴァリエーションがあるため、日神アマテラスと馬との関わりについてたけ

焦点を当てると、古代の騎馬遊牧民などの間では、太陽神に犠牲馬を捧げる

という風習があったことと重なってきます。

 

古代のある人たちは、太陽が東から西へと移動するのは、太陽神が馬、

あるいは馬車に乗って天空を翔るのだと考えていたし、また、神々の中で

最も足の速い太陽神には、生き物の中で最も足の速い馬を供えるのだと

考えていたということです。

 

つまり、騎馬遊牧民にとっては動物を殺して皮を剥ぐという行為は日常的な

ことであり、犠牲獣として馬を日神に奉げる崇高な行為だということに

なります。

 

そして、皮を剥いだ馬が「天斑駒(あめのふちこま)」とあるが、なぜ、

わざわざ「斑駒」というのかというと、古代より、斑(まだら)の動物を

神の使者とする習俗があるのであり、スサノオが犠牲にした「天斑駒」は、

まさに聖獣、神に奉げる犠牲獣であったことを物語っているということです。

 

山口氏は、スサノオが馬を犠牲にした日が、アマテラス(日神)が神衣

(かむみそ)を織りつつあるとき、つまり、神衣祭という聖なる日であり、

そして、その馬はまだらの聖馬、つまり、犠牲獣、となるが、これらを

並べてみると、神聖な馬を犠牲獣として太陽神に奉げるという、本来の

ユーラシア騎馬遊牧民の祭祀の姿が浮かび上がってくるではないかと述べ

ています。

 

また、スサノオが馬の皮をわざわざ棟を穿って投げ込むのも、北方遊牧民

の天窓は天の神聖な入口であるという考え、犠牲獣を弔い、聖なる存在に

転位させるためには、天窓の通過が必要な儀式であるという考え、の表れ

ではないかとしています。

 

かくして、スサノオの最も残虐だと言われた行為は、神聖な行為であった

ということになり、スサノオの相貌は一変します。

 

 













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