回心-「宗教的経験と諸相」2-


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宗教的経験の諸相2 




「回心」というと、パウロの回心、すなわち、それまでユダヤ教徒として

キリスト教徒を迫害していたパウロが、ダマスコ(ダマスカス)への途上に

おいて、「サウロ、サウロ(パウロのユダヤ名)、なぜ、わたしを迫害する

のか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いたその後、目が

見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロ

のために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目に見えるように

なった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった、という瞬間的、

劇的な意識の転換の出来事がよく知られています。

 

今回は、この回心ということについて、紹介して見たいと思います。

 

さて、ウイリアム・ジェイムズは、回心について、まず、ある人の次の

ような体験を例示しています。

 

「私は信仰によって、救い主が、人の姿をして、およそ一秒間、部屋の中に

あらわれ給い、両手をひろげて、来たれ、と私に言い給うのを見たと思った。

翌日、私はおののきながら喜んだ。すぐそのあとで、私は死にたいと言った

ほど、私の幸福は大きかった。私の知るかぎり、私の感情のなかのどこにも

この世の入る場所がなかった。そして毎日、毎日が私にはまるで安息日の

ように荘厳に思われた。私は全人類が私と同じように感じてくれればよいと

熱望した。私は、彼らがみな神をこの上なく愛することを望んだ。このとき

まで私は非常に利己的で独善的であったが、いまや私は全人類の福祉を願い、

私の最悪の敵をも温かい心で赦すことができた。そして、もし私が神の御手

のなかにある手段、誰かの魂の回心の手段たりうるなら、私は喜んで、いか

なる人の嘲笑や冷笑にも耐えられるし、神のためになにごとも我慢できる

ように感じた。」

 

そして、ジェイムズは、次のように述べています。

 

「回心する、(精神的に)再生する、恩恵を受ける、宗教を体験する、安心

を得る、というような言葉は、それまで分裂していて、自分は間違っていて

下等であり不幸であると意識していた自己が宗教的な実在者をしっかりと

つかまえた結果、統一されて、自分は正しく優れており幸福であると意識

するようになる、緩急さまざまな過程を、それぞれあらわすものである。」

 

「少なくともこの過程が、一般に回心と言われるものであって、そのような

精神的な変化を引き起こすのに、直接の神の働きかけが必要であると考える

か否かは別問題である。」

 

ところで、この「回心」は宗教固有の現象なのでしょうか? 回心の心理的

メカニズムというものは一般化できるのでしょうか?

 

ジェイムズは、カリフォルニア大学のスターバックという学者の、キリスト

教福音主義派の団体の中で育った若人たちに起こる「回心」が、あらゆる

階級の人間の青春期にごく普通に見られる豊かな霊的生命の成長と、その

あらわれ方がとてもよく似ているという主張を紹介しています。

 

それは、普通、14歳から17歳ぐらいまでの間に起き、自分は未完成で

あり不完全であるという感じ、思案、意気沮喪、病的な内省、罪悪感、来世

に対する不安、懐疑の悲しみなどに囚われるが、次第に自分のもついろいろ

な能力をいっそう広い視野に適応させるにいたるために自信が強められて、

幸福な安心感と客観性を得るにいたるというものです。

 

ジェイムズも、青年期におけるこのような回心は、小児が小さな世界から

成年の広い知的および精神的な生活に移行するときに付随しておこる現象

だとして、スターバックの結論に同意しています。

 

ただし、スターバックがここで念頭においているのは、主として教導や訴え

や範例によって昔から決まっている一定の模範型にはめ込まれてしまうよう

なごく平凡な人々の回心のことであり、このような模倣的な現象ではない、

できるかぎり直接の、本源的な形式の経験について考察する必要があると

しています。

 

さて、ジェイムズは、人間存在における精神的事象には二つの型があって、

それが回心という過程にも著しい差異となってあらわれると述べています。

 

回心の歴史においても、この二つの方法が実際に見いだされ、回心の二つの

型を私たちは与えられているのであるが、それを先のスターバックは、それ

ぞれ意志的な型および自己放棄による型と呼んでいます。

 

ただし、意志的な型とは、再生的な変化が、普通、漸次的であって、道徳的

および精神的習性の新しい組織が少しずつ組み立てられてくるものを指すが、

潜在意識的な影響がいっそう豊富で突発してしばしば人を驚かせる自己放棄

型のものとの差異は見かけ上のもので、根本的なものではないようです。

 

もっとも意志的、随意的におこなわれる種類の(精神的)再生のなかにさえ、

部分的な自己放棄の何節かがさしはさまれているということであり、最後の

一歩そのものは、意志以外の力にゆだねられねばならないということです。

 

では、最後の瞬間になって自己放棄がなぜそれほど不可欠なのでしょうか?

 

ジェイムズは、スターバックの説明を、興味深い、そして図式的な考えで

あるが真実に近いと思われるとして、次のように紹介しています。

 

<まず、回心しかかっている人のなかには二つのものがある。第一は、

現在の状態が不完全であり、間違っているという考え、逃れようと熱望

される「罪」の意識であり、そして第二は、到達したいとあこがれられる

積極的な理想である。>

 

<しかるに、私たち、大抵の人間にあって、私たちの現在の状態が間違って

いるという感じは、私たちが目ざすことのできるいかなる積極的な理想の

観念よりも、はるかにはっきりした意識であり、大多数の場合において、

「罪」がほとんど独占的な注意を奪ってしまう。したがって、回心とは

「義に向かって努力する過程というよりは、むしろ罪から脱出しようと

苦闘する過程」である。>

 

<よって、そのとき、人がしなければならないこととは、緊張をゆるめ

なければならない。すなわち、彼自身の存在のなかに湧き出てきつつある、

義を助成してくれる、より大いなる力に頼らなければならない。そして、

その力が始めた業(わざ)をその力に独特な方法で完遂させねばならない。

この見地からすると、身をゆだねるという行為は、人間の自己を新しい生命

に引き渡すことであり、新しい生命を新しく生まれた人格の中心にすること

であり、それまで客観的に眺めていた新しい生命の真理を内面から生きる

ことである。>

卑近な例えでいえば、いかに努力しても分からなかったことが、その努力を

放棄した瞬間に、その答えがわかってくる、といった感じでしょうか?


ジェイムズは、「「人間が窮地に陥るときこそ、神の働き給う機会(とき)で

ある」といわれるのは、自己放棄が必要であるというこの事実を神学的に

言いあらわしたものである」と述べています。

 

そして、以上のことから、なぜ自己放棄が宗教的生活の重大な転機と見なさ

れたか、つねにそう見なされなければならないかが理解できるるだろう

 

さて、ジェイムズは、このように回心の心理学的なメカニズムについて

触れたあと、やはり、注目すべきは、冒頭のパウロのような、神の恩寵と

結びついたような、著しい瞬間的な回心の場合であるとして、それを追求

しています。

 

このような回心は、しばしば、意識の恐ろしい感情的な興奮ないし混乱の

ただなかに、古い生活と新しい生活とが瞬く間に分離されてしまうもので

あり、特に、プロテスタント神学において演じた役割のゆえに、宗教的経験

の重要な様相となっており、この型の回心を良心的に研究しなければなら

ないとしています。

 

そして、ジェイムズは、瞬時に起こった劇的な回心の例をいくつか示した

あと、「以上の例だけで、突然の回心というものが、回心を体験する人に

とって、どれほど真実で、決定的で、忘れがたい出来事であるかを、十分

に諸君に示したであろう。回心の最中、回心者には自分が、上から自分の

上に行われる驚くべき変化の傍観者ないし経験者であるように思われるに

違いない。このことは、ありあまるほどの証拠があって疑う余地がない」

と述べています。

 

もっとも、回心が瞬間的なものでなければならにと主張するのは、プロテ

スタント全体ではなく、モラヴィア派に始まり、メソジスト派に引き継が

れているとされます。

 

プロテスタンティズムの普通の諸派は、カトリック教会と同じように瞬間的

な回心を重要視せず、自己絶望と自己放棄との激しい危機に続いて救いが経験

されるということがなくとも、キリストの血と典礼と個々人の普通の宗教上

の義務行為とだけで実際には救いを得るに十分だと考えられているようです。

 

さて、メソジスト派の人たちが重視する瞬間的な回心において、その経験は

自然的な過程であるよりは、しばしば声が聞こえたり、光りが見えたり、

幻をみたり、自動的な運動現象が起こったりし、また、ある高い力が外

から流れ込んできて、それにとり憑かれてしまったような感じがし、

その上、自分の本性が根本的に新しく生まれ変わったと信じさせるに足る

ほど不思議な歓びを与えるため、むしろ、一つの奇跡であるという感じを

抱くことになるようです。

 

しかし、この特定の宗派が重要視する瞬間的な回心は、特別視すべきもの

なのでしょうか? また、それほど突発的でない心の変化の場合と違って、

まさに神が現前し給う奇跡だと言えるのでしょうか?

 

ジェイムズは、その問いに客観的に答えるために、当時の心理学的な発見

について触れています。

 

この発見は、通常の中心と周辺とをもった普通の意識ばかりでなく、さらの

周辺の外に意識があり、それは一群の記憶、思想、感情の形で付加的に存在

しているというもので、特に、場を超えて存在する意識、あるいは識閾下に

存在するという意識の発見は、宗教的伝記の多くの現象の上に光を投げかけ

てくれると述べています。

 

この種の意識の超周辺的な生命が著しく発達している場合のもっとも重要な

結果は、人間の普通の意識の場が、そういう周辺からの侵略をうけやすいと

いうことであり、この侵略は、当人にとっては、説明しがたい行動衝動や、

妄想の形とか、幻視や幻聴の形さえとってあらわれ得るし、自動的に話した

り書いたりする方向をとることもあるとしています。

 

これらは「自動現象」と名づけられるものですが、自動現象のもっとも単純

な例は、いわゆる催眠術後の暗示現象だとされます。

 

そうだとすると、<そういう出来事が、個人の将来の霊的生活にどういう

価値をもっているかという問題をまったく除外して、心理学的な面だけを

とって見た場合、そこに見られる多くの特徴が回心以外のものに見いだされ

るということを私たちに思い出させ、そのために、私たちはそういう出来事

を他の自動現象と同じ部類に入れたくなり、そして、突然の回心と漸次的な

回心との間の差異をなすものは、単純な心理的特性であると考えたくなる>

とジェイムズは述べています。

 

つまり、瞬間的に恩寵を受けやすいという人というのは、ある広い領域を

所有していて、その領域で心的な働きが識閾下で行われることができ、その

領域から、第一次的意識の均衡状態を突然くつがえしてしまうような侵略的

な経験が生じてくるような人だということです。

 

これに対して、瞬間的な回心を特別視するメソジスト派の人たちから異論が

唱えられたようですが、それに対してジェイムズは次のように答えています。

 

「私たちの精神的判断、つまり、人間的な出来事あるいは状態の意義および

価値に関する私たちの意見というものは、もっぱら、経験的な根拠に基づい

て決定されなければならない。回心の状態の生活に対する果実が善いもので

あれば、たといその回心が一片の自然的心理であろうとも、私たちはそれを

理想化し尊重すべきある。また、もしそれが善き果実を結ばぬものならば、

よしそれが超自然的な存在によって与えられたものであろうとも、そんな

ものは躊躇なく片付けてしまうべきである。」

 

ここに、ジェイムズの回心というものに対する考え方がよく表れているよう

に思います。

 

彼が瞬間的な回心というものを重視するのは、それが、神が現前し給う奇跡

だからではなくて、それが宗教的生活において良き果実を結ぶのかどうかと

いう点であったということです。

 

瞬間的な回心が特別なもの、その力がただ超越的であるということだけでは、

その力が悪魔的ではなくて神的であるという推定を立証することはできない

のであり、その価値はそれが及ぼした影響によって決定されねばならない

とも述べています。

 

では、その果実として結実するものは何でしょうか?

 

果実、すなわち、達成されるものとは、「しばしば、精神的活力のまったく

新しい水準であり、比較的英雄的な水準であって、この水準に達すると、

不可能なことも可能になり、新しいエネルギーと忍耐力があらわれるので

ある。人格が変化するのである、人間が新しく生まれるのである」とジェイ

ムズは述べています。

 

そして、回心の経験の時を直接満たした特別な感情とは、まず、第一に、

高い力の支配という感じであり、そして、それは必ずしも常に現前する

とは限らないが、非常にしばしば、高い力(神)の現前であり、第二の特徴

は、今まで知らなった真理を悟ったという感じ、つまり、人生の秘儀が明ら

かになることであり、第三の特徴は、世界が客観的な変化を受けるように

見える、つまり、あらゆるものが新しく見え美化されるのだと述べています。

 

最後に、ジェイムズは、回心の締め括りとして、突然の回心の一時性、恒久

性の問題(再び堕落したり、逆もどりしたりすること)について、「生活に

する態度が変わり、たとえ感情は動揺するにしても、その態度は明らかに

不変で永続的なものとなる点にある。…言いかえれば、回心を経験して、

ひとたび宗教生活に対する一定の立場をとった人は、その宗教的感激が

どれほど衰えることがあろうとも、あくまで宗教生活を自己の生活と感ずる

傾向がある」というスターバックの結論を引用しています。

 

そして、ジェイムズ自身も、この問題の「要点は性格がこのように高い水準

へ高まってゆくその持続時間にあるよりは、むしろその高まりの本性と仕方

にあるのである。人間はどの高さからでも堕落する。」「回心の経験は、人間

にその精神的能力の高水位がどれだけであるかを示すものであって、これが

回心の経験の重要性をなすのである。― この重要な意義は、その経験の

長期の持続によって増大されはするが、後戻りして堕落したからといって

減少するものではない。事実として、すべてかなり顕著な回心の例は、たと

えば、私が引用した諸例は、みな永続的なものであった」と述べています。

 

以上のことから、瞬間的な回心というものは、一時的であれ、永続的であれ、
その人に強烈
な宗教的感激と不動の信仰心というものをもたらすことは確かな

ようです。そのため、宗教生活に大変重要な役割を果たしてきたと思います。

 

しかし、自動現象としてその心理的なメカニズムが解明されたため、逆に、
それが悪用されたとき、
その影響力の大きさゆえに、恐ろしい弊害をもた
らすことがあるということも考慮しなければなら
ないのではないかと思い
ます。







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「宗教的経験の諸相」


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宗教的経験の諸相1 



本書の著者、ウイリアム・ジェイムズというと、「プラグマティズム」の

代表的な思想家とされますが、「プラグマティズム」が実用主義、道具

主義、実際主義などと翻訳されているために、一見、宗教に否定的な書物

ではないかという先入観を抱くかもしれません。

 

しかし、「プラグマティズム」とは、経験不可能な事柄の真理を考えること

はできないという経験論を継承し、概念や認識をそれがもたらす客観的な

結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ考え方を指すようで

あり、本書は、その観点から、逆に、徹底して宗教的経験、宗教的感情の

価値と意義を擁護するものになっています。

 

さて、W・ジェイムズが本書を執筆した直接の動機は、彼がイギリスの

エディンバラ大学から招聘されて行ったギフォード講義という自然宗教に

関する講義にあるようです。彼が友人あての手紙の中で、「宗教は私の生活

の最大の関心ではありますが、私はどちらかといえばどうにもならないほど

非福音主義的で、万事をあまりに非人格的に見すぎるようです。…心理学は

だんだん他の人にゆずっています。…今年が過ぎましたら、得られるだけの

きれぎれの時間を宗教的な伝記と哲学に費やすつもりです。…」と記して

いるように、そのころ、研究が心理学から哲学に移りつつあること、そして、

その移行のいわば媒介として宗教が大きな役割を演じていること、さらに

また、宗教が彼の生活の最大の関心であったことを明らかにしていると、

本書の翻訳者である桝田啓三郎氏は述べています。

 

つまり、ギフォード講義は、ジェイムズが早くから抱いていた宗教に対する

関心を結実させる機会を与えたのであって、宗教はもともと彼の本質をなし

ていて、生涯を通じて、その思索の基底をなし、原動力となっていたもの

だとしています。

 

また、本書が、ある意味で、「病的心理学の研究」だとジェイムズ自身が

見なしていたとされるように、当時、彼は精神病理学ないし異常心理学の

研究に強い関心を示したようです。

 

ジェイムズは宗教というものを、異常な精神現象のうち最高のものと見なし、

そういう見地からそれまでの研究の成果をこの書に注ぎこんだとも言えます。

 

さて、この書の成立には、さらに大きな動機があったようです。

 

それは、ジェイムズ自身が「宗教的憂鬱」と呼んでいる、彼の個人的な

体験、1869年から70年にわたる精神的不安の体験です。

 

当時のジェイムズの精神状態については、詳しいことは明らかではあり

ませんが、彼が肉体的な不健康のほかに、恐ろしい精神的危機の状態に

あったようです。

 

本書に例としてあげられているフランスの一憂鬱病患者の手記は、ジェイ

ムズ自身の当時の精神状態を述べたものだということです。

 

そこには、「この憂鬱症の経験には宗教的な意味がある、と私はいつも

思っている。…『永久にいます神は、わが避難所なり』『すべて労する者、

重荷を負う者、われに来たれ』『われは復活なり、命なり』などという

聖書の言葉にすがらなかったならば、私はほんとうに気が狂ったに違い

ない」と説明されているのですが、この体験によって宗教的神秘主義と

病的心理状態の深い理解を得られたとされます。

 

一方、弟ヘンリーへの手紙で「人間がこの世において頼りにしなければ

ならぬすべては、結局、ただ野性的な抵抗力でしかないように私は思う。

悪を見て見ぬふりをし、悪をていさいよく取り繕うことは、多くの人々に

はできるらしいが、私にはどうしてもできない。…悪は認容され、憎まれ、

われわれの身体の内に息のあるかぎり、抵抗されなくてはならない」とも

述べているように、彼の陥った精神的危機は、宗教的憂鬱であったと同時に、

生きる支えとなるような哲学を欠いているところから生じた、生きようと

する意志の衰弱によるものであったとしています。

 

彼の道徳は、悪に打ち勝つ希望という形をとるか、悪と戦って勇敢に死ぬ

決意という形をとるか、しかなかったが、それに必要な意志の力が当時の

ジェイムズには衰えていたというのです。

 

よって、<この精神的な不安からの救いは、ジェイムズにとっては、至高

なる者の恩寵を感ずるという宗教的な信仰によってもたらされるよりも、

自己信頼と道徳的自由の観念によってもたらされるものであった。しかし、

それと同時に、ジェイムズがこの経験において、病める魂をもつ二度生まれ

る者、つまり、救いを得るためには新しく生まれかわることを必要とする

人間の持つ気持に似た新生の感じを経験したということも疑うことはでき

ない>そして、<ジェイムズの善を求めて悪と戦う道徳的意志は、人間の

強さから生ずる「戦う信仰」とならざるをえなかった。すなわち、ジェイ

ムズにおいて、意志を刺激し動かすものは、戦う信仰ないし信念の形を

とった宗教だったのである。しかし、同時に、より以上に深くジェイムズ

の魂の底に潜んでいたものは、人間の弱さから生まれる「慰めとなる信仰」

であって、これこそギフォード講義全体の基調をなすものであり、そして

この信仰こそ、ジェイムズがかの精神的危機の体験を通して学び知ったもの

にほかならなかったのである」と桝田啓三郎氏は述べています。

 

さて、それでは、この講義において、何を語り、訴えようとしたのでしょう

か?

 

ジエイムズは、ある手紙の中で次のように述べているようです。

 

「私が課した問題は困難な問題です。第一には、「哲学」に反対し「経験」

を弁護し、それが世界の宗教的生活の真の背骨であることを論ずること、

第二に、聴衆あるいは読者に、私自身が信じざるをえないことを、すな

わち、たとえすべての宗教の特殊なあらわれ(つまりその教条や理論)は

不条理であったにしても、しかし全体としての宗教の生活は、もっとも

重要ないとなみであることを信じさせることです。ほとんど不可能に近い

課題で、私には果たせないかもしれません。けれども、やってみるのが私

の宗教的行為なのです。」

 

また、これとは異なる手紙では、「この講義で私のとった立場は次のとおり

です。すべての宗教の母なる海と水源は、神秘的という言葉をごく広い意味

に解して、個人の神秘的経験のうちにあります。すべての神学やすべての

教会主義は、上積みされた第二義的な産物です。そういう経験は、その経験

をする当人の知的な先入観と容易に結びついてしまうので、それ自身の固有

な知的表現をもたないと言ってもよいくらいですが、知性の住むところより

もより深い、より肝要で実践的な領域に属しています。そのために、神秘的

経験は知的な論証や批評によって論破されることもできないのです。」

 

「私は神秘的あるいは宗教的意識を、神託が侵入してくる薄い隔膜をもった

広い識閾下の自己というものをもっていることに結びつけて考えます。

私たちは、私たちの通常の意識よりもいっそう大きくていっそう力強い、

それにもかかわらず私たちの意識が連続している、ひとつの生命圏の

現前を知らされずにはいられません。」

 

「そこから私たちが受けとる印象や刺激や情緒や興奮は、私たちが生きて

いくのに力を貸してくれます。感覚の彼方にひとつの世界があることを、

いやおうなく確信せしめます。私たちの心を動かし、あらゆるものに意義

と価値を与え、私たちを幸福にしてくれます。みずからそれを経験した

個人はそうなり、他の者はそれに従うのです。」

 

「宗教はこうして不滅なものです。哲学や神学は、この経験的な生命の

解釈を供するばかりです。識閾下の領域の周辺は、まだ知られてはいま

せんが、それは、先験的観念論によっては、私たちがその一部分と一つに

結び合っている絶対精神として扱われ、キリスト教神学によっては、私たち

に働きかける独特な神として扱われることができます。私たちの直接的な

自己でない何ものかが、私たちの生命に働きかけるのです。」と述べて

います。

 

では、この書は、当時の識者に、或いは世の中にどのように受け取られた

でしょうか?

 

フランスの哲学者ベルグソンは賛意を込めて次のように述べています。

 

「あなたは宗教的情緒の神髄を摘出することに成功されたように思います。

宗教的情緒が一種独特の喜びであるとともに、より高い力との合一の意識

でもあるということは、おそらく私たちがすでに感じてはいたことでしょう

が、しかし、この喜びとこの合一の本性は、分析することも表現することも

できないものと思われておりました。にもかかわらず、読者に一連の全体的

印象を次々と与えて、― 読者の心の中でその印象を相交わらせ、同時に

互いに融合させるという斬新は方法をとられたお蔭で、あなたにはそれを

分析し表現することができたのです。」

 

そして、また、「『宗教的経験』に関する彼の書物が出たとき、多くの人は

これを宗教的感情のきわめて生き生きとした描写ときわめて鋭い分析と

してしか見なかった。― つまり、宗教的感情の心理学にすぎない、と

言われた。これは著者の思想を甚だしく誤解してものであった。」

 

「実をいえば、ジエイムズはちょうどわれわれが、春の日に、柔らかい

そよ風を肌に触れて感じようとして窓からのり出したり、海辺で、風が

どちらから吹いてくるのかを知ろうとして船の行き来や帆の膨らみを

見まもるのと同じように、身をのり出して神秘的な世界を見まもって

いるのである。」

 

「宗教的な感激に満たされた魂は、ほんとうに高く持ち上げられ、われ

を忘れている。そのような魂は、われを忘れさせ高く持ち上げる力を、

科学的実験と同じように、われわれに生き生きと理解させるものでは

ないだろうか。」と高く評価しています。

 

ジェイムズにとって、「およそ一個の人間の宗教は、その人間の生命の

もっとも深く、もっとも叡智的なものである」と彼自身が述べている

ように、宗教は第二次的な産物ではなく、人間のもっとも根本的な

経験の事実であったのです。







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「神伝の法」と信仰


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神伝禊法2 神伝鎮魂法 


 
 少し前に、水波一郎氏の『神伝禊法』の紹介をしましたが、そこでは、

神伝の法(神伝禊法)とは、「神霊のご意思を受け、高貴な霊魂方が降ろ

された神秘なる秘術」だとされ、それはまずは、死後の世界に上の世界に

入るためのパスポートという面があり、次には、霊的生命体としての進歩

を促進するという面があると述べられていました。

 

そして、さらに、二つの大きな霊的力、つまり、過去世の意識に変化を

もたらすということの結果、この世を生きる上での不幸をより小さく

できるという力と、もう一つ、普通は接点が持てない高貴な霊的存在との

交流ができるという力を培うことができると述べられていました。

 

今回は、少し角度を変えて、なぜ、今、神伝の法が世に出なければなら

なかったのか、なぜ、従来の伝統的な修行法では十分ではないのか、

あるいは、信仰心と祈りだけでは不十分なのかを、私の個人的な考えを

交えて記してみたいと思います。

 

さて、人類の知性の発達、特に近代以降の自然科学の発展は、社会や国家

や文明の著しい発展をもたらす一方で、それと反比例するかのように、

宗教というものの衰退、神仏等の高貴な存在への信仰心の喪失をもたらし

ました。そして、その結果、近現代においては、無神論や唯物的な科学が

大きな影響力を持つに至りました。

 

しかし、その前には、長い間、宗教が社会や国家において重要な役割を担い、

神や仏への信仰が当たり前の時代があったのです。

 

そのような時代は、迷信がはびこったり、宗教が原因で大きな争いがあった

としても、我々の先入観念とは異なり、霊的な環境は今ほど悪くはなかった

ようなのです。

 

しかし、近年、人々は信仰心を失い、神は否定され、宗教は廃れ、あるいは

形骸化するなかで、また、資本主義社会における各人の欲望の増大、自我の

肥大化に伴う想念と想念の激しいぶつかり合いによって幽体(死後使用する

霊的身体)は傷つき、邪悪な霊的存在(霊魂)の干渉と影響力が増大する

なかで、霊的な環境は著しく悪化した、と水波霊魂学では言われております。

 

そして、霊的環境の悪化は、信仰そのものが本来持っていた高い価値を

も壊してしまったようです。その祈りや思いは、神仏に、いや、それを

媒介する高級霊魂にさえ届かなくなったようであり、逆に、邪悪な霊魂

につながることになったようなのです。

 

同様に、霊的環境の悪化は、伝統的な霊的修行法に対しても、その価値を

著しく下げてしまったということです。霊的修行が、霊的な覚醒や成長を

もたらすのではなく、邪悪な霊魂の干渉や、霊的障害の原因になるという

事態にまで至っているようなのです。

 

さて、先にも触れたように、このような信仰の危機、霊的修行法の危機の

時代に対して、神霊のご意思の元にもたらされた技法が「神伝の法」だと

いうことです。

 

つまり、多くの人たちが神仏や霊的な世界の存在を認めないのみならず、

たとえ、神仏の存在を認め、霊的な世界に関心を寄せる人であっても、

本当の信仰心、つまり、単なる現世利益ではない、魂の救いを求める人が

非常に少ないという危機的状況が到来したがゆえに登場したのが神伝の法

であるということになります。

 

しかし、信仰心というものは、魂の奥底から自然に湧き上がってくるもの

であり、強制すべきものではありません。思考を遮断されたような状態で、

一方的に注入されたとしたら、それはマインドコントロールの一種にすぎ

ないのです。よって、神伝の法では、現代人の精神構造というものを深く

考慮されていると思われます。

 

では、神伝の法(神伝禊法、神伝鎮魂法)では神仏への信仰、あるいは

信仰心というものがどのように位置づけられているのでしょうか?

 

水波一郎氏は、『神伝鎮魂法』において、神伝の法は神霊の存在が前提に

なっているため、神霊や霊魂の存在を否定してしまうとそのトレーニング

は成り立たないとされますが、一方で、「信仰心は必要でありながらも、

戒律がない神伝の法は、最善ではないかと思う」「水波霊魂学の立場から

すれば、実際に存在している高級霊魂の力をお借りする。その際、礼儀を

忘れない。それだけの事なので、人間として当たり前の事でしかないので

あった」「信仰というよりも、霊的な現実を正確に受け入れる、ただそれ

だけであり、それを信仰と呼ぶ事すら違和感があるくらいである」と

述べておられます。

 

つまり、信仰心といっても、一般的な宗教の場合ように戒律がなく、他者

(高貴な存在)の助力を得る場合、感謝と礼儀を忘れないという人間と

して当たり前のことが要求されるだけだということです。

 

これであれば、現代人であっても無理なく受け容れることができるのでは

ないかと思われます。

 

さて、そうすると、信仰心というものが、もう、重要視されないかのように

受け取れます。しかし、決してそういうことではないのです。

 

私の個人的な考えですが、高貴な存在への深い敬愛と帰依、つまり、篤い

信仰心とは非常に重要なもので、どこまでも深めてゆかなければならない

ものではないかと思います。しかし、信仰心そのものが欠如した、或いは

希薄な現代人に、最初からそれを求めるのは無理であり、上記のような

段階から始め、霊的なトレーニングに励むなかで、徐々に信仰心を培って

いくという方法がとられているのではないかと思います。

 

そして、水波一郎氏監修のHP『霊をさぐる』の「霊魂と交信する技術」

にもあるように、死後も霊魂として成長してゆき、高級霊魂となったとき、

自己犠牲、つまり、自己の霊としての消滅を厭わない、それが無上の喜びで

あるというような、究極的な信仰心のようなものが形成されてゆくことが

目標とされているのではないでしょうか?

 

最初は、まず、人として当たり前の礼儀をわきまえ、当たり前の感謝をし、

霊的トレーニングに励むなかで、徐々に、霊的成長を成し遂げ、徐々に深い

信仰心を培ってゆくことが目指されてるいのではないかと思います。

 

そもそも、信仰とは何だったのか、救いとはなにかということです。

 

一般的に、神や仏を信じることを意味するとされますが、宗教によって、

その意味も異なります。現世利益のための信仰から、キリスト教になどに

おいて原罪と呼ばれるような人が自力では解決が不可能な根本的な問題

からの救済を得るための信仰まで、大きな違いがあります。

 

現世の利益の対象となる貧困や病気はというものは、福祉や医療の発達に

よって代替されるにしても、魂の救いという、人間の持つ根本的な課題を

解決する方法として、そして、霊的な進歩、向上というものを成し遂げる

大切な手立てとして、信仰というものは未だその価値を失っていないので

あり、どこまでも深めていかなければならないものではないとか思われます。

 

以上、神伝の法の価値は、神霊のご意思の元にもたらされたということに

とどまらず、今まで大きな価値を持っていた深い信仰心による祈りや、伝統

的な霊的、宗教的修行法が霊的環境に悪化に伴い危機に瀕したときにもたら

されたというところにあるではないかと思います。

 

よって、神伝の法は、決してかつての信仰の祈りや、伝統的な霊的修行法

を誹謗するためのもの、貶めるためのものではないのです。本来、持って

いたその価値を甦らせ、さらにそれを発展させるために登場したものだと

言えるでしょう。

 

「神の恩寵」という言葉がありますが、神伝の法こそが現代における「神

(神霊)の恩寵」そのものではないかと思います。真の救いとは、恩寵と

して神霊が指し示してくださった方法(神伝の法)を、我々が主体的に受け

入れ、それを実践し、霊的な成長を成し遂げ、霊的な桎梏とその苦悩から

解放されることであったのではないでしょうか?

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オオナムチ(大国主)の原像-出雲神話3-


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葬られた王朝 




先に紹介したスサノオは、出雲固有の神ではなく、他から渡来した神で

あるのに対し、オオナムチ(大国主)は、それこそ生粋の出雲の神と

されます。オオオナムチ崇拝の中心は杵築(きず)の出雲神社であり、

これを祀ったのが、アメノホヒを祖先とする出雲国造家(いずもくに

のみやつこ)であるということです。

 

『出雲国風土記』では、この神は一般に「天(あめ)の下作らしし大神」

という称号を冠せられて、偉大な国造りの神として崇拝せられ、そのゆかり

の伝承は、東は意宇(おう)郡から西は出雲郡、神門郡にいたるまで、

ほとんど出雲の全域にわたって語られているようで、非常に古い霊格で

あるとされます。

 

また、この神は、多様な表記と、数々の異名があり、オオナモチ、オオ

ナムチ、オオアナムチ、オオアナモチなどの呼び方のほかに、オオクニヌシ、

アシハラノシコオ、ヤチホコノカミ、ウツシクニダマノカミ、オオクニダマ

などの異名があるとされます。

 

大和の三輪のオオモノヌシも、この神の異名、もしくはその奇魂(くし

みたま)幸魂(さちみたま)とされています。

 

オオナムチ(大国主)は、このようにさまざまな呼称を持ちますが、どれ

とも定まっていません。そして、これらの多くの異名の中には、オオモノ

ヌシなどのように、もともと別の神格であったものが、後世、習合されて、

同一神と見なされたものもあるということです。

 

オオナムチ、オオクニヌシ、オオクニダマなどの名が、みな「土地」「国土」

の主(ぬし)としての意味を持っているとされますが、松前健氏は、「これ

らの名が、『古語拾遺』にみえる大地主神(おおつちぬしのかみ)、後世の

仏寺などに祀られる自主神(じしゅしん)、屋敷や田畑に祀られる地主様

(じぬしさま)などと同様の、土地の古い先住者としての神をあらわす名で

あったろうと考えている」としています。

 

また、オオナムチ(大国主)の系譜については、『出雲国風土記』では

まったく触れられず、記紀では、スサノオの子とか、六世の孫とか言われ、

一定していませんが、天津神系ではなく、国津神に属せしめられています。

 

国津神とは、一般にその土地に古くから崇祀されている神で、後世に新しく

入ってきた皇室系の神や中央貴族の神々よりも、その国土に対する結びつき

が古く、かつ強固である場合に、しばしばその名で呼ばれるが、オオナムチ

の名も、出雲の国において、比較的新しく到来してきた天津神系の神々の

崇拝以前から「偉大な地主神」として崇拝されていた神であることを示して

いるということです。

 

オオナムチ(大国主)一族が天津神系の到来によって、国譲りを行い、恭順

を誓って、永く皇室の守り神になるという話は、外来の大神と争って敗れ、

服従を誓ってその部下になるという地主の神の神話の類型と重なるようです。

 

さて、オオナムチ(大国主)の内的特性はというと、複雑多岐ですが、記紀

および風土記に共通して言えることは、高天原の天津神族に比べて、とても

地上的・人間的だとされます。オオナムチは、アマテラス、スサノオなどの

ような超自然的な生まれ方もせず、天上から降下する話もありません。出雲

の国土で生まれ、人間的な冒険や恋をし、地上の宮居に住み、その最後も

人間的です。『出雲国風土記』では、鋤(すき)をとって土地を切り開き、

国作りを行なったり、各地をめぐって稲種を播布したり、稲を積んだり、

稲を臼でついたりしています。また、『日本書紀』では、民間のあらゆる

医療・まじないの法などの制定者・伝授者として語られています。

 

つまり、神話学的な範疇でいえば、「神」のカテゴリーに入るべき存在で

はなく、「文化英雄」のカテゴリーに入る存在であるとされます。

 

屋敷神の中に、地主神、ジノシサマ、地の神というのがありますが、そこ

で祀られているのは、多くはその土地を開拓した人物であり、死後、土地

の守り神として、屋敷内の隅や田畑の中などに祀られるのですが、よく祟る

神であって、死霊的要素が濃く、人間的な色彩が強いとされます。

 

オオナムチ(大国主)も、開拓神らしい要素を持つことや人格的色彩が

強いこと、また、また、石神として祀られていることなど、後世の地主神

に似ているのです。

 

しかし、このようなオオナムチの豊かな人間性は、この神がかつて一個の

実在人物であったことを意味するものではないようです。それは出雲地方

にいた幾多の祭祀王・巫覡王の重ね写真であり、素朴な自然神であったオオ

ナムチに後世これを祭る司祭者のイメージが投影したものだとされます。

 

さて、記紀には英雄王としての色彩が顕著ですが、『出雲国風土記』や、

また、その崇拝の及んだ『播磨国風土記』でのオオナムチには、各所に

おいてその原始的性格がうかがわれるということです。

 

オオナムチは、その相棒のスクナヒコナとともに、各地を巡行し、稲種を

まき散らしたり、稲積を置いたり、稲俵を積んだり、モミを臼でついたり、

飯を盛ったりしていて、みな農耕や稲米と関係があるのです。

 

なお、この二神は万葉集などでは国土の創造をしたとされますが、それは

イザナギ・イザナギの国生みのような宇宙的な創造ではなく、もっと限定

された山や丘などの創造や命名といった形をとっているようです。

 

これは後世、出雲の巫覡(祈祷や神おろしを行う者・みこ)らによって、

この神の崇拝が諸国に拡散したとき、開拓神、農耕的内性から、そのような

創造的神格に高められたと考えられます。

 

さらに、この神は、岩窟や石と結びつけられていますが、それは、この神

が国土そのものの精霊であり、大地と結びついているからこそ、生産や豊穣

とも関係し、また洞穴や岩石とも関係するのであろうということです。

 

ところで、民間の伝承では、オオナムチ(大汝)とは、狩の神、動物の主、

山の神の名とされているようです。しかも、それは男神ではなく、女神で

あり、この女神を助けてその恩寵を受けたという狩人の名となっていること

もあるようです。

 

この女神は一般に好色で若い狩人や木こりなどを好み、また、オオカミや

山犬、ウサギ、イタチ、ヘビ、鳥、キジなどを使者とし、また、クマ、シカ、

イノシシなどの狩の獲物を授けてくれる存在であり、また、樹木の生成繁殖

をつかさどる神でもあるとされます。

 

松前健氏は、このような山の女神と、オリエントやヨーロッパの古代世界

に見える大地母神が、いずれも野獣を従え、また若い狩人を愛人、または

夫としていることの相似、そして、若いオオナムチが猪によって死ぬこと

についても、上記の大地母神にともなう若い男神(多く狩人)が、いずれ

も野猪に殺されるのと一致していることを挙げ、オオナムチの名も、もと

もと彼自身の母としての繁殖母神の名であったものが、後に狩人仲間の

元祖の英雄の名となり、また、のちに農耕文化に浴して、開拓神、農神、

文化神と、機能を向上させ、内性を複雑化していったのではないかと

述べています。

 

なお、オオナムチが大地や農耕と結びついていたとすれば、海とは全く

無縁であるはずであるが、不思議とこの神は海にもつながりを持って

いるようです。

 

古典では、そういう色彩は見えませんが、かつて古代の出雲大社の社殿は

直接海岸に接して建てられていて、現地出雲では、もともと大国主神

(オオナムチ)は、海の彼方常世の国からこられた霊威であったと考えられ

ていたということであり、この神と海人(あま)、そして龍蛇(蛇体の水霊)

との結びつきをうかがわせるということです。

 

さて、『古事記』におけるオオナムチの生い立ちの物語は、大きく分けて

二つの部分から成り立っているとされます。

 

すなわち、(1)八十神による迫害と、死者よりの蘇生、(2)根の国に

おける試練の話であり、これに因幡の白兎の話が(1)のエピソードと

して付加されているのです。

 

(1)  は、従来多くの学者によって、巫覡団体の入門式(イニシエー

ション)おける授戒者の試練をあらわすものとされてきたようです。

八十神とは、その団体の長老たちの神話的投影であろうし、また、彼らの

迫害によって、幾度も死ぬオオナムチを、そのたび蘇生させる母神は、

その団体に祀られる巫祖としての女神であろうとされます。

 

松前健氏は、「オオナムチの崇拝は、…医療・まじない・託宣・卜占など

を機能として、各地にその宗教を拡めていった出雲の巫覡教ともいうべき、

神人たちの宗教活動によるものと考えられる。白兎の治療法やオオナムチ

自身の火傷の治療の方法なども、かれが実際おこなっていた民間療法に

違いない」と述べています。

 

 

(2)  の話は、説話学的には、世界に広く分布している「英雄求婚型」に

属すると言われていますが、それだけでは解釈しきれない多くの民俗的な

モチーフが含まれているようで、この根の国での蛇の室(むろや)、呉公

(むかで)・蜂の室(むろ)などの試練が、古代の秘事団体ないし巫覡団体

への入門式における候補者の受ける種々の苦行、その死と冥界入り、および

そこからの復活をあらわすものであるとされます。

 

以上、前々回、前回からも含めて、出雲神話を松前健氏などが主張する

「巫覡信仰宣布説」(すなわち、出雲国は、特別な政治的な勢力や武力が

あったのではなく、シャーマニズムやこれにもとづく医療・まじないなど

の呪術を持つ特殊な信仰文化の中心であった。それは、従来の氏神信仰と

は異なり、出雲から中国、九州、近畿、北陸、東国などにいたるまで、

全国的に巫覡(みこ)らによって宣布されたのであり、これが大和朝廷に

よって大きな宗教的勢力として映った。出雲国造は、この「出雲教」の

最高司祭、巫祝王(ふしゅくおう)ともいうべき存在で、この司祭家が

オオナムチの祭祀権と同時に、出雲全体の支配権を掌握した由来話が、

国譲り神話であるというもの)を中心に紹介してきました。

 

しかし、近年、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の銅剣や銅鐸をはじめとする

考古学的遺跡の出土によって、出雲神話がフィクションだとする従来の

通説が揺らぎ、古代出雲にかつて強大な王権が存在したのであり出雲神話

はそれを背景にして形成されたものだと主張する動きが出てきたのです。

 

そのような動きのなかで、梅原猛氏の近年の著書『葬られた王朝-古代出雲

の謎を解く-』は、従来の自説をも否定し、強力な出雲王朝なるものが存在

したことを立証しようとしたものです。

 

梅原猛氏は、その著書の末尾で次にように述べています。

 

「平和的に国譲りを行った悲運の英雄オオクニヌシこそ、日本の民衆が

心から愛した神である。私は改めて古事記を読み、その業績の跡の残る

神社や遺跡を遍く訪ね、日本の国をつくった大英雄オオクニヌシを讃美

せざるを得なかった。」

 

「約四十年前、『神々の流竄』を書いたとき、私は何度も『古事記』『日本

書紀』を読んだはずなのに、オオクニヌシという存在が十分理解できなか

った。そして、出雲神話はヤマトで起こった物語を出雲に仮託したもので

あるという説を出した。しかし、これはまったく誤った説であり、このよう

な誤った説の書かれた書物を書いたことを大変恥ずかしく思うとともに、

オオクニヌシノミコトにまったく申し訳ないことをしたと思っている。

今回改めて出雲大社に参拝し、神前で拝礼してオオクニヌシノミコトに

心からお詫びをした。そして「私は間違っていました。改めてミコトの人生

を正しく顕彰する書物を書きます」と固く誓って出雲を後にしたのである。」







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『出雲国風土記』とスサノオ-出雲神話2-


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出雲国風土記



以前、記紀の「出雲神話」に依拠して、スサノオの変貌の意味を紹介した

ことがありますが、今回は、『出雲国風土記』の「出雲神話」に重点を

おいて、スサノオを眺めてみたいと思います。

 

さて、『出雲国風土記』におけるスサノオは、記紀に描かれているそれより

はるかに素朴で平和的であったとされます。

 

「風土記」によると、スサノオは、出雲国内を巡行するのですが、それは

出雲平野周辺の山間部に限られ、出雲全体を支配するような神ではなかった

ようで、平野の周辺部を巡りながら、開拓をし、稲作を勧め、保護する神で

あったのであろうとされるのです。

 

そして、飯石郡須佐郷の口碑(言い伝え)には、「ここは狭い地ではあるが、

国として経営するにふさわしい地である」として、我が名をとって「須佐」

と名づけ、その地に鎮座し、神に稲を奉るための田である大須佐田、小須

佐田を設けたと記されています。

 

これによると、スサノオという神名からスサという地名ができたことになり

ますが、スサノオこそ「須佐」という地名から導き出された神名だと考える

研究者も多いようです。

 

鳥越憲三郎氏は、著書『出雲神話の誕生』で、スサノオは、「須佐の男神」

を意味し、神門川の中流にある須佐という小さな里の守護神、一地方神で

あったが、それを大和朝廷側が大きく取り上げ、高天原を荒しまわる悪神

に仕立て上げられたのであろうとしています。

 

一方、以前にも紹介しましたが、『創られたスサノオ神話』の著者である

山口博氏は、口碑のとおり、スサノオという神名からスサという地名が

できたとし、スサノオの名の由来は、従来から言われるような、「荒れ

すさぶ」の須佐ではないと言います。

 

つまり、古代語のスには、飾らない、そのままの、などの意を表す接頭語

があり、サには、田植え始めの日をサオリ(神下り)、田植えの終わる日を

サナブリ(神上り)という地方もあるなど、サには田の神という意がある

ことを考えると、スサは素朴な田の神ということになり、いかにもローカ

ルな農業神にふさわしい名である、と述べています。

 

しかし、いずれにしても疑問が残ります。問題は、いったいどういう理由

で山奥の小盆地の一地方神が、皇祖神の弟とされ、神話の大立者に仕立て

あげられたのかということです。

 

松前健氏は、その著書『出雲神話』において、スサノオの崇拝は、西部の

須佐地方だけでなく、出雲の東部にもその崇拝や伝承が分布していて、

かなり古い霊格であり、民間でもポピュラーな霊格であったことは間違い

ないとしつつ、スサノオの高天原での大きな地歩は、じつは出雲ばかりで

はなく、当時の諸国における崇拝の広い分布と、民間信仰における人気の

広さによるものと考えられると述べています。

 

出雲のほかに、紀伊、備後、播磨、隠岐などにこの神をまつる神社があった

ということです。ことに紀伊在田(ありた)郡には、須佐神社があり、出雲

の須佐神社と同じく、古くからスサノオを祀っており、航海と船の神として

知られていたということです。

 

社格としては、出雲の須佐が小社とされていたのに対し、紀伊のその社の

方がはるかに高かったということであり、松前氏は、紀伊の須佐こそが、

この神の崇拝の原郷であったと思われるとしています。

 

記紀などの神話を見ると、スサノオは出雲ばかりでなく、紀伊にも関係が

深く、おまけに、そこでは船や海や樹木などに結びついて語られていると

いうことです。つまり、スサノオは、もともと紀伊の海人(あま)族たち

の奉じる神であり、海や船にも関係が深く、また、船材としての樹木の神

でもあった。この神が海を支配せよと命じられたとか、韓土に渡ったとか

いう話は、この神を奉じる紀伊の海人らが、朝鮮沿岸にまでも行って活躍

したことをあらわしている。この神がもし出雲の山奥の盆地の一農神に

すぎないのなら、神話におけるこうした海や船との結びつきは解釈できない

のであり、元来は、海にこそゆかり深い神であったのだと述べています。

 

また、スサノオの顕著な特性のひとつに「根の国」との結びつきがあるが、

それは地下にある暗黒の死者の世界を指すほかに、古くは、海のかなたに

ある他界を意味していたらしいということです。そこには神々も先祖の霊魂

も住んでいて、そこから時を定めて国土を訪れる神の信仰があったとされ

ます。根の国のネという語は、生命の根源という意味で、ここは死霊ばかり

でなく、あらゆる生命の源泉地と考えられていたのです。

 

よって、松前健氏は、「スサノオも、おそらくもともと紀伊の沿岸一帯の

海人たちが信じていた、海のかなたの根の国から来訪するマレビト神で

あったのであろう。かれは船に乗り、樹木などの種子を積み、海上から

あらわれ、若者に成年式を施し、田畑に稔りをもたらす神であったので

あろう。やがて、その神は、土地の名をとってスサノオとよばれるよう

になったと考えられる」と述べています。

 

つまり、松前氏は、スサノオの崇拝、また、熊野大神の信仰は、出雲から

紀伊へ、ではなく、逆に紀伊から海人によって出雲に運ばれたものと考え

ていて、まず、安来などの東部から広まり、大原郡、飯石郡と、しだいに

西部へと進出し、それにしたがい海洋性を失い、山奥の農神らしい性格に

なった、そして、飯石郡にいたって、クシナダヒメなどの農耕女神の崇拝

と習合し、これと結婚して大蛇を退治する英雄に祭り上げられたのだろう

としています。

 

なお、その根拠地の重要なものとして、大原郡の須佐をその御名代の地と

定めたが、それは最後の段階であって、その原像ではないのだとも主張

しています。

 

さて、では、このような出雲の文化神的、祖神的役割を持つスサノオと、

宮廷祭式やその神話的世界における、神に反抗する「巨魔的」な役割を

持つスサノオという、二つの異なる像を結びつけるつなぎはどのように

なされたのでしょうか?

 

まず、スサノオの八岐大蛇退治の神話については、出雲民間に、元来、蛇神

崇拝があり、大蛇退治が、世界および日本各地に分布する「ペルセウス型」

の人身御供譚であることや、大蛇の尾に剣があることが、民潭にもあること

から、この話の起源については、民間伝承であったことがわかるが、最後に、

スサノオが草薙剣を皇祖神に奉じたというモチーフは、後に続く天孫降臨

神話で、皇孫が玉、鏡にこの剣を加えた三種の神器をもって天降るための

伏線として、後世、中央貴族によって付加されたものであろうとされます。

 

なお、この剣の献上の話が加えられる以前、いわば、「原天岩屋神話」とも

いうべきものには、玉と鏡だけでなく、剣の製作もすでに語られていた。

にもかかわらず、剣の献上の話につなげるために、剣の部分だけ、わざと

削り、玉と鏡だけを、岩戸の祭りに登場させたのだと主張する研究者がいる

が、松前氏も、それはおそらく正しいだろうとしています。

 

つまり、この剣の削除やスサノオの神剣の献上というモチーフが、出雲神話

への橋渡しとなっているのであり、この文筆作業によって、出雲神話が巨大

化し、宮廷神話の中枢に割り込ませられているということです。

 

その他にも、高天原神話において、スサノオは、いろいろと出雲神話の

橋渡しをしているが、天真名井(あめのまない)におけるアマテラスとの

誓約(うけい)も、出雲と高天原とのつなぎのための伏線であるとされます。

 

『古事記』によると、スサノオは自分の心の潔白をあらわすあかしとして、

天安河(あめのやすかわ)にアマテラスと向かい合って立ち、おのおの誓約

をして子を生んだ。アマテラスがスサノオの剣をとり、三段に折って、天真

名井にそそぎ、口に噛んで吐くいぶきから宗像の三人の女神、タキリビメ、

イチキシマヒメ、タキツヒメが誕生し、スサノオがアマテラスの腕や髪に

つけた玉をとって、これを噛んで、霧のように吐き出すと、五人の男神、

アメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノ

クスビが誕生した。アマテラスとスサノオは、このめいめい生んだ子が、

互いに相手の身に着けたものから出たというので、お互いに交換し、五

男神はアマテラスの子とされ、三女神はスサノオと子とされた、という

ものです。

 

実に複雑きわまる相互交換ですが、松前健氏は、この神話をよくながめる

と、じつは、皇室の祖先オシホミミと、出雲国造の祖先アメノホヒとを、

同じ親、つまりアマテラスとスサノオの二神から生まれた存在だと主張

するために設定した説話であることがわかる、と述べています。

 

よって、これも、皇室と出雲国造とを同一系譜に盛り込み、あとに続く

出雲神話への伏線とすると試みであったということです。

 

ところで、スサノオ、そしてアマテラスについて、水波一郎氏の霊魂学では、

まったく異なった見方がなされています。以前、少し紹介したことがあります

が、ここでもう一度、紹介しておきたいと思います。

 

水波一郎氏は、旧著『禊神秘の法』の中で、アマテラスとスサノオに

ついて、次のように述べておられます。

 

<天照大御神は、天を照らす神と読むとぴったりである。よって、私は

天照大御神の皇祖という側面よりも、輝きという部分に注目したいので

ある。輝きとか、光りとかは、人間の生活には不可欠である。神話の中で、

天照大御神が隠れてしまわれたとき、高天原は真っ暗になってしまう。これ

では困る神々が、あの手、この手で、天照大御神を引き戻すのである。>

 

<天照大御神は実在する存在であるが、それは、スサノオの命とて同様で

ある。なぜなら日本の神話は、何らかの形で霊的知覚者の意図が表現されて

おり、霊的意識体としての神霊を、当時の人々の知性レベルで語っており、

それが様々な経緯を経て書物へと変わったと思えるからである。いずれに

しても、神話は、政治的な計らいは頭に入れておくとしても、霊的色彩を

強くもっていると思うのである。>

 

<スサノオは、暴風神でもあり、やること為すことが秩序に反している。

しかし、スサノオこそ、日本人の救いであり、偉大な神格なのである。

およそ神霊は、全人類、いや、全惑星の生命体にとっても神霊である。

しかし、この偉大な神格はなぜ人間的悪行の象徴になってしまったので

あろうか?>

 

<このスサノオが悪神に描かれている背景に、人間たちのわがままと、

傲慢が隠されている。つまり、人間たちは地上に生活しており、不自由

であるために、より自由な生活を夢見ており、自分たちに不都合なこと

は考えたくないものなのである。その結果として、アマテラスやイザナギ

を高く位置づけてスサノオのような不都合な神は低く位置づけたと思う。>

 

<神話の中で、スサノオはイザナギの意思に背き泣いてばかりいたとあるが、

それは、もう別の世界へ行ってしまって、醜く汚いと教え込まれた母の愛を

知りたがったからである。パワーであるスサノオには、母の愛がどうしても

必要であった。つまり、スサノオはその後、人間たちの世界へ降りるが、

それは母を持つ人間たちの愛の意味を知りたかったということである。>

 

<神々の世界は高貴すぎて、地上とは異質であり、そこにおける母性とは

神霊の女性的側面でしかなかった。それは人間たちには無関係であることを

知り、スサノオは父なる神に反抗し、地上に降りるのである。>

 

<スサノオは、その前に、兄弟神である天照大御神に面会する。その面会

のときには、大きな災害が起きる。そして二神は契約を交わす。その結果、

アマテラスは天上の神として上方から地上に光を送り、スサノオは地上に

降りて地上の邪を退治する。>

 

<そして、スサノオは、天界を追い出され地上で妻をめとる。剣の力で

妖怪を退治し、人々を守る。彼は人間たちの心を深く理解し、人々と同じ

ように苦悩するが、人々から良く思われない。人々は彼を無視し、彼を

受け入れなかった。>

 

<力の神が父なる神に逆らい、神々の世界から地上に本当に降りたとすれ

ば、人々にとって力の神は脅威である。力の神は人々のために妖怪を退治

した。しかし、力の神は、それ以外に存在する価値がない。太陽は毎日

必要であり、月も必要であるが、パワーは妖怪がいなくなれば大切では

ないからである。>

 

<力は時として善であり、同時に悪でもある。それは人間たちにとって、

都合が良かったり、悪かったりする。人々の勝手な自由は、スサノオを

アマテラスよりも低く位置づけるのである。>

 

<やがて、スサノオは神々の世界に戻っていく。父なる神に追放され、

兄弟の神と約束した高貴な御霊は、大悪人のごとく描かれ、悲しい

生涯を終えたのである。神話は霊感の書であり、物語によって象徴的

に記されている。>

 

以上のことから、読み取れることは、アマテラスは、天上、つまり

高貴な世界にいて、そこから光を降ろす神霊であるが、スサノオとは、

父なる神に逆らってまでも、地上、つまり、この物質の世界へ降りて

人々を救おうとした神霊であるということです。

 

 
 
 
 
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出雲神話の謎-「出雲神話」1-


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出雲神話1


 

出雲神話は、日本神話の中でも、特に謎とされているところが多いと

言われています。

 

ひとくちに出雲神話といっても、それは二通りのものがあります。一つは、

『古事記』、『日本書記』、いわゆる記紀の神代の巻に出てくる、出雲を

舞台とする物語であり、もう一つは、『出雲国風土記』に記されている、

出雲の国の風土伝承です。

 

しかしながら、両者とも同じ名の神々や地名が出てくるものの、あまりにも

大きな相違があるのです。

 

つまり、記紀にあらわれる出雲の神々の世界は、天津神(あまつかみ)の

すむ高天原(たかまのはら)に対立する、国津神(くにつかみ)の一大勢力

を形成し、その眷属神(けんぞくしん)の勢力範囲は、出雲の国を越えて、

全国にまたがっているが、『出雲国風土記』の中に出てくる出雲の神々は

素朴で、土臭い霊格にすぎず、そうした面は見えないのです。

 

ひとことで言うと、前者は、国家的・政治的理念で拡大された「虚像」で

あり、後者は、そのままの「実像」、あるいは「原像」だといえるのですが、

『出雲神話』の著者、松前健氏は、従来の多くの研究では、この「虚像」

の成立を、ただ少数の中央貴族たちの作為に基づくと説くとか、また、

さらに焦点を絞って、奈良時代前後のころの、二、三の特定人物の創作に

帰するとか、あまりにも安直、かつ証拠不十分な解釈で片づけてしまって

いると批判しています。

 

スサノオが御子のイタケルとその姉妹の女神をひきいて、船に樹木の種子

をのせ、紀伊の国から全国に播き植えたというような伝承や、オオナムチ

(大己貴、大国主ともいう)が、スクナヒコナ(少名比毘那)とともに、

日本全土に、人間と家畜の医療・禁厭(まじない)の法を授けてまわった

というような伝承が、『日本書紀』などに記されているが、それらまでこと

ごとく中央貴族の政治的創作だと決めつけるわけにはいないと言います。

 

よって、こうした記紀の「虚像」は、必ずしもすべてが「虚像」ではなく、

ある程度、民間信仰に基盤を置いている「実像」の部分もあると考えな

ければならないとし、そうした究明には、民俗学や民族学の方法が

必要になるであろうとしています。

 

また、その相違が、どのような政治的・社会的事情によって生じたので

あるかは、歴史学的な方法によって明らかにされねばならないとし、とに

かく、出雲神話の謎解きには、民族、民族、文献、考古学等のいろいろな

分野からの総合的・多角的な視野が必要とされると述べています。

 

さて、『古事記』や『日本書紀』に記されている日本神話を読むと、神々

の活躍する舞台が、地上の出雲の国になっている場合が非常に多いのは

なぜかという疑問が湧いてきます。

 

大和朝廷の支配下にあった多くの国々の中で、出雲だけがなぜこのような

特別扱いをされているのでしょうか?

 

まず、スサノオやオオナムチ(大国主)が活躍する、いわゆる「出雲神話」

の部分は、『古事記』では、神代の巻の物語の約三分の一くらいもの大きな

スペースがさかれていますし、この部分以外にも、出雲の地名は、記紀に

しばしば顔を出しますが、神代だけを取り上げてみても、出雲の名は、最初

の部分から登場し、それも多くは死者の世界と関連して語られています。

 

イザナミが火の神カグツチを生んで死に、葬られた地は、『古事記』では、

出雲と伯耆(ほうき)の国境の比婆(ひば)の山であるされ、また、その

夫のイザナギが、黄泉(よみ)の国から逃げかえってくる途中、大岩を

置いて、イザナミの率いる邪鬼たちを防いだという、ヨモツヒラサカは、

同書によると、出雲のイフヤ坂であると記されています。

 

ここでは、出雲は、現世・地上の世界と、地下の冥府・死者の世界との

境にある国のような印象を与えます。イザナミは、ヨモツ大神と呼ばれ、

ギリシャ神話のペルセフォネや北欧神話のヘルのような、死者の世界の

女王ですが、この女神の墓が出雲にあるという伝えは、出雲という地に

対する古代人の感覚をよくあらわしているとされます。

 

次はスサノオの出雲下りから始まる話です。スサノオは高天原でさんざん

乱暴を働き、姉とされるアマテラスを怒らせ、アマテラスの岩屋隠れの後、

罪を問われて、根の国に追放されます。根の国とは一般に底の国とも呼ば

れ、黄泉の国とも同一視されている死者の世界ですが、この根の国に下る

はずの予定が、たちまち出雲に舞台が移され、簸(ひ)の川の上流での、

有名な八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話になっています。

 

ここでも、スサノオが根の国におもむく途中、出雲に立ち寄るのですから、

出雲は、やはり、現世とあの世との境にあるということになります。

 

そして、スサノオがクシナダヒメと新婚の宮居を造って住んだのは、『古事

記』によると出雲の須賀(すが)であり、そこで多くの国津神の祖神となる

のですが、一方で根の国とも関係を持ち、『古事記』のオオナムチ(大国主)

の根の国訪問の話では、根の国の大神になっているとされます。

 

また、出雲の国作りの大神であり、英雄神でもあるオオナムチ(大国主)は、

記紀ではスサノオの子であるとも、その六世の孫だとも伝えられていますが、

出雲における生粋の土着神であり、その国作りの話は、ほとんど出雲とその

付近を舞台としています。

 

しかし、先に述べた根の国ゆきの話にあるように、しばしば他界と結び

ついており、国譲りの後、幽事(かくりごと)をつかさどる存在になった

とされます。

 

そして、人代以後になると、オオナムチは、しばしば祟って、祭祀や、

社殿の建造を要求したりして、大和朝廷側を困らせるのですが、朝廷側は、

使いを派遣して神宝を調査させ、その召し上げを図ったり、また、武力で

討伐して、その服属に全力を注いているのです。

 

このことは、出雲が大和朝廷の中央勢力に対し、つねに反対勢力である

ことを表しているように見えます。

 

なお、神代の出雲神話においても、出雲は、皇祖アマテラスやタカミムス

ビの支配する高天原の世界に対する反対勢力の拠点であり、その活動範囲

や勢力範囲は、北陸の越(こし)の国や、九州の筑紫の国、また、大和や

諏訪など、文字通り全国的な規模であったとされます。

 

これらのことから、松前健氏は、実際の史実はどうであったかは別として、

少なくとも説話の面では、天孫の国土降臨以前の日本国土には、オオナムチ

を総帥とする国津神たちが、一種のパンテオン(神殿)を形成し、諸国に

すみ、その政治的中心が出雲にあったのを、のちに高天原にパンテオンを

形成していた天津神のグループが、皇祖アマテラスとその御子とを奉じ、

それを征服・支配させたという思想が、この出雲神話全体の構成を通じて

うかがわれると述べています。

 

なお、スサノオ・オオナムチを中心とする出雲の神々の系譜は、農耕神格、

つまり、河川や淵などにすむ水神、蛇神、稲の生育神などが多く、高天原

系の天津神が、タケミカヅチ、フツヌシなど、軍事的機能を持つ神々が

多いというのと対照的であるとされます。

 

さて、では、こうした対立は、いったい何を表すものなのでしょうか?

こうした政治的・現実的な内容を持った神話は、その背景に何らかの歴史

的事実が存在していたのでしょうか?また、そうした神話があらわすほど

の大きな政治的・文化的中心が出雲にあったという、考古学的・歴史学的

な証があるのでしょうか?

 

このような神々の二つのグループ同士の闘争、二つのパンテオンの対立と

いうようなモチーフの神話は、諸外国でも珍しくなく、とくに文化の高い

民族の古典的神話には多いと言われていますが、そうした神話の解釈に

ついては、主なものとして、古代インド・イランのアーリア人に古くから

伝えられている、善と悪、光明と闇黒の二元的世界像にもとづく説話で

あるとか、あるいは、かつての先住民族対侵入民族の対立・闘争の史実の

反映であるというような説などがあります。

 

出雲と高天原との対立も、上記と同様のような内容を持っていて、それも

他の民族の神話より、はるかに高度な現実性を帯びているため、これに

対する解釈として、一種の歴史解釈が行われ、かつて特定の集団、ないし

部族・氏族が、二つに分かれ、闘争や対立を行ったことの反映であるという

説が唱えられ、それが概ね妥当なものとして受け入れられているようです。

 

しかし、それにも幾つもの異なった考え方があり、代表的なものを挙げると

次のようになります。

 

「出雲神話作為説」

天孫降臨の前提として、それ以前の国土の所有者としてオオナムチ(大国主)

を想定し、これを服属させることによって、皇室の権威を示そうという、

政治的意図のもとに作成された架空の説話であるというもの。スサノオも

オオナムチも、そうした皇室的秩序に対する敵対者として、理念的に作り

出された架空の神話とするもの。なお、すべてが政治的理念の産物だと

いうのではなく、出雲の風土伝承を素材として、中央貴族がそれを変容

させたという説もあり、それが現在の多数説とされる。

 

「信仰的世界観に基づくという説」

一種の理念説であるが、国家統制というような政治的理念ではなく、もと

もと古代日本人の信仰的世界観であった二元論や、世界観にもとづくという

説。神話上の出雲世界は、明暗、善悪、生死、建設と破壊、神と邪霊、聖と

不浄というような、二元的世界観において、光明、善美、生命の世界である

高天原に対し、暗黒、邪悪、死の世界として考え出した宗教理念の産物と

される。また、出雲が一種の他界の方角にあったからという霊学方位説や、

出雲の地は元来、死者や他界に結びついた信仰の霊地であったから、大和

朝廷によって特別視されたのであろうという説もある。

 

「史実の中核存在説」

これは、理念による架空の物語ではなく、実際にかつて二つの集団、たとえ

ば、大和勢力の貴族と出雲勢力の貴族などが、相対立・抗争した記憶である

という説で、もっとも素朴なものは、「民族闘争説」、すなわち出雲の神々は、

出雲ばかりでなく、諸国にも広く奉じられ、先住農耕民族の信仰であったが、

のちに天津神を奉じた天孫民族に征服・同化されるに至ったのだという説が

ある。また、これは民族闘争ではなく、天孫系氏族群と出雲系氏族群の氏族

群同士の軋轢、対立と見る「出雲氏族連合説」もある。一方、出雲神話は、

その原型としては、出雲だけを舞台とした局地的な史実の反映であり、東部

の意宇(おう)郡の首長が西部の出雲郡から神門(かむと)郡にかけての首長

を滅ぼし、出雲国造に就任したという史実が中核となったという説もある。

 

「巫覡(ふげき)信仰宣布説

出雲の国は、特別な政治勢力や武力があったのではなく、シャーマニズムや

これにもとづく医療・禁厭(まじない)などの呪術を持つ特殊な信仰文化の

中心であり、それは地縁的な、従来の氏神信仰とは異なり、出雲から中国、

九州、近畿、北陸、東国などにいたるまで、巫覡(神に仕え祈祷や神おろし

をする人を指す)らによって宣布されたのであり、これが大和朝廷によって

大きな宗教勢力として映ったのだという説である。

 

さて、以上のような多くの出雲神話論を大まかに分けると、三つにまとめ

られるようです。

 

(1)  高天原と出雲の対立の神話は、歴史とは無関係な、中央貴族の理念

的産物である。

(2)  天津神系諸族と、国津神系諸族の対立のような、二つの勢力の対立

が実際にあった。

(3)  現地の出雲では、小規模の勢力の局地的交替があったが、朝廷でこれ

を大きくとりあげて、全国的なスケールにしたてた。

 

松前健氏によると、これらの中の一つだけが正しいのではなくて、これらの

いずれもが、ある程度は真実なのだと述べています。なぜなら、出雲神話

そのものが、一つの立場だけでは割り切れない複雑な過程をたどって成長

してきたからだとしています。

 

(1)  の説は、記紀の出雲世界が、高天原とは対照的な、死や冥府と結び

ついた世界であるという特質を説明するには適切であるが、この中に実際の

出雲の風土伝承らしきものや、出雲の土着の神々が登場することを説明する

のは困難である。

 

(2)  の説は、オオナムチ(大国主)やその眷属神を祀る神社、および出雲

系氏族の、全国的な分布を説明するには適切であるが、その対立の時期とか、

その事情なども明らかにしなければ、十分な説明にはならない。

 

(3)  の説は、出雲国内の勢力の交替や葛藤が中心になっていて、考古学や

文献史料によってある程度検証が可能であり、多くに学者がこれを採用して

いる。たしかにこれは「原像」の究明には有効であるが、それだけでは、

大きな霊格として記紀に取り上げられた理由の説明は不十分である。

 

このように述べた上で、松前健氏は、これらの説を内的に関連づけ、これを

一元化できるとして、巫覡信仰説を主張しています。

 

つまり、(1)の説は、他界信仰、起死回生の医療法などを持つ巫覡らの

信仰圏に対し、大和朝廷側でそれを特殊視し、高天原に対する対立的な

世界だと考えた。(2)の説は、巫覡らの活動が広範囲に及び、地方神の

祭祀をも包括し、それらの間で、一種の連繋(れんけい)が生じた。(3)

の説は、これらの巫覡らの最高支配者としての出雲大社の司祭職に、勢力

の交代があった、というふうに考えれば、すべて説明がつくと言うのです。

 

また、巫覡信仰説は、記紀のオオナムチ(大国主)の数多くの巫覡神・

医療神的性格を明確に説明していると言います。

 

因幡(いなば)の白兎に対する治療法の教示、オオナムチ自身の火傷に

対するキサガイヒメとウムギヒメによる治療(古事記)、オオナムチ、

スクナヒコナの二神が天下に医療・禁厭(まじない)の道を広めたという

話(日本書紀)など、みなこの神と巫覡との関係をよくあらわしているし、

また、根の国におもむいての根の国の大神スサノオによるいろいろな試練、

スセリヒメによる蛇の比礼(ひれ:呪術的な力を発揮する布)やムカデ、蜂

の比礼などの授与、それによる害虫に撃退などは、一種の巫覡団体の入門式

(イニシエーション)の試練と、そこにおける「死と蘇生の儀」、および神霊

の啓示と巫具の授与をあらわしているとし、もし、この神を奉じる司祭職や

巫覡らに、そうした社会的機能がまったくなかったなら、そういった話は

語られるはずもない、と述べています。




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