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オオナムチ(大国主)の原像-出雲神話3-


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葬られた王朝 




先に紹介したスサノオは、出雲固有の神ではなく、他から渡来した神で

あるのに対し、オオナムチ(大国主)は、それこそ生粋の出雲の神と

されます。オオオナムチ崇拝の中心は杵築(きず)の出雲神社であり、

これを祀ったのが、アメノホヒを祖先とする出雲国造家(いずもくに

のみやつこ)であるということです。

 

『出雲国風土記』では、この神は一般に「天(あめ)の下作らしし大神」

という称号を冠せられて、偉大な国造りの神として崇拝せられ、そのゆかり

の伝承は、東は意宇(おう)郡から西は出雲郡、神門郡にいたるまで、

ほとんど出雲の全域にわたって語られているようで、非常に古い霊格で

あるとされます。

 

また、この神は、多様な表記と、数々の異名があり、オオナモチ、オオ

ナムチ、オオアナムチ、オオアナモチなどの呼び方のほかに、オオクニヌシ、

アシハラノシコオ、ヤチホコノカミ、ウツシクニダマノカミ、オオクニダマ

などの異名があるとされます。

 

大和の三輪のオオモノヌシも、この神の異名、もしくはその奇魂(くし

みたま)幸魂(さちみたま)とされています。

 

オオナムチ(大国主)は、このようにさまざまな呼称を持ちますが、どれ

とも定まっていません。そして、これらの多くの異名の中には、オオモノ

ヌシなどのように、もともと別の神格であったものが、後世、習合されて、

同一神と見なされたものもあるということです。

 

オオナムチ、オオクニヌシ、オオクニダマなどの名が、みな「土地」「国土」

の主(ぬし)としての意味を持っているとされますが、松前健氏は、「これ

らの名が、『古語拾遺』にみえる大地主神(おおつちぬしのかみ)、後世の

仏寺などに祀られる自主神(じしゅしん)、屋敷や田畑に祀られる地主様

(じぬしさま)などと同様の、土地の古い先住者としての神をあらわす名で

あったろうと考えている」としています。

 

また、オオナムチ(大国主)の系譜については、『出雲国風土記』では

まったく触れられず、記紀では、スサノオの子とか、六世の孫とか言われ、

一定していませんが、天津神系ではなく、国津神に属せしめられています。

 

国津神とは、一般にその土地に古くから崇祀されている神で、後世に新しく

入ってきた皇室系の神や中央貴族の神々よりも、その国土に対する結びつき

が古く、かつ強固である場合に、しばしばその名で呼ばれるが、オオナムチ

の名も、出雲の国において、比較的新しく到来してきた天津神系の神々の

崇拝以前から「偉大な地主神」として崇拝されていた神であることを示して

いるということです。

 

オオナムチ(大国主)一族が天津神系の到来によって、国譲りを行い、恭順

を誓って、永く皇室の守り神になるという話は、外来の大神と争って敗れ、

服従を誓ってその部下になるという地主の神の神話の類型と重なるようです。

 

さて、オオナムチ(大国主)の内的特性はというと、複雑多岐ですが、記紀

および風土記に共通して言えることは、高天原の天津神族に比べて、とても

地上的・人間的だとされます。オオナムチは、アマテラス、スサノオなどの

ような超自然的な生まれ方もせず、天上から降下する話もありません。出雲

の国土で生まれ、人間的な冒険や恋をし、地上の宮居に住み、その最後も

人間的です。『出雲国風土記』では、鋤(すき)をとって土地を切り開き、

国作りを行なったり、各地をめぐって稲種を播布したり、稲を積んだり、

稲を臼でついたりしています。また、『日本書紀』では、民間のあらゆる

医療・まじないの法などの制定者・伝授者として語られています。

 

つまり、神話学的な範疇でいえば、「神」のカテゴリーに入るべき存在で

はなく、「文化英雄」のカテゴリーに入る存在であるとされます。

 

屋敷神の中に、地主神、ジノシサマ、地の神というのがありますが、そこ

で祀られているのは、多くはその土地を開拓した人物であり、死後、土地

の守り神として、屋敷内の隅や田畑の中などに祀られるのですが、よく祟る

神であって、死霊的要素が濃く、人間的な色彩が強いとされます。

 

オオナムチ(大国主)も、開拓神らしい要素を持つことや人格的色彩が

強いこと、また、また、石神として祀られていることなど、後世の地主神

に似ているのです。

 

しかし、このようなオオナムチの豊かな人間性は、この神がかつて一個の

実在人物であったことを意味するものではないようです。それは出雲地方

にいた幾多の祭祀王・巫覡王の重ね写真であり、素朴な自然神であったオオ

ナムチに後世これを祭る司祭者のイメージが投影したものだとされます。

 

さて、記紀には英雄王としての色彩が顕著ですが、『出雲国風土記』や、

また、その崇拝の及んだ『播磨国風土記』でのオオナムチには、各所に

おいてその原始的性格がうかがわれるということです。

 

オオナムチは、その相棒のスクナヒコナとともに、各地を巡行し、稲種を

まき散らしたり、稲積を置いたり、稲俵を積んだり、モミを臼でついたり、

飯を盛ったりしていて、みな農耕や稲米と関係があるのです。

 

なお、この二神は万葉集などでは国土の創造をしたとされますが、それは

イザナギ・イザナギの国生みのような宇宙的な創造ではなく、もっと限定

された山や丘などの創造や命名といった形をとっているようです。

 

これは後世、出雲の巫覡(祈祷や神おろしを行う者・みこ)らによって、

この神の崇拝が諸国に拡散したとき、開拓神、農耕的内性から、そのような

創造的神格に高められたと考えられます。

 

さらに、この神は、岩窟や石と結びつけられていますが、それは、この神

が国土そのものの精霊であり、大地と結びついているからこそ、生産や豊穣

とも関係し、また洞穴や岩石とも関係するのであろうということです。

 

ところで、民間の伝承では、オオナムチ(大汝)とは、狩の神、動物の主、

山の神の名とされているようです。しかも、それは男神ではなく、女神で

あり、この女神を助けてその恩寵を受けたという狩人の名となっていること

もあるようです。

 

この女神は一般に好色で若い狩人や木こりなどを好み、また、オオカミや

山犬、ウサギ、イタチ、ヘビ、鳥、キジなどを使者とし、また、クマ、シカ、

イノシシなどの狩の獲物を授けてくれる存在であり、また、樹木の生成繁殖

をつかさどる神でもあるとされます。

 

松前健氏は、このような山の女神と、オリエントやヨーロッパの古代世界

に見える大地母神が、いずれも野獣を従え、また若い狩人を愛人、または

夫としていることの相似、そして、若いオオナムチが猪によって死ぬこと

についても、上記の大地母神にともなう若い男神(多く狩人)が、いずれ

も野猪に殺されるのと一致していることを挙げ、オオナムチの名も、もと

もと彼自身の母としての繁殖母神の名であったものが、後に狩人仲間の

元祖の英雄の名となり、また、のちに農耕文化に浴して、開拓神、農神、

文化神と、機能を向上させ、内性を複雑化していったのではないかと

述べています。

 

なお、オオナムチが大地や農耕と結びついていたとすれば、海とは全く

無縁であるはずであるが、不思議とこの神は海にもつながりを持って

いるようです。

 

古典では、そういう色彩は見えませんが、かつて古代の出雲大社の社殿は

直接海岸に接して建てられていて、現地出雲では、もともと大国主神

(オオナムチ)は、海の彼方常世の国からこられた霊威であったと考えられ

ていたということであり、この神と海人(あま)、そして龍蛇(蛇体の水霊)

との結びつきをうかがわせるということです。

 

さて、『古事記』におけるオオナムチの生い立ちの物語は、大きく分けて

二つの部分から成り立っているとされます。

 

すなわち、(1)八十神による迫害と、死者よりの蘇生、(2)根の国に

おける試練の話であり、これに因幡の白兎の話が(1)のエピソードと

して付加されているのです。

 

(1)  は、従来多くの学者によって、巫覡団体の入門式(イニシエー

ション)おける授戒者の試練をあらわすものとされてきたようです。

八十神とは、その団体の長老たちの神話的投影であろうし、また、彼らの

迫害によって、幾度も死ぬオオナムチを、そのたび蘇生させる母神は、

その団体に祀られる巫祖としての女神であろうとされます。

 

松前健氏は、「オオナムチの崇拝は、…医療・まじない・託宣・卜占など

を機能として、各地にその宗教を拡めていった出雲の巫覡教ともいうべき、

神人たちの宗教活動によるものと考えられる。白兎の治療法やオオナムチ

自身の火傷の治療の方法なども、かれが実際おこなっていた民間療法に

違いない」と述べています。

 

 

(2)  の話は、説話学的には、世界に広く分布している「英雄求婚型」に

属すると言われていますが、それだけでは解釈しきれない多くの民俗的な

モチーフが含まれているようで、この根の国での蛇の室(むろや)、呉公

(むかで)・蜂の室(むろ)などの試練が、古代の秘事団体ないし巫覡団体

への入門式における候補者の受ける種々の苦行、その死と冥界入り、および

そこからの復活をあらわすものであるとされます。

 

以上、前々回、前回からも含めて、出雲神話を松前健氏などが主張する

「巫覡信仰宣布説」(すなわち、出雲国は、特別な政治的な勢力や武力が

あったのではなく、シャーマニズムやこれにもとづく医療・まじないなど

の呪術を持つ特殊な信仰文化の中心であった。それは、従来の氏神信仰と

は異なり、出雲から中国、九州、近畿、北陸、東国などにいたるまで、

全国的に巫覡(みこ)らによって宣布されたのであり、これが大和朝廷に

よって大きな宗教的勢力として映った。出雲国造は、この「出雲教」の

最高司祭、巫祝王(ふしゅくおう)ともいうべき存在で、この司祭家が

オオナムチの祭祀権と同時に、出雲全体の支配権を掌握した由来話が、

国譲り神話であるというもの)を中心に紹介してきました。

 

しかし、近年、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の銅剣や銅鐸をはじめとする

考古学的遺跡の出土によって、出雲神話がフィクションだとする従来の

通説が揺らぎ、古代出雲にかつて強大な王権が存在したのであり出雲神話

はそれを背景にして形成されたものだと主張する動きが出てきたのです。

 

そのような動きのなかで、梅原猛氏の近年の著書『葬られた王朝-古代出雲

の謎を解く-』は、従来の自説をも否定し、強力な出雲王朝なるものが存在

したことを立証しようとしたものです。

 

梅原猛氏は、その著書の末尾で次にように述べています。

 

「平和的に国譲りを行った悲運の英雄オオクニヌシこそ、日本の民衆が

心から愛した神である。私は改めて古事記を読み、その業績の跡の残る

神社や遺跡を遍く訪ね、日本の国をつくった大英雄オオクニヌシを讃美

せざるを得なかった。」

 

「約四十年前、『神々の流竄』を書いたとき、私は何度も『古事記』『日本

書紀』を読んだはずなのに、オオクニヌシという存在が十分理解できなか

った。そして、出雲神話はヤマトで起こった物語を出雲に仮託したもので

あるという説を出した。しかし、これはまったく誤った説であり、このよう

な誤った説の書かれた書物を書いたことを大変恥ずかしく思うとともに、

オオクニヌシノミコトにまったく申し訳ないことをしたと思っている。

今回改めて出雲大社に参拝し、神前で拝礼してオオクニヌシノミコトに

心からお詫びをした。そして「私は間違っていました。改めてミコトの人生

を正しく顕彰する書物を書きます」と固く誓って出雲を後にしたのである。」







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