原罪-「罪とカルマ」1-


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神体 


 
 罪というとき、法律用語における罪の概念や、歴史的な用語としての罪
ありますが、ここでは、宗教的な意味における罪というものを考えて

みたいと思います。

 

さて、宗教における罪といっても、仏教における罪とキリスト教などで用い

られる罪の観念は異なりますし、神道における罪も、また、異なります。

 

仏教における罪とは、戒律に反する行為や道理に反して禁断を犯したため

に苦の報いを招く悪行を指すようですが、その罪の根源には、身・口・意

の三業があるゆえ「罪業(ざいごう)」とも言われています。

 

つまり、仏教の罪の根柢には、業(カルマ)、すなわち、善または悪の業を

作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報いが生じるとされる

考え方があり、仏教の場合は、まず、このカルマとは何か、から始めなけ

ればなりません。よって、今回はそれに触れず、次の機会としたいと思い

ます。

 

今回は、キリスト教における罪、とりわけ、キリスト教の教理の一つとして

有名な原罪について紹介しながら、それに対する水波一郎氏の霊魂学の見解

を対置してみたいと思います。

 

さて、キリスト教は、ユダヤ教の影響のもとに、人類の始祖アダムの堕落

物語(創世記3章)を典拠として、すべての人間はアダムの罪を負い、

生まれながらにして罪のなかにあり、それから脱出する自由を自分では

持たないと説きます。

 

これがいわゆる原罪と言われるものですが、この原罪の観念はパウロや

アウグスチヌスなどによって強調され、そこからの救いは神の恩恵にのみ

によるとされたのです。

 

創世記には、次のように記されています。

 

<主なる神はその人(アダムのこと)に命じて言われた、「あなたは園の

どの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木から

は取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

>(創世記2章16-17)

 

<さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。

へびは女(のちにエバと名づけられる)に言った、「園にあるどの木からも

取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。女はへびに言った、

「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央

にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んで

はいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは

決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、

神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。>

(創世記3章1-5)

 

<女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには

好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えた

ので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることが

わかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。>(創世記

3章6-7)

 

<神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べる

なと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。人は答えた、

「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、

わたしは食べたのです」。そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、

なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだました

のです。それでわたしは食べました」。>(創世記3章11-13)>

 

<つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。

あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなた

を治めるであろう」。更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べ

るなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろ

われ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、

いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に

汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。

あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。>(創世記3章16-19)

 

このような神話、すなわち、神は楽園に人を住まわせ、そこにあるあらゆる

ものを食べてもよいとされたが、善悪を知る知識の木の実だけは食べては

いけないと言われた。しかし、蛇にそそのかされた女が善悪の知識の木の

実を食べ、女に勧められたアダムもその実を食べたため、神は怒り、アダム

とエバを楽園から追放した。その後、女は産みの苦しみを、男は労働の苦し

みを受けることになった、といった物語が、キリスト教における原罪の源泉

とされるのですが、我々は、この神話のストーリーをそのまま事実として

受け取ってよいのでしょうか?もし、そうでないとしたら、そこには、どの

ような寓意が込められているのでしょうか?

 

水波霊魂学を提唱される水波一郎氏は、神話とは、多くの物語と、一部の
霊感に
よる真実が混ざり合い、変形されて成立したものとされますが、
ここで、水波氏の著書
『神体』に依拠しながら、この神話が何を意味する
のかを考えてみたいと思います。

 

さて、『神体』によると、人類は、この地球が、いや、この物質世界が、

本当の故郷ではないということであり、本来は物質の肉体をまとった存在

ではなかったということです。

 

「至上の神は、先に人間を造られたのではなく、神々(神霊)を誕生させ

られた、そして、神々は上級の霊魂を誕生させられた。上級の霊魂は自分達

の生活する場所を与えられた。それが上級霊魂の住む世界である」とある

ように、最初に神々とその世界が生まれ、その次に上級の霊魂と上級霊魂の

世界が誕生したのであり、この頃は、人類はまだ影も形もなかったようなの

です。

 

「そして、(上級の)霊魂達は成長した。成長した霊魂達は、様々な組み

合わせが、それぞれの合意により誕生し、次々に新しい霊魂となって増えて

いった。やがて、霊魂としての成長は、まったく新しい生命体としての霊魂

を生むことを欲した。」「上級の霊魂達は新しい生命を誕生させたのである。」

 

「上級霊魂達が神霊に願うことによって、新しい世界が創造された。それが

新しい霊魂達が主として生活する世界となった幽質世界である。そして、

この世界こそは、今の人間が死後生活している、広範囲な霊魂の世界なの

である。」

 

ここでやっと、我々人間の真の故郷である「幽質世界」が誕生しますが、

この世界の生活は実に気ままであり、地上と異なり、食べる必要がない

ゆえ、働く必要もない、何もしなくても生きられる世界だったのです。

 

しかし、人間とは身勝手なもので、この新しい世界は自由すぎたために

飽きてしまったようなのです。

 

「この時、幽質という世界の霊魂達は、もっと新しい世界を求めた。彼ら

は物質を求めたのである。幽質界の霊魂達にとって物質は憧れであった。

物質は差別を生む。物質は一定の容姿を作り、生命を維持するための努力

が必要となる。彼らは物資を支配してみたいと考えたのである。」

 

つまり、人類の祖先である幽質の世界の霊魂達は、物質界に降りて、物質

の身体をまとうことを望んだのです。

 

しかし、上級の霊魂達はその考えを支持しなかったようです。上級霊魂達は

個性が大きかったため、彼ら(幽質界の霊魂達)の欲求が不幸を生むことを

察知していたのからです。

 

これに対して、幽質界の霊魂達は、至上の神の名において自由を主張する

権利があるとして、執拗に抗議したようです。

 

「ついに上級霊魂達に戦いを挑んだのである。これは霊魂の世界における

最初の戦いであり、自由のための戦いであった。」

 

もっとも、この戦いは地上の戦いとは異なり、それぞれの霊魂達が特に

組織を組むこともなく、自由に議論するといったものであったようです。

 

「両者はどこまでも並行線のままであった。しかし、霊魂の自由はいつも

強かった。そこで、神々は物質の世界を造られた。それまでの物質はただ

の物質といったものであり、とても霊魂の住みうる場所ではなかった。神々

の力により、物質界はついに生命の住みうる環境へと動き出したのである。」

 

要するに、幽質界の生活に飽きて、物資を支配したいと思った幽質界の霊魂

は至上の神が与えた「自由」という権限を楯に上級の霊魂達に議論による

戦いを挑んだのだが、その自由意思を無視できないために、神々は物質の

世界に、霊魂の住みうる環境を発生させられたということです。

 

なお、物質の世界には時間というものがあるが、最初の幽質の世界には物質

の世界でいうような時間というものはなかったようなのです。そのため、

幽質の世界では、多数の霊魂がまだ議論している程度の間に、物質の世界

では計るのが大変なほど長い時間が経過していたのであり、天体の誕生

から人類の誕生までは、地上の感覚では単位に困るほど長い時間であって

も、霊魂の世界は全く別の次元で働いていたということです。

 

かくして、「人間が物質を支配したいと欲し、物質の世界に降下した時、

人間は時間に縛られる存在となった。時間は物質界において力を持っていた

からである。地上に下りた人間は物質の身体をまとい、物質の食物を食べ、

労働し、睡眠する存在となった」ということです。

 

また、「実は、数万年、あるいは、それ以上前から存在したと言われる人類

と、今の人間とは、霊魂という次元において別の生命体である。過去に

おいて古い人類と呼ばれた生命体は、人類と呼ぶのかもしれないが、今の

魂の先祖ではない」とも述べられています。

 

こうして、人間はついに不自由という言葉を知ったのですが、最初は神々

を讃美したものの、しばらくすると不自由が嫌になり、再び自由を欲し、

もとの世界への移転を神々に真剣に祈ったということです。

 

しかし、神々は答えなかった、というより、物質の肉体を持った人間は、

もはや、もとの霊魂でなくなっていたのであり、その願いが神々には、

いや上級霊魂にすら届かなかったのです。

 

以上のことから、人類の始祖アダムとエバは、蛇にだまされて神から禁じ

られていた木の実を食べて楽園を追放された、そして苦しみを背負うよう

になった、という神話の意味するところは、蛇にだまされてではなく、

上級の霊魂の忠告を聞かず、自らの意思で幽質の世界という、食べなく

ても、働かなくてもよい楽園から出て、地上に降りた、つまり、物質の

世界に入り、肉の身体をまとったため、他の生命体の命を奪って食べなく

ては生きられない世界で生きることになり、労働の苦しみ、出産の苦しみを

背負うことになった、そして、追放されたのでなく、自ら神霊から離れて

しまうことになったということです。

 

なお、『神体』では、「人類は本当の意味で自由になれない。魂の奥の傷と、

大きな罪が消えていないからである。人間は罪人である。それは生まれた

時から決まっている。だからこそ、『罪を悔い改めよ』という宗教が誕生

するのである。禁断の木の実を食べて、楽園から出た魂の再生の結果が、

今、地上に生きる人達だからである」と述べられている箇所がありますが、

ここで言われている「罪」は、キリスト教でいう、いわゆる「原罪」とは

異なっているように思われます。

 

つまり、「罪」といっても、キリスト教などのように、「罰」や「裁き」

による苦しみといったものが想定されているのではなくて、「カルマ」、

「再生」といったものと関わっていて、自らの自由意思による過ちが招い

た苦悩という関係になっていると思われます。よって、「罪」というより

も「根源的な過ち」といった印象であり、単に悔い改めるのみならず、神々

の助力を願い、自らがその霊的カルマを克服し、霊的な進歩向上への道を

歩まなければならないということを意味しているように思われます。

 




 
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悪人正機-親鸞からの手紙 2-


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親鸞からの手紙を読み解く  
 
 
 前回は、「親鸞からの手紙」の中から、特に「善鸞事件」、つまり、息子

である善鸞の義絶に関わる手紙について紹介してきましたが、そのことの

発端を探ってゆくと、それは、親鸞が唱えた、「善人なをもて往生をとぐ、

いはんや悪人をや(善人ですら極楽浄土に行くことができる、まして悪人

は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか)」という「悪人正機説」のもつ

逆説的な表現とそれに対する誤解、曲解から始まっているように思われ

ます。

 

よって、善鸞の義絶にいたるまで、いったい、どのような経緯があったの

かということが大変気になるところですので、今回は、そのあたりを追っ

てみたいと思います。

 

さて、親鸞が専修念仏の弾圧によって、京都から越後に流刑の身となった

のは、1207年、35歳の時とされます。それから5年を経て、赦免と

なり、しばらくして、親鸞は関東におもむいたのです。そして、今の茨城

県を中心に20年間、専修念仏を広めた後、京都に戻ったのですが、その

間において、関東における親鸞の信者(門徒)の数は、3千人余にのぼった

ということです。

 

その「門徒」の中心を形成していたのは、法然の場合と同じように、武士

階級に属する人々であったようですが、全体としては、農民、商人、猟師

や漁師など、直接生産に関わる人々が多かったとされます。

 

よって、これらの人々の中には、「悪」に対して親鸞の意図するところと

は異なる認識をしていた人が少なからずいたようなのです。

 

もっとも、<悪人こそが、阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である>

という「悪人正機説」は、親鸞の独創ではなく、親鸞の師である法然の教え

であるとされており、法然の時代から、仏の教えに背く「悪人」であっても、

いや、そのような「悪人」であるからこそ浄土に迎えて仏とするという阿弥陀

仏の約束(誓願)を逆手に取って、わざと悪行を重ねる人々がいたようです。

 

そういう人々のふるまいを、当時の人々は「造悪無碍(ぞうあくむげ)」

(どんなに悪いことを重ねても往生の障りとはならない、の意味)と呼んだ

のですが、そういう積極的に悪行を肯定する「造悪無碍」派が台頭すると、

その反動として、悪行をやめ、善いことを実践しないと浄土への往生は

難しい、という道徳を優先する「賢善精進(けんぜんしょうじん)」派が

生まれてきます。いずれにしても、誤った考えが蔓延してゆく結果になる

のですが、親鸞が教えを広めた関東においても、そういった兆候が顕著に

なってきたようなのです。

 

なお、親鸞と法然の「悪人正機」に対する考え方の違いについて、梅原猛

氏は、『歎異抄』の解説の中で次のように述べています。

 

法然も同じようなことを言っているとしながらも、<法然が「善人なを

もて」といっても、人はそこに悪人は見ない。しかし、親鸞の場合は違う。

親鸞が「善人なをもて」というとき、彼は悪人としての自分の救いのことを

いっているのであり、人もまた、親鸞が自分の救いのことをいっているのだ

と思う理由があるのである。親鸞は何よりも肉食妻帯の僧であった。肉食

妻帯ということは、釈迦以来最大の悪とされてきたことであった。その悪を

みずから進んで破ろうとする僧侶、そういう僧侶がどうして悪人でなかろう

かと、親鸞自身思ったに違いない。しかも、そのような悪人が救われる教え

こそ他力念仏の教え。親鸞は、おのれが悪人であるという自覚を深めれば深

めるほど、熱烈な他力念仏の教えの信者になっていったのである。それゆえ、

悪の自覚は、親鸞においては法然においてよりいっそう深まっている。>

 

また、戦乱の世の中、多くの殺生の体験を持つ東国(関東)の生活人は、

悪の現実的な体験において、親鸞よりいっそう深いものがあったに違い

ないとも述べています。

 

さて、まず、最初に紹介する手紙(常陸の同行宛?)には、次のように

記されています。

 

「煩悩をそなえた身だからといって、心のおもむくままに好きなように、

身にもしてはならないことを許し、口にもいってはならないことを許し、

心にも思ってはならないことを許し、心のままにどんなあり方でもよい

のだ、とたがいに言っておられることこそ、かえすがえす心が痛みます。

酔いも醒めぬ先に、なおも酒をすすめ、毒も消えやらないうちにますます

毒をすすめるようなものです。「毒があるから毒を好め」というのは、

あってはならないことだと思います。阿弥陀仏の御名を聞き、念仏を申して

久しくなっておられる人々は、この世の悪いことを避けるしるし、また、

わが身の悪事を避けて捨てようとお考えになるしるしもあるべきだと

思われます。」

 

「はじめて阿弥陀仏の誓いを聞き始められた人々が、わが身の悪く、心の

悪いことを思い知って、この身のようなことではどうして浄土に生まれる

ことができようか、という人こそ、煩悩から逃れることができない身で

あるから、心の善悪を問題とせず、阿弥陀仏は浄土に迎えてくださるのだ、

と説かれるのです。」「深く阿弥陀仏の誓いを信じ、阿弥陀仏の名を好んで

称える人は、以前こそ、心のままに悪いことを思い、悪いことを行ったり

してきたが、今は、そのような心を捨てようとたがいに思われるならば、

それこそ、世を厭うしるしになると申せましょう。」

 

この手紙では、親鸞は、煩悩を言い分けの口実にして、心を任せて悪行に

走るのは、あたかも阿弥陀仏の本願という薬があるからといって、毒を好む

に似る、として批判しています。もっとも、親鸞自らは、「造悪無碍」と

いう言葉は使用せず、「放逸無漸(ほういつむざん)」(好き勝手をしながら

他に恥じないこと)という言葉を使っているようです。

 

また、「世を厭うしるし」とは、厭世的なものではなく、世間的価値観から

解放された、積極的な仏教徒としての生き方の表れを指すようです。

 

「いずれにせよ、「造悪無碍」と「賢善精進」との相克こそ、親鸞からの

手紙が書かれねばならなかった、大きな動機なのである。この手紙は、

その序といえる」と『親鸞からの手紙』の著者阿満利麿氏は述べています。

 

さて、親鸞は、専修念仏がそのような自己流に陥らないように、関東の同朋

に対し、彼が法然門下のなかでもとりわけ尊敬をしていた聖覚の「唯信抄」

や降覚の「自力他力事」を書写して送っているのですが、事態は好転しな

かったようです。

 

そこで、次のような手紙(宛先不明)が出されることになります。

 

「経典や注釈書に説かれている教えをも知らず、また、浄土宗の教えの極み

も知らずに、考えられないような放縦と罪悪を恥じることもない人々のなか

に、「悪は思う存分に行うのがよい」と、なによりも強調しておっしゃって

いることこそ、ほんとうに言語道断のことです。」

 

「煩悩に狂わされて、思いもかけず、してはならないことをし、いっては

ならないことを口にし、思ってはならないことを想うものなのです。往生

に差し支えがないからといって、人に対して腹黒く、してはならないこと

をなし、いってはならないことを口にするのであれば、煩悩に狂わされた

のではなく、故意にしていることであり、それはけっしてあってはなら

ないことです。」

 

「鹿島や行方の人々の悪いことを注意して、そのあたりの人々の、とくに

間違ったことを制止してくださればこそ、私のもとからそちらへ出向いて

くださったしるしとなるのではないでしょうか。」

 

ここでも、親鸞は、悪行を積極的に行なうのがよいとする風潮を戒め、

「煩悩に狂わされて」する行為と、「故意」にする行為とを区別せよ、と

諭しています。しかし、この区別は、いうほど簡単ではなく、突きつめて

いくと、どちらも「宿業(しゅくごう)」のなせるところだということに

なり、難しい問題を孕んでいるようです。

 

阿満氏は、この区別について、「この私は阿弥陀仏の誓願によって救われ

ようとしているのか、あるいは、私の行為を正当化するために阿弥陀仏の

誓願をもちだしているのか、という違いに気づくかどうか、だ」と述べて

います。

 

とにかく、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉を

親鸞の意図どおりに理解することは大変難しいことであったということ

は確かなようです。

 

なお、この手紙には、「私のもとからそちらへ出向いてくださったしるし」

とありますが、それが親鸞の息子・善鸞を指すかどうかは断言できないもの

の、「造悪無碍」の風潮を正すために京都の親鸞から派遣された、あるいは

そのメッセージを託された人がいたということを表しています。

 

さて、善鸞が関東の念仏者の誤った風潮を正し、幕府との軋轢を解決する

ために京都か派遣されて3年ほどたった頃から、徐々に親鸞の善鸞に対する

不審の念が頭をもたげてきます。

 

次のような手紙(善信房善鸞宛)があります。

 

「信願房がいうには、凡夫のならいで、悪が本当の姿なのだから、思って

はならないことを好み、身にもしてはならないことをし、口にも言っては

ならないことを言ってもよいのだ、と申しているそうですが、それこそ、

信願房の言いようとは思えません。往生に支障がないからといって、間違

ったことを好んでよいとは、お話したこともありません。何度考えても、

理解できません。」

 

「入信坊、真浄坊、法信坊にも、この手紙を読み聞かせてください。本当

にお気の毒なことです。性信坊には、春、上京されたときによくよく話し

ました。久下(?)殿にも、十分礼を申しのべてください。この人々が

間違ったことを互いに言っておられるとしても、道理まで見失っておら

れるのではないと思います。世間にもそういうことがあります。荘園の

所有者や幕府の役人たち、名主たちが間違ったことをするかといって、

農民たちが動揺することは絶対にないのです。」

 

「仏法を破る人はいません。仏法者が仏法を破る譬えとしてあるのは、

「獅子の身中の虫の獅子を食らうがごとし」ですから、念仏を仏法者

(旧来の仏教徒)が破り、妨げるのです。十分にご理解ください。」

 

この手紙では、親鸞の信頼の厚かった信願房について、信じられないよう

なことを善鸞が伝えてきたことに対して、親鸞の不審の念がいっそう募っ

てきたことがわかります。

 

善鸞は、信願房が「凡夫の本性は悪にあるのだから、何をしてもよいのだ」

という趣旨のことを言いふらしている、と親鸞に告げてきたようですが、

それに対して、親鸞は、そうした言動は信願房のものとはとても考えられ

ないとし、たとえ、間違ったことを言っているとしても、道理まで失って

いるとはとても思えない、と擁護しています。

 

そして、百姓への深い信頼感を示す一方で、念仏者の名を騙る似非念仏者

がいるのではないか、と案じています。

 

もっとも、この段階では、その「獅子身中の虫」が、まさか自身の息子で

あるとは知らなかったのです。

 

一方、善鸞の方は、父を裏切り、裏で自分の思うように関東の同胞たちを

組織しようとしていったようで、その結果、従来の教えから離れ、善鸞に

同調する人々が現れたという手紙を親鸞に送っていますが、それに対する

返事の手紙は次のようなものです。

 

「田舎の人々が、みな多年、念仏したことは無駄なことであったといって、

あちらでもこちらでも、人々がいろいろに申す事こそ、何度考えても、気持

ちの痛むことですが、耳に入ってきます。(この人々は)さまざまな書物を

写してもっているのに、それをどのように読んでいるのでしょうか。本当に、

様子がはっきり分かりません。」

 

「慈信坊(善鸞)が関東に下り、自分が父・親鸞から聞いた教えこそが

まことであり、今までの念仏はみな無意味なことだというので、大部の

中太郎のところに集まる人々は、90人とか聞きますが、みな慈信坊の

同調者となって、中太郎入道を捨てたとか聞いています。どういうわけで、

そのようなことになっているのですか。」

 

「(そうした評判につけても、慈信坊よ)どのように念仏の教えを説いて

おられるのですか。想像もできないことを耳にしますことこそ、気の毒に

思います。十分に事情を通知してください。」

 

ここでは、まだ、裏切られたとは思っていないようですが、善鸞に対する

不審感は頂点に達しているように思われます。しかし、親鸞から教えられて

きた念仏の教えは間違いだったという人も少なくない、さらに親鸞が書写し

て送った聖典類を放棄する人もいる、ということを聞くことになった親鸞に

とっては、人のことをとやかくいう段階ではなく、親鸞自身が今までどの

ような念仏を広めてきたのか、を省みざるをえない状況にいたっており、

落胆と悲痛の思いの方が強いように思われます。

 

しかし、しばらくして、とうとう善鸞の策謀を知る時がきます。一ヵ月ほど

後の手紙(真淨房宛)は、次のように記されています。

 

「念仏が理由になって、住みにくくなっておられると聞いています。本当に、

お気の毒です。」「慈信坊(善鸞)がさまざまに申すことによって、人々も、

御心がさまざまにおなりになった由、うけたまわりました。本当に気持ち

の痛むことです。ともかくも、仏の御はからいにおまかせすべきことです。」

 

「慈信坊が申しましたことを信頼しておられるようですが、私からは、念仏

者以外の人(領家・地主・名主)を強力な頼りとして念仏を広めよ、とは

決して申したことはありません。大変まちがったことであります。」

 

「この世によくあることですが、念仏を妨げようとすることは、かねて仏が

説き聞かせておられることですから、驚かれることはありません。慈信坊が

さまざまに申すことを、わたしから申していることだと理解されることは、

絶対にありませんように。教えのことも、思いもよらないふうに申しており

ます。お耳にお聞きいれなりませんように。ひどく間違ったことどもが伝わ

っています。いたましいことです。」

 

「奥郡の人々が、慈信坊にだまされて、信心もみな互いに動揺しておられる

こと、本当に、しみじみ悲しく思われます。私も人々をだましたように聞こ

えてくること、本当に、なさけなく思われます。それも、日ごろ、人々の

信心が定まっていなかったことがあらわれて聞こえてきたのです。本当に、

気の毒なことです。」

 

この手紙の内容から、親鸞は、はじめて関東の同朋の動揺が、善鸞による

ものであることを知ったということがわかります。善鸞が時の権力者と

手を握っていることや、善鸞が「奥郡」の人々をだましていることも

知ったと思われます。

 

それは、大変な驚きであったと思われますが、それよりも、善鸞の説教に

よって、今まで親鸞が説いてきた信心がひとたまりもなく動揺し、崩壊した

という事実に遭遇したことが大きなショックであったようです。

梅原猛氏は、「私はこのわが子善鸞への義絶状を読みながら、九十近い
親鸞に訪れた深い悲しみを思うのである。これは見方によれば、親鸞の
甘さが丸出しになった事件であるともいえる。肉食妻帯の罪は意外な所

で晩年の親鸞を苦しめたのである。わが子への愛があわや彼の積年の
努力を一挙に粉砕しようとさえしていたのである。」と述べています。


しかし、親鸞は、前回で紹介したように、深い悲しみのなか、はっきりと

善鸞との親子の縁を断絶します。そして親鸞はやがてこの絶望状態から脱し、

自らの信心を問い直し、現実の暮らしのなかで、念仏がまぎれもなく暮らし

の立脚点となる道筋を明らかにしてゆくのです。

 

 
 
 
 
 
 
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善鸞義絶-親鸞からの手紙 1-


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親鸞からの手紙 




吉本隆明氏は、『最後の親鸞』の中で、「親鸞自身の著述よりも、親鸞が

弟子に告げた言葉に一種の思い入れみたいにこめられた思想から、最後

の親鸞が見つかるはずなのだ。すると、やはりだれもがよいとみなす

『歎異鈔』や『末燈鈔』(親鸞の手紙を編さんしたもの)などを入念に

たどるほかはない。」と記しています。

 

『歎異鈔』については、以前に紹介しましたので、今回は、阿満利麿氏

の『親鸞からの手紙』を取り上げ、親鸞の奥深い思いのひだのような

ものに触れてみたいと思います。

 

さて、親鸞の手紙は、現在、42通残されているということです。その

うち真筆は11通で、ほかは書写されたものです。なお、形式的には、

手紙の原型を保っているものと、「消息集」として編さんされたものが

あります。

 

「消息集」というのは、『末灯抄(末燈鈔)』、『御消息(広本、略本)』、

『血脈文集』、『御消息集(善性本)』、『御書』であり、それぞれに

編さんの意図があり、また、編さんの時期も異なるということです。

 

手紙のなかで、年号が分かるもののうち、早いものは、1243(寛元

元)年12月21日で、親鸞71歳(数え年)のもの、最後の手紙は

1260年(文応元)年11月13日で、親鸞88歳のものです。

 

親鸞の年齢でいうと、手紙の大部分は80歳代のもので、手紙の宛先の

多くは、関東の門弟であり、個人宛もあれば、集団に宛てたものもあり、

回覧を希望しているものも少なくないということです。

 

このように、残された手紙は晩年に集中しているが、その理由の一つは、

いわゆる「善鸞事件」というものが関わっているようです。この事件とは、

親鸞の息子である慈信房善鸞が、関東の門弟たちの間で生じていた、専修

念仏の教えとは異なる風潮を教戒するために、親鸞の命を受けて関東に下

るが、かえって、親鸞の教えと反する言動をとり、さらに、関東の門弟

たちを新たに支配しようとする意図さえあらわにして、有力な門弟を時の

幕府に訴えたりし、念仏者の間に混乱と相互離反を招くことになったと

いうものです。

 

では、まず、このことに関して、親鸞から慈信房善鸞へ宛てた絶縁の手紙

から紹介したいと思います。

 

「仰せになったこと、くわしく聞きました。なによりも、哀愍房(あいみん

ぼう)とかいう人が、私からの手紙を入手したとかいっていること、まこと

に不思議に思います。今までに一度も姿を見たこともなく、手紙を一度も

もらったことがありません。私からその人に申すべきこともないのに、

私から手紙を得たといっているのは、あきれたことです。」

 

「また、慈信房(善鸞のこと)が教えている内容は、教義の上でもその名

を聞いたこともなく、知らないことです。それを慈信一人に、夜中(ひそ

かに)、親鸞が教えたのだと、慈信房が人々に言いふらしたために、親鸞

に対しても、常陸(ひたち)や下野(しもつけ)の人々はみな、親鸞が

嘘をついた、と言い合っておられるので、今となれば、父と子の関係を

断ちます。」

 

「また、母の尼に対しても、考えられないような嘘を言いふらし、言葉も

ありません。もってのほかのことです。その手紙(慈信から壬生の女房へ

手紙のこと)には、…継母に言い惑わされたと書かれているのは、とり

わけ情けない嘘です。そのときは(慈信と母が)一緒に暮らしていたにも

かかわらず、「継母」の尼が言い惑わしたのだ、というのは、驚きあきれる

嘘です。」「このような嘘どもを言って、六波羅の探題あたり、また、鎌倉

幕府などに申告したことは、悲しいことです。」

 

「これらの嘘は、俗世にかかわることですからどうでもいいことです。

それでも、嘘を言うことは不快なことです。ましてや、極楽へ往生する

という大切なことを言い惑わして、常陸や下野の念仏者を惑わせ、親に

も嘘を言いつけたことは悲しいことです。第十八願を、萎(しぼ)んだ

花にたとえて、人ごとに捨てさせたと聞こえてくること、まことに仏法を

謗(そし)る咎(とが)であり、また、五逆の罪を好んで犯し、人を損

ない惑わされたこと、悲しいことです。ことに、信心の仲間の和を破る

ことは、五逆の罪の一つです。親鸞に嘘を言いつけたことは、父を殺す

ことです。五逆のなかのひとつです。」

 

「このようなことどもを伝え聞くことは、嘆かわしいこと、言葉もあり

ませんので、今は、親ということはありませんし、子と思うこと、思い

切ってしまいました。(このことを)仏・法・僧の三宝と仏法擁護の神々

に、はっきりと申し切りました。悲しいことです。」

 

以上の内容ですが、さて、まず、親鸞が息子の善鸞との親子の縁を切る

とまで記した理由に何かということです。

 

手紙からは、善鸞がいろいろな嘘をついていたということが伺われますが、

親鸞は、「俗世にかかわることですからどうでもいいことです」と記して

います。

 

それよりも、「第十八願を萎んだ花」にたとえるとか、教えを夜中にひそか

に善鸞唯一人に伝授したとか、関東の念仏者を誹謗したことは、明らかに

法然によって伝えられた仏教を歪曲、誹謗、否定しているということであり、

このことは、真実の教えのために生涯をかけてきた親鸞にとって、耐え

難いことであったようです。

 

阿満利麿氏は、「手紙の文面に即するかぎり、法然によって開示された本願

念仏の真実が否定された、という一点が最大の理由ではないだろうか」と

述べています。

 

なお、この手紙は弟子の顕智という人の筆写であり、親鸞の真筆ではない

ため、偽作であるという説も一部あったようですが、阿満氏は、偽作では

ないとしています。

 

また、手紙のなかに「継母に言い惑わされた」ありますが、この文面から、

善鸞は恵信尼の実子ではなかったのではないかという推測がなされたり

しているようです。

 

恵信尼の残した書簡を除いて、親鸞の結婚に関する資料はない以上、すべて

が推測の域を出ないが、現在の研究では善鸞は親鸞と恵信尼の間に生まれた

子であり、「継母」は善鸞の虚言と見るのが妥当のようです。

 

いったい善鸞は何を手にいれようとしていたのかは分かりませんが、「この

ようなことどもを伝え聞くことは、嘆かわしいこと、言葉もありません」

とあるように、84歳になってわが子を義絶しなければならなかった親鸞

の深い悲しみが伝わってくるように思います。

 

しかし、親鸞は、この悲しみを内省への深まりに転化し、さらに、『正像

末和讃』や「唯信抄文意」、「一念他念文意」などのあらたな著述に励む

ことになるようです。

 

「この悲劇を契機として、親鸞の思索はまた展開するのであり、最後の

光芒を放つことになる。その意味では、義絶は個人的には深い悲しみを

もたらしたが、本願念仏思想の発展の上からは、貴重な深まりをもたらす

ことになった。」と阿満利麿氏は、述べています。

 

さて、善鸞義絶の手紙は、もう一通あって、それは性信房宛てになって

います。性信房は、親鸞が最も信頼を置いていた門弟ですが、「慈信(善

鸞)に関しては、親鸞の子どもであるという関係をきっぱりとあきらめ

ます」と善鸞義絶の意思を記すとともに、善鸞の画策にやすやすと

乗って信心を捨て、離反していった常陸・下野の同胞に対する嘆きと

悲しみが綴られています。

 

また、先の手紙にも登場した哀愍房について激しく批判していて、彼が

書いたという「唯信抄」の内容があまりにもひどいので「焼き捨てよ」

とまで記しています。

 

なお、善鸞の画策と時期を同じくして、この哀愍房というような人物が

登場したのは、<関東の同胞の組織が、その支配をめぐる争いを引き起

こすほどに、一種の魅力をそなえるまでに成長していたということでは

ないか>と阿満氏は述べています。

 

しかし、問題はそれだけにとどまらなかったと阿満氏は言います。善鸞も

哀愍房も、親鸞の権威によって同胞たちの新たな支配をたくらんだので

あり、このような親鸞の権威の利用の背後にある「人師」崇拝(専修念仏

の教えより親鸞そのものが崇敬されること)の悪弊、これこそが、親鸞の

もっとも恐れていた同朋集団の陥穽(落とし穴)ではなかったのかと言う

のです。

 

<宗教において、もっとも恐るべきは、このような「人師」崇拝であり、

本願念仏は、そうした「人師」崇拝から自由になる数少ない教えである

にもかかわらず、そのなかから、のちには親鸞の血統を法主とする教団が

生まれてくる。皮肉といえば、これほどの皮肉はないであろう>と阿満氏

は述べています。

 

なお、悲痛な文章が綴られている中で、受け取り手である性信が書いた

「真宗聞書」という一書について、それは「私が申していることと違い

ません」と述べ、親鸞の喜びが表現されています。

 

性信は、先にも述べたように親鸞がもっとも信頼していた門弟で、下総

横曽根門徒のリーダーであり、親鸞のもっとも早い時期の門弟であると

言われています。よって、現存する手紙の宛先は、この性信宛がもっとも

多いようで、のちに、それらを集めて「血脈文集」という消息集が編さん

されます。

 

「血脈」とは血統ではなく「法脈」のことで、法の正統な伝承を示す言葉

ですが、そのような消息集が編まれたということは、親鸞滅後、専修寺や

本願寺が教団として勢力をもつようになってくることに対抗して、性信を

開祖とする坂東法恩寺に結集した同胞が、法然・親鸞・性信という法脈

こそがもっとも正統であることを示すためであったと推測されている

ようです。

 

「それにしても、善鸞の策動以来、同朋たちの離反を目の前にして悲嘆に

陥っていた親鸞にとって、性信の存在は勇気を与えてくれたにちがいない」

と阿満氏は述べています。

 

 

 
 
 
 
 
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「スピリチュアリズムの到達点と限界」(下)


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故郷へ帰る道



今回は、心霊研究と決別し、大衆化へと向かったスピリチュアリズムは、

どういう変化を遂げていったかを、シルバー・バーチとホワイト・イーグル

に焦点を当てて見てゆきたいと思います。

 

どちらも、アメリカ先住民の名を名乗り、1920年頃から1960~80

年頃に活動しており、お互いを同志のように考えていて、基本的に主張も

一致するところが多いとされます。

 

ホワイト・イーグルの方は、どちらかというと、内容がより抽象的ですので、

より大量の通信を世に送り出し、多様な領域についてより具体的に語って

いるシルバー・バーチの主張を見てゆきたいと思います。

 

とは言っても、厖大な通信量で、非常に多岐にわたりますので、その特徴

が簡潔にまとめられている「スピリチュアリズム普及会」の公式ホーム

ページに依りながら、ごく基本的なところを紹介してみたいと思います。

 

そこでは、「シルバー・バーチの霊訓」は、次のような意義、特色がある

としています。

 

<世界三大霊訓の一つである>

 

アラン・カルデックの『霊の書』(「再生」を全面的に押し出し、「再生論」

を思想の軸としてすべての霊的知識を体系化している)と、ステイトン

・モーゼスの『霊訓』(キリスト教的世界観との対決、霊界から示された

「霊的真理」を地上で最強の勢力を誇るキリスト教にぶつけ、理論闘争

を展開するという形を取っている)を最終的に統合し、さらに深化を図っ

たものが「シルバー・バーチの霊訓」であり、最も優れた通信である。

 

つまり、長い間、決着がつかなかった英国系スピリチュアリズム(再生を

否定)と仏国系スピリチュアリズム(再生を肯定)の分裂を統合させた。

 

<イエスを中心とする地球圏霊界の高級霊が結集して、計画的に進めて

いる「地球人類救済プロジェクト」である>

 

霊的無知は、“物質至上主義”と“エゴイズム”を発生させた。イエスを

はじめとする何百億という高級霊によって、地上世界に「霊的真理」を

もたらすための計画が立てられた。心霊現象の演出と心霊研究という形で

始められることになった。「心霊現象」はどこまでも「霊界通信」の前座と

して演出されたもの。「霊界通信」によって、地上人の救いのために最も

重要な「霊的真理・霊的知識」をもたらすことが、イエスを中心とする

霊界の大霊団の戦略だった。シルバー・バーチは大霊団の代弁者であり、

自らも「大霊団のマウスピースである」と述べている。それは、まさに

人類史上最高の霊界通信であり、他の霊界通信とは比較にならないもの

である。『シルバー・バーチの霊訓』は、地上のスピリチュアリズムに

正しいスタンダード(基準)を示すという使命を担って登場した。これに

よって地球上のスピリチュアリズムは新しい時代を迎えようとしている。

 

<スピリチュアリズム思想の集大成であり、地球上の宗教思想の最高峰で

あり、人類史上最高の啓示・地球人類共通のバイブルである>

 

シルバー・バーチは、イエスが主宰する大審議会への出席を許され、特別

な使命を与えられ、直接イエスと会話できる存在。地上に再生する必要が

ない段階にまで進化した立場から通信を送ってきた。その結果、スピリチュ

アル運動の勝利宣言、地球人類救済計画の成功宣言となる。

 

「霊釧」は、霊的知識に基づく生き方の、具体的な手本を示してくれる。

結論的には、利他的生き方・摂理にそった生き方に心がけ、真実の愛を

実践することとなる。

 

霊媒現象に付きまとう「霊媒の潜在意識の混入」という厄介な問題も克服

し、100パーセント純粋な最高次元の霊界通信が実現することになった。

 

スピリチュアリズムは、霊界で共通に行われている「神への信仰」を、

地上世界に展開しようとする計画である。地球人類が「霊的事実」に

立った“真の祈り”を知ることができるようになった。

 

さて、以上のようにシルバー・バーチが主張していることは、新しい時代

の宗教教義の宣布ということのようですから、これらは、最終的には、

検証できないことであり、信じるか、信じないかの問題、つまり、信仰の

問題ということになるかもしれません。しかし、心霊研究における科学的、

理性的な探究という歴史的な流れを継承しているという以上、できるかぎり

客観的な見地に立つことが必要ですが、果してそうなっているかどうか、

冷静に眺め、いくつか疑問点を述べておきたいと思います。

 

まず、シルバー・バーチの霊界通信は、ステイトン・モーゼスやアラン・

カルデック、そしてマイヤーズなど、それまでのスピリチュアル思想の

最終的な統合であり、集大成であるとしていますが、まとめではあって

も、特に新たな視点、新しい発見というものが見られないように思われ

ますが、どうでしょうか?

 

かつて、心霊研究と向き合ってしていたころの緊張感が希薄で、新たな

真実の探求へのひたむきさが欠けているように思われます。教義化の

方向性ばかりが目立つのです。

 

シルバー・バーチが特にその独創性を強調する「再生論」についてみても、

アラン・カルデックの再生説やマイヤーズ霊の類魂説がそのベースになって

いるように思われますし、パーソナリティー(人格性)とインディビジュ

アリティーの概念も、人格の死滅と個体性の不滅として従来から存在した

もので、折衷論を越えていないように思われますが、どうでしょうか?

 

そして、<イエスを中心とする地球圏霊界の高級霊が結集して、計画的に

進めている「地球人類救済プロジェクト」である>という記述については、

さらに大きな疑問があります。

 

先に紹介した、「世界大戦の頃、イエスは、霊魂通信により、霊魂の実在と、

霊魂からのメッセージをこの世に示すという仕事を終えて、次の仕事に

取り掛かった」という水波氏の『霊魂イエス』の記述とは矛盾するからです。

 

『霊魂イエス』によると、シルバー・バーチが登場したときは、まさに、

イエス師と霊魂団が、西洋の未熟な霊媒では、より高貴な真実を世に示す

ことができないとして、この事業から撤退していった時期であったのです。

 

どちらに信憑性があるかは、立証できないことですが、<東洋のような霊的

修行の伝統のない西洋の霊媒では、高級な霊魂からの通信を受け取ることは

難しい、霊的な真実が表現されることは少ない>という先の水波氏の発言や、

少し前に紹介した浅野和三郎氏の「今日まで八十年の心霊研究で、かなり

すぐれた霊媒を出ていないこともないのですが、神界はおろか、霊界との

直接交渉さえも、きわめてまれにしか成立していないというのが公平な観察

です」と述べているところからも、シルバー・バーチが、イエスが主宰する

大審議会への出席を許され、特別な使命を与えられ、直接イエスと会話でき

るほどの存在であるというのは、霊的世界の法則を無視していて、納得が

ゆかないところです。

 

そもそも、シルバー・バーチは、死後の世界は、階層はあるが一つである

という見解を示しているように見受けられますが、ここに問題があるように

思われます。つまり、シルバー・バーチは、幽質の世界しか感知し得ず、

それ以上の異質で高貴な世界との接点がなかったことを示しているのでは

ないでしょうか?

 

水波霊魂学では、三つの霊的世界(幽質界・霊質界・神界)があるとされ

ています。そして、イエス師は、現在、幽質界を越えて「霊質の世界」に

おられるということであり、幽界やその上層の霊界(霊魂学では、いずれ

も、幽質の世界)の霊魂がイエス師と一堂に会するということは不可能な

はずなのです。

 

さて、シルバー・バーチのことばかり述べてきて、ホワイト・イーグルに

については触れられませんでしたから、後の機会に述べるとして、少しだけ

触れておきたいと思います。

 

スピリチュアリズム普及会のHPでは次のように述べられています。

 

「シルバー・バーチは、ホワイト・イーグルを同志と呼んでいますから、

“通信霊”としては高級であることは間違いないと思われますが、「霊界

通信」として見たときに純粋なものとは言えません。」「霊界通信の純度

という観点からすると、ホワイト・イーグルの霊界通信には多くの問題点

があります。「霊媒の潜在意識の混入」が随所に見られます。キリスト教

の影響、神智学の影響が濃厚に見られ、通信内容の純粋さという点で

大きな疑問符が付きます。」

 

確かに、少し読んでみて、神智学等の神秘主義思想というものの影響が

見られるということは言い得るように思いますが、同志としている以上、

基本的な思想は、それほど違わないように思えます。

通信の送り手であるホワイト・イーグルにではなく、霊媒のグレース・
クックに問題があるということでしょうか?

 

それより、「霊媒の潜在意識の混入」ということを問題視していますが、

潜在意識の完全なる排除ということは、完全に霊媒の意識を占有すると

いうことであり、霊魂学によると、それは、非常に危険なため、まず、

高級霊魂が行わない方法であるとされていますが、そのあたりは、どう

考えているのでしょうか?

 

とにかく、シルバー・バーチもホワイト・イーグルも、共に霊的な成長の

ためとして、愛に基づく利他的な行為、生き方を説いていますが、特にシル

バー・バーチの場合、単なる表面の心の成長ではない、幽体や霊体などの

霊的な身体とその意識を共に成長、進歩させる技法、霊的トレーニング法に

ついて語っていないことが気になるところです。

 

なお、ホワイト・イーグルの場合は、瞑想、或いはヒーリングについて

語っているようですが、それは、神智学等の影響の問題と関連して考える

必要があると思われますから、後の機会としたいと思います。

 

以上、1930年以降のスピリチュアリズムの代表的な存在の主張について

大雑把に見てきましたが、それらは、1960~80年あたりで終わって

います。

 

では、それ以後、霊的世界の状況はどうなっているのでしょうか?

 

霊魂学によると、ここ数十年で、物質世界、つまり現世も大きく変化しま

したが、霊的な状況も大きく変化したようです。たとえば、守護霊の問題

ですが、今では、守護霊は存在するものの、ほとんどの人は、守護霊との

接点が切れているようなのです。

 

また、以前は、一般の人が、死後、通常行くとされていた、天国でもなく、

地獄のようでもない普通の世界には行けず、下層の世界に落ちて苦しみ、

その結果、地上に舞い戻って、様々な問題を引き起こしているという

ことです。

 

スピリチュアリスト、そして、死後の世界と霊魂の実在を信じる人は、時代

にそぐわなくなってしまった「霊界通信」の教義をただ信じて安堵するので

はなく、霊的世界の厳しい現実を直視するときに来ているのではないかと

思います。

 






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「スピリチュアリズムの到達点と限界」(上)


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シルバー・バーチの教え  



以前に、スピリチュアリズムは、第一次世界大戦をピークに黄金期を迎え、

その後、退潮期に入っていったと記しましたが、完全に衰退してしまった

わけではありません。


 しかし、
大きく変化して行ったこと確かなようです。もはや、貴族や上流

階級や一握りの学者研究家のものではなくなって行ったのです。心霊治療

の流行や、戦争の犠牲者の家族が霊媒を通じて戦(病)死した肉親や友人

とコンタクトをとる、いうことに象徴されるように、その実用性が世間で

評価され、重宝がられるようになるにつれて、スピリチュアリズムは

大衆化してゆき、そして、心霊研究からは遠ざかって行ったのです。

1930年頃を境に心霊研究とスピリチュアリズムは完全に別々の道を

歩むことになるのです。

 

「スピリチュアリズムの宣教師」と呼ばれた、シャーロックホームズ物語

の作者でスピリチュアリストのコナン・ドイルがSPR(心霊研究協会)

との縁を切ったあと亡くなったのが1930年ですが、それと入れ替わる

ように活動を始めたのが、モーリス・バーバネルのシルバー・バーチで

あり、グレース・クックのホワイト・イーグルだったのです。

 

前回、紹介した『近代スピリチュアリズムの歴史』の中で、三浦清宏氏は、

「1930年代を境として舞台ははっきりと回った」として、次のように

記しています。

 

<なぜ19世紀末の短い期間に彼ら(霊媒)が集中して現れたのか、

まったく不思議である。これは単なる流行というようなものではない。

霊能は、いったいどういう文化的蓄積が花開いたものなのだろうか。

むしろ文化的蓄積のないところから突然出現するのが霊能である。

人間が作る文化や社会とは関係なく現れるものなのである。>

 

よって、その理由については、「霊媒の時代が出現したのは、スピリチュ

アリストたちが言うように、宇宙を統一する知性が人類に真理を告げよう

として始めたためなのか(始めたのはいいが、人間たちがあまりに頑迷

なので、一時中止して次の機会を待っているとも言われるが)、それとも、

カール・ユングの言う「共時性」という宇宙意識の潜在力の働きなのか、

それとも単なる偶然でしかないのか、筆者は断言することが出来ない」と

述べています。

 

断言できないと言われても、なぜ、19世紀の末から20世紀の初めに

かけて霊媒現象が活発化し、その後、激減していったのかは大変気になる

ところですので、参考となると思われる水波霊魂学の見解を紹介しておき

たいと思います。

 

水波一郎氏の著書「霊魂イエス(下)」によると、イエス師と高級霊魂団

が積極的に霊魂通信に関わったという時期は確かにあったとされ、次の

ように記されています。

 

最初の霊媒養成の試みが成功とは言えなかったことを踏まえて、「(しかし、

こんどはもっとも本格的な霊媒を育てたい。世界に霊魂の実在、霊魂世界の

存在を証明しうる器を育てたい。)そう思いながら、イエスは何人もの霊魂

と会見した。その中で、霊媒となりたい霊魂に二通りのものが出てきた。

一つは、霊魂の実在、霊魂世界の存在をより強く証明したいという者、もう

一つは、霊魂からのメッセージを伝達したいとするグループであった。これ

らは、どちらも大切である。そのどちらもなくてはならない。前者だけでは

何の益もない。しかし、後者だけでも、世に受け入れられない。まず、前者

を中心に活動し、次に、後者を中心に置く。これが霊魂達の結論であった。

この時から、再び、イエスを中心とした霊魂団の、霊媒養成、そして、霊魂

界と物質界の共同作業が始まることになった。」

 

「こうして何人かの霊媒が誕生した。ただし、後世に影響を与えた霊媒は

少ない。(皆、無名であったと思われる) ニセモノが登場したからで

ある。彼ら、彼女らのもっともらしい演技が、本物より目を引いてしまう

のであった。」

 

(西洋の霊媒現象のもう少し詳しい説明としては、水波氏監修のHP『霊を

さぐる』「霊魂と交信する技術」のなかで、「東洋のような修行の伝統のない

西洋では、良い通信は送りにくい。」「高級と言われる霊魂の思想を表現する

ことは普通の霊媒ではまず無理なのです。それが可能なのは、長い間に渡り、

不可能を可能にするための訓練をした霊媒だけなのです。」「したがいまして、

西洋の霊界通信のように、訓練のない霊媒を使っても、通信を送りうる霊魂

は、それほど意識の高い方の霊魂ではなく、真実が表現されていることは

少ないのです。むしろ、こうした霊魂からの通信は、いずれ、本物が

出るための過渡期に出現する役割があると言えましょう」と述べられ

ています。)

 

 

よって、世界大戦の頃、イエスは、霊魂通信により、霊魂の実在と、

霊魂からのメッセージをこの世に示すという仕事を終えて、次の仕事に

取り掛かった、とされています。

 

つまり、イエスとその直系の霊魂団がこれらの活動に関わったのは、19

世紀後半からの20世紀の始めぐらいであったであろうということです。

その後の活動は、特殊な、選ばれた人より発せられた霊魂通信というもの

から、人間が誰でも自分を訓練することにより霊的に進歩できるようにする

方向に移行していった、すなわち、霊的技法、霊的修行法の必要性を感じ

東洋へ目をむけていくことになったということです。

 

ここから、19世紀後半から20世紀の初めにかけての急激な霊媒たちの

登場と活躍、そして衰退というものは、イエス師とその高貴な霊魂団の活動

と撤退が大きな要因であったという推察が成り立と思います。

 

さて、心霊研究と決別し、大衆化へと向かったスピリチュアリズムは、

どういう変貌を遂げていったのでしょうか?

 

次回は、1920年以降の代表的な「霊界通信」の送り手であるとされる

シルバー・バーチ、そしてホワイト・イーグルの通信内容に焦点をあてて

紹介してみたいと思います。

 

 
 
 
 
 
 
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