善と悪のあくなき闘争-ペルシャ神話2-


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宇宙において、二つの根本的に相反する力が働くという信念、つまり、

二元論は、ゾロアスター教特有の教義です。古代アーリア(イラン)

人は、真実あるいは秩序と虚偽あるいは混沌という二つの相反する力

を信じていたとされますが、この思想がゾロアスター教に継承され、

発展していったのです。正信の徒は真実の信奉者アシャワンと呼ばれ、

邪念の徒はドルグワンと呼ばれ、後期になると、この二つの力が対立

するという観念はさらに発展してゆきます。

 

ゾロアスター教徒にとって、善を悪と関連づけること、つまり、善の世界

がアンラ・マンユ(悪魔)の創造であるというような考えを持ち出すこと

以上に大きな罪はないとされます。神と悪を合同させる以上に大きな罪は

ないのであり、善と悪は、一つの実在の違った両面ではなく、対立する

実体なのです。悪は単に善が欠けたものではなく、実体であり力であり、

両者は共存することができないのです。

 

このように善と悪、あるいは神と悪魔の対立は、ゾロアスター教のすべて

の神話、神学、哲学の基本とされますが、神の勢力と悪の勢力の観念と関係

は、具体的にはどのようになっているのでしょうか?

 

善の勢力のトップには、創造主、賢明なる主であるアフラ・マズダー(

オフルマズド)が君臨します。彼はすべてのものの父、太陽と星々の道を

定めた聖なる者、大地と天空を支える者、光明と闇黒の創造者、始原の

とき、意思によって人間と創造物を造り出した者なのです。

 

ゾロアスター教徒にとって、オフルマズドはあらゆる善性に勝り、いかなる

悪とも関わりがない。善き創造を台無しにする苦難も悪であり、神の子に

苦難をもたらしたキリスト教徒の神をも悪として非難するのです。

 

ともかく、神はあらゆる善きものの源泉であり、悪は神が統御できない

ものであるが、最終的には征服するはずのものとされるのです。

 

さて、アフラ・マズダーには、六柱の神の息子たちや娘たちがいます。

これらの神は、ウフ・マナフ(善き心)、アシャ・ワヒシュタ(最高

の天則)、スプンター・アールマティ(聖なる敬虔さ)、フシャスラ・

ワルヤ(望ましい統治)、ハルワタート(健全)、アムルタート(不死)

と称されています。これらにアフラ・マズダーを加えた七柱の神格は

独特の神族を形成し、アムシャ・スプンタ(聖なる不死者)と言われ、

ゾロアスター教の神話と儀礼において中心的な役割を果たしているのです。

 

七種の創造物のうち、人類はアフラ・マズダー自身によって守護されるが、

その他の創造物(家畜、火、大地、天空、水、植物)は上記の神々に

よって守護されるとされます。

 

それぞれのアムシャ(不死者)は、神の性質の一面を表し、人が共有できる、

あるいは共有すべき性質の一面を表します。人が共有することができない

のは、アフラ・マズダー自身の創造的で、神聖で、豊かな心がけだとされ

ます。ゾロアスター教は、人間を高く評価するけれども、ヒンドゥー教に

見られるような神と人間との究極的な合一という観念はないのです。

 

アフラ・マズダーは、アムシャ・スプンタのそれぞれを通じて祈願と称賛

を受けるが、同時に、彼らを通じて応報と罰を与えるのです。アムシャ・

スプンタは、神が人間に近づき、人間が神に近づく媒介者ということに

なります。

 

アムシャ・スプンタの詳しい説明は割愛しますが、神の第一子として生まれ

たのが、ウフ・マナフで、アフラ・マズダーの右手に座り、あたかも助言

者にように行動する存在で、世界にいる有益な動物を守護するとともに、

人間とも深く関わるとされます。

 

そして、アフラ・マズダーの左手に座るのは娘アールマティで、彼女は大地

を統括するので、家畜に牧場を与える存在とされます。しかし、彼女の真の

性格はその名のとおり「敬虔」にあります。

 

さて、ゾロアスター教では、アムシャ(不死者)だけが天上的な存在では

ありません。その他に「ヤサダ」、つまり、尊敬されるもの、祭られるもの

がいます。ヤサダは、アフラ・マズダー、そしてアムシャ(不死者)に

次いで、三番目に重視されます。ヤサダに属する神々はたくさん存在し

ますが、ゾロアスター教の暦で、月の日々が割り当てられたヤサダが当然

のことながら上位にいることになります。そして、彼らのうちでもっとも

重要なミスラやアナーヒターは、彼ら自身の讃歌を持っています。

 

主たるヤサダであるワユ、アナーヒター、ハオマ、アータル、ウルスラグナ

などは前回少し紹介しましたが、ミスラについては、別途、取り上げたいと

思います。

 

ともかく、全体的に見て、ヤサダは太陽、月、星の守護聖霊であるか、祝福、

真理、平和というような抽象的な観念の化身であるようです。

 

なお、ヤサダを多神教の神々の一柱、つまり、古代ギリシャ神話の神々の

ようなパンテオンの住人と見なすのは正しくないようです。

 

ゾロアスター教徒は、人間が取るに足りない嘆願や懺悔や供物で、偉大で

崇高なオフルマズド(アフラ・マズダー)を煩わすことができないと考え、

その代わりとして、これらの自分たちが近づきうる、彼ら自身の個人的

守護者を選択したということのようです。

 

つまり、ヤサダは、異教のパンテオンの神々ではなく、どちらかというと、

キリスト教の聖者あるいは天使に類似する存在です。

 

以上が善の勢力ということになりますが、悪の勢力についても触れて

おきたいと思います。

 

さて、悪魔の世界が恐ろしく、堕落した性質を帯びたものであることは

疑いないことだとしても、ペルシャの文献では、天上の世界のようには、

明白な言葉で描写されていないようなのです。大悪魔は、大天使のように

ぴったりとした組織のなかに組み込まれておらず、彼らは終末のとき、

天上の存在と対になって登場するので、その階級制度を再構成できる

にすぎないのです。

 

それはともかく、アンラ・マンユ(パハラヴィー語ではアフリマン)が

悪魔の集団のリーダーです。

 

後期の神話テキストでは、<アンラ・マンユ(アフリマン)は、悪魔の

なかの悪魔で、伝統的な悪魔の住居である、北方の無限の暗黒の深淵の

なかに住む。無知、有害、無秩序はアフリマンの特性である。彼は自分

の姿を変え、トカゲ、ヘビ、あるいは若者として登場できる。>

 

<彼の目的は、オフルマズドの創造を常に破壊することであり、この目的

のために彼は創造主の仕事をだめにしようと、そのあとをつけ回る。

オフルマズドが生命を創造したように、アフリマンは死を創造した。彼は

健康に代わって病気を作り出し、美に代わって醜悪を作りだした。>

 

<ゾロアスターの誕生は、悪霊にとって大打撃であった。彼はゾロアスター

を誘惑したが成功しなかった。世界の終末のとき、アフリマンはいかに

もがいても、征服され、その悪の創造は撲滅される。>とされます。

 

なお、アフリマンは実体をもたないとされます。彼は寄生虫のように、

人間や動物の体内に住むだけで、本当の実体的存在とは言えないのです。

 

また、アエーシュマという憤怒と激怒の悪魔がいます。彼は常に争いを

かきたてようとします。善の創造に対して悪を作り出すことに失敗すると、

悪魔たちの野営地の中で争いをかきたてるのです。邪悪な者の言葉に憤怒

と激怒をかきたてられ、アエーシュマは人間を攻撃するのです。

 

しかし、彼が世界を分裂させようとする仕業は、従順と献身の化身である

スラオシャ(ヤサダ神群の一柱)によって阻止される、スラオシャは最後

には、世界から怒りを取り除く、とされます。

 

その他に、悪名高いのが、三頭、六眼、三口のアジ・ダハーカという悪魔

です。彼は他の多くの悪魔よりは、よりはっきりと神話的な色彩をもって

描かれていて、その体内には無数のトカゲ、サソリその他の害虫が詰まって

いるとされ、彼を引き裂くと世界中がこのような害虫でいっぱいになると

されます。

 

とにかく、彼も色々と悪事を働くのですが、最後には、復活したクルサー

スパ(古代ペルシャの英雄神の一柱)に殺されます。

 

これら三体が、明白に記述できる悪魔の特徴ですが、他の悪魔は、名前

以外はほとんど知られていないということです。ただし、悪魔とされる

ものに、嫉妬、傲慢、昏睡、不正があります。また、しばしば言及される

悪魔に、死体の悪魔でナスと呼ばれるもの、腐敗、分解、伝染、汚穢の

魂の化身であるドルジュがいます。

 

他に悪の力として、堕落の悪魔的な女性の化身であるジャヒーがいます。

また、魔法使い、あるいは妖術師であるヤートゥは、悪の破壊力の顕現

とされます。

 

さて、多くの文化や宗教、ことに民衆文化のレベルで、清浄と汚穢の観念

と結びついた確固とした伝統がありますが、ゾロアスター教では、この

ような習慣は、善と悪についての神話的教義のなかに集成されています。

 

不浄とは、悪と接触したときの状態とされるが、その最たるものが死であり、

死体であるとされます。よって、葬式に関する浄化の法則は厳密に規定され

ていますが、その要点は、信徒の日常生活や家庭に、善と悪の宇宙的闘争を

持ち込むことにあります。なぜなら、悪の腐敗的影響が見られるところでは

どこでも、あらゆる形で悪と戦うのがゾロアスター教徒の最高の任務と

されるからです。

 

なお、ゾロアスター教徒は、一神教の多くが苦闘しなければならない課題

「神はなぜ人間に苦しむことをするにまかせるのか」という、世界の悪の

神学的問題をもたないようです。なぜなら、ゾロアスター教徒は、<神は

人間を苦しむにまかせない。悪とは、神が今は統御できないが、いつか

それに打ち勝つものである>と考えるからです。

 

さて、それでは、ゾロアスター教の創造神話を紹介しておきたいと思い

ます。

 

<無限の光明の高みに住むオフルマズドと、虚空を隔てて、暗黒の最深部

にいる悪魔アフリマンとは、直接の接触はなく、最初、両者は争いを始め

ることなく存在した。アフリマンはオフルマズドと光明を見るや、彼の

破壊的本能がオフルマズドを攻撃し、破滅させようとした。>

 

<アフリマンが破壊的性格を変えることがないのを知って、オフルマズド

は創造を開始した。彼は光明の本体から創造物のメーノーグ、すなわち

不可視的形姿を作り出した。彼は最初、アムシャ・スプンタをつくった。

それからヤサダをつくり、最後に宇宙の創造を開始した。最初は天空、

つぎに水、大地、植物、動物をつくり、最後に人間をつくった。>

 

<創造物はみな、神オフルマズドに属する。彼は母として霊的(不可視的)

世界をみごもり、父として物的(可視的)形態をとった世界を生んだと

される。アフリマンは、オオカミ、カエル、つむじ風、砂あらし、癩病など、

あらゆる悪しきものを産み出した。>

 

<物的創造は、最初つくり出されたときは、理想的な状態であった。樹木は

樹皮もトゲもなく、雄牛は月のように白く輝き、原人ガヨーマルトは、太陽

のように輝いた。しかし、この理想的な状態はアフリマンの攻撃によって

破壊される。一度は地獄に落ちたアフリマンであったが、全悪魔を率いて再び

反撃に出て、雄牛と原人ガヨーマルトを最後には殺してしまうのである。>

 

<しかし、それは善の終焉ではなかった。天空の精霊たちと人間のフラワシ

(守護霊、祖霊)の活躍により、アフリマンは投獄され世界の生命が再び花

開き始める。アフリマンの見かけ上の勝利の影に、彼の敗北の種子がひそん

でいたのである。雄牛が死ぬと、五十五種類の穀物と十二種類の薬草が牛

の四肢から成長し、牛の精液は月に行き、そこで浄化されて様々な動物を

生んだ。同じように原人が死ぬと、その精液を大地に流し込んだ。かくて、

金属でできた彼の体から大地は各種の金属を受け取った。彼の精液からは

最初の一組の人間、マシュイーとマシュヤーナクが生まれた。>

 

<生が勝ちアフリマンの創造物である死は敗北した。死からは生がより豊か

に生まれた。アフリマンは、個人を何人か殺すかもしれないが、また、誘惑

にさらされるかもしれないが、人類は全体として増え続ける。>

 

かくして、人間の住む世界は、悪の攻撃によって汚染されているものの、

基本的に善とされる。これを否定することは、ゾロアスター教の基本的罪の

一つとされるのです。ギリシャの宗教と異なって、ゾロアスター教では、

物質を不当に霊魂と比較することはなかったのであり、彼らの考えでは、

理想的な存在のためには両者が完全に調和していなければならなかった

のです。

 

なお、上記のような善と悪の闘争、つまり善悪二元論とともに、世界の

最後についての教理、すなわち終末論がゾロアスター教の中心的な要素と

言われます。

 

また、ゾロアスター教と一口でいっても、一枚岩ではなく、そこには、

オフルマズドではなく、ズルワンを最高神格とするズルワン教(ズルワン

派)やヤサダ神族の一柱であるミトラを崇拝するミトラ教(ミトラ信仰)

といった異端的な信仰を包含しています。よって、次回はそれらについて

触れてみたいと思います。

 

 
 
 
 
 
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古代イラン(アーリア人)の神話-ペルシャ神話1-


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ペルシャ神話 



少し前、インドの神話について紹介しましたが、インド神話のなかでも、

古い層に属するのが、いわゆるヴェーダの神話と称されるものでした。

 

「ヴェーダ」とは、元来、知識、特に宗教的知識を意味するものですが、

なかでも『リグ・ヴェーダ』(神々に対する讃歌の集成の意味)は、

ヴェーダ文献の中でも最古のものであり、それは最初期のインド・

アーリア人の宗教・神話を伝える最も基本的な資料となるものと

いわれています。

 

アーリア民族が西北インドに侵入した時期は、一般に紀元前1500頃と

されていますが、紀元前1200年前後には、インド・アーリア人の有する

最古の文献である、『リグ・ヴェーダ』が成立したと言われています。

 

そこには、インド系民族とイラン(ペルシャ)系民族が一つだった時代の

文化の痕跡を強くとどめていて、インド、イラン共通の神々が登場するのです。

 

たとえば、『リグ・ヴェーダ』では神々は「デーヴァ」と呼ばれそして、

神々に敵対する悪魔が「アスラ(阿修羅)」と呼ばれていますが、それが

イランでは、ダエーウ、そしてアフラと称されます。

 

しかし、大変興味深いことに、イランのゾロアスター教において、アスラ

に対応するアフラが最高神アフラ・マズダーとなり、デーヴァに対応する

ダエーウが悪魔の地位に落ちるなど、インドにおける経過とは逆になって

ゆくのです。

 

そこで、今回は、イラン(ペルシャ)に焦点をあて、その神話を紹介して

みたいと思います。

 

さて、ペルシャ神話の資料としてもっとも重要なものは、ゾロアスター教の

聖典である『アヴェスター』であるとされます。もっとも、現在は儀式に

用いられる『アヴェスター』の部分しか伝わっておらず、それは原『アヴェ

スター』のおおよそ四分の一にすぎないのです。

 

『アヴェスター』は、ササン朝ペルシャにいたって初めて現在の形に書き

記されたが、その内容はそれよりもずっと古く、ゾロアスター教以前に

さかのぼる太古の神話の反映および残留が見られるとされます。

 

資料の集合体である『アヴェスター』でもっとも重要なものは、ゾロアス

ター教の説教である17編の詩編(ガーサー)とされ、そのもっとも重要

な部分の一つが、種々の神々に奉げた讃歌集(ヤシュト)だと言われます。

(インドの『リグ・ヴェーダ』も神々への讃歌集であった。)

 

ヤシュトはすべてゾロアスター教の礼拝で用いられてきたが、讃歌の多く

は、基本的にはゾロアスター教以前の時代にさかのぼるのです。『アヴェ

スター』は、アヴェスター語という教会言語によって伝えられてきたが、

死語になったのちも、言霊をもつ神聖な言葉として長期間保存されてきた

ために、古い伝承が残存しているのです。

 

なお、パハラヴィー語(中期ペルシャ語)文献にも資料となるものがある

ということです。たとえば、『ブンダヒシュン(創世記)』は、天地創造の

行為、性質、目的に関する『アヴェスター』の翻訳の集成とされます。

 

さて、それでは、古代ペルシャの宇宙観、世界観から見て行きたいと思い

ます。

 

<古代のペルシャ人は、宇宙というものを円盤のような、円くて平たいもの

と考えていたようです。彼らにとっては、空は無限の空間ではなく、水晶

のような堅い物質で、貝殻のように世界をおおっていたとされます。原初

の完全な状態では、大地は平坦で、谷も山もなく、太陽や月や星々は、

正午の位置のまま大地の上方に固定していた。>

 

<しかし、この平静な状態も、宇宙に悪が侵入したために粉砕された。悪は

空から突入し、海洋のなかに飛び込んだ。そして、大地の真ん中から飛び

出し、大地を揺さぶり、山を成長させた。代表的な山はアルプルズ山で、

成長するのに8百年かかった。アルプルズは宇宙全体に広まり、山の本体

は天空に達し、大地を取り囲んでいる。この宇宙山の基底は大地の下に

広がり、大地を支え、この基底から他のすべての山々が成長する。大地の

中心にタエーラ山、つまりアルプルズの山頂がそびえ、山頂から天にかけ

てチンワト橋が架かっていて、死者の魂は天国または地獄に旅する。>

 

<なお、悪が宇宙に侵入したために揺さぶられたのは大地だけではなかっ

た。太陽、月、星々もその固定した位置から揺さぶり出された。これらの

天体は、宇宙の更新まで冠のように大地の周りをぐるぐると回っている。

そして毎日、アルプルズ山の東にある180の穴のひとつから出て、西に

ある180の穴のひとつに入る。>

 

<そして、ティシュトリヤ神(後述)によってつくられた雨は風によって

吹き集められ、宇宙の大洋、ウォルカシャ海を形成した。この海は巨大で、

そこにはアナーヒター女神(後述)の泉である千の湖水が湧き出していた。

この海には二本の木が立っていた。一本はガオクルナ樹で、人は宇宙の更新

のとき、この木から不死の霊薬を飲むことになっている。もう一本は百種樹

で、この木の種子からあらゆる樹木が生えた。>

 

<そのあと、3つの大海と20の小海がつくられた。2つの川が北側から

流れ、ひとつは北から西へ、ひとつは北から東へ流れ、両方の川とも最終的

には大地の果てを越えて宇宙の大洋に合流する。>

 

<雨が初めて降ったとき、大地は7つの部分に分裂した。中央部のフワニ

ラサは、全陸地の半分の大きさであった。周辺の6つの部分はキシュワルと

呼ばれる。ひとつの部分から他の部分へ大洋を渡って行くには、天の雄牛

スリソークの背に乗らなければなかなかった。>

 

なお、ここに登場する特徴的な動物として、すべての人間が不死となる復活

の日、生贄として供犠されるこのフリソーク牛のほかに、三脚、六眼、九口、

二耳、一角の奇怪なロバがいます。

 

さて、ペルシャ人は、ギリシャ人のように神が人間と同じ性質のものである

とは考えなかったようです。自然の神格化であり、観念の神格化であったり

しました。よって、彼らの祭壇は神殿のなかではなく、山の頂に置かれ、

また、王たちの大きなレリーフや碑文は文明の中心地にあるのではなく、

山の磨崖に刻まれているのです。また、神々はしばしば神話的な比喩で記述

されるものの、神々のことを述べた神話はきわめて少ないのです。

 

ともかく、古代ペルシャの神話にはおびただしい数の神々が登場しますが、

ここで、古代インドとイランに共通する主要な神々と、そのペルシャ的思想

を紹介しておきたいと思います。

 

<風神 ワユ>

雨雲のなかに生命を運び、暴風のなかに死を運ぶ風は、古代インド・イラン

人のもっとも神秘的な神の一柱でした。インドではヴァーユと呼ばれ、世界

がその体から生まれたとされる世界巨人の息に由来するとされ、彼は百頭、

さらには千頭の馬にひかれた快速の馬車に乗っているとされます。

 

一方、ペルシャにおいては、ワユは偉大であるが、謎に満ちた神であると

されます。創造主アフラ・マズダーも、悪魔アンラ・マンユも彼に生贄を

捧げたからです。アフラ・マズダーは、生贄を捧げ、ワユの悪しき創造を

打ち砕き、善き創造が持続するように願う。ワユは甲冑を身につけ、黄金

の鋭い槍と武器を手にして敵を追い、悪霊を打ち砕き、アフラ・マズダー

の善き創造を守るのです。よって彼は、もっとも勇敢な者、もっとも強力な

者などと呼ばれます。

 

なお、アフラ・マズダーが、光り輝く天上を支配し、アンラ・マンユが闇黒

の地下を支配するのに対し、ワユは中間の虚空を支配するとされます。

これは、風というものが中間性という性質を持つ、つまり、2つの世界、

つまり善霊の世界と悪霊の世界の間を動くものであり、本来、温情あふれる

力と不吉な力の二元性を包含するひとつの神格であったというところから

きているということです。

 

したがって、彼は善の創り手であり、破壊者であり、統合者であり、分離者

であると言われるのです。

 

<雨の神 ティシュトリヤ>

ティシュトリヤは、自然現象である雨と関連のある神格ですが、この神の

性質にはワユのような二元性の観念はありません。彼は生命を破壊する

干ばつの悪魔アパオシャに対する宇宙的闘争に巻き込まれるときは温情

溢れる力となります。ティシュトリヤは、けんらんと光り輝く星であり、

水の種子であり、雨と豊穣の源泉とされます。

 

『ブンダヒシュン』によると、創造のはじめ、水をつくったのはティシュ

トリヤであり、彼がつくった雨の一滴一滴は、鉢いっぱいの量になった

ので、大地は人の背の高さまで水でおおわれることになった。そして、

有害な動物は大地の穴のなかに追いやられ、風の精霊は水を大地のへり

まで吹きやったので、水は宇宙の大洋を形成したとあります。

 

また、ティシュトリヤに捧げられた讃歌では、神と干ばつの悪魔アパオシャ

との戦いがうたわれていて、最初、アパオシャの方が優勢であった戦いが、

創造主自身の祈りと供儀によって、ティシュトリヤの勝利となり、水は

何ものにもさえぎられることなく、畑地と牧草地に流れることができた。

そうして宇宙の大洋から立ち上る雨雲は、風に駆り立てられ、生命を付与

する雨は、大地の7つの地域に降り注いだということです。

 

つまり、ティシュトリヤが供犠に際して祈られたときには、干ばつは打ち

負かされ、雨が世界に生命を与えるのであり、生の勢力と死の勢力の宇宙

的闘争の結果は、人が儀礼の義務を信心深く守るかどうかにかかっている

とされるのです。

 

<川の女神 アナーヒター>

多くの宗教が生命と豊穣の源を女性の姿に描いています。ペルシャでは、

アルドウィ―・スーラー・アナーヒター(強力な汚れなき川)は、地上の

あらゆる川の源泉とされます。彼女はあらゆる豊穣の源で、あらゆる

男性の種子を浄化し、あらゆる女性の子宮を聖化し、母親の胸の乳を

浄化するのです。

 

彼女は、天の源泉から流れ出て、宇宙の大洋に流れ込みます。風、雨、

雲、みぞれも彼女に管理下にあり、生命の源として、作物と家畜を育てる

と言われています。彼女は生命の付与者であるので、戦士は戦場で彼女

に勝利を祈願します。彼女は四頭立ての馬車を駆け、強くて輝き、背が

高く美しく、純潔で高貴な生まれであると描写されます。

 

そして、彼女は高貴な生まれにふさわしく、八方に光芒を放ち、百の星を

ちりばめた黄金の冠をかぶり、黄金色のマントをはおり、首には黄金の

首飾りをつけていると描写されるのです。

 

ちなみに、インドでは、河川の女神として、サラスヴァティーがもっとも

讃えられています。

 

<勝利の神 ウルスラグナ>

ワユとティシュトリヤは、自然現象と関連し、アナーヒターは人格的、

性愛的関係で考えられるが、ウルスラグナは、抽象観念、あるいは観念

の擬人化と考えられます。つまり、彼は、勝利の攻撃的で圧倒的な力を

表したものとされます。

 

彼に捧げられた讃歌である「ヤシュト」では、ウルスラグナは、風、雄牛、

白馬、ラクダ、雄猪、十五歳の青年、鳥、雄羊、雄鹿、勇士、と十回の

変身をするとされますが、それぞれの形は、この神の活動的な力を表すと

言われています。このようにペルシャの思想では、神々は色々な形に変身

するが、その理由として、ゾロアスター教徒は、不可視(メーノーグ)の

世界のあらゆるものは可視(ゲーティーグ)の世界で形をとることができる

という信仰があったことによるとされます。

 

つまり、世界は不可視世界がもとにあって、可視世界の姿をとったとされる

のです。

 

なお、このウルスラグナに対応する神がインドではインドラですが、イン

ドラのように竜を退治する神話はありません。そのかわり、彼は人間と

悪魔の悪意を打ち負かし、虚偽者と邪悪者に罰を加えます。

 

もし彼がふさわしい供犠を受けると、彼は戦場においても勝利を与え、もし

彼がふさわしく崇拝されると、敵軍もアーリア人の国土に侵入することは

ないという。ウルスラグナは戦士の神なのです。

 

このように古代の神々の多くはインド・イラン人の伝承に属する神々で

あるが、自然現象を表すもの、また、抽象観念を表すもの、宇宙的闘争を

想起させるものなど、実に幅広い多様性があるのです。

 

そのほかに、正午の暑熱の主、あるいは始原のときの主、さらには復活の

ときの主でもあるとされるラピスヴィナという神などがあげられますが、

割愛したいと思います。

 

とはいうものの、祭式の神とされる、火の神アタール、植物の神ハオマに

ついて少しだけ触れておきますと、まず、火の神ですが、それを信仰の

中心に据えるということが、ゾロアスター教のもっともよく知られた特徴

の一つです。よって、「拝火教」という烙印がおされてきのですが、実は、

彼らはそう呼ばれるのを非常に不愉快に思っていたということです。火は、

伝統的に多面的な理解がなされてきたのです。

 

火は、インドにおいても、アグニという名で尊敬されてきました、それは

世俗的であり、同時に神聖であったのです。火は神と人間の世界を結合

する仲介者と考えられていて、アグニは、火として供物を受け、祭司と

してそれを神々に捧げる神であるとされたのです。

 

もっとも、ペルシャにおいて、アタールに関する神話は、ほとんど伝わって

いないということです。

 

さて、ハオマはゾロアスター教と、ソーマとしてヒンドゥー教の両方で伝え

られたインド・イランの神格です。ソーマは古代インドの『ヴェーダ』の

儀礼における主たる神格のひとつとされ、そこでは植物として、また神と

して登場するのです。

 

ペルシャでは、ハオマをしぼって強い興奮剤を採ったとされるが、この

植物が本来何であったかは不明のようです。ですが、この植物は、幻覚性

をもち、戦士や詩人を鼓舞すると考えられたのみならず、儀式ではその

液汁は聖化され、宗教的洞察力を与え、祭司たちを神の命令に対してより

素直になると考えられたということです。

 

また、ハオマ草は薬効をもっていたので、ハオマ神は健康と力を付与する

もの、さらには、豊かな作物と子孫の供給者と考えられたようです。

 

このように、ペルシャ人の信仰では、神々は遠くの存在ではなく、儀式の

最中、直接に出会う力のようです。神は壁に囲われた神殿ではなく、山頂

で祭られるものであったし、神々は宇宙に遍満していたのです。

 

また、アタールとハオマの性格については、神話と擬人法的比喩が用いら

れているが、ギリシャ人がゼウスを考え、ユダヤ人がヤハウェを描き、

イスラム教徒がアッラーを記述するような仕方では擬人化されていない

のです。擬人化という手法を使っても、それはまったく異なった世界だと

ということです。

 

古代ペルシャの世界像では、平坦で平和な大地があり、そこには本来、

いかなる悪も存在しなかった。しかし、この平穏な状態は悪の侵入に

より揺るがされ、宇宙的生命と同様、地上的生命をも揺るがすことに

なったとされますが、この善と悪の戦いはゾロアスター教の神話

に継承されてゆきます。

 

次回は、ゾロアスター教の神話について述べてみたいと思います。






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エドガー・ケイシーの光と影


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前回は、ホワイト・イーグルと神智学の関わり、さらにはスピリチュアリ

ズムと神智学の関係について見てきましたが、今回はホワイト・イーグル

やシルバー・バーチとほぼ同時代のエドガー・ケイシーについて触れて

おきたいと思います。

 

エドガー・ケイシーについては、以前、一度取り上げたことがありますが、

今回は、神智学などの影響とその変貌という観点から再度考えてみたいと

思います。

 

エドガー・ケイシーは、「眠れる預言者」などと呼ばれ、催眠状態において

人々からの相談や質問を受け、それに答えるという形態をとり、催眠状態

のケイシーが語った言葉は「リーディング」と称されました。そして、

質問への回答は、超自然的な智慧の源、つまり、「アカシックレコード」

にアクセスすることによって得られたと言われています。

 

これは、一見、ホワイト・イーグルという霊的存在からグレース・クック

という霊媒への通信、あるいはシルバー・バーチという霊的存在からモー

リス・バーバネルという霊媒への通信という形態とは異なるように見え

ますが、エドガー・ケイシーの場合も、彼が霊媒の役割を担い、彼に情報

を与えた霊的存在がいたと考えてよいと思います。

 

さて、ケイシーの霊的な治療活動は、彼自身が別の人格、催眠時人格の導き

により失声症を克服し、さらに自身の病のみならず、他の人々のさまざまな

病に対する治療法をも教えたところから始まっています。

 

覚醒時のケイシーは、医学の知識をまったく持っていなかったため、この

ような行為は許されないのではないかという危惧を覚えていたが、通常の

医療から見放されて苦しむ人々の要請を拒絶することもできず、彼らの

相談に応じ続けたようです。

 

そして、このようにして始まったケイシーのリーディングは、1902年

から1945年に亡くなるまでの43年間にわたり、8千人以上、口述の

速記録1万4千ページ以上という膨大な量にのぼったということです。

 

これらのリーディングのうち、6割が肉体の診断(フィジカル・リーディン

グ)で、2割が人生の診断(ライフ・リーディング)、そして残りの2割が

その他に分類されますが、大きく分けると、フィジカル・リーディングと

ライフ・リーディングの二つに分けられます。

 

最初は、フィジカル・リーディングからはじまったケイシーのリーディング

ですが、あるとき、ある人物が介入することから、ライフ・リーディング

と称するものが始まるのです。

 

ケイシーにとってその大きな転換となったのは、1923年にアーサー・

ラマースという人に出会ったことであるようです。ラマースの職業は印刷

業者であったが、宗教や哲学ヘの造詣が深く、彼はケイシーに対して、

催眠時の人格に宇宙の構造や人間の霊魂というものについて尋ねてみる

ことを提案したようです。

 

ラマースの提案に従って、それを試みた結果、催眠時のケイシーが答えた

のは、人間の霊魂が宇宙の法則に従いながら「輪廻転生」を続けている

ということでした。

 

それまでケイシーは敬虔なキリスト教徒として日常生活を送っていたため、

その回答を聞いて大いに当惑したが、徐々にその霊魂観を受け入れるよう

になっていったようです。

 

かくして、ラマースはケイシーに、病気治療を目的としたこれまでの診断

(フィジカル・リーディング)に加え、過去の転生の経緯を含む、人生

全体に関する相談(ライフ・リーディング)にも応じるように助言したと

されるのですが、ここで留意すべきは、ラマースの宗教や哲学に関する

知識は、明らかに神智学に基づくものであったということです。

 

ケイシーと面会した際にラマースは、ブラヴァツキーが論じた人間の魂の

あり方や、その地上での目的について語っていて、ラマースは、神智学の

霊魂観が果たして正確なものなのか、リーディングによって裏づけを

とってみようと提案し、ケイシーはそれを了承したようなのです。

 

もっとも、「実際のところ、ケイシーとラマースの交流とは、ケイシーが

ラマースの質問に回答したというよりも、ラマースがケイシーに対して、

彼の活動の理論的背景となるものを教えたという方が、より事実に

近かったのではないだろうか」と太田俊寛氏は、著書『現代オカルト

の根源』で述べています。

 

ただし、「転生」あるいは「再生」という現象、概念のソースは、

ケイシーに関与した霊的存在からのものであって、単なる神智学の

知識によるものではないと思われます。

 

「転生(再生)」というものを前提とした、今生における様々な現象の

原因としてのカルマの概念は、神智学固有のものではありません。

それは古来より言われてきたことであり、非常に重要なことです。

非常に重要な問題ですが、以前に何度か記したことがありますので、

ここではそのことには触れないこととします。

 

今回、問題となるのは、「転生(再生)」の真偽ではなく、それが神智学

に依拠しているのではないかということでもなく、「転生(再生)」を

語るリーディングに対し、吹き込まれた神智学の知識が何らかの歪みを

もたらしたのではないかということです。

 

もっとも、彼のリーディングに歪みをもたらしたのは、神智学のみならず、

それ以前に、キリスト教の教義であったのであり、ケイシーに働きかけた

霊的存在は、まず、キリスト教によって植え付けられた観念の頑強な抵抗

に会ったのではないかと思われます。

 

つまり、ケイシー自身がキリスト教のドグマによる抵抗に遭い、葛藤し

ながらも、ライフ・リーディングによって、「転生(再生)」とカルマの

関わりにまで行き着いたのは良かったとして、転生(再生)というもの

が時代をさかのぼり、アトランティスにまで範囲が及んだときに神智学に

よる歪みが発生したのではないかということです。

 

ケイシーのライフ・リーディングによれば、地球に人類が出現したのは、

今から1千万年前のこととされます。そのころの人類は、まだ肉体を有

しておらず、霊的な身体で存在していて、両性具有だったともいいます。

 

また、地球の地理的条件も現在とは大きく異なっていた。地球はこれまで

何度も「地軸の移動(ポール・シフト)」が起こっており、そのたびに

気候が大きく変動するとともに、大陸の隆起や沈没が生じたとされます。

 

そのほか、人類が初めて高度な文明を築いたのは、約10万年前のアトラン

ティス大陸であったこと、当時の地球は、獰猛な動物たちが数多く徘徊して

いていたが、その襲撃に対抗するために高度な科学技術を応用した兵器を

開発し、動物たちを撃退したこと、人間たちのなかには、意識の水準を動物

と同調させることにより、半人半獣の姿に変身する者たちが現れたが、彼ら

は己の本質を忘却し、物質的快楽や攻撃的衝動に身を委ねてしまったこと、

その彼ら(「悪魔の子ら」)と「神の掟の子ら」との争いによって、アトラン

ティスは三度にわたって破局を迎えるが、紀元前一万年前に起こった三度目

の破局によって大陸自体が水没してしまったこと、などが語れています。

 

これらは、ブラヴァツキーの『シーレット・ドクトリン』の歴史観に似て

いるとされますが、アトランティス期の出来事が詳細に描写されている点、

また、その際に蓄積されたカルマによって、現代の文明にも滅亡が迫って

いるという終末論が説かれる点に特徴があります。

 

さて、このストーリーの問題点はどこにあるのでしょうか?

 

以前にも紹介したことがありますが、水波一郎氏の著書『神体』において

展開された太古の人類の歴史を再度ふり返りながら、問題点を浮かび上が

らせてみたいと思います。

 

『神体』では、最初、幽体という霊的身体をまとい、幽質という質料の世界

に住んでいた現生人類がこの地上(物質界)に降りて動物の身体(肉体)を

まとったのが今から1万1千年前で、最初に降り立った地が「ムー」という

地であり、6千年前に「ムー」が沈んで、移り住んだのが「アトランティス」

あった、そして「アトランティス」もわずか千年で沈んだ、と述べてられて

います。

 

これに対して、ケイシーのリーディングは、地上に降りて肉体をまとう以前

の人類も、「ムー」という地に高度な文明を築いた人類も、そして「アト

ランティス」に移り住んだ人類も全部アトランティスでくくられています。

そして、その時間の幅が少なくても10万年という非常に長いスパーンに

なっているのです。

 

人類の発生を1千万年前と述べたあと、ケイシーがアトランティスの年代

について具体的に述べているのは、「ラムがインド入りする約10万年前」

といった箇所です。

 

このように具体的に年代を述べているケースはそう多くはありません。

そのほかには、最初の破壊期がやってきたのは紀元前5万年、第二の

破壊期が紀元前2万8千年、そして、第三の破壊期、つまり大陸の沈没

が先に紹介したように紀元前1万年前、といった年代が述べられている

程度です。

 

ここには、神智学における「七つの根幹人種」論の影響があるのかも

しれません。神智学では、七つの段階のうち第四段階をアトランティス

期(第四根幹人種)としているのです。

 

もっとも、神智学では、W・スコット=エリオット著、『アトランティス

およびレミウリア物語』をベースにしながら、アトランティスの時代を

百万年とし、3回の大変動で水没したとされるのですが。

 

よって、過去世がアトランティスであったとする人物のリーディングを

見ると、その人の生きた時代の状況はかなり詳細に述べられているのに

対し、それがいつの時代かがきわめて漠然としていたり、信じられない

ような太古であったりするのではないかと思います。

 

さて、ケイシーは、これだけにとどまらず、さらに変貌をとげてゆきます。

 

ケイシーは、アトランティス滅亡の経緯が現代に世界にも影響を及ぼして

いるという観点から、20世紀における数々の天変地異の発生を予言する

ところにまで至るのです。

 

具体的には、地球はアメリカ西側で分断されるだろう。日本の大部分は

海中に没する。アメリカ東岸沖に陸地が出現するだろう。北極と南極に

大異変が起こり、それが熱帯の火山噴火を誘発し、その後に地軸が移動

するだろう。その結果、今まで寒帯あるいは亜熱帯であったところが熱帯

となり、コケやシダの類いが生い茂るようになるだろう。これらのことは

1958年から1998年の間に始まるだろう、などということの予言が

なされています。

 

そして、1998年にキリストが再臨し、その際に「神から選ばれた印」を

持つ者のみが救済されるだろう、とまで予言しているのです。

 

これには、『ヨハネ黙示録』の終末論の影響が見られるとともに、20世

紀末における終末と救済とは、人類が新たに「第五根幹人種」へと進化

するものとするなど、神智学の根幹人種論の痕跡が見受けられます。

 

しかし、結果的にケイシーの予言はほとんど当たることがありませんで

した。そして、このような予言のミスが彼の評価を大きく落として

いったのです。

 

確かに、ケイシーはフィジカル・リーディング、つまり霊的治療の分野で

すぐれた働きをしたと思います。そして、ライフ・リーディングにおいて

も、過去世とそのカルマの影響ということについて、キリスト教の教義に

よる呪縛に悩みながら、曲がりなりにも明らかにしてきました。しかし、

彼がアトランティスについて、その時代の状況を詳しく語ろうとし、

さらにそれに基づいて近未来の予言をなすに至った時、一線を越えて

しまったのではないかと思います。

 

ケイシーの息子であるヒュー・リン・ケイシーは、のちに「もしエドガー

・ケイシーがアトランティスについて語ることがなかったら、どんなに

やりやすかったかと思う」と述べていますが、そうなってしまったのは、

神智学の知識やキリスト教の教義の混入とあいまって、予期しないほど

世の多くの人たちの注目を浴びたことが彼の人生の負担になり、世間の

評価に心を揺らすことによって、当初は、かなり正確であった通信が

徐々に阻害されていった結果ではないでしょうか?

 

特に、予言に時期を明記したことは、致命的であったように思います。

しかし、予言の目的とは、当てることではなく、そういった状況が

到来しないように警告することであるならば、ケイシーの予言も一定
の意味を持った
のではないかと思います。

 
 
 
 
  
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「霊界通信」の真偽-ホワイト・イーグルと神智学2-


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神への帰還 



ホワイト・イーグルの書物で『神への帰還』というのがあります。原題は

Beautiful Road Home」で桑原啓善氏による邦訳ですが、もう一冊、大内

博氏の翻訳本が出ていて、その邦題は『故郷に帰る道』となっています。

タイトルの付け方一つで、印象が大きく変わるものですね。

 

さて、今回は、ホワイト・イーグルにとどまらず、スピリチュアリズム全体

と神智学との関わりについて述べたいと思いますが、その前に、もう少し

ホワイト・イーグルと神智学の関係について補足しておきたいと思います。

 

ホワイト・イーグルは、しばしばイエスの言葉を引用していますが、彼が

キリストというとき、それはナザレのイエスという歴史的な人物そのもの

ではなく、その内実であるキリスト神霊、太陽ロゴスというものにウエイト

が置かれているようです。

 

ホワイト・イーグルは『光への道』の中で次のように述べています。

 

人類が意識の進化の階段を昇ってゆくと、太陽意識、つまり太陽ロゴス意識

の段階に至るとしながら、<皆さんは神の子とかキリストとかいうと、どう

も上面だけで話をします。皆さんのキリストとは観念なのです。一部の人々

だけがキリスト霊を、優しく柔和で愛に満ちたもの、自分の中にあるものと

完全に一つであるものとして認めています。あなた方には、あの太陽ロゴス

のはかりしれぬ光輝は、とてもじゃないが理解はできません。太陽ロゴス

とはすべての人間の生命なのです。そして、この惑星と太陽系の生命なの

です。>

 

<この太陽力が、程度は少ないが皆さん内にあることを憶えていなさい。

それは内在しているのです。><魂が太陽ロゴスの、即ち天界の輝く太陽で

あり、父なる母なる神の一人子である太陽ロゴスの崇敬と讃仰を感じる時、

魂は自分のうちに湧き立つものを感じるでしょう。>

 

これだけでは少し分かりにくいのですが、この太陽ロゴスとは何かという

とシュタイナー人智学などにおいて、主神とされるものです。このロゴスは

太陽に住む六柱の神々の集合体であり、本来は七柱であるが、七番目は月に

いるとされます。太陽に住む六柱の集合体(ロゴス)には、父と子と聖霊と

いう三つの側面があり、父(第三ロゴス)は自然界を形成し、子(第二

ロゴス)は生命を生み、聖霊(第一ロゴス)は人間に意識を授けたという

ことです。ロゴスの最も霊的な部分(アートマー体)は太陽に、生命霊

(ブッディ体)は地球の大気に、知的な部分(メンタル体)は人間の中に

いるとされます。七番目のヤーウェは、ロゴスの一部を細分化して、人類

に与えたのだそうです。

 

なお、神智学では、ロゴスは両性具有で、七柱の神々を内に秘めていると

されます。そして、これをさらに救世神と犠牲神に分けているのは、前回、

紹介したとおりです。

 

ここから、ホワイト・イーグルは、キリスト=太陽ロゴスという人智学

(神智学)の概念をほぼそのまま踏襲していることがわかります。人智学

(神智学)の論説を踏まえて始めてホワイト・イーグルが言わんとする

ことが理解できるのです。

 

さて、もう一つ、ホワイト・イーグルと神智学の関係で気になることが

あります。それは、「正しいチャクラの開き方」が説かれていることです。

チャクラとは、もとはヨーガで使用された言葉で「輪」の意味し、エネル

ギーの七つの結節点を指します。

 

ホワイト・イーグルは、次のように述べています。

 

<日常生活で右に述べた素朴な霊的な生き方(自己を棄て、相手の立場に

立って考え、英知と、日常生活を愛と奉仕に生きるという生き方)をひた

すら実践すれば、魂の窓は浄化されざるを得ないし、窓(チャクラ)は

天界の生命に向かって自然に開かれざるを得ないのです。たとえば、本当

の愛と奉仕を実践すれば、心臓のチャクラが刺激されます。すると咽喉の

チャクラが開き光を放射し始めます。また頭のチャクラが優しく目覚め

させられ、開いて、神智の通路となり始めます。また、体の下方にある

下級三つ組チャクラも、前より美しい形をとり始め、上級三つ組みチャクラ

のコントロールをうけその支配下に入っていきます…即ち、キリスト人、

内在の神の英知と愛と力の統制下に入ります。>

 

ただし、危険を伴うチャクラの開き方があるとも述べています。魂の前

には、二つの道が開かれていて、一つは、愛の道、すなわち深遠の道。

一つは、強制して開く、すなわちオカルト的な道があるというのです。

 

<強制開花の場合は、多大の注意が必要とされます。強制開花は慎重さが

ないといけません。いったん花が開いてもしぼむかもしれないのです。

ですから、花がしっかり命と力を持つまで、花をつけた木は注意して扱われ

ないとだめ>だということです。

 

また、人類には、小イニシエーションと大イニシエーションの二つのタイプ

のイニシエーションがあり、小イニシエーションの方は、人間の生活の中で

次々と体験されるが、大イニシエーションの方は、明確な霊的経験だと述べ

ています。

 

<大イニシエーションは、見習の道を歩いてきた人たちが体験します。この

イニシエーションで上位の三つ組のチャクラ、心臓・喉・頭のチャクラが

鼓舞されます。しかしこの三点を、下位三つ組のチャクラ、太陽神経叢・

仙骨・根のチャクラと切りはなしてはなりません。下位の三点も大イニシ

エーションと関係があります。これらすべての光点は、道を進むにつれて

生命と力を増していくのです。>

 

<人間の霊は、小さな光のようなもの、つまり、太陽から出た生命の火花

です。太陽といっても空にある太陽ではありません。その太陽の背後に

ある太陽、つまり永遠なる宇宙霊太陽です。われわれすべてはその太陽

から息吹き出た小さな炎のようなものです。そうして進化の過程の間に、

この小さな光は成長し、遂には光眩しい太陽星、キリストになります。>

 

さて、前回も紹介した神智学徒のリードビーターは、『チャクラ』という

書を著わしていますが、それの主な特徴は、伝統的なヨーガの修行法が

神智学の理論に照らして再解釈されていることです。

 

古典的なヨーガの理論においては、七つのチャクラが段階的に覚醒する

にしたがって、修行者の魂が大宇宙と合一してゆく経緯として描かれるが、

リードビーターはそれを、ブラヴァツキーの七段階の周期説や世界構造論

と融合させているのです。

 

彼によれば、世界の頂点に位置する神は「ロゴス」と呼ばれ、そこから

流出する三つの力によって、七層からなる世界と身体が形成されるとされ

ます。伝統的なヨーガにおいては、「微細身」や「原因身」といった身体

上の用語が存在するが、リードビーターの『チャクラ』においては、

それらが「アストラル体」や「エーテル体」といった神智学用語に置き

換えられています。

 

リードビーターは、人間はチャクラを覚醒させることによって、肉体を包み

込む霊的身体の存在のみならず、宇宙における霊的次元の多層性を知覚する

ことができる、つまり、霊能力を開発することができると述べているのです。

 

ここからも、ホワイト・イーグルがヨーガ理論を再解釈した神智学をさら

に再解釈して流用していることが伺われます。

 

なお、水波霊魂学では、水波一郎氏の著書『瞑想の霊的危険』のなかで、

瞑想の副作用について、また、チャクラの開発にかかる危険性について

詳しく述べられていますので、関心のある方は読んでいただきたいと

思います。

 

さて、かなり前になりますが、「神智学とスピリチュアリズム」という

タイトルで、その時は、両者の違いについて述べました。

 

そこで、神智学の側からなされた批判として、スピリチュアリズムの霊媒

は、自我の断絶があり、受動的で、主体性を放棄している、つまり、意志

を持たない。あるいは、高貴な霊的存在からのメッセージではなく、死後、

あまり年月の経過していないような一般的な死者からのものである、

よって、論理的、哲学的な体系を持たない、などというものでした。

 

一方、スピリチュアリズムの側からは、地上の人類に必要なのは神学の

ような大げさで難解な哲学ではなく、どこの宗教においても説かれるに

至ってない単純な真理であると言った反論や、死後間もない霊魂が、

「死は終わりではない」と語ることは、語られる内容とあいまって、

少なくとも残された身近な者たちにとって、死後生存の信憑性を高める

ための最初の一歩として大きな意味を持ち得る、といった主張がなされた

のでした。

 

しかし、今度は、逆に共通点に目を向けると、上記のような表面的な

対立の裏に、なるほどと思える類似点が多々浮かび上がってくるのです。

 

特にホワイト・イーグルと神智学の関わりについては、ブラヴァツキーの

生涯における思想遍歴をたどると多くのヒントが与えられると思います。

 

(ヨーロッパ期)

青年時代にヨーロッパや北アフリカやアジアの各地を遍歴する過程で、

西洋オカルティズムの知識を習得。高名な霊媒の助手などを務めながら

エリファス・レヴィの魔術論を始め、グノーシス主義、新プラトン主義、

ユダヤ教カバラ、ドイツ神秘主義等の教義を学ぶ。

(アメリカ期)

アメリカに渡り、心霊主義(スピリチュアリズム)の活況を目にする。

当時の社会では、ダーウィンの進化論とキリスト教の教義である創造論

との対立が生じていた。ブラヴァツキーは、科学と宗教の矛盾を解決する

ため、神智学を創始する。

(インド期)

神智学協会の本部がインドに移転される。人種・文化論として、アーリ

アン学説が取り入れられる。ヒンドゥー教や仏教の影響が濃厚となり、

神智学の体系に輪廻転生論が組み込まれる。

 

とにかく、ブラヴァツキーは、当初は、ヨーロッパで最高レベルの霊媒で

あり、心霊実験に参加するなど、スピリチュアリズムとは友好的な関係に

あったのです。しかし、だんだん対立が生じてきて、ブラヴァツキーに

疑いの目が向けられることになります。その結果、心霊研究協会の厳しい

検証が実施されることになり、ブラヴァツキーの虚偽性を非難する報告書

の発表がなされるのです。

 

これにより、神智学協会は大きな打撃を受け、ブラヴァツキーはインドを

退去し、イギリスに渡るのですが、それでも彼女に対する非難は止まず、

世評から距離を取るようになり、書物の執筆に没頭するようになったと

いうことです。

 

これらのことから、神智学とスピリチュアリズムは、お互いに対立しな

がらも、影響し合っていたことが伺われます。

 

しかしながら、それでもなお、なぜ、シルバー・バーチがホワイト・イー

グルを同志と言ったのかについては、しっくりしないものが残ります。

 

あえて、共通項を探すとすれば、両者とも、とにかく、愛、つまり、愛の

思い、愛の行為を最も強調しているように思われます。

 

シルバー・バーチは、愛というものを核としてスピリチュアリズムという

枠組みの中で過去の諸説を折衷し、それをつぎ足して大衆化しようとした

存在であり、ホワイト・イーグルのほうは、神智学や西洋神秘主義の枠内

で過去の諸説をつぎ足して大衆化しようとした存在である、と言えるのでは

ないだろうかと思われます。

 

なお、誤解のないように言っておきますと、愛ということを強調するから

それらは高貴な存在からの通信であるということではないということです。

 

水波一郎氏の監修によるHP『霊をさぐる』の「霊をさぐるためには?」

では、本物の霊界通信かどうかを判断する手掛かりについて次のように

述べられています。

 

<何かと『愛』を強調する霊界通信は偽者である可能性が高い。>

 

「愛という言葉は誰であっても本物だと感じやすい言葉なので、まずは、

愛を語るものなのです。誰かを殺せとか、地球を征服せよとか、誰が見

ても悪人に見えるような悪人は、単なる精神の病気と言えます。偽物は

基本的に、「本物であるかのように見せたい」のです。」

 

<精神論、倫理道徳が多い(具体的な技法や技術を示さない)霊界通信は

偽者である可能性が高い。>

 

「偽物は頭で勉強した知識だけですので、具体的な技法や技術については

分からないのです。その為、いわゆる訓示ばかりになってしまいます。

思想的な事は各種の宗教や神秘思想を勉強すればするほど高度に語ること

ができるからなのです。」

 

したがって、「日本でも西洋でも、高級な霊魂から通信を受けたとして

有名になっているものがいくつもあります。ですが、霊魂学の視点から

見ますと、それをそのまま信じてはいけないように思われます。」<西洋

でも高級な霊魂の集団が霊媒現象に関与した事は確かなようです。ですが、

実際には失敗が多く、成功しても、日本で有名になっていない可能性も

考えられるのです。」「個々には一定の価値のある通信もあるでしょうが、

もう時代が変わりましたので、どの通信も、そろそろ注目する必要もない

のではないかと思われます。>とのことです。

 

とにかく、他者を押しのけてでも自分が物を食べなければ生きられない、

他の生命体を犠牲にすることによってしか生きられないというこの物質

世界において、その厳しい現実を直視せず、ただ観念的に愛ばかりを

叫ぶことは、自己欺瞞にしか至れないということなのでしょう。








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ホワイト・イーグルと神智学


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 光りへの道
 
 
以前、一度、紹介しましたが、スピリチュアリズム普及会のHPでは、

ホワイト・イーグルについて、「シルバー・バーチは、ホワイト・イーグル

を同志と呼んでいますから、“通信霊”としては高級であることは間違い

ないと思われますが、「霊界通信」として見たときに純粋なものとは言え

ません。」「霊界通信の純度という観点からすると、ホワイト・イーグルの

霊界通信には多くの問題点があります。「霊媒の潜在意識の混入」が随所

に見られます。キリスト教の影響、神智学の影響が濃厚に見られ、通信

内容の純粋さという点で大きな疑問符が付きます」と述べられていました。

 

そこからは、基本的には、シルバー・バーチとホワイト・イーグルは、

同志的な関係にあること、ただし、ホワイト・イーグルの通信は、高級

ではあるが、霊媒の潜在意識の混入があり、神智学、そしてキリスト教の

影響が見られる、と見ていることが伺われます。

 

しかし、あれだけ神智学を、たとえば、七つの霊的世界論、身体論などを

批判していたシルバー・バーチが、ホワイト・イーグルを一方で同志だと

いうのか理解に苦しみます。

 

そこで、今回は、ホワイト・イーグルの『光への道』を紹介しながら、

ホワイト・イーグルと神智学の関係がどういったものなのか、「霊媒の

潜在意識の混入」といったレベルのものなのか、を考えてみたいと

思います。

 

さて、この「光の道」というのは、霊性進化への道を指しているようで、

そこへ参入すること、或いは、その階梯を昇ってゆくことをホワイト・

イーグルは、「イニシエーション(魂の得度)」という言い方をしています。

 

この「イニシエーション」という言葉は、一般的に通過儀礼、つまり、

「ある集団や社会で一人前の成員として認められるための儀式」を指す

言葉として使用されています。ただし、そのほかに、霊的、宗教的な組織

における修行体系への入門、さらに、その修行過程における幾つかの関門

をクリヤーしてゆくことを意味しますが、この場合は後者を指しています。

 

よって、「イニシエーション」という言葉は、ルドルフ・シュタイナー

などは、秘儀参入という言い方をしているようですし、神智学においては

秘伝と翻訳されたりしています。

 

さて、このような意味を持つ「イニシエーション」という言葉は、神智学

におけるキーワードの一つのはずです。

 

神智学徒のアリス・ベイリーは、彼女の著書『イニシエーション』の中で、

<秘伝(イニシエーション)という言葉は、開始すること、あるいは、

霊的生命において新しい段階に入ることである。それは“聖なる道”の

第一歩であり、そしてそれに続く歩みである>とし、また、<イニシエー

ションに関する問題は、一般大衆の間でもしばしば語られるようになって

きた。何世紀もたたないうちに古代の秘儀が復興され、“教会”の中に

内部組織ができてくるであろう。その教会とは数世紀後の教会であるが、

その中核となるものはすでに形成されている。この教会では、第一イニシ

エーションが顕教的なかたちで行われるだろう>と述べています。

 

また、神智学徒のリードビーターは、その著著『大師とその道』において、

人間の生きる目的は、自己の霊性を進化させることであり、それを順調

かつ確実に遂行するためには、大師(マスター)たちが定める指針に

従わなければならないとし、大師に接触するための方法として、さまざま

な宗教の教えを学習すること、とりわけ神智学によって示されたヨーガや

瞑想を実践することにより、精神の波長を大師のそれに合わせてゆくこと

を推奨しています。

 

そして、大師に出会うことができた人間は、次に、大聖同胞団(聖白色

同胞団)の一員となるためにイニシエーションを受けることになる。

イニシエーションは九つの段階から構成され、どのイニシエーションの

段階までを通過したかということに応じて、その人間が同胞団の「ハイ

アラーキー(階級組織)」において占める地位の区別がなされとされます。

 

さて、ホワイト・イーグルの『光への道』を読んでみると、基本的に、

上記のような神智学でいう「イニシエーション」の枠組みを踏襲して

いるように思われます。ただし、特定の修行団体への入門を前提にして

いるものではく、人生即イニシエーションということを語っています

から、実際にイニシエーションに参入するための準備のための書と

いう印象を受けます。

 

とはいうものの、本書には、大師や聖白色同胞団(ブラザーフッド)や

瞑想とチャクラの開発について触れられているところをみると、神智学

的な教説の大衆化という意図がくみ取れるのではないかと思われます。

 

なお、『光りに道』では、四大元素や、十字架が登場します。

 

四大元素とは、古代ギリシャ哲学で提唱された世界を構成する四つの元素

のことで、「地」「風」「土」「火」の四つを指しますが、のちに錬金術に

大きな影響を与えたとされます。そして、この四大元素説は、錬金術師

たちによって占星術と結びつけられたということです。

 

『光りの道』では、イニシエーションを受けるにあたって、風の元素の

学習、すなわち友愛の学習、そして火の元素の学習、すなわち愛、魔法

の火の学習、そして水の元素のコントロール、すなわち平和の学習、

さらに土の元素の学習、すなわち奉仕と犠牲の学習を経なければなら

ないとされています。

 

また、十字架についても語られています。具体的には、最初のイニシ

エーションにおいて、「人は空の彼方に、はるか高くにかかる十字架を

チラリと見ます」と述べてられています。しかし、この十字架は生命の

象徴を意味し、イエス刑死の象徴と受け取るのは誤りだといいます。

 

この十字架は太古からあり、霊的進化のある段階まで来れば全ての人が

見るシンボルである。また、この十字架は、低級な性質の放棄、自己

本位の欲求の放棄、すなわち、神の意志への完全な捨身、愛の奉仕に

打ち震えたものの象徴であると述べています。

 

そして、さらにバラの花が登場するのですが、そうなると、十字架と

バラ、すなわち、西洋における秘教的伝統の一つである薔薇十字の行法、

薔薇十字の秘儀参入(イニシエーション)を想起せざるをえません。

 

ルドルフ・シュタイナーは、『薔薇十字会の神智学』において、薔薇十字

の秘儀参入について、次のように述べています。

 

<叡智へと飛翔する最も新しい道は、薔薇十字の修行道です。この修行道

は過去ではなく、未来を修行者に示します。><一定の方法によって、

人間が自分の中に有している叡智を発展させるのが薔薇十字の行法です。>

 

<これは非キリスト教的な道ではなく、現代の状況に適応したキリスト教

的修行道であり、本来、キリスト教的修行道と(東洋的な)瑜伽(ヨーガ)

道の中間にあるものです。>

 

<薔薇十字的修行道においては、イエス・キリストの人格に対する確固と

した信仰という前提は多かれ少なかれ、廃止されます。>

 

<薔薇十字の修行も七段階からなります。>そして、 最初の段階に学習

がありますが、<薔薇十字的な意味における学習とは、物質的現実では

なく、高次の世界から獲得された思考内容への沈潜、すなわち、純粋思考

の中に生きることです。><薔薇十字的神智学を学ぶことが薔薇十字的

修行の第一段階なのです。>

 

<薔薇十字の導師は人類の進化を語り、感情がおのずと目覚めるように

するのです。薔薇十字の導師は宇宙の事実そのものに語らせます。>

<ですから、薔薇十字の修行においては、師に対する絶対的な帰依は

要求しはしません。><師は弟子に、師なしにも存在する宇宙的真実を

語るのです。>

 

以上のことから、薔薇十字的行法なるものが現在において果たして価値を

持っているのかどうかは別にして、ホワイト・イーグルは、神智学のみ

ならず、その他の雑多な西洋における神秘主義の教説をも取り入れて、

それを大衆化しようとしたことが伺われるのではないかと思われます。

 

しかしながら、ホワイト・イーグルが借用した神智学そのものにまで

さかのぼってみると、太田俊寛氏が『現代オカルトの根源-霊性進化論

の光と闇-』において、「全体として見れば、ブラヴァッキーが構築した

神智学の教説とは、西洋オカルティズムの世界観を基礎に置きつつ、秘密

結社・心霊主義(スピリチュアリズム)・進化論・アーリアン学説・輪廻

転生論といった雑多な要素を、その上に折衷的に積み重ねていったもの

と捉えることができる。その意味において神智学は、古代以来の西洋的

隠秘主義(オカルティズム)や秘教主義(エソテリズム)の伝統に連なる

ものであり、その現代的亜流にすぎない、言わなければならないだろう」

と述べているところから、霊魂からの通信という形態をとって神智学を

大衆化しようとしたと思われるホワイト・イーグルにおいて、どんな教説

が出てきても不思議ではないと言えるのではないでしょうか?

 

よって、ホワイト・イーグルについては、「霊媒の潜在意識の混入」と

いった霊媒の問題ではなく、通信を送った霊魂、あるいは霊魂団の意図

が反映されている可能性が高いように思われます。

 

もっとも、水波霊魂学によると、西洋の「霊界通信」は、霊媒が総体的に

そのための霊的修行と訓練を経ていないため、通信を送りうる霊魂は、

それほど意識の高い方の霊魂ではなく、真実が表現されることは少ない

ということですが。

 

次回は、ホワイト・イーグルという枠を越えて、スピリチュアリズムと

神智学の関係をもう少し掘り下げてみたいと思います。

 

 
 
 
 
 
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