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「観無量寿経」2-阿弥陀仏観察経典から本願力経典への展開-



観無量寿経



「観無量寿経」は、浄土三部経の中では一番あとに、つまり、4世紀末から

5世紀頃に成立したもののようで、「無量寿経」や「阿弥陀経」のように、

サンスクリット語の原典が見つからず、製作場所も、中国内、あるいは、

中央アジア、インド外域の西域等々、諸説あって特定されていない

ようです。

 

さて、前回、中国における浄土信仰の流れの中に、修行よりも罪の懺悔に

重きをおく考え方があったということを述べましたが、「観無量寿経」が

訳出されてから半世紀が経過したころ、曇鸞(どんらん)という僧が世に

出たということです。

 

当時、中国は南北朝の時代で、「観無量寿経」に出てくる「王舎城の悲劇」

を地でいくような人心の荒廃した時代であったそうです。

 

曇鸞は、あらゆる現象的存在は因縁によって生起した仮象であり、本来の

すがたにおいては何一つとしてとらわれのない空・無我であるという大乗

仏教の考え方の上に立って、空・無我の真のすがた、絶対的真理の躍動する

ところこそ、光明と寿命とのはかりない世界、阿弥陀仏の本願力の救済界

であるとし、しかも、その本願力は、最も罪深く愚かな人々、下下品の衆生

の上にこそまさしくはたらくとしたそうです。

 

この曇鸞によって、「観無量寿経」は、「無量寿経」や「阿弥陀経」等を背景と

する本願力救済経典として位置づけられることになり、その後の「観無量寿経」

理解の一大潮流を形成することになるようです。

 

そして、隋の時代に入ると、道綽(どうしゃく)という僧が現れ、「観無量寿

経」の教説こそがそのすさんだ時代と人間に最もふさわしいと主張したという

ことです。

 

道綽によれば、「観無量寿経」は「無量寿経」に示される四十八願、特にその

十八願にもとづいて、極悪の人、下下品の衆生が阿弥陀仏の名を称えることに

より、本願力の救いにあずかって最高のさとりに至らしめられることを説くの

がその本旨であって、この経は聖者ために説かれるものではなく、全く

凡夫(愚かな人)のための教えであるとしたのだそうです。

 

(なお、四十八願とは、法蔵菩薩がさとりを得て、一切の衆生を救済しようと

して立てた四十八の誓願のこと。ちなみに、重要視される十八願は、「もし

私が仏になるとき、あらゆる世界に住んでいる人々が、心の底から私を信じ

喜び、私の浄土の境地に生まれたいと願い、たった一声ないし十声の念仏を

となえるだけであっても、浄土へ生まれることができないようなら、私は

決して仏になりません。」というもの。)

 

さらに、曇鸞、道綽らの「観無量寿経」理解の傾向をよりいっそう徹底させた

のが善導(ぜんどう)という僧だそうです。

 

善導は、「観無量寿経」の説法の帰結がどこまでも「無量寿経」の十八願で

誓われ、「阿弥陀経」に諸仏の勧められる、悪人凡夫の願力による称名念仏

生を説くことにあることを徹底的に主張したということです。

 

しかしながら、その後は、中国において、善導のような本願力強調の理解傾向

は展開されなかったようで、天台宗がさかんになるにつれ、禅定し止観する

ことと、浄土を願生して称名念仏することとを併せて行うような修法が流行

して、天台的な止観実践の経典、観心・観仏の経典としての理解が強まって

いったということです。

 

さて、それでは日本における展開はどのようであったのでしょうか。

 

平安時代においては、最澄によってもたらされた天台宗の教義によって、

「観無量寿経」を阿弥陀仏観察の経典として見るものであったようですが、

源信に至って独特の「観無量寿経」観が出てきたのだそうです。

 

源信は、「観無量寿経」が菩提心を発し、戒律を守り、諸善根を修し、心を

静めて、阿弥陀仏を観念する十六観法を浄土往生の因となすことを明かす

もの、としているように、基本は、観察を中心に置く経典であると見なして

いたようですが、彼の宗教体験の深まりの中で、「観無量寿経」は彼の身体

に融け込み、独特な「観無量寿経」観を示すに至ったと言われています。

 

そして、鎌倉時代に入ると、法然、親鸞の登場によって本願力経典として

の大きな展開が図られます。

 

それまでの日中両国の「観無量寿経」の理解は、本願力救済経典としての

理解は途絶えることなく継承されていたものの、観察中心的に理解されがち

であったが、法然は、世の中の動乱を身をもって体験するなかで、「観無量寿

経」を本願力経典としてのみ理解すべきことを強く主張したということです。

 

法然にあっては、「観無量寿経」は常に「無量寿経」と「阿弥陀経」との密接

な関連の上から理解されるべきものであり、これら三経が相まって、第十八願

で誓われた念仏一行往生を説くことを目的とする経典であるとされたという

ことです。

 

そして、いよいよ親鸞の登場となります。

 

親鸞は、その深い内省と、いわゆる三願転入という宗教体験によって、独特の

経典観を打ち立てたと言われています。

 

親鸞によると、「観無量寿経」と「阿弥陀経」との説法には裏にかくされた意味

(隠)と表にあらわれた意味(顕)とがある、とされます。「無量寿経」と

「観無量寿経」・「阿弥陀経」二経の隠説とは、あいまって三経一致して第十八願

にもとづく弘願他力念仏往生の法を明かし、「観無量寿経」の顕説は第十九願

にもとづく要門自力諸行念仏往生の法を明かし「阿弥陀経」の顕説は第二十願

にもとづく真門自力念仏往生の法を示すというのです。そして、このように

第十八・十九・二十の三願による阿弥陀仏の誓い、また、それを三経で説き

ひらいた釈尊の三門のみちびきは、あらゆる者を他力念仏に帰せしめようと

するにあると見たようです。

 

また、親鸞は、王舎城の悲劇こそは弥陀の本願大慈悲海の手廻しによって、

親を殺し母を牢獄に入れ、仏法を破滅する全く善なきもの、すなわち、親鸞

自身のごとく愛憎に沈み、名誉利益をのみこれ求めて、仏とも法とも、なき

ごときものをこそ、わざわざ救うために演ぜられた悲劇であり、「観無量寿

経」の説法は「無量寿経」に示される弥陀の本願の救済がかかる悪人の上に

こそ向けられていることを明らかにするものであるという、まさに信仰的

悲嘆の叫びともいえる見解を持っていたようです。

 

かくして、このように、多岐わたる見解をもたらすに至った「観無量寿経」

ですが、石田充之氏は「観無量寿経」入門のなかで、その全体性に

ついて次のように述べています。

 

観経』(観無量寿経)の全体的な概観としてはいわゆる実践行開説経典

として、浄土往生・浄土実現の三福十六観法定散善行を、その開説の中心

主点としていることが注意されるのである。かく観経』は実践行開説経典

としての意味をもつがゆえにこそ、実践より実践へとその中心的な歩みを

運ぶ仏教の流れの上において、上述のように多岐に亘る流伝を必現せしめ

られたかとも推察される。」「観経』の三福十六観法の実践の説き方は、

観経』成立当時の大小乗諸経典儒教的倫理観等にわたるすべての実践

法則を綜合統一して浄土往生の実践としての弥陀観法に結帰せしめようと

した意図が窺われるのである。しかもまたさらにかような一般的倫理まで

関連する全仏教的実践の綜合統一が、かような実践的態度に最も背反する

阿闍世の王舎城悲劇を中心として展開せしめられている所に、観経』を

して最も現実的な生命ある経典たらしめたことが考えられる。」

 

つまり、元来、観法を示す実践的な経典の体裁をとりながらも、親族同士

が殺し合うという王舎城の悲劇を中心に展開されているところから、それを

地で行くような乱世の時代の中で、最も罪深い人のための救済経典として

発展していったように思われます。

 

 


 
 
 
 
 
 
 
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