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「生と死の接点」-ライフサイクル-



生と死の接点01

ライフサイクルについては、以前、何度か死生学に関する論文を紹介したこと

があり、その中で、幾つかのライフサイクル論について触れたことがあります。

 

今回は、そもそもライフサイクルとは何なのか、こういった捉え方というもの

がどうしてクローズアップされるようになってきたのか、そして、今後の課題

は何なのかを、心理学者河合隼雄がユング派の心理学を土台にして述べている

ところを紹介してみたいと思います。

 

従来、人間がこの世に生まれたときから、だんだん成長して成人となり、その

後は年をとり老人となって死に至る、そのような変化を追求する学として、

心理学に発達心理学というものがありました。

 

これによって、人間の発達の様を相当に明らかにすることができたようですが、

それは自然科学的な方法によるものであるために、外的な観察可能な事象に

重きを置くことになりがちであったようです。

 

しかし、一方で、フロイトが深層心理学の立場から、発達段階に関する独自の

理論を作り上げましたが、このようなフロイトの理論を踏まえ、アメリカの

エリク・エリクソンという精神分析学者が、それを拡張した形で、人間の全

生涯にわたる発達段階の図式をライフサイクルとして提唱したことにより、

彼のアイデンテの考え方と共に、ライフサイクルの考えは、広く一般に

知られるようになり、今日のように、わが国においても一般化するように

なったということです。

 

エリクソンは、フロイトによる発達段階の理論、つまり、青年期に人間の自我

が確立するまでの段階を、性衝動の顕れに注目して設定する考えに、社会的

観点などを加え、それに後の段階をつけ加えましたが、そこには、なお、

西洋文明特有の「自我の確立」という観点が強力に働いていることは

否定できないようです。

 

ただし、フロイトの場合、それは壮年の男性をイメージすることによって考え

出された発達段階であり、より強くなり、より高く昇ることに目標が置かれて

おり、その発展段階が壮年をもって終わりとするものであったが、エリクソン

の場合は、相当の発想の転換があり、そこにはユングの影響があったのでは

ないかとしています。

 

著者によると、ユングにとっては、人生前半の強い自我を確立してゆく過程

よりも、人生の後半の問題が重要であったようです。

 

つまり、ユングは、人間が自我を確立するということは、その自我にとって

受け入れ難いことを排除することであるが、中年以降になって、ある個人が

社会的地位や名声などを築きあげたとき、自分が今まで無視してきた半面に

気づき、それを取り入れようとすることから危機が始まるという。しかし、

評価されないものを取り入れることは困難であり、破滅的な状況を迎える

かもしれないが、このような人生の後半の問題に直面して生きることに

よってこそ社会的な一般的な評価とかかわりのない真の個性を見出して

ゆけるとしています。

 

では、なぜ、ライフサイクルの問題が、多くの人に関心をもたれるように

なったのでしょうか?

 

どうも、多くの人々に関心をもたれるようになった背景として、平均寿命が

急激に伸びたことが見逃せない要因になっているようです。人生50年と

言われた頃と比べると、80歳近くまで生きる人が増えて来る中で、より

強く、より高くと思って努力を続け、ある程度目標を達成して死んでゆく

というパターンは少なくなり、多くの人が老いてゆくことについて真剣に

考えざる得なくなっているということです。

 

また、著者は、ベトナム戦争後のアメリカなどを見ると、欧米中心主義が

崩壊してゆくことと、ライフサイクルの考えが一般に受け容れられてゆく

ことは、案外、深いところで結びついているのではないかと述べています。

 

そもそも、人生の後半の意味を強調するユングが、東洋思想の影響を強く

受けていたのであり、現代における東洋の考え方に関心を持つ人の増加と、

人生の後半の意味を考えることによって、人生全体を見ようとする態度

とは大いに関連があるとしています。

 

そこで、古代、とりわけ、いにしえの東洋に目を向けてみますと、古人に

とって、人生を全体として把握するということは、むしろ、当然のことで

あったことが分かります。

 

まず、中国の孔子の「論語」にある、「吾れ十有五にして学に志す」から「七十

にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」までの有名な言葉が想起されますが、

著者は、「三十にして立つ」「四十にして惑わず」という、西洋的な自我を確立

するような表現の後で、「五十にして天命を知る」というところから、それまで

とは方向が変化することに東洋的な知恵が感じられる。人生後半におけるこの

ような態度の変更が、七十歳に向かって完成してゆくための要因としてはたら

いていると思われると述べています。

 

そして、それは老化という自然の生理的な流れに逆らうのではなく、うまく

身をまかせて完成に至る道であるとしています。

 

もう一つ、インドのヒンドー教の「四住期」というライフサイクルの考え方

も注目されます。

 

これは、上位のカーストに属する人々が、人生の理想的な過ごし方だとして

いたもので、人間の一生を、学生期、家住期、林住期、遁世期の四つに

分けて考えるものです。

 

学生期には、厳格に禁欲を守り、師の言うことにひたすら耳を傾け、心を

こめて学ぶこと、家住期には、親の選択に従って妻帯し、職業について

きちっと生計を営むこと、林住期には、結婚生活によって得たもの、財産や

家族などすべて棄て、社会的義務も棄て、人里離れたところで暮らすこと、

最後の遁世期には、この世への一切の執着を捨て去って、家もなく、財産も

なく、乞食となって巡礼して歩く生活を送ることが求められるということ

です。

 

このようなインドの四住期説に見るライフサイクルの考え方は、我々に

とっても共感を呼ぶものであり、多々教えられるところがあります。

 

しかしながら、それを実際に実行するとなると、我々現代人が大切と考えて

いる、人格とか自我ということを無視してしまわなければならないことに

なります。

 

西洋近代の自我形成とは異なるにしても、我々日本人にとっても自我の

位置づけ、扱いの問題はないがしろにできないものと思われます。

 

この自我の確立と自我の放棄という真っ向から対立する課題を解決

する方法はあるのでしょうか?

 

著者によると、ユングは、東洋の考えの影響を受ける中で、自我が意識の

統合の中心であるのに対して、人間の心全体、つまり、意識も無意識も

含めた全体の中心として、「自己」というものが存在すると仮定し、人生

の前半は、まず、自我の確立が必要であり、その確立された自我の一面性、

部分性を何らかの意味で補う無意識内の心的内容が、「自己」のはたらきに

よって自我に送り届けられてくるのに対峙し、それを意識化しようと試みる

ことを「個性化」、または自己実現の過程と考え、それが人生の後半のテーマ

であると考えることによって解決しようとしたということです。

 

つまり、現代人は、古来のインドのように個性を捨てることは不可能なので、

まず、自我を確立した上で、あくまで「自己」との対決と相互作用によって、

個性的な自己実現を行ってゆくべきと考えたようです。

 

さて、次回は、イニシエーション(通過儀礼)、老いと神話などについて

触れてみたいと思います。

 

 




 
 
 
 
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ジャンル : 心と身体

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