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新プラトン主義2-「一者」・「知性」・「魂」-



プロティノス2



 

新プラトン主義、とりわけ、プロティノス哲学の最大の特色である「一」

(「一者」)等についてもう少し詳しく紹介しておきたいと思います。

 

「一」という名称は、何かであって一つであるものではなく、純然たる一

そのものを表すということです。それは単一性、自足性を表し、すべての

原因だとしています。また、善も何か善いものではなく、善さそのもの

であるとしています。

 

これは、歴史的にはプラトンの言った言葉、「一はあるものではなく、

名前もなく、説明されることもできない」に由来するようであり、

さらにはピタゴラス派に由来するものだと言えるようです。

 

「一」はそれ自体としては何であるとも規定できないものだとすると、

それについていかほどか理解しようとするならば、それをそれから生じ

たものとの関連において把握するしかないということになります。つまり、

産出されたもの(結果)は産出者(原因)のおもかげをいかほどか保有

しているはずだし、また、少なくともそれを否定的な形で、つまり、

「一は・・・ない」という形で、それをいかほどか理解できるであろう

というのです。

 

では、「一」から何が産出されたのであろうかというと、「一」が産み出した

「すべてのもの」である。そして、「すべてのもの」とは、直接的には知性

とすべてのイデアであり、間接的にはすべての魂と全物理的宇宙を含んで

いるとしています。

 

また、このようなすべてを産み出した力は途方のないものであり、それゆえ

に「一」から直接間接に生じたものは、末端の「素材」を別にして、それ

ぞれが自分の子(結果)を産出する力を持つということです。そして、「一」

は、自己が産出したすべてのものを保全する力でもあるとしています。

 

それでは、どのようにして、「一」からその他のものが階層にしたがって

順次に産出されたのでしょうか?

 

この問題の答えとしてプロティノスが提出したのが、いわゆる「発出論」

ですが、それは特殊な因果関係であり、複雑な意味を含んでいるという

ことです。

 

発出とは、ある意味で自然必然的に生起する事象であり、それは恩恵と

して生じたのではない。完成(成熟)したものは自然に自分の後のもの

を産み出すのであって、それは、いわば満ち溢れて流れ出るものである

としています。よって、かのものは、自足的であり、不変不動のままで

ある。つまり、発出とは、犬が犬の子を産むような生物学的産出や、ある

種から別の種への生物的進化でもないし、物理的因果関係でもないと

いうことになります。

 

かくして、アリストテレスによると、究極の始原は知性ということで

あったが、プロティノスは、「まったく一であるものが、自己を求めて

どこへ行くだろう。どこで自己知覚を必要とするだろうか。・・・自己

知覚を超越しているものは、すべての直知をも超越しているのである」

として、最高の始原が知性を超えたものあり、意識をもたないとした

のです。

 

このことについて、井筒俊彦は、「神秘哲学」の中で、アリストテレスに

よって定立された「思惟の思惟」を超え、「思惟の思惟」の彼方にプロ

ティノスは「一者」を措いた。しかし、その「一者」即「善者」とは、

かのプラトン的な「善のイデア」を更に深遠な相に於いて捉えたものに

外ならなかったのであると述べています。

 

もう一つ、プロティノスの思想において、一者、知性の他に始原として

位置づけられる魂について触れておきたいと思います。

 

プロティノスによると、魂は、知性によって生み出されるとされ、その

限りでは直接の起源は知性であるが、知性を媒介として一者を究極の根源

とする発出の体系に連なっているとされています。そして、魂は、われ

われのうちにある個別の魂だけではなく、宇宙全体もまた魂と身体から

なる一つの生き物であり、宇宙霊魂によって生命を与えられていると

いうのです。

 

そして、原理的なものの一つとしての魂と宇宙霊魂と個別の魂の各々は

どのような関係にあるかというと、宇宙霊魂とわれわれの個別の魂は

一つの魂から生じ、いわば類を同じくするものととらえることができ、

実際に姉妹にも例えられているということです。

 

ところで、非物体的なものである魂と、物体である身体がどのように

結びついているのかについては、「魂は身体の内にある」という表現を

ひとまず用いながらも、実は違っているといいます。

 

プロティノスによれば、実は身体のほうが魂の内にあるのであって、

魂のほうがいわば身体を包含しているというのです。つまり、魂と

身体の関係においては、魂は支配するものであって、身体は支配

される者なのであって、魂の身体に対する価値的優位が前提と

されているということです。

 

また、プロティノスはプラトンの思想を継承して、世界を感覚によって

とらえることのできる可感的世界と、知性によってしかとらえることの

できない可知的世界の二つに区別するが、そこに彼独自の観点を付加

しているという。

 

プロティノスの見方によると、可知的世界と可感的世界は厳然と区別

されるが、決して断絶しているわけではなく、むしろ連続するもので

あり、魂はこれら両方の世界にかかわり、両世界の連続性を担うと

されています。

 

よって、プロティノスは、魂の固有の働きとは、単に思惟するのみで

なく、「自己よりも先のものに目を向け、それを思惟するとともに、

自己自身に目を向けることによって、自己の後ろにあるものを秩序づけ、

整理し、それを支配することである」とし、こうした魂の活動を「降下」

という言葉で表しています。

 

かくして、宇宙霊魂は上方、つまり可知的世界に位置を占めながら、

自己の末端の力を宇宙の身体の内部に送り込む形で、いわば間接統治の

ような仕方で可感的世界にかかわるということですが、では、可感的

世界はどのようにして生み出されたのかという疑問が湧きます。

 

プロティノスは、「魂の影」と呼ばれる「自然」(ピュシス)が魂に

代わって可感的な世界の成立に直接かかわるとみなしたようです。

そして、彼においては、「自然はある種の生命であり、ロゴスであり、

制作する力」だということです。「魂の影」としての自然は、一者から

の発出の体系における最終的な形成力としてさらに「末端のロゴス」を

生み出し、最下位にある「質料」に形相を与え、可感的世界を成立

させるとしています。

 

かくして、<一者 知性 自然(ピュシス)- 質料> という

全存在の階層化がなされたことになります。

 

(つづく)

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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