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「霊的生命体として-この世の常識はあの世の非常識-」



霊的生命体として 

水波一郎 著 アマゾン 発売


「水波霊魂学」を提唱する水波一郎氏は、本書で、この世の常識はあの世の


非常識であると訴えています。


 


日本の常識は世界の非常識という言葉がありますが、仮に死後の世界がある


として、現世と死後の世界の間には、それどころではない根本的な相違が


あるとしたら、どうでしょう。


 


ある霊的存在、いわゆる霊魂が「この世の人達の言う善い人間が、天国の


ような世界に入れるわけではありません」と言ったというのです。


 


もし、仮に死後の世界があるとしたら、人間がこの世で生きる価値とは何


なのか。それを知りたい人が、死後の世界を前提にしない哲学や思想を


どれだけ学んでも、何の役にも立ちません。死後の世界へ行ってから、


現実が理解できたとしても手遅れかもしれない。仮に、この世の行動で、


死後、生活する世界が決まるのであれば、事前に知っていないと不幸に


なってしまう可能性が高い。「この世にいる時に、ああしておけばよかった」


とか、「あんなことさえしなければよかった」とか、そうしたことをいくら


悔やんでも、あとの祭りになってしまいます。


 


要するに、もし死後の世界があるとすれば、死んで、いずれ事実を知るに


しても、死んでからでは遅すぎる、死んでからではどうにもならないこと


がある。よって、霊的世界の真実を、死後の世界の存在、霊魂に問うた


のが本書であるとしています。


 


では、最初の章(第一章)で、霊魂の世界、いわゆる死後の世界の常識、


しかし、我々からすると、混乱、困惑するような死後の世界の実情に


ついて述べられているので、少し紹介しておきたいと思います。


 


<愛ある行為が正しいとは限らない>


 


善悪は、人々がそれぞれの社会の中で、便宜的に見出した価値基準である。


よって、地域環境が生み出した倫理道徳が、霊的な善悪とは別であるとき、


そうした倫理を前提にした愛の行為も、霊的生命体としては間違っている


かもしれないのである。


 


また、霊的な世界は幽体という霊的な身体で生きている。幽体が不調になると、


死後の世界では、どんなに立派で心がきれいな人であっても、霊的に進歩した


霊魂たちの住む世界には入れない。どんなに愛が深くて立派な人であっても、


誰かが強い念を出せば、その人の幽体は傷つき、その人は、死後、その人の


幽体にふさわしい世界(苦しみの世界)に行くのである。


 


つまり、本心からの愛に基づく行為をしたとしても、霊的世界の法則は、それ


とは無関係に人を不幸にしてしまうのである。愛による行為は尊い。しかし、


この世で行う愛の行為は、この世の社会の中での正しさである。


 


<人々の正義は霊的に正しくない>


 


社会というものは、社会を構成する人たちの価値観と利害で動いている。


正義は口だけで、実際には、利害が一致する人の肩を持つことによって、


自分を正当化している人がほとんどである。


 


社会が複雑になり、人種や民族が複雑になると、その分、正義も複雑になる。


大きな社会になればなるほど、まとまりにくくなり、その分、それぞれに


正義が誕生してしまい、最後は法律で決着するしかなくなる。


 


しかし、法律は人々の多数意見の反映であったり、時には権力の側の都合を


反映していたりして、決して霊的な価値観は反映されていない。つまり、人々


の正義が最後は裁判で決着する社会にあっては、そこに霊的な正義はないの


である。


 


<イジメは悪なのか?>


 


霊魂の世界は、物質の身体をもっていないため、食事がいらない世界であり、


働く必要もない。また、年もとらなければ死ぬこともない。よって、この世では


殺人が一番の罪であるが、殺人が存在しない世界である。


 


そして、イジメについても、人間の社会では悪そのものであるが、霊魂の世界


から見ると、いわゆる悪霊からは、自分がイジメに加わらないかぎり、別に


面白くもない普通に行為に見えるし、高級霊魂から見ると、人間という確固と


した人格の所持者が、個々の自由意思によって行っている行為であり、かわい


そうではあっても、本来は干渉できない事柄である。


 


しかし、イジメの結果、いじめる側も、いじめられる側も、ともに強い攻撃的


な念を発することによって、お互いの幽体が傷つき、不調になって、その結果、


悪霊の干渉を受けやすくなり、死後は、苦しみの世界に入る可能性が高くなる。


 


<霊的真理とは嘘である>


 


人々の死後の幸福は幽体の状態にかかっている。善悪にばかりかかわって


いても、死後、上の世界に入ることはできない。


 


ましてや、最近流行っている霊的真理などというものを信じてはいけない。


霊魂の世界は広大で物質の世界の人達が理解することは困難である。理解


できるレベルの内容であれば、それは真理と言わない。


 


人間の肉体の脳には限界がある。限界のある脳で、神霊や高貴な霊魂を


理解できるはずがない。そうした方々の御心が理解できないのに、


どうして真理が示せようか。


 


「愛」や「霊的真理」、人々は、このような心美しい言葉に騙されてしまった


ようです。だが、人は成長して初めて愛を知り、愛を語り得る。愛は霊的な


成長に応じて深まるものだということです。


 


あとの内容については省略しますが、項目だけ紹介させていただきますと、


<第二章>( 霊的身体の進歩)では、龍、天狗といった霊的生命体について、


また、霊的身体の成長とその技法(神伝の法)について述べています。


 


そして、<第三章>(高貴な存在)では、文字通り、富士の神やイエスや


ラ・ムーといった高貴な存在について述べられ、<第四章>(霊的な現実)


では、霊的分野に横行するニセモノやインチキ、そして数少ない本物に


ついて、また、犬や猫の霊的実情について語られています。


 


さらに、<第五章>(人々の社会)では、霊的な観点から見た人間社会に


ついて、とりわけ、自由、政治、宗教、人間と進歩などについて語り、


そして、最終章の<第六章>(霊的な真実)においては、それまでの章の


主張を踏まえて、「真の悪」、「邪教」、「人殺し」、「救い」、「救い主」、


「愛の死」について語り、訴えています。


 


霊的世界の真実の一端に触れたいと思う方は、一度、読んで見ては如何


でしょうか。








 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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