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ハタ・ヨーガの思想構造-ヨーガの思想・哲学3-


ヨーガ根本教典 



古典ヨーガは、ヨーガの原型として今日にも残っているが、その後の社会的な

変化とともに世界の具体的な構造への関心が高まるなか、新しいかたちのヨーガ

が追求されることになり、それは「ハタ・ヨーガ」と呼ばれる体系にまとめられ

たということです。

 

より具体的には、この種のヨーガは、8、9世紀から徐々に形成され、13世紀

にゴーラクナート(ゴーラクシャ)という人によって大成されたとされています。

 

「ナート」とは、導師、主を意味する言葉で、ゴーラクナートのような神秘的な

力を行使する行者を指す呼称で、彼らはしばしば呪術者であり、ときにはシャー

マニズムの要素をも持っていたようです。

 

彼は、「ハタ・ヨーガ」と「ゴーラクシャ・シャタカ」を著わしたと伝えられて

いますが、かなりの時をへて、このハタ・ヨーガの行法を説明した著作がいくつ

かあらわれたということです。

 

16世紀ごろに、スヴァートマーラーマが「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」

を著わして、ハタ・ヨーガを体系的に説明し、その後、ゲーランダが解説書

「ゲーランダ・サンヒター」を著わしたということであり、ハタ・ヨーガの

解説書としては、この二著が特に重要視されています。

 

「ハタ」とは力という意味で、ハタ・ヨーガとは、力を込めてなすヨーガ、

激しいヨーガという意味です。インドの伝統的な解釈では、ハタは日と月、

または呼吸を表しているとされていますが、それは教義的解釈だという

ことです。

 

さて、「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の構成は、「ヨーガ・スートラ」

と違って組織立っていて、第一章 体位法(アーサナ)、第二章 調気法

(プラーナーヤーマ)、第三章 ムドラー(印相)第四章 ラージャ・ヨーガ

の全四章から構成されています。

 

第一章は、主に坐法(多くは座る体位)について説かれていますが、それと

ともに、ヨーガを行うための準備について、つまり、禁戒と勧戒、また、

食物の摂り方、身体の浄化の仕方について言及されています。

 

第二章は、調気法(プラーナーヤーマ)について説かれます。それは気

(プラーナ)をコントロールするということで、ハタ・ヨーガの根幹を

なしているのがこの調気法だとされています。古典ヨーガの場合も、

体位法(坐法)の次に調息法(調気法)が来ます。しかし、それは心の

作用を統御するために気をしずめることが目的であったのであり、ハタ

・ヨーガでは、気を集中させることに重点が移り、そこに、クンバク、

つまり、息を留めること そして、バンダ、つまり身体のいくつかの要所

をしめつけるという作法が加わります。

 

また、身体には7万2千本のプラーナ(気)が流れるためのナーディーと

いう気道・脈管があり、そのうち、最も重要なのは、身体の縦軸、すなわち

脊椎のなかを上下に貫通するスシュムナー・ナーディーであるといいます。

 

しかし、一般人は、中央のスシュムナー・ナーディーは汚物で詰まっており、

清掃されないかぎりプラーナ(気)はそのなかを流れていかないため、その

浄化法が説かれています。

 

浄化と調気、クンバカ、そしてバンダを行うことで、初めてプラーナは

スシュムナー・ナーディーをスムーズに流れ、ヨーガ行者は大宇宙の生命

エネルギーと通じ合えるようになるということです。

 

第三章は、ムドラーが主題となります。「ムドラー」は、一般的には「手の

印相」を意味するが、ハタ・ヨーガでは「身体の印相」、すなわち、ヨーガ

を行う際の最終的なかたち、を意味するということです。つまり、定められ

た体位法によって坐り、調気法により「気」を満たし、「ムドラー」によって

スシュムナー気道に眠る女神クンダリニーを目覚めさせるというのです。

 

この第三章から第四章にかけて、ハタ・ヨーガにとって重要なクンダリニー

の概念が登場します。

 

クンダリニーは、平素は背骨の最下端に潜在しているエネルギーですが、これを

覚醒させる、つまり、活性化して背骨の真中を通ずるスシュムナーという管の

なかを頭頂まで貫き上らせることが修行の最大の狙いとされています。クンダリ

ニーがスシュムナーを貫きますと、プラーナがこの管のなかを自由に流れるよう

になって、この管の六カ所にあるチャクラが活性化することになり、それぞれの

チャクラに眠っていた才能が発現するというのです。そうして、遂にプラーナが

頭頂近くにあるブラハマ・ランドラという神聖な室のなかへ流れ込んだときに、

三昧の状態が現れて、ハタ・ヨーガの理想は実現するということです。

 

最終の第四章では、ハタ・ヨーガを経て、ラージャ・ヨーガの三昧に入ることで

得られる偉大な効用などが説かれます。つまり、アートマン(真の自己、真我)

とブラフマン(宇宙我)と合一することにより三昧を得ることができるという

のです。

 

ラージャ・ヨーガとは古典ヨーガのことですが、ラージャ・ヨーガがなければ、

どんな美しい大地(体位)も、夜(保息(調気法))も、ムドラー(印相)も

輝かないと説かれています。しかし、このハタ・ヨーガの位置づけは建前の

ようであり、実際には、ハタ・ヨーガの修練による超常的な能力の獲得が、

ヨーガ行者たちの目的とされることがしばしばあったということです。

 

ところで、哲学的な見地から見ると、ハタ・ヨーガ等の後期ヨーガは、一元論

的傾向があるようです。

 

ヨーガは、もともと一元論的なところがあって、万有内在神論的な傾向もって

いたようですが、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」になって、精神原理と

物質原理を峻別して世界を説明するサーンキャ哲学的二元論の枠組みを取り

入れて体系化が図られました。

 

しかし、後期ヨーガになると、ヨーガは再び一元論的傾向を帯びるのです。

ウパニシャドの思想を受けたインドの一元論的伝統は、ヴェーダーンタ学派

を構成し多くの学匠を輩出することになりますが、そのうちで決定的な

影響力を行使した者の一人がシャンカラだとされています。

 

ハタ・ヨーガなどの後期のヨーガは、一様にヴェーダーンタ的特徴を備えて

いるが、特にシャンカラが唱えた徹底した一元論思想をからの影響が強いと

いうことです。そこでは「知」のみが解脱の手段とされ、自己の内奥に潜む

「知」へと至らせてくれるのがヨーガだとしています。

 

以上、ヨーガというものの流れをざっと見てきましたが、そこには確固と

した思想、哲学に裏付けられた優れた技術の体系、霊的修行の体系がある

ことが伺われます。

 

しかし、現代のヨーガ、とりわけ、我が国ヨーガを取り巻く状況を一瞥すると、

それの多くは、健康法としてのヨーガ、美容のためにヨーガでしかなく、また、

一方で、単なる超能力開発の手段でしかないという現状を目の当たりにします。

 

それでいいと言う人もいるかもしれませんが、私は、大変もったいないこと

ではないかと思います。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
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