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シルバー・バーチの再生論への疑問(1)




古代霊は語る 

 

シルバー・バーチの再生論については、スピリチュアリズム普及会公式サイト

の<「シルバー・バーチの霊訓」とは>のなかで、次のように述べられて

います。

 

「「再生」についてはスピリチュアリズムの内部でも諸説が入り乱れ、長い間、

混乱状態にありました。同じスピリチュアリズムを標榜しながらも「再生観

(再生論)」をめぐって対立し、英国系スピリチュアリズムとフランス系スピリ

チュアリズム(スピリティズム)に分裂してしまいました。」

 

「「再生」は、スピリチュアリズムの中でも最後まで結論が出せなかった、

きわめて難解な問題だったのです。」

 

(コメント)

ステイトン・モーゼスの「霊訓」をみると、霊媒モーゼスと指導霊との

キリスト教の教理をめぐる壮絶な格闘の様相を呈していますが、このこと

からも、スピチュアルズムの多くが西洋の伝統的宗教であるキリスト教の

ドグマの呪縛から抜け出せなかったことを示しているのではないでしょうか?

 

20世紀に入りスピリチュアリズムの歴史が半世紀以上経ったとき、マイヤ

ース霊からの霊界通信によって「再生」の真相解明が一気に進められることに

なりました。マイヤースを通じて初めて「類魂」の事実が明らかにされました。

これはスピリチュアリズムにとって画期的な出来事でした。」

 

「再生についての真実を解明するキーワードは、「類魂(グループソウル)」

です。霊界の界層では、同じ霊的成長レベルに至った者同士が集まって一つの

「霊的グループ(霊的家族)」を形成し、共同生活を営むようになります。」

 

「霊的グループ(霊的家族)では、メンバーの間に共通の意識が形成されるよう

になります。霊的家族である霊たちの意識が集合して、一つの大きな意識が

つくられるようになるのです。」

 

「霊的家族では、他のメンバーと自分の心(意識)が融合して“大きな心

(意識体)”が形成され、各自はその大きな心(意識体)を共有するように

なります。これが「類魂(グループソウル)」です。「類魂」とは、集合化した

“大きな意識体(心・魂)”のことなのです。「類魂(共有意識)」の中では、

自分が他人と一つとなり、他人が自分と一つとなってしまうような心の融合現象

・意識の融合現象が発生します。」

 

「「類魂」に関する霊的知識はスピリチュアリズムの中で最も深遠なものです。」

 

(コメント)

マイヤーズ霊とは、生前、学者であり詩人でもあったというスピリチュアリスト

のF・W・H・マイヤーズが、死後、20年ほどして霊媒をとおして再びマイ

ヤーズであると名乗って通信を送ってきたという存在ですが、そのマイヤーズ

霊は、再生に関して画期的な「類魂説」を主張したということです。しかし、

そこにはいくつかの疑問点があります。

 

まず、それ以前に、アラン・カルデックは、「霊はその性向と類似性をもって、

別々の家族集団をつくる」と主張していたということです。

 

そして、マイヤーズは、生前、一人の人間の中には何人もの人間が住んでいると

いう「複数潜在意識」説を主張していたということですが、このアラン・カル

デックの主張も踏まえることができるとすると、これらを発展させて、「霊的

家族である霊たちの意識が集合して、一つの大きな意識がつくられる」という

類魂説に至るのは、画期的、あるいは、それほど深遠なこととは思われません

が、どうでしょうか? 

 

また、マイヤースは、「再生」は類魂全体としてみたときには存在しても、個人

としての「再生」はないかのような言い方をしているということですが、その

あたりは曖昧であり、穿った見方をすれば、再生肯定説と否定説の両方を肯定

しようとする流れを作り出したとは言えないでしょうか?

 

ともかく、スピリチュアリズムにおいて、再生をめぐる長期の分裂の決着がつか

ない中で、マイヤースの類魂説が登場したということであり、それは、「再生」

が個人的な霊的成長を目的として行われるものではなく、類魂全体を一つの単位

として引き起こされる「共同の霊的進化のシステム」であるという考えをもたら

したということです。

 

しかし、スピリチュアリズムは、地上への再生の目的とは、端的に言うと、地上

で様々な体験を通して霊的な成長を成し遂げるためであるとしていますから、

類魂説は、一面では、霊的成長のための豊富な体験を得る合理的な仕組の解明の

ように見えますが、一方で、重要な課題、つまり、霊的成長を妨げる個々人に

とってのカルマの清算(アラン・カルデックのいう罪の償い)をいかに行うかと

いう問題が不問になってしまっているということになります。

 

「カルマ」は霊的成長の足かせとなり、霊的成長を妨げます。」「霊的成長を

なすためには、それ以前につくってしまったカルマを清算することが不可欠な

のです。」「「カルマ清算」は、摂理違反に相当する苦しみを体験することに

よってなされます。」「地上人には苦しみは不幸としか思えませんが、霊的観点

から見ると苦難の体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるありがたい

ものと言えるのです。」

 

よって、「霊的成長のためには地上世界における新しい体験だけでなく、「カルマ

清算」という埋め合わせのプロセスが必要となります。霊界の霊的家族の一員が

大きなカルマを持っている場合には、それが「類魂」としてさらなる霊的成長を

目指すうえでの足かせとなります。1人のメンバーの「カルマ」が、類魂全体の

霊的成長を足止めすることになってしまうのです。」

 

しかし、「自分が犯した摂理違反は、自分自身が苦しみを持って償うというのが

「神の摂理(自己責任の法則)」なのです。他人にカルマの清算を肩代わりして

もらうことはできません。」

 

「そこで「カルマ」をつくった本人が地上へ再生し、苦しみの体験を通して自ら

のカルマを清算することになります。実は再生者の多くが、「自分のカルマ清算」

と「類魂全体の霊的成長のための新しい体験」を求めて地上人生を歩んでいます。

1人の人間が、2つの目的(本人のカルマ清算と類魂全体の霊的成長)を同時に

果たすようになっているのです。」

 

(コメント)

ここで欠落していたカルマの問題に触れているわけですが、シルバー・バーチの

言う「カルマ」とは前世の地上生活で犯した摂理への違反行為であり、苦難の

体験は、カルマを償って霊的成長を促してくれるものであるとしています。

 

しかし、カルマとは本当にそういうものなのでしょうか? 

 

以前にも紹介しましたように、水波一郎氏の霊魂学では、「霊的カルマ」とは、

過去世において経験した、今の人生に影響を及ぼす大きな衝撃、否定的な感情

であるという定義がなされています。そして、それは表面意識(心)の転換で

容易に清算できるものではなく、霊的トレーニングによるカルマの解消と魂全体

の成長の必要性が主張されています。

 

人は霊魂として神々から自由に生きる権利を与えられており、苦しみは神の節理

に違反したからやってくるのではなく、過去世から持ち越した否定的衝動がもた

らすものであるということです。

(つづく)

 
 
 
 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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