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神智学とスピリチュアリズム(1)


霊の探究 


 

近代神智学と近代スピリチュアリズムの違いはどこにあるのでしょうか?

また、お互いに相手の陣営をどのようにみていたのでしょうか?

 

近代神智学の創始者とされるブラバッキー夫人は、初期の頃は実際に霊媒と

なって心霊実験を行っていたとされていますし、多くの場合、神智学は、

スピリチュアリズム(心霊主義)に包括されて説明されていたりします。

 

しかし、両者が19世紀後半の西洋キリスト教世界に同時的に起こった、

物質主義、唯物論に対抗する霊的な運動であるにしても、当事者たちは、自説

擁護の域を超えて、お互いに架橋しがたい差異があると考えていたようです。

 

ここでは、津城寛文氏の「<霊>の探究 近代スピリチュアリズムと宗教学」

に依りながら、まず、神智学の側からの視点、批判を見てみたいと思います。

 

まず、ルドルフ・シュタイナーは、「神智学とスピリチュアリズム」という

講演の中で次のように述べたということです。

 

<16世紀にはじまる信仰と科学の敵対関係、科学の発展が霊的生活の視力を

失わせた。スピリチュアリズムと唯物論との抗争は唯物論に分があった。心理学

が「魂なしの魂の科学」と呼ばれるほど魂の何たるかが見失われた。こうした

流れを受けて近代スピリチュアリズム運動が起こった>

 

<スピリチュアリズムは必要な現象であり、必然の出来事であった。ただし、

自然科学的な方法を魂や霊にまで拡張しようとした彼らの試みについて、問題と

すべきは、彼らの観察は正しかったかではなく、彼らが考えたことが可能だった

か、不可能だったかである>

 

<神智学、スピリチュアリズムのどちらも高次の存在、高次の世界に関心を

もっており、それは共通の源から出ているが、スピリチュアリズムには高次の

世界や存在を探究する方法、技術がなく感覚世界を盲目のまま歩き回っている>

 

<霊的な波の第一段階であるスピリチュアル現象は霊的存在に目を開かせたが、

偉大な科学者たちの失敗は、次の段階が必要になったのに、新たな認識能力を

発達させることなく、現象を単に自然科学的な実験で証明しようとしたところ

にある>

 

そして、最終的に、<人間の意識を切断するのはきわめて危険である。人間は

意識をもって活動的でなければならない。理性を完全に自覚し、理性を完全に

制御していなければ、霊的な力に無力になる。神智学とスピリチュアリズムの

違いは、スピリチュアリズムの霊媒には「意志」がない>と結論づけている

ようです。

 

また、神智学者チャールズ・W・リードビターは、「スピリチュアリズムと

神智学」という著述のなかで、どちらも、人間は不滅で永遠に進歩する存在で

あるという偉大な考えを真摯に保持していると共感しながらも、スピリチュ

アリストが死者の霊の作用によると主張する現象の一部は死んだ人間とは

別の作用者によって引き起こされたものとして批判し、哲学的な体系に関心を

もたないスピリチュアリストがやがてその必要性を痛感するだろうと述べて

いるということです。

 

もう一つ、これは神智学者ではありませんが、近代の代表的なオカルティスト

であるダイアン・フォーチュンの批判を紹介しておきたいと思います。

 

<死は魂が肉体から撤退するときにはじまる。そして、「エーテル的ダブル」

という質料が崩壊していくが、たった今去ったばかりのこの世に、死者の関心

を呼び戻すのは、そのプロセスに悪影響を与え、その者たちを傷つけることに

なり、望ましくない>

 

<死者の魂は、新たな意識の段階に適応し、過去世の出来事の深い瞑想状態に

沈潜する。そして、第二の死が起こり、過去世の記憶とともに人格性が死滅し、

最後の純粋な精神、霊的な本性である個体性が残る。このような肉体の死後も、

長く続く離脱のプロセスに干渉することは、世を去った者の利益を害する生者

の利己心であり、是認できない>

 

しかし、次にように霊媒という言葉を肯定的に用いている場合もあるようです。

 

<霊媒が接触している霊的存在には二つのタイプがある。一つは、輪廻の谷間に

逗留しているだけの魂であり、もう一つは、もはや生死の輪に縛られない完成

された魂である。後者は、「個体性」に達した存在であり、その個体性を構成

する意識のレベルに触れた霊媒が輪廻再生に関する教えを受けることができる。

そして、そのような完成された魂からのみ、オカルティストは通信を求める>

 

もっとも、フォーチュンによると、高級な霊媒はスピリチュアリストではなく、

オカルティストなのであり、オカルティストは自分自身のマインドを特別に

訓練することで、実は自らの霊媒になるというのです。

 

つまり、フォーチュンの場合、死の直後から長く続くプロセスの途上にいる

死者の霊は否定的に論じられるが、遠い昔に地上を去って、進化のプロセスを

はるか先に進んだ霊については、決して死者の霊としては言及されず、別の名

で呼ばれるということになります。

 

なお、スピリチュアリズムから神智学への反論は、次回としたいと思います。

 

 


 
 
 
 
 
 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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