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自我の肥大と憎しみの時代

池田晶子

 (塚田幸三 著 発売 星雲社)

現代人が、私、自分というものを考えるとき、外の世界と明確に区別された

かけがえないない存在をイメージしますが、古代の人たちも同じように

考えていたのでしょうか。

 

シュタイナーによると、古代ギリシャ人は、心象を伴わない思考が目覚め

ており、人間の意識は世界との分離を感じるが、自己の意識と世界との

分離過程が完結していないので、今日の人間とは異なる仕方で思考を

体験していた。つまり、思考を事物に付着するものとして知覚していた

というのです。

 

つまり、古代ギリシャは、自我が悟性魂の中に入った時代であるとされ、

そこでの「私」は、まだ、現代人のような自己意識的な「私」ではない

というのです。

 

古代ギリシャなどでは、心は、自己中心的なあり方ではなく、世界中心的

なあり方をしており、普遍性を持ったものと見なされていたのであり、古代

ギリシャの「私」とは、「我々・人類」の一人としての「私」=「魂」を

意味し、主観と客観、内と外を鋭く峻別する実存的「私」ではないと

しています。

 

一方、シュタイナーは、15世紀以降の人間は、意識魂の時代を生きている

と言っています。意識魂の時代とは、世界についての判断の基準が集団社会

の中にではなく、一人ひとりの個人の中にある、と本能的に感じることの

できる時代であるとしています。

 

価値の判断基準が外的な倫理や道徳ではなく、個人の自由なる意思による

思考に基づくべきとすることは、原理的に正しいものだと思いますが、

それが物質的な欲望と結びついたとき、恐ろしい結果をもたらしたのでは

ないでしょうか。

 

近代西洋文明により、個人のエゴイズムは肥大化し、万人は万人の敵と

なって、恐怖と憎しみの社会をもたらしました。そして、さらに、国家

レベルでは、帝国主義的な権力意志と結びついて強烈な国家エゴイズム

を生み出したように思います。

 

果たして、現代人は、極端に肥大化して、外なる環境や社会的人間関係

を破壊し続ける、まさに怪物と化した近代的自我意識というものを

コントロールし、霊的に変化させることができるのでしょうか。

 

とりわけ、かつては、異なった道を歩み、自我意識が希薄で対象世界に

対する帰依の心が深かったという、我々、東洋人も、ほぼ、そういった

伝統を破壊されてしまったかのごとくですが、果たして再び甦らすこと

ができるでしょうか。

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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