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ブラヴァツキー夫人の実像と虚像


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ブラバッキー夫人 神体






 

前回、ブラヴァツキー夫人に対しては、全肯定から全否定まで、さまざまな評価

がなされていると述べましたが、今回は、主に高橋巌氏の「神秘学講義」の

見解を紹介し、そして、私なりの考えを述べてみたいと思います。

 

その前に、他の評価を紹介しておきますと、「英国心霊主義の台頭」の著者

ジャネット・オッペンハイムは、自らを科学と形而上学の統合者とみなして

いたブラバッキーについて、「無知は明白だが、彼女にとってその知識は東洋

宗教、太古の哲学、そしてオカルトの実践の間に、表面上ではあったにせよ、

つながりを生み、科学と神学の調和を目指す大いなる戦いのための準備とする

には十分であった」と否定的な表現をしています。

 

宗教学者マックス・ミュラーは、「ブラヴァツキーの密教とは、誤解され、曲解

され、戯画化された仏教である。すべてが混乱し、誤解されている。」との

学術的批判をしながら、しかし、それは致命的な打撃にはならず、未知の知識

に心ひかれる者にとって、西洋のあらゆる材料に加え、東洋に源をもつ異国的な

材料を多く含む「混ぜ物」は長い間魅力を振りまいた、と述べています。

 

さて、高橋巌氏は日本におけるシュタイナー研究の第一人者ですが、ブラヴァツキ

ー夫人に対しては、概ね、好意的な見方をしています。

 

まず、高橋氏は、ブラヴァツキーは、その思想の偉大さにも関わらず、思想史の上

でまったく無視されてきたが、近代ヨーロッパが生み出した傑出した神秘学者で

あり、「自我」の、或いは、「個体主義」の思想家であると述べています。

 

たいていの神秘学者は、だんだん集合的になって、最後には伝統主義者になり

がちであり、最後には民族主義者として、ある特定の「血」の思想なり、集団

精神なりを旗印に掲げて、それの下に集まることを求めますが、ブラヴァツキー

を見ると、初めから終わりまで、まったく一匹狼的な生き方に徹した人だと

しています。

 

それが典型的に表れているのは、いわゆる「ドジアン(ジャーン)の書」だ

といいます。ブラヴァツキーの「シークレット・ドクトリン」は、全部この

「ドジアンの書」をベースに成り立っているのです。

 

「ドジアンの書」は、ブラヴァツキーによれば、それは太古のチベットのもっとも

神聖な書として、長い間誰に公開されずに秘蔵されて書物であるが、彼女だけが

特別に見せてもらったというのです。

 

誰も見たことがないといった、馬鹿でもないかぎり、そんなものは存在しないに

違いないということがわかるような本を、太古以来の叡智を発表すると言いながら

麗々しく持ち出しているという点が、ブラヴァツキーの特徴だと高橋氏は述べて

います。

 

それから、ブラヴァツキーの書物の特徴としてあるのは、全然首尾一貫していない

ことであるとしています。

 

ある文献学者が調べたところによると、彼女のもう一つの主著である「ベールを

ぬいだイシス」には、短時間で書かれた書にもかかわらず、少なくとも千四百冊

の本が利用され、そして、その千四百冊の中から、二千百か所の引用がされて

いるそうです。

 

彼女は、そのことについて、自分はいちいち文献に当たったのではない。自分が

ある特定の問題を考えると、目に見えない霊界の導師(グル)が自分に必要な

書物を差し出してくれたので、自分はただそれを眼前に見ながら写していけば

よかったのだと言ったということです。

 

しかし、いいかげんに読むと、実にでたらめに主張しているように見えながら、

まともに真正面からそれにぶつかって読んでみると、実に論理的に、意識的に、

一行一行正確に書こうと思って書いている文章であり、そういう意味で頭の良さ

は無類だと高橋氏は言います。

 

もっとも、今までブラヴァツキーは、透徹した知性の持ち主だという言い方で評価

されたことは、まったくといっていいくらいなかったということですが。

 

そして、ブラヴァツキーは、東洋の神秘学に対して特別な敬意をはらっただけで

なく、徹底的に研究した神秘学者だとしています。

 

彼女は、自分の思想は東洋の中に全部含まれているのだけれども、それを自分

はつみとって、一つの花束として、みなさんの前に提出して見せただけにすぎ

ないという言い方をしているのだそうです。

 

ただし、それは単なるリバイバルではなく、現代の時代の意識にふさわしい

形式でなければならないということです。

 

高橋氏は、ブラヴァツキーやシュタイナーは顕微鏡、あるいは望遠鏡のような

道具を作ってくれたのであり、その書を読むことによって、新しい宗教に

加担するというのではなく、今まで自分の属していた宗教が、今まで以上に

その宗教の本当の意味が理解できるようになる、そういうあり方が、ブラ

ヴァツキーやシュタイナーの望んだ本当の神秘学徒のあり方ではないかと

述べています。

 

そして、近代の神秘学をとおして、別の思想を批判するのなら、もはや近代

の神秘学ではなくなってしまうのであり、近代の神秘学をとおして、ますます

他の思想を評価できるようになるというところが、いちばんの本質なのだと

いうことを考えてほしいと主張しています。

 

ところで、晩年、心霊研究協会の調査によってブラヴァツキーの虚偽性が暴かれ

たとして、神智学協会は大きな打撃を受けたことについても、高橋氏は触れて

います。

 

当初、ブラヴァツキーは、ヨーロッパ最高の霊媒として、大変な霊媒能力を発揮

していたということで、心霊学者はブラヴァツキーを霊媒として大事にし、色々な

実験を試みたということです。

 

しかし、後になって、彼女は、心霊実験の方法論は、自然科学の方法論と変わ

らないため、そこには道徳的契機が欠けている。よって、心霊実験が人間の肉体

と魂の健康に非常にマイナスだと言い出したのだそうです。

 

こうして、もともと、ブラヴァツキーは、性格的に、天衣無縫というか、道徳的

規範からはずれたところがあり、色々なトリックを使ったりして人を驚かすよう

なことを平気でする人であったことも確かであるようですが、心霊研究協会と

の友好関係に亀裂が入っていき、あのようなブラヴァツキーのやったことは全部

ニセモノだという調査報告書が出されたということです。

 

この報告書は、常に良心的に調査された結果であるという見方もあるようです

し、一方で、神智学協会をつぶすために行われたという話もあるようですが、

とにかく、この報告によって神智学協会は完全に一般の社会から葬りさられる

ことになったようです。

 

以上のようなことを踏まえて考えてみると、私は、ブラヴァツキーという人が

人格的に信用のおけない単なる詐欺師のような人だとは思えません。

 

しかし、ブラヴァツキーと神智学に対して少なからず疑問を抱いているのも

事実です。

 

まず、その霊性進化論を核とするシンレクティズム(混合主義、習合主義)は、

のちに雑多な霊的、宗教的組織、潮流を派生することにつながったと思われ

ますが、まさに、それは1980年代、90年代の精神世界ブームとして

よみがえったように思います。私自身、そこに呑み込まれ、翻弄され、その

「混ぜ物」、「ごった煮」の迷宮のような世界を数年はさまよった忌まわしい

経験がよみがえります。

 

次に、霊性、神性の意味が誤って捉えられていたのではないかと思います。

神人への道か、獣人への道かといい、神人への道とは、七つの根幹人種を

経て新たな人種の創出によってもたらされるというとき、それは肉の身体

を持ったまま、神のような存在になることを意味し、そこには神人という

より、いわゆる超人という意味合いが色濃かったのではないかという思い

があります。なぜなら、のちの精神世界ブームそのものが、超能力志向、

変身願望と不可分であり、超能力の獲得と超人への変身が正面切って

主張されるようになったからです。

 

もう一つ、ブラヴァツキーは、第四根幹人種(アトランティス人)の段階で

物質性の領域への侵入が頂点に達し、「光の子」と「闇の子」との対立が

激化し、物質的、動物的領域への転落を招いたと言いますが、結局、第四

根幹人種「アトランティス人」から現在の世界の支配種族である第五根幹

人種「アーリア人」へと進み、最終的に第七根幹人種において最高の進化

段階に達するとしています。そして、アトランティス期のスパーンを

100万年ぐらいと見ているようであり、その前のレムリア期も数百万年

単位であったようですが、これらの真実性はどうなのでしょうか?

 

水波霊魂学を提唱する水波一郎氏は、これと異なった見解を述べています。

 

その著書「神体」において、人という種の地上(物質界)での歴史はそんなに

長くはなく、今から1万1千年ぐらい前に、幽質界において自由に暮らしていた

人類が、地上(物質界)に降り、肉の身体をまとったことから、他の生命体を

食べなければ生きられない不自由な生活が始まり、そこから苦悩が始まり、霊的

カルマが発生したと述べています。よって、「初めの地(ムー)」の歴史が5千年

ほどであり、「後継の地(アトランティス)」は、今から5千年前に千年足らず

でその歴史を終えたということです。

 

よって、霊的な進歩の重要性はいうまでもないことであるが、それは図式的な

法則によって抽象的に展開されるものではなく、神霊よりもたらされた霊的

修行法を極めるという個々の努力によってもたらされるとしています。他の

著書によると、人は、まず、禊法によって霊的カルマを解消し、その上で

鎮魂法により、霊的身体の強化、成長をもたらすことによって霊的進歩、

向上をめざすべきであると主張しています。

 

これらのことから、霊性進化論というのは、古代インドにおける気の遠くなる

ような時間の観念、そして、そこで永遠に繰り返される輪廻転生といった考え

方に、単に「進化」という近代的な概念を付加としたものではないかという

見方ができるように思います。

 

そうなると、古代の宗教、たとえば、古代ギリシャのオルフェウス教などに

おいて、原初の犯罪に対する罰として、魂は墓に閉じ込められるように肉体の

中に閉じ込められた。したがって、人の姿をとった存在はむしろ死の状態に近く、

死が真実の生活の始まりとなる。しかしながら、この「真実の生活」は自動的

には得られず、魂はその犯した過ちと徳によって判定され、しばらくしたあと、

魂は最後の解脱まで輪廻を運命づけられている、と説かれていることのほうが、

真実ではないにしても、より深い示唆を与えてくれるように思われるのですが、

どうでしょうか?

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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