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「転生の秘密」-エドガー・ケーシー2-


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エドガー・ケーシー2








 


先に、ケーシーの「フィジカル・リーディング」から「ライフ・リーディング」


への移行には、アーサー・ラマースという人との出会いがきっかけとなっている


と述べましたが、ラマースというに人は、神智学に関心を持っていたとされ、


神智学の霊魂観、宇宙観が果たして正確なものか、リーディングによって裏付け


をとってみようとケーシーに提案したところから「ライフ・リーディング」が、


そして、「リサーチ・リーディング」が開始されたとすると、神智学という


ものがケーシーの後期のリーディング、つまり、「ライフ・リーディング」に


どう影響を与えたのかという疑問がわいてきます。


 


先に紹介した「現代オカルトの根源」の著者大田俊寛氏は、そのことについて、


「実際のところ、ケーシーとラマースの交流とは、ケーシーがラマースの質問に


回答したというよりも、ラマースがケーシーに対して、彼の活動に理論的背景と


なるものを教えたという方が、より事実に近かったのではないだろうか。催眠


時のケーシーがアクセスしたとされる「霊的な記録庫」は、後の神智学の用語


に倣って「アカシック・レコード」と呼ばれるようになったが、そこにも


ラマースからの影響が窺える」と述べています。


 


そういった可能性は、少なからずあったように思われます。しかし、「輪廻


転生」、「カルマ」、「霊性の進化」といった概念を神智学から受け取った


可能性はあるにしても、ケーシーという人は、個々のクライアントを


対象とする霊的な診断家であり、観念のみを弄ぶ、いわゆる、思想家


ではありませんでした。


 


よって、最初に思想があったのではなく、彼は、病気のために苦しむ人々や、


人生に悩む人々の求めに応じて、その何らかの解決策を示すためにリーディ


ングをおこなったのであり、その数千件に及ぶ実例の中から輪廻やカルマの


法則性のようなものを導き出した人ですから、とても、神智学の範疇に収まり


きらなかったのではないかと思います。


 


もっとも、歴史や宇宙といった抽象的な対象へのリーディング、いわゆる


「リサーチ・リーディング」などにおいては、神智学的な観念が影響を


与えた可能性はより高いと思います。


 


このことは、後程、アトランティス大陸に関するリーディングということで


触れてみたいと思います。


 


それより、彼が敬虔なキリスト教徒であったことの方が、彼のリーディングに


与えた影響を考えると、大きいのではないでしょうか。


 


まず、なによりも、キリスト教の伝統的な観念によってケーシーは、輪廻転生と


いうものに拒絶反応が起こったのであり、それを受け入れるのに長い時間を


要しました。


 


霊魂学の提唱者水波一郎氏の旧著「大霊力」では、ケーシーを指導した霊魂が


次のように述べたということです。


 


「最初、ケーシーは独断的だった。我々を霊魂だと気づくのに時間がかかった。


彼の口は、無意識の状態においても、我々の意識を頑強に妨害した。ところが、


霊的治療や生活指導のときは別である。彼の意識は平然としている。しかし、


こと、予知や、霊力、そして、キリスト教の教義に触れるようになると、大変


である。彼の意識は、我々の力を完全に遮断しようと動きだす。我々は霊魂で


ある。その肉体を我物とする権利を有していない。肉体の脳、肉体の口は、


ケーシーのものである。我々の意識は後退せざるをえなかった。それはいくつ


かの予言の間違いを生んだ。」


 


「しかし、我々にはそれを訂正できなかった。彼は、有名になっていた。そして、


その記録はきちんと管理されていた。その予言の間違いは、ケーシーにも我々


にも、訂正することができなかった。別の人たちの手に渡り、手の届かないもの


になってしまったからである。」


 


「世界はいまも、ケーシーに注目している。それにより彼の理性は混乱を来した。


霊界通信の一種であったケーシーの霊言は、ときに、潜在意識の力と言われた。


そして、また、霊魂団のなせる業とも言われた。だが、そのさまざまな評価は、


ケーシーの心を悩ませた。彼は、リーディングの仕事をすることにより、多く


の注目と浴びた。そして、やがて、それが彼の人生の負担となってしまった。


それを知ったとき、我々は、人生の相談者よりも、予言者よりも、ただの


人間に戻してやりたかった」と。


 


次に、「カルマ」についてですが、もともと、インド的な意味では、「カルマ」


とは、単なる行為という意味のようです。そして、人間の現在の苦しみや


不如意を過去の特定の行為に起因するものとしてその因果関係を指すキー


ワードになっていったようですが、ケーシーの場合は、どうしても、


そこに、キリスト教的な「犯した罪とその罰」というニュアンスが


感じられるように思います。


 


つまり、「投げ矢のカルマ」と呼ばれるように、他人に向けられた有害な


行為は、そのまま行為を犯した者に跳ね返ってくるというのです。自分の


善なる行為がそのまま将来の自分に善の結果を生み、悪なる行為は悪の


結果を生むということです。


 


もっとも、時間差や時代状況といったものに規定されるとしていますが、


基本的には、作用と反作用と捉えています。ケーシー的な言い方にすれば、


人が人生において負うべく与えられている十字架は、彼が前世において


蒔いた種に相当しているのであって、人はそれを刈り取らねばならない


ということになります。


 


しかし、水波一郎氏は、その旧著「霊魂学を知るために」において、


カルマとは、そのような単純なものではないと述べています。


 


過去世で人を殺したから、今度は必ず殺されるとはかぎらない。もちろん、


そういう人も中にはいるとしても、実際のカルマはもっと流動的で複雑


だとしています。


 


つまり、何度もの過去世で一度も人を殺していないのに、今回の人生で


人に殺される人もいるというのです。


 


また、カルマとは、人間の過去世からの行為の集積である。そして、


過去世自身は、何人も、霊魂の世界の住人となって実在している。その


霊的細胞分裂が、今生きている人たちである。(人の転生は、ケーシー


がいうような単純な生まれ変わりではなく、その一部分のみが生まれ


変わるという意味である)


 


そのため、人間はいつも過去の好みや経験による失敗を、無意識の衝動と


して浮かび上がらせてしまう。それが、新しい環境においての選択や、


判断の基準となってゆくとしています。


 


そして、過去世のカルマといっても、表面意識と、霊体(幽体よりもさらに


高貴な身体)の意識、そして、守護霊、指導霊によって、相当に変化しうる


のであり、過去世で善行のみを積んだ人であっても、不幸な事故に巻き込


まれることは十分あり得ると述べています。


 


このようにカルマとは複雑怪奇なものであり、日常生活における心構え、


つまり、表面の心を正しく保つ努力や、善なる行為に励むという形で


解消することは非常に困難であるとしています。


 


したがって、霊的修行法、すなわち、神伝禊法の実践によって解消して


ゆく必要があると主張しています。


 


以上のことから、ケーシーにおける「フィジカル・リーディング」から


「ライフ・リーディング」への移行は、ミスを拡大する結果になって


しまったのではないでしょうか?


 


なお、次回は、「リサーチ・リーディング」について、特にアトランティス


大陸にかかるリーディングに触れてみたいと思います。


 










 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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