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「スピリチュアル」の源流



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精神世界のゆくえ 



日本で「スピリチュアリズム」でもない、そして、「スピリチュアリティ」

でもない、それらをすべて呑み込んだような「スピリチュアル」という言葉が

流行りだしたのは、21世紀に入ってからのようです。

 

この分かったようで、つかみどころのない言葉が意味するものの源流はいったい

どこにあるのでしょうか? そして、それは、最初はどのようなものだったの

でしょうか? 島薗進氏の著書「精神世界のゆくえ」を参考にしながら探って

みたいと思います。

 

「スピリチュアル」は、系統的には70~80年代のアメリカにおける「ニュー

エイジ運動」、日本での「精神世界」ブームと呼ばれたものの流れの延長線上に

あると思われますが、そこでは、自己、あるいは社会の変革への希望や、その

ためのトレーニング、修行といった側面がより希薄になり、より大衆化が進んだ

といいますか、単なる「癒し」や、即効的な利益、現実的なメリトットを求める

ような印象を受けます。

 

しかし、そういったことは、最初から内包されていたものなのかどうか、まず、

「ニューエイジ運動」の成り立ちを見てみたいと思います。

 

島薗氏によると、アメリカにおいてニューエイジ以前には、超越主義、神智学、

スピリチュアリズム、スウーデンボルグ派、ニューソート、あるいは、ヨー

ロッパの精神的(霊的)傍流の諸派、東洋の宗教思想や実践などが併存して

いたが、それとニューエイジとは違いがあるという。

 

ニューエイジ運動は、すぐそこまで迫りつつある新しい時代、すなわち、水瓶座

の時代を先取りする思考、新しい時代を持ち来たらす主な要因となる新しい思考

の代表者であるという自覚を持っていたのであり、そこに、多様な集団やアイ

デンティティのあり方が包み込まれていたということです。

 

よって、そこには、とにかく多様なものが内包されていて、その観念や信念の

明確な輪郭を描くことは難しいが、あえて、それを要約すると次のようになる

としています。

 

まず、理念的な表現としては、

 

<自己変容あるいは霊性的覚醒の体験による自己実現>

 

<宇宙と自然の聖性、また、それと本来的自己の一体性の認識>

 

<感性・神秘性の尊重、つまり、覚めた合理的、分析的意識を抑制し、

感性を尊び、神秘体験や超常的な意識のあり方にも心を開いていく>

 

<自己変容は癒しと環境の変化をもたらす>

 

<死後の生への関心、つまり、死後、意識や魂にあたるものが存続する、

あるいは、その可能性が高いと考える>

 

<旧来の宗教や近代合理主義から霊性科学の統合へ>

 

<エコロジーや女性原理の尊重>

 

といったことになるようです。

 

そして、より明確な表現をすると、<超常的感覚や能力の実在>、<思考が

現実を変える>、<現代こそ意識進化の時代>、<意識進化は宇宙進化の

ひとこま>

 

ということになり、さらに、信念的、信仰的なものが加味されてより具体化

されると

 

<輪廻転生とカルマの法則>、<地球外生命体(ETI)との接触>、<過去

文明の周期と埋もれた文明の実在>、<人体におけるチャクラや霊的諸次元の

存在>、<水晶・音・香・場所などが持つ神秘力>、<指導霊の実在>、

<体外離脱や誕生前記憶の体験による霊魂の存在の確認>、<チャネラーや

シャーマンの真正性>

 

ということになるとしています。

 

よって、これらのうちの全部、あるいは大部分に同意する人々を典型的な

ニューエイジャー、そして、理念的なものは受け入れても、信念的、信仰的

なものは受け入れられない、あるいはその逆という、部分的な同意者を、

ニューエイジ周辺ととらえることができるとしています。

 

ところで、島薗氏は、以上の捉え方は、アメリカに焦点を絞った場合は妥当

であるにしても、この運動はグローバルなものではあり、世界の各地で、

自性的に多様な形で展開しているとすると、「ニューエイジ」の語で語る

のは不適切ではないかと述べています。

 

そして、それを従来の「宗教」とは異なると「霊性」という観念で呼ぶと

して「新霊性運動」という語を提示しています。

 

そして、同じ新霊性運動ではあっても、アメリカのニューエイジと日本で

「精神世界」と言われた流れとで違いがあると述べ、その違いに言及

しています。

 

日本の新霊性運動は、日本やアジアの宗教思想や実践の伝統を発掘し、

それらを継承発展させようとする動きと結びつきつつ展開してきた

ということです。

 

<アニミズム・古神道の継承を説くながれ>

 

<密教・禅・唯識などの仏教の継承を説く流れ>

 

<平田篤胤からで出口王仁三郎らに引き継がれていく霊学を説く流れ>

 

<中国を源泉とする東アジアの気の伝統の継承を説く流れ>

 

以上の四つの流れが有力であるとしています。もっとも、私は、ここに

インドのヨーガの継承を説く流れを加えてもいいと思いますが。

 

ともかく、アメリカやヨーロッパの新霊性運動と大きく異なる点は、欧米の

それはキリスト教や合理性を重んじる正統派の伝統と先鋭な緊張関係にあり、

厳しい批判を受けたり、論争を重ねたりしながら形成されてきたのに対し、

日本では国民的な文化遺産の国際的な自己主張や、近代化の過程で蓄積

されてきた西洋文明の圧迫的な影響に対する、伝統的な霊性の復権として

自覚されているということにあると述べています。

 

以上、ニューエイジや精神世界の時点にまでさかのぼってみると、昨今の

「スピチュアル」と総称されるもののすべてが、すでにそれらのなかに

あったことがわかります。

 

そして、気がつくことは、理念的、能動的な側面が後退し、より、実利的で

受動的なものがより前面に出てきていることです。

 

特に、自己変革であれ、霊的進歩であれ、日本の場合、修行法、瞑想法と

いうものが重要な位置を占めていたはずであったのに、もう、ほとんど

見聞することはありません。

 

技法と言われているものがあるとすれば、速攻で自己の願望、欲求を実現

する法、物を獲得する法ばかりのように思われます。

 

これは、前進ではなく、後退ではないでしょうか? 単に大衆化したと

いうことではないように思われます。

 

もっとも、当時の修行法や瞑想法は、霊的な成長よりも、神秘体験、

そして、超能力や、霊能力の獲得をめざすという大きなゆがみを

持っていたことは確かですが。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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