FC2ブログ

中国仏教と老荘思想


にほんブログ村    
 老荘と仏教

 
仏教が中国に伝えられたのは、西暦紀元前後の後漢初期の頃とされて

いますが、それが中国人、特に知識層に受け入れられるのに、それから

三百余年もの月日を要したということです。

 

もっとも、この間には、帝王階級の一部と庶民層の間に、ある程度の仏教

信仰者が現れたようですが、その仏教信仰の内容は、神仙思想の影響が強く

真の仏教受容とは言えないものであったようです。

 

では、なぜ、三百余年にわたる長きにおいて、仏教のような世界性をもつ

宗教が中国人、特にその知識層に受容されなかったのでしょうか?

 

森三樹三郎氏は、その原因として二つ考えられるとしています。

 

一つは、漢代の知識人は政治的関心が強く、そのために宗教に対しては

冷淡であったという事実であり、もう一つは、漢民族に特有な強烈な

中華意識が夷狄(いてき(外国人の蔑称))の教えである仏教を頑強

に拒んだという事実である、と。

 

しかし、後漢が滅び、六朝時代になると、状況は変化していきます。

四世紀の初めには華北一帯は夷狄の王朝に支配され、漢民族の王朝は

都を今の南京に移し、揚子江を中心とする華南の地方を支配するに

すぎなくなります。

 

こうしたなかで、本来、政治家であり、官吏であった知識人の門閥貴族化

が進んで、哲学的、宗教的な老荘思想が興隆し、また、漢民族の中華意識

に深刻な打撃が与えられることにより、ようやく仏教というものが受け

入れられる地盤が準備されることになったということです。

 

かくして、中華意識は否応なく後退させられ、知識人のうちで、仏教の

理解ないし受容が急速に展開することになるのですが、では、仏教の

どのような点に注目していったのでしょうか?

 

森三樹三郎氏は、これも二つの方向に分けることができるとしています。

一つは、仏教の教義と老荘思想の間にある共通点を求め、老荘思想を

通じて仏教を理解しようとするものであり、もう一つは、仏教の中心を

三世報応の説(現世のみならず、前世、来世にわたる因果応報論)に求め、

輪廻の思想として受け入れるとするものです。

 

両者を比較すると、前者は仏教の教理を老荘思想を通じて理解しようと

するのであるから、本格的な理解であるとはいえないが、次第にそれに

接近する可能性をそなえており、後者は、仏教理解の初学入門の域から

脱しないものであるが、そのかわりに、ひたむきな信仰に達する可能性

が高いということになるようです。

 

今回は、老荘思想と仏教がテーマですから、前者に焦点を絞るとして、

老荘思想にもとづき仏教の理解をなすためには、そこには、どのような

思想的共通点があったのでしょうか?

 

中国に伝えられた初期の仏教経典には、小乗系のものも、大乗系のものも

あったようですが、結局、中国の知識人に受容されたのは大乗の経典で

あり、それも「般若経」の系統のものが中心になったということです。

 

般若とは知恵という意味であり、一切皆空の理を明らかにする知恵の

ことです。すべてを空と見ることにより、あらゆるものの実在を

否定し、その結果として特定のものへの執着を消滅させ、一切を

平等無差別に見る悟りの境地に達するとするものです。

 

般若皆空の思想をこのようなものだと理解すると、それは老荘の思想に

非常に近いようなのです。老子は空のかわりに無というが、その無は

あらゆる有の根本にあるとし、荘子に至っては、老子よりもさらに

般若の立場に近いとされます。

 

つまり、荘子の無限者の立場に立ては、あらゆるものはその対立と

差別を失い、平等無差別となって無限者のうちに包括されてしまう

ことになり、よって、荘子の万物斉同、無限の思想は、般若に対して

最短距離にあるといえるようなのです。

 

このような共通点ゆえに、当初、仏教は老荘を通じた理解をされる

のですが、このような老荘色を帯びた仏教のことを格義仏教と

呼ばれました。

 

逆にいうと、この時代、仏僧が知識人に接近するためには、老荘の知識

ないし教養は必須のものであり、そのため、老荘色をおびた仏教が生ま

れるのは不可避であったともいえるようです。

 

さて、このような格義仏教において中心問題となったのは、般若の空と、

老荘の無とをどのような関係においてとらえられるかということであった

ようです。

 

よって、この仏教の空の格義的解釈について、最も有力な「本無義」説と

いうものを紹介しておきたいと思います。

 

始めて本無義を唱えたのは笠道潜(じくどうせん)という僧で、「すべて

の始めに無があった。その無から有が生まれる。したがって無は有より

先にあり、有は無の後にある。だからこれを本無とよぶ」と主張したと

いう。つまり、無と有とを発生の先後関係においてとらえ、万有に先行

する無を「本無」と呼び、これが般若の空にほかならないとしたという

ことです。

 

森三樹三郎氏は、もし本無義がこのような立場であったとすれば、それは

般若の空を老子の無に著しく引き寄せたことになるであろうし、それは

老子の思想に慣れた中国の知識人に空を理解させるに役立つ一方で、それ

を誤解に導く危険性があったといえようと述べています。

 

そして、仏教の空は、老子に比べれば、はるかに荘子に近いのであり、

それは一切の実在の否定であるから、有の実在性を否定するのはもちろん、

実在化され、対象化された無をも否定するのであるといい、それに対して、

老子の無の立場は、無を尊ぶという無というものへの執着が見られ、無限

の否定の連続である般若の空に到達していないことになり、本無義は空の

解釈としては不適当であるというほかはないとしています。

 

それとともに、仏教を老荘的に理解するということは、最初にサンスクリ

ットの原典を漢字に翻訳したときに始まっていたことであるともいえる

ようです。初期の漢訳仏典では、「涅槃」を「無為」、「菩提」を「道」、

「真如」を「本無」というふうに老荘の語を訳語にあてていたということ

であり、まして経典の内容を理解しようとすれば、老荘の概念に頼らざる

を得ないことになり、初期の中国仏教が老荘的色彩を帯びることはやむを

得なかったということになります。

 

さて、この格義仏教の風潮を克服したのは、西域から北朝の都に迎え

られた鳩摩羅什(くまらじゅう)からであると言われています。羅什は

多くの経典を漢訳することにより、中国仏教に新紀元を開いたとされ

ますが、中国人の思考法の底に深く生き続ける老荘思想は、その後の

中国仏教の展開にも無関係ではあり得ず、六朝を経て隋・唐時代になると、

やがて老荘思想を基にした新しい中国仏教が生まれてくることになり

ます。

 

それが、一見、異質に見える禅宗と浄土教であったということですが、

そのことは、次回に取り上げたいと思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

スポンサーサイト



テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

コメント

コメントの投稿

非公開コメント