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死と罪のはじまり-創世神話3-


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天地創造 神体




死の起源神話は、広い意味で人類の起源神話の一部をなしていて、しば

しば生殖の起源と関連して死もまた始まったと伝えられています。

 

内容的にも死の起源神話は、人類起源神話と対応する構造をもっている

ものもあるようです。

 

たとえば、単独の創造神による人類の創造の場合、創造神の命令に違反

した罪として死が始まったという形式があり、また、二神が対立し、争い

ながら人類を創造した場合、一神は人間に死を、他の神は生を与えよと

争い、後者が勝ったという形式があるということです。

 

そのほか、人間が卵や洞窟から出現したように、死が容器の中から出て

きた形式があり、また、人間が昔はヘビと同様に脱皮したが、脱皮をやめ

たために死ぬようになったという脱皮型神話、食物として石ではなくバナナ

を選んだため死ぬようになったバナナ型神話、人間に不死を与えようという

神の伝令が誤って伝えられたため、死ぬようになった伝令型神話のなどの

形式があるようです。

 

さて、死というものが生じた原因というものを考えるとき、大きく分けると

二つのタイプがあるように思われます。

 

一つは、神が人間に石と植物のどちらかを選ばせたとき、人間が植物を

選んだので人間は死ぬことになったというものや、不死は人間が獲得する

ものであったが、ちょっとしたことでヘビのものになったというような、

誰が悪いのでもない、大昔の些細な出来事の結果として死が生じたという

ものです。

 

もう一つは、女性のせいで死が始まったとするもので、結果として罪とか

罰とかが課せられるようになったというものです。

 

後者の典型が、死の起源、性の起源、罪の起源として、宗教的、文化的にも

っとも大きな影響力をもった旧約聖書のエデンの園のアダムとイブ(エバ)

の物語ですから、今回は、そこに焦点を絞って見てみたいと思います。

 

なお、ギリシャ神話にも旧約聖書と同じような物語があるようですが、そこ

では、いわゆる倫理的、道徳的なモチーフが希薄なように思われます。

 

ところで、創世記では、次のように語られています。

 

<最初の人間の男女であったアダムとエバは、エデンの園という楽園で、

そこに生えている木から、あらゆるおいしい実を取って食べ、性の意識も

もたずに無邪気に暮らしていた。神は、ただ、命の木とともに園の中央に

生えている善悪を知る木の実だけは、「決して食べてはならぬ、それを

取って食べると、きっと死ぬであろう」と言って、食べることを彼らに

固く禁止していた。>

 

<ところが、その「禁断の木の実」を、まずエバが、狡猾なヘビの言葉

に言葉巧みに誘惑されて食べ、アダムにも与えて食べさせてしまった。

そうすると二人は、たちまち異性同士であることに気がついて、裸体で

いるのが恥ずかしくてたまらなくなり、あわててイチジクの葉を綴り

合わせ腰に巻きつけて陰部を隠した。>

 

<すると、そのことを知った神は激怒して、まずヘビに対して、腹で這い

歩き、塵を食べる呪われた生物として、人間の仇敵となるという運命を

定めた。それからエバに対しては、女が苦しんでお産をし、男の妻と

なって仕えねばならぬことになると申し渡した。>

 

<そして神はアダムに対して、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるな、

と私が命じた木から取って食べたので、地はあなたのために呪われ、

あなたは一生苦しんで地から食物を取る。地はあなたのためにイバラ

とアザミを生じ、あなたは野の草を食べるだろう。あなたは顔に汗して

パンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から取られたのだから。

あなたは、塵だから、塵に帰る。」と宣言した。>

 

<それから神は、裸でいられなくなったアダムとエバに皮の着物を作って

着せてやったうえで、彼らをエデンの園から永久に追放した。それで人間

は、アダムに対して神が言い渡したとおりに、苦労して大地を耕して得ら

れるパンを主食にして辛い暮らしをし、死んで土に帰らねばならなくなった

のだ。>

 

また、神は、その実を食べると不死になれる命の木が生えている楽園を、

燃える剣を持った天使たちに厳重に守らせて、人間がそこに行くことが

決してできぬようにしたともいわれています。

 

なお、アダムが犯したこのような「原罪」の塁がすべての人に及んで、

死が人類のすべての人に及んで、死が不可避となったことは、新約聖書の、

パウロによる「ローマ人への手紙」のなかで、「一人の人によって、罪が

この世に入り、また罪によって死が入ってきたように、こうしてすべて

の人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである。」と明言

されています。

 

さて、この物語は、到底、事実そのものだとは思いがたいところがあり

ますが、事実の一端を象徴的に語っているとしたらどうでしょうか? 

 

では、事実はどうであったのか?

 

事実を知る手掛かりとして、水波霊魂学の提唱者、水波一郎氏は、著書

『神体』のなかで、最初の人類について述べられていますので、紹介

してみたいと思います。

 

<至上の神は、先に人間を造られたのではなく、神々を誕生させられた。

そして、神々は上級の霊魂を誕生させられた。上級の霊魂は自分たちの

生活する場所を与えられた。それが上級の霊魂が住む世界である。>

 

<霊魂達は成長した。やがて、霊魂としての成長は、全く新しい生命体と

しての霊魂を生むことを欲した。かくして、上級霊魂達が神霊に願うこと

によって、新しい世界が創造された。それが新しい霊魂達が主として生活

する世界となった幽質世界である。この世界こそは、今の人間が、死後、

生活している霊魂の世界である。>

 

<その世界の生活は実に気ままであった。地上と違い、食べることがない

から働く必要もない。何もしなくても生きられるのである。しかし、あまり

にも自由なため、それに飽きてもっと違う世界を求めた。つまり、彼らは

物質を求めたのである。>

 

<幽質界の霊魂達にとって物質は憧れであった。物資は差別を生む。物質

は一定の容姿を作り、生命を保持するための努力が必要となる。彼らは

物質を支配してみたと考えたのである。>

 

<しかし、上級の霊魂達はその考えを支持しなかった。上級の霊魂達は個性

が大きかった。そして、彼らの欲求が不幸を生むことを察知したのである。

しかし、幽質界の霊魂達は、自由を主張し、ついに上級の霊魂達に戦いを

挑んだ。ただし、それは我々が考えるような戦いとは異なり、自由に議論

することであった。>

 

<両者はどこまでも平行線のままであった。しかし、霊魂の自由はいつも

強く、神々は物質の世界を造られた。それまでの物質はただの物質といった

ものであり、とても霊魂の住みうる場所ではなかった。神々の力により、

物質界はついに生命の住みうる環境へと動き出したのである。>

 

<要するに、人類は初めは霊魂そのものだった。しかし、霊魂達の自由を

求める戦いの中で、その限りない欲求が物質を支配したがった。この時、

上級の霊魂達はこれを思い止まらせようとした。しかし、至上の神が与え

た権限「自由」、これを無視できないために、神々は物資の世界に霊魂の

住みうる環境を発生させられたということである。>

 

<幽質界の後に物質の世界は誕生している。物質の世界には時間があったが、

最初の幽質の世界には物質の世界でいうような時間はなかった。そのため、

幽質の世界では多数の霊魂がまだ議論している程度の間に、物質の世界では

計るのが大変なほど長い時間が経過した。よって、天体の誕生から人類の

誕生までは、地上の感覚では単位が困るほど長い時間であっても、霊魂の

世界は全く別の次元で動いていた。>

 

<今の人間が使用しうると思えるレベルに身体が進化したとき、幽質界の

霊魂が次から次へと侵入したのである。地上に降りた人間は物質の身体を

まとい、物質の食事を食べ、労働し睡眠する存在となった。そして、死ん

で幽質界へ帰る存在となった。>

 

<物質界の歴史は非常に長い。その中の人類の歴史は非常に短い。しかし、

霊魂としての人類の歴史は、物質世界が生命を誕生させてからの歴史より

長いのである。したがって、数万年前、またはそれ以上前から存在したと

言われる人類と、今の人間とは霊魂という次元において別の生命体である。

過去において古い人類と呼ばれた生命体は人類と呼ぶのかもしれないが、

今の人間の魂の先祖ではない。>

 

<現人類の有名な神話に、人間が動物に子孫として現れていないのは当然

なのである。地上の人間達は霊魂の世界がわからない。そのために、古代人

の理性、信仰によって、それぞれの神話は霊感を含んで登場したのである。

したがって、神話は、多くの物語と一部の霊魂による真実が混ざり合い、

変形されて成立したのである。>

 

このことから、旧約聖書では、神の言いつけに背いて禁断の木の実を食べ

たことによって、神の怒りを買い、楽園を追放され、産みの苦しみや労働

の苦しみが始まり、そして、死ななければならなくなったとされますが、

それは、上記の『神体』によると、本来は、幽質界(死後の世界)の存在

で、物質の身体を持たなかった人という生命体が、上級の霊魂の意見、忠告

に従わず、地上(物質界)に降り、物質の身体をまとったために、労働を

して物質の食物を得なければならなくなった、また、時間というものが発生

し、死というものが始まった、ということを示唆しているということが

できると思われます。

 

また、旧約聖書に始まり、キリスト教で主張される「原罪」という考え方

については、本当は、禁断の木の実を食べたがゆえの楽園からの追放では

なく、地上(物質界)への降下、侵入は、認められた自由意志の結果であり、

それは神に逆らった「罪」というより、未熟ゆえの「判断の間違い」という

ことになるのではないかと思われます。

 

ところで、水波一郎氏の近刊『龍』によると、人類の祖先がまだ今のような

文明を持つ人類でなかったころ、そのころ、物質界で生きていた人間たち

こそが龍であったということです。

 

つまり、人間という霊的生命体は、今の人類の身体が登場し、文明が生じ

うる状態になって、初めて物質界の生命として生まれたのであり、それ以前

の人類は、龍という霊的生命体が、物質の身体の所持者であったといいます。

言いかえると、龍が物質の世界で使用していた身体に、今度は人間という幽質

界の生命体が侵入して、物質の身体を使用することになったということです。

 

 




 
 
 
 
 龍
   (水波一郎 著 アマゾン 発売)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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