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アマテラスの誕生


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アマテラスの誕生2 


天照大神というと、現在では天皇家の祖先神であり、それも女性的な

神格であるとされていますが、驚いたことに、かつては、男性神で、

それも蛇であるとされていた時代があったということです。

 

今回は、筑紫申真氏の著書『アマテラスの誕生』によりながら、その

神格の変遷をたどってみたいと思います。

 

さて、伊勢神宮には古来より、皇大神宮の神様、つまりアマテラスは蛇で、

毎晩、その后である斎宮(いつきのみや)のところへ通ってくるという

言い伝えがあり、本書の著者の筑紫申真氏も、皇大神宮の別宮である伊雑宮

(いざわぐう)を訪れたときに、この宮の神官の子孫にあたる人から、村の

人などは、伊雑宮のカミは蛇だったといっている、ということを聞いて大変

驚いたと述べています。

 

また、一方で、アマテラスは、織姫だったとも言われています。つまり、

アマテラスは、七夕まつりの織姫=棚機つ女(たなばたつめ)だという

のです。

 

七夕まつりは、一年に一度だけ男女がゆきあうことや、機女=棚機つ女と

いう名前が似かよっていることなどが、中国から伝えられた星祭りの風俗

をわが国固有のカミまつりの風俗に結びつけて同化させたもののようです

が、このカミの着物を織るひとがカミまつりをする巫女(みこ)、つまり、

女司祭者であり、アマテラスの本当の姿であったとするのです。

 

『日本書紀』によると、アマテラスが神衣(かんみそ)を服殿(はたとの)

で織っているとき、スサノオが馬の皮をはいで服殿のなかに投げ込んだ

ので、驚いたアマテラスは杼(ひ)でけがをしてしまい、そこで怒って

天の岩戸にかくれたとされていますが、この話は、アマテラスがもともと

本当は、迎えられる貴いカミでではなくて、過去には迎える側の女司祭者

であったことを示しているのではないかといわれています。

 

このように、天照大神は、そのカミの観念を変化させていくのですが、

それは『日本書記』によってもわかるように三回に及んでいるのです。

 

はじめは、″太陽そのもの″であり、次に″太陽神をまつる女″であり、

それから″天皇家の祖先神″へと転変して完成していくのですが、『日本

書記』には、日神→オオヒルメノムチ→アタテラスという、三つの段階

のカミの名がごっちゃにされて区別のつかない一つの神格のように表現

されています。

 

日の神とは、太陽神、つまり、一種の自然神であり、オオヒルメとは太陽神

をまつる女、つまり、棚機つ女であり、天照大神になってはじめて、天皇家

の祖先神としての人格が完成するのであり、人格神としての固有名詞ができ

あがったということです。

 

かくして、アマテラスは男の蛇であったし、織姫でもあったわけですが、

筑紫氏は、それは、「特定のひとりの人間をモデルにして創作したとか、

太陽を女とみなしたとかという単純なものではなく、少しばかり混乱した、

信仰の移り変わりの合成品」なのだと述べています。

 

さて、では、いつ頃、どのようにしてアマテラスという神がつくりあげられ

たのかについて、もう少し詳しく見ていく必要がありますが、その前に、

筑紫氏は、その前提となる伊勢神宮の誕生について触れていますので、

それをまず紹介しておきたいと思います。

 

伊勢神宮は、皇大神宮を内宮と呼んでアマテラスをまつっており、三重県

伊勢市の宇治というところにありますが(なお、外宮は同市の山田にあり、

豊受神(とようけのかみ)をまつっています)、もとは多気(たけの)大

神宮と呼ばれ、今の三重県度会郡大宮町の滝原というところにあったと

いうことです。

 

現在は、皇大神宮の別宮の滝原宮が置かれていますが、この滝原宮が伊勢市

の宇治に引っ越していった多気大神宮のなごりであると見なされています。

 

この滝原宮のカミは、正式にはアマテラスだとされていますが、このカミは、

水戸(みなと)神、つまり、雨水をつかさどる川のカミであるという古く

からの伝えがあるということです。

 

それでは、多気大神宮がなぜ五十鈴川の川上の宇治に引っ越して皇大神宮に

ならねばならなかったのかということですが、それは、大和朝廷の政策で

あったという理由と共に、宇治という場所が、多気大神宮の引っ越して

くるのに大変ふさわしい場所であったからだと筑紫氏は述べています。

 

つまり、宇治は、もともと川のカミをまつる祭場だったところで、

そこでは、土地の豪族が、毎年、定期的に川のカミまつり、滝祭を

やっていたのだそうです。

 

滝原宮のカミも川のカミであり、どちらも川のカミをまつる聖地だった

だったということにより、同じ神の性格ということで、滝原の神を宇治に

移して、両方のカミを合併させることができたということです。          

 

よって、皇大神宮は、五十鈴川の川のカミと、多気大神宮という宮川の川

のカミとが一緒にされてできあがったものだということになります。

 

ところで、五十鈴川の川のカミは、滝祭りのカミと呼ばれて、昔は

もちろんのこと、現在でも皇大神宮では大変丁寧なまつりがされている

ということですが、このような大事な滝祭のカミであるにもかかわらず、

このカミには社殿もなければ、ほかに特別な施設もなかったというのです。

もともとは、姿なき神社であり、あるのはただまつりの場所だけだった

のです。

 

つまり、滝祭りのカミは竜、すなわち蛇の姿であらわれるカミと考えられ、

五十鈴川の流れの中にいて、川そのものが礼拝対象であったということです。

 

では、そのような川のカミがなぜ皇大神宮のもとの姿で、アマテラスだと

いうことになるのでしょうか?

 

皇大神宮のカミは、もともとは単に″天つカミ″と呼ばれる神であったと

されます。天つカミといっても、特別なカミではなく、昔から、日本中、

どこの村でもそれぞれにまつっていたありふれたカミであり、それを五十鈴

川の川上の宇治においてもまつっていたということです

 

天つカミは、天空に住んでいると信じられていたカミで、大空の自然現象

そのもののたましいですから、日のカミとも、月のカミとも、風のカミ

とも、雷のカミとも、雲のカミなどとも考えられていたようです。

 

よって、皇大神宮は、天つカミ、つまり、日のカミでもあり、風のカミでも

あり、雷のカミでもあったのが、日だけを取り上げて人格化していく、つまり、

アマテラスとして完成していくなかで、その他の側面がかなぐり捨てられ、

忘れられていったということになります。

 

さて、天つカミが天から地上に降りてくると、滝祭のカミになるということ

ですが、その順序、つまり、天つカミが地上に天降(あまくだ)ってくる

順序と手続きというものは、なかなか面倒なことであったということです。

 

一般論として、天つカミの天降(あも)りの仕方を述べると次のようになる

ようです。

 

まず、カミは大空を船に乗って駆け降りて、目立った山の頂上に到達します。

それから山頂を出発して、中腹をへて山麓に降りてきます。そこで、人々が

前もって用意しておいた樹木(御陰木(みあれぎ))に、天つカミの霊魂が

よりつきます(憑依)。

 

人々は天つカミのよりついたその常緑樹を、川のそばまで引っ張っていき

ます(御陰引き)。川のほとりに御陰木が到着すると、カミは木から離れ

て川の流れの中にもぐり、姿を現します(幽現)が、これがカミの誕生

とされます。このようにして、カミは地上に再生するのですが、この

ような状態を、カミの御陰(御生(みあれ))と呼んだということです。

 

そして、カミが河中に出現するとき、カミをまつる巫女(みこ)、すなわち

棚機つ女(たなばたつめ)は、川の流れの中に身を潜らせ、御生(みあ)

れするカミを流れの中からすくい上げます。そして、そのカミの一夜妻と

なるというのです。

 

以上が、昔、日本の各地で、毎年一度ずつ定期的に、もっとも普通に行われ

ていたカミの出現の手続きであり、このやり方が、伊鈴川の滝祭りの場合

においてもとられていたということです。

 

これで、最初に出てきた戸惑いを感じさせるような表現、つまり、アマ

テラスは、もとは、男のカミで蛇の姿をしている川のカミであったと

いうことの意味が理解できるのではないかと思います。

 

しかし、人格神としてのアマテラス、天皇家の祖先神としてのアマテラス

の完成に至るには、もう少しプロセスを辿らなければなりません。よって、

それは次回としたいと思います。










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