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ツクヨミ-秘された神-


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ツクヨミ 



古事記には、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、黄泉(よみ)の国へ

行って嫌な穢いものをつけてしまったとして禊をされるのですが、体に

つけていたものを投げ捨て、身体を洗うことによって様々な神々を生み

出したとあります。

 

そして、一番最後に、伊邪那岐命が左の眼を洗うと天照大神(アマテラス

オオカミ)が出現し、右の眼を洗うと月讀命(ツクヨミノミコト)が出現

し、鼻を洗ったときに須佐之男命(スサノオノミコト)が出現したとされ

ます。

 

この三柱の神が最も貴い神ということで「三貴子」と呼ばれ特別視されて

いるのですが、ひとりツクヨミノミコトだけは、ほんのわずかな記述が

あるのみで、その系譜もほとんど記されていません。

 

また、ツクヨミを主祭神とする神社は決して多くなく、しかも、その過半数

は後世に比定(推定)されたもので、本来はツクヨミとは無関係だという

ことです。

 

重要な位置づけにもかかわらず、正体がまるで不明なツクヨミノミコトとは

いったいどういう神なのでしょうか? この大きな謎を、戸矢学氏の『ツク

ヨミ-秘された神-』に依りながら追ってみたいと思います。

 

まず、歴史的にも、神社神道においても、ツクヨミの存在は忘れ去られて

いると戸矢氏は言います。ツクヨミノミコトを祭神とする神社も少なく、

由来する祭りも特にないため、日本人一般の知識・認識からほとんど欠落

していて、歴史学の対象にならないばかりか、考古学も宗教学もほとんど

その対象とはせず、学問の範疇にも入っていないかのような扱いを受けて

いるというのです。

 

三貴子の一柱であり、三種の神器の一つであるにもかかわらず、まともな

研究書が一冊も出ていないのは驚くべきことだとしています。

 

さて、ツクヨミノミコトそのものの解明に入る前に、古来からの月神信仰

に簡単に触れておきたいと思います。

 

月は昔から命をはぐくむ水や不老不死の力ともかかわりがあると考えられて

きました。満ちては欠け、欠けて満ちるその姿が人間の生と死の繰り返し、

ひいては終わることのない生命力を思わせたようです。

 

そんなところから、月光はときに特別なエネルギーを与えるという伝説が

生まれ、この国には古くから月の神が若返りの水をもたらすという信仰が

あるということです。

 

月の力は新たな生命を誕生させもするし、多くの死をもたらす災害を呼び

起こしもするが、あらかじめ月を読み、月に従えば、生命の源泉となる

のです。

 

かくして、日の「生」に対する月の位置づけは、とかく「死」という終焉を

イメージさせますが、死は次なる生につながるものであり、終焉ではない

のであり、日の与える陽光と、月のもたらす潮汐力は、いずれも不可欠な

要因として地球上の生きとし生けるものをはぐくんできたとして神聖視

され、信仰対象となってきたのです。

 

世界的にも、「月神」は重要な根源神とされてきました。ギリシャ神話では、

太陽神アポロンと月の女神アルテミスは双子の兄妹とされ、中国では、天地

開闢の創世神、盤古(ばんこ)が、卵の中のような混沌から天地を創造し、

死してのちのその遺骸から万物が生まれたとされますが、その左目から

太陽が生まれ、右目から月が生まれたとされます。

 

ところが、日本の古事記に目を移すとどうでしょう? イザナギの左眼を

洗うとアマテラスが、右眼を洗うとツクヨミが誕生し、世界的に共通の

二元的な神話型だと思いきや、鼻を洗うとスサノオが誕生とするという

三元論になっています。

 

それと、アマテラスは天の岩戸開きなど、スサノオはヤマタノオロチ退治

など、豊富で多様な物語がありますが、ツクヨミは、イザナギから「夜が

支配する国を治めよ」と命じられたとのみ記されていて、これ以降、登場

することはありません。

 

このように、記紀においては、ツクヨミの記述があまりにも少ないうえに、

神話の成り立ちにおいて、二元論ではなく、唐突な三元論である三貴子の

構造に対して、誰しも不自然であると感じるのではないかと、戸矢氏は

述べています。

 

では、その理由については、一体どう考えたらいいのでしょうか?

 

戸矢氏は、まず考えつくのは、「後世の修正削除」であろうとしています。

つまり、国書の改ざんがなされたということですが、それが可能なのは

桓武天皇だろうといいます。

 

その理由として、そもそも記紀の編纂を命じたのは天武天皇あり、ツクヨミ

をおとしめようとするのは、壬申の乱で敗れた天智天皇の系統である桓武

天皇以外にはないとしています。

 

そして、三貴子の構造については、本来、日本の神は、天津神と国津神、

イザナギとイザナミ等、二神で一対であり、二元論が基本になっているが、

突然、「三貴子」が誕生するのは、もともとのストーリーにはなかった

ものが、あとからつけ足されたものではないかとしています。

 

二神が左右の目を洗ったときに生まれるのに、一神だけは鼻を洗ったとき

に生まれる。二神は日と月、昼と夜を象徴するのに、残りの一神は海を、

海原を象徴するというのは、不自然であり、奇妙な論理ではないかと

いうのです。

 

それでは、三番手のスサノオがつけ足しということになるのでしょうか?

 

戸矢氏は、必ずしもそうだとは思えないとしています。日本書紀の一書

(異伝、異説)では、ツクヨミに「海原」の統治を指示しているものも

あり、また、スサノオは高天原(たかまがはら)から追放され、最終的

には、夜の食(お)す国、黄泉の国の統治者となるなど、当初は、アマ

テラスが日で、スサノオが月という位置づけであったのではないかと

思える点が多々あるとしています。

 

アマテラスとスサノオの間において、陽と陰、天と地などの対比がいくつ

もあって、そこから自然な成り行きで浮かび上がってくる結論は、当初は、

ツクヨミは存在しなかったのではないかということではないかと述べて

います。

 

そもそも、「月讀(ツクヨミ)」の意味とは何かというと、月を読む、

つまり、日月星辰を観察することだということですが、この神名は、天照

のような直接的なものではなく、なにものか「他者」の存在を示唆して

いるというのです。

 

では、いったい月を読むのは誰なのかということになりますが、戸矢氏は、

それは「ツクヨミの発案者」、つまり、『古事記』、『日本書紀』の編纂を

指示した天武天皇その人であると考えていると述べています。

 

「月讀命」という神名によって、天照大御神、武速須佐之男命とともに

三貴子と位置づけられるのは、「国家の神」国家の神話」が記紀によって

体系化されたときからであり、天皇家を取り巻く有力氏族の合意のもとに、

それぞれの氏族神を体系化し、皇祖神が最上位に君臨するという構造の

確立は、記紀編纂の意志であるだろうとしています。

 

なお、天武天皇は、この記紀の編纂のほかに、天皇という尊号の創始を

はじめ、政治・宗教・文化・法規等々、あらゆる「日本国家」「日本文化」

というもののコンセプトを築いたとされますが、その背景には、『日本

書記』に天武天皇は「天文遁甲を能くした」とあるように、道教・陰陽道

が深く関係しているということです。

 

「天文遁甲」とは、天の相、地の相を有機的関連のもとに観ることによって、

王者がいるべき場所や、戦いに向かうべき方向や、決断すべき時などを判断

するもので、古代においては道教の方術として発展してきたもので、天武

天皇は、これに古神道を融合して、「陰陽道」を創始したとされています。

 

かくして、天文遁甲とは、「月を読む」ことであり、「月を読む」ことの

できる能力こそが政(まつりごと)、すなわち国と民を統べる能力であった

のであり、ツクヨミとは天武天皇自身のことだというのです。つまり、

月讀命という神をつり出し、それにみずからをなぞらえることによって、

天武天皇は生きながらにして神となったということである、と戸矢氏は

結論づけています。

 

そして、この観念・概念は、道教にも儒教にもなかったもので、天武天皇

は物理的な統治システをつくり上げるのと同時に、世界史上きわめて

稀有な精神的統治システをも創造したのだとしています。

 

ところで、ツクヨミとは天武天皇だということだとしても、月神信仰その

ものは、世界的なものであり、太陽信仰よりも古いものであるとも言われ

ていますから、それ以前からあったものだろうと思われます。

 

次回は、このツクヨミの背景となる月神信仰というものを追ってみたいと

思います。









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