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月信仰と再生思想


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月信仰と再生思想


前回、紹介した戸矢学氏の『ツクヨミ-秘された神-』によると、

天照大御神を祭神とする神社は、全国で13582社(境内社も含む)、

須佐之男命を祭神とする神社は13542社(境内社を含む)であるの

に対して、月讀命を祭神とする神社は704社(境内社を含む)であり、

そのなかでも、山形の月山神社のように、もともとの祭神が「山神」

であるようなものや、もともと別の主祭神を祀る神社でありながら、

何らかの事情で月讀命を合祀した神社が含まれているものを除くと、

わずかに85社(うち、境内社が25社)であるとされています。

 

今回は、上記のことから伺える太陽神信仰の圧倒的な優位というものが

本来的なものであったのかどうか、月神の信仰というものがどうなって

いたのか、を三浦茂久氏の『古代日本の月信仰と再生思想』に依りながら

考えてみたいと思います。

 

さて、世界的には、月信仰は太陽信仰より古くから盛んであったと言われ

てきました。古代日本においても、月によって生理を支配されていると

見なされていた女性が祭祀に携わることが多く、しかも、我が国は四方を

海に取り囲まれた島国で、古来から海人(あま)族の活躍も盛んであった

とされています。潮汐や潮流は月の運行によって生起するのであり、それ

を無視しては漁業にしろ、舟運にしろ、成り立たないはずなのですが、

『記紀』においては月に関する伝承は散発的で、それほど表面に現れて

いないようなのです。

 

一方、我が国の皇祖神はアマテラスオオカミで、『日本書記』では日神

(ひのかみ)とされているし、『古事記』では神代に日神の語はないが、

「神武記」には神武が日神の子孫とされています。(もっとも、皇統は

太陽神の子孫であるといっても、古代文献に太陽信仰が具体的に多く

記述されてわけではないようですが)

 

このように、『記紀』を見るかぎりは、皇統は日神の子孫であると述べ

られているが、月神に関する伝承は多くないということになります。

 

しかし、三浦茂久氏は、『万葉集』に目を転じると、そうではなく、逆

だといいます。

 

『万葉集』などでは、月は非常に多く詠われているのに、日に対しては

比較的冷淡だというのです。

 

では、『記紀』と『万葉集』との、このような乖離は何なのかということ

になりますが、『万葉集』は『日本書記』の編纂よりはおくれるが、前半

の歌は『日本書記』に記載された時代やその編纂された時代に詠まれて

いるとすると、多数の歌人によって詠われた『万葉集』に問題があるの

ではなく、『記紀』のほうに王権による作為があったのではなかろうか、

と疑われると三浦氏は述べています。

 

さて、三浦氏は、埋没した月信仰を掘り起こすにあたり、直接、月や月

信仰を俎上にのせるに先立ち、古代語の意味の解釈からはじめています。

 

まず、太陰(太陽)暦の日数詞を取り上げその実体を腑分けすると、これ

まで日や日の信仰であると思われていたものが、月や月信仰であったと

いうことがわかってきたといいます。

 

たとえば、二日・三日のカ(日)は月・月夜の意であり、カは日ではない

といいます。コヨミ(暦)のコ、クサカ(日下)のク、「ケ長く」「朝に

ケに」のケも月・月夜であり、カスガ(春日)・アスカ(飛鳥・明日香)

・アサカ(安積・朝香)のカも月・月夜を指していたというのです。

 

カ・ク・ケに当てられた日は便宜的なもので、太陽を意味しなかった

のであり、日は括弧つきの「日」であったし、月・月夜であったと

しています。

 

また、カは、古くはウカで、ワカ(若)に通じるとしています。古代思想

では、月は若返りを永遠に繰り返す理想体であったとして、ウカを月の

若さと同じと解釈し、それが月の満ち欠けによる「日」の数え方に結び

ついたということです。

 

さて、さらに、三浦氏は、古い皇祖神であるタカミムスヒ(高御産巣日)

(別名 高木神)を取り上げ、この神が、一般に生成を司る霊、あるいは

穀霊と考えられていることに加えて、太陽神的性格を持つとされるのに

対して、生産・再生の神であると同時に月神であると論じています。

 

つまり、三浦氏は、高木とはツキ(槻)のことであり、ツキは今のケヤキ

(欅)を指すのであり、高木神は月の神の暗喩であったとし、『日本書記』

の「顕宗紀」にタカミムスヒは月神としてあったことと併せて、タカミ

ムスヒの神は、月神の要素を色濃くもっているとしています。

 

月こそが、永遠に満ち欠けを繰り返す、再生・新生のシンボル的なもの

であるというのです。

 

そして、『日本書記』の皇祖神はアマテラスよりもタカミムスヒに比重が

あったのが、『古事記』になるとタカミムスヒよりもアマテラスに重心が

移るが、これはやがて文武天皇以降に月信仰から太陽信仰へ変わることを

暗示していたと述べています。

 

また、各地にある天照御魂(あまてるみたま)神社は尾張氏の祖神天照

国照彦天火明命(あまてるくにてるひこあめのほのあかりのみこと)を

祭神とするが、このホノアカリは、ある種の太陽神と考えられてきた

のは誤りだとしています。

 

アマテルは、『万葉集』では月の常套的形容句であったのであり、尾張氏

は海部(あまべ)である。潮汐や潮流を支配するのは月であり、月を

読んで舟運や漁業を成り立たせてきた海人族の祖神にはふさわしくない。

火明はホノアカリと読んで、月の明かりを表すのだと述べています。

 

伊勢地方は上記の海人族の卓越した地方で、月神を祀る神社も多いと

いうことです。伊勢の地主神サルタヒコも月神であり、アマテラスの

荒魂(あらみたま)は、内宮別宮の荒祭宮の祭神アマサカルムカツヒメ

で、シナサカル・ヒナサカル・アマサカルヒナなどのように、西へ去る

月と同様の神名を持つことや、内宮所伝の『倭姫命(やまとひめのみこと)

世紀』には、荒祭宮の和魂(にぎみたま)は月天子で、外宮の多賀宮に

移されたとあるところから、和魂や荒魂が月神なら、アマテラスもかつて

は月神であったであろうとしています。

 

また、アマテラスの古い名はヒルメであるが、それは糸を延える女、また

は機織女の意であったという。アマテラスのスは尊敬の助動詞であり、

アマテルは『万葉集』では月の常套句、ヒルメは多くの『神楽歌』などの

例でも月神であったのであり、日神ではないということです。

 

つまり、アマテラスも元はアマテルであり、照る月を指していたのが、

月神で機織女(巫女神)であるヒルメとアマテルが複合してアマテル

ヒルメという神名になり、天武の時代、七世紀第三四半期ごろにアマ

テラス(オホ)ヒルメとなり新しい皇祖神となったのだそうです。

 

よって、三浦氏は、アマテラスは天武・持統の御世にタカミムスヒに

代わって新しい皇祖神になったが、まだそのころは月神であっただろう。

それは、仏教が国教となっても、天武天皇の飛鳥浄御原宮(アスカは朝

の月の意)や持統天皇の若きときの名前サララ(繰り返しの意、月を象徴)

から、まだ月信仰が優勢であったと推定できる。アマテラスの和魂は、

おそらく文武朝に、五十鈴の宮から度会宮に遷され、高倉山の麓の多賀宮

に祀られることとなったが、それにつれてアマテラスは、国家仏教で説く

太陽光を発する仏身に倣って、月神から日神になったと考えられると

述べています。

 

月神から日神への変化は、天武・持統朝に始まり、続く文武時代になって

ついに月神アマテラスの日神化が実行されたということです。

 

かくして、三浦氏は、古代では神や精霊や鬼は、夜の闇や薄明りのなかで

活躍し、夜明けとともに、あるいは鶏鳴とともに退場するのであり、古代

の祭は夜であった。昼日中に太陽の下での祭は、後代のものであるはずで

あるが、古代の太陽信仰を強調する識者が多く、アマテラスが鎮座する以前、

伊勢にも太陽信仰があったとする見方が常識化して、月信仰は隠され、次第

に消滅する方向をたどってきた。が、この見直しの結果は意外なことに、

伊勢神宮内部の伝承からも古い月信仰が浮き彫りになったとしており、これ

までの常識はまったく覆ったと結論づけています。

 

 

 

  
 
 
 
 
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