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ヨブの試練-「ヨブ記」2-


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理由もなく  
 
 
 今回以降は、ヨブが苦悩し、苦悩の果てに、どのようにして結論に至るか

を少し詳しく辿っていきたいと思いますが、まず、プロローグの部分

(1章、2章)に触れて、ヨブが遭う試練の厳しい内実とそれに対する

彼の立ち振る舞いを見ておきたいと思います。

 

ヨブは、最初に「ウヅの地にヨブという名の人があった」とあるように、

セム族ではあるがへブル人でも、ユダヤ人でもなかったのであるが、信仰

的にも道徳的にも非の打ち所のない人物であった。

 

ヨブは、男の子7人、女の子3人、彼と彼の妻を加えれば12人の、大変

幸福な家庭の父であった。また、彼は、とても裕福であり、多くの家畜を

有する遊牧者の首長であり、それはアブラハムのごとき存在であった。

 

とにかく、ヨブの一家は非常に裕福であったというばかりではなく、親子、

兄弟が仲良く、親密に暮らしていたということがイメージされるのです。

 

一方、天上では、神の子(天使)がヤーウェ(ヤハウェ、主)の前に

集まり、天上の会議が始められるのですが、そこにはサタンが加わって

いたとあります。

 

ただし、サタンとは、旧約においては悪魔と同一視されるものではなく、

それはあたかも検察官のごとく人間の弱点、欠陥、失敗に目をつけ、それ

を摘発し、暴露することをもって任務とするような、皮肉(シニカル)な

性質を持つ天使であるようです。

 

さて、ヤーウェは、天上の会議においてサタンに対し、「お前は、わが僕

ヨブのように全くかつ正しく神を恐れ、悪に遠ざかる者はこの地上にいない

ということに気がついたか」とヨブについて誇るのですが、サタンは「ヨブ

はいたずらに(いわれなくして)神を恐れましょうか」、つまり、神に求め

るところがあればこそ、敬虔な生活また道徳的な行為をするのではないで

しょうか、と答えます。

 

そして、サタンは「あなたがそんなにヨブをお賞めになるなら、一度あなた

の手を延ばし、彼の財産を撃って(触れて)ごらんなさい、そうすればヨブ

は必ずあなたに向かってあなたを呪うでしょう」、つまり、ヨブは神と

訣別するに違いない、と言います。

 

さて、ヤーウェがヨブの財産と家庭をサタンの手に渡すと第一、第二の

試練が襲います。砂漠の民シバ人、カルデア人が襲ってきてヨブの家畜を

奪い、また、僕たちを殺してしまいました。そしてさらに、大嵐がにわか

に吹き来たり、ヨブの子供たちの家は倒れ、彼らはその下敷きとなって

皆死んでしまいます。

 

残されたのはヨブとその妻のみとなりますが、そのとき、ヨブはいう、

「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこ(母なる大地)に帰ろう。

主(ヤーウェ)が与え、主が取られたのだ。主のみ名をほむべきかな」と。

 

これが突如として襲いかかってきた厳しい試練に対するヨブの答えですが、

彼はこのとき、罪を犯さなかった。愚かなこと、味のない、深さのない、

不愉快なことを一切言わなかったのです。

 

浅野順一氏は、その著書「ヨブ記」では、ヨブは大きな不幸に出会い、

彼が幸福なときには見ることができなかったものを鮮やかに見た。ヨブが

厳しい試練の後に神を賛美した言葉は、宗教が地上の幸、不幸に逆比例

する、否、それを超越したところにあることを意味する非常に深い言葉で

あるといわなければならない、と述べています。

 

このように、財産を失い、家族を失うという第一、第二の試練に遭遇した

ヨブは、それに打ち勝ち、サタンに勝利したことになります。それは神の

勝利でもありました。

 

しかし、試練はそれだけでは終わりませんでした。再び神の子たちが

ヤーウェのもとに集まり、第二回の会議が開かれます。

 

ヤーウェは、サタンに「お前は、わたしを勧めて、ゆえなく(いたずらに)

彼(ヨブ)を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保っておのれを全うした」

と言いますが、サタンはそれに反論して、「皮には皮をもってします。人は

自分の命にためにその持っているすべてのものを与えます」「今あなたの

手を伸べてヨブの骨と肉を打って(触れて)ごらんなさい」と答えます。

 

ヨブの骨と肉を打つとは、彼の苦痛きわまる重病をさすのですが、神が

そのような苦痛を彼に与えるならば、彼はそれに耐え得ず、今度こそは

神を「呪う」すなわち、神に背を向け、訣別するであろうとサタンは

いうのです。

 

自己自身のためには他の一切を犠牲にすることを厭わないというような、

人間は骨の髄から自己本位、エゴイスティックな存在であるというのが

サタンの人間観であるということです。

 

さて、サタンは神からヨブを委せられ、そこから第三の試練が始まります。

サタンはヨブの生命にだけは触れぬようにと保留をつけられているのです

が、ヤーウェの前から出ていって、ヨブの足の裏から頭のてっぺんまで

ひどい皮膚病に罹らせたため、昼夜を分かたず苦しめられねばなりません

でした。「ヨブは陶器の破片を取り、それで身を掻き・・・」とあり、

その痒さや痛みのために肉体的にはもとより、精神的にもまったく疲れ

果ててしまったのでしょう。それを見て、彼の妻は「あなたは、なおも

堅く保って自分を全うするのですか。神を呪って死になさい」と言います。

 

この妻の言葉に対して、浅野順一氏は、それは直接にはヨブの妻の言葉と

して言われているが、我々は彼女の背後にサタンの影を見る。また、

「呪う」も前述せるごとく直訳的には「祝福する」(皮肉?)であって、

神への決別を意味している、と述べています。

 

つまり、この妻の立場というのは、浅野氏によれば、財産を失い、ことに

愛する子供たちを奪われ、そのうえ、一人頼りにする夫は、今、瀕死の

重病に苦しんでいるが、信仰とはこれほどまでに大きな犠牲を強いるもの

であろうか。もしそうならば、信仰など持たぬほうが人間は幸福なのでは

ないか。宗教とは果たして命がけで信ずる価値のあるものか。もしその

ようなものであれば、信仰は人間を不幸にするばかりである。それゆえ、

宗教とか信仰とかは、たかだか教養程度にとどめるべきではないのか、

という懐疑を表しているが、このような妻の言い分は妻の仮面をかぶった

サタンの言葉と称してもよいとしています。

 

しかし、これに対し、並木浩一氏は、妻の言葉を「あなたは以前、自分の

高潔さを固持されます。それなら、神を讃えて死になされ」と翻訳すること

を提案しているようです。

 

なぜなら、ヨブの妻は夫が誰よりも高潔で、それを放棄しないことを知って

いるが、夫がこれ以上苦しむのを見てはいられない。夫が神を呪って処罰を

受けてでも、早く世を去ってほしいと思うが、彼が神を呪うわけがない。

そこで、彼女は、「神を讃え抜いて死んだらいい」と夫に語るが、これを聞い

たヨブは、妻の言葉の裏に込められた気持ちを察知するのだというのです。

 

ともかく、以上のような妻の嘆きに対してヨブは、「あなたの語ることは

愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸を受けるのだから災をも

受けるべきではないか、と答えます。

 

このヨブの妻に対する答えはサタンに対する勝利宣言となりますが、この

ように神とサタンとの賭けは、第一、第二の試練に続き、第三の試練に

おいても神の勝利に終わったということになります。

 

そして、ここで物語の場面は一転して三人の友人が登場します。彼らは、

「たがいに約束して」遠方からはるばる慰めるために旅してきたのだが、

「彼らは目をあげて遠方から見たが、彼がヨブであることを認めがたいほど

であったので、声をあげて泣き、めいめいの上着を裂き、天に向かって塵を

あげ、自分たち頭の上にまき散らした」とあるように、ヨブの心労と病苦の

ために別人のごとく変わり果てた姿を見て、慰めと励ましの言葉を見失って

しまったのでした。

 

さて、これでプロローグは終わり、いよいよ3章以下の詩文による展開部

が始まるわけですが、ここからがらりと雰囲気が変わります。

 

ヨブはそれまでの敬虔な態度をすっかり忘れてしまったかのように、自分

が生まれてきたことを呪い始めるのです。

 

なお、3章以下については、長くなりますので、次回に紹介してみたいと

思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神体  
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