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「ケルト神話の世界」


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 ケルト神話の世界1
 
 
少し前、北欧神話について紹介したところですが、「ラグナロク」、

すなわち、人間世界と神々の没落に関する神話について、研究者の間で、

ヴァイキング時代にキリスト教の影響下で創造されたものとする見解と、

これらの表象を、北欧の太古の土着的な根源から流出してきたものと

見なす見解があるということでした。

 

しかし、アルセル・オルリックは、著書『北欧神話の世界-神々の死と

復活―』のなかで、今までどちらの側でも、問題全体の総合的な論及は

行われなかったとしながら、エッダ以外の北欧の民族信仰などの基礎資料

をも検討した結果、「ラグナロク」が全体としてキリスト教起源を有する

確率は決定的に失われたと述べています。

 

そして、彼は、北欧の「ラグナロク」はその根源をキリスト教には有して

おらず、関連しているのは他の民族の太古の諸表象であると結論づけて

います。

 

そして、他の民族の太古の諸表象とは、一つは、西方からのケルト的流れ

であり、もう一つは、東方からの流れであるというのです。

 

よって、今回は、ケルトとは、そしてケルト神話とはいかなるものかを

探ってみたいと思います。

 

そもそも、ケルト人とその文明とはどのようなものだったのでしょうか?

 

ケルト人の文明は、今はヨーロッパ人にさえ忘れ去られてしまっているが、

紀元前8世紀から3世紀の間に徐々に広がり、一時、ヨーロッパの三分の

二を覆うに至ったということです。

 

その後、ゲルマン人に圧迫され、西へ移動し、そして、紀元前1世紀に

ローマに征服されるのですが、過去の繁栄の事実は忘れ去られ、ケルト人は

森に住みイノシシを食べていた野蛮人で、彼らに文明をもたらしたのは、

ローマ人だなどと思われているようなのです。

 

しかし、『ケルト神話の世界』の著者、ヤン・ブレキリアンは全く逆だと

言います。

 

「ケルト人は森の奥に留まって狩猟生活を営むどころか、われわれ同様に

土地を耕し、広大で豊かな畑と牧草地を保有していたのである。彼らは

農耕においても、産業においても、明らかにローマ人よりはるかに進んで

いた。」

 

「そればかりではない。彼らはそれにもまして科学的知識(天文学、自然

科学、そしてとりわけ医学)と形而上学的思弁の領域においてラテン人に

優っていた。」

 

「また芸術の分野において見ても、その先駆的シュールレアリスムとさえ

言えるケルト芸術は、ローマ人によるギリシャ美術の野暮ったい模倣より

も、はるかに独創的で魅力的なものではなかったろうか」としています。

 

また、ケルト民族の過ちは、民族的統一を実現できなかったことだという

主張に対しては、彼らがそうすることができなかったのではなく、そういう

ことに少しも執着しなかったのだと言い、

 

「中央集権的国家管理主義の諸悪は、ローマ人の帝国主義政策によって

ケルト世界に押しつけられたものであったが、彼らにとってそれは決して

喜ぶべきことではなかった。ローマ人の侵略以前には、我々の祖先は自由な

空気の中で生活し、各部族は自分たちの利害のみを管理し、公共の利益に

とって最低限必要なものしか連合体に対して譲歩することはなかったので

ある。これらの部族の連合体は、非常に例外的な火急の場合にのみ、断固

たる軍事行動をとるため団結したのだ」と述べています。

 

では、政治的統一なくして彼らを緊密に結びつけたものは何だったので

しょうか?

 

それは、言語、そして何よりも宗教であったのです。古代の作家たちの

証言によると、ケルト人は最も信心深い人たちだったということであり、

彼らの社会には、絶対の権威を持つ、よく組織されたドルイド僧の階級が

存在したということです。

 

僧侶であると同時に学者でもあるドルイド僧たちは、礼拝を司る祭司、

占い師、政治的指導者たちの助言者、裁判官、医者などの役割を兼任する

のみならず、何よりも思想家であり、アカデミックな教育者であったと

されます。

 

また、ドルイド僧たちは秘儀伝授を受けた人たちであっとされ、長期に

わたる学問、修行の後に、自然科学や哲学の分野における高度な知識のみ

ならず、今日、「超心理学的」と呼ばれるような能力を獲得したとも言われ

ています。

 

ただし、彼らは秘儀に通じていない人々に、その能力を超えた真理を明かす

ことによって彼らの知識の価値を下落させることを望まなかったようです。

 

よって、ケルト人の宗教は本質的に、秘儀を伝授された人々、つまり、それ

を誤って解釈したりしないだけの知的訓練を受けた人のみ開示される秘教的

な教えと、もっと分かりやすく基礎的な大衆向けの一般的な教えとの両方

から成り立っていたということです。

 

しかし、現在、一般的な、大衆向けの教えの内容をなしていた神話について

の断片的な知識が残されているだけで、秘儀については全く何も知ることが

できないのです。

 

なぜなら、ケルト文明は、不幸なことに相次ぐローマ人とゲルマン人の侵略

によってほとんどすべて破壊され、消滅してしまったからです。

 

そして、この破壊と消滅から逃れたのは、わずかに、世界の果てに位置して

いた極西の地域、アイルランド、スコットランド、マン島、ウ―ルズ、

コンウール、そしてフランスのブルターニュ半島だけであったという

ことです。

 

これらの地域にはケルトの言語とともに、ラテン民族とは全く異なる慣習、

伝統、考え方、信仰、そして伝説等、生と死と超自然的なものに対する

ドルイド僧の観念が根強く生き残っていたのです。

 

しかし、この厳密な意味でのドルイド教はキリスト教化の波によって呑み

込まれていくことになります。

 

さて、このような背景を持って形成された古代ケルト人の神話は、インド

-ヨーロッパ神話圏という同じ根から発しながら、ギリシャやローマの神話

とも、またゲルマンの神話ともほとんど似ていないとされます。

 

ヤン・ブレキリアンは、<幻想的であり、熱狂的であり、時として奔放で

露骨、そして多くの場合感動的であるケルトの神話は、われわれに伝えられ

たその断片の相互のつながりがよくわからないだけに、ますまずわれわれを

当惑させ、ちぐはぐな印象を与える>としながら、<たとえ、われわれが

これらの断片をつなぐ連鎖を見出したとしても、これらの神話が見事に構築

された論理的な一つの全体像をわれわれの前に現すことはないだろう。それ

はケルト人の気質に反したことだからである。ケルトの芸術がそうである

ように、夢や空想に傾きがちな民族の奔放な想像力から生まれたケルト神話

は、人間や動物の絡み合う渦巻きであり、それらは交錯し、枝分かれし、

混じり合いながら蛇行してゆき、遂には結末(それがあるとしてだが)さえ

分からなくなってしまうのである>と述べています。

 

ところで、シュメールやエジプト、ギリシャの神話に比べて、ケルトの神話

があまりにも知られていない最大の理由は、ケルト人の文学がすべて口承に

よるものだったためだということです。ただし、彼らが文字を知らなかった

というのではありません。

 

彼らは墓碑や、貨幣や、商取引などは文字を用いていたが、宗教的であれ、

歴史的あるいは科学的であれ、何らかの教えを伝達する目的で文字を使用

することは、ドルイドたちによって禁止されていたのです。

 

「彼らはあらゆる知は卑しむべき物質によってではなく、精神の中でこそ

維持されねばならないと考えていた。知を蝋や羊皮紙に託すなどということ

は知を辱めることだったのである。それは知を一般の者たちの手によって

汚させるのみならず、知を殺害してしまうことになるからである。その時、

知は生成し続けることをやめ、永遠に氷ついてしまうのだ」とヤン・ブレ

キリアンは述べています。

 

したがって、知識は記憶によって、それを受け継ぐ価値のあると認められた

者にのみ伝えられるべきものであるとされ、すべてのドルイドの教えは詩の

形になっていたのであり、それを学ぶ者たちは何万もの詩句を暗記しなけれ

ばならなかったのです。

 

だが、この口承による伝承はキリスト教の制覇とともに途絶え、ケルト人

の文学的遺産の大半は失われてしまったということです。

 

次回は、以上のような背景を踏まえ、ケルト神話の具体的な内実について

触れてみたいと思います。

 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

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