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ケルトの創世神話-「ケルト神話の世界」4-


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ケルト神話の世界4




ケルトの伝承の中には、旧約聖書やシュメールの神話に見られるような

本来の意味での創世記、すなわち体系的な世界創造の物語は存在しない

とされます。

 

井村君江氏は、『ケルトの神話』の中で、「ケルト民族には、ほかの民族

が持っているような天地創造神話はありません。しかし、これはなかった

ということではなく、あったかもしれないのですが、残っていないという

意味なのです。口承としてドルイド僧たちが、あるいは伝えていたかも

しれないのですが、文字としては残っていません。あるいはドルイドの

教えが、天地が創造されることについて想像したり、推定したりすること

を禁じたとも考えられるのです。ですから、原初に空や地や水がどのよう

な形であったか、そこから宇宙や世界がどうして生成されてゆき、生き物

がどう生まれていったかというような国生みの話はありません」と述べて

います。

 

一方、ヤン・ブレキリアンは、『ケルト神話の世界』の中で、「ケルト人に

とっては、それまで存在しなかった宇宙が創造された、<はじまり>と

いうものはなかったのである。創造は今も行われつつある絶えざる現実で

あり、永遠にその第一日目が繰り返されているのだ。時の流れは絶対的な

ものではなく、宇宙は昨日創られたであろうごとく、明日創られるので

ある。ギリシャの作家たちが非常に示唆的な<哲学者>という言葉で呼ん

だドルイド僧は、空間と時間の相対性や、その欺瞞的性格についてはっきり

した意識を持っていた」としています。

 

つまり、ケルト的観念においては神だけが絶対であり、創造は神の内なる

作用によるものとされます。よって、ケルト神話がその主たる対象として

いるのは、神の内奥で起こるそのような作用であり、その物語は神の内なる

意志の緊張や、全能の創造者としての側面と破壊者としての側面の葛藤、

男性的な能動的創造力と女性的な受動的創造力との結合などを説明する

ものだということになります。

 

したがって、ケルト神話を構成するほとんどすべての物語には、多かれ

少なかれ大きな形而上学的なテーマが隠されていて、いわゆる他の創世

神話とは異質なものとなるのです。

 

「ケルト神話は、神の思惟の神秘と世界の存在との間の諸関係を明らかに

しているという意味において、実は本来的な創世の神話なのである」と

ヤン・ブレキリアンは述べています。

 

さて、そのようなものとして最初に登場するものに、「蛇の卵」の神話が

ありますが、ブルターニュ地方の伝承がその記憶を伝えている物語として

ドルイド僧の<海蛇の卵探し>という伝承があるそうです。それは、単なる

物質そのものの探索ではなく、重要なのはその象徴的な価値であり、その

物に含まれた教えだということです。

 

海蛇の卵探しは、錬金術師にとっての賢者の石に相応するもので、それは

俗人には興味深い特性を持つと想像される物質の探求でしかないように

見えるとしても、実際は全く異なり、われわれの宇宙を構成する実体の

構造に関する知識の探求なのです。

 

卵とは生命の起源であると同時に、生命から生み出されてものであります。

この解き難い矛盾には存在の不可思議さが秘められており、その秘密に

通じることによって、世界の実体の構造と同様にその起源の謎を解くこと

ができるのであり、ドルイド僧がわがものにしたいと願ったのはこの知識

であったようなのです。

 

では、なぜ、その探究の対象たる卵が蛇のそれでなければならなかったと

いうことですが、それは、女性の子宮の中の無定形な果実である卵が生命

を得るためには、生命エネルギーを蔵する男性原理によって受精しなければ

ならないからです。この受精させる男性原理が蛇によって象徴されるのです。

 

生命が卵から生まれるためには、卵は雄の蛇によって受精し、雌の蛇に産卵

されねばならない。しかし、その雌雄の蛇は、自分たちに先立って存在する

卵から孵化したものであるとすると、この必然的な連鎖は終わることがなく、

いくら遡ってみても、絶対的な原初に到達することはできません。

 

そこで、卵を産む蛇がどうしても海蛇でなければならないことになります。

海は原初の未分化の領域であり、海はあらゆる潜在力を有し、外から持ち

込まれるまでもなく、生命はそこに萌芽状態で息づいているのです。もし

海から生まれ出たとするなら、蛇は卵による生の循環から象徴的に解放

されることになります。

 

したがって、ケルトの神話からすれば、創造とは宇宙卵を受精させる蛇の、

海からの出現ということになるようです。

 

なお、ウールズには、海の中には巨大な蛇が棲み、そのため海は氾濫して

いたが、そこでヒュー・ガダルンという神(別名:ベレヌス、オングス)

が勇猛な二頭の牡牛を使って巨大な蛇を水中から陸へ引きずり上げた。

すると水位が下がり、大陸が姿を現したので、ヒュー・ガダルンは急いで

人間たちの社会を作り、彼ら原始の人類に家族や部族を作ることや正義

などを教えたという出現の伝承があるということです。

 

さて、このあとの続くのが、アイルランドの古書『侵略の書』の最初に

登場するパローロン(パーホロン)の神話です。パローロンとは、洪水の

後、アイルランドを、つまりこの地上を占領した部族の最初の首領の名前

ですが、彼は二十四人の船乗りと二十四人のその妻たちからなる部族を

率いて他界の海からやってきました。

 

彼が上陸したとき、この土地は何の草木も生えない荒野だったが、彼は

そこに突然、湖や、河や、肥沃な平野などを出現させ、土地を開墾し、

農耕や牧畜、狩りや漁を始めたのです。

 

そして、最初のドルイド、最初のバルド(宗教的な音楽家や詩人の階層)、

最初の戦士たち任命し、原始のカオスの化身たる地獄の勢力フォモール

族との最初の戦争を戦い抜くことになります。

 

5千年のあいだパローロンの一族はアイルランドに住み、開拓したが、

突然、恐ろしい疫病によって1週間のうちに死に絶えます。生き残った

のはたったひとり、いろいろな動物に生まれ変わりながら何百年も

生きたトアン・マッカラルという男で、次々と島に渡ってきた種族たち

の運命と様子を語りはじめます。

 

さて、『侵略の書』によれば、二番目に島に棲みついたのはネヴェ(

ネメズ)という部族です。ネヴェの名は、<聖なる者>を意味するが、

彼はケルヌンノスの化身であり、その民は鹿の民であるとされます。

 

ネヴェの部下たちは上陸前に恐ろしい嵐に遭い、34隻のうち接岸できた

のはたった9隻だけだったという。そして、生き残った者たちが土地を

手に入れるや否や、魔王バロールとその戦士長であるコナンに率いられた

フォモール族と衝突することになります。彼らは三度の激しい戦闘を戦い

抜いたが、四度目の戦いで破れ、ほとんど全員が殺されます。しかし、

フォモール族の方も多くの死者を出したということです。

 

そして、その次に、新しい部族フィル・ボルグ(<皮を持つ人>の意)が、

彼らの王ヨッキーに率いられてやってきます。ヨッキーは強運に恵まれた

公正な王で、国に繁栄をもたらしたが、それも海の彼方に退却したバロール

とフォモール族が力を盛り返し、死を撒き散らすまでであったようです。

そして、それは他の征服者たちが相次いでこの地に足を踏み入れた時も同様

で、フォモール族は決して彼らを安穏には過ごさせはしなかったのです。

 

このように、ケルトの創世神話では、世界の存在を生み出した神の業は、

生産的、建設的な力と、破壊的、否定的な力との永遠の均衡に存するとして、

創造と文明の建設的力の化身であるパローロン族をはじめとする占領者たち

と、カオスと破壊の否定的力を表すフォモール族の戦いが重要な役割を果た

すことになります。

 

さて、やがて、北からやってきた輝かしい神々トアッハ・デ・ダナン(

ダナ神族)が上陸します。その彼らが邪悪な勢力と対決した大戦争を

詳述するのが「マー・ト―ラ(モイツラ)の戦い」という叙事詩です。

 

世界の北の島々で生活していたダナ神族は、科学や魔術、哲学に通じて

いたが、彼らは、なぜか、まず、悪の勢力であるフォモール族と友好関係

を結びます。その同盟は、ダナ神族の医術の神であるディアン・ケフトの

息子キアンと、フォモール王バロールの娘エトネの結婚によって確固たる

ものとなり、この結婚からやがて至高の神ルーグが生まれるのです。

 

最初のマー・ト―ラ(モイツラ)の戦いは、ダナ神族と先住のフィル・

ボルグ族との間で行われます

 

激戦の末、ダナ神族は、フィル・ボルグ族を打ち破り、ダナ神族とフォ

モール族は支配者となったのですが、しばらくすると両者の間で対立が

生じてきます。そして、二度目のマー・ト―ラ(モイツラ)の戦いが

勃発しますが、ダナ神族側が、光の神ルーグ、鍛冶の神ゴブニュ、医術の

神ディアン・ケフト、言葉の神オグマ、戦いの女神モリガン、大地と豊穣

の神ダグザなどの神々の活躍でフォモール族に勝利します。

 

因みに、このように、初期の段階では、輝かしい神々と邪悪な勢力が同盟

を結び、フィル・ボルグ族に対して共に戦っていることは注目すべきこと

です。これは、創造行為における建設的な原理と否定的な原理の協力という

思想を表しているようです。だが、次の段階に入ると彼らは敵対すること

になります。それは破壊的力が建設的力を圧倒してはならないからであり、

創造が行われるためには、必ず建設的な力が最終的な勝利を手にしなければ

ならないからだということです。

 

しかるに、戦いの女神モリガンは、ダナ神族がフォモール族を打ち破ったに

もかかわらず、天災、疫病、倫理的退廃、戦争など、この世を訪れるであろう

あらゆる不幸を予言します。この相次ぐ災厄は、世界の終わるときまで絶える

ことはないだろう、と。

 

そして、この予言どおり、フォモール族との過酷な戦いでダナ神族は大きな

痛手を被り、勢力は衰え、長い間はこの国の盟主であり続けることはでき

ませんでした。「ミレシア(ミレー)の息子たち」、すなわち、破壊と戦い

の神の子孫だと称する新たな侵略者が現れることになるのです。

 

「闇の勢力に対する光の勢力の勝利は、実際のところ、相対的なものにすぎ

ない。さもなければ創造というものはあり得ないだろう」とヤン・ブレキリ

アンは、述べていますが、ミレシアの息子たちとダナ神族の戦争では、前者、

破壊の勢力が勝ちをおさめます。彼らは光の神々を地表から追い出し、ダナ

神族は地中やドルメンの下に逃げざるを得なり、地下に住まざるを得なく

なったということです。

 

時は流れ、キリスト教が広まるなか、これらの光り輝くダナ神族の神々は

異教の神として完全に忘れ去られることはなかったものの、いつしか、

「シイ(他界)の人たち」と呼ばれ、わずか身の丈2、30センチの小人、

妖精のごとくされてしまうことになります。

 

なお、ケルトにおいて、以上のような天地創造の物語を補完する神話と

して、失われた町の神話、失われた楽園に対する哀惜を表す伝承があると

いうことです。

 

それらの神話は、ひとりの女が犯した過ちのために、豊かな美しい町が

突然の高波、あるいは湖の出現によって水中に沈むというものですが、この

失われた楽園を覆う水は、先述のヒュー・ガダルンが大海の中から巨大な

蛇を引きずり出す以前の原初のカオスの象徴だとされます。それは形態から

不定形への、創造から未分化状態への回帰を表しているのだそうです。

 

ヤン・ブレキリアンは、そのような神話の例として「イスの町の伝説」を

挙げ、この神話は、「全インド-ヨーロッパ語族に共通する幾つもの非常に

古いテーマをひとつにまとめたものである。“失われた楽園”の変奏である

水に呑み込まれた町のテーマとともに、他界への入口である水底の井戸の

テーマがここには見いだせる。ひとりの女がそこから溢れ出させた水は、

大地を覆い尽くしてしまうのだが、その水は呪いであるとともに肥沃を

もたらす力でもある。」と述べています。

 
 
 
 
 
 
 
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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
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