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「宗教的経験の諸相」


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宗教的経験の諸相1 



本書の著者、ウイリアム・ジェイムズというと、「プラグマティズム」の

代表的な思想家とされますが、「プラグマティズム」が実用主義、道具

主義、実際主義などと翻訳されているために、一見、宗教に否定的な書物

ではないかという先入観を抱くかもしれません。

 

しかし、「プラグマティズム」とは、経験不可能な事柄の真理を考えること

はできないという経験論を継承し、概念や認識をそれがもたらす客観的な

結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ考え方を指すようで

あり、本書は、その観点から、逆に、徹底して宗教的経験、宗教的感情の

価値と意義を擁護するものになっています。

 

さて、W・ジェイムズが本書を執筆した直接の動機は、彼がイギリスの

エディンバラ大学から招聘されて行ったギフォード講義という自然宗教に

関する講義にあるようです。彼が友人あての手紙の中で、「宗教は私の生活

の最大の関心ではありますが、私はどちらかといえばどうにもならないほど

非福音主義的で、万事をあまりに非人格的に見すぎるようです。…心理学は

だんだん他の人にゆずっています。…今年が過ぎましたら、得られるだけの

きれぎれの時間を宗教的な伝記と哲学に費やすつもりです。…」と記して

いるように、そのころ、研究が心理学から哲学に移りつつあること、そして、

その移行のいわば媒介として宗教が大きな役割を演じていること、さらに

また、宗教が彼の生活の最大の関心であったことを明らかにしていると、

本書の翻訳者である桝田啓三郎氏は述べています。

 

つまり、ギフォード講義は、ジェイムズが早くから抱いていた宗教に対する

関心を結実させる機会を与えたのであって、宗教はもともと彼の本質をなし

ていて、生涯を通じて、その思索の基底をなし、原動力となっていたもの

だとしています。

 

また、本書が、ある意味で、「病的心理学の研究」だとジェイムズ自身が

見なしていたとされるように、当時、彼は精神病理学ないし異常心理学の

研究に強い関心を示したようです。

 

ジェイムズは宗教というものを、異常な精神現象のうち最高のものと見なし、

そういう見地からそれまでの研究の成果をこの書に注ぎこんだとも言えます。

 

さて、この書の成立には、さらに大きな動機があったようです。

 

それは、ジェイムズ自身が「宗教的憂鬱」と呼んでいる、彼の個人的な

体験、1869年から70年にわたる精神的不安の体験です。

 

当時のジェイムズの精神状態については、詳しいことは明らかではあり

ませんが、彼が肉体的な不健康のほかに、恐ろしい精神的危機の状態に

あったようです。

 

本書に例としてあげられているフランスの一憂鬱病患者の手記は、ジェイ

ムズ自身の当時の精神状態を述べたものだということです。

 

そこには、「この憂鬱症の経験には宗教的な意味がある、と私はいつも

思っている。…『永久にいます神は、わが避難所なり』『すべて労する者、

重荷を負う者、われに来たれ』『われは復活なり、命なり』などという

聖書の言葉にすがらなかったならば、私はほんとうに気が狂ったに違い

ない」と説明されているのですが、この体験によって宗教的神秘主義と

病的心理状態の深い理解を得られたとされます。

 

一方、弟ヘンリーへの手紙で「人間がこの世において頼りにしなければ

ならぬすべては、結局、ただ野性的な抵抗力でしかないように私は思う。

悪を見て見ぬふりをし、悪をていさいよく取り繕うことは、多くの人々に

はできるらしいが、私にはどうしてもできない。…悪は認容され、憎まれ、

われわれの身体の内に息のあるかぎり、抵抗されなくてはならない」とも

述べているように、彼の陥った精神的危機は、宗教的憂鬱であったと同時に、

生きる支えとなるような哲学を欠いているところから生じた、生きようと

する意志の衰弱によるものであったとしています。

 

彼の道徳は、悪に打ち勝つ希望という形をとるか、悪と戦って勇敢に死ぬ

決意という形をとるか、しかなかったが、それに必要な意志の力が当時の

ジェイムズには衰えていたというのです。

 

よって、<この精神的な不安からの救いは、ジェイムズにとっては、至高

なる者の恩寵を感ずるという宗教的な信仰によってもたらされるよりも、

自己信頼と道徳的自由の観念によってもたらされるものであった。しかし、

それと同時に、ジェイムズがこの経験において、病める魂をもつ二度生まれ

る者、つまり、救いを得るためには新しく生まれかわることを必要とする

人間の持つ気持に似た新生の感じを経験したということも疑うことはでき

ない>そして、<ジェイムズの善を求めて悪と戦う道徳的意志は、人間の

強さから生ずる「戦う信仰」とならざるをえなかった。すなわち、ジェイ

ムズにおいて、意志を刺激し動かすものは、戦う信仰ないし信念の形を

とった宗教だったのである。しかし、同時に、より以上に深くジェイムズ

の魂の底に潜んでいたものは、人間の弱さから生まれる「慰めとなる信仰」

であって、これこそギフォード講義全体の基調をなすものであり、そして

この信仰こそ、ジェイムズがかの精神的危機の体験を通して学び知ったもの

にほかならなかったのである」と桝田啓三郎氏は述べています。

 

さて、それでは、この講義において、何を語り、訴えようとしたのでしょう

か?

 

ジエイムズは、ある手紙の中で次のように述べているようです。

 

「私が課した問題は困難な問題です。第一には、「哲学」に反対し「経験」

を弁護し、それが世界の宗教的生活の真の背骨であることを論ずること、

第二に、聴衆あるいは読者に、私自身が信じざるをえないことを、すな

わち、たとえすべての宗教の特殊なあらわれ(つまりその教条や理論)は

不条理であったにしても、しかし全体としての宗教の生活は、もっとも

重要ないとなみであることを信じさせることです。ほとんど不可能に近い

課題で、私には果たせないかもしれません。けれども、やってみるのが私

の宗教的行為なのです。」

 

また、これとは異なる手紙では、「この講義で私のとった立場は次のとおり

です。すべての宗教の母なる海と水源は、神秘的という言葉をごく広い意味

に解して、個人の神秘的経験のうちにあります。すべての神学やすべての

教会主義は、上積みされた第二義的な産物です。そういう経験は、その経験

をする当人の知的な先入観と容易に結びついてしまうので、それ自身の固有

な知的表現をもたないと言ってもよいくらいですが、知性の住むところより

もより深い、より肝要で実践的な領域に属しています。そのために、神秘的

経験は知的な論証や批評によって論破されることもできないのです。」

 

「私は神秘的あるいは宗教的意識を、神託が侵入してくる薄い隔膜をもった

広い識閾下の自己というものをもっていることに結びつけて考えます。

私たちは、私たちの通常の意識よりもいっそう大きくていっそう力強い、

それにもかかわらず私たちの意識が連続している、ひとつの生命圏の

現前を知らされずにはいられません。」

 

「そこから私たちが受けとる印象や刺激や情緒や興奮は、私たちが生きて

いくのに力を貸してくれます。感覚の彼方にひとつの世界があることを、

いやおうなく確信せしめます。私たちの心を動かし、あらゆるものに意義

と価値を与え、私たちを幸福にしてくれます。みずからそれを経験した

個人はそうなり、他の者はそれに従うのです。」

 

「宗教はこうして不滅なものです。哲学や神学は、この経験的な生命の

解釈を供するばかりです。識閾下の領域の周辺は、まだ知られてはいま

せんが、それは、先験的観念論によっては、私たちがその一部分と一つに

結び合っている絶対精神として扱われ、キリスト教神学によっては、私たち

に働きかける独特な神として扱われることができます。私たちの直接的な

自己でない何ものかが、私たちの生命に働きかけるのです。」と述べて

います。

 

では、この書は、当時の識者に、或いは世の中にどのように受け取られた

でしょうか?

 

フランスの哲学者ベルグソンは賛意を込めて次のように述べています。

 

「あなたは宗教的情緒の神髄を摘出することに成功されたように思います。

宗教的情緒が一種独特の喜びであるとともに、より高い力との合一の意識

でもあるということは、おそらく私たちがすでに感じてはいたことでしょう

が、しかし、この喜びとこの合一の本性は、分析することも表現することも

できないものと思われておりました。にもかかわらず、読者に一連の全体的

印象を次々と与えて、― 読者の心の中でその印象を相交わらせ、同時に

互いに融合させるという斬新は方法をとられたお蔭で、あなたにはそれを

分析し表現することができたのです。」

 

そして、また、「『宗教的経験』に関する彼の書物が出たとき、多くの人は

これを宗教的感情のきわめて生き生きとした描写ときわめて鋭い分析と

してしか見なかった。― つまり、宗教的感情の心理学にすぎない、と

言われた。これは著者の思想を甚だしく誤解してものであった。」

 

「実をいえば、ジエイムズはちょうどわれわれが、春の日に、柔らかい

そよ風を肌に触れて感じようとして窓からのり出したり、海辺で、風が

どちらから吹いてくるのかを知ろうとして船の行き来や帆の膨らみを

見まもるのと同じように、身をのり出して神秘的な世界を見まもって

いるのである。」

 

「宗教的な感激に満たされた魂は、ほんとうに高く持ち上げられ、われ

を忘れている。そのような魂は、われを忘れさせ高く持ち上げる力を、

科学的実験と同じように、われわれに生き生きと理解させるものでは

ないだろうか。」と高く評価しています。

 

ジェイムズにとって、「およそ一個の人間の宗教は、その人間の生命の

もっとも深く、もっとも叡智的なものである」と彼自身が述べている

ように、宗教は第二次的な産物ではなく、人間のもっとも根本的な

経験の事実であったのです。







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