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善鸞義絶-親鸞からの手紙 1-


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親鸞からの手紙 




吉本隆明氏は、『最後の親鸞』の中で、「親鸞自身の著述よりも、親鸞が

弟子に告げた言葉に一種の思い入れみたいにこめられた思想から、最後

の親鸞が見つかるはずなのだ。すると、やはりだれもがよいとみなす

『歎異鈔』や『末燈鈔』(親鸞の手紙を編さんしたもの)などを入念に

たどるほかはない。」と記しています。

 

『歎異鈔』については、以前に紹介しましたので、今回は、阿満利麿氏

の『親鸞からの手紙』を取り上げ、親鸞の奥深い思いのひだのような

ものに触れてみたいと思います。

 

さて、親鸞の手紙は、現在、42通残されているということです。その

うち真筆は11通で、ほかは書写されたものです。なお、形式的には、

手紙の原型を保っているものと、「消息集」として編さんされたものが

あります。

 

「消息集」というのは、『末灯抄(末燈鈔)』、『御消息(広本、略本)』、

『血脈文集』、『御消息集(善性本)』、『御書』であり、それぞれに

編さんの意図があり、また、編さんの時期も異なるということです。

 

手紙のなかで、年号が分かるもののうち、早いものは、1243(寛元

元)年12月21日で、親鸞71歳(数え年)のもの、最後の手紙は

1260年(文応元)年11月13日で、親鸞88歳のものです。

 

親鸞の年齢でいうと、手紙の大部分は80歳代のもので、手紙の宛先の

多くは、関東の門弟であり、個人宛もあれば、集団に宛てたものもあり、

回覧を希望しているものも少なくないということです。

 

このように、残された手紙は晩年に集中しているが、その理由の一つは、

いわゆる「善鸞事件」というものが関わっているようです。この事件とは、

親鸞の息子である慈信房善鸞が、関東の門弟たちの間で生じていた、専修

念仏の教えとは異なる風潮を教戒するために、親鸞の命を受けて関東に下

るが、かえって、親鸞の教えと反する言動をとり、さらに、関東の門弟

たちを新たに支配しようとする意図さえあらわにして、有力な門弟を時の

幕府に訴えたりし、念仏者の間に混乱と相互離反を招くことになったと

いうものです。

 

では、まず、このことに関して、親鸞から慈信房善鸞へ宛てた絶縁の手紙

から紹介したいと思います。

 

「仰せになったこと、くわしく聞きました。なによりも、哀愍房(あいみん

ぼう)とかいう人が、私からの手紙を入手したとかいっていること、まこと

に不思議に思います。今までに一度も姿を見たこともなく、手紙を一度も

もらったことがありません。私からその人に申すべきこともないのに、

私から手紙を得たといっているのは、あきれたことです。」

 

「また、慈信房(善鸞のこと)が教えている内容は、教義の上でもその名

を聞いたこともなく、知らないことです。それを慈信一人に、夜中(ひそ

かに)、親鸞が教えたのだと、慈信房が人々に言いふらしたために、親鸞

に対しても、常陸(ひたち)や下野(しもつけ)の人々はみな、親鸞が

嘘をついた、と言い合っておられるので、今となれば、父と子の関係を

断ちます。」

 

「また、母の尼に対しても、考えられないような嘘を言いふらし、言葉も

ありません。もってのほかのことです。その手紙(慈信から壬生の女房へ

手紙のこと)には、…継母に言い惑わされたと書かれているのは、とり

わけ情けない嘘です。そのときは(慈信と母が)一緒に暮らしていたにも

かかわらず、「継母」の尼が言い惑わしたのだ、というのは、驚きあきれる

嘘です。」「このような嘘どもを言って、六波羅の探題あたり、また、鎌倉

幕府などに申告したことは、悲しいことです。」

 

「これらの嘘は、俗世にかかわることですからどうでもいいことです。

それでも、嘘を言うことは不快なことです。ましてや、極楽へ往生する

という大切なことを言い惑わして、常陸や下野の念仏者を惑わせ、親に

も嘘を言いつけたことは悲しいことです。第十八願を、萎(しぼ)んだ

花にたとえて、人ごとに捨てさせたと聞こえてくること、まことに仏法を

謗(そし)る咎(とが)であり、また、五逆の罪を好んで犯し、人を損

ない惑わされたこと、悲しいことです。ことに、信心の仲間の和を破る

ことは、五逆の罪の一つです。親鸞に嘘を言いつけたことは、父を殺す

ことです。五逆のなかのひとつです。」

 

「このようなことどもを伝え聞くことは、嘆かわしいこと、言葉もあり

ませんので、今は、親ということはありませんし、子と思うこと、思い

切ってしまいました。(このことを)仏・法・僧の三宝と仏法擁護の神々

に、はっきりと申し切りました。悲しいことです。」

 

以上の内容ですが、さて、まず、親鸞が息子の善鸞との親子の縁を切る

とまで記した理由に何かということです。

 

手紙からは、善鸞がいろいろな嘘をついていたということが伺われますが、

親鸞は、「俗世にかかわることですからどうでもいいことです」と記して

います。

 

それよりも、「第十八願を萎んだ花」にたとえるとか、教えを夜中にひそか

に善鸞唯一人に伝授したとか、関東の念仏者を誹謗したことは、明らかに

法然によって伝えられた仏教を歪曲、誹謗、否定しているということであり、

このことは、真実の教えのために生涯をかけてきた親鸞にとって、耐え

難いことであったようです。

 

阿満利麿氏は、「手紙の文面に即するかぎり、法然によって開示された本願

念仏の真実が否定された、という一点が最大の理由ではないだろうか」と

述べています。

 

なお、この手紙は弟子の顕智という人の筆写であり、親鸞の真筆ではない

ため、偽作であるという説も一部あったようですが、阿満氏は、偽作では

ないとしています。

 

また、手紙のなかに「継母に言い惑わされた」ありますが、この文面から、

善鸞は恵信尼の実子ではなかったのではないかという推測がなされたり

しているようです。

 

恵信尼の残した書簡を除いて、親鸞の結婚に関する資料はない以上、すべて

が推測の域を出ないが、現在の研究では善鸞は親鸞と恵信尼の間に生まれた

子であり、「継母」は善鸞の虚言と見るのが妥当のようです。

 

いったい善鸞は何を手にいれようとしていたのかは分かりませんが、「この

ようなことどもを伝え聞くことは、嘆かわしいこと、言葉もありません」

とあるように、84歳になってわが子を義絶しなければならなかった親鸞

の深い悲しみが伝わってくるように思います。

 

しかし、親鸞は、この悲しみを内省への深まりに転化し、さらに、『正像

末和讃』や「唯信抄文意」、「一念他念文意」などのあらたな著述に励む

ことになるようです。

 

「この悲劇を契機として、親鸞の思索はまた展開するのであり、最後の

光芒を放つことになる。その意味では、義絶は個人的には深い悲しみを

もたらしたが、本願念仏思想の発展の上からは、貴重な深まりをもたらす

ことになった。」と阿満利麿氏は、述べています。

 

さて、善鸞義絶の手紙は、もう一通あって、それは性信房宛てになって

います。性信房は、親鸞が最も信頼を置いていた門弟ですが、「慈信(善

鸞)に関しては、親鸞の子どもであるという関係をきっぱりとあきらめ

ます」と善鸞義絶の意思を記すとともに、善鸞の画策にやすやすと

乗って信心を捨て、離反していった常陸・下野の同胞に対する嘆きと

悲しみが綴られています。

 

また、先の手紙にも登場した哀愍房について激しく批判していて、彼が

書いたという「唯信抄」の内容があまりにもひどいので「焼き捨てよ」

とまで記しています。

 

なお、善鸞の画策と時期を同じくして、この哀愍房というような人物が

登場したのは、<関東の同胞の組織が、その支配をめぐる争いを引き起

こすほどに、一種の魅力をそなえるまでに成長していたということでは

ないか>と阿満氏は述べています。

 

しかし、問題はそれだけにとどまらなかったと阿満氏は言います。善鸞も

哀愍房も、親鸞の権威によって同胞たちの新たな支配をたくらんだので

あり、このような親鸞の権威の利用の背後にある「人師」崇拝(専修念仏

の教えより親鸞そのものが崇敬されること)の悪弊、これこそが、親鸞の

もっとも恐れていた同朋集団の陥穽(落とし穴)ではなかったのかと言う

のです。

 

<宗教において、もっとも恐るべきは、このような「人師」崇拝であり、

本願念仏は、そうした「人師」崇拝から自由になる数少ない教えである

にもかかわらず、そのなかから、のちには親鸞の血統を法主とする教団が

生まれてくる。皮肉といえば、これほどの皮肉はないであろう>と阿満氏

は述べています。

 

なお、悲痛な文章が綴られている中で、受け取り手である性信が書いた

「真宗聞書」という一書について、それは「私が申していることと違い

ません」と述べ、親鸞の喜びが表現されています。

 

性信は、先にも述べたように親鸞がもっとも信頼していた門弟で、下総

横曽根門徒のリーダーであり、親鸞のもっとも早い時期の門弟であると

言われています。よって、現存する手紙の宛先は、この性信宛がもっとも

多いようで、のちに、それらを集めて「血脈文集」という消息集が編さん

されます。

 

「血脈」とは血統ではなく「法脈」のことで、法の正統な伝承を示す言葉

ですが、そのような消息集が編まれたということは、親鸞滅後、専修寺や

本願寺が教団として勢力をもつようになってくることに対抗して、性信を

開祖とする坂東法恩寺に結集した同胞が、法然・親鸞・性信という法脈

こそがもっとも正統であることを示すためであったと推測されている

ようです。

 

「それにしても、善鸞の策動以来、同朋たちの離反を目の前にして悲嘆に

陥っていた親鸞にとって、性信の存在は勇気を与えてくれたにちがいない」

と阿満氏は述べています。

 

 

 
 
 
 
 
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