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悪人正機-親鸞からの手紙 2-


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親鸞からの手紙を読み解く  
 
 
 前回は、「親鸞からの手紙」の中から、特に「善鸞事件」、つまり、息子

である善鸞の義絶に関わる手紙について紹介してきましたが、そのことの

発端を探ってゆくと、それは、親鸞が唱えた、「善人なをもて往生をとぐ、

いはんや悪人をや(善人ですら極楽浄土に行くことができる、まして悪人

は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか)」という「悪人正機説」のもつ

逆説的な表現とそれに対する誤解、曲解から始まっているように思われ

ます。

 

よって、善鸞の義絶にいたるまで、いったい、どのような経緯があったの

かということが大変気になるところですので、今回は、そのあたりを追っ

てみたいと思います。

 

さて、親鸞が専修念仏の弾圧によって、京都から越後に流刑の身となった

のは、1207年、35歳の時とされます。それから5年を経て、赦免と

なり、しばらくして、親鸞は関東におもむいたのです。そして、今の茨城

県を中心に20年間、専修念仏を広めた後、京都に戻ったのですが、その

間において、関東における親鸞の信者(門徒)の数は、3千人余にのぼった

ということです。

 

その「門徒」の中心を形成していたのは、法然の場合と同じように、武士

階級に属する人々であったようですが、全体としては、農民、商人、猟師

や漁師など、直接生産に関わる人々が多かったとされます。

 

よって、これらの人々の中には、「悪」に対して親鸞の意図するところと

は異なる認識をしていた人が少なからずいたようなのです。

 

もっとも、<悪人こそが、阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である>

という「悪人正機説」は、親鸞の独創ではなく、親鸞の師である法然の教え

であるとされており、法然の時代から、仏の教えに背く「悪人」であっても、

いや、そのような「悪人」であるからこそ浄土に迎えて仏とするという阿弥陀

仏の約束(誓願)を逆手に取って、わざと悪行を重ねる人々がいたようです。

 

そういう人々のふるまいを、当時の人々は「造悪無碍(ぞうあくむげ)」

(どんなに悪いことを重ねても往生の障りとはならない、の意味)と呼んだ

のですが、そういう積極的に悪行を肯定する「造悪無碍」派が台頭すると、

その反動として、悪行をやめ、善いことを実践しないと浄土への往生は

難しい、という道徳を優先する「賢善精進(けんぜんしょうじん)」派が

生まれてきます。いずれにしても、誤った考えが蔓延してゆく結果になる

のですが、親鸞が教えを広めた関東においても、そういった兆候が顕著に

なってきたようなのです。

 

なお、親鸞と法然の「悪人正機」に対する考え方の違いについて、梅原猛

氏は、『歎異抄』の解説の中で次のように述べています。

 

法然も同じようなことを言っているとしながらも、<法然が「善人なを

もて」といっても、人はそこに悪人は見ない。しかし、親鸞の場合は違う。

親鸞が「善人なをもて」というとき、彼は悪人としての自分の救いのことを

いっているのであり、人もまた、親鸞が自分の救いのことをいっているのだ

と思う理由があるのである。親鸞は何よりも肉食妻帯の僧であった。肉食

妻帯ということは、釈迦以来最大の悪とされてきたことであった。その悪を

みずから進んで破ろうとする僧侶、そういう僧侶がどうして悪人でなかろう

かと、親鸞自身思ったに違いない。しかも、そのような悪人が救われる教え

こそ他力念仏の教え。親鸞は、おのれが悪人であるという自覚を深めれば深

めるほど、熱烈な他力念仏の教えの信者になっていったのである。それゆえ、

悪の自覚は、親鸞においては法然においてよりいっそう深まっている。>

 

また、戦乱の世の中、多くの殺生の体験を持つ東国(関東)の生活人は、

悪の現実的な体験において、親鸞よりいっそう深いものがあったに違い

ないとも述べています。

 

さて、まず、最初に紹介する手紙(常陸の同行宛?)には、次のように

記されています。

 

「煩悩をそなえた身だからといって、心のおもむくままに好きなように、

身にもしてはならないことを許し、口にもいってはならないことを許し、

心にも思ってはならないことを許し、心のままにどんなあり方でもよい

のだ、とたがいに言っておられることこそ、かえすがえす心が痛みます。

酔いも醒めぬ先に、なおも酒をすすめ、毒も消えやらないうちにますます

毒をすすめるようなものです。「毒があるから毒を好め」というのは、

あってはならないことだと思います。阿弥陀仏の御名を聞き、念仏を申して

久しくなっておられる人々は、この世の悪いことを避けるしるし、また、

わが身の悪事を避けて捨てようとお考えになるしるしもあるべきだと

思われます。」

 

「はじめて阿弥陀仏の誓いを聞き始められた人々が、わが身の悪く、心の

悪いことを思い知って、この身のようなことではどうして浄土に生まれる

ことができようか、という人こそ、煩悩から逃れることができない身で

あるから、心の善悪を問題とせず、阿弥陀仏は浄土に迎えてくださるのだ、

と説かれるのです。」「深く阿弥陀仏の誓いを信じ、阿弥陀仏の名を好んで

称える人は、以前こそ、心のままに悪いことを思い、悪いことを行ったり

してきたが、今は、そのような心を捨てようとたがいに思われるならば、

それこそ、世を厭うしるしになると申せましょう。」

 

この手紙では、親鸞は、煩悩を言い分けの口実にして、心を任せて悪行に

走るのは、あたかも阿弥陀仏の本願という薬があるからといって、毒を好む

に似る、として批判しています。もっとも、親鸞自らは、「造悪無碍」と

いう言葉は使用せず、「放逸無漸(ほういつむざん)」(好き勝手をしながら

他に恥じないこと)という言葉を使っているようです。

 

また、「世を厭うしるし」とは、厭世的なものではなく、世間的価値観から

解放された、積極的な仏教徒としての生き方の表れを指すようです。

 

「いずれにせよ、「造悪無碍」と「賢善精進」との相克こそ、親鸞からの

手紙が書かれねばならなかった、大きな動機なのである。この手紙は、

その序といえる」と『親鸞からの手紙』の著者阿満利麿氏は述べています。

 

さて、親鸞は、専修念仏がそのような自己流に陥らないように、関東の同朋

に対し、彼が法然門下のなかでもとりわけ尊敬をしていた聖覚の「唯信抄」

や降覚の「自力他力事」を書写して送っているのですが、事態は好転しな

かったようです。

 

そこで、次のような手紙(宛先不明)が出されることになります。

 

「経典や注釈書に説かれている教えをも知らず、また、浄土宗の教えの極み

も知らずに、考えられないような放縦と罪悪を恥じることもない人々のなか

に、「悪は思う存分に行うのがよい」と、なによりも強調しておっしゃって

いることこそ、ほんとうに言語道断のことです。」

 

「煩悩に狂わされて、思いもかけず、してはならないことをし、いっては

ならないことを口にし、思ってはならないことを想うものなのです。往生

に差し支えがないからといって、人に対して腹黒く、してはならないこと

をなし、いってはならないことを口にするのであれば、煩悩に狂わされた

のではなく、故意にしていることであり、それはけっしてあってはなら

ないことです。」

 

「鹿島や行方の人々の悪いことを注意して、そのあたりの人々の、とくに

間違ったことを制止してくださればこそ、私のもとからそちらへ出向いて

くださったしるしとなるのではないでしょうか。」

 

ここでも、親鸞は、悪行を積極的に行なうのがよいとする風潮を戒め、

「煩悩に狂わされて」する行為と、「故意」にする行為とを区別せよ、と

諭しています。しかし、この区別は、いうほど簡単ではなく、突きつめて

いくと、どちらも「宿業(しゅくごう)」のなせるところだということに

なり、難しい問題を孕んでいるようです。

 

阿満氏は、この区別について、「この私は阿弥陀仏の誓願によって救われ

ようとしているのか、あるいは、私の行為を正当化するために阿弥陀仏の

誓願をもちだしているのか、という違いに気づくかどうか、だ」と述べて

います。

 

とにかく、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉を

親鸞の意図どおりに理解することは大変難しいことであったということ

は確かなようです。

 

なお、この手紙には、「私のもとからそちらへ出向いてくださったしるし」

とありますが、それが親鸞の息子・善鸞を指すかどうかは断言できないもの

の、「造悪無碍」の風潮を正すために京都の親鸞から派遣された、あるいは

そのメッセージを託された人がいたということを表しています。

 

さて、善鸞が関東の念仏者の誤った風潮を正し、幕府との軋轢を解決する

ために京都か派遣されて3年ほどたった頃から、徐々に親鸞の善鸞に対する

不審の念が頭をもたげてきます。

 

次のような手紙(善信房善鸞宛)があります。

 

「信願房がいうには、凡夫のならいで、悪が本当の姿なのだから、思って

はならないことを好み、身にもしてはならないことをし、口にも言っては

ならないことを言ってもよいのだ、と申しているそうですが、それこそ、

信願房の言いようとは思えません。往生に支障がないからといって、間違

ったことを好んでよいとは、お話したこともありません。何度考えても、

理解できません。」

 

「入信坊、真浄坊、法信坊にも、この手紙を読み聞かせてください。本当

にお気の毒なことです。性信坊には、春、上京されたときによくよく話し

ました。久下(?)殿にも、十分礼を申しのべてください。この人々が

間違ったことを互いに言っておられるとしても、道理まで見失っておら

れるのではないと思います。世間にもそういうことがあります。荘園の

所有者や幕府の役人たち、名主たちが間違ったことをするかといって、

農民たちが動揺することは絶対にないのです。」

 

「仏法を破る人はいません。仏法者が仏法を破る譬えとしてあるのは、

「獅子の身中の虫の獅子を食らうがごとし」ですから、念仏を仏法者

(旧来の仏教徒)が破り、妨げるのです。十分にご理解ください。」

 

この手紙では、親鸞の信頼の厚かった信願房について、信じられないよう

なことを善鸞が伝えてきたことに対して、親鸞の不審の念がいっそう募っ

てきたことがわかります。

 

善鸞は、信願房が「凡夫の本性は悪にあるのだから、何をしてもよいのだ」

という趣旨のことを言いふらしている、と親鸞に告げてきたようですが、

それに対して、親鸞は、そうした言動は信願房のものとはとても考えられ

ないとし、たとえ、間違ったことを言っているとしても、道理まで失って

いるとはとても思えない、と擁護しています。

 

そして、百姓への深い信頼感を示す一方で、念仏者の名を騙る似非念仏者

がいるのではないか、と案じています。

 

もっとも、この段階では、その「獅子身中の虫」が、まさか自身の息子で

あるとは知らなかったのです。

 

一方、善鸞の方は、父を裏切り、裏で自分の思うように関東の同胞たちを

組織しようとしていったようで、その結果、従来の教えから離れ、善鸞に

同調する人々が現れたという手紙を親鸞に送っていますが、それに対する

返事の手紙は次のようなものです。

 

「田舎の人々が、みな多年、念仏したことは無駄なことであったといって、

あちらでもこちらでも、人々がいろいろに申す事こそ、何度考えても、気持

ちの痛むことですが、耳に入ってきます。(この人々は)さまざまな書物を

写してもっているのに、それをどのように読んでいるのでしょうか。本当に、

様子がはっきり分かりません。」

 

「慈信坊(善鸞)が関東に下り、自分が父・親鸞から聞いた教えこそが

まことであり、今までの念仏はみな無意味なことだというので、大部の

中太郎のところに集まる人々は、90人とか聞きますが、みな慈信坊の

同調者となって、中太郎入道を捨てたとか聞いています。どういうわけで、

そのようなことになっているのですか。」

 

「(そうした評判につけても、慈信坊よ)どのように念仏の教えを説いて

おられるのですか。想像もできないことを耳にしますことこそ、気の毒に

思います。十分に事情を通知してください。」

 

ここでは、まだ、裏切られたとは思っていないようですが、善鸞に対する

不審感は頂点に達しているように思われます。しかし、親鸞から教えられて

きた念仏の教えは間違いだったという人も少なくない、さらに親鸞が書写し

て送った聖典類を放棄する人もいる、ということを聞くことになった親鸞に

とっては、人のことをとやかくいう段階ではなく、親鸞自身が今までどの

ような念仏を広めてきたのか、を省みざるをえない状況にいたっており、

落胆と悲痛の思いの方が強いように思われます。

 

しかし、しばらくして、とうとう善鸞の策謀を知る時がきます。一ヵ月ほど

後の手紙(真淨房宛)は、次のように記されています。

 

「念仏が理由になって、住みにくくなっておられると聞いています。本当に、

お気の毒です。」「慈信坊(善鸞)がさまざまに申すことによって、人々も、

御心がさまざまにおなりになった由、うけたまわりました。本当に気持ち

の痛むことです。ともかくも、仏の御はからいにおまかせすべきことです。」

 

「慈信坊が申しましたことを信頼しておられるようですが、私からは、念仏

者以外の人(領家・地主・名主)を強力な頼りとして念仏を広めよ、とは

決して申したことはありません。大変まちがったことであります。」

 

「この世によくあることですが、念仏を妨げようとすることは、かねて仏が

説き聞かせておられることですから、驚かれることはありません。慈信坊が

さまざまに申すことを、わたしから申していることだと理解されることは、

絶対にありませんように。教えのことも、思いもよらないふうに申しており

ます。お耳にお聞きいれなりませんように。ひどく間違ったことどもが伝わ

っています。いたましいことです。」

 

「奥郡の人々が、慈信坊にだまされて、信心もみな互いに動揺しておられる

こと、本当に、しみじみ悲しく思われます。私も人々をだましたように聞こ

えてくること、本当に、なさけなく思われます。それも、日ごろ、人々の

信心が定まっていなかったことがあらわれて聞こえてきたのです。本当に、

気の毒なことです。」

 

この手紙の内容から、親鸞は、はじめて関東の同朋の動揺が、善鸞による

ものであることを知ったということがわかります。善鸞が時の権力者と

手を握っていることや、善鸞が「奥郡」の人々をだましていることも

知ったと思われます。

 

それは、大変な驚きであったと思われますが、それよりも、善鸞の説教に

よって、今まで親鸞が説いてきた信心がひとたまりもなく動揺し、崩壊した

という事実に遭遇したことが大きなショックであったようです。

梅原猛氏は、「私はこのわが子善鸞への義絶状を読みながら、九十近い
親鸞に訪れた深い悲しみを思うのである。これは見方によれば、親鸞の
甘さが丸出しになった事件であるともいえる。肉食妻帯の罪は意外な所

で晩年の親鸞を苦しめたのである。わが子への愛があわや彼の積年の
努力を一挙に粉砕しようとさえしていたのである。」と述べています。


しかし、親鸞は、前回で紹介したように、深い悲しみのなか、はっきりと

善鸞との親子の縁を断絶します。そして親鸞はやがてこの絶望状態から脱し、

自らの信心を問い直し、現実の暮らしのなかで、念仏がまぎれもなく暮らし

の立脚点となる道筋を明らかにしてゆくのです。

 

 
 
 
 
 
 
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ジャンル : 心と身体

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