「リグ・ヴェーダ」の神々と神話-インド神話1-


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世界宗教史2 



インドの神話というと、大叙事詩『マハーバーラタ』が有名であり、以前

に紹介したことのある『バガヴァッド・ギーター』は、そのなかに編入

されているものでした。

 

今回は、『マハーバーラタ』以前の古い神話、いわゆる「ヴェーダの神話」

と呼ばれるものについて、紹介してみたいと思います。

 

さて、アーリア民族が西北インドに侵入した時期は、一般に紀元前1500

頃とされています。そして、紀元前1200年前後には、インド・アーリア

人の有する最古の文献である『リグ・ヴェーダ』が成立したと言われて

います。

 

「ヴェーダ」とは、元来、知識、特に宗教的知識を意味し、のちにその

知識を説くバラモン教の聖典の総称となったもので、詩的霊感をそなえた

聖仙(リシ)たちが超越的な意識状態のうちに、いわば啓示を受けて表現化

したものとされます。

 

なかでも『リグ・ヴェーダ』(神々に対する讃歌の集成の意味)は、ヴェ

ーダ文献の中でも最古のものであり、おそらく紀元前1500年から900

年の間に成立したとされ、それは最初期のインド・アーリア人の宗教・神話

・生活を伝える最も基本的な資料であるとされています。

 

『リグ・ヴェーダ』の宗教は多神教であり、神々は「デーヴァ」と呼ばれ

ています。そして、神々に敵対する悪魔はアスラ(阿修羅)と呼ばれて

います。ただし、最初期においては、アスラは必ずしも悪い意味で用い

られてはおらず、デーヴァと異なる性格を有する特殊な神格を指して

いたようです。

 

なお、ペルシャ(イラン)のゾロアスター教において、アスラに対応する

アフラが最高神アフラ・マズダーとなり、デーヴァに対応するダエーウ

が悪魔の地位に落ちたのは、後代のインドにおける経過とは逆になって

います。

 

さて、諸民族の宗教において、天空がまず最高神と仰がれたように、原始

インド・ヨーロッパ人たちも、天神ディアウス、つまり、父なる天を至高

の神としたようです。『リグ・ヴェーダ』においても、デーヴァと同じく、

「父なる天」と尊敬をこめて呼びかけられています。

 

しかし、『リグ・ヴェーダ』には、独立のディアウス讃歌はなく、すでに

祭祀から姿を消してしまっていたようです。天神ディアウスも、「彼ら

(天神)は他の神々の伸長の前にその影が薄くなり、暇な神となる。

至上神として崇拝されるかぎりにおいてのみ、天空神は原初の威光を

保つことに成功するのである。」とM・エリアーデが『世界宗教史』の

なかで述べているような段階にすでに入っていたのです。

 

ともかく、きわめて早い時期に、ディアウスの地位は至上神であるヴァルナ

にとって代わられるのです。ヴァルナは、インドとイランに分化する以前の

頃のインド・イラン人の最高神となったようです。

 

ヴェーダにおいても、このヴァルナが至上神として描かれているようです。

<彼は世界、神々(デーヴァたち)、人間たちを支配する。人間はこの神

の前に出ると、みずからを奴隷のように感じる。また、恐るべき絶対者で

あり、索縛の主である彼は、遠く隔たっていても罪人を縛り上げる呪術的

な力をもつが、また、同時に、彼らを解放する力を持っている>といった

存在なのです。

 

ただし、ヴァルナに奉げられた讃歌の数は他の神々と比べても多くはなく、

上記のような目ざましい威光を達成したにもかかわらず、ヴァルナも

ヴェーダ時代には衰退しつつあったのです。

 

なお、インドラが代表的なデーヴァであるのに対し、ヴァルナは典型的な

アスラであるとされますが、これは何を意味するのでしょうか?

 

M・エリアーデは、どのようにしてヴァルナが世界の王の地位に上昇する

に至ったかは、ほとんど知られていないとしながら、インドラに率いられ

た「若い神々」とアスラの称号をもつ一団の原初的神格との神話上の戦い

に着目し、アスラという言葉は原初的な状態、わけても世界が現在のよう

な組織だてられる以前から存在していた、状況に特有の聖なる力に関係

しているとしています。つまり、「アスラ」の時代が、デーヴァの支配

する今の時代に先行するということを強調する必要があると述べています。

 

ところで、ヴァルナは、宇宙の秩序と人倫の道を支配する司法神であり、

天則リタの守護者であるとされるのですが、一方で、マーヤー(変容)

と緊密なつながりを持つという二面性があるようです。

 

これは、一見、逆説的であると思われるかもしれないが、<ヴァルナの

宇宙的創造性が「呪術的」側面をも持つという事実を考慮するなら、

この関連も理解できる>とエリアーデは述べています。

 

つまり、マーヤーというものには、二種類、善いマーヤーと悪いマーヤー

とがあって、前者は、形状や存在を創造する宇宙論的マーヤーで、後者は、

呪術的、悪魔的なマーヤーを指すということです。

 

なお、このような両価性と相反するものの結合は、ヴァルナだけに固有の

ものではなく、インドの宗教的思考を特徴づけるものの一つであると

されています。

 

ヴァルナと不可分な関係にあるミトラについてエリアーデは次のように

述べています。

 

<ヴェーダではただひとつの讃歌しか彼(ミトラ)には奉げられていない。

しかし、彼は平和を好み、情け深く、法を司り、聖職者の側面を具現する

ことで、ヴァルナと主権のもつ属性を共有しているのである。その名が示す

ように、彼は人格化された「契約」なのである。彼は人間同士のあいだの

契約を容易にし、彼らにその約束を守らせる。太陽は彼の目である。彼は

すべてを見るので、何ものも彼の目を逃れることができない。>

 

<宗教的な活動や思考における彼(ミトラ)の重要性は、それとは正反対

のものであると同時にそれを補完するヴァルナとともに、彼が祈願される

ときにとりわけ明らかになる。ミトラ-ヴァルナという二項式は、神の至上

性のこのうえない表現として、すでに最古の時代に重要な役割を演じていた

が、もっとあとには、あらゆる種類の敵対的一対や補完的対立の範例的定型

として用いられたのである。>

 

さて、『リグ・ヴェーダ』で一番人気のある神はというとインドラです。

実に全讃歌の四分の一が彼に奉げられています。

 

元来、ギリシャ神話のゼウスや北欧神話のソールに比較される雷神の性格を

もっていたようですが、『リグ・ヴェーダ』においては、暴風神マルト神群

を従えて「ダスユ」、あるいは「ダーサ」といったアーリア人の敵を征服

する、英雄、理想的なアーリア戦士として描かれています。

 

インドラの中心的な神話は、『リグ・ヴェーダ』のなかで最も重要な神話

とされていて、工巧神トヴァシュトリの造った武器ヴァジラ(金剛杵)

を投じて、水をせき止める悪竜ブリトラを殺すインドラの武勲は、繰り

返し讃えられているのです。

 

なお、この神話は、多価的、多義的で、宇宙創造的な意味のほかに自然

主義的、かつ歴史的な価値が含まれているとエリアーデは言います。

 

つまり、インドラは、造物主あり、生命の横溢や宇宙的・生物学的エネ

ルギーの顕現、擬人化であるとされる一方で、嵐によって引き起こされた

雨として、あるいは山岳からの水の解放として解釈されたり、アーリア人

がダスユたちに対して持続しなければならなかった戦闘の反映であると

されるのです。

 

ともかく、インドラの悪竜退治は、一回きりの出来事ではなく、周期的に

繰り返さるもので、この神話の根柢をなすものは、周期的に繰り返される

天地創造神話であるということです。

 

なお、『リグ・ヴェーダ』において最高神であったインドラの地位は、

後代になるにつれて下落してゆきます。名目上は、以前として神々の

王とみなされますが、悪魔によって打ちのめされ、修行者の苦行に怯え

てその妨害をするというような、相対的に弱い神になってゆくのです。

 

のちに世界守護神の一つとして東方を守護するとみなされるようになった

り、仏法の守護神の一つとされ、帝釈天と漢訳されます。

 

さて、先に、インドラの悪竜退治の神話における宇宙創造論的な側面に

ついて触れましたが、『リグ・ヴェーダ』の主要部分には、明瞭な創造神

による宇宙創造は説かれていないようなのです。

 

宇宙創造神話は、あらゆる民族の神話において最も基本的なものとされて

いますが、ここでは、インドラあるいはヴァルナが創造神的な役割を果たし

たことが推測されるのみだということです。

 

それでも、『リグ・ヴェーダ』のうちで比較的後期に成立したとみられる

若干の讃歌において宇宙創造に関する見解が説かれているようですので、

紹介しておきたいと思います。

 

 

まず、祈祷主神ブラフマナスパティを創造者とする説があります。ブラフ

マンは後のウパニシャッド(秘教、秘説を意味する)思想においては、

宇宙の根本原理とみなされるが、『リグ・ヴェーダ』においては、聖なる

祈祷の語、讃歌を意味するものと解されています。このブラフマンを司る

神がブラフマナスパティであると思われ、ブラフマナスパティは、鍛冶工

のように万物を鍛えて造ったと讃えられているのです。そこでは、「有は

無より生じた」と述べられているようです。

 

次に、ヴィシュヴァカルマン(「一切を造った者」の意)を創造者とする

説があるようです。聖仙である彼は、あらゆる方角に目を持ち、あらゆる

方向に腕を持ち、あらゆる方向に足を持つという。彼は天地を創造した

とき、翼であおいでそれを鍛接(たんせつ)したということです。創造を

鍛治にたとえる点では、ブラフマナスパティと同じです。

 

なお、後のブラーフマナ文献(祭儀書)によると、ヴィシュヴァカルマン

は宇宙の祭式を行い、全生類を犠牲として供えた後で、彼自身を供えたと

いうような、創造と祭式の密接な関係を示す説もあるようです。ここに、

定期的な祭式は永遠に回帰する宇宙の帰滅と再生の模倣であるという

考え方が認められるとされます。

 

また、創造神が黄金の胎児として太古の原水の中に孕まれてしたという説

もあるようです。

 

以上の創造説は、いずれも一神教的なものですが、これらとは性格を異に

する「原人讃歌」という汎神論的な讃歌もあります。

 

これによれば、原人プルシャは、千頭・千眼・千足を有し、大地よりも

広くそれをおおっているとされます。彼は過去と未来にわたって存するこの

一切であり、万有そのものなのです。ところが、この一切の存在は実は彼の

四分の一にすぎず、彼の四分の三は天界にある不死者であるという。

 

つまり、四分の一が現象界にあたり、四分の三は本源的実在と考えられて

いて、彼からヴィラージュ(遍照者)が生まれ、ヴィラージュからプルシャ

が生まれた、という循環説が説かれるのです。

 

神々がプルシャを犠牲獣として祭祀を実行したとき、(祭祀そのもので

ある)プルシャから馬、牛、山羊、羊などが生まれた。そしてプルシャを

分割したとき、彼の口はバラモン(祭官)となり、両腕は王族となり、両腿

はヴァイシャ(実業者)となり、両足からシュードラ(従僕)が生じたと

いう。さらに、意から月が、眼より太陽が、口からインドラとアグニ(火

の神)が、気息より風が生じ、また、臍(へそ)から空界が、頭から天界

が、両足から大地が、耳から方位が生じたという。このようにして神々は

もろもろの世界を形成したとされます。

 

ここでは祭主であるプルシャ(のちに造物主プラジャーパティと同一視

される)が神々を祭官とし、自分自身を祭供として最初の祭祀を行うので

すが、この原初の祭祀による宇宙創造が、その後のすべての祭祀の原型と

なったということを意味するようです。

 

因みに、このような「原人讃歌」は、世界が巨人の身体から創造されたと

いう巨人解体神話の一例であると思われます。

 

なお、『リグ・ヴェーダ』の後期に現れた一元論的帰一思想は、『アタル

ヴァ・ヴェーダ』(呪句の集成)に継承されたということです。

 

そこでは、呼吸(プラーナ)、時間(カーラ)、万有の支柱(スカンバ)、

意欲(カーマ)などが根本原理とされ、それらの諸原理はしばしば

ブラフマンや造物主プラジャーパティと関連づけられているようです。

 

時間がこの万有を出現させたと説かれていて、時間のうちにブラフマンが

含まれ、それはまたプラジャーパティの父とも呼ばれているのです。

そして、このプラジャーパティ(「子孫の主」という意)は、ブラーフマナ

文献(祭儀書)にいたって最高の創造神となり、神々の父、万物の創造者、

全世界の主宰者と呼ばれるようになるのです。

 

しかし、のちに、プラジャーパティの創造物の一つと考えられていたブラ

フマンの重要性が増すにつれて、プラジャーパティはブラフマンに依存

するものとみなされ、ブラーフマナ文献の新層では、ブラフマンによる

宇宙創造が説かれるに至り、さらに、ウパニシャッド時代になり、アート

マンがブラフマンと並ぶ最高原理の地位につくと、アートマンからの世界

創造が説かれるようになったということです。

 






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